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「場」の歴史的変容と経済分析:リアルタイム(Real-Time),イグノランス(Ignorance)を取り入れた構造分析の必要性

 

奥村 洋彦*

 

 

1.はじめに

 

J. M. ケインズは,大恐慌が進展する中,経済分析に「不確実性革命」と呼ばれるパラダイム転換をもたらした。当時の標準的経済学による「自由市場には,均衡を自動的に達成するメカニズムが組み込まれている」とする考え方に対し,「不確実性」下の生身の人間行動に焦点を当ててこれを否定する新しい経済学を打ち立てた。今回も,欧米では,世界的金融危機に見舞われる中,歴史的な低金利や株価の乱高下が出現し,経済分析のパラダイムを巡る議論が活発に展開されている。実際,金融に携わる人々の間では,ウォール街やシティで,また,金融当局において,米国の標準的経済学だけでは現実の人間行動を十分説明出来ないとする考えが,一般的になってきている。
 一般に,バブルや金融危機は,「場」が大きな変化を見せる時に発生する。1630年代のオランダ・チューリップ・バブル,1710年代のイギリス・サウスシー・バブル(南海の泡事件),1920年代のアメリカ・大恐慌前夜のバブル景気,1970年代前半のイギリス・セカンダリー・バンキング・クライシス,そして,近年でも,1980年代後半の日本,2000年前後と現在の米国におけるバブル等歴史的に見ても具体的事例にこと欠かない。
 「場」の大きな変化は,経済主体のパセプションを変え,行動を変化させ,「不確実性」を高める。民間経済主体はショックを受けて異例の行動を採り,政策当局は正しい予測が出来ず経済運営に失敗しがちになる。事態がこうした展開を見せると,例えば,「場」を一定とし,「不確実性」ではなく「リスク」だけを対象として,経済主体の合理的行動と「効率市場仮説」にのっとって演繹的アプローチを採るといったタイプのモデルだけでは,現実の動きを十分説明出来なくなってくる。今回の世界金融危機前後に,欧米の金融取引関係者の間で,ケインズ・ミンスキーやオーストリア学派の再評価が盛んに謳われているのは,こうした学派のモデルが,「現実に合わない仮定」の上でのみ成り立つモデルには与さないで,「不確実性」下の人間行動を重視した分析を行っていたからに他ならない。
 米国で1987年以降2005年まで経済政策をリードしてきた前連邦準備制度理事会議長のグリーンスパンは,2005年初めの時点では,「米国の長期金利の動きは謎」とし自分が望ましいと思う方向に長期金利が動かないと考えたり,金融危機発生後の2008年時点では,「市場や金融機 214 頁】 関の行動に関する自分の見方が誤っていた」とする見解を述べていた。(前者は2005年2月16日米国上院での議会証言。後者は,例えば,2008年10月28日のThe New York Times 紙A 31 面Brooks David “The Bahavioral Revolution” の記事)
 また,日本では,政策当局が,1990年代半ば以降の超低金利政策が内外経済にもたらす副作用を想定せず,また,制度改革の非整合的展開が人々に将来不安をもたらし経済の長期低迷を招来する一因となることも重視していなかった。[奥村(1999)]こうした内外の具体的事例から見ても,「不確実性」と政策効果の関連を検討する時,@パラメーターの不確実性,Aデータの不確実性に加えて,Bモデルの不確実性が挙げられるが,近年の世界的金融危機や日本のバブル経済の発生と崩壊においては,Bのモデルの「不確実性」が特に重視されるべきであることがよくわかる。
 本稿では,上記の現実経済の展開を踏まえて,「場」の歴史的変容が進行する中で経済分析はどのようなパラダイム転換,あるいは,リフォームを遂げるべきか,その必要性と基本的方向を理論と現実の両面から検討するとともに,経済政策への示唆は何かを探ることとする。なお,検討にあたっては,「不確実性」下の人間行動を近年目覚ましい発展を遂げつつあるニューロ・サイエンス(以下脳科学)を適用して分析することも試みたい。

 

2.生身の人間行動のとらえ方:現実経済の動きとケインズ・ミンスキーモデルおよびオーストリア学派の再評価

 

今回の世界的金融危機に直面して,金融取引に実際携わってきた立場の人々から,現在の標準的モデルでは現実を的確に説明出来ない諸点が指摘されている。その中で,現場を踏まえ信頼出来る形で多くの論者が採り上げる内容を取りまとめると,以下のようになる。

(1)理論の単純化の過程,前提を置く過程で,@価格が瞬時に調整され需給の一致がもたらされる,A価格形成が本源的価値に基づいて合理的になされる,B市場には自律的な均衡復元力がある,といった不自然な点が見られる。[White(2010)]
(2)政策当局が取り組まなければならない課題である,@クレディット・リスク,A倒産,B銀行の信用仲介など金融面の重要な視点がモデルに組み込まれていない。また,資産価格がファンダメンタルズからかい離する現象や,市場がドライ・アップ(dry up)するケースの発生とかが有効に取り入れられていない。[Goodhart(2010)]
(3)金融を有効にモデルの中に取り入れていないため,「場」が内生的に変化し均衡から不均衡に移行するという事態の変化を伴う時間(しばしばReal-Time と呼ばれる)の流れの中での移行プロセスが想定されていない。例えば,経済の安定と好況が長く続く(今回の局面ではThe Great Moderation と呼ばれた)につれて,自信過剰と,リスクを小さく見る傾向が生じ,借入過多・貸出過多が出現して危機が生まれる。また,金融のグローバル・ネットワークが複雑に絡み合う中で,「不確実性」が高まる,といったケースである。[Bean(2009)]
 ケインズ・ミンスキーモデルや,オーストリア学派が再評価されるのは,こうした諸点をモデルの中核に位置づけているからに他ならないがここではまずその革新的な面を一瞥しておこ 215 頁】1)
 ケインズは,「不確実性」を重視し,経済主体の期待形成メカニズムが,「不確実性」に直面した時,どのようになるかを分析して,金融不安定性の内在を主張,経済理論に「期待」を入れることの重要性を指摘した。そして,「近道発想」(heuristic device)や,感情・動物的精神(animal spirits)に基づく行動,相手の行動を見て自分も行動するという「美人投票」(「The Greater Fool Theory」ともいわれる)といった革新的な考え方を開拓した。
 ミンスキーは,ケインズをベースに,金融取引・金融構造をより積極的に取り入れ,金融の膨張・収縮が内生的に発生する「金融不安定性」を重視する視点を打ち出した。特に,経済主体が,好況が続くと信用を膨らませ,「借入過多」になって,ついにキャッシュ・フロー問題に直面するという局面は,「ミンスキー・モメント」(The Minsky Moments)と名付けられているほど,現下の金融市場では,広く支持されるモデルとなっている。
 オーストリア学派のモデルも,信用の役割を重視し,時間とともに(over time),経済に不均衡をもたらす作用を考え,「不確実性」,主観主義,経済主体の異質性と主体間で相互に影響を与え合う関係,将来を客観的に予測出来ない点など,ケインズ・ミンスキーモデルと,政策へのインプリケーションは違っていたものの,人間行動を分析する大枠は類似した点を強調した。
 一般に,標準的経済モデルでは,個人の行動選択を,次のように選好(効用)関数の最大化としてとらえることが多い。

ここで,X は選択可能な経済行動のセットで,x はこのセットの中から選択する行動(Decision),同様に,S とs は,想定可能な経済行動の「場」(The State Context),U は選好(効用)(Preference, Utility)関数,π(s)は,将来の経済行動の「場」を予想する時の,想定可能な様々な「場」に付す確率である。
 この行動を決定するプロセス(decision-making process)の関係式(functional form)を現実経済に適用する時,次のような諸点が検討課題となる。

 @  選好対象について──所得か余暇か,損失回避型か否か,絶対値を重視するだけではなく変化(相対値)も重視するのではないか?自分自身の厚生だけでなく他人の厚生や社会的厚生も対象にするのではないか?金融機関経営者の場合はどうか?(後述のようにグリーンスパンの想定していた金融機関経営者の選好は想定と違っていて,政策運営において判断ミスを招いた)等,選好の中身が問題となる。
 A  状況発生確率について──π(s)は,状況に応じてリニアーでない異なった動きを見せるのではないか?リスクの下でのπ(s)は客観的確率,「不確実性」の下でのπ(s)は主観的確率と,状況に応じて形状は違うのではないか?状況を予想する場合の認知活動にはバイアスや曖昧さが避けられないのではないか?主観的確率も定量化出来るとする強い仮定は非現実的で,定量化出来ない確率も「不確実性」下では存在するのではないか?
 B  関数について──個人が極大化しようとしている選好関数は,「安定していて,明確に 216 頁】  規定され,現在とか将来といった時間とは関わりなく同じである」とする仮定は非現実的ではないか?単純に目的関数最大化のアプローチだけを考えるというより,認知活動面の制約や感情・情動の作用するフレームも考えるべきではないか?また,経済行動(X)や「場」(S)のセット自体,将来予測は確実なものでなく,「合理的」に計算出来るとばかり言えないのではないか?
 これらの@−Bでとり上げられる検討課題のすべてが「不確実性」との関わりをどうとらえるかに関わってくる。そして,この検討にあたっては,二つのアプローチがあげられる。
 第一は,経済主体の合理的期待を「核」に考えるものである。典型的には,完全情報,完全競争,完全予見の下,リスクのみを対象として「不確実性」を考えないモデルで,経済主体は,同質となり(異質の主体ではない),相互に影響を及ぼし合う関係も検討対象に含めない。変数は,すべて,数量化可能とする。このモデルでは,長期的・静態的均衡は描けても,現実の,時間(Time)の経過するプロセスの中で生じる,短期的・動態的状況は説明出来ない。現下の経済状況に見られるように,経済主体が心理・情動要因で行動したり,金融機関が国際的ネットワーク問題やインセンティブ問題を抱えたりする場合には,現実経済に適用しにくいモデルと言えよう。
 第二は,「不確実性」を内在させた経済を対象とするものである。そこでは,時間(Time)の流れの中で,経済主体のパセプションが常に変化し,将来は「不確実」(リスクではなく)で,正しく予測することは出来ず,将来の出来ごとは誰にもわからない(Ignorance)。あらゆることがかたづいた静態的均衡は想定出来ない。こうした状況下では,予測は主観的なものしかあり得ず(Subjective),その予測はまちまちになるので,経済主体は同質ではなく異質にならざるを得ず,異質の主体同士で,また,ある経済主体と社会全体との間での,相互に影響を与え合う関係(Interaction・Social Coordination)が重要となる。追って検討するように,「不確実性」下での経済主体の将来予測が,合理的計算に基づいてというより,心理要因,制度要因,認知活動要因に基づくものとなりがちであることは,近年の脳科学によって,科学的に実証されてきている。こうした考え方を前面に出した経済分析の原型は,既に,ケインズ・ミンスキーやオーストリア学派によって確立されていたのである。
 以下では,こうしたモデルで人間行動の鍵を握る,「不確実性」と,「期待形成」,そして,市場での取引状況(Market Process)を,順を追って検討しよう。

 

3.「不確実性」と経済分析

 

「不確実性」を経済分析に取り入れた先駆的業績はナイトとケインズによって代表されることが多い。しかし,類似の考察は,この両者にかなり先行して,18世紀のフランスのカンティロン(Cantillon, R.)や19世紀後半のオーストリアのメンガー(Menger, C.)によっても提起されていた。[Samuels et al.(2003)] カンティロンは,当時の主要産業であった農業に焦点を当て,農家は,生産コストとレントという農業生産にあたっての総コストと,農産物の販売収入とを比較して生産にあたるものの,後者の販売収入は,天候や採られる政策に依存する面が大きく,「不確実」なため,農業生産全体が「不確実性」下で行われざるを得ないとしていた。
 メンガーは,財の価値は,財に備わっている特性にあるというより,財と人々との関係,つ 217 頁】 まり,人々が主観的に財をどう評価するかに関わるとした。そして,財の生産者は,その財が販売される将来の時点で,人々の財に対する需要がどうなるかを予想せざるを得ず,「不確実性」を伴うこと,生産の過程に時間がかかり,生産要素の投入と産出の関係が変化するなど,生産過程の時間に伴う「不確実性」も加わることを指摘した。こうした「不確実性」は,将来予想の対象とする時間が長いほど(長期市場),また,その間,経済の「場」が大きく変化するほど,大きくなると考えられた。
 経済分析の中核に,本格的に「不確実性」を位置づけた最初の業績は,F. H. ナイトに見られる。[Knight(1921)]
 ナイトは,市場経済においては「不確実性」が内在しているとし,そのため,@人々の経済行動の多くは,理性的・論理的に考えてというより,直感や個人的な判断に基づくものとなること(P.223),A「不確実性」に対する人々の反応は,移り気でひどくまちまちであること(P.235),B経済分析においては,本来,人間の心や情動を取り入れた分析をしなければならないが,(当時の学問水準では)直感や判断の行動に関わるプロセスが科学的に解明できていないので,理性や推論にだけ焦点を合わせていること(P.230)を指摘していた。
 以下,「不確実性」を生みだす源となる時間(Time)とパセプションの変化を検討し,次いで,「不確実性」の内在性について分析しよう。

 

(1)時間(Time)

「不確実性」のよって来る源は,まず第一に時間(Time)である。経済活動の変化を,ただ単に,物理的時間の前と後として見るのではなく,活動が行われる時間的経過・プロセスの中で,どのような動きとなるかを重視する。こうした意味で,時間とともに変化する重要な事柄として,以下の4点が挙げられる。
 @ データ・情報の変化
 経済主体が,将来の「場」を予測し現在の行動を選択する場合に依拠するデータや情報は,時間の経過する中で刻々と変化する。
 A 経験・知識の変化
 @と同様に,経験や知識も時間とともに変化する。
 B 経験や知識のストックの変化
 上記@及びAの変化に加えて,過去からの累積である経験や知識のストック(残高)も時間とともに変化する。
 C 制度の変化
 経済や社会の制度が,時間とともに変化する。

 

(2)パセプション

「不確実性」を生みだす第二の源として,パセプションの変化が挙げられる。
 上述の@〜Cの変化につれて,経済主体のものの見方・考え方も変化する。行動の目的や目的達成のための手段も時間とともに変わってくる。行動を選択する場合の判断のプロセスにおいて,変化が生じるのである。経済主体が,同じ現象を観察しても,時間の経過の中で「場」が異なり,判断が違い,行動も違ってくるので,経済を分析する場合には,そのプロセスを, 218 頁】

心理要因も含めて,動態的にとらえることが必要になってくる2)
 時間の流れの中で,パセプションが常時変化し,これにつれて行動も変化するが,このパセプションの変化は,主観的なものでその確率分布を客観的にとらえようとしても出来ない。つまり,行動選択の意思決定は,時間の流れの中で変化するので,ある期の最初に決まったものが一定不変のまま途中で変わらないと前提することは出来ない。かくして,行動は,予め予測することは出来ないものとなり,また,経済主体は同質ではなく,異質で,異質の主体が相互に相手の行動に影響し合い,時には,社会全体の流れとも影響し合うこととなる。(図1)
 このように,時間の経過と移行過程を重視すると,経済活動には必ず「不確実性」が絡んでくることとなり,将来に関わる予測は,「不確実」で,曖昧な確信の持てないものとなる。
 こうした「不確実性」とその下での人間行動を考えると,経済主体を,「合理的で,情報が完全で,利己主義で,自分自身のための効用最大化を常時指向し,他の主体や社会全体には全く影響されない」と前提するモデルは,現実と大きく乖離するものと判断されよう。

 

(3)「不確実性」の内在

こうした「不確実性」は,外的ショックが加わって発生することもあるものの,より重要なことは,「不確実性」が経済システムに内在するものであることである。
 経済主体が「不確実性」の下で行動する時,将来何が起きるかについて,客観的確率はなく,主観的確率で判断する以外ない。こうした場合,経済が安定していると,例えば,人々は,先 219 頁】 行きも経済は安定すると考えがちになり,次第に自信過剰に陥って,資金の貸し手も借り手も,リスク判断を甘くし,過大な信用のもとで,ファンダメンタルズ以上の資産価格を享受し繁栄を謳歌しがちになる。
 最近の具体例としては,2000年前後の米国のニューエコノミー・バブル時には株式のリスク・プレミアムを債券並みにまで小さく見る動きが出たり,今回の世界金融危機前夜には,The Great Moderation と囃して安定的発展の継続を強調したりしていたことが上げられる。1980年代後半の日本においては,第二次石油危機を上手く乗り切って“Japan as No.1” 的とらえ方が横行し,「インフレなき成長」の継続が強調されていた。こうして,信用膨張につながる素地が形成され,この信用が累積する中で,人々の「場」の認識が変わってくる。「場」が大きく変わる時には,人々の目的も,目的関数も,期待形成メカニズムも変わり,行動が変わってくる。これには,将来は,不確実で,客観的確率はなく,主観的確率しか有効でないので,新しいシナリオに大きく左右されることが一つの背景となっている。[Minsky(1982)]
 まさに,安定が不安定性の原因となるのである。経済理論・経済モデルの評価を巡る論争の中で,一方の当事者からは,しばしば,「政策当局者や企業や個人が,理論通りに行動しなかったので,経済パフォーマンスが悪くなった。金融危機などそうした事態の発生を事前に予測出来なかったのは,理論やモデルが悪かったことが原因ではない」との主張が,標準的経済学の弁護の立場からなされる。しかし,ここでの,ポイントは,そうした経済主体の「間違った行動」は,人間行動として自然なものか,あるいは,学習や規制によって防ぐことが出来ると考えるのかの違いである。「不確実性」を重視するモデルでは,そうした人間行動は,しばしば,防ぎようがない自然なものと考えるが,この見方は,脳科学の分析からも支持されるものである。したがって,そうした人間行動を排除しないと成り立たない理論やモデルでは,現実の経済を説明出来ないので,むしろ,そうした行動を取り入れた経済モデルを構築する必要性が主張されるのである3)

 

4.「不確実性」下での期待形成メカニズム

 

(1)期待は経済行動の分析にとって極めて重要な要因

人々の行動は,@ある目的を考え,Aその目的達成のために,諸手段が希少である中,どの 220 頁】 ように行動するかという二つの面からなっているが,このいずれの面も,将来に関わる期待がどう形成されるかによって大きく影響される。
 とりわけ,「不確実性」が経済に内在しているものと考えると,人々の経済行動にとって,期待は極めて重要な要因となってくる。すなわち,「不確実性」の下では,「将来何が起きるか」については,客観的情報があったり,誰かの予想が常に正しかったりということはなく,誰にもわからない。こうした場合には,「合理的期待論」のように,経済主体が,「合理的に将来を予測する」つまり,過去のデータによって将来予測を計算出来るかたちで行い,最適化を図るといった単純な考え方が出来なくなる。
 逆に,経済主体は,「不確実性」に直面すると,「近道発想」や感情に基づく将来予測を行いがちとなるので,期待形成は不安定なものとなる。また,こうした期待形成は主観確率に基づくもので,人によって違い,同じ人であっても時によって違う。つまり,画一的なものではなく,人間の多様性や時間の推移によって多様な異質なものとなる。
 このように期待形成の考え方に違いが生じる一因は,制約条件をまったく考慮しないで合理性だけに焦点を当てる実体的合理性(Substantive Rationality)の考え方が一方にあり,人々が限定合理性の下で行動するという手続き的合理性(Procedural Rationality)の考え方が他方にあるからである。[Simon(1986)]「不確実性」を考慮する場合には,上述したように,前者が仮定する完全予見は想定出来ず,「場」が刻々と変わっていく中で,主観主義にのっとった多様な期待形成がなされることとなる。こうしたことを考えると,後者のとらえ方がより現実的なものであると判断されよう。
 政策当局にとっても,経済の動きは,不安定な期待形成の動きいかんによって展開が変わってくることとなるので,期待形成メカニズムの検討が不可欠となってくる。

 

(2)心理的要因が期待形成に大きく影響

期待形成に影響を及ぼす大きな要因の一つは心理的要因である。この点の指摘は,学説史的にも,前述したナイトに続き,1930年代前後から有力な学者によって繰り返し主張されてきた。
 まず,L. ロビンズは,“AN ESSAY ON THE NATURE AND SIGNIFICANCE OF ECONOMICSCIENCE”(第2版1952年。Robins(1952)第1版は1932年)の中で,「分析的経済学の諸命題が心理的な性質を持った要素を含んでいることは疑う余地がない」(P.86),「因果的説明の連鎖において,物質的でなく精神的な,それ故,行動主義的な方法では観察することが出来ない環が存在する」(P.90)とし,例えば,需要関数においては,将来において予想される価格の全系列に関連し,心理的要素を含まざるを得ないと考えた(PP.88-89)。すなわち,期待形成には心理的要因が大きく影響することを示している。
 このロビンズとほぼ同じ1930年代において,経済理論に期待を入れるという面で革新的な業績を上げたケインズは,期待形成における心理的要因を重視,「不確実性」に直面すると,経済主体がどのような判断をしがちになるかを検討した。
 まず第一に,人々が「不確実性」の下で「合理的経済人」として行動しようとする場合の特性を次のように考えた。[Keynes(1937)]

