配分と評価との「融合」
――明確さを失った両者の境界――
米山 正樹
【373頁】
Ⅰ はじめに――問題の所在
固定資産の減損処理は,あくまでも配分の範疇に属する測定操作にとどまるという主張がみられる。そこでいう配分手続とは,期間損益にどのような経験的解釈を与えるのかという観点から,ストックの評価基準を決めるような測定操作と意義づけられる。これと対置されるのが評価の手続であり,そこではストックの評価額に経験的な解釈を与えること自体が重視される。評価の手続ではなく配分の手続だという議論においては暗黙のうちに,ふたつの手続が相互に排他的で,相容れない関係にあるものと考えられている。
こうした主張にみられる基本的なメッセージには違和感を覚えない。ただ「配分」や「評価」などの重要な用語については,その語法に関して慎重である必要が感じられる。本稿では減損処理を評価手続ではなく配分手続として位置づける議論として拙著(『減損会計 ―配分と評価―』森山書店,2001年。以下,これを「本書」と称する。)を採り上げ,その帰結と,そこに至る議論の過程をもう一度辿り,減損処理の位置づけについて何をいいえたのか,配分と評価の関係について検討課題として残されたのは何かを改めて確認してみたい1。
Ⅱ 相互に関連しあう配分と評価
(1)「表面上」対立しあう配分と評価――固定資産に係る減損処理のケース
固定資産の減損処理について本書をつうじて言いえたことは,将来見積もりを修正した時点における属性値(時価や利用価値など)にもとづく簿価切り下げからは,減価償却という配分スキームと整合的な利益計算は行えないというものであった。時価や利用価値の事後的な変動いかんにかかわらず規則的な償却を進めていく考え方と,中途での簿価修正とを首尾一貫させるためには,投資の失敗が中途で明らかになったケースを想定するしかない。そこで求められ【374頁】る簿価修正の手続は,その投資に着手した時点に遡って償却ベース自体を切り下げる作業であって,投資の失敗が判明した時点における時価や利用価値への簿価切り下げではない。切り下げ後の簿価はほんらい,新たな償却ベースから導かれてきた,その意味で「新たな」未償却残高でなければならないというのが,本書の主張であった。
評価や配分という言葉を用いずに本書の主張を要約しようとすれば,以上のとおりである。本書では引き続き,上記の帰結を評価や配分という言葉にひきつけて解釈している。すなわち引き下げられた「新たな」未償却残高への切り下げは,そもそも固定資産に減価償却の手続を適用していることとの整合性から導かれてくる。その減価償却の手続は,保有している財の価値変動ではなく,期待どおりのキャッシュフローを実際に獲得できたかどうかという観点から利益をとらえていく考え方と首尾一貫した手続と考えられている。とすれば,固定資産の減損処理も,期間損益に与えられる経験的な解釈を重視する配分の手続とみなしうる。
逆に将来見通しの修正時点における利用価値や時価への簿価切り下げは,その結果として導かれてくる期間損益の経験的な意味という観点からはサポートするのが難しい手続といえる。この手続に積極的な意味を見出そうとすれば,簿価が利用価値や時価などを超過してしまう事態の改善を目的とした簿価切り下げと考えるしかない。つまりストック評価額の経験的な意味を取り戻すための手続と理解できるから,こちらのほうは評価の手続とみなしうる。こういう解釈を挟んで,固定資産の減損処理は評価の手続というより,むしろ配分の手続と考えられるという帰結を引き出したのである。
ストックの属性値に経験的な解釈を付与するような測定操作(すなわち利用価値や時価への簿価切り下げ)から,現行ルールの体系と整合的な利益概念が導かれてこないというのは,固定資産に係る減損の局面に限れば事実といえる。しかしそれだけの事実から,評価の手続と配分の手続は常に二律背反の関係にあるといいうるかどうかとなると,話は違ってくる。むしろ議論をもう少し一般化するなら,ストック評価額の経験的な解釈に依存する測定操作(継続的な時価評価など)を行った場合も,そこから導かれてくる利益概念に経験的な解釈を付与しうる。本書の語法を踏襲するなら評価は配分と対をなす概念であるが,期間損益に経験的な解釈を与えうる点では,配分と評価は対立的な関係にない。すなわち「期間損益の経験的な解釈を重視すること」は,本書の語法によるかぎり,配分の手続に固有の特徴とはいえない。以下,この点を具体的に説明したい。
(2)「評価の手続」をつうじた期間損益の経験的な意味づけ
①金融資産の時価評価
期間損益に経験的な解釈を与えるための手段として,特定の属性値によりストックを評価し,その差分を期間損益に反映させているケースの典型例としては,金融資産の時価評価を挙げられる2。営業活動から生じた余剰資金の運用先として有価証券を保有している場合,その保有からのれんの獲得・実現が期待されることはない。あくまでも余剰資金の運用先として保有している以上,自社に固有の強みを活かして社会平均を超えるような収益の獲得を目指すには及ばない。そもそも,整備された流通市場での売買しか想定できない以上,そこに期待されるの【375頁】は市場価格の有利な変動でしかありえず,期待されている成果が実現したかどうかも市場価格の変動で確かめるしかない。こうした特性ゆえ,金融資産については,時価評価のうえ時価評価差額を投資の成果とみることとなる。
むろん,有価証券の時価評価は,現行ルールと整合的な利益を計算するための手段としか解釈できないものではない。少なくとも形式上は,ストックとしての価値を開示するための手段,すなわちもっぱら財政状態の適正表示という観点から行われているものとみなすこともできる。ただその場合は,子会社株式や関連会社株式,さらには「その他有価証券」について,例外的な取り扱いが求められているのを説明するのが難しい。子会社株式を取得原価のまま据え置くのも,その他有価証券についての時価評価差額を剰余金に直接チャージするのも,有価証券の価値を開示することだけが目的とみた場合はサポートできない処理といえる。これらの処理にも首尾一貫した解釈を与えようとすれば,金融資産の時価評価は,期間損益に整合的な解釈を与えるための手段とみなすこととなる。
②資産の除却に伴う債務の会計
特定の属性値によるストックの評価が,期間損益に経験的な解釈を与えるための手段として用いられる典型例としては,さらに,原発の廃炉コストなどに係る引当金についての米国基準を挙げられる3。そこでは廃炉に要する将来キャッシュフローの割引現在価値にみあう引当金の設定が求められ,それにみあう額だけ廃炉コストに関連する有形資産の簿価が増加させられる。その増加分に関連する費用は,減価償却費(の増額分)という形で有形資産の利用期間に配分されることとなる。廃炉コストが当初の見積もりどおりで済めば,廃炉に係るキャッシュアウトフローと事前に設定した引当金とが相殺されるだけで,廃棄時点に新たな費用・損失が生じることはない。
ここで求められている処理も,もちろん,廃炉コストに係る潜在的な負債の実態を適切に開示するために行われているものと解釈することができる。しかしそう解釈した場合は,引当金繰入額に相当する金額を有形資産の簿価に加算し,減価償却費の増額という形で期間配分する処理の必要性を説明できない。引当金にみあう費用や損失は,引当金の計上と同時に期間損益に反映させるのが自然な処理といえるからである。にもかかわらず,敢えて特殊な繰延処理が求められているとすれば,それはもっぱら期間損益をどう意味づけるのかという観点から行われているという解釈としか結びつかない。すなわち資産の除却に伴う債務の会計も,本書でいう「評価の手続」が,期間損益に整合的な解釈を付与するための手段として用いられているケースと意義づけられることとなる。
ここで確かめたとおり,固定資産の減損処理以外にも目を向けたとき,評価の手続は,期間損益の経験的な解釈を重視する立場とも両立する。期間損益に経験的な解釈を与えるための手段として,評価の手続が採用されることもあるのである。そうなると評価の手続は,本書のように意義づけた配分の手続(期間損益の意味を重視した測定操作)と対立するものではなく,むしろ場合によっては,配分手続の一形態と位置づけられることとなる。もし本書の定義でいう配分と評価とが相互に排他的な手続でないとするなら,本書をつうじて確かめられたことを【376頁】どう理解すればよいのであろうか。
(3)配分の枠内での対立――固定資産に係る減損処理の根底にあるもの
改めて考えてみれば,米国FASB・IASBなどによる固定資産の減損処理も,決して期間損益に与えられる解釈を軽視しているのではない。例えばFASBによる減損処理は,事実上投資の継続性が絶たれ,新たな投資に着手したとみなされる場合において,配分計画を設定し直すための手段と位置づけられている。減損処理をこう解釈する場合に生じる問題点は本書で解説したとおりであるが,FASBによる減損処理はまさしく,公正価値への評価替えという「評価の手続」を用いて,意図せざる形で変化した環境に適う配分計画を設定し直し,以って期間損益の経験的な解釈を取り戻すための測定操作と意義づけられる。
またIASBによる減損処理は,収益・費用の期間配分はストックの価値変動に依存していないものの,そこから完全に独立しているともいえないという事実認識に拠っている。すなわち配分手続にもとづく損益は,そこでは,ストックの価値変動に結びついている場合にかぎって意味を持つと考えられている。そう考えたとき,簿価(未償却残高)が何らかの形で測ったストックの属性値と著しく乖離するような事態は許されない。IASBにおいて固定資産の減損処理は,こういう事態を改めるための手段と位置づけられている。本文で解説したとおり,減損処理をこう解釈しようとする場合も問題点を免れない。とはいえ,IASBが,予想外の環境変化によって失われてしまった利益の経験的な解釈を「配分の枠組みを維持したまま」取り戻すための手段として,減損処理を意義づけているのはたしかであろう。
こうしてみると,固定資産の減損処理についての考え方の対立点は,期間損益の経験的な意味を取り戻すための手続とみるのか,それとも利益にどのような解釈が与えられるのかにかかわらず,もっぱらストック評価額のリアリティーを回復するための手続とみるのかをめぐるものとはいえない。むしろこれは,期間損益の経験的な意味をどういう形で取り戻すのかに関わるものと解釈できる。すなわち「ストックに直接的な解釈を与えられるような属性値による評価に依拠した手続(FASBおよびIASB)」も「過去に遡って償却ベースを引き下げる形の修正手続」も,期間損益に与えられる解釈を意識した修正手続とみなしうる。
とすれば,本書の語法によるかぎり,いずれの方法も「配分の手続」に属していることとなる。FASBとIASBによる減損処理はともに,配分の手続であるのと同時に評価の手続であるが,それらが暗に想定している利益概念で,現行ルールに首尾一貫した解釈を与えるのは難しい。本書をつうじて言いえたことは,正確には,以上のように言い直すことができるであろう。評価の手続をつうじて期間利益の経験的な解釈を取り戻そうとしたFASBやIASBの試みが必ずしも実を結んでいないため,表面上,固定資産の減損処理は評価の手続ではなく,配分の手続としてしかサポートできない点が重要にみえる。しかし実際の対立は,配分と評価との間というより,むしろ配分の手続としての解釈の間にみられるのである。
第1項から第3項までの議論によれば,配分の手続と評価の手続との関係は相互に排他的なものといえず,むしろ配分という手続の一環で評価の手続が行われているようにみえる。すなわちいま評価の手続は,少なくないケースで,配分の手続を補完するものと意義づけられている。では現行ルールのもとで配分の手続は,いつ,いかなる形で評価の手続によって補完されるのであろうか。つまり配分と評価との関係はどのような形で一般化できるのであろうか。次【377頁】項では,最後に,固定資産の減損処理にひきつけてこの点を論じることとしたい。
(4)配分と評価という対立構造自体の存否――より根本的な問いかけ
前項までの議論では,期間利益に与えられる意味に配慮せず,純粋にストック評価額のリアリティーだけを追求するために評価の手続が採用されるというより,むしろ利益をどう意味づけるのかという観点からそれを採用するケースの存在が確かめられた4。ただ,そこでは,評価の手続が求められるケースを列挙するにとどまっていた。はたして配分と評価との関係は,どこまで一般化できるのであろうか。
FASBなどが必要性を唱えた後も,配分の手続が採られているすべてのケースで,評価の手続による補完が求められるわけではない。ストック評価額の経験的な意味に関わりなく,計画的・規則的な配分計算が行われるケースも残されている。現状では,期間利益の経験的な意味づけのために評価の手続による補完が求められるケースと,それが必要ではないケースとを区別するための規準を一般的な形で示すのは難しい。確たる形でいいうるのは,いずれのケースもありうるということに過ぎない。
こういう状況は,固定資産の減損処理が導入された後も改善されていない。それどころか,固定資産の減損処理が導入されたことにより,評価手続の要否に係る判断は,いっそう難しくなったともいえる。というのも,固定資産の減損処理を期間利益の経験的な解釈という観点からサポートする「償却ベースの切り下げ」という測定操作は,(現時点ではなく)過去に遡って見積もり直した,過去の特定時点における属性値をもとにした簿価修正という,前例のない手続を求めているからである。
ストック評価額に直接的な解釈を与えられるような金額への修正が行われていないことに鑑み,本書ではこの簿価修正を評価の手続とみていない。しかし「新たな償却ベースにもとづく未償却残高」は,投資に着手した時点の利用価値を見積もり直す手続から求められている以上,広い意味での評価手続から導かれてきたものとも解釈できる。これを評価の手続による補完と呼ぶかどうかはともかく,減損処理の導入以降,既存の配分計画を修正する新たな契機が示されたのは確かである。そこでは,評価手続による補完がどういう場合に必要なのかという問題にとどまらず,どのような属性値による補完が許容されるのか(あるいは必要とされるのか)という問題までもが顕在化しているのである。
旧来,評価の手続によらない配分計画の修正といえば,臨時償却の手続を典型例とする,物量ベースの修正手続を指していた。そこでは時価や利用価値などのストック評価額にもとづく修正手続(すなわち評価の手続)と,それによらない修正手続との区分は容易であった。こうした対立関係は,固定資産に減損処理が導入されてから不明確となっている。現行利益計算の根底にある考え方を解き明かそうとする際,評価と配分という二元的な対立構造を与件してよいのかという,より根本的な問題が,減損処理の導入を機にいま問われているということがで【378頁】きるであろう。
以上,この節では,配分の手続と評価の手続が単純な二律背反の対立関係にあるのではなく,むしろ後者が前者を補完するような関係もみられること,ただし補完が求められるケースと求められないケースを区分するためのメルクマールは明らかでないことを確かめてきた。これに引き続き次節では,減損処理の導入によって現行ルールの体系がどう変化したのか(あるいは変化しなかったのか)を,内的な整合性という観点から論じることとしたい。
Ⅲ 整合性の影で生み出された「非整合性」
固定資産の減損処理は,利益概念の変質を迫るようなもの(すなわち現行ルールの体系を損なうような処理)とは限らない。現行ルールの体系が許容しうるような減損処理を想定することは可能である。ただ,そこでいう「現行ルールの体系と整合的な処理」は,FASBやIASBが求めているようなものではない。投資に着手した時点に遡って見積もり直した利用価値をもとに,償却ベースを切り下げるような処理以外は,整合的なものとみるのが難しい。繰り返し述べてきたとおり,これが本書の一貫したメッセージである。
このとおり,現行ルールの体系が許容するような減損処理は何かという観点で本書は貫かれている。そこから導かれてきた「償却ベースの切り下げ」という修正手続は,固定資産に減価償却の手続が適用されている事実を最も矛盾なく説明できる方法という意味で,現行ルールと最も整合的なものといえる。ただ,現行ルールがどれほど許容力に富むものであっても,既存の体系に新たなルールが付け加わった以上,減損処理の前後でルールの体系が変化すること自体は免れられない。とすれば,利益の基礎概念が現時点において根底から揺らぐような事態は生じていないまでも,将来に向けての変化の兆しなら減損処理の導入を機に生じているかもしれない。本書では十分に検討できなかったこの問題を,ここで採り上げることとしたい。
(1)見積もり要素の拡大
減損の発生に伴い償却ベースを切り下げようとすれば,過去に遡って対象資産の利用価値を見積もる必要が生じる5。過去の特定時点におけるストックの属性値を見積もり直し,それにもとづき簿価を修正するような測定操作に前例はない。固定資産の減損処理はこの点で,既存の体系に存在しなかった手続に支えられている。
もちろん,期間利益に見積もりの要素が多く含まれるようになったのは,何も最近のことではない。過去数十年にわたり利益概念は,より多くの見積もり要素を許容する形で変化を遂げてきたということができる6。ただ,これまではもっぱら将来指向の見積もり要素が問われてきたのであり,過去の事象を現時点から改めて見積もり直す作業はこれまで求められてこなか【379頁】った。全体として利益概念の整合性を損なうことのない減損処理も,前例のない見積もり要素の介入を必要とする点では,既存のルールにみられない手続を求めているのである。
もっとも,過去指向の見積もりと将来指向の見積もりを均質的なものとみなしうるのであれば,たとえ過去指向の見積もりが求められることになっても,見かけほど大きな変化はルールの体系に生じていないこととなる。しかし企業経営者が常に意識し,少なくとも主観的な見積もりの経験は蓄積していると考えられる将来指向の価値と異なり,過去指向の価値は経営上の意思決定に直結せず7,その見積もりに係る経験は乏しいはずである。とすれば,減損処理の導入が現行ルールの体系に及ぼす影響の大きさは無視できない。
それでも,過去に遡って何らかの属性値を見積もり直す作業が減損処理の局面でしか求められないのであれば,過去指向の見積もりが必要となったことで現行ルールの体系に生じる変化の影響は,それほど深刻ではないものにとどまるかもしれない。逆に環境変化に伴い新たなタイプの取引が生まれ,その会計処理に際しても過去指向の見積もりが求められるようになると,その影響は深刻となる。減損処理の導入を契機として,現行ルールの体系性が損なわれる可能性が生じてきたことには,十分な注意を払わなければならない。
(2)グルーピングの必要性
①内的な整合性を保つためのグルーピング
減損処理における償却ベースの切り下げは,過去に遡って見積もり直した利用価値をもとに行われるが,そこでは有機的に結びついた資産グループを単位とした利用価値の計算が必要となる。複数の資産が一体となってキャッシュフローを生み出している場合は,個々の構成要素が生み出すキャッシュフローをそもそも見積もることが困難であり,かりにそれを見積もることができたとしても,その減少にもとづく簿価切り下げには意味を見出すことができないからである。資産グループが全体として十分なキャッシュフローを生み出しているのであれば,たとえ一部の構成要素に直接跡づけられるキャッシュフローが減少としたとても,それはグループとしての収益力低下ないし減損を意味しない。こうしたことから,減損の認識と測定は資産グループ毎に行うこととされている。
有機的に結びついたグループを単位とする資産評価は,まったく前例のないものとはいえない。その典型例は,グループ別に適用することが認められた棚卸資産の低価基準である8。ただ,そこではグルーピングの問題が棚卸資産の範囲に限られているのに対し,固定資産の減損処理で問われる資産グループは,事業部全体・セグメント全体といった大きなものとなりうる。グルーピングが認められるかどうかは,その分,期間利益に大きな影響を与える可能性を秘めている。いわば固定資産の減損処理は,グループを単位とした資産評価を本格的に導入する契機となっている。
【380頁】ではグループ単位の資産評価が本格導入されたことによって,利益の概念には変化が生じたのであろうか。それとも利益概念の内的な整合性は損なわれることなく保たれているのであろうか。
現行ルールのもとでは,期待どおりの成果が生じたかどうかを適切な事実にてらして確かめ,事実に転化した部分を利益ととらえることになっている。そこでいう「適切な事実」は投資目的に適う事実を指す。すなわちのれんの獲得と実現を期待している場合ならキャッシュフローの獲得という事実が,市場価格の有利な変動を期待している場合なら時価変動という事実が,それぞれのケースで着目されることとなる。こういう観点からすれば,複数の資産が一体となってキャッシュフローを生み出す関係にある場合は,その事実を反映させることによって利益概念の整合性を保つことができる。単独では十分なキャッシュフローを生み出せず,経営者も個別の処分を予定していない事業資産について単独での利用価値を求め,それにもとづき減損の要否を判断するようなやりかたは,むしろ利益概念の整合性を損なうことになろう。
ここで確かめたとおり,グループ別の資産評価を導入したとしても,それがただちに利益概念の整合性を損なうことはない。個別の資産評価を原則とする現行ルールのもとで,グループ別の評価は見かけ上,異質なものに映るかもしれない。しかし現行の利益概念を根底で支える考え方にてらしてみれば,むしろ特定の状況においてはグループ単位の評価が必要となるのである。
②既存のルールに起因する「非整合性」とその解決
もっとも,グルーピングに関連して整合性の問題が一切生じていないかどうかとなると,話は違ってくる。というのも,複数の資産が有機的に結びついているすべてのケースにおいて,その事実が期間利益の計算に反映されているかどうかは,まだ確かめられていないからである。かりに複数資産の有機的な結びつきという事実が減損処理以外のケースでは期間利益に反映されていないとすれば,減損処理の導入によって,かえってルールの整合性が損なわれることになってしまう。以下,こういう事態が生じていないかどうかを確かめることとしたい。
複数資産が有機的に結びついている事実について,固定資産の減損とは異質な処理が求められているケースとしては,貸出金の減損処理を挙げられる9。とりわけ得意先や仕入先に対する貸出金の場合,その処分に係る意思決定は当該貸出金から期待されるキャッシュフローのみならず,得意先や仕入先との営業関係全体を考慮して下される。すなわち貸出金の少なくとも一部は,その他の事業資産と有機的に結びついている。にもかかわらず貸出金の減損処理においては,問題の貸出金から期待されるキャッシュフローだけをみて減損の要否を判断することとされている。そうした判断は,固定資産の減損処理に際して下されるものとは明らかに異なっている10。
この事例にみられるように,既存のルールは必ずしも,すべてのケースにおいて複数資産の【381頁】有機的な結びつきに配慮しているわけではない。にもかかわらず固定資産の減損処理においてはそれが配慮されており,結果として個別具体的なルールの間に非整合性が生じている。これは固定資産に減損処理が導入されたことに伴って生じたものといえる。
もっとも,固定資産のケースと違って,貸出金のケースでは複数資産の一体性に配慮する必要がないことを説くロジックが見出されるかもしれない。あるいは,貸出金に係る現行ルールが問題を抱えている「誤った」ルールなのに対し,固定資産の減損処理は有機的な一体性の取り扱いについて「正しい」ルールなのかもしれない。いずれか一方であれば,減損処理の導入によって個別具体的なルール間に非整合的な側面が生じたとしても,それは固定資産の減損処理に固有の問題点といえない。見かけ上の非整合が生じている現状にどういう解釈を与えられるのかについては,今後さらなる検討が必要であろう。
Ⅳ おわりに
本稿での主たる検討事項は,評価の手続と配分の手続との関係が減損処理の導入をつうじてどう変化したのかを再確認すること(第2節)と,その導入によって現行ルールの体系にどういう変化が生じたのかを確かめること(第3節)であった。
このうち評価の手続と配分の手続については,まず両者が必ずしも相互に排他的な関係にあるわけではないことを確かめた。評価の手続は,むしろ配分のロジックにもとづく利益の計算を補完するものと意義づけられることもあるのであった。事実,固定資産の簿価をどう切り下げるのかをめぐる対立も,ストックの評価額を重視するのか,それとも期間利益の経験的な解釈を重視するのかではなく,むしろ期間利益をどう意味づけるかをめぐるものであった。
このとおり評価の手続と配分の手続とは融合が進んでいるが,どのようなケースで評価の手続による補完が必要なのか,補完の要否を何が決めているのかは明らかでない。のみならず,固定資産の減損処理を契機として,「評価」に属する修正手続と属さない修正手続との境界が従来と較べて不明確となっている。評価と配分との関係がどう収斂していくのかは,会計ルールの体系が変化しつつある現在は予測するのが難しい。過渡期から安定期に入るタイミングを見きわめながら,この問題に引き続き取り組んでいく必要がある。
他方,減損処理の導入が現行ルールの体系に及ぼした重要な影響としては,予測の要素,なかでも「過去指向の見積もり」という要素が新たに加わった点と,有機的に結びついた資産グループを単位としたストック評価が広く行われるようになった点を採り上げた。いずれの変化も,現行の利益概念に根本的な変化を迫るほどのインパクトは持たない。とはいえ,長期的には,これらの変化を契機として利益概念が大きく変質していく可能性は残されている。
例えば過去指向の見積もり手続を求め,これを許容したことは,いっそう多くの見積もり要素の介入に途を開くこととなる。またグルーピングのほうは,独立把握可能なキャッシュフローとは何かという根源的な問いに結びつく。この点を厳密に突き詰めていくと,企業が生み出すキャッシュフローはすべて相互に関連しあっており,そこから独立したものを分離していくのは技術的に不可能という議論にも行き着く。グルーピングの問題はまた,減損の有無が問われないケースであっても,有機的に結びついた資産グループを単位とした利益計算(例えば工場などを単位とする総合償却など)を行うべきという議論とも結びつく。こういう議論にどう対応するのかは,今後の検討課題として残されている。