専門知識を必要としない研究テーマの解説の試み(まったく未完成!!)

web page は様々な方がご覧になるもの(のはず)だから、私の研究を、物理の専門的な知識のない人にも理解していただけるような解説を書くべきだろうと考えた。

気楽に書き進めるつもりだったが、よく考えてみると、問題設定や結果とかいったこと以前に、そもそも物理において「わかる」というのはどういうことかといった根本的なことから書かなくては意味がないという認識に達してしまった。 (書いたから意味がでてくるかどうかは、次の段階の問題。) そうなると、話は極めて大変になる。

この解説が満足のいく形になるには、極めて長い時間がかかりそうだ。 完成を待っていたのでは、永久に公表できそうにないので、全くもって未完成のまま web にのせて、徐々に書き足しや書き直しを行っていくことにしようと思う。
(10/30/1997)

そもそも、物理において「わかる」とはどういうことか?

(11/8/1997, incomplete)

「ことば」を習って、「わかる」のではない!

「ことば」による「説明」、「理解」というのは、圧倒的に幅広く蔓延している。 一般的な科学の解説のほとんどが、それにあたると言ってよいかもしれない。 (読みとばすべき注:もう少し正確には、「皮相的なことばによる・・・」とか、「日常的なことばによる・・・」などというべきであろう。 我々は、数学的な論理を用いた科学の言葉は、日常的な言葉とは本質的に異なっていると感じている。 しかし、この区別が明確なものかどうかについては、議論が分かれるかも知れない。 さらに、「科学の言葉」にも、実は様々な段階があるという事実が、話をややこしくしている。 この辺の事情を議論し始めると、話がつきないので、深く掘り下げることはしない。)

たとえば、
「浮輪はなぜ海に浮かぶのか?」
「それは、『浮力』が働くからである。」
「飛行機が空に浮かぶのは?」
「この場合は、『浮力』ではなく、『揚力』が働いている。」
「では、バケツに水をいれて振り回したとき、バケツの水がこぼれないのは?」
「これは『遠心力』だ。」
といった具合になる。 不思議なことに、適切な用語を教わると人はわかった気になるらしい。 でも、これでは何もわかっていないし、いかなる意味でも賢くなっていない。 こんなのでよいのならば、世の中で目新しい現象に出会うたびに「なんとか力」ということばを発明して、次々と命名していけばいいだろう。 これは、全く馬鹿な話である。

科学を学ぶというのは、難しいことばの使い方を次から次へと学んでいくことでは決してないし、科学者の仕事も新しいことばを作っていくことでは断じてない。

では、なぜ物理でも「ことば」を用いるのか? (やや皮相的だが正しい説明)

にも関わらず、物理学者もこのような「ことば」を用いて現象を説明したり、議論したりしている。 それは、なぜか? (その人が、物理がわかっていない偽の物理学者だという可能性も結構ある。)

標準的で本質的に正しい説明は、以下のとおり。 (ただし、以下の説明では「普遍性」という点が強調されないので、ある意味で豊かさと味わいと「文化」を欠く。) 物理学者が、「ことば」を用いて現象を議論するときには、それらのことばは、日常的なことばの用法とはかなり違うやり方で使われている。 物理学者の「ことば」は、より大きな物理学の体系の中で、完全に明確に定義された意味を持っており、物理学者はその明確な意味を前提にして議論を進めているのである。 より大きな体系の方は、論理的に(数学的に)きちんと完結した構造を持っていると同時に、現実の世界の出来事のある側面をきちんと再現していなくてはならない。

たとえば、上の「浮力」、「揚力」、「遠心力」といったことばの場合ならば、古典力学(ニュートン力学)の体系の中でそれぞれきちんとした位置づけを持っている。 古典力学の体系というのは、運動についての基本的な法則と、力についてのいくつかの基本的な(あるいは現象論的な)法則をいっしょにした体系で、日常的スケールの運動から天体の運行までを、まとめてきちんと記述することができる。 (古典力学の体系は、また、物理学における普遍的な構造の典型的な例でもある。) 古典力学の体系は、いくつかの(証明も立証も不可能な)基本的な仮定を元にして論理的に組み上げられた数学的に完結した構築物である。 摩訶不思議なことに、この数学的な構築物が現実の世界に起きた、起きる、そして起き得る出来事たちを正確に記述してくれるのである。

たとえば、浮輪が水に浮くという現象は、古典力学の体系の中で、完全に理解することができる。 天体の運行を議論するのに用いたのと同じ運動の法則を用いて、一様な重力場の中で、多数の水の分子が、水よりも比重の小さな物体に及ぼす力を求めようということになる。 そうすると、一連の論理的な(数学的な)導出の結果として、よく知っている浮力の法則を得ることができる。 (正確にいうと、流体の性質をいくつか仮定する必要がある。)

つまり、「浮力」という概念は、古典力学の体系の中で、きちんとした意味を持つ。 「浮力」ということばは、ある意味で、便利のために残してあると言えそうだ。

もう少し踏み込むと・・

極端な話としては、浮力の機構が理解された段階で、浮力という概念は不要になり、「水の分子が浮輪に及ぼす力の合計」などと言えばいいということになる。 しかし、そんなことをしても不便なだけでなく、人は馬鹿になってしまう。

「浮力」というのは、単に便利なだけの概念ではない。 そのことを説明するためには、「普遍性」という概念について述べる必要がある。

普遍性とはなにか?その1

同じタイトルの文章を読めるようにしてあるが、そこでは、 「普遍性 (universality)」とは、 物理系の(マクロな)ふるまいの本質的な部分が,系の(ミクロな)詳細には依存しないという経験事実を指すと書いた。

これでは、何のことかわからないだろう。 (私自身も、これが「普遍性」の完全に満足のいく書き表し方だとは思っていない。) 実は、「浮力」も物理学における普遍的な構造、あるいは普遍的な法則の格好の一例なので、これを例にとって説明を進めよう。

液体の中に入ると物体が空気中よりも「軽く」なる。 この現象を説明するために、液体中の物体には、液体から「浮力」が働くという。 前にも書いたように、これでは同じことの言い替えに過ぎない。 しかし、多くの物体についての「浮力」を調べていくと、「浮力」は驚くべき性質を持つことがわかる。 「浮力」は、物体が排除した液体に働くはずだった重力と同じ大きさで、向きは正反対。 「ユリイカ!」で有名なアルキメデスの法則である。 これは、液体の種類、物体の種類や形状などなどの細かいことには、全く依存しない。 低温で液体窒素の中に金属の固まりを浸したときも、高温でどろどろに溶けた鉄の中に石が浮いているときも、そして、我々がお風呂でお湯につかっているときも、全く同じアルキメデスの法則に従う浮力が現れる。 物体に働く力という物理現象の本質的な一つの側面が、液体・物体の種類・状況などの系の詳細には全く依存しないという、まさしく、普遍的な法則が得られたことになる。 (もちろん、観測される全ての現象が普遍的なわけではない。 物体の表面にどの程度液体がしみ込むか、お風呂に入って冷たく思うか気持ちよく感じるか、などなどの現象を考えれば、それは、液体や物体の種類・状態に敏感に依存するだろう。)

このように、「浮力」は普遍的な物理現象、あるいは物理法則であると認識することが、「浮力」というものを「わかる」ための重要なステップである。 しかし、これで終わりではない。

普遍性とはなにか?その2

現代の科学では、「浮力」という普遍的な法則を知り、それを記述するだけでは、満足しない。 そのような法則が存在する理由も知りたいと思う。 それが、少し上で書いた「古典力学の体系の中で『浮力』を論理的に導く」ということである。

しかし、現代科学について知識のある方は次のように思うかもしれない。

「古典力学というのは、『古典』という名の示す通り、古いものなのではないのか。 アインシュタインによって、古典力学は不正確であり、正しくは相対性理論を使うべきだということが示されたはずだ。 さらに、今世紀のはじめの物理学の革命で、基本的な理論は量子論でなくてはならないとわかったのではないか。 さらに、水の『分子』という事を言っていたが、分子は実は原子からなり、さらに、原子は原子核と電子、その原子核もクォークの集まりだろうと言うことになっている。 『浮力』が『古典力学』と『分子論』から導かれるということにどれほどの意味があるのだろう? 導いたと豪語するからには、最新の理論である大統一場の理論などを用いて、自然の構成要素はクォークや電子であるという立場から『浮力』を説明しなくてはならないのではないか? だが、待て。 最近では、場の理論ももはや古く、人々は紐理論や M-thoery というものを模索しているらしい。 が、これらの理論は未完成だと聞く。 つまり、物理学者は、この世の中の本質を理解していないのだ。 ならば、どうして『浮力』を導いたり、理解したりすることができるのだろうか? 出発点となるべき基礎理論を知らない以上、何も導けないというのが、初歩の論理ではないか。 結局、現代に至っても、『浮力』をめぐる状況は、アルキメデスの時代と本質的には変わらないのではないか? 『浮力』は、かつてそうであったように、今日でも『導かれ』てはいない理解不能な経験則に過ぎないのではないか?」

これは、ある意味で論理的に正しい。 しかし、その主張は誤りである。 「浮力」を「古典力学」から導くことには、深い深い意味がある。 それは、単に近似の程度を上げるといった程度の問題ではなく、我々の理解を本質的に深め人類を本当の意味で賢くすることなのである。

