講義ノート前半 (version 2.4) から

「はじめに」と「このノートでの熱力学へのアプローチについて」の部分です。

headingはじめに

これは、 1998 年の 9 月からはじまった私にとっては はじめての熱力学の講義のために書いている講義ノートである。 {これを元にして教科書を出版する話がないわけでなはい。 しかし、それにはさらに時間と手間をかける必要があると信じている。) 当初の計画では、講義が始まる前にノートを完成させて、 受講されるみなさんや、関心を持って下さっているみなさんに 配るつもりだった。 しかし、半ば予想されたことだが、ノートの完成の前に講義は始まってしまった。 いささか中途半端ではあるが、 前半の部分だけをまとめて、公開することにした。 といっても、未だに完全とはほど遠いできだと思う。 間違っているところ、わかりにくいところなど、お気付きの点は、 何でも私までご連絡いただければ幸いである。

ここにまとめた第 I 部から第 III 部までで、エネルギー、 絶対温度、Helmholtz の自由エネルギー、エントロピーなどの主要な熱力学的な量は 出そろい、熱力学の体系は完成する。 このノートでの熱力学の特徴は次にまとめてあるが、 ここでは、操作的な視点に立って、従来の熱力学の教科書とは かなり異なった理論の展開を行っている。 特にエントロピーの導入とその意義についての議論は、 従来の教科書とは大きく異なっていて、 このノートの一つの「売り物」になっている。 後半では、Helmholtz の自由エネルギー、Gibbs の自由エネルギー、エンタルピーなどの完全な熱力学関数 を詳しく調べ、いくつかの応用も議論する。 特に、凸関数の性質をきちんと利用して Legendre 変換や変分原理を 扱うところが、後半の「売り物」である。

講義に出ている方にはお伝えしたように、 色々と悩んだあげくに、講義ではこのノートとはまた異なった方針で 熱力学を展開する事にした。 このノートの version 1 で試みた 熱力学の第二法則を第一法則よりも先に導入するという 新しい方針を、講義では採用している。 少なくとも熱力学の入門を考えれば、 これはかなり優れたアプローチではないかと私は思っているが、 それは今後の講義などの成り行きから判断するしかない。 遠くない内に、現在の講義に沿ったノートもまとめてみたいと思っている。


私は、元来、統計物理の専門家とみなされてきた。 それが正しいかどうかは別として、私が熱力学をほとんど理解しない まま過ごしていたことだけは確かだ。 私が、熱力学を知らなければならないと思うようになった 一つのきっかけは、大野克嗣さんの
統計力学が熱力学を基礎づけるのではない。 熱力学との整合性こそが、統計力学を基礎づけるのである。
という言葉( 未発表の原稿に書かれていたように思う。 引用は不正確。 初学者にはこの言葉の真意はわからないであろう。 しかし、このノートを熟読されれば、次第にその深い意味が わかってくると思う。 「統計力学」を知らない方は、それを「分子論」に置き換えて 読んでも大きな間違いはない。)に接したことであった。 私自身、「普遍性」、あるいは「普遍的な構造」という概念を軸に 物理全体を見ようという思いを持つようになっていた頃であり、 統計物理という普遍的な構造と熱力学という普遍的な構造 についての無反省な常識を覆すこの言葉には 強い衝撃を受けた。 そして、統計物理を本当の意味で理解するためには、 その基盤とも言える熱力学をも理解しなくてはならないと 痛感したのである。 (専門家向けの注: 統計物理における異なったアンサンブルの同値性、 あるいは、変分原理についての私の理解は極めて浅かったが、 それは熱力学の理解(技術的なものだけでなく、 世界認識の思想という面も含めての理解) の欠如から来ていたようだ。 今回の作業で、熱力学における変分原理や Legendre 変換の意味と意義について かなり理解が深まったので、必然的に統計物理の方も 見通しがよくなってきた。 個人的な目標の一つは、量子力学的な定式化と、 (何らかの意味での非平衡をも含めた)統計物理、熱力学との 論理的な関係を明確にしていくことで、これについては まだまだ妄想の段階でしかない。 )

さらに、1997 年の夏に、数理物理学者の Lieb と Yngvason による 公理論的熱力学の論文が現れた。 これは、数学的に厳密で美しいだけでなく、 エントロピーについての明確な思想を示した素晴らしい論文であった。 (この論文の価値を私に教えて下さったのは、佐々真一さんである。) この論文を読み始めることは、私にとっての熱力学の勉強の出発点になった。

というわけで、 私は 1997 年の後半から突発的に熱力学の勉強にのめりこんだ。 Lieb-Yngvason の公理論の論文だけではなく、 世に出ている様々な教科書も買い集めて、(部分的にだが) 読み進めた。 その結果、従来の熱力学の教科書には私は満足できない事を悟り( 具体的な不満については、このノートの随所で読むことができる。 )、自分なりに熱力学を再構成しなくては、 熱力学について真面目に考えることも、 熱力学を教育することもできないと結論した。

1998 年になってから、 自分なりの熱力学の再構成を本格的に始めた。 それをまとめて、 このノートの前半部分の version 1 が出来上がったのは、1998 年の 5 月である。 その後、8 月には後半のHelmholtz の自由エネルギー、Gibbs の自由エネルギー、Legendre 変換の部分 の version 1 が出来上がった。 そこでは、希薄溶液の浸透圧や沸点上昇などの応用もいくつか丁寧に議論した。

その後、version 1 を丁寧に読んで下さった佐々真一さんと武末真二さんから、 様々な貴重なアドバイスをいただいた。 特に、状態の指定についての武末さんのご意見がきっかけになって、 前半の最初から抜本的な再構成と書き換えをすることになった。 こうしてできたのが、この version 2 である。

version 1 執筆以前から、佐々真一さんには熱力学について様々な議論をしていただいた。 佐々さんとの議論は、熱力学についてはほとんど無知だった私にとっては、 非常に有益であり、実に多くの影響を与えてくれた。 このノートの内容の少なからぬ部分が、佐々さんに教わったか、あるいは、 佐々さんとの議論の結果生まれたものである。( 残念ながらこれを書いている時点では佐々さんの本格的なノート は未だ見ていない。)


最後に、このノートを書くにあたって、様々な議論と助言をしてくださった 佐々真一さん、 武末真二さん、 熱力学について色々な角度から議論してくださった 荒川一郎さん、 斉藤一弥さん、 高麗徹さん、 小谷正博さん、 ブラックホール関係の文献を教えてくださった 古池達彦さん に感謝いたします。 また、これまでの講義の中で、早速学生さんからいくつかの質問が出て、 それが(早くも!)このノートのいくつかの部分の改良につながりました。 熱心な学生さんたちに感謝するとともに、これからも がんばって下さるようにお願いしたいと思います。 言うまでもありませんが、このノートの不備な点についての 責任は全て私にあります。

1998 年 10 月 6 日

田崎 晴明


headingこのノートでの熱力学へのアプローチについて

このノートで展開しようとしている熱力学の特徴について、順不同に列挙する。 熱力学をはじめて学ぶ方は、読み飛ばすことをお勧めする。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp