143頁】

 

競争環境への適合と戦略の変遷(1)

――自由化後のドイツ電力市場を事例として――

 

阿部 純、巽 直樹

 

【要旨】

本稿では,自由化という競争環境の変化に対応し,ドイツの電気事業者がいかなる視点から経営戦略を構築してきたのかについて,企業の「内」と「外」,さらに「内と外の相互作用」のいずれに着目するのかという視点と,競争優位について「価格面」か「非価格面」のどちらに着目するのかという視点の,2つの視点に基づき分析枠組みを構築し,考察を行った。その結果,競争開始により,一時的には,外(自由化)内(効率化・能力)外(競合動向・顧客動向)へと視点が重層的に変化するものの,「内」と「外」の両者を勘案した「相互作用」(創造的戦略構築)の視点が極めて重要となり,また,価格面から非価格面への大きな視点の変化があったことも明らかとなった。企業は,非価格面における「相互作用」に着目することにより,価格引下げ圧力から開放されると同時に,外部ニーズを自社内に取り込み,マネジメント・システムの刷新を行いつつ,より革新的なサービス・施策を実現可能とする。電気事業においても,外部との相互作用のプロセスの中で,より一層,創造的な戦略構築がなされていくべきだというのが,本稿における筆者らの基本的な主張である。

 

【目次】

1. はじめに

2. ドイツ電力市場の概要

3. 電力自由化の競争と戦略

 3.1 経営戦略と競争優位

 3.2 電力自由化プロセスへの適用

4. 価格競争の幕開け(第1期:1998年〜2000年)

 4.1 価格競争の進展

 4.2 価格競争の戦略的背景(以上,本号)

5. 価格競争の終結(第2期:2000年〜現在)

 5.1 寡占化と新規参入者の撤退

 5.2 電気料金上昇の戦略的意図

6. 議論と考察

7. まとめ

 

 

144頁】

1. はじめに

本稿では,自由化という競争環境の変化に対応し,ドイツの電気事業者がいかなる視点から経営戦略を構築してきたのかについて,考察を加えていく。ドイツ電力市場を取り上げる理由は,電力自由化という環境変化に伴い,同国電力市場において,価格競争や寡占化などによる市場構造の変化が,欧米電力市場の中でも最も劇的に展開され,電気事業者の戦略もこうした環境変化を反映して,鮮明に進化を遂げていると考えられるためである。

ドイツ電力市場では,1998年の全面自由化以降,2000年頃を境として競争環境と事業者の戦略に大きな変化が見られた。すなわち,第1期(1998年〜2000年)には,事業者は経営効率化に躍起になり,低価格競争が繰り広げられた。しかし,第2期(2000年〜現在)になると,価格競争は収束するとともに,新規参入者は相次いで倒産し,一次エネルギー価格や政策コスト(環境関連税等)の上昇などもあいまって,寡占化した大手事業者を中心に電気料金が値上がりの傾向を示した。低価格競争とその後の電気料金上昇の背景には,4大事業者を中心とする既存の電気事業者による戦略的な意図があったことが指摘されている

このようなドイツの電力自由化プロセスで現実に発生したさまざまな出来事のなかで,ドイツ電気事業者がどのような視点で戦略を構築してきたのかということを明らかにすることが本稿の基本的な目的である。そして伝統的な経営戦略論の枠組みを活用し,自由化後の電力市場にあてはめて検討することにより,より深い含意が得られるのではないかと考えている。

本稿において,電力自由化後のプロセスを分析するために,経営戦略論の枠組みを用いる理由は2つある。まず1つ目は,自由化前の独占の状態では競争が存在せず,戦略という言葉とはほとんど無縁であった電気事業者が,自由化開始後も生き延びていくための指針として,新たに経営戦略を策定する必要に迫られるという事情がある。しかも,経営戦略にはさまざまな論理が存在することから,複数の視点から経営戦略論の枠組みを用いて分析することにより,事業者の行動特性に対するより深い理解が可能になると筆者らは考えている。2つ目には,上記とも関連するが,競争が開始されて以降,業績を伸ばす電気事業者や倒産する電気事業者が出てくる中,経営戦略論の枠組みを用いることにより,何故このような業績の違いが発生するのかについて,より深く理解することが可能になるということがある。繰り返しになるが,本稿の目的は,価格競争の発生,新規参入者の撤退,寡占化などの現象が起こる中,電気事業者が競争環境において生き延びるためにいかなる視点から戦略を構築してきたのかをあきらかにすることにあり,そうした考察を行うことにより,競争環境下ではどのような視点を持つことが有効であるかについて何らかの示唆が得られるものと考えている。上記の2つの理由から,本稿では経営戦略論に基づいた考察を進めていくこととする。

次章以降の具体的な構成については以下の通りとなっている。第2章において,ドイツ電力市場を概観するとともに,第3章では,経営戦略と競争優位に関する先行研究を検討し,経営戦略論の枠組みを電力自由化プロセスへ適用したいくつかの研究についてもレビューを行い,本稿における分析枠組みの構築を試みる。第4章では,ドイツ電力市場において価格競争が発145頁】生した1998年から2000年までの動向を具体的なケースで検討するとともに,第5章では,2000年から現在までに発生した寡占化,新規参入者の撤退,電気料金の上昇傾向について,事業者の戦略的な視点も含めて考察する。第6章では,第3章で構築した分析枠組みを用いて,第4章と第5章のケースから導かれる戦略構築の視点の変化を考察する。そして,第7章では,本稿のまとめを行う。

 