そう主張する理由は、「古典力学」そのものが、また一つの「普遍的な構造」だからである。

「普遍的な現象」というのと、「普遍的な構造」というのは、ほぼ同義である。 「古典力学」の運動と力の法則で形作られる(数学的な)構造は、現実の世界の日常的なスケールでの現象を完璧に再現している。 しかも、その構造は世界についてのさらなる詳細、たとえば、原子の内部構造がどうなっているか、プランク定数の値はいくつか、ヒッグス粒子は存在するか、といった(人類にとって既知の、あるいは未知の)詳細には全く依存しない。

これは、アルキメデスの法則が液体・物体の詳細に依存しなかったことと本質的に似通っている。 ただし、「浮力」についてのアルキメデスの法則が液体の中の物体に働く力だけを述べたものだったのに対し、「古典力学」はより広いスケールの現象を扱い、またより豊かに現象を記述する。 そういう意味で、「浮力」も、「古典力学」も、いずれも「普遍的な構造」であるが、それらは異なったレベルに属していると言える。

すると、「『古典力学』から『浮力』を導く」ということの意義が明らかになる。 それは、単に一つの近似法則を別の近似理論から導いたといった話ではない。 それは、一つの普遍的な構造を、別の理論の普遍的な構造に関連づけたということなのである。

「物理学では、色々な現象を説明することに成功した。」 といったお気楽な主張をたびたび耳にするが、そんなことを言っていたのでは、「基礎理論が完成しない限りは何も説明できない」という議論に打ち勝てまい。 物理の本質は、「現象を説明する」ことではない。 自然の中から様々なレベルでの「普遍的な構造」を抽出し、それらの間の論理的な関係を見いだしていくことこそが、物理のもっとも本質的な側面だと私は考える。

理想的なわかり方とは

深呼吸して、再び「浮力」に戻ろう。 「浮力」というのは、水のような(分子がたくさん集まった)流体が物体に及ぼす力についての一つの普遍的な法則をを表している。

そして、我々の浮力についての理解は、次の2段階からなっている。

これこそが、一つの理想的な「わかり方」であると言ってよいだろう。

(注:ただし、この理解の第2段階はそれほど単純ではない。 「浮力」という普遍的な構造と論理的に対応すべき別のレベルでの「普遍的な構造」は「古典力学」ひとつとは限らない。 実際、「浮力」の場合には「流体力学」というまた別の(ある意味で中間に位置する)「普遍的な構造」と論理的に対応づけるのが自然なのだ。 「普遍的な構造」どうしを結ぶ論理的な関係というのは、何も距離スケールを反映して一直線に並んでいる必要もないだろう。 様々な「普遍的な構造」互いに複雑な関係を持ち、網の目のごとき壮大な構造を形成しているというのが、私にはしっくりとくる世界観である。 (このような「普遍性を軸にした世界観」については「くりこみ理論の地平」という文章でも論じている。 このような思想については、その文章の共著者である大野克嗣さんの影響を受けている。))

実験結果と計算結果が合うから「わかる」のではない!

まとめ

次に、物理が「面白い」というのはどういうことか?

世界をつくるという思想、あるいは、理論物理学における構成的アプローチ

強磁性の起源という研究テーマ

(11/4/97)
世の中に「物理現象」と呼ばれるものは数多いけれど、鉄が磁石に吸い寄せられるという現象は、子どもの頃から面白くてしょうがなかった。 クリップに磁石を近づけていくと、あるところで、急に意を決したようにクリップが磁石にピュッとくっついていくのは愉快である。 大人になって、物理学者になってしまったけれど、やはりクリップが磁石にくっつく様子を見ていると面白い。 乱流、パターン形成、あるいは、超伝導や超流動など見た目も面白いとされる現象は少なくないけれど、結局は、クリップが磁石にピュッとくっつくのが、一番面白い気がする。 手軽だし、飽きないし。

さて、このクリップと磁石の間に働く力は、磁場の効果として、たとえば、電磁気学の体系の中で、きちんと理解されている。 ここで、問題になるのは、なぜ磁石は強い磁場を作るか、また、なぜ鉄のクリップは磁場に対してやたら敏感に反応するのかということである。 ことばを出してもしょうがないけれど、これは、鉄という金属が「強磁性」という性質を持っているからだ。 強磁性というのを、一言で説明すると、「物質の中のたくさんのスピンたちが、同じ方向を向いてそろおうとする性質」ということができる。

私の研究は、この「強磁性」がなぜ生じるかを理論的にきちんと「わかる」ことを目指したものである。 とはいっても、「物質の中のたくさんのスピンたちが、同じ方向を向いてそろおうとする性質」と言われても、予備知識のない読者にわかるはずもない。 もっと、詳しく説明しなくては・・・

量子スピン系という研究テーマ

平衡統計物理学の基礎付けという研究テーマ

相転移と臨界現象、フラクタルパターンなどの研究テーマ


田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp