【91頁】
固定資産の減損処理と現行ルールの内的な整合性
米山 正樹
T はじめに —問題の所在—
減損処理の意味と必要性については,多くの先行研究が存在する。そうした先行研究を類型化したとき,ひとつの典型例といいうるのが,簿価切り下げの論拠と具体的な認識基準や測定基準との整合性を問うタイプの研究である。そこでは簿価切り下げに関する特定の論拠を与件としたうえで,簿価をどこまで切り下げるのか,それはなぜかに関心が寄せられる。このほか,減損処理と現行の企業会計を支える基礎概念との整合性を問うタイプの研究もみられる。そこではもっぱら,減損処理を減価償却に関する旧来の計画を修正するための手続と意味づけるのか,それとも簿価の回収可能性を回復するための手続と意味づけるのかに関心が寄せられる1。
これらの研究がいずれも,減損処理の意味と必要性を解明するのに貢献しているのは事実である。しかし先行研究では十分な関心が寄せられなかった論点が,未解明のまま残されているのも事実である。とりわけ重要なのは,日本の減損会計基準を根幹で支えている「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための切り下げ」という考え方を考察対象とした先行研究が乏しい点である。
例えば固定資産の減損処理と棚卸資産の低価基準を対比するとき,大部分の関心は具体的な測定操作に寄せられ,回収可能額(典型的には利用価値)への切り下げと正味実現可能価額への切り下げの違いを支持できるか否か,というような次元で議論が行われがちである。しかし測定操作はそれを支える基礎概念から導かれてくるものである以上,このような議論に加え,「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための切り下げ」と低価基準の論拠との対比も必要であろう。
こうした視点から,本稿ではもっぱら,固定資産の減損処理を支えている「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための切り下げ」を考察対象とする。まず第2節では,同様の考え方に支えられた会計基準の存否を確かめる。そのような会計基準が存在すれば,「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価しなければならない」という考え方は広く受け入れられたものといいうる。そうなると固定資産の減損処理は,現行ルールの体系を支えているこの考え方との整合性を図るために導入されたものといいうるであろう。
しかし結論を先取りするなら,同様の考え方に支えられた会計基準(より正確にいうなら,同様の考え方からしか説明できない会計基準)は固定資産の減損処理以外には見出せない。外形上は類似している棚卸資産の低価基準などでさえ,積極的に「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手続」と意義づけることはできない。
【92頁】そこで第3節では,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価する必要が,現行ルールの体系を支えている,より抽象的な基礎概念とどう関わっているのかを考察する。投資家の意思決定に有用な情報の提供という財務報告の目的が概ね受け入れられている状況では,投資期間の全体を通じた投資額の回収可能性を評価する必要も有用な情報の提供という観点から導かれてくると考えられる。上記のような回収可能性の評価が利益情報の有用性とどう結びつきうるのか,第3節で確認することとしたい。
U 減損処理と企業会計を支える基礎概念
(1) 「固定資産の減損に関する会計基準」の論拠
@投資期間全体を通じた投資額の回収可能性
減損処理の論拠は,最も直接的には,「固定資産の減損に関する会計基準」の前文に相当する「固定資産の減損に係る会計基準の設定に関する意見書」に記されている。そこには減損処理に係る基本的な考え方が,「減損処理は,本来,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価し,投資額の回収が見込めなくなった時点で,将来に損失を繰り延べないために帳簿価額を減額する会計処理と考えられるから,期末の帳簿価額を将来の回収可能性に照らして見直すだけでは,収益性の低下による減損損失を正しく認識することはできない。帳簿価額の回収が見込めない場合であっても,過年度の回収額を考慮すれば投資期間全体を通じて投資額の回収が見込める場合もあり,また,過年度の減価償却などを修正したときには,修正後の帳簿価額の回収が見込める場合もあり得るからである。」と記されている。
「基本的な考え方」の眼目といえるのは,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための切り下げ手続という意義づけである。そこでは,単に特定時点における利用価値や処分価値と簿価とを対比するのではなく,(過去に獲得済みのキャッシュも含む)総回収見込額(収益力の低下後に見積もり直したもの,以下同じ)との対比において過大となった簿価を切り捨てるのが減損処理の本質と考えられている。とすれば,(明示的な記述はないものの)減損処理の要否を判断するために総回収見込額と直接対比されるのは,(投資の収益性を見積もり直した時点の未償却残高としての簿価ではなく)原初投資額となるはずである。投資総額と総回収見込額の価値を比較しないかぎり,投資期間全体を通じた収益性は判断できないからである。
総回収見込額との対比において原初投資額が結果的に過大となってしまった場合は,原初投資額の一部が収益を生み出さないという意味において過剰となっている。その部分は将来に繰り越す必然性を見出せないことから,ただちに切り捨てることとなる。日本の「減損会計基準」は減損処理の必要性を上記のように考えているようである。
A具体的な認識・測定基準をめぐる解釈
「固定資産の減損に係る会計基準の設定に関する意見書」に記されたこの基本的な考え方にかかわらず,「固定資産の減損に関する会計基準」が要求している具体的な簿価切り下げの手続は,少なくとも一見したところ,その「基本的な考え方」と必ずしも首尾一貫していないようにみえる。具体的には,減損処理の要否に係る判断に際しても,また減損損失の金額を決定する際にも,(過去に獲得済みのキャッシュも含む)総回収見込額や原初投資額は考慮せず,もっぱら将来事象を見積もり直した時点以降に期待されるキャッシュフローとその時点における簿価との関係から,減損損失の認識および測定方法が決められている。
【93頁】この「固定資産の減損に関する会計基準」が指示する減損損失の認識・測定方法は,むしろ「簿価は回収可能なものであるべし」という要請を伝統的に広く受け入れられてきた基本前提とみたうえで,この基本前提を遵守するための手段と解釈することができる。
計画的・規則的な配分計算は無条件に認められるものではなく,そこから導かれてくる簿価に経験的な意味が与えられるかぎりにおいて認められるに過ぎない。計画的・規則的な配分計算から導かれてくる簿価(いわゆる未償却残高)が実際の価値を反映しているかどうか,定期的にチェックしなければならないという発想に現行ルールの体系が支えられているとすれば,過去に獲得済みのキャッシュも考慮する総回収見込額ではなく,もっぱら将来に期待されるキャッシュフローとの関係で簿価が過大かどうかを判断することとなる。これはまさしく,「固定資産の減損に関する会計基準」が要求している減損損失の認識・測定方法と考えられる。
もっとも「減損会計基準」によれば,上記の方法が採用されたのは,「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性」と同時に(あるいはこれに代えて)「簿価の回収可能性」を評価しようとしたためではない2。総回収見込額との対比において簿価が過大かどうかを判断する「ほんらいの処理」に代えて上記の方法が採用された理由は,過年度に生じた償却不足額の修正と今年度新たに生じた減損損失との区分が,現行ルールのもとでは求められていないことと関わっている。以下,この点を詳述する。
投資期間中の特定時点において,減価償却対象資産の簿価が利用価値を超過してしまうケースはふたつに大別される。そのうちのひとつは,当初期待していたキャッシュの回収が見込めず,結果的に過剰投資となってしまった場合である。もうひとつは,当初の予定通りにキャッシュの回収が進められているものの,固定資産がキャッシュに転化する速さにくらべて減価償却が遅れており,結果的に簿価が過大となっている場合である。後者は投資プロジェクトに係る収益性の低下ではなく,もっぱら償却不足によって生じた簿価の超過ということができる。
上記ふたつのケースのうち,「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手段」と意義づけた減損処理によって簿価を引き下げなければならないのは前者だけである。そうなると減損処理が必要なケースと償却不足の取り戻しという形で対応すべきケースとを区分するためには,ほんらい,償却不足(あるいは過剰償却)の事実が判明したとき,ただちに償却の遅れ(あるいは償却の超過)を修正し,「償却の速さ」にてらして「正しい簿価」まで簿価を切り下げる(あるいは切り上げる)手続が,減損処理に先立って要求されなければならない。償却不足を取り戻す手続が完了しているにもかかわらず,なお未償却残高としての簿価が投資の価値を超過しているとすれば,その原因は収益力の低下にしか求められないこととなる。
しかし日本の現行ルールにおいては,過年度損益修正という形で償却不足を取り戻す手続が必ずしも求められていない3。つまり現行ルールでは,たとえ償却不足の事実が判明しても,減損損失とは異質な手続として簿価を切り下げ,前期損益修正損益を計上するようなことは,積極的には行われない。このような制約のもとで減損処理を行おうとすれば,ほんらい前期損益修正損益として対応すべき償却不足分も減損損失に含め,簿価をまとめて切り下げるしかな【94頁】い。それは要するに,簿価が投資の価値を超過している場合は,原因のいかんにかかわらず(収益力の低下によらない場合も含めて),減損処理という形で簿価を切り下げる手続を意味する。これはまさしく,「固定資産の減損に関する会計基準」が指示している方法にほかならない。
ここで確かめたとおり,減損損失の具体的な認識・測定局面において,少なくとも外見上「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性」が評価されず,単に「簿価の回収可能性」が問われている主要な理由は,前者だけを問うことが技術的に困難なことに求められる。基本的な考え方と必ずしも首尾一貫しない認識・測定基準は「固定資産の減損に関する会計基準」にふたつの必ずしも首尾一貫しない思考を持ち込もうとした結果ではなく,減損会計基準では一貫して「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性」が問われているという解説がみられる。本稿ではこの解説をさしあたり受け入れることとしたい。
先に確かめたとおり,本稿の趣旨は,現行ルールを支える基礎概念にてらして固定資産の減損処理が整合的なものといえるかどうかである。その観点から次に問われるべきは,減損処理の論拠とされている「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価する考え方」が減損以外のどこに,どのような形で現れているのかであろう。上記の考え方に支えられた手続が多く見出されれば,その考え方から導かれてくる固定資産の減損処理を,現行ルールの体系と整合的なものと意義づけられることとなる。次項ではこの点に考察を進めたい。
(2) 投資期間全体を通じた回収可能性を評価する考え方の存否—簿価切り下げの手続を中心として—
@臨時償却と商法上の減損規定
日本の会計ルールは,正規の減価償却手続の枠外で固定資産の簿価を切り下げる手続について,包括的な規定を持っていない。旧来の商法は第34条第2項において「固定資産ニ付テハ其ノ取得価額又ハ製作価額ヲ附シ毎年一回一定ノ時期,会社ニ在リテハ毎決算期ニ相当ノ償却ヲ為シ予測スルコト能ハザル減損ガ生ジタルトキハ相当ノ減額ヲ為スコトヲ要ス」と定めており,また「企業会計と関係諸法令との調整に関する連続意見書第三」が臨時償却の必要を説いているのが4,追加的な簿価切り下げに関する規定のすべてといってよい5。
上記の規定はいずれも,経済環境の予期しえない変化(とりわけ悪化)により当初の計画どおりの利用が困難となった固定資産について,失われた価値にみあう簿価の切り下げを求めている。価値が失われたかどうかは,問題となっている固定資産から回収可能なキャッシュに依存している以上,商法の減損規定や企業会計における臨時償却が(少なくとも間接的な形で)回収可能性を評価するための手続であることは事実である。
しかしそのことからただちに,これらの規定を,投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手続と意義づけることはできない。そういいきれない理由は以下のとおりである。
第一に,簿価切り下げの契機として「連続意見書」などが挙げているのは,回収可能性の低下を引き起こしうる事象の一部だけであり,そのすべてを網羅しているとはいえない。例えば「連続意見書」では,臨時償却が必要となる主要な理由として,外的な要因による物理的な劣【95頁】化が挙げられている。これが回収可能額の低下に結びつきうるのは事実だが,消費者の嗜好の変化などによっても回収可能額の下落は起こりうる。回収可能額の低下と結びつきうる事象の一部だけが簿価切り下げの契機として強調されているのであれば,「連続意見書」において「投資期間全体を通じた投資額の回収可能額の下落」が簿価切り下げの直接的な契機と考えられていない可能性も残る。
第二に,かりに投下資金の回収可能性を評価しようとする考えが商法上の減損規定や企業会計における臨時償却の手続に認められるとしても,そこでいう「回収可能性の評価」が投資期間の全体に係る回収総額についての評価かどうかは定かでない。例えば投資期間の初期に多額の資金回収が予定されているプロジェクトの場合,プロジェクトに要求される資本のコストを含め,投下資金の事実上すべてを予定通りに回収し終えた後,なお操業が続けられているような事態を想定できる。このような状態のプロジェクトに関する固定資産にも陳腐化は起こりうるのであり,それが生じた場合は「連続意見書」にもとづき臨時償却の手続が求められることとなる。そのような形で生じた陳腐化は「投資期間全体を通じた投資額の回収可能性」の低下と必ずしも直結していない。つまり臨時償却を単に「簿価の回収可能性」を評価するための手続と解釈する余地も残されているのである。
実際,「連続意見書」においては,臨時償却に関する記述に続き,償却ペースに関する見積もりを誤った場合の前期損益修正についての記述がみられる。文理解釈上,そこで臨時償却は,償却不足(あるいは過剰償却)の事実が判明した場合に求められる修正手続の一形態と位置づけられる。償却不足は,投資額(の一部)が収益の獲得に貢献し,固定資産がキャッシュへと転化したにもかかわらず,減価償却費の計上という形でその事実を損益計算に反映させるのが遅れた場合に生じる。その事態を修正するための手続は,原初投資額のうち収益に貢献しないまま価値を失ってしまった部分を切り捨てるための減損処理とは異質であろう。
ここで確かめたとおり,正規の減価償却手続の枠外で固定資産簿価の追加的な切り下げを要求する臨時償却などの規定は,減損処理と類似している側面も有しているものの,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手続とはいいきれない。現行ルールは減損処理の導入以前から,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価する考え方に支えられていたというシナリオを裏づけるような事実は,これまでのところ見出せないといってよい。
A棚卸資産の低価基準
売却処分前の事業資産について簿価を切り下げる手続としては,棚卸資産に適用される低価基準が知られている。これは棚卸資産の時価がその簿価(取得原価)を下回ったときに簿価を時価まで切り下げ,それにみあう損失を計上する手続である。時価の下落は収益力の低下と関連しうることから,棚卸資産の低価基準は固定資産の減損処理と等質的な側面を有している可能性がある。とりわけ投資期間全体を通じた回収可能性を評価する考え方によって低価基準を論拠づけられれば,固定資産の減損処理は,現行ルールを旧来から支えてきたその考え方を固定資産に適用したものと意義づけられることとなる。はたしてそう言いうるのであろうか。
低価基準の論拠として最もよく知られているもののひとつは,予想される売却損失を早期に計上しようとする保守的な思考である。売れ残りのおそれがあり,かつ営業努力に応じてより良い条件での販売が期待できる棚卸資産の場合は,ほんらい,実際に販売を完了するまで投資の成果が得られたとはいえない。とすれば,売却前の棚卸資産から暫定的な成果をとらえる必要はない。しかし企業会計では伝統的に保守的な会計処理が尊重されてきたという事実認識が【96頁】あり,そのような認識のもとでは,特段の反論がないかぎり,実務で受け入れられている慣習を踏襲することにも一定の合理性が認められることとなる。日本の現行ルールは,このような立場から,低価基準を容認規定にとどめている。
こう解釈した低価基準は,少なくとも直接的には,投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手続ではない。近い将来に予想される売却損失を先取りするための手続と意義づけられた低価基準では,過去から現在に至るまでの経緯にかかわらず,もっぱら将来の損益だけが問われることとなる。原初投資額のうち,キャッシュフローを生み出さないという意味で過剰となってしまった部分を切り捨てようとする発想(すなわち投資期間全体を通じた回収可能性を評価しようとする発想)は,そこには認められない。
もし低価基準が投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手続とみなされているのであれば,「取得時点に遡って見積もり直した棚卸資産の価値」と取得原価との対比をつうじて減損処理の要否が判断されることとなる。実際には,そのような手続は現行ルールで求められていない。もちろん,「取得時点に遡って見積もり直した棚卸資産の価値」の見積もりは困難でありうる。その場合,現時点の時価で「取得時点に遡って見積もり直した棚卸資産の価値」を代用することも考えられる。簿価と現時点の時価との比較をそのような趣旨で行う旨の記述が存在するのなら,投資期間全体を通じた回収可能性を評価しようとする発想にひきつけて低価基準を解釈することも可能となる。
しかし現行ルールのもとで簿価と対比される「現在の時価」は,むしろ「将来の売却収入(すなわち売却時点における時価)」のサロゲートとみなされている。現行の低価基準では,投資期間の全体を通じた投資の回収可能性が問題なら関心が寄せられるはずの「過去から現在に至る経緯」より,むしろ現在の簿価と将来の予想売却収入との関係が問われている6。