2. ドイツ電力市場の概要

ドイツ電力市場には2004年末現在で約1,100社の電気事業者が存在し,このうち約900社は中小規模配電事業者(多くは公営)である。ドイツにおける電力供給体制は図−1の通りである。ドイツでは,英国などが実施した垂直統合型電気事業者を垂直分割する事業再編を実施しないまま,19984月より電力市場の全面自由化を開始した。電力自由化以降,大手電気事業者間の合併が相次ぎ(後述),自由化開始時点の8大事業者体制が,2005年末現在では4大グループ体制に移行している(図−2)。実際,4大グループは,総発電電力量(2004年)の約83%を占めるとともに,小売市場(2003年)でも約54を占めるなど,ドイツ電力市場において圧倒的な地位を保持している。このように大手事業者が市場を支配する構造は,ドイツ政府が望んだ構造であるとの指摘もある。すなわち,ドイツ政府は,4大グループ体制では,ロシア,ノルウェー,オランダの大規模ガス供給事業者との交渉における強力な地位を保持できるとともに,4大グループ間における競争も機能すると考えていた

 

146頁】

 

その一方で,約900社存在していた中小規模配電事業者は,自由化に伴って50150社へ激減するとの事前の予測もあったが,実際にはその多くが生き残り,健全な経営を行っている。それは,配電事業者同士が事業提携(マーケティング活動,発電,卸電力の調達等)を行いつつ,事業地域における従来からのブランドを活かして強固な経営基盤を確立しているところが大きい(後述)。

電力自由化以降のドイツ電力市場における大きな特徴の一つとして,電気料金の動向が挙げられる。後述するように,電気料金は,1998年の全面自由化後に大幅に下落したものの,2000年に底を打ち,それ以降,現在に至るまで値上がりが続いている。こうした料金動向の背景には,競争効果や需給動向に加え,環境関連の公租公課の増大,一次エネルギー価格の動向,さらに,CO2排出権価格の動向など複数の要素が絡み合っていることが考えられる。自由化された市場では,戦略的な意図も加わり,市場を取り巻くさまざまな要因によって電気料金は左右され,今後も不安定に変動することが予想される。

200471日以降,EU加盟各国では独立規制機関を設置することが「域内電力市場の共通規則及び指令(96/92/EC)の廃止に関する2003626日付欧州議会及び閣僚理事会指令(2003/54/EC)」(Directive 2003/54/EC of the European Parliament and of the Council of 26 June 2003 concerning common rules for the internal market in electricity and repealing Directive 96/92/EC, 以下,改正EU電力指令)により義務付けられていたが,ドイツでは送配電料金規制のあり方を巡る与野党間の対立等で議論が長引き,主要加盟国の中では唯一,独立規制機関を設置しない状況が続いていた。ドイツでは従来から,送配電線の利用料金を当事者(利用者と電気事業者)間147頁】で交渉により設定する制度である「交渉による系統アクセス制度」が採用され,ドイツ電気事業連合会(VDEW),ドイツ産業連盟(BDI),自家発連合会(VIK)の3団体による「協定書」に基づいて送配電料金の設定原則が定められてきた。しかし,このことが,EU域内でも最高部類の送配電料金を生み出し(図−3),供給事業者の新規参入の障害になっているとの指摘もあった。こうした中,2005713日,送配電料金に対する認可制の導入や,電気事業の独立規制機関の設立などを定めたエネルギー事業法(Gesetz über die Elektrizitäts- und Gasversorgung (Energiewirtschaftsgesetz- EnWG))の改正法が発効した。これにより独立規制機関として連邦系統規制庁(BNetzA)が新たに発足し,送配電料金の設定方法と利用条件を決定・変更する権限を担うこととなった。BNetzAが送配電料金規制に本腰をいれることにより,ネットワーク部門の公平性・透明性が高まり,事業者に対する送配電コストの削減圧力が強まる結果,割高と指摘されるドイツの送配電料金水準の低下につながる可能性がある。しかし,送配電料金が規制される結果,事業者には競争部門(発電・小売両部門)で利益を得ようとする動機が働き,電気料金の値下げには直ちにつながらないとの指摘もある。

 

 

ドイツ電力市場における顧客行動を見てみると,供給事業者変更率が50%を超えている英国などと比較して,家庭用顧客を中心に,供給事業者変更率は総じて低いことが指摘できる(図−4)。この背景として,ドイツ電気事業連合会(VDEW)では,ドイツでは顧客1軒当た148頁】りの停電時間が少なく,高い供給信頼度を誇っていることをベースとして,地元電気事業者に対する顧客のロイヤルティが総じて高いためであると述べている10。また,ドイツ電力市場における家庭用の顧客行動について研究を行ったKönig[2002]は,家庭用市場でも価格競争が始まった19998月時点では,約64%の家庭用顧客が供給事業者を変更したいと回答するとともに,約30%が高い確率で変更すると答えていたことを明らかにしている。しかし,200011月の段階では,わずか4%の家庭用顧客しか実際に供給事業者を変更していなかった(図−5)。このことについてKönigは,家庭用及び小規模事業者向けの市場では,価格がすべてではなく,供給事業者の評判や顧客側の事業者変更に伴う心理的コストも考慮する必要があることを指摘している11

なお本稿のベースとなっている阿部[2005]の研究において,ドイツの電気事業者の戦略構築の視点に関して,規制下時代から保持している市場における優位なポジション(外の視点)をベースとしつつ,「低コスト」や「サービス」などの組織内の能力(「内」の視点)に着目して優位性を図る戦略を相次いで取り入れてきたと説明した。すなわち,「『内』か『外』の一方に片寄るのではなく,ドイツ電気事業者が,その双方のバランスの中に自社の優位性を模索してきた」ことを明らかにした12

 

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3. 電力自由化の競争と戦略

前章で見てきたようなドイツ電力市場で起こったさまざまな出来事は,経営戦略論の枠組みを活用することにより,より深い理解が可能になると考えられる。そこで本章では,前半で経営戦略や競争優位に関する理論研究について簡単なレビューを行い,後半で電力自由化への適用に関する先行研究をいくつか検討する。そして最後に本稿での分析枠組みの構築を試みる。

 

3.1 経営戦略と競争優位

3.1.1 経営戦略の概念

経営戦略とは捉えどころのない概念である。戦略形成についてさまざまな論が展開されているが,それらは戦略形成の一部分を捉えているに過ぎないとして,Mintzberg [1987]は,戦略の概念を5つの類型(「計画(plan)」,「策略(ploy)」,「パターン(pattern)」,「位置(position)」,「視野(perspective)」という「5つのP」)に整理している13

そもそも戦略の概念は,Chandler [1962]の「経営戦略と組織」において,初めて経営学に登場したとされている。Chandlerは戦略を「企業の基本的な長期目標や目的を決定し,これらの諸目標を遂行するために必要な行動方式を採択し,諸資源を割り当てること」と定義している。Chandlerは,多角化戦略とそれを実行するための組織の変遷に着目し,「組織は戦略に従う」という有名な命題を設定した14

150頁】その後,経営学において最初に経営戦略を本格的に研究したのは,Ansoff [1965]であるとされている。Ansoffは戦略を「部分的無知の状態のもとでの意思決定のためのルール」と定義している15。またAnsoffは,外部環境の変化に対応し,どのような製品・市場を選択するかという戦略的決定という概念も提示し16,分析的な戦略研究の先駆けとなった。

日本では伊丹[1980]が「経営戦略とは,組織活動の基本的方向を環境とのかかわりにおいて示すもので,組織の諸活動の基本的状況の選択と諸活動の組み合わせの基本方針の決定を行うものである」と定義している17。この他にも奥村[1989]は,「経営戦略とは,企業がその置かれた環境での生存領域(ニッチ)に適応するための行動様式」18と定義しているし,青島・加藤[2003]は「企業の将来像とそれを達成するための道筋」19と定義している。金井[1997]は,経営戦略とは,「将来の構想とそれに基づく企業と環境の相互作用の基本的パターンであり,企業内の人々の意思決定の指針となるもの」20としている。この金井の定義には,Mintzbergの「5つのP」のうち4つのPが含まれている。すなわち,「将来の構想」には「視野(perspective)」としての戦略,「企業と環境の相互作用」には「位置(position)」としての戦略,「相互作用のパターン」には「パターン(pattern)」としての戦略,そして,「意思決定の指針」には「計画(plan)」としての戦略の機能が,それぞれ表現されている。

また,金井[1997]は,経営戦略とは企業にかかわる戦略の総称であり,企業の仕事の種類やレベルによっていくつかの戦略に分けることができ,一般的には,「企業戦略(corporate strategy)」,「事業戦略(business strategy)」,「機能別戦略(functional strategy)」の3つのレベルに分けられるとしている21

「企業戦略」とは,企業全体にかかわる戦略であり,事業領域(ドメイン)の決定と資源展開が主要な要素である。「事業戦略」とは,多角化した企業において,企業戦略によって決定された事業分野毎の戦略であり,当該企業が事業領域を1つしか持たない場合は,事業戦略がそのまま企業戦略となる。事業戦略は,特定の事業分野においていかに競争優位性を発揮するかが主要な課題であるため,競争戦略がその中心に位置づけられ,資源展開と競争優位性が主要な要素となる。3つ目の「機能別戦略」とは,生産戦略,マーケティング戦略,研究開発戦略,人事戦略など,機能ごとに決定される戦略のことである。この戦略は,シナジーと資源展開が主要な構成要素となる。

このように経営戦略とは一つの大きなシステムであり,部分と全体との関係は相互依存的であり,部分のみで経営戦略は成立しえないし,かつ全体のみでも成立しえない。トータルとしてお互いが有機的に機能した時にのみ,生きた経営戦略となるのである22

経営戦略の主要な要素として,競争優位性がある。企業が選んだ事業領域においていかに長期的な企業目標を達成するのかを定義するのが競争優位性である。いかにして競争優位性を発151頁】揮していくのかを定めたものが,競争の基本戦略となるが,Porter[1980]は,それには,@コスト・リーダーシップ,A差別化,B集中,という3つの基本的な戦略があるとしている23。コスト・リーダーシップとは,「競争相手と比較した相対的な低コストを実現する」戦略であり,差別化とは,「業界内で独自性のある何かを創造する」戦略である。また,集中戦略とは,「特定の買い手,特定の製品,または特定の地域の市場を追求する」戦略である。Porterによると,コスト・リーダーシップと差別化戦略は相反するものであり,同時に追求することは難しいとされた。

また,Saloner et al. [2001]は,競争優位性の源泉には,競合より低い生産原価,高品質な製品,顧客ロイヤルティ(信頼)の強さ,スピーディなイノベーション,優れたサービス提供能力,恵まれた立地条件などがあるが,その原点は,競合よりも顧客が価値を認めるサービスや製品を生産できるか,あるいは,競合よりも低いコストで生産できるかの二つにつきる,としている24。そして,この高品質と低コストは相容れない関係にあることが多いとしている25

しかし,こうしたPorterらの主張とは別に,Hall[1980]は,アメリカの成熟産業における研究から,コスト・リーダーシップと差別化の両方の戦略を併用して,成功してきたキャタピラーやフィリップ・モリスの例などを示した26。山田[1997]はこうしたコスト・リーダーシップと差別化の両方が必要という考え方は,ハイテク産業でも検証されていることを指摘している27

さらに山田は,競争優位とは,企業が収益を達成する唯一の基盤であり,企業の長期ビジョンとの整合性のもと,長期的・持続的な経営資源の傾斜配分によって開発されるものであるとしている。競争優位のポイントとしては,製品,技術のレベルから,企業イメージ,生産,ロジスティック,マーケティング,マネジメントなどさまざまなレベルがありうるが,自社能力の分散を避けるため,優位性の獲得を目指すポイントを絞る必要があるからである28

なお,能力に基づく競争優位性を持続的なものにするためには,競争優位性の要因を他社には分かりにくく模倣しにくいものにするか,他社に追いつかれる前に,学習によってその組織能力を改善し,さらにその先を行くかの,どちらかの道をとらねばならないとされている。特に,模倣困難性を実現するには,組織能力の創造に,他社では実現できないほどのコスト・時間を費やすか,組織能力基盤の優位性が複雑性を帯び,暗黙知的な知識に依拠するなど因果関係が不明瞭であることなどが必要となる29

以上から得られる示唆は,競合企業に対して競争優位性を維持するには,他社には模倣できない自社の独自性を創造するとともに,総花的な資源配分を避けて,自社の能力を最大限に発揮できる戦略のポイントを絞り込むことが必要であるということである。しかし,必ずしもコストか品質かの二者択一を迫られるわけではないことは前述の通りである。

152頁】

3.1.2 経営戦略論の4つの視点

前項で見てきたように経営戦略の概念には論者によってさまざまな差異が認められる。しかし,だからといって経営戦略策定が無意味であるという結論にはなりえない。これらは視角の取り方の問題であり,見方によってはそれ自体が戦略的選択とも考えられる。むしろこれまでの電気事業はもっぱら資源配分効率や社会的総余剰がどのように高められるのかといったことに重きが置かれる,経済学の領域で取り扱われてきたわけであるが,電力自由化進行に伴い,個別の企業がいかにすれば企業価値向上の持続性を保持し得るかといった経営学からの分析も極めて重要となる。とくにこれまで競争が本格化していなかったために,他の産業ではすでに時代遅れの感すらある経営戦略に関する理論でさえ,いま一度フォローする意味があると考えられる30

以下では幅広い経営戦略論の領域のなかで,本稿における分析枠組みを3.2で提示するにあたり,予備的考察を行なうこととする。ここでは多様な戦略論がコンパクトにまとめられた青島・加藤[2003]の議論を手がかりに考察を進めてみたい31

企業経営を進めていく上では,自社を取り巻く外部の「環境」との関係を無視することはできないが,ここで「環境」とは,顧客や競合相手,供給業者,資金提供者なども含めて,企業の境界の外部にあって企業活動に影響を与えるあらゆる外部の力をさしている。経営戦略の立案にあたっては,視点を「内」と「外」のどちらに置くのか,すなわち,「企業」と「環境」とに区別して,そのどちらに重きを置くのかを考えることが最初の一歩となり,それによって,採るべき戦略が異なってくることになる。また,経営戦略を考える上では,企業間の業績の差異を説明する際に,「いかなるもの」によって差異が生じたのかという視点と,「いかにして」差異が生じたのかという視点とを区別して考えることができる。すなわち,「要因」に着目するのか,「プロセス」に着目するのか,という区分である。

以上の4つのアプローチを出発点として,経営戦略の4つの側面についての考察を加えていきたい。

 

1)「外−要因」に着目する戦略論:ポジショニング・アプローチ

ポジショニング・アプローチは,企業の「外」,すなわち「環境」に成功要因を求めるとともに,その「環境」そのものが,自社の企業目標達成に有利であるか,もしくは目標達成の障害となる外部の力が弱いという「要因」に着目したアプローチである。たとえば,競争が緩やかな産業や規制産業などがこの例である。ポジショニング・アプローチと呼ばれるのは,環境の中に自社を的確に「位置づける(positioning)」点を強調することに由来する。

 

2)「内−要因」に着目する戦略論:資源アプローチ

資源アプローチは,企業の「内」,すなわち企業の経営資源の中に優れた「能力(要因)」を蓄積している企業こそが成功しているという前提のもと,企業の経営資源に着目したアプローチである。このアプローチでは,他社に模倣されない資源の蓄積に焦点を当てており,その意味から,資源アプローチと呼ばれている。このアプローチでは,市場からは簡単には調達でき153頁】ない「固定的資源」に着目しているが,この中には,ブランドや,独自の企業文化などの「見えざる資産」32や,他社との競争において優位性をもたらす独自能力である「コア・コンピタンス」33も含まれる。

 

3)「外−プロセス」に着目する戦略論:ゲーム・アプローチ

ゲーム・アプローチは,企業の「外」に成功要因を求めている点ではポジショニング・アプローチと同じであるが,ポジショニング・アプローチが自社に有利な環境を見つけて,そこに自社を位置づけることを主眼とするのに対し,ゲーム・アプローチは,企業の外部との相互作用を通じて,自らに有利な環境を作り出す点に着目する。たとえば,自らの市場に新規事業者が参入してくる前に,圧倒的な低価格を設定して,参入の動きを封じたりすることや,競合他社との協調関係を作り上げて市場の魅力度を高めたりする戦略行動などが考えられる。このような「駆け引き」が,中心的な戦略行動となることから,ゲーム・アプローチと呼ばれている。

 

4)「内−プロセス」に着目する戦略論:学習アプローチ

学習アプローチは,企業の「内」に成功要因を求めている点では資源アプローチと同じであるが,資源アプローチが自社内に蓄積されている独自の資源そのものに着目するのに対し,学習アプローチは,企業の外部との戦略的な相互作用を通じた企業内の資源蓄積のプロセスに着目している。たとえば,新製品の市場への投入に際して,いち早く製品化を行い,顧客からのフィードバックを得て,徐々に知識を蓄積していく場合などが考えられる。このように,企業の外との相互作用を通じて学習することに重点が置かれていることから,学習アプローチと呼ばれている。

 

3.2 電力自由化プロセスへの適用

前節のように,戦略論にはいくつかの視点が存在し,その中からどのような視点を選択するか,あるいは,複数の視点を合わせ持つのかということ自体,戦略的な選択である。

本節では,以上の研究も踏まえ,電力自由化というプロセスにおける電気事業者の経営戦略の構築について,経営戦略論の枠組みを適用して説明を行っている,いくつかの先行研究を検討する。

 

3.2.1 電力自由化と経営戦略に関する研究

自由化という環境変化に直面する,電力ビジネスにおける経営戦略について,西村[2000]は経営学の視点から本格的な研究を進め,この分野での先駆的な役割を担っている。西村は,米国の電力・エネルギー企業の経営戦略について調査した結果,「一部地域の小売市場自由化を契機に,すべての企業が価値連鎖型の経営スタイルに変わり,それぞれが自分の競争ポジションを定め,『強み』を発揮できるような競争戦略を持っている」と結論づけた34。「強み」の例として,今は破綻した米国エンロン社の場合は,取引仲介にかかわる金融技術が,持続的な競154頁】争力を生み出す源泉になっていることの他,同じく米国のデューク社の場合,エンジニアリングとソリューションビジネスの経験が,低コストでのプラントの建設・メンテナンスや電気とガスの最適な組み合わせによる調達・提供を可能にし,他社の追随を許していない事例などを掲げている。

欧州電気事業者の経営戦略について研究を行った矢島[2005]も,同様に,競争環境の進展という環境変化に応じて,欧州では多角化や国際展開などの種々の競争対応戦略が試みられたが,「もっとも成功しうる戦略は,コア・コンピタンスに焦点を当てた戦略である」としている。

これらの先行研究は,自社にとって最も有利な環境にポジションを取るとともに,自社能力を最大限に発揮することを主眼とする経営戦略が採用されているとしていることから,ポジショニング・アプローチ,及び資源アプローチの視点から戦略行動を説明したものであると言える。これらのアプローチは,「いかなるもの」によって優位性を発揮するのか,すなわち優位性の源泉を「要因」に求めている点が特徴点である。また,自社の強みとしては,「価格面」での優位性につながる「低コスト」の他にも,「金融技術」や「ソリューション,サービス」といった「非価格面」にも焦点が当てられていることを指摘できる。

一方,矢島[2005]は,「将来的に真にシナジーの働く分野を同定するために,むしろ種々の試みを積極的に行うべきである。欧米の事業者も,まさに経験的に何がコア・コンピタンスなのかを学んできた」として,学習アプローチの視点があったことも示唆している35

電力自由化以後の英国電気事業者の変遷について研究を行った清水[2003]は,「英国の電力市場を見る限り,完全自由化市場の下では,各電気事業者はリスク回避を目的に外国企業との提携,あるいはガス・水道事業を同時に営むマルチ・ユーティリティ企業や垂直統合型電気事業者などを志向し,その結果として必然的に市場の寡占化が進む」と指摘した36。この指摘からは,英国電気事業者が,提携・合併などを通じて,いち早く自社に有利な市場環境を作り出していることから,ゲーム・アプローチの視点による戦略が採用されていることが読み取れる。

スウェーデン電気事業者の非価格戦略について研究を行った奥田他[2005]は,非価格戦略の展開には,「プロジェクトの長期性・一貫性」,「顧客との相互作用・徹底したマーケット・リサーチ」,「社内対策の充実」の3つの大きな特徴が見られるとして,企業の内外における相互作用を通じて,戦略が最も有効に機能する方向に進化していくことを説明している37。これによると,企業の戦略は,「顧客」という「外」,及び「従業員」という「内」の双方との相互作用により企業が能力を蓄積していくプロセスが鍵になると示唆されていることから,学習アプローチの視点による戦略行動が採られたものと考えられる。

また,ドイツの電気事業規制改革について研究を行った伊勢[2005]は,ドイツで改正エネルギー事業法が発効(20057月)される以前,垂直統合型の電気事業者は,「高めの料金水準の設定が可能であった送配電部門で収益を確保しつつ,卸電力市場と小売電力市場の価格水準を短期限界費用の近傍で設定し,新規参入を阻止するという戦略の選択」が可能であったとして,自由化直後,ドイツ大手電気事業者が,戦略的な料金引き下げを行った可能性について言155頁】及している38。ドイツ大手電気事業者が協調して低価格設定を行った可能性があるとすれば,「いかにして」優位なポジションを獲得するかということに着目した視点と言うことができることから,ゲーム・アプローチの視点による戦略行動が採られたと考えられる。また,これまで経験したことがない競争環境に積極的に関与し,競争に対するノウハウや経験知を高めるとともに,顧客の行動に関する情報をいち早く入手し,顧客戦略を発展させることを主眼としていたのであれば,学習アプローチの視点による戦略行動が展開されたとも考えられよう。いずれにしても,「プロセス」を重視した経営戦略も,自由化後に広く見られるようになったことを物語っている。

 

3.2.2 分析枠組みの構築

以上のように,経営戦略論には,「内」の視点と「外」の視点,さらに,「内と外との相互作用(プロセス)」に着目するのか,企業の内外における「要因」に着目するのかといった視点がある。また,競争優位性を発揮するためには,大きく分けて,「価格面(コスト)」か「非価格面(差別化)」という視点がある。電力自由化への経営戦略論の適用を試みた先行研究においても,これらの視点が確認されたことから,以上のキーワードを踏まえ,表−1に,本稿における「競争と戦略に関する分析枠組み」を提示する。

 

 

まず,「価格面」と「非価格面」の2つの視点を分析枠組みに用いるにあたり,矢島[2005]の指摘を紹介する。すなわち,矢島は,「ドイツでは,98年の全面自由化後約1年後に価格競争が勃発したが,その結果として,電気事業は財務的に大きなダメージを受けた。現在では,設備投資コストを賄うため,料金の値上げもしている。また,ドイツでは価格競争は絶対に避けるべきとの考え方は専門家の間でも共有されつつある。このような状況下で電力会社も,価格のみに着目するのではなく,競争の手段として,クロスセリング,M&A,コントラクティング(自家発の建設・運転)などを採用するようになってきている」と指摘した39。この指摘では,「価格競争」は電気事業にとっても,消費者にとっても良い結果をもたらさず,こうした状況を回避するために「非価格面」の戦略が有効であることが示唆されている。本稿において,「非価格面」をあえて分析枠組みに用いるのは,以上の矢島[2005]の指摘も踏まえ,以下の2156頁】の理由による。

まず需要家サイドからの理由であるが,需要家が電気事業者を選択する際の要素として,「価格面」のみではなく,「非価格面」も重視されていることが挙げられる。この点については,英国ガス・電力市場局(OFGEM)の調査結果40が詳しい。これによると,供給事業者を変更していない顧客のうち,価格以外の要素を重要視する顧客が7割近くに上ることが明らかになっている。需要家サイドにとっても「非価格面」が供給事業者の選択要因となっていることが,本稿で「非価格面」を取り上げる理由の1つである。

次に事業者サイドの理由であるが,過度な価格競争は企業経営に大きなダメージを与える。この点について,清水[2003]は,「電力自由化によって電気事業者間の競争が進めば,一時的には電力価格の低下がもたらされるものの,その価格は必ずしも継続的に維持されるわけではない。その一方で,競争の進展によって電気事業者に設備投資抑制のインセンティブが働く可能性があり,その結果として発電所建設投資が減少し,電力需給の逼迫を招く事態も起こりうる」として,価格競争の発生が電気事業全体にマイナスの影響を及ぼす可能性について示唆している41。このことは,価格競争の発生後の寡占化市場において,電気料金の上昇という形で,ドイツ需要家にも深刻な影響が及んでいることからも説明できる。また,矢島[2005]の指摘にもある通り,価格競争は企業経営に大きなダメージを与えることとなり,これを回避するには,需要家ニーズに沿った「非価格面」での競争を展開することが有効と考えられることが,本稿で「非価格面」を取り上げる2つ目の理由である。

次に「内」と「外」,及び「内と外の相互作用」について説明する。まず,価格面での優位性発揮に着目する場合,企業内部の視点からは,低コストによって優位性の発揮を目指す「A:効率化に基づく価格戦略(Efficiency-based Pricing)」を採用することが考えられる。しかし,競争環境においては,外部の視点,すなわち,競合あるいは市場全体の料金水準を無視することはできず,「C:市場主導的な価格戦略(Market-driven Pricing)」にも同時に目を配ることが必要となる。その結果として,企業自身のコストと外部の料金水準を見比べしつつ,適度に利益が獲得できる水準に料金を設定しやすい環境を創出するため,顧客価値を踏まえた価格設定や,競合の動向を踏まえた戦略的価格設定等,内と外との相互作用を重視する価格戦略,すなわち,「B:相互作用に基づく価格戦略(Interactive Pricing)」を模索する動きが出てくるものと考えられる。

次に,非価格面での優位性発揮に着目する場合,企業内部の視点からは,自社の能力(ブランド,技術力等)に基づいて優位性の発揮を目指す「D:能力に基づく非価格戦略(Competence-based Strategy)」を採用することが考えられる。しかし,顧客の選択に適うには,さまざまなチャネルを通じてそのニーズを把握することが必要となり,「F:顧客ニーズを重視する非価格戦略(Customer-focused Strategy)」が不可欠となる。また,より持続可能で強固な経営基盤を築くには,外部との相互作用を通じて自社の能力を高めたり,マネジメント・システムを刷新しつつ,より潜在的なニーズも取り込んで革新的なサービスを提供できる「E:革新的な非価格戦略(Innovative Strategy)」を構築していくことが必要となってくる。社内の組織の改革なども踏まえて,斬新なサービスやマーケティングを展開する場合がこの例である。しか157頁】し,EFの境界は極めてあいまいであり,顧客のニーズを踏まえてダイナミックに戦略を構築するプロセスを考えると,Fは相互作用のプロセスと考えることもできるが,本稿では,社内システムの変革を踏まえた創造性の発揮を重視するか,顧客ニーズに沿うことを重視するのかによって,EFを便宜的に分けている。

前項で紹介した電力自由化と経営戦略に関する先行研究レビューを,本分析枠組みを用いて整理すると以下のとおりとなる。すなわち,価格面については,デューク社のエンジニアリング技術に基づく低コストの実現は,「A:効率化に基づく価格戦略(Efficiency-based Pricing)」を可能とするとともに,ドイツでは新規参入の阻止を目的とした「B:相互作用に基づく価格戦略(Interactive Pricing)」が採用されていたと整理できる。また,非価格面では,欧州電気事業者のコア・コンピタンスに焦点を当てた戦略やエンロン社の金融技術は,「D:能力に基づく非価格戦略(Competence-based Strategy)」に整理でき,顧客課題の解決を目指したデューク社のソリューションビジネス(電気とガスの融合等)は,「F:顧客ニーズを重視する非価格戦略(Customer-focused Strategy)」と位置づけられる。また,スウェーデン電気事業者の,「企業」,「従業員」,「顧客」がそれぞれ互いに反応しあう非価格戦略や,欧米電気事業者が多角化展開などの試行錯誤を経る中でコア・コンピタンスを精査してきたプロセスは,内と外との相互作用により優位性の発揮を目指すプロセスと見ることができることから,「E:革新的な非価格戦略(Innovative Strategy)」に整理することができる。

 

表−1の分析枠組みを用いて電力自由化と経営戦略に関する先行研究を整理すると,電気事業者は自社の内部に焦点を当て,低コストや能力の発揮を目指すとともに,外部の視点も踏まえ,内と外との相互作用により自社の競争優位性を高めようとしていたことが分かった。以上を踏まえ,本稿では,「競争開始とともに,自社にとって優位なポジションの獲得のため,自社の内部に焦点を当てた戦略が見られるものの,競合他社や顧客などの動向も十分に踏まえることが不可欠となることから,内と外との『相互作用』に基づいたダイナミックな戦略構築を目指す動きが現れる」との仮説を設定する。

以下においては,1998年の全面自由化以降のドイツ電力市場における競争環境と事業者の戦略の変化についてケース・スタディとして紹介し,電気事業者が環境変化に対して,どのような視点から戦略を立案して優位性の確保に努めたのかについて考察を加えたい。

 

4. 価格競争の幕開け(第1期:1998年〜2000年)

本章においては,ドイツにおいて電力市場の全面自由化が始まった1998年から2000年までの競争状況と事業者の戦略の変遷について概観する。この時期には激しい価格競争が発生したが,そこには戦略的な意図があったとの見方も存在する。

そこで前半では1998年から2000年にかけて発生した価格競争の具体的な状況を振り返るとともに,後半では価格競争を進める上での事業者の戦略的背景について取り上げる。

 

4.1 価格競争の進展

本節では,ドイツにおいて価格競争が発生するに至った背景と,産業用及び家庭用需要家市場における競争状況を概観する。

158頁】

4.1.1 経営効率化による「価格の適正化」

ドイツでは,1998年の全面自由化から2000年までの期間,産業用で3050%,家庭用でも1020%の電気料金値下げがなされた(図−6)。この理由については,電力自由化による経営効率化の一環として,電気事業者が余剰発電設備の休廃止等によってコスト圧縮に努めたことが考えられる。このことを反映するかのように,電気事業者による設備投資は,2000年まで減少の一途を辿っている(図−7)。

 

 

 

ドイツの電気事業における設備投資額について研究を行った伊勢[2005]は,設備投資額減少の背景として,ドイツ経済の低成長と1990年代前半の旧東ドイツ地域を中心とする設備投資ブームの終焉とがあったと指摘している42。ドイツ電気事業における設備投資額は,1990159頁】1993年の間,東西ドイツの統一による設備の近代化と増設のために,旧東ドイツ地域を中心として,年間50億〜77億ユーロと高い水準で推移したが,設備投資ブームが終わると,1993年以降,減少し始めた。さらに,1991年から2002年までのドイツにおける電力消費量の伸びが,経済の低成長を背景として,年率約0.7%にとどまったことも相まって,1990年後半からは設備需要が減少してきている43。このことは,裏を返せば,ドイツにおいて1990年代前半に,過剰なほどの設備形成がなされたことを物語っている。

この第1期については,「価格の適正化プロセス」という見方もなされている。図−8に示す通り,1998年当時は,公租公課の負担が軽い一方で,kWh当たりの販売単価(公租公課を除いた系統費用,発電費用,営業費用の合計額)は高水準であるため,電気事業者がいかに余剰設備等の余分なコスト負担を抱え,高水準の電気料金を設定していたかが分かる。いわば,1998年の全面自由化以前は,電気事業者は総括原価主義のもと独占を謳歌し,効率経営とはほど遠い状態であったと言ってよい。しかし,自由化開始以降は徐々にコスト削減が進み,適正な水準で電気料金の設定が行われるようになったことが,「価格の適正化プロセス」と呼ばれる所以である。

 

 

設備投資と電気料金水準の関係について,欧州電気事業者連盟(Eurelectric)では,規制が撤廃されて競争が開始されたことにより,余剰設備が削減され価格は低下するとともに,電力価格は設備投資のタイミングに合わせて,一定のサイクルで低下・上昇を繰り返すと説明している(図−9)。また,Growitsh and Müsgens [2005]も,ドイツにおいては,過剰設備の状況で競争に突入したことにより,卸価格が短期限界費用の水準まで下落したと説明している44

160頁】

 

4.1.2 価格競争への突入

経営的に余剰資源を抱えていた状態で,全面自由化が開始されたことが,料金引き下げ圧力を強めたことは前述の通りであるが,こうした状況の中,ドイツ電気事業者がいわば「パニック的」に価格競争に突入していったとする説明がなされている45。以下では,産業用・家庭用別に1998年以降のドイツ電力市場における競争状況を振り返る。

 

1)産業用の競争状況

価格競争の口火を切ったのは,大手電気事業者RWE社であった。同社は19984月の自由化開始を待たず,同年年明け早々に,毎年300万マルク(約15,000万円)を超える電気料金を支払い,5年契約を締結している顧客に対して,5%の料金割引制度を導入した。その後,大手電気事業者は,次々と料金引き下げを行い(図−10),2000年には1998年と比較して,約40%も産業用料金が引き下げられた(図−6参照)。RWE社は,この時期の電気料金が短期限界費用い近い水準であったことを明らかにしている46

161頁】

 

図−10を見れば分かる通り,各社とも,他社の引き下げタイミングを見ながら,それと同時期に,あるいは,それに追随する形で,電気料金引き下げを行っている状況が読み取れよう。各社とも,競合企業を相当に意識して,価格戦略を展開していたと言うことができる。

 

2)家庭用の競争状況

家庭用の料金値下げ競争に先鞭をつけたのは米系電力マーケターのアレス・エネルギー社である。同社は19996月,「電気料金は最高で20%も安い」とのコマーシャルを流し,kWh当たり29.5ペニヒの価格を提示した。アレス・エネルギー社の参入が引き金となり,業界トップであったRWE社も19998月に,約20%の値下げとなる基本料金11.57マルク/月,25.87ペニヒ/kWhという価格を提示して応戦した47

