学会雑感

Lat modified: 12/20/1999

以下の文章について

以下に採録する「学会雑感」はたしかに「日本語で書かれた文章」 ではあるが、注意してみると、書いたのは私ではない。 しかし、きわめてよく似た名前の人ではあるし、 例外的にここに載せるのもいいだろうと思った。 この文章への私のかんたんな感想を、さいごに記す。

学会雑感

田崎 明

私がこの2年ばかり、 いやまだ卵だった頃も含めればすでに5年以上にもなりますが、 住みついている川の話を致しましょう。 私の住んでいる所は流れも割合ゆるやかで川底から上がってくる僅かな泥の匂いも住みついてしまえば慣れてしまい、 のんびりとした毎日を過ごしております。 そもそもこの川にした所でこんな立派な流れになったのはそんな遠い所からではなく、 ちょっと上流へ行ってみればあるかなきかの流れが細々と続いているだけなのです。 また私共の住んでいる所からちょっと上流には潜草とかいう水草が繁茂した場所があり、 流れは渦を巻き、魚の住める場所ではありません。

さてこの川に住んでいる魚は、 餌を求めて流れを泳ぎ回っておりますが、 パクリパクリとやっているうちに体も少しずつ大きくなり、 中には特に大きなボゾという種類の魚になるものもいます。 皆たいていボゾになりたがっています。 ボゾになるには餌だけ食べて、 なるべく動かない方が早く太るのですが、 じっと一つのことばかりやっていると、 体のまわりにだんだん殻ができてきます。 もっともこの殻をハクとかいって喜んでいる魚もおります。

しかしそのままですと、ボゾになる頃にはすっかり殻に包まれて、 身動きできなくなり、 流れの底にごろりごろりと沈んでしまいます。 その様子が郵便局にたまっている荷物のようなのでタイカと呼んでいます。

魚にはいろいろな種類がありますが、 大きく分けると青い色の「ひとながれ」という種類とだいだい色の 「ふたながれ」というのがあります。 体の色は大きさとは関係なく、だいだい色のボゾも沢山おります。 私の知っているあるボゾは 「日本にはほんとの青い魚が少ない」 といっておられました。 私は多分だいだい色のボゾを皆が尊敬しすぎるから青い魚が育たないのだと思いました。 それでは青いのとだいだいとの違いは何かと申しますと、 青い魚は流れを泳ぎ回って水草についている新事実とかいう実を食べて成長いたします。 ところがだいだい色の方はいつも青い魚の後ろからついて行って青い魚のフンをたべているのです。 ですから青とだいだいの魚とは本質的に違った種類なんです。 困ったことにはだいだい色のボゾの中にはすごいのもいて、 鼻をうごめかせて小さな青い魚の後をつけて行き、 フンだけならまだしもパクリと青い魚ごと食べてしまい、 ブクブクに太っているのもいるそうです。 でもみなさん青い魚は小魚でも大事にしましょう。 私だってだいだい色のボゾになるより、 大きくなれなくたって青い魚になりたいと思います。 だいいちフンを食べるのは恥ずかしいですからね。(東大理)

金属物理 1964 年 3 月増刊号所収

「学会雑感」雑感

田崎 晴明

これは、1964 年(昭和三十九年)に、 当時東大物理教室の若手の助手だった私の父が発表した短文である。 いまの私からみれば、十歳近くわかい「若造」の書いた文章ということになる。

言いたいことを、ほぼストレートに、 はっきりと書いた文章だから、注釈を加えても仕方あるまい。 三十そこそこの物理学者が、 これだけずけずけと言いたいことを書いて、お堅い雑誌(のしかも特別号) に発表したのだから、あっぱれだ。 この「若者」を大いに称えたい。 (ついでに、彼と「同年代」の現代の若者の中にもこういうのが増えてほしいと切望する。)

もし、十年前の私がこれを読んでいたら、 自分と「同年代の奴」の書いた生意気な文章に、どう反応したろう? 気にしないふりをしつつも、しきりに自分の体の「色」を意識したかもしれない。

今のわたしは、ある種の余裕をもって、 この「生意気な若者」の文章をよめると感じる。 いうまでもなく、私がこの歳までに、 科学者としてなすべきことをなしとげたというわけでもないし、 自分で心底満足できる成果をあげたわけでもない。 ただ、ある種の悩み ― たとえば、自分が「青い」か「だいだい」か ― をあえてあからさまに悩まなくてもよい、 という心持ちを獲得することは出来た。 たいせつなのは、 自分の体の色ではなく、 川の中にひろがる美しい景色なのだ ― と素直におもえるようになった。

いまの私が、ひとつだけ、 「学会雑感」をかいたこの「若者」に自慢できることがあるとすれば、 彼よりも十年近く長く生きた私が、ちっとも殻に被われていないことだ。 「いつでも、他の魚が集まってきて、もう川底がみえそうになると、 すばやく流れの中を泳いで、よそに移動し、 まわりに他の魚がいないところでゆっくりと探検をする。 だから殻がつく間もない。 それに、 ちょっとの殻ならば、素早く動くときに、自然とはがれ落ちていく。」 と。 それで、感心してもらえるか、 単におまえは何もやっていないのだと馬鹿にされるか、 生意気な若者のことだから、どうでるかはわからない。


田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp