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IPO における情報と公開価格決定方式
~ブックビルディング方式はなぜ優勢な公開株価決定方式なのか?~
辰巳 憲一*
1. はじめに
新規株式公開における,2大方式であるブックビルディング方式とオークション方式(入札方式ともいう)について,なぜブックビルディング(以下BB と略)方式はオークション方式に代わる方式となったのだろうか?これは数年前から専門家の間で持たれている疑問である。そこで,本稿では,BB 方式が優勢になったのは,情報と情報に係わる費用が関係していることを情報の経済学を基に考察してみよう。
日本では,BB 方式が導入されてから,既に13年以上が経つが,オークション方式は以来行われたことはない。それゆえ,オークション方式を滞りなく行える証券マンは実際上いなくなり,民間会社ではいまさらオークション方式を行うことなど考えられない状況である。それにも係わらず,文献を手繰って少し時間をかければ,業務は行えるので,オークション方式は採用すべきでないという理由にならない。むしろ理由にしてはならないだろう。両方式の比較を行う理由は,国債など債券では依然としてオークション制度がふつうであり,株式の新規公開にあたって両方式の比較を行うことが必須(場合によって義務)になっている発行体が存在しているからである。
また,BB 方式を見直して問題点を改善していこうとする動きが幾つかの国である点も重要である。この点についても本稿で考察してみよう。さらに,一つの応用事例として,政府保有株式のIPO,つまり売り出しについても問題点を考察してみたい。
なお,文献を展望する際,分析に用いられたサンプルの期間は当然それぞれの研究で異なっており,厳密な議論をするならば,経済的な意味も異なってくる。しかしながら,本稿ではこの点を厳格に議論しない。
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2. プレーヤーと論点の展開
BB 方式という制度がどのように生まれ,どのようなプレーヤーが参加しているか,簡単に紹介して,関連する論点を展開しておこう。
冒頭にあたって簡単に説明しておくと,BB 方式とは,発行会社が希望する発行価格をもとに,機関投資家の意見も参考にして,一定の株価範囲である仮条件(price range)がまず設定され,引受幹事証券会社(発行会社との間で投資家への公開株式販売を引き受けた証券会社)を通じて,投資家に仮需要を積み上げ(これが狭義のBB)てもらい,その需要状況や上場までの価格変動リスクを勘案して,公開価格を決定する方式である。
(1)制度と研究の動向
米国以外の先進資本主義国でBB 方式が導入されたのは,ほぼ同じ1990年代中ごろから後半の期間である。BB 方式は多くの国にとって新しい制度なのである。
ほとんどの国で発行企業はどちらかの方式を(あるいは第三の方式が用意されていて3つのなかから)自由に選択できる。しかしながら,日本を含む多くの国では,多く(日本ではすべて)の企業はBB 方式を選択してきた。
公開価格決定方式を決めるのは本来発行会社である。発行会社が行うべき決定は,市場動向を見ながら,証券会社のアドバイスを受けながら,行われる(筈である)。しかしながら,現実はアドバイスを与えるに過ぎない証券会社のプレゼンスは大きい。
日本のデータでBB 方式とオークション方式の両者を比較検証した研究は,著者の知る限り,旧証取審答申,辰巳・桂山(2003)とKutsuna-Smith(2004)くらいなもので,非常に少ない。
債券市場でのIPO 研究はさらに少なく,世界的にも研究者の数は極めて少ない。株式と債券の間で研究者は異なり,別のグループになっているようである。債券IPO における両方式の比較についても研究はないのではないかと思う。
(2)多数の関係者の存在
一般のIPO の一大特徴は,証券会社(元引受,下引受),投資家(一般投資家,機関投資家),発行企業(経営者,大株主,その他既存株主),取引所,金融規制当局等など,と多数リストアップできるように,非常に数多くの関係者が,情報を持っている市場参加者と持っていない市場参加者のように,何らかの観点で強弱を持ちながら,係わることであろう。発行会社についても,業績予想が大変良いと見込まれている企業とそれが普通の企業,に分けられる。
これらの主体の利害は一般に相互に相反する場合が多い。その場合,経済力関係がIPOの結果に影響するものと思われる。
その他の関係者や分類区分もある。証券会社内には証券アナリストがいて投資家に対して情報を提供している。企業財務データという情報の正しさを保証している監査法人という組織も関係する。投資家に情報を提供するという点ではいわゆる証券の営業マンが代表する証券会社自身の力があるが,後述のように,米国では確立された証券会社評価指標が存在するが,これは日本では該当しない。
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アンダープライシング(underpricing)とは,公開価格が初値より低くなる現象をいう。当然のことながら原因は次のうちどちらかである。
①公開価格が低く設定され,取引所で初取引日に付く初値より低くなる。
②取引所の初取引日に高過ぎる価格が付く。
また当然のことながら,②に関する研究より,①に関する研究の方が断然多い。
アンダープライシングの原因については,非常に数多くの仮説が提示されるようになっている。もしどの仮説も,IPO アンダープライシングのほんの一部の要因をあげた部分仮説であると主張するならば,どの仮説も失格である。この観点からは,誰も部分仮説であることを認めようとしないが,著者の見るところ,残念ながらどの仮説も部分仮説である。
しかしながら,いくつか共通の発見がある。まず第一に,株式市場が不振の時期でも程度の差はあれ,アンダープライシングが観察される。第二に,採用される方式の主流がオークション方式からBB 方式に代わってもアンダープライシングが観察される,点である。
残念ながら,日本において,オークション方式とBB 方式の間での,アンダープライシングの大きさの違いの程度は分析されていない1)。採用されている時代と採用する企業が異なり,コントロールするべき変数が多い困難な計測になるからでもある。この点は後述する。
アンダープライシングの原因について,本稿の主題や最近の学会の関心事との係わりで,情報と流動性という2つ観点に限って要約しておこう。
(1)勝者の呪い
アンダープライシングの原因について初めて経済分析したのは,Rock(1986)である。「勝者の呪い(winnersʼ curse)」を避け2),情報を持っていない一般投資家にも応募してもらい,IPO