同社は,新料金制度開始に当たり,「砂漠の森」と命名した極秘プロジェクトを進めており,同社スポークスマンは,「我々はドイツ電力市場のリーダーであり,競争の範囲をはっきりさせたかった。我々は競争の激化を見越して,この数カ月来,着々とコスト削減等の準備を進めてきた」48とコメントし,従来の供給区域を越えた競争開始に意欲を見せた。同社がこの時期,162頁】家庭用顧客に対して,「他の電力会社が,当社よりも低い料金を提示していることをご連絡頂ければ,その会社よりも低い料金で電力をお売りします」とのキャッチフレーズを用いていたことは注目される49

業界第4位であったEnBW社は,19997月及び8月に供給区域内の家庭用料金の値下げを実施するとともに,子会社のマーケター,イエロー・シュトローム社を通じて199911月から全国家庭用に,毎月の基本料金が19マルク,電力量料金が19ペニヒ/kWhという破格の料金による電力供給を開始した。また,E.ON社の前身であるプロイセン電力(VEBA)も,19999月に,基本料金13.90マルク/月,電力量料金21.9ペニヒ/kWhというメニューを発表している。

このように,家庭用需要家に対しても,新規参入者の料金引き下げを引き金として,大手事業者を巻き込んで,価格競争が発生したことを指摘できる。

 

4.2 価格競争の戦略的背景

前節のケース・スタディは,競争相手よりも価格面での優位性を発揮して,少しでも多くのシェアを獲得・維持する戦略に基づいた行動と考えられるが,筆者のヒアリング調査及び先行研究レビューからは,これとは違う戦略的な思惑があったとする見解が得られたことから,以下に,価格競争の戦略的背景について紹介する。これによると,ドイツ電力市場における価格競争には,事業者の戦略的なしたたかさも見え隠れしていることが分かる。

 

4.2.1 略奪的な低価格設定の可能性

全面自由化後のドイツ電力市場において,市場の淘汰を目的に大規模事業者が意図的に電気料金を値下げし,排他的な競争を発生させたとする指摘50がある。すなわち,既存事業者による略奪的な価格設定が行われていた可能性がある。

略奪価格とは,市場支配力が強く,財務的に競争企業より圧倒的に強い大手の企業が用いる戦略であり,破壊的な低価格により,競争企業に対する教育と排除に利用されることが多いとされている51。前者の教育的な略奪価格の場合,市場のリーダー企業が,市場の秩序維持,つまり小規模な企業が協調価格を乱して,値下げを行うような場合,その企業がついてこられないような低価格をつけ,思い知らせることにより協調価格を遵守させる目的で実施する場合に利用するとしている。また,後者の排除目的の場合,より破壊的な低価格競争を発生させ,競争企業を排除してから独占的な価格をつけることが多いとされている52

ドイツ電力市場(卸・小売)における価格が低位に推移した背景については,Brunekreeft and Twelemann [2005]が研究を行っている。これによると,垂直統合型の電気事業者は,法的規制下に置かれていない送配電部門で超過利潤を得る一方,競争部門では短期限界費用に近い水準で価格設定を行い,新規参入を防ぐ戦略を採っていたと考えられる53。ドイツ電力市場では,2000年以降,実際に新規参入者の倒産が相次いでおり(後述),以上の説明を裏付けてい163頁】ると思われる。

 

4.2.2 価格競争回避への暗黙のメッセージ

Porter[1980]によれば,マーケット・シグナルとは,企業の意図,動機,目標,もしくは社内状況を直接,間接に示す行動とされる54。そのシグナルの一つである「動きの予告(事前発表)」とは,価格変更など,ある種の行動を起こす,あるいは起こさないという意図の発表であるが,「同業者に先んじて有利な地位を占めることを目的」とすることの他,「競争業者が計画している行動の実施を妨げる脅威としての働き」や「競争業者の動きに対する歓迎あるいは不快感を伝えるという働き」などがあるとされている55。また,ある企業が他社の動きに対して断固反撃すると「約束」することには,争いを回避する効果があるとされる56

例えば,家電量販店大手の広告において,「当店の価格が他店より1円でも高ければ,さらに値引きします」という文句を,時折,目にすることがある。消費者の立場から見れば,非常に良心的かつ競争的な広告に見えるかもしれないが,この広告を言い換えると,「他店の価格が当店と同じ(または1円でも高い)ならば,値引きいたしません」というシグナルを発しているとも読める。すなわち,この種の広告の意味するところは,自分からは値引き競争を仕掛けずに価格を維持するという競合他社へのシグナルであり,価格競争を仕掛けているように見えて,実は競争を避ける効果があるとされている57

前述の通り,RWE社は1999年の値下げ競争の最中,家庭用顧客に対して,「他の電力会社が,当社よりも低い料金を提示していることをご連絡頂ければ,その会社よりも低い料金で電力をお売りします」とのキャッチフレーズの広告を打ち出していた。この広告は,需要家に対して競争時代が到来したことを印象づけ,大きなインパクトを持って受け止められたに違いない。しかし,先の家電量販店の例を見る限り,真に競争的な広告であったとは言えない可能性もある。RWE社が自ら,19998月に家庭用電気料金を大幅に引き下げつつ,前述の広告を打ち出したことは,プライスリーダーとして同社が全体的な価格水準を牽引し維持していくというシグナルを,競合企業に発していたと見ることができよう。RWE社の引き下げ直後,プロイセン電力,イエロー・シュトローム社らが料金引き下げを発表したが,こうした動きは翌年の2000年には収束し,ドイツ電力市場はそれ以降,電気料金の果てしない上昇傾向へと突入していったのである。

(以下,次号)

 

 

164頁】【参考文献】

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