また現行の低価基準においては,いわゆる洗替え法に加えて切放し法も認められている。かりに低価基準が投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手続であれば,「取得時点に遡って見積もり直した棚卸資産の価値」のサロゲートとしての時価が反騰した場合は,いったん計上した評価損の取り消しが必要となる。つまり洗替え法の適用が求められることとなる。原初投資額の回収可能性は,結果的に損なわれなかったことになるからである。にもかかわらず切放し法が容認されているのは,低価基準が必ずしも投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手続とみなされていないためであろう7。
ここで確かめたとおり,棚卸資産に関する低価基準も固定資産の減損処理と類似している側面を有しているものの,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手続とはいいきれない。現行ルールは減損処理の導入以前から,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価する考え方に支えられていたというシナリオを裏づけるような事実は,ここでも見出せなかったこととなる8。
【97頁】B品質低下や陳腐化などによる評価損
売却処分前の事業資産について簿価を切り下げる手続としては,低価基準のほかにも,棚卸資産に適用される陳腐化評価損などが知られている9。これは棚卸資産に損傷・品質低下等の原因による物質的な欠陥が生じたり,陳腐化等の原因による経済的な欠陥が生じたりした棚卸資産について,欠陥の生じた状態において新たに取得すると仮定した場合の取得価額(すなわち再調達原価)まで簿価を切り下げ,それにみあう損失を計上する手続である10。欠陥の発生も収益力の低下と関連しうることから,棚卸資産の低価基準と同様に,この手続も固定資産の減損処理と等質的な側面を有している可能性がある。はたしてそう言いうるのであろうか。
陳腐化等による評価損は,直前に確かめたとおり,欠陥が生じた状態において新たに購入すると仮定した場合の取得価額と簿価との比較をつうじて計上される。つまり再調達原価にてらして簿価切り下げの要否が判断されている。そのような会計処理の背後には,陳腐化等の前後で(外形上は)同一の棚卸資産を保有し続けているものの,陳腐化等をつうじて保有中の棚卸資産は変質しており,実質的には同一の資産を保有し続けているとはいえないという事実認識がある。以前から保有していた棚卸資産は事実上消滅し,これに代わって欠陥品に関する新たな投資が開始されたとみるのである。事実をこうとらえれば,旧来の投資に関する未回収の資金と新たな投資額との差にみあう損失が生じることとなる。
こう理解した陳腐化等に伴う評価損は,投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手続とはみなせない。原初投資額のうちキャッシュフローの獲得に貢献しないことが事後的に判明した部分を過剰投資として切り捨てるのが,投資期間全体を通じた回収可能性が損なわれた場合に求められる手続といえるが,このような簿価切り下げを行う場合は,簿価切り下げの前後で旧来からの投資が(収益性の低下にもかかわらず)継続しているという事実認識が前提となる。これまで実行してきた投資の中断と新たな投資への着手が簿価切り下げの前後に行われているのであれば,もはや簿価切り下げの前後を同一の投資が継続している期間とはみなせない。そう考えれば,陳腐化等に伴う評価損の存在も,投資期間全体を通じた回収可能性を評価する必要が伝統的に受け入れられてきたというシナリオを支持する論拠にはなりえないであろう11。
C小括
ここでは固定資産の減損処理以外に目を向けたとき,投資期間全体を通じた回収可能性を評価する考え方がどこに,どういう形で存在しているのか検討してきた。主たる検討対象は,固定資産や棚卸資産に関する明文化された簿価切り下げのルールであった。
一連の考察からすると,投資期間全体を通じた回収可能性を評価する考え方に現行ルールが旧来から支えられてきた可能性は,積極的には否定されない。検討対象とした簿価切り下げの【98頁】ルールはいずれも,一定の留保条件のもとでは,投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手段と意義づけることもできる。とはいえ,簿価切り下げのルールをそのように意義づけた場合は,それぞれの局面で要求されている具体的な測定操作を矛盾なく説明することが困難となる。
さらにいうと,ここで考察した簿価切り下げのルールは,投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手段としか意義づけられないものではない。固定資産の減損処理が導入される以前から存在していたルールには,上記以外の解釈も与えうる。複数の解釈が並存する中で,投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手段という解釈の優位を示すためには,この解釈でしか説明できない事象を見出すことが必要となる。しかし実際には,固定資産の臨時償却費にせよ,棚卸資産の低価評価損や陳腐化・不適応化に伴う評価損にせよ,上記のような解釈としか整合しないものではない。これまでの考察によるかぎり,企業会計が減損処理の導入以前から,投資期間全体を通じた回収可能性を評価するための手続を有していたと主張するのは難しいであろう。
もっとも,たとえ投資期間全体を通じた回収可能性を評価する手続が他の会計基準に見出せないとしても,そのことからただちに,伝統的なルールの体系が固定資産の減損処理を許容しないという結論が引き出されるわけではない。例えば,投資期間の全体を通じた回収可能性を評価する必要性が,現行ルールを支えている何らかの抽象的な基礎概念から演繹的に導かれてくるのであれば,たとえ具体的な測定操作の次元では現行ルールが許容してこなかった新奇な手続が求められることになったとしても,その手続が必要とされる理由の次元では伝統的なルールの体系との整合性が保たれることもありうるからである。
こうしたことから,次節では,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価することの意味を確認する。その考察結果をふまえて,現行企業会計を支える基本理念との整合性という観点から,固定資産に係る減損処理の意義を確かめ直してみたい。
V 企業価値の推定と固定資産の減損処理
(1) 財務報告の目的と持続可能な利益の予測
証券市場において大規模な資金調達を行っている企業の財務報告には,主として投資家の意思決定に有用な情報の提供という役割が期待されている。投資家は証券市場で形成されている株価と企業の価値とを対比し,割安あるいは割高に価格形成されている株式を見出し,売買を行う。この企業価値(ファンダメンタル・バリュー)を推定する際,企業会計上の利益は投資【99頁】家にとって有用な情報を提供しうることが知られている。
企業の価値は,それぞれの企業が生み出す将来キャッシュフローの割引現在価値として求められる。ただ将来キャッシュフローの流列を直接的に見積もるのは困難であるため,関連する情報による間接的な企業価値の推定が求められることとなる。そのような推定方法のひとつに,貸借対照表における純資産の簿価と超過リターンに着目した残余利益モデルがある。そこでは,いわゆるクリーン・サープラスの制約が満たされる限りにおいて,純資産の簿価と会計上の超過リターンの割引現在価値を用いれば企業価値を推定できることが知られている。会計情報の有用性は単なる神話ではなく,ファンダメンタル価値に着目する投資家にとって有用でありうることが,残余利益モデルをつうじて確かめられている。
残余利益モデルが有する特徴のひとつとして,キャッシュフローを伴わない会計上の操作(資産の過大計上や過少計上など)が企業価値の推定に影響を及ぼさないことはよく知られている。例えば当期の利益を水増し計上するような利益操作は,資産の過大計上をもたらし,それが結果的に将来の超過利潤を減少させる。当期における利益水増しの影響は,将来における利益の圧縮により相殺されてしまう。つまり経営者が会計上の操作によって投資家による企業価値予測のプロセスに影響を及ぼそうとしても,将来事象が広く知られているかぎりにおいて,そのような試みは功を奏しないのである。
この事実は,固定資産をいつ,なぜ,どのように切り下げなければならないのかという当面の検討課題にも深く関わってくる。上記のことから明らかなように,会計操作の一例である減損処理を行うかどうか(あるいは,どのような形で減損処理を行うのか)は,単純な想定のもとでは,残余利益モデルをつうじた企業価値の推定には影響を与えない。
もっとも,上記のようにいいうるのは,超過リターンの流列を遠い将来まで正確に見通せる場合に限られる。残余利益モデルなどを用いた実際の企業価値推定においては,比較的正確な推定が可能な近い将来とそれ以降の期間とを区分し,後者については超過リターンの成長について一定の仮定を設けたうえで,超過利益と純資産簿価(の推移)を見積もることが多いようである。つまり残余利益モデルを用いた実際の企業価値予測においては,将来に関する限定された情報しか与えられていない。そのような状況では,利益情報がどのような形で提供されるのかに応じて投資家が獲得しうる情報も変化する。そこでは固定資産について減損処理を行うかどうか(かりに減損処理を行うとしたとき,どのようなタイミングで簿価をどれだけ切り下げるのか)も,企業価値の推定に影響を及ぼす可能性がある。
残余利益モデルなどによって企業価値を推定するために,将来における会計上の超過リターンや純資産簿価の推移を見積もる際,実績値としての利益情報は重要な参照対象として機能するであろう。その際に有用でありうるのは,事実に裏づけられた投資の成果としての性質を有する利益の総体であり,その一部だけではない。クリーン・サープラスの制約が満たされなければ残余利益モデルは機能しないことから,事実に裏づけられた投資の成果は,すべて利益(損益計算書末尾の純利益)に反映されなければならない。
もっとも,そのことは,総体としての純利益を区分表示することを妨げない。むしろ総体としての利益が漏れなく純利益に反映されているかぎり,利益を一過性の(あるいは臨時の)要素と将来も持続可能な要素に区分することをつうじて,利益情報の有用性はいっそう高められる可能性がある。というのも,残余利益モデルで用いられる利益は将来の予測値だからである。今後も繰り返される予定の活動に関する実績値としての成果と,再度実行する見込みのない活【100頁】動に関する実績値としての成果が,将来予測に際し異質な形で用いられるのは明らかであろう。
もちろん,利益を一過性の要素と持続可能な要素に区分することが重要だとしても,そのことからただちに,損益計算書上で両者を区分表示すべしという結論が導かれるわけではない。両者の区分が投資家独自の分析をつうじて容易に実行可能なら,利益情報を提供する際,一過性の成果と持続可能な成果を区分する工夫は必要ないかもしれない。しかし実際には,上記ふたつの成果が公表利益において混在しているとき,それを投資家が独自により分けるのは(特別な補足情報が提供されないかぎり)困難であろう。とすれば,企業活動をより良く知っている経営者の側で持続可能な要素と一過性の要素を区分表示し,投資家の分析を円滑ならしめるような形で利益を報告すれば,利益情報の有用性は高まりうることとなる。
改めて考えてみれば,減損損失は,原初投資額のうち将来キャッシュフローへの貢献が期待できなくなった部分を切り捨てるために計上される。その手続は,今後繰り返される見込みのない投資活動に伴う損失の要素を抽出し,今後も反復される活動の成果から切り離すための手段と密接に関わっているようにみえる。もしそのように意義づけられるのであれば,減損処理を要求することによって利益情報の有用性は高められうることとなる。はたして減損処理は,一過性の成果と持続可能な成果を区分するための手段として意義づけられるのであろうか。
(2) 持続可能な利益の予測と固定資産の減損処理
@減損処理と「繰り返す予定のない投資」の峻別
現行ルールで求められている減損処理は,投資期間全体をつうじた回収可能額の低下を契機として,原初投資額のうちキャッシュフローへの貢献が期待できなくなった部分を切り捨てるための手続である。つまり減損処理を要求すれば,収益力が低下した投資プロジェクトの成果と,十分なキャッシュフローを生み出しているプロジェクトの成果を(完全にではないが,少なくとも部分的に)区分把握できるようになる12。これに対し,いま企業価値予測の観点から必要とされているのは,繰り返される見通しの投資プロジェクトに係る成果と中断する予定のプロジェクトに係る成果の区分である。前者が直接には収益性を問題としているのに対し,後者で直接的に問われているのは投資プロジェクト(あるいはプロジェクトに係る成果)の持続可能性であり,少なくとも外形上,両者は同一とはいえない。
そうなると減損処理が持続可能な利益の抽出に資するためには,再度実行される予定のない投資プロジェクトが減損処理の対象となり,再投資が予定されているプロジェクトはその対象外となることが必要である。言い換えれば,減損処理の対象となったにもかかわらず繰り返される予定の投資プロジェクトや,減損処理の対象とならぬまま中断・清算されるようなプロジェクトの存否が問われることとなる。はたして投資プロジェクトの収益性と再投資に関する意思決定との間に一対一の対応関係を見出せるのであろうか。
【101頁】上記の結論は,減損損失の認識基準や測定基準と関わっている。例えば投資期間全体をつうじた利回りが資本のコストに満たなくなったときに収益力が低下したとみなし,減損処理を行うことにすれば,減損処理の対象となったプロジェクトのすべてを,再投資が予定されていないプロジェクトと対応させることができる。資本のコストさえ生み出せないようなプロジェクトが実行されないのは明らかであろう。
ただ,上記のような形で減損処理を計上することにした場合,資本のコストを超えるような収益を生み出しているプロジェクトは減損処理の適用外となる。このとき,もし資本のコストを超えるような収益を生み出しているプロジェクトを再投資の予定があるプロジェクトといいうるのであれば,減損処理の要否と再投資の予定の有無とが一対一に対応することとなる。しかし実際には,このような対応関係は必ずしも保証されない。資本のコストを超えるような収益を生み出しながら,再度実行されることのない投資プロジェクトを想定することができるからである。
例えば,プロジェクトの実行にとって汎用性のない資源が不可欠で,かつその補充が困難な資源を最初のプロジェクトで消費し尽くしてしまったケースが考えられる。このとき,以前とまったく同様のプロジェクトを再度実行することが技術的に困難であるがゆえに,収益性のいかんに関わらず再投資は行われない。また,より多くの超過リターンを期待できる投資プロジェクトが新たに見出された場合も,たとえ既存のプロジェクトが資本のコストを超えるような収益を生み出しているとしても,その再投資は行われないことなる。こう考えると,たとえ減損損失の認識基準や測定基準を工夫しても,減損処理の要否と再投資の予定の有無とを完全に対応させることはできない。そのような工夫には限界がある。
もっとも,減損処理の要否と再投資の予定の有無とが完全には一致しないケースとして先に採り上げたものが,減損処理を導入することの意味を失わせてしまうほど深刻な問題を実際に引き起こすかどうかとなると,話は違ってくる。
例えば先に掲げた第一のケースの場合は,「消費し尽くしてしまった,補充の困難な資源」と代替関係にある資源が見出せれば,(同一ではないにせよ)類似した収益を期待しうる,以前と等質的なプロジェクトが可能となる。その点を考慮すれば,超過リターンの源泉となっている資源に何らかの転用可能性が存在する限り,いま実行しているプロジェクトから得られている利益の情報は,このケースにおいても,形を変えて今後も持続的に獲得しうる超過リターンを予測するうえで有用な情報となりうる。つまりこのケースで生み出された成果は,たとえプロジェクト自体は一過性だとしても,持続可能な利益に含めたほうがよいとも考えられるのである。
また第二のケースについても,次のように考えることができる。すなわち,より多くの超過リターンを期待できる代替案が見出された場合も,その源泉となっている企業の資源は短期的には大きく変動させられない。とすれば,たとえより多くの成果を期待しうるものへとプロジェクトの内容が変質しても,いま実行しているプロジェクトから得た成果に関する実績値の情報は,新たな,より優れたプロジェクトから期待される成果を予測するのに依然として有用でありうる。とすれば,ここでも,再投資が予定されていないプロジェクトの成果を,にもかかわらず持続可能な利益の要素に含めたほうがよいという結論を引き出しうることとなる。
以上のように考えれば,減損損失の認識規準や測定基準を適切に設定するかぎり,減損処理の要否と再投資の予定の有無とを事実上一対一に対応させることができる。言い換えれば,減【102頁】損処理を適用することにより,再度実行する予定のない投資に関する負の成果を,今後も繰り返される予定の投資に関する成果から切り離すことができる。企業活動について経営者ほど十分な情報を持たない投資家に代わって,経営者が上記ふたつの成果を区分すれば,利益情報の有用性が高まる可能性こともありうるのである。
なお上記の結論は,資本のコストを超えるようなリターンが得られるかどうかで減損処理の要否を判断した場合に得られたものであったが,厳密にいえば,そこでいう「資本のコストを超えるようなリターンが得られるかどうか」は,投資期間の全体をつうじて獲得されるキャッシュフローと原初投資額との対比で決定される。減損時点以降だけに予想されるリターンではなく,既に回収済みのキャッシュフローも含めた投資期間全体のリターンと,資本のコストとが対比されるのである。
投資の簿価に対するリターンは,投資期間にわたり一定とは限らない。短期的には,投資の利回りが正常なリターンを下回るような事態も起こりうる。しかし全体として正常なリターンを超える成果が期待されているかぎり,一時的な利回りの低迷は投資の失敗を意味しない。たとえ投資期間中の特定時点において,その時点以降のキャッシュフロー(およびその時点の投資簿価)から求めた投資の利回りが正常なリターンに満たなかったとしても,それ以前に回収済みのキャッシュフローをも考慮して求めた「投資期間全体としての利回り」が正常なリターンを超過していれば,その投資は再度実行するのに値するものといえる。簿価の切り下げはそのようなケース以外で求められることとなる。
繰り返し確かめているように,日本の「減損会計基準」はまさしく,減損処理を,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手段と位置づけている。これに対し国際的には,減損時点以降の期間に期待されるキャッシュフローとの関係によって切り下げの要否を判断する見解が支配的となっている。にもかかわらず,日本の「減損会計基準」が投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手段として減損処理を位置づけている点は,持続可能な利益の抽出をつうじて利益情報の有用性を高めようとする観点から注目に値しよう。
A切り下げ額の大きさ
先に確認したとおり,資本のコストを超えるような成果が期待できるかどうかで減損処理の要否を判断すれば,減損処理の導入をつうじて,持続可能な投資の成果と一過性の成果の区分が投資家によって容易となりうる。そうなると次に問われるのは,上記のような手段と位置づけた減損処理において,簿価をどれだけ切り下げるべきかである。投資プロジェクトの期間全体をつうじた成果の総額は,会計上の操作にかかわらず外生的に決められる。その成果総額(より正確には,そのうち減損処理を実行するまでに実現した部分を除く)を(a)減損損失と(b)減損処理以降の利益(通常の報告利益に含まれる部分)とにどう区分するのかが,ここで問題となる。
減損処理の対象となった投資プロジェクトが(にもかかわらず)実行し続けられるのは,プロジェクトを実行した場合に期待されるキャッシュフローの割引現在価値(いわゆる利用価値)が,プロジェクトに拘束されている資産の売却価値を超過していると考えられるからである。そこでいう利用価値は,プロジェクトに要求される資本のコストで将来キャッシュフローを割【103頁】り引いて求められる。この事実が示唆するように,プロジェクトとして実行し続ける限り,減損処理の対象となるようなプロジェクトについても,少なくとも資本のコストにみあうリターンは要求される13。減損が生じたにもかかわらず実行し続けているプロジェクトについて事後的な成果をとらえる場合,この事実を考慮しなければならない。
他方,減損処理の対象となっている投資プロジェクトは,期間全体をつうじて資本のコストに満たないリターンしか獲得できない見通しが既に明らかとなっている。とすれば,減損の事実が判明した時点以降の期間利益には,(たとえ期待どおりの成果が実現しても)資本のコスト以下のリターンしか反映されないのが望ましい。全体として超過リターンが期待できないプロジェクトであることが明らかとなったにもかかわらず,減損以降の期間利益に超過リターンが反映されるような水準まで簿価が切り下げられたとすれば,それは過大な切り下げといってよい。将来キャッシュフローを与件としたとき,会計上の期間損益(総額)はその将来キャッシュフローを生み出すストックの当初評価に依存する。資本のコストを超えるような利益が減損以降の期間に反映されないようにするためには,減損時点の簿価修正において,投資簿価の切り下げ額を利用価値までにとどめればよい。
以上の議論からすれば,減損の事実が判明したにもかかわらず投資プロジェクトを実行し続けている事実と首尾一貫した利益計算を行おうとすれば,減損以降の期間にちょうど資本のコストにみあう利益が配分されるような形で,投資の簿価を修正しなければならない。これは投資の簿価を利用価値まで切り下げることにほかならない。つまり収益力の低下によって持続可能な利益の源泉たりえなくなった投資に減損処理を適用する場合,従来の投資簿価とその利用価値の差額にみあう損失の計上が求められることとなる。このような切り下げを行えば,減損以降の利益には正常なリターンだけが反映される。このような特徴を有する利益は,減損が生じたプロジェクトが企業価値の増加に寄与していない事実と首尾一貫したものといえるであろう。
(3) 持続可能な利益の予測に資する会計処理への要求
—減損以外のケース—
前項で確かめたとおり,固定資産の減損処理は,持続可能な利益の予測に資することをつうじて,投資家の意思決定により有用な情報の提供に貢献しうる手続と意義づけられる。固定資産の減損処理は,「財務報告の基本目的」の達成手段として意味を持ちうることが確かめられたのである。
そうなると次に問われるのは,持続可能な要素の予測に資する形で利益を計算・開示しようとする発想が,固定資産の減損処理というローカルな局面のみならず,それ以外の局面にも見出せるかどうかである。かりに減損処理以外の局面においてもそのような発想が見出せるのであれば,減損処理はその意味でも,現行ルールの体系と整合的な手続と意義づけられることとなる。はたして「持続可能な利益の予測への貢献」という発想に支えられた手続を固定資産の減損処理以外の局面で見出すことは可能であろうか。
【104頁】「持続可能な利益の予測への貢献」という観点から支持しうる手続としては,損益計算書における特別項目の区分掲記が最も典型的であろう。よく知られているように,日本の損益計算書においては,経常利益までに属する項目と,特別利益・特別損失に属する項目の区分掲記が求められている。これは反復的・継続的に生じる「正常な活動の成果」と一過性で臨時の活動による成果とをより分けたほうが,より有用な情報を提供しうるという判断にもとづく区分と考えられる。
もちろん,経常利益に反映される成果が「今後も繰り返される予定の投資プロジェクトに係る成果」と,特別利益や特別損失が「今回限りで中断される予定の投資プロジェクトに係る成果」と,それぞれ一対一に対応しているわけではない。特別利益や特別損失に反映されるのは,実際に投資を中断した場合に計上される処分損益やこれまで議論してきた減損損失などに過ぎない。経常利益に含まれる項目と含まれない項目は,「損益の発生が反復的か,それとも一過性か」という観点から区分されているのであって,損益を生み出す投資が反復的か,それとも中断予定なのかと直接的に対応しているのではない。
とはいえ,一過性の事象の成果と反復的な活動の成果に違いを認め,両者を区分しようとしている点で,損益計算書の様式(損益計算書における区分掲記)を支えている考え方と,固定資産の減損処理を導く「持続可能な利益の要素をより分けようとする発想」とが等質的な側面を有しているのも事実である。反復的な投資に係る成果と,一過性の投資に係る成果を区分しようとする発想は,その意味で,以前から受け入れられているものであり,減損処理はその「伝統的に受け入れられてきた基礎概念」と整合的な処理と意義づけられるであろう14。
W おわりに
(1) 要約
本稿の主要な検討課題は,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手段と意義づけられる固定資産の減損処理が,現行ルールの体系と整合的な手続かどうかであった。この観点から第2節では,現行ルールが要求している手続のうち固定資産の減損処理と類似しているもの(追加的な簿価切り下げの手続)の中に,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手段と意義づけられるものがないかどうかを確かめた。
一連の議論によれば,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手段と意義づけられるような手続は,固定資産の減損処理以外に見出せなかった。もちろん,固定資産の減損処理と類似している簿価切り下げの手続(低価基準など)の中には,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手段という解釈と「結果的に」整合させられるものも含まれている。しかし低価基準などを減損処理と等質的な手続と解釈したとしても,伝統的な形で解釈したとき(予想される売却損失の早期計上など)とくらべて,現行ルールの体系性をより良く説明できるわけではない。投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価するための手段が,以前から必要とされていたと考えるのは困難であろう。
【105頁】はたして固定資産の減損処理は,会計ルールの体系を支えてきた基礎概念では説明できない新奇な手続なのであろうか。この点を確かめるため,第3節では,投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価する手続が,現在広く合意されている財務報告の目的をより良く達成するための手段として,どのように貢献しうるのかを検討した。
投資家の意思決定に有用な情報の提供という,財務報告に期待されている役割のひとつを果たすためには,実績値としての利益を報告する際,次期以降も引き続き獲得しうる,その意味で持続可能な成果と,次期以降に繰り返す予定のない,その意味で一過性の成果を区分するのが有用と考えられる15。いま投資期間全体を通じた投資額の回収可能性を評価し,十分な資金の回収が見込まれる「成功した投資の成果」と,正常なリターンに満たない資金回収しか期待できなくなった「失敗した投資の成果」を区分すれば,その区分は,「持続可能な成果」と「一過性の成果」との区分と密接に関わるものとなる。つまり固定資産の減損処理は,持続可能な利益の予測という目的達成のための,整合的な手段と意義づけられる。
上記のように考えれば,固定資産の減損処理は,投資家の意思決定に有用な情報の提供という観点から体系化されている現行ルールと整合的な手続と意味づけることができる。同列に置かれる個別の会計基準との整合性という観点から減損処理を意味づけるのは困難であったが,現行ルールを支えているより上位で抽象的な基礎概念を参照対象とすれば,減損処理を現行ルールの体系と整合的なものと意味づけることも可能となる。これが一連の議論から導かれてきた最も重要な含意であった。
(2) 残された検討課題
本稿では,実績値としての利益から持続可能な要素を抽出することをつうじて,将来のキャッシュフローにもとづく企業価値を予測する際に,固定資産の減損処理が果たしうる役割を解き明かした。投資家の意思決定に有用な情報の提供という観点から減損会計が果たしうる役割については先行研究も存在し16,減損損失やそれに類似した固定資産評価損の情報に対する投資家の反応を解明した研究もみられる17。
その一方,減損損失の算定においては,経営者による主観的な将来キャッシュフローの見積もりなどが避けられない。本稿ではそのような問題を捨象してきたが,そこで捨象してきた問題を考えれば,減損処理の導入によって(たとえ持続可能な利益の予測に一定の貢献を果たすとしても)「総体として」投資家の意思決定により有用な情報が提供されるかどうかについては,さらに慎重な検討が必要といえる18。これが今後に残された第一の検討課題である。
本稿では,また,持続可能な要素と一過性の要素の区分に資するような形で,実績値としての利益情報を表示させるべしとしてきた。つまり企業活動に関する情報を十分に有しない投資家に代わって,自己の見積もりにもとづく情報を開示するように経営者を促すべし,と考えて【106頁】きたのである。
持続可能な要素と一過性の要素の経営者による区分が望ましいとした場合,いま行われている利益の計算と開示には,減損処理の導入以外にも改善の余地が残されている。今後このような改善に資する形で会計ルールの新設・改廃がさらに進めば,固定資産の減損処理もそのような流れの中で導入されたというシナリオが現実離れしたものでないことは事後的に裏付けられることとなる。逆にそのような動きがみられなければ,翻って,持続可能な利益と一過性の利益の区分をつうじた,企業価値予測への貢献という観点から減損処理の導入を支持するのも困難となる。会計ルールがどのような形で新設・改廃されていくのかをみきわめることは,今後に残された第二の検討課題といえる。
上記のような観点から注目されるのは,棚卸資産の低価基準に関するルールの動向である。現在の低価基準においては,今後も反復される予定の商品に関する評価損と,収益性の低下ゆえ再調達が予定されていない商品に関する評価損とが区分されていない。しかし前者は持続可能な利益に関わる要素なのに対し,後者は一過性の要素であるから,減損処理の意味と必要性に関する本稿での議論にてらせば,両者は区分しなければならない。
より具体的にいうと,取得原価とくらべて売却価格が下落したものの,購買価格も同様に下落しているため,今後も商品売買から利益が生み出される見通しとなっているのが前者のケースである。これに対し,取得原価とくらべて売却価格が下落したものの,購買価格はそれほど下落せず,今後は商品売買から利益を生み出せなくなったのが後者のケースである。いま低価基準のありかたをめぐる議論が基準設定主体において進められている19。そこで現行の低価基準が抱えている上記のような問題についての提起がなされるかどうか,今後の推移を見守りたい20。
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