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統計力学 I, II --- 質問や疑問への回答

更新日 2010 年 6 月 2 日

出版後に寄せられた(あるいは、目にした)質問や疑問についての回答を載せておきます(まあ、タイトルの通りですね)。 もちろん、質問項目は私なりにまとめたものです。

1-2-2 節の脚注 35(18 ページ)で「対数関数の引数が必ず無次元とは言えない」と書いてあるのだが、これが納得できない

これは「考えてね」というつもりで書いた脚注なので答えるのも野暮なのですが、やはり質問があったので、書いておきます。

まず、まともな物理の関係式で
  A = exp(B)
というのがあったとしたら、本に説明した理由により B は無次元。だから A も無次元。

これをひっくり返せば、
  B = log(A)
だから、この場合はログの引数 A も無次元です。

しかし、ここで A = C D と書けて、しかも C と D が次元をもっているということは可能です。すると上の式は
  B = log(C) + log(D)
となります。ちゃんと左辺は無次元ですが、ログの中身は次元をもっている。 これは正しい式です。つまり、こうやって複数の項で次元のつじつまがあっていれば、対数関数の引数が次元を持っていても全く構わないということになります。

「対数の引数も無次元にしたほうが見通しがいいから、なるべくそうしよう」という考えの人もいるかも知れませんし、それは人それぞれの趣味だと思います。ただし、指数関数の場合とはちがって、別に引数を無次元にすることにこだわらなくてもちゃんとした関係は書けるということです。 もちろん、このあと微分したりしても大丈夫。

「しかし、引数が次元をもっていたら、テイラー展開のときに妙なことにならないだろうか?」という疑問を持つ人がいるかもしれません。 そういうかたは、ログのテイラー展開の公式を思い出して、よく考えていただくと、答えがわかると思います。

4-1-2 節では「平衡状態への緩和」を導いているように見える。すると、ここではエルゴード仮説を暗に用いていることにはならないか?

これは、2 ちゃんねる(大きな web 掲示板)にあがっていたのをある方に教えてもらった疑問にもとづいています。

まず、「4-1-2 節で平衡状態への緩和を導いている」というのは誤解です。 ただし、誤解の責任は著者にあります。 とくに、ある程度の予備知識があり、またぼくの本を一通り読んだ人が、後からふと気になって 4-1-2 節だけを読み返すと、このような誤解が生じうるのだろうと思います。 第 4 刷では、修正を加えて誤解の可能性を減らそうと思います(訂正リストの該当箇所を参照してください)。

なぜ誤解かを説明します。 4-1 節は、まずマクロな世界での熱力学的な経験事実(平衡状態への緩和と平衡状態の普遍性)を認め、それと整合するようなミクロな描像を探るという論理で書かれています。 なので、平衡への接近はそもそも最初から仮定されていることで、ここで導出しようという対象ではありません。 実際、4-1-2 節の最後のほうでの「平衡への接近」の説明は、ほとんど言葉だけで書いてあります(しかも「期待される」とか「失われていくはずだ」というような曖昧な言葉を多用している)。 これは、「平衡への接近」を導出しているのではなく、「こう考えれば、ミクロな描像と話があってなっとくできる」ということを書きたかったからです。 (第 3 刷までの書き方はよくないので、誤解が生じうると思います。)

ところで、疑問の後半部分はまったくの誤解です。 平衡への接近の問題はきわめてデリケートで、エルゴード性を認めても解決はしません。 これは 4-1-6 節をよく読めばわかるはずです。 そもそも、エルゴード性で保証される緩和時間は異様に長く、実際問題としての意味をなさないという点があります。 さらに、エルゴード性というのは、あくまで初期値について(平衡状態の測度で測って)測度 1 で成り立つ性質なので、エルゴード的にるるまわない例外的な状態(の集まり)がつねに許されます。 そのような状態を初期値にとれば、平衡への緩和は(宇宙年齢をはるかに越える時間が経ったとしても)おきません。

では、より真面目な問題として、「平衡状態への緩和はミクロな力学に基づいて理解・導出できるのか?」が気になるでしょう。 4-1-5 節で触れたように、これは現段階では理論物理学の困難な未解決問題の一つであると言っていいと思います。 実は、ぼく自身もかつて「量子系の一部分での物理量の期待値が長時間の後にはカノニカル分布の期待値に一致することを量子力学だけを使って示す」という無茶な(といっても、内容は数学的にしっかりした)論文を書いています。 そこでも、系の初期条件について、物理的に自然だが何故そうなのかは決して自明ではない条件を課した上で、平衡への緩和を証明しています。 ぼく自身は、「平衡への接近」を力学のみから導出するには、

ことが必須だと感じています。 特に二つ目の点は、「マクロな量子系での安定な状態とは何か?」という重要問題とも深く関わっていると思っています。

エルゴード仮説を使わないということは、独自の新しい統計力学なのか?

