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「タイ北西部山村に居住するカレン族の音楽政治」現地調査
――草の根的国際協力NGOヴォランティア活動の展開に肝要な文化理解 ――
目次
3 バプテスト派キリスト教徒集落の賛美歌――ホエケオボン村(白カレン族)の事例――
3.2 賛美歌がバプテスト派キリスト教徒カレン族に親しまれている理由
4 バプテスト派聖書学校の賛美歌合唱――メースリン難民キャンプ(赤カレン族)の事例――
5 精霊信仰を併せ持つ仏教徒集落の伝承歌と伝統楽器――ホエヒンラートナイ村(白カレン族)の事例――
本章では,本研究の目的及び本稿の構成を述べる。次いでカレン諸族について簡単に触れた後,本研究が考察の対象に据えるカレン族を特定する。
途上国内途上地域 underprivileged regions in developing countriesに於いて執り行なわれる,草の根的国際協力NGOヴォランティア活動プログラムは,昨今その社会的・経済的重要性を愈々高めつつある。かかるプログラムをより合目的的に執行するには,NGOが協力対象とする地域の特質を,重層的に理解することが不可欠である。本研究ではこの視点に立ち,協力対象地域の文化的特質,就中,山岳少数民族の音楽環境を考察する。より具体的に言えば,筆者らが,草の根的国際協力NGOヴォランティア活動であるGONGOVA1)を実施する過程で試みた,「タイ北西部山村に居住するカレン族の音楽政治」に関する現地フィールド調査に基づき,同地域で見られるカレン族の音楽に対する基本姿勢を考察することが,本研究の主目的である。なお,本研究の現地フィールド調査は,主として第一筆者2)が進めた。構想の立案,並びに調査により収集された資料・情報の考察には,第一筆者及び第二筆者3)が共同で当たった。
上述の意図の下に第2章では,カレン族の音楽並びにそれと深く関わる宗教,民族及び歴史に関する先行研究に触れ,次いで本研究のアプローチを述べる。第3章では,タイ北西部の山地に居住する白カレン族のうち,バプテスト派キリスト教徒カレン族4)が,現地音楽活動の中で賛美歌合唱に極めて親しんでいる理由を探る。第4章では,タイ側のミャンマー国境地帯に【125頁】設けられている難民キャンプに居住する,バプテスト派キリスト教徒カレン族が,難民キャンプ内で取り組む聖書学校活動の特質を考察する。第5章では,山地に居住する白カレン族の中で,精霊信仰を併せ持つ仏教徒カレン族の集落に照準を絞り,そこで見られる伝承歌及び伝統楽器デナーの扱われ方を考察する。第6章では,第3〜5章の考察を踏まえ,タイ北西部山村に居住するカレン族が音楽に対して見せる基本姿勢を整理する。付録には,第一筆者がバプテスト派キリスト教徒カレン族の賛美歌を採譜・編曲した,男声4部合唱曲《yukure ユクレ》を掲載する。
1-2 カレン諸族5)
カレン族は,チベット・ビルマ語族の一派であり,その主要2グループは白カレン族と赤カレン族である6)。各グループは夫々下位言語集団を擁し,白カレン族にはスゴー・カレン族 Sgaw Karen及びポー・カレン族 Pwo Karenが属し7),赤カレン族8)にはブレー族Breh,パダウン族 Padaung,イェンバウ族 Yinbaw,及びザエイン族 Zayein等が属する。
ミャンマーの場合,白カレン族と赤カレン族の居住地は2つの地域に大別できる。即ち,前者はカイン Kayin(旧カレン)州を中心に200〜300万人が居住し,後者はカヤー(旧カレンニー Karenni)州を中心に十数万人が居住する。他方,タイ北西部に定住するカレン族の大半はミャンマーから移動して来た9)人々の子孫であり,現在その人口は凡そ38万人強10)を数える。
居住地の標高差に目を遣ると,タイに居住するカレン族は平地カレン族と山地カレン族とに2分類される。前者は水稲耕作に従事し,一般にタイ型農耕文化に順応している。後者は,熱帯林の中で定住・循環型焼畑耕作を現今も続けており,独自の文化を比較的色濃く残している。
宗教について見ると,タイに居住するカレン族の宗教は,仏教及び精霊信仰が中心である。しかし,旧ビルマがイギリス領インドの一州に編入された11)時代に,カレン族の一部で主にキリスト教バプテスト派への改宗が進んだことも手伝って,タイには現在27,169人のバプテスト派キリスト教徒が居住する12)。
本研究では,タイ北西部山地カレン族のうち,バプテスト派キリスト教徒(白カレン族及び【126頁】赤カレン族),及び精霊信仰を併せ持つ仏教徒(白カレン族)を,考察の対象に据える。
本章では,カレン族の音楽,宗教,民族及び歴史に関する先行研究を概観する。その後,本研究が適用するアプローチを簡単に説明する。
カレン族の音楽に関する先行研究のうち例えば内田(1978)は,アニミズムを信仰するポー・カレン族の口頭伝承歌10曲の楽曲構造分析に基づき,それら10曲の主な特徴として,有節形式,フリー・リズム,及び3音旋律等を指摘する。彼女の功績は,カレン族の伝承歌を1970年代の日本へ他に先んじて紹介した点,及び10曲の伝承歌を結婚,葬式及び恋愛等,ジャンル別の譜例集として整理した点にある。内田(1988)は更に,スゴー・カレン族の間で口頭伝承されてきた伝統歌曲について,ジャンル別に分類して紹介するとともに,キリスト教音楽の記譜法が,スゴー・カレン族の楽曲伝承方法に与えた影響に触れている。併せて内田は,消滅に瀕しているスゴー・カレン族伝統歌曲の保存を訴えており,この提唱は,民族的伝統歌曲の伝承・保存問題を考える上で示唆的である。他方,ヴォーライター Vorreiter(2009)及びルイス及びルイス Lewis and Lewis(1984)は,夫々カレン族伝統楽器の形状を詳しく紹介している。
翻って,カレン族の宗教,民族及び歴史に関する先行研究では,例えばマーシャル Marshall(1922)は宣教師の立場から,1830年頃から1920年頃までのビルマに於けるバプテスト派キリスト教徒カレン族教会の躍進について詳述している。飯島(1971)は,1810年代から1960年代までのビルマのバプテスト派キリスト教徒カレン族の歴史を概説し,「『イギリス支配や第二次大戦等を経て武装蜂起へと至った』ビルマのカレン族の例は,東南アジア諸国の国民形成と少数民族問題の中でももっとも不幸な事例」と述べる。豊田(2002)は,改宗させる側とさせられる側との双方に照準を合わせ,カレン族等少数民族のキリスト教化の過程を説き明かす。池田(2007)は,1830年頃から1940年代までのビルマの仏教徒カレン族の歴史を述べた後,彼らが民族意識を持つに至った時期は,ビルマ民族が民族運動を始めた後であると指摘する。速見(2009a)は,18世紀後半から現在に至るまでの研究者等の間で認識されてきたカレン族表象の変遷を,研究史誌の形で整理する。速見(2004)はまた,カレン族の宗教的動学性を分析し,カレン族に関して,「国家領域の周縁において,それに順応しながらも自らの秩序を作り出そうとする営み」を論じた。
本研究では,主としてタイ北西部山地カレン族の音楽活動を対象に実施した現地フィールド調査に基づくとともに,第2-1節で触れたカレン族の宗教,民族及び歴史に関する先行研究を参照しながら,音楽に対するカレン族の基本姿勢を考察する。ただし第2-1節前半で紹介した伝統歌曲保存の方策,並びに楽曲構造,楽譜分析,及び歌詞解釈に関する考察には,立ち入らない。
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本章の主な狙いは,メーホンソン県 Mae Hong Sonのホエケオボン村 Ban Huay Kaew Bonが最近関わった,キリスト教関連行事に於ける「礼拝時に賛美歌が果たした役割」を理解し,バプテスト派キリスト教徒カレン族が賛美歌に極めて親しんでいる理由を,先行研究に照らしながら検証することにある。そこで,白カレン族居住山村ホエケオボンを先ず簡単に説明する。次いで,先行研究が示す,「バプテスト派キリスト教徒カレン族が賛美歌を極めて親しんでいる理由」を整理する。続いて,最近ホエケボン村がメーホンソン県内で参加したクリスマス休暇の礼拝及び大晦日・元日の礼拝14),並びに同村で開催されたメーホンソン教区年次総会の礼拝について,夫々述べる。然る後に,バプテスト派キリスト教徒カレン族に対して賛美歌の果たす役割を考察する。
白カレン族の居住山村ホエケオボン村は,メーホンソン市街地中心部から乾季(10月中旬〜翌年4月中旬)には車で1時間半弱,雨季には2〜3時間を要する,道路距離33kmの所に位置する。世帯数は41戸,人口は凡そ180人で,全戸が後述するバプテスト派キリスト教徒の組織TKBCに所属している。村人は陸稲,水稲,トウモロコシ,大豆,ゴマ,及びニンニクの栽培,並びに水牛,ニワトリ,及びブタの飼養等を生業とする。ライフ・ラインは必ずしも満足には整備されていない。なおGONGOVAは,2006年から2008年までの間,ヴォランティア活動拠点の一つをホエケオボン村に置き,簡易水道施設の整備,簡易水洗便所の建設,幼稚園・小学校の校舎建設,及び換金性果実樹木(例えばキワタの木)の移植等を支援した。
3-2 賛美歌がバプテスト派キリスト教徒カレン族に親しまれている理由
2010年の時点で,タイ・カレン・バプテスト・コンヴェンション Thailand Karen Baptist Convention (TKBC)15)に所属するカレン族の信者数は27,169人,教会数は152を数える16)。タイ北西部山村に居住するバプテスト派キリスト教徒白カレン族の大半は,村単位で山地農業を主とした生活を営む。市場経済が彼らの山村に浸透しつつあるが,衣食住面では比較的多くの点で自給自足的である。バプテスト派キリスト教徒の村落では,日曜毎に村の教会で5度の礼拝17)【128頁】を行ない,そこではカレン語歌詞の賛美歌が合唱される18)。カレン語歌詞の賛美歌には,カレン族独自の旋律もあれば,西洋諸国のキリスト教プロテスタント組織が普及させたもので,筆者らに馴染み深い一般的な旋律もある。カレン族独自の旋律には,伝統的なカレン民謡の節を用いたものから,近年に作曲されたポップス調のものまで様々なジャンルがある。カレン族による賛美歌合唱は,発声方法や音程維持に関して西洋音楽の水準に則り一方的に評価すると,一般に必ずしも高い水準にあるとは言い難い。しかし,彼女ら彼らの賛美歌合唱が生み出す深い一体感は,刮目に値する。
バプテスト派キリスト教徒山地カレン族が賛美歌を極めて親しんでいる理由として,先行研究は次の3点を指摘する。
(a)カレン族は,音楽を伝統的に生活の中に取り入れてきた民族である19)。
(b)自集団を「音楽を愛する人々」たらしめたいとするTKBC首脳部の意向が存在する20)。
(c)賛美歌合唱により,合唱者は互いの調和感を強く覚える21)。
メーホンソン教区バプテスト派キリスト教徒カレン族の村の間で,毎年取り交わされるキャロリングは,12月の定例行事である。例えば,2008年の12月,ホエケオボン村の教会合唱団25人は,同月後半にメーホンソン教区内の6ケ村22)を訪れ,村内の各戸を合唱して回った。その際,6ケ村のうちの一つであるバプ村 Bapu23)で,ホエケオボン村の教会合唱団が行ったキャロリングの模様は,次の通りである。
2008年12月23日,ホエケオボン村合唱団(団員25人)及びホエファン村 Huay Fang24)合唱団(団員25人)は,バプ村を訪問した。両合唱団は,バプ村の50所帯を25戸ずつ分担し,各戸でフォーク・ギターを伴奏とするクリスマス・キャロルを歌いながら,村内を回った。ホエケオボン村合唱団は19:00にキャロリングを開始し,22:00に終了した。キャロリングの一連の流れは,【129頁】先ず合唱団が各戸の戸口で「Merry Christmas!」と英語で祝辞を述べ,その後,賛美歌1曲を歌う。次いで,合唱団は同じ家の居間に招き入れられ,別の賛美歌1曲を歌う。最後に,訪問先一家の幸福と弥栄を合唱団員が全員で祈る。居間の床には,クッキーや飴の盛られた皿が並べられており,一つの皿の上に献金の入れられた封筒が置かれている。合唱団幹事は祈祷の後に封筒を受け取り,キャロリング団の子ども達は,賑やかに菓子を分け合う。2008年のクリスマス休暇のキャロリングで,ホエケオボン村教会合唱団の得た献金総額は1,250バーツ25)に上った。得られた献金からは,合唱団員一人ひとりに一定の金額が分配され,残額はホエケオボン村教会の会計に入金される。キャロリングの最後は,バプ村の村長宅で執り行なわれた。二手に分かれて村内の家々を回っていた,ホエケオボン村の教会合唱団とホエファン村の教会合唱団とが村長宅に到着すると,バプ村の村人100人程が加わった計約150人を前に,村長宅の前庭で村の牧師による野外礼拝が行われた。礼拝出席者の一部はその後,夜中の1時近くまで村長宅で歓談した。
キャロリングによる村同士の交流は,経済的に所得再分配の効果を齎す。例えば,戸数の少ない村の教会合唱団と,戸数の大きな村の教会合唱団が互いにキャロリングを行うことを想定すると,小さな村の合唱団が相対的に大きい献金に恵まれる。また社会的観点から見ると,人口規模の小さな孤立し易い僻村に,他村との友好・連携関係を再確認する機会を与え,弱小山村の疎外化阻止に役立つ。
翌12月24日,ホエケオボン村を含む近隣4ケ村26)は合同で,クリスマス・イヴの礼拝をホエチャンタイ村27)に於いて行った。
18:30,ホエチャンタイ村に銅鑼の音が響き,30分後の礼拝開始が村内に告げられる。19:00,4ケ村の村人達が,教会に併設されている集会所に集まる。集会所の床面には乾いた藁が厚く敷き詰められており,子ども達はその上に座って礼拝を待つ。集会所内の正面にステージが設けられており,正面の壁にカレン文字による横断幕「クリスマスおめでとう!」が掲げられ,その周囲を赤,青,緑,及び黄に灯された幾つもの豆電球が飾る。ステージ上にはエレキ・ギター,エレキ・ベース,及びドラム・セットが用意され,ステージ脇にマイクとアンプが置かれている。19:00から19:20まで,子ども達が中心となり,メーホンソン教区で定番の賛美歌を数曲,メドレー形式で合唱する28)。合唱の先導係りがステージ上におり,前の一曲が終わると先導係りはすぐさま次の一曲の冒頭を口ずさむ。出席者は間髪を容れずにその後を引き継ぎ,歌い繋いでいく。次々に賛美歌をスムーズに繋いで歌う技は,各合唱団が日頃から賛美歌を歌い込んでいる証左と言える。礼拝には約150人が出席し,賑やかであった。終了は20:50。
翌25日,ホエケオボン村を含む近隣4ケ村は,前日と同様に,ホエチャンタイ村に於いて合【130頁】同クリスマスの礼拝を行った。昼過ぎから村は前日よりも多くの人出が見られた。16:00-17:00,4ケ村の村人100人余りが,集会場の隣に設置された村人手作りの竹テーブルを囲み,夕食をとる。村人たちは,バナナの葉に包まれた米飯と,皿に盛られたブタ肉入りのカレーを,歓談しながら食す。久方振りの再会グループは,特に話が弾む。18:30-18:45,子ども達を中心とする賛美歌合唱。19:20,礼拝が始まり,200人以上が出席。礼拝への出席は各自の意思にまかされているので,若者達の一部は自宅で音楽を聴いたり,爆竹を鳴らしたりしているが,非難されることはない。20:15,TKBC牧師,TKBC本部職員,バプ村村長,近隣のカレン族の村の幹部,及び周辺地域に立地する北タイ人の村の幹部たちが来賓として挨拶をする。礼拝に続き,村人有志が,風刺劇,賛美歌の独唱及び合唱,並びに聖句暗誦を披露する。21:00頃,冷風が山面を吹き下り始め,出席者は徐々に帰宅の途につく。しかし子ども達の多くは,薄着であるにもかかわらず会場に暫く留まる。その後何度かに亙り,菓子が配られるからである。23:00頃,自然閉会。気温は摂氏15度を記す。
2008年12月31日,ホエケオボン村を含む近隣3ケ村29)は合同で,大晦日の礼拝をホエファン村30)に於いて行なった。大晦日の礼拝は,教会横にある,支柱と屋根だけの恒常的な野外集会所で行なわれた。ホエチャンタイ村でのクリスマス礼拝時と同じく,集会場の床には乾いた藁が敷かれている。集会所正面のステージにはカレン文字による横断幕「明けましておめでとう!」が掲げられ,その周囲を赤,青,緑,及び黄に灯された豆電球が飾る。厚紙で作られた色取り取りの星が,梁から糸で下げられている。礼拝で用いる楽器等の機材は,ホエチャンタイ村でのクリスマスの礼拝時と同様である。19:00-19:20,村の若者(男性)が,ホエチャンタイ村の礼拝でも見られたように賛美歌合唱の先導係りを務め,礼拝前の賛美歌合唱をリードする。子ども達も積極的に歌う。この礼拝には,ホエファン村の150人,ホエケオボン村の80人,ホエチャンタイ村の50人,メースリン難民キャンプの聖書学校関係者50人,及びその他数村の村人の合計300人余りが出席した。19:20,大晦日の礼拝が始まり31),3ケ村の教会合唱団が順次賛美歌を披露する。賛美歌と賛美歌との合間に,村の牧師による説教が入る。21:00頃,閉会。続いて,前節で述べたバプ村でホエケオボン村合唱団が行な【131頁】ったものとほぼ同じ形で,大晦日のキャロリングが行われる。即ち,21:30-23:45,メースリン難民キャンプ聖書学校合唱団の学生やその友人等50人が,2手に分かれて村の各戸を回る。合唱団員の年齢構成は15歳から20歳代後半くらいまでで,女性がやや多い。合唱団の声量,発声方法,及び音程維持のどれについても,普段から西洋音楽基準に則った訓練のよく行き届いていることが窺われる。キャロリングの手順は,訪問宅の戸口付近で賛美歌1曲,次いで居間に招き入れられ別の賛美歌1,2曲を歌い,その後に献金及び菓子を訪問宅より受け取る。メースリン難民キャンプの聖書学校合唱団は,長い聖句の暗誦及び祈りを,曲と曲との間に入れる。その年に死者の出た家や病人のいる家では,特に念入りな祈りが捧げられる。キャロリングで得られた献金は,ホエファン村の各世帯から難民キャンプ聖書学校に対する,経済的支援の意味を有する。24:00少し前,難民キャンプ聖書学校合唱団の2組が,教会横の集会所に夫々戻り,合唱団員と村人達とを合わせて300人余りが再びここに集結する。19:00礼拝への出席者は更に増える。ステージで難民キャンプ聖書学校合唱団が合唱。24:00,新年を迎え,難民キャンプ聖書学校合唱団は《Happy Birthday to you!》の旋律に,カレン語の歌詞を乗せて歌う。続いて,出席者全員が賛美歌数曲を合唱する。この間,教会脇の広場から,10分間に亙り花火が次々に打ち上げられた。
2009年1月1日,ホエケオボン村を含む近隣3ケ村は,元日の礼拝を,前日の大晦日礼拝と同様にホエファン村に於いて合同で行った。6:00,集会場に集まった村人達は,礼拝前に手拍子を取りながら賛美歌7,8曲を合唱する。6:30,早朝の礼拝が始まり,ホエケオボン村創設者ルーサンプラー・ヨーチョチャラー氏 Lu Sanprah Jochocharatの息子ヨハン牧師Thra Johan32)が,司会を務める。200人以上の出席者は5〜6曲の賛美歌を合唱し,難民キャンプ聖書学校合唱団は,ステージでゴスペル・ソング Gospel song33)を披露する。8:00,礼拝が終了する。10:00-11:30,村の小学校校庭で3ケ村対抗運動会が開催され,若者を中心とするサッカー,セパタクロー,及び綱引きが行なわれる。競技出席者及び観戦者は,合計200人を超える。11:40-12:00,正午の礼拝前の賛美歌合唱が行なわれる。12:00,正午の礼拝が始まる。5〜6曲の賛美歌が合唱され,説教や祈りが行なわれる。14:20,礼拝が終了する。その後,19:00に夜の礼拝が始まり,300人以上が出席する。この折り各村の教会合唱団は,ステージで夫々賛美歌を歌う。20:30,礼拝が終了し,余興等の発表会が始まる。20:50,子ども達が聖句を暗誦。21:20,難民キャンプ聖書学校の学生達が,本格的なキリスト生誕劇をステージで発表。学生達の作成による大道具や小道具は,なかなか良く出来ている。子ども達は熱心に観劇。22:20,有志によるコント,隠し芸,及び賛美歌合唱が,ステージで披露される。23:00,GONGOVAがカレン族居住山村で進めているヴォランティア活動に対して,記念品34)が贈呈される。24:00,ステージ発表会の終了と共に,元日の礼拝プログラムは閉幕した35)。
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バプテスト派キリスト教徒カレン族にとって最大の行事である各教区の年次総会は,例年3月下旬〜4月上旬の間に,3日間の会期で教区毎に開催される36)。メーホンソン教区年次総会は,2009年には3月25〜27日,2010年には3月24〜26日に開催された。教区年次総会には,村の全戸がバプテスト派キリスト教に帰依する13ケ村37),並びに必ずしも全戸がバプテスト派キリスト教に帰依はしていない十数ケ村から,合わせて2,000人(2009年)〜1,500人(2010年)の村人が出席した38)。なお,2009年の教区年次総会には,3ケ所の難民キャンプ39)内に各々設置されている聖書学校から,学生及び教師が出席した。総会の会場は,上記13ケ村が輪番で担当する。2009年の総会はGONGOVA活動拠点の一つであるホエケオボン村で,また2010年の総会はホエブロイ村で,夫々開催された。
以下では,ホエケオボン村で2009年に開催された,メーホンソン教区年次総会について,総会用集会場設営作業40)の様子,及び1日目から3日目までの総会の流れを概観する。
教区年次総会が開催される特設の集会場は,2007年にGONGOVAが建設した「ホエケオボン村コミュニティ・ハウス」の東側に広がる水田用地に,同村の村人が協力して仮設した。1,500人以上の収容が可能なこの集会場は,村人が3月上旬に山から切り出してきた直径10〜15p,長さ2.5m〜3mの若木を,支柱及び梁に用い,屋根代わりに青色のビニール・シートを被せ,その上を,シートが風で吹き飛ばされないように,細めの竹を用いて1m間隔で固定する。集会場の前面にはステージが設けられ,幾つもの蛍光灯が梁に取りつけられる。照明器具の電力には,ガソリン・エンジンによる発電機を使用する。ステージの裾は花壇で囲まれ,花壇には十字架が玉石で象られている。ステージに近い支柱には花かごが下げられ,他の支柱の根元にはバナナの葉が2,3枚ずつ取りつけられる。梁や支柱には,風船や色厚紙の飾りも付けられる。ステージの左右には,総会数日前に搬入された大型スピーカーが設置される。集会場から100m程離れた水田用地(乾季の3月は非耕作地)には,竹製の大変長いテーブルが出席者の食事用に3列設けられる。このテーブルにより,凡そ500人が一度に食事をとる事が可【133頁】能となる。村の東側を流れる渓流沿いに調理場が設けられ,調理を担当するホエケオボン村の村人20人程が,総会期間中ここに寝泊まりをする。なお,調理及び給仕は,ホエケオボンの村人が男女の区別なく担当し,食器は渓流の水で洗い長テーブルの上で乾かす。
年次総会1日目に当たる2009年3月25日の12:00-17:00の間,荷台に溢れんばかりの総会出席者を載せたピックアップ・トラックが,ホエケオボン村に続々と到着する。総会の代表幹事2人がコミュニティ・ハウスで打ち合わせをする。両者は夫々ホエトン村及びホエヒー村の教会役員で,協力して総会の司会を務める。17:00-18:00,出席者が夕食をとる。18:30-19:00,集会場で出席者全員が賛美歌合唱を行なう。19:00-20:30,礼拝が行なわれる41)。この折り,13ケ村の教会合唱団は賛美歌を順番に披露する。20:30-21:00,出席者全員が賛美歌«カレン国歌 The Karen National Anthem»42)を斉唱し,各村の教会代表者が色取り取りの村旗を掲げて壇上に整列する。その後,教区年次総会の開会が宣言される。21:00-21:20,メーホンソン県庁の幹部が来賓挨拶。次いでメーホンソン市長がGONGOVAの活動に対する謝辞を述べ,礼拝が終了する。21:20-24:00,ポスト礼拝プログラムとして,有志による隠し芸,風刺劇,及び賛美歌合唱が披露された。
年次総会2日目に当たる26日の5:30-6:00,まだ夜の明けきらない会場に電気が灯され,礼拝前の賛美歌合唱が始まる。前日と同じく,賛美歌合唱を先導する係りの若者が,ステージの上から出席者が次に歌う賛美歌の冒頭を歌う。エレキ・ギター,エレキ・ベース,及びドラムスが大音量で伴奏する。会場の出席者が次第に増える。6:00-7:00,朝の礼拝が行なわれる。7:00-8:00,出席者が朝食をとる。8:30-9:00,教区年次総会幹事等による,打ち合わせのミーティングが開かれる。9:00-10:00,午前の礼拝が行なわれる。10:00-12:00,集会場で成年(20歳)以上の男性による全体会議が開かれる43)。コミュニティ・ハウスの1階で,女性による会議が開かれる。12:00-13:00,出席者が昼食をとる。13:00-15:00,午後の礼拝が行なわれる。礼拝後,ホエケオボン村の女性たちがステージ上に招かれ,労らいの拍手を出席者から受ける。 15:00-17:00,他村からの出席者は,ホエケオボン村内の逗留先に戻り休憩をとる。16:30-18:00,出席者が夕食をとる。18:00頃,強いスコールに見舞われ,家屋内まで風雨が吹き込むが,村人は気に掛けることなく各所でギター伴奏の賛美歌を歌う。18:30-19:00,礼拝前の賛美歌が7〜8曲続けて合唱される。19:30-20:30,夜の礼拝が行なわれる。メーホンソンン県庁幹部44)が来賓挨拶をし,同幹部がTKBCメーホンソン教区に60,000バーツを手渡す。20:30-22:00,賛美歌合唱に次いで余興等発表会が行なわれ,その後散会した。
年次総会3日目に当たる27日の5:30-6:00,7〜8曲の賛美歌が合唱される。6:00-7:00,早朝【134頁】の礼拝が行なわれる。7:00-8:00,出席者が朝食をとる。8:00-9:00,教区年次総会幹事等による,打合わせミーティングが開かれる。9:00-10:00,午前の礼拝が行なわれる。10:00-12:00,男性による会議及び女性による会議が,夫々前日と同様に開かれる。12:00-13:00,出席者が昼食をとる。13:00-15:00,午後の礼拝が行なわれる。16:30-18:00,出席者が夕食をとる。18:30-19:00,7〜8曲の賛美歌が合唱される。メースリン難民キャンプ聖書学校合唱団がステージに上り,賛美歌等を歌う。19:00-20:30,夜の礼拝が行なわれる。20:00-22:00,合唱に次いで,余興等発表会が行なわれる。各村の教会合唱団及び難民キャンプ聖書学校合唱団が,混声4部合唱の課題曲45)を競演する。競演形式をとっているが,村毎の教会合唱団同士の間では団員の貸し借りが許される。課題曲の楽譜は,印刷の不鮮明になった古い楽譜から写譜したものであろう。曲は,西洋の和声的な基準からすると明快な旋律を持つ有節歌曲形式でありながら,楽譜の所どころで非和声音が入っている。これは明きらかな誤植があった結果と思われる。各村の教会合唱団はこの誤植部分について,響きの観点から手探りで独自に修正を施しているため,同一の課題曲が与えられているにもかかわらず,かえってヴァリエーションに富んだ合唱が披露された。その後,自然散会46)。
第3-3〜3-5節では,12月のクリスマス休暇礼拝から大晦日・元日礼拝を経て3月のメーホンソン教区年次総会に行なわれる礼拝を,賛美歌の役割に照準を合わせて順次概観した。これらの礼拝に出席したバプテスト派キリスト教徒カレン族の村人は,数多くの賛美歌を合唱し,彼女ら彼らはほぼ口を揃え,「賛美歌を歌うのは楽しい」と話す。こう語る理由には,一般的に第3-2節で述べた3つの指摘(a)〜(c)が適用され得る。このうち第2の指摘(b)との関連で,TKBC総主事サニー師は,第一筆者によるインタヴュー47)に対し,「賛美歌の大半は,聖書の中の神の言葉,或いは,愛,保護,慈悲,及び贖いについての理念と関係がある」48)と述べ,賛美歌を歌うことにより聖書の教えに一歩近づき得ることを示唆した。また,カレン族の新たな信者を得るためにも,賛美歌を活用しているとの趣旨を語った49)。
サニー師の考え方,及び本章で前節までに述べ来たった内容を踏まえると,賛美歌がバプテスト派キリスト教徒カレン族に極めて親しまれている理由として,第3-2節で紹介した3点の【135頁】うち,第2点(b)及び3点(c)の理由は,以下の(b')及び(c')のように再整理できる。
(b') タイのバプテスト派キリスト教徒カレン族を「音楽を愛する人々」にしたいとする,TKBC首脳部の意向は,山地のバプテスト派キリスト教徒白カレン族に好意的に受容されている。併せて,賛美歌はバプテスト派キリスト教徒白カレン族が聖書を学ぶ上での手助けとなり,且つ布教に益する機能50)を有する,とTKBC首脳部は考えている。
(c') 合唱者は,賛美歌合唱を通して,バプテスト派リスト教徒カレン族共同体としての,強いアイデンティティ51)を覚える。
以上より,白カレン族居住山村ホエケオボン村を含むメーホーソン地域のバプテスト派キリスト教徒カレン族に対し,賛美歌は強固な宗教的紐帯としての役割りを果たしていると言える。
―― メースリン難民キャンプ(赤カレン族)の事例 ――
本章では,第一筆者が2009年に訪問した,難民)キャンプ「カレンニー52)・レフジー・キャンプ 2 Karenni Refugee Camp 2」について,先ず概説する。次いで,同難民キャンプ内のカレンニー・バプテスト・クリスチャン・エヴァンゲル聖書学校 Karenni Baptist Christian Evangel Bible School,及び同校の音楽活動がカレン族社会の中で担う役割について触れる。
タイ・カレン・バプテスト・コンヴェンション(TKBC)は,メーホンソン教区年次総会を2009年3月25〜27日の3日間に亙り,GONGOVAの活動対象山村の一つであるホエケオボン村で開催した。総会には前述した様に,ミャンマー国境沿いに位置するカレンニー・レフジー・キャンプ 2(別称:メースリン難民キャンプ53))内にある,カレンニー・パプテスト・クリスチャン・エヴァンゲル聖書学校(以後,メースリン難民キャンプ聖書学校と呼ぶ)の学生及び教師も参加し,西洋音楽的な訓練の充分積まれた賛美歌合唱(合唱団員は10代後半から30歳前後に至る約30人)を度々会場で披露した。
UNHCR(国連難民高等弁務官)事務所が孜孜として支援する,「危機に瀕する人々」が受け入れられている難民キャンプは一般に,難民54)が一時的に居住する,どちらかと言えば無機的な施設として,誤ってイメージされる場合が少なくない。筆者らはこの点に関してそれなりの認識を持っていたつもりであったが,特に第一筆者は,ミャンマーからの難民が収容されているメースリン難民キャンプの聖書学校合唱団による,熟達した合唱に触れるとともに,団員【136頁】たちと親しく語り合う機会が増えるに従い,同合唱団が備えた高い音楽水準に驚きを禁じ得なかった。併せて,同難民キャンプが何故に音楽文化のかかるインキュベーターになり得るのか,強い興味を覚えた。
第一筆者はそこで,メースリン難民キャンプ聖書学校訪問の可能性を,ホエケオボン村の長老に尋ねてみた。彼はこの問いに,「聖書学校の校長が知り合いなので,私が案内しよう」と応じてくれた。丁度その場に居合わせて,この遣り取りを聞いていたホエケオボン村の村人たちの多くが,自分も一緒に訪問したいと希望した。長老は,「難民キャンプの人達は,知り合いでない部外者の訪問に対して,すぐに畏まって余所余所しく振舞うので,寧ろ村人と行った方が先方とより打ち解けられる。良い機会なので村人何人かと一緒に訪ねよう」と答えた。願っても無い事である。しかし,村人が難民キャンプを訪ねたいと何故に切望するのか,聊か腑に落ちない点があった。その後,2009年7月25日及び12月22日に,メースリン難民キャンプ聖書学校への訪問がかない,第一筆者はホエケオボン村の村人十数人の仲間の一人として,メースリン難民キャンプに入った55)。この訪問は,前述した「難民キャンプが,音楽文化水準を高めるインキュベーターの役割りを果たす理由」,及び「ホエケオボン村の村人が,難民キャンプ訪問を強く希望する理由」の一斑を理解する上で,貴重な経験となった。
ホエケオボン村を車で立ち,2時間後に途中のホエファン村を過ぎ,そこから急勾配の土道56)を西へ40分辿った先で行き当たる流れの浅瀬を渡ると,直ちにメースリン難民キャンプのゲートに達する。ゲート脇にはタイ陸軍の検問所57)があり,訪問者はここで入村許可を受ける。
赤カレン族難民キャンプ「メースリン村」の世帯数は凡そ700戸,人口は7,000人を数える58)。大半は,バプテスト派キリスト教徒である。また殆んどの住人は,タイ語を話せない。メースリン村の道路は未舗装であるが,同村の佇まいは,政府やNGOが自然災害に襲われた場所の近傍に通常設営する,帆布製大型仮設テントの連なる緊急避難用施設の姿とは異なる。同村には慎ましやかながらも,木と竹を主な建材に用いたカレン族の伝統的高床式家屋が並ぶ。村内を蛇行して流れるメースウェイ川沿いに,同村は4区画(Section 1〜Section 4)59)に分割されており,主な宗教施設として,聖書学校1,プロテスタント教会3,カトリック教会1,及び仏教寺院1がある。教育施設としては,初級学校3,中級学校1,高級学校1,及び最上級学校1がある。行政施設として青年組織事務所1,国家女性組織事務所1,配給物資倉庫1,管理事務所1,教育局事務所1,及びヘリコプター発着場1があり,厚生施設として保育所4,障害者施設1,及び病院1がある。村内にはその他,食品雑貨を扱う小売店が多数点在する。なお,イギ【139頁】リスと関連を有する6つのNGO60)組織が,同村内に現地事務所を置いて活動している。
この難民キャンプに設けられている聖書学校の校長の話しによると,キャンプ内の難民がタイ国以外の国に「第三国定住」先として受け入れられる状況については,毎年100〜200人がオーストラリアへ,約100人がアメリカへ渡る61)。メースリン難民キャンプ聖書学校の教師の中から,オーストラリアやカナダ等に渡る人も少なくない。他方,主としてミャンマーのカヤー州からは,毎年100〜200人の赤カレン族の人々が,難民としてメースリン村へ新たに入村する。
同難民キャンプで暮らす大半の人々は赤カレン族であるが,メースリン難民キャンプ聖書学校校長によると,難民キャンプ内には次の8つの赤カレン族下位言語集団に属する人々がいる62)。それらは,カヨー族 K-yow,カヤー族K-yah,ムノー族M-naw,ムヌー族M-nu,プドー族P-daw,ポク族Puku,ブレー族Breh,及びシャン族Shan63)である。
メースリン難民キャンプをこのようにして訪問できたことにより,ホエケオボン村の村人がメースリン村の訪問を楽しみにしている理由の一つを知り得た。即ち,ホエケオボン村の村人は,多くの友人・知人・血縁者が居住する場,並びに貴重な出会いが新たに生まれる場として,難民キャンプを認識する場合が屡々あると思料される64)。
メースリン難民キャンプ聖書学校の校舎は,メースリン村へゲートから入りメースウェイ川に架かる大きな橋を渡った後,始めて現われる区画(第4区画,Section 4)内にある。同校の構内には,2教室65)の校舎,寄宿舎兼事務所,食堂兼学生ホール,礼拝所,及び中庭がある。この聖書学校は2000年に,メースリン難民キャンプ内外からの献金により開校され,同校の担う主な役割はバプテスト派牧師の養成にある。一説によると,卒業生の大半は,ビルマ・カレン・バプテスト・コンヴェンション(BKBC)がターゲットに置く,ミャンマー国内の布教強化地域66)へ,牧師として派遣されることもあると言われる。
【138頁】
同校の最高意思決定機関は上級評議委員会Exclusive Committeeで,議長,事務局長,会計担当,会計監査担当,学校長,及び渉外担当の6名により構成される67)。上級評議委員会の下に,評議委員会Committeeがある。評議委員は8名でその半数は,メーホンソン県北部のカレンニー・レフジー・キャンプ1 Karenni Refugee Camp 1(別称:ナイソン難民キャンプ Nai Soi,又はナイソン村)内にあるインマヌエル教会 Emmanuel Churchの役員が,兼務している。評議委員会の陣容は,メースリン難民キャンプとナイソン難民キャンプの密接な連携を示唆している。
メースリン難民キャンプ聖書学校は,内外の団体及び個人からの資金援助に拠り,運営されている。具体的には,同難民キャンプから受け入れ国へ渡った難民キャンプ聖書学校の元教師達,ベルギーの慈善団体68),アメリカの女性団体,ノルウェーの教会,並びにフィンランド,ノルウェー,及びオーストラリア等の有志からの支援があり,2005年の実績運営予算は凡そ年350,000バーツであった。大まかな支出内訳は,「教師9名分の人件費」,「教師及び学生の食費」,並びに「学校行事及び校舎修繕に要する経費,並びに文具,炊事場燃料,及び発電機燃料などの購入費」に,分けられる。
聖書学校の教師及び学生の人数は2009年12月時点で,教師9名及び学生29名(4年制25名,2年制5名)であり,4年制の学年別学生数及び性別内訳は,第1学年女3・男8,第2学年女4・男5,第3学年男1,及び第4学年女4となり,女子学生は計11人,男子学生は計14人を数える。学生の年齢は18〜20歳が大半(学生の最高齢は40歳代)で,ミャンマーのカヤー州第二郡からの出身者が多い。学年度は,毎年5月に開始され翌年4月に終了する。授業は月曜日から金曜日まで行なわれる。1日の授業は7コマ制で,1コマがタイ語,残りの6コマは聖書研究に当てられる。食事は自炊である。
ミャンマーでの布教活動に資する牧師の養成を主要な役割りの一つに据えた,メースリン難民キャンプ聖書学校には,BKBCの神学局(所在地:ミャンマー)69)が管轄する神学研究課程 Curriculum for Certificate of Theological Studyの卒業生が,通常は入学する。同聖書学校はこのように,BKBCとの繋がりが深い。
メースリン難民キャンプ聖書学校では,キリスト教音楽に関するカリキュラムは定められていない。しかし同聖書学校の学生たちは,休日や平日放課後等に教師の指導下で,賛美歌や宗教劇を学習し練習する70)。また,難民キャンプ内外で催されるキリスト教関連行事に招かれ,賛美歌や宗教劇を披露する機会も多い。学校に鍵盤楽器は備えられていないので,伴奏にはフォーク・ギターが活躍する。また,同聖書学校は,タイ国内メーホンソン教区内のカレン族山村に対して,合唱指導や楽譜の貸与を行なっている。
前章でも触れたが,TKBCメーホンソン教区では,1年に3回の大規模なキリスト教関連行【139頁】事に於ける礼拝(クリスマス休暇の礼拝<3日間>,大晦日及び元日の礼拝<2日間>,並びに教区年次総会の礼拝<3日間>)が催される。一般にこれらの礼拝は,1日を通して見ると,早朝,午前,正午(教区年次総会のみ),午後,及び夜に夫々持たれる。夜の礼拝には,屡々余興等の発表会的要素が加えられる。合唱について言えば,各礼拝前15〜30分前から集まり始める人々による賛美歌合唱,次いで各礼拝時に於ける正規の賛美歌合唱(5〜7曲),更に,余興等発表会での村落対抗の賛美歌合唱コンクールなどがある。これらの礼拝や催しで,メースリン難民キャンプ聖書学校の学生は,見事な賛美歌合唱を披露する。
賛美歌合唱と併せ,同聖書学校の学生は聖句暗誦にも大変長けており,機会が与えられる度びに聖句暗誦を披露する。実際,学生達が行なう祈りの場では,賛美歌合唱と聖句暗誦は車の両輪に似ており,例えば自動車を購入した人を祝うために賛美歌を歌い,続いて聖句を暗誦して交通安全を神に請う。或いは,病苦の人を励ますために賛美歌を歌い,次いで聖句を暗誦して平癒を神に願う。
メースリン難民キャンプ聖書学校はこのように,学生達が披露する賛美歌合唱,宗教劇,及び聖句暗誦を介して,タイ国内北部地域のカレン族居住集落に対するキリスト教の布教に,少なからず貢献していると考えられる。
―― ホエヒンラートナイ村(白カレン族)の事例 ――
本章では先ず,精霊信仰を併せ持つ仏教徒白カレン族が居住する,チェンライ県 Chiang Raiホエヒンラートナイ村 Ban Huay Hin Lahd Naiについて述べる。その後,同村に於いて伝承歌と伝統楽器デナーがどのように扱われているか,考察する。
ホエヒンラートナイ村は,1964年に現在地に集落を形成した白カレン族居住山村で,チェンライ市街地中心部から車で2時間半のところに位置する。同村は厳密に言えば,チェンライ県ウィアンパパオ群Wiang Pa Paoバーンポン区Baan Pong 第7村(ムー・チェット Moo7。第7村は,ヒンラート村 Ban Hin Lahd とも呼ばれる)の大字ホエヒンラートナイHuay Hin Lahd Nai に当たる。第7村には他に,大字ホエヒンラートノック(白カレン族居住集落),大字パユヤン(白カレン族居住集落),及び大字ホエサーイカオ(赤ラフ族居住集落)がある。なお,行政区画上の県,郡,区,及び村は,夫々タイ語でチャンワット Changwat,アムパー Amphur,タムボン Tambon,及びムー Mooと呼ばれる。
標高は950mで,2010年9月現在の世帯数は21戸,人口は95人を数える。宗教に目を遣ると,全戸が仏教に帰依しているが,同時に精霊信仰の祭祀儀礼も継承している。この点については,ホエヒンラートノックとパユヤンでも同様である。他方,ホエサーイカオでは,全戸がキリスト教プロテスタントに帰依している。経済面で村人は,陸稲及び水稲の耕作や家畜(ブタ,ニワトリ等)飼養の外に,「茶の栽培及び竹の子や果実(ドングリ類,ポメロ<白カレン語ではマオサ>,グアバ,カキ等)の採取」によって代表される持続的森林保全型農業(アグロフォレストリー71))等を,生業としている。村内のライフ・ラインは必ずしも満足に整備されて【140頁】はおらず,電気は太陽光発電パネルを用い蛍光灯を灯す。生活用水は,近くの渓流に設けられた小型堰の取水口から,塩化ビニール・パイプで村内の貯水槽に引かれ,そこから配水管で各戸に給水される。携帯電話は通じない。なおGONGOVAは,2008年から草の根的NGOヴォランティア活動拠点の一つを同村に置き,コミュニティ・ハウスの建設,簡易水道施設の整備,村落へのアクセス道路や熱帯林防火パトロール用林道の普請,防火帯・森林消火連絡システムの整備,換金性果実樹木苗木の栽培・移植,同樹木の育苗用遮光施設の建設,緑化促進と所得創出に資する熱帯養蜂農業の導入,並びに食用ガエル養殖等のプログラムを支援している。
ところで同村は,熱帯林の維持・再生及び利活用面で優れた識見と豊かな経験に富む集落72)として,テレビや雑誌で時折り紹介される。実際,持続的森林保全型農業を積極的に取り入れている同村は,中央・地方政府諸機関や内外のNGO団体73)との連携に努める共に,タイ北西部のカレン族居住山村凡そ180ケ村と,森林環境保全を目的とする協力ネットワークを構築し,その中心的役割を担う。同村はまた,チェンマイ県やチェンライ県などに散在する他の山村,又は種々の教育研究機関から訪ねてくる見学者を積極的に受け入れ,乞われれば持続的森林保全型農業の「生きた博物館」とも言える同村の共有林に屡々案内し,熱帯林環境の価値に関する知識の普及,及びカレン族が伝統的に有する森林管理哲学の発信に努めている。
なお,ホエヒンラートナイ村定住人口の年齢構造特性としては,筆者らが現地調査を行なった他のタイ北西部地域内村落と比較し,村落総人口に対する若者の割合いが多い74)。
タイ北西部に存在するカレン族集落の代表的宗教グループは,大まかに類別すると,バプテスト派キリスト教徒,精霊信仰を併せ持つ仏教徒,及び精霊を主に信仰する人々の3集団に分けられる。このうち,バプテスト派キリスト教徒の集落では,伝承歌や伝統楽器がほぼ途絶え,精霊信仰を併せ持つ仏教徒の集落や精霊信仰を主とする集落では,伝承歌や伝統楽器は連綿と受け継がれている,と一般に理解されている。
【141頁】
しかし筆者らは,ホエヒンラートナイ村で精霊信仰を併せ持つ仏教徒カレン族の人々と親交を深めるにつれ,同村では若者達がカレン族の伝統楽器デナーの演奏を担っており,年長者はデナー演奏に必ずしも長けてはいないことに気付いた。本節で試みる考察の誘因は,この気付きにある。
さて,白カレン語で「デナー」と呼ばれる竪琴(姿は所謂「ビルマの竪琴」とほぼ同形)を,ホエヒンラートナイ村全世帯21戸のうち6戸が保有する75)。デナーは,伝承歌の伴奏に専ら用いられる楽器で,奏者はこの楽器を両膝の上に置き,両腕で両側から抱えるようにして弾奏する。7音階用のデナーは8本の弦76)を有し,調弦は曲毎になされる77)。伝承歌の歌い手は,デナーを自ら伴奏しながら低唱78)する。なお,第一筆者がホエヒンラートナイ村で目にした6台のデナーは,全て各デナー奏者自身が手作りしたものであった。
同村で日常耳にするデナー伴奏付きの伝承歌には,《ボバミ》,《ソーポオ》,及び《セグロアキグリウ》の3曲がある79)。他方,村にはデナーの伴奏なしで歌われる伝承歌が,多数受け継がれている。村の祭祀長によると,その数は150〜200曲にのぼる80)。デナー伴奏なしの伝承歌は,主として農繁期に,定住・循環型焼畑農耕の畑地で野良仕事中に多くの村人によって歌われ,特に籾播き(5月),雑草刈り(8月),稲刈りの準備(10月〜11月),及び稲刈り(11月)の時期には,盛んに歌われる81)。その他に,村内の結婚式,葬儀,及び祭祀等非日常的な集まりの場で,村の祭祀長や長老達によって歌われるデナー伴奏なしの儀礼用伝承歌が,僅かながらある82)。
ホエヒンラートナイ村では実のところ,現在の祭祀長を始め長老達は,少なくとも彼ら彼女の祖父母の世代以来(即ち3世代に亙り),デナーの楽器そのものやデナー演奏法は受け継がれずに中断していた。実は,精霊信仰を併せ持つ仏教徒山村のうち,メーホンソン県を中心に散在する集落に於いては,カレン族の伝統的な民族楽器デナーとその演奏法が,大抵の場合現今まで受け継がれている。しかし,チェンマイ県及びチェンライ県の精霊信仰を併せ持つ仏教徒集落に於いては,殆んどの場合,伝統楽器デナー及びその演奏法は比較的近頃まで一時途絶【142頁】えていた。最近は,地方政府やNGOからの働き掛けもきっかけの一つとなり,デナーの楽器そのもの及び演奏方法の復興が,カレン族のネットワークの助けを借りて急速に広がりつつある。この様な潮流の下で,ホエヒンラートナイ村の若者達は現在,チェンマイに在住するカレン族のデナー教師83)から,伝承歌とデナーの演奏法を習っている84)。この背景には,「村落への訪問客にデナー伴奏付きの伝承歌を若者が披露することを通して,外部の人々にカレン族の社会的文化的存在意義を表わすことの重要性」を,村の長老達がしっかりと認識している実態がある85)。
この様にして,ホエヒンラートナイ村の伝統楽器デナーとその演奏法は,村人の日常生活の中に再び蘇ることになった。
本章では,本研究の考察に拠り新たに得られた知見,及びそれがGONGOVAの活動に対して有する含意を,夫々整理する。次いで,考察の過程で関心を喚起された将来の研究課題について記す。
主として現地調査に基づく本研究では,バプテスト派キリスト教徒の山地白カレン族,バプテスト派キリスト教徒であり難民キャンプに住む赤カレン族,及び精霊信仰を併せ持つ仏教徒の山地白カレン族が,夫々見せる音楽に対する基本姿勢を考察した。そこでは特に,バプテスト派キリスト教徒カレン族が,「自分達の属する宗教共同体86)が賛美歌に期待する,広義の政治的戦略上の役割」(第3,4章)や,精霊信仰を併せ持つ仏教徒カレン族が,「自分達の集落内共同体87)が伝承歌に期待する,広義の政治的戦略上の役割」(第5章)を探った。その意味で本研究の試みは,音楽政治学的考察とも呼べよう。
この考察の成果として,以下の知見を得た。
(1) バプテスト派キリスト教徒カレン族の宗教共同体TKBCが,メーホンソン地域をはじめ各地で積極的に取り組む賛美歌合唱活動は,同共同体構成員の一体化に資する社会紐帯【143頁】の役割を果たしている(第3章)。
(2) BKBCの傘下に置かれているメースリン難民キャンプ聖書学校は,在学学生が披露する賛美歌合唱,宗教劇,及び聖句暗誦を介し,TKBCに帰属するタイ北西部地域カレン族集落に於いて,バプテスト派キリスト教の布教及び好印象化に貢献している(第4章)。
(3) 精霊信仰を併せ持つ仏教徒の集落であるホエヒンラートナイ村で,日常聞かれる伝統楽器デナーの演奏付き伝承歌は,往時より連綿として受け継がれてきた訳ではない。実態は,一時途絶えていたこの音楽文化を,主として同村の若者達が実質的な担い手となって,近年復興させた伝統的営みである。この復興には,「村の伝統文化を主体的に発信する姿勢」を自己社会保存戦略として是とする,同村長老たちの認識が与って力がある。(第5章)。
以上の知見は,GONGOVAを一つの実践例とする「草の根的国際協力NGOヴォランティア活動プログラム」をタイ北西部で実施する際,以下の形で文化理解の素地となる。
(1) 協力対象山村が有する音楽的社会文化の尊重。ヴォランティア活動プログラム参加青年達は,バプテスト派キリスト教徒カレン族集落(例えばホエケオボン村)で,村人と共に賛美歌を合唱する機会が与えられたとき,特に差し支えなければ積極的に合掌の輪に加わることにより,同村の社会文化を自然と尊重する態度を,訪問者・短期滞在者として的確に表わすことができる。
(2) 協力対象山村が関わる音楽政治の理解。プログラム参加青年達は,メースリン難民キャンプ聖書学校の学生達を賛美歌の優れた歌い手として認識するとともに,賛美歌合唱に託された音楽政治的機能を理解することにより,村人や難民キャンプ聖書学校の学生達と音楽をめぐる種々の会話を交わす際に,政治的又は宗教的背景を鑑みない不用意な誤解による発言を避けることができ,更には比較的木目細かな語らいが可能となる。
(3) 協力対象山村が有する伝統音楽文化の認識。プログラム参加青年達は,「ホエヒンラートナイ村で耳にする伝統楽器デナーの伴奏付き伝承歌は,村の若者達が中心となり近年復興したものである」と知ることにより,地域の伝統音楽文化は一旦中断しても,関係者の努力により蘇生され新たに継承され得る可能性を確認できる。この認識に助けられ,参加青年達は村の若者達の努力を称えながら,村の伝統音楽文化の豊かな芸術的・歴史的味わいを,村人達と分かち合うことができる。
上で整理した,音楽的社会文化の尊重,音楽政治の理解,及び伝統音楽文化の認識に関わる事柄の主要点については,草の根的国際協力NGOヴォランティア活動プログラムが現地で実施される前のオリエンテーション等で,参加予定者に適切な解説が前広になされることが望まれる。
本研究を進める過程で,比較的強い関心を新たに促された研究テーマとして,以下を挙げる事ができる。
【144頁】
(1) カレン伝承歌の追加的収集,並びにそれら収集された伝承歌の楽曲構造分析,楽譜分析,及び歌詞解釈(第2章)。
(2) カレン賛美歌のカレン語歌詞解釈(第3章)。
(3) KNU,BKBC,及びTKBCの3者間関係(第4章)。
(4) イギリス系NGO団体の援助が,メースリン難民キャンプに及ぼす宗教的・政治的・経済的影響(第4章)。
(5) 森林を利活用する主体を歴史的視点に置いて語られる,「タイ北部山地先住民」(第5章)。
(6) 精霊信仰を併せ持つ仏教徒カレン族集落に於ける,現代的なカレン・ポップス音楽文化(第5章)。
(7) カレン諸族の宗教的3大範疇(バプテスト派キリスト教徒の山地白カレン族,バプテスト派キリスト教徒の難民キャンプ赤カレン族,及び精霊信仰を併せ持つ仏教徒の山地白カレン族)には属さないカレン族(例えば,メーホンソン県メーチャン村に居住するポー・カレン族)の,音楽に対する基本姿勢。
これら個々の研究テーマに適切なテーマを更に加えて束ねたメタ・テーマを,音楽学,言語学,政治学,経済学,宗教学,文化人類学,民族学,及び社会学を跨ぐ広領域的なアプローチに拠り取り組む試みは,本研究のささやかな成果を遥かに凌ぐ,貴重な知見を齎すものと期待される。
本研究を進める上で,インタヴュー或いは講演の形でお話を伺った,次の方々に深い感謝の意を表する。
TKBCのサニー・ダンポンピー総主事 Reverend Sunny Danpongpee(2008年12月22日,TKBC本部でのインタヴュー。及び2010年2月26日,ホエブロイ村でのインタヴュー),
ローマ・カトリック教会チェンマイ司教区のヨゼフ・サンヴァル・スラサラン前司教 Monsignor Joseph Sanngval Surasarang(2009年3月17日,同チェンマイ司教区本部でのインタヴュー),
国連難民高等弁務官事務所メーソート事務所の税田芳三前所長(2009年10月5日,東京大学駒場キャンパス18号館での講演会),
日本バプテスト海外伝道協会の大里英二宣教師(2010年6月13日,日本バプテスト柏教会での講演会),及び白百合女子大学・武蔵大学の岸本昌也非常勤講師(2010年7月5,6及び22日のインタヴュー)。
併せて,同じく貴重な情報を賜った,サワ氏 Sawas Anurak-Vanapan をはじめとするホエケオボン村の方々,プリーチャ氏 Preecha Siri をはじめとするホエヒンラートナイ村の方々,チャカパン教授 Chakrapand Wongburanavart をはじめとするメーファールアン大学の方々,ウマポン教授 Umaporn Wongburanavart をはじめとするチェンマイ大学の方々,及びGONGOVA参加者の方々に多謝する。
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