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研究ノート

 

戦後日本の地域経済

 

——地域開発政策と競争的環境——

 

石井 晋

 

 

はじめに

本研究の目標は,戦後日本を主な対象として,地域経済の発展メカニズムを歴史的に解明することにより,合理的な地域開発政策のあり方について考察することである。地域とは,ここではやや漠然と,一国全体と対立する概念としてとらえ,具体的には都道府県,市町村,東京圏,大阪圏などを想定している。定義するならば,地域とは,一定の大きさをもった,資本,労働などが原則入退出自由な,ひとまとまりの固有の空間である。資本,労働などの生産要素が自由に出入りすることから,地域経済の動きは一国全体の経済に大きく左右される。しかし,地域にはそれだけでなく,土地など地域固着性の強い資源がかなりの程度存在するため,相対的な自律性もある。したがって,地域経済の歴史は,一国全体の経済史とは異なる動きを示す可能性があり,分析対象として固有の価値を持つであろう。

本稿は,上記目標に至るための準備として,都道府県データを中心に基本的データを整理分析しながら,戦後日本の地域開発政策について評価検討する。以下,第1節では,戦後日本における国レベルの地域開発政策を概観する。第2節では,地域開発政策が必要とされる理由について経済学的に考える。第3節で,戦後日本の地域間所得格差の動向と人口移動についてのデータを整理した上で,第4節では,人口移動と所得格差の関連について簡単な分析をする。第5節では,合理的な地域開発政策を実現するために考慮すべき留意点について考察する。

 

第1節 戦後日本の地域開発政策

一国全体の経済成長率の極大化を図るか,国内の地域間の所得格差の縮小を図るか。そのどちらに重点を置くか,あるいはその関係をどのように論理づけるかが,戦後日本における国レベルの地域開発政策において主要な論点であったといってよいであろう。地域開発政策といってもその内容は,地域間格差是正のために,後進地域の発展を図る狭義の地域開発政策にとどまるものではなく,一国全体の経済成長を図るための産業立地政策やマクロ的な景気刺激策などまで含んでいたのである。戦後60年間,上記のような論点をめぐって揺れ動き,さまざまな政治力学が作用し,各地で競うように,膨大な公共投資が繰りかえされてきた。政策の評価は,成長率極大化と所得格差の縮小のどちらに重点を置くかで異なってくる。ただし,実施された政策の意図がどちらに重点を置いていたか,政策意図が実現したか否かに関して必ずしも論者の間で一致して理解されているわけではないため,その評価は容易でない。

高度成長期半ば,1960年代初頭までについては,所得倍増計画に代表される成長率極大化を意図した政策が実施され,太平洋ベルト地帯を中心とする大都市周辺地域や大都市間の交通110頁】網への公共投資に重点が置かれ,現実に成長率極大化が実現したとの理解が通説的であろう。また,この結果,大都市につらなる臨海工業地帯の発展が導かれ,地域格差拡大を助長したものと評価される。

高度成長期の後半,1960年代前半以降においては,1962年の第一次全国総合開発計画が具体化していった。第一次全総とそれにつらなる地域開発政策については,成長率極大化と格差縮小の妥協の産物との見方が一般的であるように思われるが,どちらに重点が置かれていたかについては論者によって意見が分かれるであろう。新産業都市建設計画は,確かに工業地帯を空間的に拡大させるという意味では格差縮小意図があったと見られる。しかし,拠点開発方式という言葉に象徴されるように,新たな発展拠点を作り,従来とは異なる地域格差を副産物として生み出しながら経済成長を持続させることが目標とされていた。さらに工業整備特別地域については,公共投資に基づく工業用地・用水などの確保によって,成長率極大化が追求されたと見てよい。以上から,第一次全総は,成長率極大化を基本的な柱としつつ,格差縮小への配慮が若干組み入れられた開発政策と考えるのが妥当であろう。

新産業都市や工業整備特別地域の設置については,大分,水島,鹿島など一部地域を除いて不十分な成果しか達成できなかったとの評価が一般的である。失敗の主な理由としてあげられるのは,予定よりも多数の地域が指定され,総花的な公共投資が実行されたことである。しかし,そのような非効率性な側面を生み出しながらも,1950年代末に問題になっていた工業用地,工業用水,輸送インフラなどの隘路が新たな公共投資によって打開され,1970年代初めまで高度成長が持続したのであるから,成長率極大化は実現したと見てよいであろう。

一方この間,地域間所得格差は縮小したが,その要因としてあげられるのは,人口移動,農家所得の優遇,地方への公共投資,余剰労働力を求めた農村への工場進出などである。第一次全総などの地域開発政策の格差縮小への直接の貢献が評価されることはあまりない。

以上から次のように理解できそうである。高度成長期の1950-60年代の地域開発政策においては,太平洋ベルト地帯周辺への産業基盤整備投資が重視された。格差縮小への配慮は見られたが,基本的には成長率極大化を目指した地域開発政策であった。この間,農村から都市への大量の人口移動が生じ,(潜在)失業者の減少した農村地域で一人あたり所得が上昇した。また,大都市及び周辺工業地帯発展の結果,労働力不足が生じ,工場の地方立地が進んだ。これらの結果,地域間所得格差が縮小した。その際に強調すべきことは,藤井信幸が積極的に評価しているように,1960年代,特に池田内閣期において,格差縮小への政治圧力が強力に作用したにも関わらず,成長率極大化政策が基本路線となったことである。実際,成長率極大化のために必要な工業地帯の整備という形で地域開発が促進された。格差縮小への配慮はなされたが,それは工業地帯の成長による農村潜在失業者の吸収と所得上昇後の再分配によって実現するという発想であったと考えてよいであろう。換言すれば,成長率極大化が地域格差縮小につながるとの論理である。

1970年代以降の地域開発政策に関しては,高度成長期とは逆転したとの理解が一般的であろう。すなわち,田中内閣期以後,地域格差縮小政策が重視されたとの見解が有力であり,経済合理性を離れてバラまき的に公共投資が実行されたというように批判的にとらえられることが多い。ただし,政策を子細に見ていくと,地域格差縮小一本槍であったわけではないことは111頁】明らかである。成長率極大化という論理が決して失われたわけではなかったのである。田中角栄の「列島改造計画」は,工業の再配置と輸送網の拡充による国土の効率的な利用を通して,格差縮小と成長率極大化の二兎を追う政策であった。その際に強調されたのは,格差縮小(=国土の効率的利用)が成長率極大化につながるとの主張であり,高度成長期とは論理が逆転したのである。このような主張はその後も手を変え,品を変え出現し,1970年代以降の地域開発政策の主流となったものと見てよいであろう。1970年代以降,成長率の低下した地域に対する公共投資の増加,それに伴う建設業の成長が目立つ。これらは,後進地域の開発を通した需要拡大・景気浮揚政策である。また,1980年代半ば以降華々しく展開される民活路線も,社会資本の不足した地域における公共投資の増加やリゾート開発を通し,地域格差縮小によって内需拡大を実現し,円高や通商摩擦を回避することで成長の持続を狙ったものであった。

以上より,田中内閣以後の地域開発政策に関しては,格差縮小を求める政治力が一方的な勝利を収めたわけではない。公害や都市の過密問題などから,成長率至上主義への批判は強まったが,成長率極大化はいぜんとして主要な国家目標であり,格差縮小が成長率極大化につながるとの論理で,地域開発政策の華々しい展開が正当化されたと見るのが妥当であろう。したがって,1970年代以降,格差縮小に偏重した非効率な公共投資が行われたために,経済効果に乏しかったとの理解は正しくない。もちろん,リゾート開発など地域開発政策の多くが失敗に終わったと評価してよいだろう。失敗の直接的な理由は政策手法にあった。具体的には,全国一律の総花的な地域開発政策が競争の激化や土地バブルを招いたことである。しかし,失敗のより大きな背景として留意しておくべきことは,1970年代以降の地域開発政策を支えてきた,「格差縮小によって成長率極大化を図る」との論理が現実性を持たなかったということである。行論で示してきたように,高度成長期以来,格差縮小を目的とする狭義の地域開発政策は,一国全体の経済成長率極大化政策と融合する形で実行されてきたのである。もちろん両政策が調整されることは不可欠であるが,問題は次の点にある。

すなわち,戦後日本の地域開発政策は,政策を必要とする理由やその目的について十分吟味されないまま,政治的パワーゲームの内部に取り込まれ,場当たり的に成長率極大化政策と融合させられてきた。この結果,あまり成果をあげることができなかったのではないだろうか。もちろんこれはまだ,今後実証を深めていくべき仮説である。

 

2節 地域開発政策が必要とされる理由

前節での検討を踏まえるならば,地域間所得格差縮小を目標とするような地域開発政策がなぜ必要とされるのかという問題を検討しておく必要があろう。これは,地域経済学ないし経済地理学において議論されてきた問題であるが,必ずしも体系的に整理されていないように思われるので,少し煩雑になるがここで改めて筋道立てて検討しておこう。

前節で述べたように,戦後日本の地域開発政策は,少なくとも高度成長期まで成長率極大化には一定の貢献をしたと考えられるが,地域間所得格差縮小に関しては十分な成果をあげなか112頁】ったということになるだろう。よって次のように解釈できそうである。資本,労働は,より高い利潤,より高い賃金を求めて地域間を移動したのであり,基本的には市場メカニズムにしたがって日本経済は動いていた。

市場メカニズムの推奨者からすれば,地域格差縮小政策は無意味であり,むしろ経済効率を犠牲にし,成長率を低下させる無用な行為と評価されるであろう。百歩譲って地域間格差縮小が必要であるとしても,それは市場メカニズムの作用に委ねるべきだということになる。そのような議論として,ソロー・モデルをもとに,資本・労働比率の格差拡大が利潤・賃金比率の調整を通じて,資本・労働比率の高い地域への労働移動およびそれと逆方向の資本移動を生み出すので,市場メカニズムによって地域格差が縮小するとの見解がある。あるいは,ヘクシャー・オリーン・モデルをもとに,生産要素の移動が不完全なもとで,地域が資本集約産業ないし労働集約産業へ特化することによって,利潤と賃金の平準化が図られ,格差が縮小すると説かれることもある。前節で検討した戦後日本の経験を見る限り,これらの新古典派的理解がある程度妥当すると見てよいであろう。すなわち,地域格差は縮小したが,地域開発政策の効果に起因する部分は小さく,資本と労働の自由な移動や賃金・利潤比率に応じた比較優位産業への特化に起因する部分の方が大きかったものといえそうである。

しかし,地域間所得格差が縮少してきたとはいえ,いぜん東京周辺と地方の農村的な県との格差は大きい。資本が大都市周辺に加速度的に集積する傾向の存在も否定できない。また,次節で検討するように,資本・労働比率の低い地域への資本流入がスムーズに生じたこともあまりなく,相対的に低賃金であった地域での労働集約産業の発展が一部に見られたとはいえ,円高とともに苦境に陥ることが多くなった。したがって,市場メカニズムによる地域格差縮小という論理には限界があろう。市場メカニズムは,格差縮小にも拡大にも作用するのである。

市場が完全であるならば,結果として生ずる格差縮小も拡大も,個人の合理的行動の結果であり,何ら対策を必要とするものでないということになる。よって,格差縮小を目標とする政策は容易に是認されない。ある地域が衰退したとき,居住者はさっさと別の地域に移動して就業先を探すのが合理的な行動なのであり,特定の地域にこだわって地域開発政策を求めるは悪あがきにすぎないことになる。そこで必要とされる政策は,摩擦的に生ずる居住者の地域間転出入コストを低下させ,移動をスムーズにすることだけになる。

以上の議論を踏まえて,経済学的な観点から,地域開発政策を正当化できる論理があり得るのか,あり得るとすればどのようなものであるのかについて改めて考えてみよう。市場メカニズム推奨者の世界観にしたがって,特定の地域,空間,場所にこだわることに「意味はない」と主張するとすれば,あまりに一般人の実感とかけ離れている。それは次のような架空の世界を想定することに等しい。たとえば,転出入コストがゼロである世界を考え,瞬時に石垣島から東京に移動できるものとしてみよう。その場合確かに,石垣島の地域開発することにはあまり意味は感じられないであろう。しかし,転出入コストがゼロになることは現実的にはあり得ない。転出入コストの一般的削減とともに,地域開発政策が要請されなくなっていくという関係はあるかも知れない。あるいは逆に,ITの普及などによって在宅勤務が増大し,転出入コストが就業の障害とならなくなっていく可能性はあろう。しかし,当面は,どんなに転出入コストが低下しても相当に高い水準にとどまるであろうし,またIT化による就業形態の変化が急速に一般化することは想定しにくい。居住地の移動には,かなりの心理的,体力的,金銭的等のコストがかかり,多くの人は,長期間にわたって,一定の生活圏の内部にとどまり,居住113頁】地周辺に職を探さざるを得ないであろう。それゆえ一定の範囲をもった特定のひとまとまりの空間である地域の存在が意味を持つ。

すなわち,転出入コストが相当程度の高さで存在することが,地域開発政策を必要とする最も基本的な条件である。ただし,ここでの転出入コストとは,単なる他の居住地への移転コストだけでなく,住み慣れた土地への思い入れを背景とした転出の心理的コストなどまで包括的に含むものと考えている。このような理解に対して,逆に転出入コストが低下し,人口流出が生ずるから,地域開発政策が要請されるのだといった主張がなされるかも知れない。しかし,それは正しくない。そのような地域開発政策を要請する主体は,地域の居住者のうち転出入コストの高い人々である。つまり,転出入コストはすべての居住者に均等なのではなく,居住者の年齢,土地などの地域固着性の強い固有資源への経済的・心理的依存度,転出先の見込み度合いなどによって異なる。特に産業構造の変化に伴って,転出入コストが一般的に低下するような事態が生じたときには,その低下度合いは,居住者の属性によって大きく異なるであろう。たとえば,移動できない生産要素である土地集約的な産業(農業など)よりも,資本集約的な工業が急成長して雇用を拡大させた時期,農家の跡継ぎである長男の転出入コストはあまり変化せず,次三男の転出入コストが急激に低下するという事態が生じた。この結果,まずは次三男の流出が生じ,「長男の孤独」という事態が生じたのである。したがって,転出入コストの低下→人口流出→地域開発政策の要請といった理解では不十分であり,ある地域の居住者の間で転出入コストが不均等に低下する結果,転出入コストの高い居住者によって地域開発政策が要請されると理解すべきであろう。

さて,居住者の転出入コストが不均等であり,高コストの居住者が存在するという前提が成り立つとして,地域開発政策は経済学的にどのように正当化され得るだろうか。資本の移動コストは労働に比べて相対的に低いので,資本は地域間を自由にすばやく移動する。しかし,集積の利益が存在し,資本の収益率が資本集積地域で高くなるとすれば,資本労働比率の低い地域への資本流入はなかなか望めない。このため,この地域では資本労働比率が低いままにとどまり,しかも転出入困難な労働が相対的に豊富に存在することになる。このような地域では,たとえ労働の転出入コストが高いとしても,比較優位の原理にしたがい,相対的低賃金による労働集約的産業の発展が期待される。よって,賃金による調整が十分に機能すれば政策の必要はなさそうである。しかし,一方で転出入コストの低い労働は当該地域から少しずつ転出していくだろうし,また,国際間に比べて地域間における財の取引ははるかに低コストで自由に行われ,全国一定水準の公共財・サービスも供給されることなどから,地域間の物価,生活水準は均等化する傾向にあると考えられる。こうした事情が作用する結果,資本労働比率が低い地域における賃金が十分に低くなるとは限らず,伸縮的賃金による産業構造調整は不十分なものにとどまるであろう。これに加え,産業の国際競争が激化するならば,地域における労働集約産業の発展の条件はますます厳しくなる。賃金による労働の需給調整が困難であるとすれば,地域固着性の強い固有の人的・物的資源は雇用されないまま,遊休資源となる。そして,この遊休資源の発生が,地域開発政策を経済学的に正当化する条件である。すなわち,ある地域における転出入コストの高い居住者が人的資源として一定の価値を有する場合,あるいは土地などの地域固着性の強い資源が一定の価値を有する場合,それらが遊休資源となることを回避し,114頁】適切に活用することが,地域開発政策の第一の目的である。

ここで次の点に留意しておこう。すなわち,現実の地域開発政策は,地域間所得格差を縮小させ,人口流出入を抑制することを目的に立案されることが多い。これまでの議論で示してきたように,地域格差縮小,人口流出入抑制それ自体を目的とすることは,必ずしも経済学的に正当化されるわけではない。しかし,地域固着性の強い人的・物的資源が遊休化する事態が現実に発生するのは,地域間の不均等な経済成長→所得格差の拡大→人口移動を伴うような一国の経済変動の過程においてである。したがって,地域開発政策を評価する際の一つの指標として,地域間所得格差や人口流出入の動向あるいは失業率などのデータを利用することに意味はあろう。ただし,強調しておくべきことは,地域間所得格差縮小それ自体を目的として,地域開発政策を立案するべきではないということである。

さて,以上のような目的を持つ地域開発政策は多様であり,本来的には地域ごとにどのような固有資源が存在するかに応じて立案すべきであると考えられる。現実には,資本の流出入を何らかの形でコントロールすることが,地域開発政策の具体的内容となることが多い。地域から資本が流出する一方,転出入コストの高い地域居住者が存在する場合,遊休資源が生ずる可能性が高くなる。そこで,これらの遊休資源活用のための資本流出入コントロール政策が必要とされるのである。

資本流出入のコントロールにはさまざまな形がある。主流をなすのは,(潜在)失業者の多い地域に企業を誘致する政策である。また,資本を流入させる政策だけではなく,できるだけ長期間,地域にとどまってくれるような資本の流入が求められることもある。したがって,経済効率性に基づいてすばやく移動するようなタイプの資本の流入を抑制する規制もあり得よう。当然のことながら,資本流出入のコントロール政策は効率性の犠牲というコストを伴うから,地域に遊休資源が存在することのコスト(社会保障費用の増加など)との比較の上で,その是非が決定されるべき問題である。もし,資本流出入コントロール政策のコストの方が大きいのであれば,近年各地で試みられている,地域住民による「まちづくり」の支援のような,他の遊休資源活用政策が検討されるべきであろう。

ところで,これまでは地域をひとまとまりの同質的な空間と想定して,地域開発政策が必要とされる理由を探ってきた。しかし,実際には,地域は一定の広がりを持った,同質的でない空間である。地域の空間は人が居住する場であるとともに,人の移動,消費,就業などの場である。私有地の利用方法は,周辺住民に大きな外部効果をもたらす。たとえば,ある地域に資本が投入されたとき,それに付随した環境変化が生ずる。公害,交通渋滞,景観の破壊などの外部不経済が生ずることが予想されるならば,地域の経済厚生が低下する。あるいは巨大企業の進出が新たな人や物の流れを生み出し,十分なコストを払わないまま既存の地域インフラに「ただのり」する事態が生じることがある。このような事態を避けるために,私有地の利用の仕方に関して調整がなされ,人が地域で活動するための十分な公共財が提供される必要が生ずるのである。したがって,地域開発政策の第二の目的は,居住者の利益を損なわないように,地域空間の適切な利用体系を構築することであり,理論的には外部不経済を調整する制度の設計と公共財の供給である。そうした観点から,都市計画や土地利用計画が策定されてきた。

しかし,ここで留意すべき点は,計画は万能でないということである。都市計画では,しばしば,人が計画通りに行動するとの仮定のもとに,生活しやすい空間,移動しやすい空間が設計されてきた。しかし,現実には人は計画通りに動かない。計画通りの行動をとっていれば利115頁】潤も効用も増大しないからである。資本は利潤を求めて移動し,競争する。消費者は効用最大化を求めてしばしば予測不能な挙動を繰り返す。計画に,多様で流動的で曖昧な消費者の嗜好をすべて盛り込むことは不可能である。したがって,計画から自由な部分を残し,多様で流動的で曖昧な消費者の嗜好をすくい上げるような自由競争が十分に展開される余地が必要であろう。実際,計画の想定を外れた企業家や消費者のダイナミックな行動が,地域経済の活力を生み出す源となる可能性が高いように思われる。ただし,そこで留意する必要があるのは,自由競争に批判的な論者によって説かれる問題である。すなわち,自由競争によって,最終的には圧倒的な強者による独占が成立し,競争が消滅してしまう可能性がある。一般的にこのような事態が生ずるは考えにくいが,あまり大きくない地域空間に関していえば,独占が成立して競争が消滅することはあるかも知れない。そこで,独占を抑制するルールや競争が持続するような環境を整備することが必要であろう。以上より,地域開発政策の第二の目的(居住者の利益を損なわないように,地域空間の適切な利用体系を構築すること)を実現するため必要なのは,一定の都市計画を立案し,計画を前提としつつも自由競争の余地を残し,さらに競争の結果として独占が生じないよう,持続的に競争が生じるように環境やルールを整備することである。計画と自由競争という対立的な要素を含むきわめて微妙な課題であり,適切な解は,地域固有の条件に大きく左右されるであろう。

最後に,本節での検討を簡単にまとめよう。地域開発政策の目的は,第一に,地域固着性の強い固有の人的・物的資源を遊休化させずに活用することである。第二に,居住者の利益を損なわないように,地域空間の適切な利用体系を構築することである。また,地域開発政策を評価する際に,地域間所得格差や人口移動のデータを指標として利用することはできるが,格差縮小や人口流出入抑制それ自体を地域開発政策の目的として設定することは適切でない。

 

3節 地域間所得格差と人口移動

前節で検討した地域開発政策の目的に照らしながら,戦後日本の地域開発政策を評価することが,本研究の目標である。そのためには膨大な実証作業を必要とする。以下では,さしあたり,戦後日本におけるマクロ的な地域経済データを整理することで,第1節で触れた地域開発116頁】政策に対する評価を検証するとともに,今後の作業の指針を得ることを目指す。本節と次節では,20世紀後半の日本の都道府県間所得格差と人口移動の動向について,データをもとに検討,分析する。

まず,所得格差である。ここではまず,一人あたり県民所得の変動係数の動きを確認しよう。戦後日本では,図1に示されるような推移をたどってきた。大まかにいって,1950年代の格差拡大,1960-70年代の格差縮小,1980年代の格差拡大,1990年代の格差縮小傾向が読み取れる。一方,賃金の変動係数はこれと若干異なった動きを示している(図2)。1958年までの格差拡大,1966年までの格差縮小,1973年までの格差拡大,1976年までの格差縮小の後1980年までほぼ不変,1983年まで格差拡大の後1987年までほぼ不変,その後格差縮小。一人あたり所得と賃金との大きな違いは,60年代後半から70年代前半の間,所得格差が縮小したのに対し,賃金格差が拡大した点であり,また全般に,賃金格差の動きが所得格差の動きに先行する傾向が見られる。いずれにせよ,長期的に見れば,20世紀後半の50年間で都道府県間格差が縮まってきたことは間違いない。

また,1955年時点における一人あたり県内総生産の水準と1955-2000年の一人あたり県内総生産増加率との間には,負の相関が見られる(図3。ただし,圧倒的な所得の高さと人口規模を持つ東京都だけ大きく右に外れている)。同様な相関が賃金についても見られる(図4)。したがって,変動係数において格差が縮小しただけでなく,初期時点において低所得であった県の方がその後の成長率が高かったのである。これだけを見れば,低所得地域のキャッチ・アップがある程度実現したことになる。

この間,都道府県間の人口移動も生じた。特に1960年代初めから10年間の移動率が高い(図5)。地域経済にとっては,所得の上昇も一つの目標であるが,人口の過度の流出も回避したい事態であろう。なぜならば,人口減少は地域の需要を減らし,経済規模を縮小させ,財政にマイナスの影響を及ぼし,公共財の供給不足につながるからである。したがって,地域経済の動向を評価するためには,所得格差だけでなく,人口の転出入についても検討する必要があろう。

そこで,1955年から2000年までの45年間の,都道府県ごとの人口の動きと県内総生産の動きを分類して描いた地図が図6である。この図では,一人あたり県内総生産の全国加重平均値(日本全国の一人あたり国内総生産に相当する)に対する比率が期間中に上昇したか低下したか,人口シェアが上昇したか低下したかによって,都道府県が4つに分類されている。図に示されるように,東北,中部,中国・四国,九州の多くの県において,一人あたり所得は相対的に上昇したものの,人口シェアが減っている。以上から,戦後日本において,地域間所得格差はかなりの程度縮小したものの,多くの地方県は人口流出をとどめることができなかったのである。

終戦直後を除くほとんどの時期において,いわゆる農村的な地方圏は,人口の社会的増加率はマイナスであった。一方,自然増加率が極めて高く,1950年代までは多くの都道府県で人口の純増が維持されてきた。しかし,1950-60年代には自然増加が社会的減少に追いつかず,人口純減地域が出現する。1970-90年には社会的減少が低下したため,多くの地域で人口は純増するが,1990年代以降,今度は自然増加率がマイナスに転ずる地域まで出現し,人口が純減し始めた。しかも,そうした地域では若年女性の人口に占める割合が低いため(図7),今後の人口増加はあまり期待できない。もっとも,若年女性の人口に占めるシェアと合計特殊出117頁】生率との間には有意な負の相関があるから(図8),この結果実現する出生率の地域格差はある程度相殺される。しかし,地方県では高齢者割合も高いため死亡率も高い。このため,いまや人口の自然増加率の高い地域は大都市周辺地域なのである。農村が人口の供給源と考えられていた戦間期および高度成長初期から,日本は大きく変貌したのである(図9)。

これに加え,大都市及び地方中枢都市を有する府県以外の地域からの人口流出はいぜんとどまっていないため,今後,多くの地方県が人口純減を余儀なくされるであろう。2005年末の推計によれば,日本の人口はついに純減に至っており,また大都市周辺の人口純転出入率はプラスとなっているから,大都市周辺や地方中枢都市を除く多くの地方圏は,日本の人口を上回るスピードで人口減少を経験することになろう。ただし,以上は都道府県レベルで見た数値であり,市町村レベルで見れば,すでに高度成長期以来,人口純減を経験してきた地域が少なくない。地域レベルでは,人口純減は決して新しい出来事ではない。戦後日本の地域開発政策は,地域間所得格差縮小にある程度貢献した可能性はあるが,大都市周辺及び地方中枢都市以外の多くの地域における人口純減をおしとどめることはできなかったのである

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4節 地域間所得格差と人口移動についての分析

戦後における都道府県民所得格差の変動要因についてはいくつかの先行研究がある。所得の要素を分解した谷沢の研究では,まず,1960年代後半,地方圏への工場立地による雇用者所得の上昇が所得格差縮小をもたらしたとする。次に,1970年代半ばの高率賃上げによる企業所得(地域間格差が大きい)の低下が,所得格差縮小をもたらした。しかし,1980年代になると,サービス経済化の進展と第三次産業での雇用者所得の格差拡大によって,所得格差が拡大した,という。一人あたり所得を利潤,賃金,資本労働比率に分解すると,

となるから,資本労働比率の高い資本集約的産業の集積した地域の所得の方が高くなる。資本移動がスムーズであり,の格差が無視できるものとすれば,資本集約度の格差と賃金格差によって地域間所得格差が生ずる。谷沢の結論については,1960年代後半の地方への工業立地が,低所得地域のの上昇をもたらし,格差を縮小させたと解釈できる。また,1970年代半ばには日本全体でが上昇したことにより,資本集約度格差が所得格差に与える影響が低下したため,格差を縮小させたことになる(賃金格差は資本集約度格差よりも小さい)。一方,1980年代にはの格差が拡大したことにより,所得格差が拡大した。

岳の研究は,生産要素である資本と労働の流出入の効果を検証している1955-90年の都道府県間労働生産性格差の動向が検討され,民間資本労働比率は格差拡大に作用したこと,公共資本労働比率は格差縮小に作用したこと,労働生産性の高い県から低い県への政府部門の資本移転が行われたが,民間部門の地域間の資本移動の純移転は行われなかったこと,政府による地域間の資本移転と地域間人口移動が所得格差縮小に貢献したこと,が示された。

地域開発政策との関連で解釈するならば,谷沢の主張は,工場誘致政策あるいは民間資本の労働力を求めた資本移動が地域間所得格差縮小にある程度貢献したことになる。ただし,注目すべきは,格差縮小が急速に進んだ1970年代においては,その縮小要因は賃金ないし労働分配率の上昇にあるとの指摘である。よって,この時期の格差縮小に,地域開発政策はあまり関係がないことになる。一方,岳の主張によれば,地域開発による民間企業の工場誘致などはほとんど格差縮小に貢献していないが,政府の公共投資それ自体は格差縮小に貢献したことになる。また,人口移動も格差縮小に貢献したとされている

以上の先行研究が正しいとすれば,戦後日本の地域開発政策の,都道府県間所得格差縮小に対する貢献はある程度見られたが,その期間も大きさも限定的なものにとどまったと結論づけるのが妥当であろう。一時的な公共事業によって地方圏の所得上昇がある程度は実現した可能性はあるが,それは民間資本を強く吸引する持続的開発をもたらすものではなかったのである。

一方,人口移動については,高度成長期における大都市圏への大量流入,低所得地域から高128頁】所得地域への人口の純流出が生じ,1970年代に移動率が大きく低下したあと,1980年代に東京一極集中が生じた,というのが通説である。こうした通説は基本的に正しいと思われるが,実際の人口移動の動きはもう少し複雑な様相を示しているので,ここで若干検討しておこう。

まず,検討に値するのは,人口移動と所得・賃金格差との関連である。低所得(賃金)地域から高所得(賃金)地域への人口移動が生ずるものと仮定して,都道府県別データを使用して回帰分析を行った。この結果,説明変数に一人あたり県内総生産と賃金をとった場合とで1970年代以降について相違がある(表1)。人口移動が,主に就業者の移動ないし将来の就業先を想定した教育機関の選択に伴う移動であると考えるならば,賃金を説明変数とすることが望ましいであろう。そこで,主に賃金による回帰結果を見てみよう。転入率に関しては,予想通り,5年ごとに抽出した1955-2000年の年次すべてについて,高賃金地域への転入率が高いとの結果が出ている。しかし,転出率に関しては,低賃金地域の転出率が高いとの結果は全く得られなかった。むしろ,1970年代以降,高賃金地域において転出率が高い傾向が生じており,1990年代以降はこれが明確になる。この結果,高賃金地域の方が,純転入率(転入率−転出率)が高いという傾向が一貫して見られるわけではなくなっている。また,高賃金地域ほど都道府県内移動率が高いという結果が多くの年次について見られる。

 

 

129頁】以上より,必ずしも低賃金地域の転出率が高いわけではなく,1990年代以降は高賃金地域の転出率の高さが際立つとの結果が得られた。そこで,転出率の高い都道府県を地図で確認してみよう(図10)。1960年においては,北海道,北東北,北陸,東海などを除き高い転出率を示す都道府県が多い。いわゆる農村県だけでなく,東京の転出率も高いのである。その後,北東北,北陸,東海も高転出率地域として加わり,同様の傾向は1960年代後半から1990年代初めまで続く。しかし,1990年代以降様相が一変する。2000年には,東京圏,大阪圏といった大都市圏のみが高い転出率を示すようになるのである。また,図には示さなかったが,都道府県内移動率の動向に関しては,高度成長期においては,東京都,神奈川県,愛知県,大阪府における移動率が顕著に高い。

戦後日本の人口移動のおよその動向をまとめると次のようになる。高度成長期においては,高賃金の大都市圏への大量の人口流入が生じた。ただし一方で,東京,大阪など大都市のある都道府県内の人口移動率もきわめて高かった。1970年代以降,大都市圏への人口流入は減少したが,他方で大都市圏内における人口移動が広域化し,圏内における都道府県をまたがった移動が活発化した。図11には東京圏(埼玉,千葉,東京,神奈川)への人口流入が示されているが,1960年代後半以降,東京圏内の人口移動割合が高くなっている。また,図11からは1980年代において,東京圏外からの流入割合の増加,東京圏への流入の全国人口移動に占める割合の高まりなど,いわゆる「東京一極集中」を示唆する傾向も示されている。しかし,1990年代には再び,東京圏内での人口移動が増加しており,近年はほぼ拮抗している(2000年は,東京圏内の移動が東京圏内への総流入に占める割合は49.2%)。同一都道府県内移動数も含めれば,大都市圏内の移動は,全人口移動の中で相当の割合を占める(2000年のデータによれば,東京圏内の都道府県内及び都道府県間移動数の合計は1,506,977であり,全国の移動総数の24.5%を占める)。したがって,地域間人口移動に関していえば,高賃金の大都市圏への人口流入とならんで,高賃金の大都市圏内における人口移動にもほぼ同程度に着目する必要があり,時代が下るとともにその重要性は高まっているのである。

 

130頁】

131頁】

132頁】

 

5節 合理的な地域開発政策に向けて

前節までの検討によれば,第一に,低所得の地方圏への公共投資による資本誘因政策は高度成長期には一定の効果を持っていたと考えられるが,地域間所得格差の縮小には一時的な効果を及ぼしたにとどまり,人口流出を押しとどめることはできなかった。したがって,低所得地域の開発政策モデルは,いまだ十分に確立しておらず,今後の検討を要する課題だということになろう。その際,なぜ,これまでの地域開発政策が十分な効果をあげられなかったのかをより詳細に検討することが有用であろう。

第二に,大都市圏への人口流入だけでなく,大都市圏内での人口移動が活発に生じているという事実である。大都市圏の居住者にとっても転出入コストは不均等であると考えられるから,そうした地域における開発(ないし再開発)政策の重要性が増しているものと推測される。低所得地域における開発政策が雇用確保を主眼に置くことが多いのに対し,大都市圏の開発政策はむしろ居住者の消費者としての利益に主眼が置かれることになろう。

第三に,先行研究でも指摘されていたように,1970年代以降のサービス経済化の進展が,大都市や地方中枢都市への資本の集積,それに伴う地域格差の拡大に大きな影響を与えているという事実である。第二点としてあげた,大都市圏内での人口移動の活発化は,大都市周辺への資本集積による開発に伴って生じたものと考えることができよう。また,サービス経済化は,第一の低所得地域の開発を考える際にも大きな問題となる。サービス経済化とともに,製造業誘致による雇用拡大が困難となりつつあるからである。データによれば,一人あたり県内総生産と総生産に占める製造業の割合との間には1980年代まで高い相関があったが,近年では相関の有意性がなくなりつつある(表2)。製造業を誘致したとしても,それが所得上昇につながらなくなりつつあるのである。しかし,サービス業の誘致は,製造業の誘致とは異なった性質を持つ難題である。生産と消費の分離が困難なサービス業によって雇用を拡大するためには,一定地域内にある程度の消費人口を抱えている必要があろうが,多くの低所得地域では人133頁】口純減が続いている。このような状況を打開するのは容易ではない。

本研究の目標である,地域経済の発展メカニズムを解明し,合理的な地域開発政策のあり方を考えるためには,少なくとも上記の三点について分析を深めていく必要があろう。以下では,その準備作業として,これまでの本稿での検討を踏まえて,地域開発政策を考えるための留意点について若干の考察を試みる。まず,大都市圏の開発政策に関して留意すべき点について検討する。

前節で検討したように,1960年代後半以降,大都市圏内での人口移動が活発化してきた。この背景にあるのは,宅地開発競争,公共交通機関の整備による通勤・通学コストの一般的な低下による競合地域の増大,産業構造の変化に伴う就業先の異動,大都市圏内で増大した新規学卒者の就業に伴う移動などである。こうした出来事に伴っていくつかの問題が生じた。そのすべてに触れることはできないが,近年重要性を増しているのは次のような問題である。大都市郊外などに開発された住宅地においては,いったん居住者が増加し,定着した。その後,ライフサイクルに応じた転出入が多く,流動性の高い地域が少なくない。しかし一方で,高齢者やその介護者など転出入コストの高い居住者も多い。このため,地域コミュニティの崩壊,既存商店街の衰退などの問題がしばしば指摘されているのである。これには,遊休化した地域の人的資源や土地建物などの物的資源をいかに活用するかという問題,消費者の利益に合致するような小売店の立地問題,社会福祉問題など多様な問題が含まれている。それらの諸問題の検討は今後の課題であるが,ここでは居住地の魅力を左右する重要な要因と思われる地域の消費の場に関して,若干検討しておこう。

1990年代以来,住宅地周辺などの小さな商店街が衰退し,ときに壊滅し,ロードサイドのディスカウント・ストア,中大規模のスーパーマーケット,コンビニエンスストアなどが集客力を高めるという現象が生じている10。徹底した低価格,売れ筋商品の品揃えがこうした新たな小売店の競争力を支えているから,それ自体を考えれば,消費者にとっては大きな利益となっている。しかし,消費の場へのアクセス・コストまで考えるならば,話はそう単純ではない。

あるひとまとまりの空間に二つの中小商店街がある状況と一つの巨大なスーパーマーケットがある状況を想定してみよう。そのどちらが消費者の利益を高めるかという問題に関して,一般的な解を求めることは困難である11。低価格や豊富な品揃えを武器に,巨大スーパーマーケットが進出してきて一人勝ちし,他の商店がことごとくつぶれるような状況が必ずしも望ましいわけではない。自由競争によって決まる空間利用のあり方は,すべて消費者の合理的な選択134頁】の結果であるというような極論を主張するのでなければ,何が消費者利益となるのかはにわかには決しがたい。なぜならば,消費者は,企業間競争によって将来生ずる小売店の立地パターンが,どのような形で自分たちの効用に跳ね返ってくるのかに関して,正確に予測できるわけでもなく,予測のための十分な情報が与えられているわけでもないからである12

そのために必要とされるのは,中小小売店保護色の濃厚な規制ではない13。極端に巨大な商圏を持たないくらいの規模の小売店の集積が一定間隔で存在し,地域内,地域間において競争が常に持続するような状況である。このために,ある程度の都市計画や規制は必要であるかも知れないが,それは既存企業の保護のためではなく,ひとまとまりの空間内における競争の持続のためである14。もっとも以上のような主張を操作可能な理論として展開し,具体的な政策に結実させることは容易ではなく,今後の課題である15

次に,低所得地域の地域開発政策について検討してみよう。大都市圏での,地域コミュニティの崩壊,既存商店街の衰退と類似の現象は,旧市街地から郊外への人口移動に伴って,地方の中核的都市でも生じている。しかし,地方県において,それ以上に問題なのは,より小さな都市や農村的地域を対象とした地域開発政策である。1980年代以降のデータによれば,低所得県であればあるほど,県内所得格差が大きい傾向がある(表316。これは,日本全体のサ135頁】ービス経済化に伴い,サービス産業の集積する県内上位都市への所得,就業機会,人口の集中が進んだ結果と見られる。サービス経済化が進めば,県内所得格差はますます拡大し,県内低所得地域の人口流出も増大するであろう。この結果,全国人口純減時代において,過疎化問題はますます深刻化することになる。このような人口流出地域において地域固着性の強い遊休資源が発生するならば,そうした資源の活用を目標とする地域開発政策が強く求められるであろう。

 

 

困難な条件に取り巻かれている農村的な地域や人口数万レベルの地方都市において,どのような開発政策が実行可能であるのか,明確な結論を出すことは難しい。本稿での検討だけからは何らかのポジティブな提案をすることはできないが,効果の薄い開発政策を否定することで,抽象的な方向性を示すことくらいはできるかも知れない。すなわち,かつての新産業都市,テクノポリス建設やリゾート開発のような全国一律の地域開発政策はほとんど効果を持たないから避けるべきであるということである。それらは結局のところ同質的な地域間競争をもたらしただけで地域の魅力を高めることにはつながらなかったし,環境破壊をはじめとする外部不経済をもたらしたからである。第2節での検討をもとに表現するならば,地域固着性の強い固有の人的・物的資源の活用という観点からして,合理的でないような資本流出入のコントロールが行われ続けてきたということになろう。すなわち,資本流出入コントロールのコストが過大であり効率性が失われたか,あるいは地域の遊休資源の活用方法に関して十分に吟味されないままやみくもに資本流出入のコントロールが行われたものと推測される。そのような政策が実施された理由は,第1節で提示した仮説によれば,一国全体の成長率極大化政策と地域開発政策とが融合し,地域開発政策の目的が十分検討されなかったことにある。

地域居住者はきわめて多様であり,地域固着性の強い人的・物的資源の活用の仕方にはさまざまな可能性が考えられる。地域開発政策は,そのような可能性を十分に吟味した上で立案されるべきだということになるだろう。近年,地方分権と市町村合併によって,地方公共団体の財政基盤の拡充が目指されているので,それが実現すれば,地方圏の地域開発の可能性は広がるのかも知れない。しかし,他方で,各地であまりにも巨大な自治体が出現している。このような状況の中で,地域の細かな事情に合わせた開発政策をいかに立案していくか。合併した巨大自治体内での自治と調整が求められているのである。

 

おわりに

本稿では,戦後日本の地域開発政策の評価,地域開発政策を必要とする理由,戦後日本の地136頁】域間所得格差と人口移動の動向について検討し,合理的な地域開発政策について考察する際の留意点を導き出してきた。最後に簡単にまとめておこう。

地域開発政策が必要とされる基本的条件は,経済成長とともに地域間の転出入コストは低下するが,低下度合いは居住者によって異なり,転出入コストの高い居住者が存在するということである。そうした条件のもとで,生産要素市場における価格調整が十分に働かなければ,地域固着性の強い固有の人的・物的資源が遊休化するので,それを活用するために地域開発政策が必要とされる。また,地域空間は同質的でなく,空間利用には外部効果が生じやすい。したがって,都市計画などにより,居住者の利益を損なわないように,地域空間の適切な利用体系を構築する必要が生ずる。ただし,計画を立案する際,自由競争が持続するような環境整備が必要とされる。

戦後日本の地域開発政策の検討と,所得格差および人口移動に関するデータ分析から,戦後日本の地域開発政策が十分な効果をあげなかったことを指摘した。その理由として,地域開発政策の目的が適切に定められず,成長率極大化政策と政治的に融合させられたため,どのような地域固有の人的・物的資源が存在するかについて十分に吟味されないまま,やみくもに資本流出入をコントロールする政策が実施されたからではないかとの仮説を提示した。

所得格差および人口移動のデータから,高所得地域への人口流入だけでなく,高所得地域内での人口移動が相対的に増大してきたことを指摘した。

本稿で指摘した論点を展開し,理論的により深めるとともに,地域経済政策に関する歴史的な実証研究を進め,最終的に具体的な政策へと練り上げることが今後の課題である。