ちがいます。 当然ですが、ごく普通の教科書的な(←教科書ですし)統計力学を解説しています。

実際、等重率の原理(4-1-3 節)を認めれば、どんな本でも、その後の展開に基本的な違いはありません。 そこから先が、完成した平衡統計力学だからです。

私の本では、等重率の原理を認める主たる根拠を経験事実に置いているわけですが、これも決して過激なことを言っているわけではありません。 それに近い議論をしていたり、そういう空気を漂わせている本は過去にもあったと思いますし(バークレーの統計力学とか、そうじゃなかったかな? 長岡さんの統計力学も(ずっとあっさりしているけれど)似た感じですね)、こういうことは、多くの人が(明文化するにせよしないにせよ)なっとくしていたことだと思っています。

一方、「エルゴード仮説が統計力学の基礎」という立場を表明している教科書や文献でも、実際には、エルゴード性からの等重率の原理の本当の導出を説明しているわけではありません(4-1-6節で解説しているように、そういう導出は不可能)。 (正確な数学的定義には踏み込まず)エルゴード性の大ざっぱな説明が書いてあって、それから、等重率の原理が宣言してあるというのが定番のやり方です。

というわけですから、「エルゴード仮説を使わない」というのは、(実質問題としては)さほど目新しい事ではないのです。

エルゴード仮説による統計力学の基礎付けを批判しているが、ということは、(統計力学における)力学の役割を認めないのか?

(これは、統計力学をよくご存知の人からの疑問なので、初学者は気にしないでかまいません)

もちろん力学は本質的に重要な役割を果たします。

それをもっとも端的に表しているのは、81 ページの

簡単化し過ぎることを恐れずに言い切れば、マクロな熱力学の体系と整合するように、ミクロな(量子)力学の体系に確率分布を導入したのが、平衡統計力学なのだ。
という文でしょう。 また、本の構成をみても、統計力学を議論する前の二つの章を、確率(2 章)と量子力学における定常状態(=エネルギー固有状態)の状態数(3 章)にあてています。 確率と(量子)力学を整理した上で、熱力学の経験事実を参照して、統計力学に進もうという姿勢です。

ただし、表題にもあるように、エルゴード仮説を統計力学の基礎に置くことはしていません。 (そもそも大自由度系でエルゴード性が示された非自明な例がほとんどないことはともかく)初期値の選択や時間スケールの問題などを真面目に考えると、エルゴード仮説から統計力学を導くというシナリオには明らかな無理があることがわかります(4-1-6節で詳しく説明しています)。 ですから、エルゴード仮説を字義通りに解釈する本にあるような「現実に測定する物理量は長時間の力学的時間発展の平均値」とは言いませんから、そういう意味で力学を使っていないとは言えます。

「エルゴード仮説が統計力学に使えないことには賛成だが、それでも、もっと力学からの情報を使うべきではないか?」という(風に解釈できる)疑問を表明した方もいらっしゃいました。

エルゴード性を気にしないとすると、統計力学の平衡分布に求める力学的な性質としては、不変性が考えられます(細かい注:平衡状態の確率モデルが(ミクロな意味で)時間発展についての不変性をもつ必然性はないと思いますが、もっていて悪い理由はない。正しい確率モデルを模索するときには時間発展不変性は頼もしい指針の一つになります)。 私の本では、すべてを量子力学で議論し、(孤立した)量子系のエネルギー固有状態(=定常状態)を基本にしてものを考えています。 エネルギー固有状態(=定常状態)を使って確率モデルを作ろうということは、つまり、時間発展について不変な確率モデルだけを探しているということです。 つまり、私の本でも、力学的な時間発展についての不変性は、きわめて積極的に使われています。

さらに、(統計力学にとっては本質的なことですが)エネルギー固有状態を一個、二個と数え上げるところで、もちろん、量子力学における状態の独立性の概念をはっきりと使っています。

もちろん、平衡状態への緩和過程に代表される、長時間にわたる力学の時間発展をあらわに取り扱うことなく平衡状態が正確に特徴づけられるのが、平衡統計力学の驚異の一つです。 そういう意味で、力学からの情報が驚くほど少なくてかまわないのは事実ですが、それは、平衡統計力学の本質的な性質であって、私の本の書き方とは無関係です(どんな本でも同じ、ということ)。

古典系の等重率の原理はどのように位置づけているのか?

(これは、統計力学をよくご存知の人からの疑問なので、初学者は気にしないでかまいません)

私の本では、量子系の統計力学を基本とし、古典系については古典極限としてのみ議論します。

エルゴード仮説の役割を批判的に論じた部分では古典系のミクロカノニカル分布が登場しますが、それは、あくまでそこで議論しているだけで、本の論理的な流れのなかでは古典系の等重率の原理にはまったく触れていません。 とはいえ、私自身が、古典系の等重率の原理について、どのように考えているかを書いておこうと思います。

古典系の等重率の原理に到達する一つの自然な流れは、もちろん、量子系を出発点とすることです。 教科書にもあるように、量子系で、「エネルギーがほぼ U の状態は、ほとんどがそっくり」ということを拠り所にして、量子系の等重率の原理を要請。 そこで、古典極限をとれば、古典系の等重率の原理になります。

この論法は悪くないのですが、古典系を考えるなら、古典力学だけで閉じたロジックで等重率の原理を導くほうが気持ちがいい。 ところが、結論を書いてしまうと、どうもそのようなまともなロジックはないようです。

要するに、エネルギーが U と U + DU の範囲にあるような状態(古典系だから、相空間の点)にどのような重みをつければいいかという問題だから、これは相空間上の測度を選ぶ問題です。 通常の平衡統計力学につながる「正解」は、(p, q 座標についての)ルベーグ測度を選ぶことですが、なぜルベーグ測度を特に選ぶかの理由を考えなくてはいけません。

ひとつの基準は、力学の時間発展について不変な測度を選ぶこと。 ところが、ちょっと考えれば分かるように、不変測度なんていくらでもあります。 そこで、不変測度のなかでもエルゴード性を満たすエルゴード測度を選ぶという考えがあるわけですが、(そもそも大自由度の一般の力学系で、ミクロカノニカル測度がエルゴード的かどうかを判定するのは、人類には全く歯が立たない超難問だし)ミクロカノニカル測度以外にもエルゴード的な測度はたくさんある。

もちろん、ミクロカノニカル測度以外のエルゴード的測度(あるいは、エルゴード的と期待される測度)は、(周期軌道の上に局在していたり、フラクタル的だったりと)直観的にいって「変な」ものが多いと考えられます。 そこで、この「変さ」を厳密に定式化すれば、ルベーグ測度を選ぶ基準が得られるのではと期待されます。 しかし、よく考えてみると、「変だ」と思うのは、測度が特異的だから、つまり、ルベーグ測度に対して絶対連続でないからに過ぎません。 要するに、ぼくらの頭に「ルベーグ測度が自然」という先入観があったというだけで、ルベーグ測度を特権的にあつかうべき論理的な理由があったわけではないようです。

そうやって、ひたすら真面目に考えていくと、けっきょく、古典力学の範囲でルベーグ測度を特別扱いすべき根拠というのは、どうしてもみつからない(明らかに、ルベーグ測度がもっとも「自然」なのだけれど・・)。

ところが、ここで、量子力学を持ち出せば、古典極限を記述するにはルベーグ測度が自然だということが直ちにでてきてしまうわけです(p, q についての不確定性原理の形を考えてみても、p, q 座標でのルベーグ測度が自然なのは明らか)。 確かに、ぼくらが住んでいる世界は量子力学で記述されているわけだから、古典極限を理解するために量子力学の助けが必要というのは、不思議ではないかも知れない。 ただ、ここでほんとうに量子力学に頼る必要があるのか、釈然としない気分になることも時々あります。


田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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