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銘柄を購入してもらうために,主幹事証券会社は公開価格を低くする,という仮説がRock(1986)によって提唱され,広く注目された。楽に売るために公開価格を安くする,ということである。
なお,一部後述のように,現在この仮説の妥当性について,全面的に信頼される状況ではなくなっている。
(2)市場流動性
市場の流動性が低い(換言すれば,手持ち証券の売買が容易でない)債券では,株式とは逆に,平均的にいつも公開価格の方が初取引日初値より高い, オーバープライシング(overpricing)が生じている。日本の実証と米国での実証分析の参考文献についてはMatsui(2006)を参照のこと。
J-REIT のIPO では,予想されるように,株式と債券の中間のアンダープライシングが生じている(辰巳(2008)参照)。
このような現象が生じる,考えられる理由としては,一つある。債券では,低流動性のため買い持ち(buy and hold)して満期まで保有するしかない。それが延いては投資家にとって無リスクになる。その結果,高い新発債価格でも買える余裕が生じる,からであろう。
債券発行市場におけるオークション方式とBB 方式の選択については,著者の知る限りまだ研究がない。また,日本の国債発行市場においては,オークション方式が採用されている。その理由の解明はまだなされていない。
さらに,株式市場の流動性(様々な尺度がある)がどういう影響をIPO に与えるかの分析は,著者の知るかぎり,存在しないのではないかと思う。
(1)事前情報
IPO の前に,何らかの形で株価が付けられている,あるいは何らかの意味で値付けがなされると,分析の意義が異なることになるので,分析から除外されるのがふつうである。日本では東証IPO を分析対象にしないのは,大証ヘラクレス・JASDAQ,東証マザーズ,からの転籍があるからである(東証への直接上場は少ない)。この場合事前に企業情報の公開があり,株価が付けられてきたからである3)。ちなみに,同じようにIPO 前に株価が付けられるグリーンシート市場は,取引銘柄数が少なく,考慮されることはない。
債券IPO は,実際上,既上場企業に限られ,この意味で株式IPO と同列には論じることはできない。株式と債券両市場が分断されて投資家層が異なっていても,企業情報の提供は一般に分断されていないから,債券IPO 研究が注目する視点や関心は株式IPO とは異なっており,注意して理解する必要がある。
海外に関しては,英国では,Premarket と呼ばれる,上場前に短期間だが,価格付けをするシステムが存在し,研究上は別扱いにされる。
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(2)BB 方式における情報抽出方法
BB方式においては,オークション方式の運営システム・運営者に代わって,主幹事証券会社が情報を持っていると思われる組織つまり機関投資家から情報を汲み取り,情報を持っていない人の需要を予想する。それによって,投資家に提示する公開価格の上限と下限(いわゆる仮条件。米国ではprice range )を決めることになる。この点についての仕組みは,万国共通である。
ちなみに,このIPO プロセスにおいて,機関投資家から情報の提供を受けることに対する報酬がアンダープライシングであるという仮説も存在し,欧米では有力である。しかしながら,機関投資家のIPO 銘柄保有が少なく,機関投資家がIPO から直接利益を受けることがない日本では,この仮説の意義は大きくない。もっとも,形を変えた,類似の仮説は成立するかもしれないことはありえる。
(3)「どこが主幹事証券か」が提供する情報
証券会社の引受業務についての腕およびその評価がIPO に関する事前情報となることがある。しかしながら,米国で確立された証券会社評価指標は有力引き受け業者数が極めて限られる日本では該当しないように思われる。
いわゆる旧大手証券,外資系,さらに最近はメガ銀系列を加えた3グループに分けられる大手とそれ以外とには引受能力に極めて大きな差がある。日本では,証券会社評価指標よりは,これら三者を区別した研究を行うべきであろう。
(4)アナリストの情報提供
アナリストは投資家に代わって企業情報を集め,広くマクロ経済的観点もとり入れて分析し,投資家に銘柄を推奨して,市場の情報生産を行っている,というのが伝統的なファイナンス経済学の考え方である。それらに基づきなされる投資家の投資決定と売買は価格に織り込まれ,価格を情報的にしている,というわけである。
しかしながら,アナリストの数は証券経営の観点から限られ,当然アナリストにカバーしてもらえる企業の数も限られてくる。アナリスト・カバレッジと呼ばれる現象である。アナリスト・カバレッジは勢い相対的に規模の大きい有名企業に偏ってくる。それゆえ,アナリスト・カバレッジは規模の代理変数ともみなされる傾向がある。
しかも,アナリストの実際は所属会社の利益に沿うよう行動しており,伝統的なシェーマから少しずれているようである。IPO に限らず,一般的にアナリストが証券市場の情報効率性を高めているのかどうかについて研究者の意見は分かれる。
(5)監査,上場審査などの情報
監査,上場審査の結果などというのも投資家にとって極めて重要な情報である。お墨付きを与えたに等しい,と考えたいが,一般投資家はどれ位信頼しているのか,そもそもどう考えているのかどうか,調査した研究は存在しない。
かつて米国でIT バブル崩壊の後,エンロン事件やワールドコム事件が起こった。その際,新しさもあってデリバティブや電力市場における不正取引に関心は向かったが,重要なのはむしろ監査の問題であった。監査の失敗の原因として明らかになったのは,情報生産の構造という観点から,情報生産に伴う費用の負担者(監査の場合は企業が該当する)と,生産された情報を利用して利益をえる主体(監査の場合は投資家が該当する)が一致しないという問題点を抱えていたことである。
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費用の負担者と利益をえる主体が一致しないという問題は,監査法人だけでなく,取引所や規制当局が係わる問題でも起こっている。これらの組織がえる利益とは一体何なのだろうか。正しく審査や監督を行っても,それがふつうという状況は誘因を損なわせる。厳しくすると,やり過ぎと非難される可能性もある。もっとも,それなりに行っておこう,という御座なりが幅を利かせている,と言うと評価する方が言い過ぎかもしれない。
幹事証券会社は長期的には利益をえる(引受業務での能力を示して将来の引受シェアを高めるという意味で)主体となるので,監査法人,取引所や規制当局とは少し違っている。幹事証券会社は証券市場のために頑張らなくてはならないのである。
証券会社,経営者,大株主,投資家などの関係者のうち,長期的な視点をとれる,長期的な視点をとらなければならないのは証券会社である。
投資家である個々人は,企業から見れば,基本的に視野の狭い短期的な視点しか持たない。潜在的投資家を含めた投資家一般の視点は,自己の利益を顧みず市場の振興のために自己の利益を進んで捧げるとは考えられず,またそうするべきことを期待するべきではなく,短期的であると捉えなければならないだろう。
経営者と大株主は,発行企業のインサイダーであり,企業の将来なら長期的視点をとるべきであるが,同様な理由で,一般に将来の市場を育成するために長期的な視点をとれない。
証券会社が,それゆえ,実際長期的な視点から行動しているのかどうか,様々な利害関係者の調整をしているのかどうか,もしそうならどのような調整を行っているのか,検証しなければならないだろう。市場の将来動向を探るためには,このような検証が必要である。
初取引日以降3ヵ月後あるいは6ヵ月後の株価と初取引日株価を比較するのがIPO 長期パフォーマンス問題である。最近の研究ではIPO 後3年まで捉える傾向がある。しかしながら,経済学でいうところのいわゆる長期ではない。
(1)IPO リターン・リバーサル
長期パフォーマンスにはアンダープライシングとは逆方向が平均的に観測されている。IPOリターン・リバーサルといわれる。日本のデータでの検証は辰巳・桂山(2005)を参照。
公開価格決定方式自体には,公開後の株価のボラティリティを抑制し流通市場における円滑な株価形成を図る,という発想はない。むしろ,長期パフォーマンスの議論はIPO の割り当てを受けられなかった個人投資家の初取引日以降の行動に関心を持っている。
(2)M&A
アンダープライシングの原因などを解明する研究はまだまだ進んでいる。Brau-Couch-Sutton(2010)は,米国のIPO 企業のうち10%の企業がIPO 後1年以内にM&Aを行い4),それが長期パフォーマンスの低さとアンダープライシングをもたらしたことを示した。特に,小規模IPO企業がIPO 直後にM&Aを行い,その結果アンダープライシングになる発見は興味ある。ちなみに,IPO 企業がM&Aのターゲットになることは少ないようである。IPO の目的はM&Aであったケースがある,ということである。
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3. IPO の非常に多面な要素
情報に限らず,主体別に考えられる多面な要素をあげていこう。
(1)手数料収入,売れ残りと抽選
証券会社は,引受手数料収入を確実にえて,売れ残りを少なくするために,事前には,IPOする企業を選び,適切な公開価格(本来は公開価格決定方式の選択を含む),公開株数(公募と売出の比率を含む),公開時期,売り捌き方法などを決定する。顧客として,発行会社や投資家も,証券市場を重要な資金調達市場や資産運用市場と捉えるかぎり,短期的な視点ばかりではなく,多少とも長期的な視点を取るものと,想定できる。
公開株への応募(あるいはオークションの際落札最低価格にビッドした者)が多数になる場合に(配分の公平性を確保するため)応募者の間で行われる抽選は,ほとんどの場合,高倍率である。当選者が少なく,当選自体に価値が生まれる。
幹事証券会社は,この点を営業に使い,自社の利益を最大化するように公開株の分配を行うと言われている。ここに,非競争的な要素が入り込む。抽選は実際行われていない,行われていても僅かな比率である,とみられている(第三者である研究者は事実を確かめようがないが)。
(2)投資家としての主幹事証券会社
日本では,一部のVC と引受証券会社の間には系列関係が存在し,引受証券会社はVC を通じてIPO 株を(間接的に)保有している場合がある。その結果,引受証券会社は自社系VC が持ち株するIPO 企業の株価から利益を上げる誘因を持つ。つまり,投資家として,アンダープライシングを仕組むようになる。この点はHamao-Packer-Ritter(2000)を参照。
(3)アナリストの役割
Degeorge-Derrien-Womack(2005)は,手数料の高さやアンダープライシングの大きさの点から,発行企業にとって必ずしも有利でないBB 方式が採用されるのは,アナリストがより蜜に係わってくれるからであると,1993年フランスに導入されたBB のデータを用いて結論した。
アナリストが発行企業を取り上げてくれるからである。このことを,既述のように,カバーする,と表現する。アナリスト・カバリッジはオークション方式の方が少ない,ことが証明されなければ,このDegeorge-Derrien-Womack(2005)説は広く妥当せず,信じられない。
投資家が投資する際には必要になる,情報に係わる費用が様々に存在する。いずれも計測が困難な概念であるため,IPO 研究には活用されていない。
(1)情報保有,情報探索・分析等費用
公開株応募(入札)のためには,企業や市場さらには該当の産業そして経済全体に関する情報が必要になる。情報を持っていなければ,調査等に情報探索・分析等費用がかかる(スティグラー(1991)参照)。
(2)埋没費用
このような情報探索・分析等費用は,落札できなければ回収ができない。これを埋没費用という。これが一般投資家にとっての問題点の1つである。
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(1)発行代わり金
公開価格を低く設定すれば,あるいはアンダープライシングの下では,発行企業の調達資金(発行代わり金)は少なくなる。
この点は,日本では主幹事証券会社変更のケースは少ないが,米国では主幹事証券会社を変更する理由になっているほど重要な要因である。
それゆえ,Rock(1986)の仮説は,証券会社がなぜ発行会社の利益を重んじないか,発行会社がなぜこれを認めるかの理由をあげ,それらを検証しなければ信用できないことになる。
もし公開価格ではなく,初取引日終値で株式を公募・売却していたとしたら,増える発行収益の額がLoughran-Ritter(2002)が提起したMLOT(Money Left On the Table)である。もしこれと同じ額の収益をえられていたら,当初発行株数は少なくできたかもしれない。しかも,株式の希薄化も少なくなり既存株主の利益も守られたであろう。
このような現象が観察されるのは,主幹事証券会社に対して発行会社は発言権を持てないことが多い証左かもしれない。また,アンダープライシングは発行会社にとって望ましい,という主張があるとすれば,この主張にMLOT 問題は反する。
(2)発行コスト
大規模著名発行会社にとって,発行コストはBB 方式の方が低いという研究が報告されている(Kutsuna-Smith(2004)参照)。しかしながら,後述のサンプル・セレクション・バイアスの問題は解決されていない。
ちなみに,日本のデータによる分析ではないが,Jagannathan-Sherman(2006)は,応募者数の不安定性,発行作業の煩雑さ,などからオークション方式が廃れたと結論している。
(3)売り出しなどでのステークホールダーの利益
IPO にあたっては公募と売り出し(secondary share offering)の組み合わせ方式がとられることが一般に多いが,ステークホールダーとしての既存株主の利益を調べるには売出し株数が全体に占める比率が研究対象になる。この点に関しては辰巳(2007)に議論の展望とデータの日米比較がある。
発行会社はコーポレート・ガバナンスのために,アンダープライシングを利用する可能性がある。株主構成を変えたり,株主への報酬を変える手段にアンダープライシングが利用されるかもしれないのである。しかしながら,既存株主に対する報酬としての意味があるならば,彼らの株式の売り出しの価格は高い方がよい。売り出しに応じる既存株主が手に入れる価格は公開価格である。それゆえ,アンダープライシング(公開価格が低くなる)は発行会社にとって望ましい,という主張にこの点は反する。
さらに立ち入った構造モデルを作って検証する必要があろう。
(1)スクリーニング
幹事証券会社だけでなく,取引所も,投資家保護のために,発行会社に対するスクリーニングを行っている。しかしながら,東証では,新興市場の上場審査は1・2部より簡素化されている。審査期間が短くなっている上,企業の内容について報告する項目は少なくなっている。スクリーニングにかかるコストとの関係で,このスクリーニングが適切なのかどうか,が問題となろう。
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どの国も,幹事証券会社や取引所は発行会社に対するスクリーニングを行っている。金融規制当局,取引所,幹事証券会社と,専門家を自負するべき,3つの巨大組織が分担してスクリーニングを行っているにもかかわらず,上場後事件が起きており,スクリーニングが不徹底で不十分(場合によって不適切)であることを指摘する声がある。しかも,関係者からは反論の声も出ない。
さらに,第4の主体として,監査法人が存在する。次の小節で解説しよう。ちなみに,監査機能という観点では社内に監査役がいるが,IPO における彼らの役割について議論されたことはない。
(2)管理・政策のコスト
2000年に入ってからも,粉飾決算,反社会的勢力との係わりなど,IPO 企業の不祥事が後を絶たない。膨大な審査・管理コストを支払ってきたのに,この始末であると言わざるをえない。
上場審査には,企業の会計監査を行う公認会計士,上場手続きをアドバイスする役割の証券会社,最終的に上場の可否を決める取引所がかかわるが,いずれもチェック機能が働かなかったことになる。
次の報道記事に載ったインタビュー文は背景となる事態を示しており極めて深刻である。つまり,①「監査人が間違いないという文書をつけてくるのに,取引所がいちいちそうじゃないと調べるわけにはいかない。」また,②監査する立場からは,「新興企業はビジネスモデルが新しく,従来の監査手法が当てはまらないことがある。不正のチェックが難しい。」
もし①の紹介文が正しいとすれば,取引所の監査部門はいらないことになる。まったくの狎れ合いであると解されてもしかたない。②の紹介文が正しいとすれば,誰が監査するのか,の根幹が問題になる。監査のプロはそれを行うべきであり,恙無く行えるように日頃研究をし研鑽を積むべきなのである。
管理・政策のコストを低減させる1つの方法が,後述の,シグナリングである。IPO 企業自らが負担してきたコストを正当な使途方向に向け,自身に正しく報告させる,ことでそれができる。付加的なコストをかけずに,行えるかもしれないという点が重要である。
4. 公開価格決定方式を深く理解する
オークション方式にも次のような視点から様々な形と名称が存在する。
単一価格オークション方式(single-price auction)とその他,
入札価格と落札価格による区別。
このような視点から,いくつかのIPO オークション方式を展望しておこう。
(1)単一価格オークション方式
単一価格オークション方式は,落札価格が落札できたすべての入札者で一致するオークション方式で,落札者はすべて公平な扱いになる。
1865年に発明されたpari mutuel(among ourselves の意味。mutual betting)入札方式以来の伝統が,フランスでこのような方式を生んだ,とみられている。
しかしながら,問題が存在する。入札者は自身が入札した価格を支払う義務がないので,落札するために高く入札する傾向が生まれる。入札する価格に,実際その額を支払ってもらうと
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いう,責任を負わせないと,入札価格はいくらでも高くなる。その結果,落札価格も高くなる。
フランスのsingle-price auction 方式の場合,入札を確実に成功するためには,入札者に関する規模や価格分布などの情報を持っていることは必要になるが,発行会社の情報を持っていない入札者でも落札できる可能性が高いのは事実である。
(2)フランスのIPO オークション方式
実際のフランスのIPO オークション方式5)は,最大値と最小値を定めたなかでの,単一価格オークションである。多くの国では,ほとんどすべての企業がBB 方式を選択してきたなか,フランスでは過半を下回るが,かなり多くの企業は,BB 方式ではなく,オークション方式を永らく選択してきた。
フランスにBB が導入された1993年1月から1998年8月までの期間では,204のIPO のうち114がBB 方式,90がオークション方式6)であった。しかし,それ以降1998年9月から2003年12月までは170のIPO のうち12がオークション方式を採用したに過ぎなかった。Jagannathan-Sherman(2006)は,2006年にはフランスでオークション方式の採用がなくなった,と報告している。
(3)(修正)落札最低価格方式(日本)
落札最低価格が決まり,それ以上の入札価格を付けた入札者はそれぞれ自身の入札価格を支払うオークション方式が日本などで採られている。
ほんとうに購入したい投資家は(その人の限界効用に一致した)高い価格を付けるので,経済的にはこの方式の方が公平である。
しかしながら,日本では,落札最低価格から,さらに下げた価格に公募価格が(証券会社によって)決められた時期もあった。
(1)一般的説明
BB 方式とは,発行会社の取締役会で決定された発行価格をもとに,一定の株価範囲の仮条件が機関投資家の意見も参考にして設定され,引受証券会社を通じて投資家の積み上がった需要状況や上場までの価格変動リスクを勘案して公開(あるいは売り出し)価格を決定する方式
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現在ほとんどの先進国はIPO の公開価格決定方式としてBB(ブックビルディング)方式を採用している。公開価格決定がオークション方式からBB 方式になっても,ほとんどの国でアンダープライシングが観測されている。それゆえ,公開価格決定方式選択自体はアンダープライシングとかかわり無い。公開価格決定方式選択に際しては,アンダープライシング現象を考慮しなくてよい,のかもしれない。
(2)日本の公開方式について
日本への導入前に,BB 方式を提言した旧証取審答申はオークション方式とBB 方式を十分比較したわけではない。その答申で謳われたBB 方式のメリットは,導入直後2年間をみる限り,現れていない(辰巳・桂山(2003))。日本で実績がなく,諸外国でも経験が浅いBB 方式に確定した意見を述べることなど不可能だったのである。
仮条件が銘柄ごとに時期に応じて設定されるが,IPO ブームの時期には多く案件が上限に張り付く。IPO ブームであるかどうかに応じて仮条件を上下に動かせばよさそうなのに,そうなっていない。むしろ,公開価格は仮条件の上限に張り付くのが儀式になってしまっている。これでは,仮条件の意味はなくなっている。
BB 方式には(「にも」というべきか),仮条件決定にあたって証券会社のフリーハンドが含まれている。このフリーハンドが良い方向に機能すれば良いのだが,どうもそうならないようである。
米国では,日本や欧州とは全く違って,制度的に許されることもあって,仮条件の変更・修正が(仮目論見書提出以降,本目論見書提出までの期間に)度々なされる。また,仮条件の価格範囲からはみ出すことも度々ある。誰も将来の事は100%わからないことを前提すれば,これらは軽蔑すべき可笑しなことではなく,正しい株価を求めて幾度か変更・修正してくれている,という解釈もありえるのではないかと著者は思う。
日本では,ほとんどのケースで仮条件の上限に張り付く結果,そうでない場合「何かあるの」ということになる。その結果,変な疑いを持たれることを避けるために,益々上限に張り付くことに志向するようになる。また,仮条件の幅を,他より広げることは,「株価予測に自信がないのでは」と幹事証券会社の能力が疑われ,なかなか出来ない。このような環境のなかで,仮条件の変更・修正を行うことは,仮に制度的にできたとしても,「失敗」と看做される,のではないか,と思う。
5. 2方式比較の要約
BB 方式の下では,主幹事証券会社は発行会社や投資家との関係において,どのような機能を果たしているのか,どのような目的関数を有しているのだろうか。ここで,再確認しておきたい。
証券会社は,手数料収入を確実にえて,売れ残りを少なくするために,事前にはIPO できるかのどうかの判断から,適切な公開価格(公開価格決定方式を含む),公開株数,公開時期,売り捌き方法などを決定する。この点に関しては,顧客として,発行会社や投資家も,短期的な視点だけでなく,長期的な視点も取るものと,想定される。
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短期的な視点では,すべての関係者の利害が一致しないのが普通である。この利害不一致を長期的に解消する何らかの方策がとられる必要があるが,実際何らかの方法をとっているものと思われる。
ここで問題にしたい点は,「売れ残るリスクを抱えてまで在庫を持つか,それとも売り逃すリスクがあっても在庫を減らすか」という販売業につきもののジレンマを主幹事証券会社はどれくらい経験しているのか,という点である。
売れ残り在庫を持たない,しかも何時も持たないことが引受業務における最高位の狙いになっている,のではないかと思う。そのため,公募・売出株数は控えめにされ,投資家の「購入したい」という要求を満たしていない,結果になっているのではないかと思う。そして,証券会社は受け取る手数料に比較してリスク・ヘッジをし過ぎている(リスクを十分取っていない)といえるのではないか,と著者は思う。この点は後に触れる。
各主体にとって,2方式の望ましさはどう変わるか,以上の論点を図表1にまとめてみよう。この図表に現れない論点は次になる。
オークション方式⇒経済的には公平(情報デバイドがないという前提のもとで)。しかしながら,落札価格分布が上に偏る(業績予想が大変良いと見込まれている企業に関してのみ)という特徴(欠点)がある。
BB 方式⇒投資家からみれば情報探索・分析等費用が安いが,社会的にみて,それが正しいかは検証するべき事柄である。
いずれの公開方式にも現れるアンダープライシングは,①手数料収入が少ない,②系列VCの利益につながらない,③発行代わり金が少なく,④売り出し価格が低くステークホールダーの利益につながらない,などの点から証券会社にとっても,発行会社にとっても,必ずしも好ましいものではない。
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6. 政府保有株式のIPO
政府保有株式をIPO(売り出し)する場合を,次に,重要な一つの具体例として考察してみよう。
(1)お墨付き仮説
IPO では,お墨付き(certification)仮説が知られている。お墨付き(certification)仮説とは,米国で評価の高い引受証券会社やハンドオンする株主ベンチャー・キャピタル(VC)が果たす役割の効果である。VC が係わると,やはりアンダープライシングは生じるが,他のケースより小さいことが,Meginson and Weiss(1991)などによって検証された。
政府保有株式のIPO では,お墨付きと同様な役割を,政府が果すことが予想される7)。考えられる理由は,政府・政権与党は情報を漏れなく収集しており,国益のための経済政策遂行にそれらを有効に使うという,想定が一般には普通に持たれている。これが正しいかどうかではなく,このような想定が前提となっているからである。それゆえ,政府が関係する(した)から公開価格を多少高くしても売れる,からである。売り出し人が政府であるため,公開価格を敢えて低めに設定する必要はないだろう。公開価格が可能な限り高くなるわけではなく,できる限り低く抑える意向は証券会社などから出てくるように思われる。その結果,アンダープライシングは生じる,だろう。
少し安い目の公開価格で一般投資家が買えるだけでなく,購入希望が殺到し,公開株応募から溢れた投資家は初取引日に殺到し,買いが膨らむことが多いにある。それゆえアンダープライシングは確実に生じると解釈できるのである。いずれにしても,アンダープライシングが生じる。
(2)応募倍率の考察
直前に述べた応募倍率について,企業がIPO する場合の決定因と比較して,政府保有株式の場合はどうなのかを考えてみよう。
まず民間企業の場合から見てみると,応募倍率には,IPO 企業が属す産業の特性,IPO 収益の予定使途,株主構造などが影響するが,特に証券会社のマーケッティング努力,が大きい。米国では(参考文献は省略),応募倍率が低ければ,アンダープライシングが大きくなっている証拠がある。さらには応募倍率が低過ぎればIPO からの撤退が起こる。さらに,評価の高い証券会社が係わる場合はアンダープライシングが小さい。公開価格が高めでも,十分売れるからであろう。ただし,これは,応募倍率が低い時に顕著である。
政府保有株式の場合,所属産業,発行益の使途,などの要因を超えて,政府が株主(である)だったという点が大きな意味を持つ。証券会社は,政府保有株の放出という点をセールスポイントにして大マーケッティングをかけるだろう。その結果,応募倍率は高くなり,抽選に溢れた投資家が初取引日に殺到するかもしれない。
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政府が経営する企業が株式公開する場合は上と何か違う点はあるだろうか。
民営化IPO においても,アンダープライシングが海外のいくつかの国では観察されている。しかしながら,それぞれの研究のサンプル数は10前後と極めて少なく,計測結果の信頼性は高くない。
7. その他の課題となる幾つかの論点
7-1 実証研究が困難な理由の1つ〜サンプル・セレクション・バイアス
企業がIPO を選択する要因は,いくつか知られている。金利が高い,それゆえ負債での調達が高くつく時期,株式市場が沸いている(Hot な)時期,負債(比率)を減らしたい時期,企業はIPO を選択する,とみられる。しかしながら,考慮するべき根本的な事柄は,これ以外にある。
一般に,以下の意味で,サンプル・セレクション・バイアス(sample selection bias)がある。企業は,IPO するか,公開会社へ売却(sell-out)するか(特に米国の場合)どうか,を比較している場合もある。さらに,ふつう公表されない,IPO を延期する,IPO しない,という取締役会決定もモデルに含めなければサンプル・セレクション・バイアスがあるというべきである。これらの視点が組み込まれていなければ,IPO 企業の特徴の一部を記述することにはなるが,IPO しなかった企業の特徴はわからないし,それとの比較もできていない。さらにIPO に係わる意思決定を記述するモデルには到底なっていないのである。これがサンプル・セレクション・バイアス問題である。
株式割当発行(rights issue)も企業の選択肢にしたモデル化が必要である。グローバル企業についてはIPO する取引所(あるいはさらにonline IPO)を選択する必要がある。さらには,債券発行,銀行借り入れも含めた,資金調達全体をモデル化することも必要である。これは無意味にモデルを広げるべきであると言っているのではなく,そうしないと特別な企業だけを選んで分析したサンプル・セレクション・バイアスが存在すると言っているのである。
公開方式選択のモデルについても同様である。特に日本では,1998年以後はBB 方式,以前はオークション方式,だけの採用とはっきり分かれ,比較対象の企業がまったく存在せず,研究は困難な状況である。
これらすべての可能性を考慮した一般均衡分析は大変困難であり,それゆえ,ほとんどの分析は部分均衡分析に止まっているのである。
サンプル・セレクション・バイアス問題を解決する1つの方法は,比較対象にする企業などをどのように選ぶかという,マッチング(matching)技術である。最近は,それには複数の方法が考案されている8)。
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(1)レモンの市場であるIPO 市場で何が起こるのか
発行企業は,当然,自身を良く見せようとする行動をとる。これはシグナリングと呼ばれる行動の一つの例である。特に,業績が芳しくない企業の場合はさらである。粉飾まで至らない利益管理,ISO 取得,IR の徹底,などがその手段となる。
業績が芳しくない企業が,優良企業のように振舞うには,IPO にあたって新株購入への応募が多いようにするのが1つの方法である。その具体的な手段として,公開価格を低く設定する方法がある。業績が芳しくない企業も,公開価格を低く設定するのである。これによってアンダープライシングが広く多くの企業で生じる。この場合,アンダープライシングを生じさせる,つまり公開価格を低くするのは,当該企業の価値を自ら低く設定する(それゆえ,それをそのまま受け取れば自ら低評価を宣言する)ということではなく,株式購買人気を実際上掘り起こすためである。そのために負担するコストが,アンダープライシングなのである。
その結果,大きな問題がもたらされる。高業績になる確度の高い企業が,業績予想が良いと投資家からみなされない,他の低業績企業と区別されない可能性が生じるかもしれないのである。それゆえ,公開価格によって,そうである情報を提供できなくなるとすれば,高業績企業がIPO を断念することもあろう。レモンの市場9)で起こった高品質商品(IPO の場合は高価値企業)が市場から消える(IPO の場合はIPO 市場に入ってこない)現象が,IPO 市場でも,このようなメカニズムで起こりえるのである。
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(2)スクリーニングとIPO サイクル
引受幹事証券会社の側でも,次のような問題が生じる。IPO 候補企業を十分スクーリングしなくても,公開時期,公募・売出株数,公開価格,などの多数の方策を調整すれば,引受幹事証券会社が被る売れ残り(在庫保有)リスクを回避できるようにできる。これによって幹事証券会社自身はリスク問題を回避したようにみえるが,影響は他に及ぶ。
いずれ時期がくれば,IPO 件数が増える。その後も公募・売出株数は少なめ,公開価格は低めのままで,暫時IPO ブームになる。日頃から世界で起こっているアンダープライシングがこのようなメカニズムの存在を暗示している。
IPO ブームは暫くの間個人投資家(場合によっては,その思い込みと表現した方がよいかもしれない)によって支えられる。しかしながら,何らかの要因あるいは資金的制約のためにブームを支えることが不可能になると,ブームは崩壊する。その要因のなかには,株式市場において,株価低下や低迷が長びくことにより先行き不透明になり,新興市場に悪い影響を及ぼすことが含まれている。
その結果,IPO 市場は縮小する。そして,大きな切っ掛けが幸運をもたらさない限り,低迷し続け,IPO 市場は機能を停止する。
(3)自己選択を促す制度が必要
実際のIPO 件数の2倍から3倍の数の企業が,IPO を希望し,主幹事証券会社や取引所による検討の最終段階近くまでいっているという推測が業界では最近ささやかれる。企業が,IPOできなかった理由として,J─ SOX 対応の負担が重過ぎる,等が挙げられる。IPO を申請したが不受理の理由の説明がない──などさまざまな理由で再審査にまで行けない。
他方で,IPO 企業の上場後の不祥事発覚が後を絶たない。それゆえ,少なくとも言えることは,引受業者のヘッジが不適切であることであろう。そして,発行企業は必要とされる情報を開示していない,ということである。
先の(1)で展開したような「レモンの市場」現象に対して,主幹事証券会社が,情報仲介者として(社会的に)最適に行動するとすれば,どのような結果が生じるのだろうか,これは興味ある研究になろう。例えば,主幹事証券会社が発行企業に対して,自己選択を迫るような行動はIPO 市場に実際あるのかどうか,その自己選択の内容はどのようなものなのか,などの研究が挙げられる。これらは自明ではない。
例えば,コミットメントライン(特定融資枠)契約で提案され注目された自己選択のメカニズム10)から類推すれば,質の劣る企業は発行売れ残り量(株数)に手数料がかかるような仕組
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みの発行手数料体系を望まない。また,発行予定量(株数)ではなく,むしろ実際の売却量(株数)に対して比例的な手数料を支払う仕組みを望む。
このような形での発行手数料体系を含む,様々な手数料案を提示し,発行企業に選ばせれば,発行企業の質が自ら顕示される。
ちなみに,実際は幹事証券会社の買い切り発行方式が主流で発行手数料体系に自己選択のメカニズムは,現在のところ,存在しないというべきである。
既述のように,引受業務にはリスク回避手段が数多く存在している。それ自体は好ましいが,それらをほぼすべて使い切っている。その結果,シグナリングの手段を引受業者自身が自ら消滅させている。さらに,引受業者がへッジし過ぎてIPO が少なくなっている,のではないかという予想も成り立つ。引受方式から見直すべきかもしれない。
今更,見す見す売れ残るような仕組みを証券会社はとらない,だろう。リスクをとって,その見返りが証券会社にあるのか,という問題もある。他方,失敗した時の損失負担は誰がするのか,という問題もある。
そこで,証券会社だけでなく,発行企業にもリスク負担の責任を持たせ,売れ残りを自己負担させる制度的な仕組みを作らなければ,ならないのではないかと思う。それでは,発行会社は益々市場から離れていくと心配する向きはあろうが,現在起こっている問題は,発行会社の方だけでなく,投資家の方にもある。それは投資家の不信である。それを払拭するために,行うべき事柄にまず衷心するべきなのである。
(1)行動に関する情報の非対称性をどう打破するか
投資ファンドは,投資対象先との間の情報の非対称性を小さくするように,事前審査を詳しく行っている。それだけでなく,行動に関する情報の非対称性から由来するモラル・ハザード(粉飾決算や書類作成のサボタージュなど)を防ぐために,役員を派遣したり,インセンティブ・システムを取り入れたりしている。
投資ファンドは,投資契約を結んだ後も,その相手先経営者が優良であり続け,そう行動するようにするインセンティブ・システムを,とっている。例えば,契約期間中業績が上がれば役員手当(ストック・オプションなどによって)を増額したり,追加出資をしたり,業績不振になったときにその役員手当を減らし損害の一部を自己負担してもらう,などの方策によっている。
能力のある管理者の引き抜きを避けるために,業務を遂行し続ければボーナス(stay bonus)を役員に差し上げる,という方法も企業自身あるいはファンドによって採られている。
取引所も,このような方向で努力しているという意見があるかもしれない。実際,株価が3ヵ月以上10円未満で,5年連続営業赤字であるなど,業績不振のまま上場を維持している企業は退場させる上場廃止基準が設けられる(早いケースとしては大証が2011年4月から導入予定)ようになっている。しかしながら,上場廃止を進めるだけでは駄目である。IPO 直後に行われる,前向きのモニタリングや経営者に対するインセンティブ・システムが取引所では,無いに等しい11)。
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その結果,日本の2000年代前半のIPO ブームで急増した新規上場企業が,最近増えている上場廃止の一部を構成している,という見方がある。
(2)ファンドは長期的視点を持っていないのか
投資ファンドの欠点として長期的視点を持っていない点が指摘される。ファンドは,投資先が力をつけるまで,あるいは力を回復するまで,時機を待つ余裕がない,と世上考えられている。それゆえ,ファンドをわれわれの行動師範とするべきでない,という考えがあるかもしれない。ファンドは本当に長期的視点を持っていないのか,参考に一つの研究を紹介し,この考えを改めるべきことを説明しよう。
買収先企業が保有している特許を,ある意味,ファンドが育てるという長期的視点を採っていることをLerner, Sorensen and Stromberg(2010)は膨大な特許データをプライベート・エクイティやバイアウト・ファンドのディールと係わらせて検証した。彼らによると,特許,しかもオリジナリティが高く,一般性のある特許を重視してR & D支出を偏らせているそうである。
この研究は特許が関係するようなハイテク企業に限った研究であって,特許を持たない流通業,ホテル業,レストラン業などには直接適用できない。これら業種はキャッシュフローが豊富な企業群であってファンドはそれを狙って買収すると従来言われてきた。それゆえ,ファンドは短期的な視点しか持たないと理解されてきた。
しかしながら,企業が確立した(あるいは確立しようとしている)ブランドに注目すれば,適切なデータがあるかないかによるが,特許と同様な分析を適用できるように思える。企業の成長は,特許とR&D支出に代表されるようなイノベーションだけでなく,ブランドさらにはマーケッティングによって達成されるからである。
つまり,ブランドを守るために企業は広告費などの支出を行う(行ってきた)。それゆえ,経営を引き継いだファンドが広告費に対してどういう態度をとるか,検証してみればよいだろう。これらの研究の将来に期待したい。
(3)ファンドは情報格差を埋めるのか
これまでの議論のなかの,投資ファンドと投資先企業との間に,一般(個人)投資家を視野に入れ,三者が絡む世界を考えてみよう。
ベンチャー・キャピタル(VC)が支援する企業のIPO では低いアンダープライシングが観察されることが多い。それゆえ,低いアンダープライシングは株式市場の一般投資家が投資ファンドの金融仲介機能を評価した結果であると考えられている。ちなみに,著者の知る限り,VC ファンド以外のファンド,例えばバイアウト(BO)・ファンドについては同様な研究は存在していないようである。
企業と投資家の間には,情報保有の非対称性が存在する。ファンドが投資しているという情
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報が公開されると,それによって,投資先企業がファンドに認められて,将来成長する礎もえられた,と理解される。これをもって,企業と投資家間の情報格差をファンドは埋めるという言い方がなされる。しかしながら,注意しなければならないのは,ファンドが持っている情報のすべてとは言わないまでも,ほとんどが公開され,一般の市場参加者に知らされるわけではない。ファンドが提供する情報は,良いか悪いの丸バツの情報,つまり単純シグナルと言われる情報に過ぎないのである。
(4)どうすればよいのか,その他のまとめ
それでは,どうすればよいのだろうか。残った課題を最後に展開してみよう。独立系ファンド,上場審査のスピード化,証券会社の販売努力,がポイントである。
米国におけるような機能を果たすファンドが多く存在しないのが,日本の欠点である。IPO市場の整備とともに,独立系ファンドの育成は急務である。IPO 市場とファンドは新興企業ファイナンスにとって車の両輪なのである。さらに,単なるファンドではなく,独立系ファンドが,そして層の厚い多数の独立系ファンドが必要な理由は辰巳(2005)の最終章に展開している。
企業の出口戦略はその特性によって次のように違っている点は,これらの方策でさえも万全ではなく問題をかかえていることを示唆している。つまり,成長企業はIPO を選び,特許を多数保有するなどuntanngible 資産を持つ企業や(例えば,超ハイテクで,製品の質が一般大衆には不明であるような)情報非対称の企業は,未上場(プライベート)に止まる傾向が指摘されている。これは,ファンドでさえも出る幕はない場面があることを示唆している。ファンドの機能が果たされない可能性があるということである。
上場審査に時間がかかりすぎるという,上場審査のスピード化の問題もある。VC が係わったベンチャー企業には審査を簡素化するなど,審査スピードをアップする方策も一部の取引所でとられ始めているが,余りにもファンド頼りで,取引所の本来機能を高める方向での改革ではない。
IPO 株式については,証券会社の販売努力が足らないのではないか。米国では証券会社のマーケッティング力という言葉で語られるが,日本の証券会社は,あるかないかわからない,マーケッティング力に胡坐をかいている12)のではないか,と思う。売る株数を絞ってきたから,いつも人気があり,売る努力をしなくても売れたので,販売努力はしてこなかった,という意見に対して証券会社はどう反論するのであろうか。
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(1)新規株式公開に当たり,(売出人の観点から)純売却収入の最大化を図るためには,オークション方式とBB 方式のどちらが優れているのか。
上記の理由により,確実にどちらとも言えないが,多くのケースでオークション方式の方が売り手に有利であるようである。
政府保有株の放出に関して,売出価格(公開価格)が多少高くなる傾向があるとすれば,オークション方式の方が純売却収入は増えそうである。
(2)新規株式公開に当たり,より適切な(市場実勢を反映した)売出価格(公開価格)の設定のためには,オークション方式とBB 方式のどちらが優れているのか。
この観点がアンダープライシングの議論が関心をもっている点である。一般的にはどうなるか不明であり,ケースバイケースである。オークション方式とBB 方式のどちらの方が,アンダープライシングが小さいかの(学問的に正しい)日本の研究はない。
政府保有株の放出に関しては,売出価格(公開価格)が他の同等のIPO と比較してほとんど同じレベルの高さになる傾向があるとすれば,それを抑え,適切な(市場実勢を反映した)売出価格(公開価格)にするためにはBB 方式が有効かもしれない。
(3)新規株式公開後の株価のボラティリティを抑制する(円滑な株価形成を図る)ためには,オークション方式とBB 方式のどちらが優れているのか。
一般的にはどうなるか不明で,ケースバイケースである。研究上の論点になっていない。公開価格の影響は,長く引きずらないという想定があるかもしれない。この仮説が正しいことは,直接証明されていないが,効率的市場が成り立つ限り,成立する。
(4)BB 方式により新規株式公開を行う際に,配分の公平性を確保するために,どのような対策を講ずることが必要であるのか。
抽選の更なる徹底が必要である。BB 参加者全員だけに公開する抽選会などを開催すれば幹事証券会社は身を引き締めるのではないかと思われる。
手数料に関しては,オークション方式で主幹事証券会社を決め,証券会社間での競争が維持されるように,その他売り捌き証券会社の選択は一社に任せてしまい,他社の監視の目を利かせる(日本的競争)という方法も有効かもしれない。
8. まとめ
ライブドア事件で委縮した日本の新興市場とIPO は,引き続きリーマン・ショック,などが起こり低迷した。さらに,2009年以来2年続く民主党政権によって,2011年を迎えても,まだ立ち直れないままである。
なぜ適切なIPO 企業を見出せないのだろうか。その根本原因は,将来のことは誰も100%正しく予測できないのが理由である。しかしながら,なすべきことが全く無いわけではない。
BB 方式を見直すべき時期がきているだけでなく,広くIPO に係わる制度にも改善の余地はある。情報の経済学をもっと使うことである。スクリーニングはある程度昔から採られている策であるが,その効果を長期的に捉えてこなかったきらいがある。シグナリングや行動情報保有の非対称性を緩和するインセンティブ制度なども活用する必要がある。それに伴って,証券会社の行動も正常化するようにすることが必要であるように思える。
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