@  人々は将来何が起きるかについてどのように考えるかというと,将来のことはわからないので現状のまま変化なしと見込みがちとなる。つまり,過去の出来事からさまざまなことを検討して考えるというより,むしろ,現在起きていることをそのまま延長して想定す 221 頁】 る。
A  人々は現時点の価格や現状の産出物の特質をどう判断するかというと,市場で付ける価格等は,「将来何が起きるかの見通しをすべて正しく織り込んで形成されている」と考えがちである。
B  人々は自分個人だけの独自の判断は十分信頼に足るものではないことを知っているので,他の経済主体の方がよりよくさまざまなことを知っているのではないかと考え,他人の判断とか社会の平均的な動きに依拠して行動しようとする。こうして個々人が行動する場合には,結局,「月並みな皆がしている判断」が一般的な判断となる。
 第二に,「危機」の発生は,「不確実性」の下での人々の期待やリスク判断,さらには,「確信」の持たれ方と深く関わるととらえた。特に,投資に影響を与える期待やリスク判断は,長期にわたるものであること,比較的根拠のある重みのある期待やリスク判断は短期に対しては形成しやすい半面,長期にわたるものは根拠のあやふやな重みのない,「確信」の持ちにくいものとなりがちであることを強調する。つまり,長期期待は,心理的要因によって動かされやすく,「確信」は揺れやすいので,投資活動は不安定な動きとなり,経済全体も安定した動きは期待出来なくなるのである。[Keynes(1936)]
 ミンスキーは,上述のケインズの市場経済に関する基本的考え方を踏まえた上で,ケインズ・モデルでは十分分析されていない点,例えば経済の金融的側面の体系的分析,金融が経済主体の行動にどう影響するかの詳細な分析を行い,経済の不安定な動きを説明する,いっそう肉づけされた枠組みを「金融不安定仮説」として構築した。[Minsky(1971)(1975)]
 ここでミンスキーは,経済パフォーマンスを不安定にする始発的要因は金融サイドにあるとし,金融的連関のネットワークやキャッシュフローのあり方によって,実物経済が変わってくるととらえた。[Dymski and Pollin(1992)]
 例えば,実物経済活動の中で最も不安定な動きをする設備投資は,投資家の将来に対する主観的評価に依存するところが大きく,経済の先行きが明るく見えるか否か,つまり心理的側面によって決まる面が強いと考えた。人々は,いくら資金を調達してどれだけの投資をし,どれだけの金融資産を保有するかを,不確実性と期待と時間という要素の下で選択することとなる。
 サイモンは,経済分析において,パセプションと認知のプロセス,情報処理過程を重視した。サイモンの「行動モデル」は,「不確実性」の下で,限定合理性という制約条件に縛られざるを得ない経済主体の行動を,合理性だけでなく,直観や情という人間の心のはたらきも加味した要因に基づくものとして分析しようとした。サイモンは,こうした問題意識を,既に,1959年時点から,明確に提示している。そこでは,標準的経済学が想定する@効用関数の設定方法,A収益極大化の仮定,B完全競争の仮定,C完全予見の仮定,D経済主体がその中で行動する「状況」についての客観性と主観性についての認識,が現実の経済・人間行動と乖離していることを指摘した。[Simon(1959)]
 特に,合理性の取扱いに関して次の三点を批判的に取り上げている。第一に,人間の行動を分析する時,その目標(goals)や価値(values)の中身について何も語っていない,第二に,異時点のことがらを分析する時に,人々が一律に整合的な行動を採ると仮定,第三に,人々の行動は客観的合理性に基づくと仮定していることである。サイモンにとっては,人々の価値は時間の経過とともに変化するし,行動はどのような環境の中で採られるかに依存するし,また, 222 頁】 個々人は限られた情報や計算能力,検索能力を使って何かを決定したりせざるを得ないのであるから,これらの条件を考えない新古典派経済学の枠組みだけでは現実の経済を的確に分析出来ないとするのである。
 カトーナは期待形成に関わる心理的側面の検討が不可欠であることを指摘した。カトーナは,期待は心理的プロセスの中で形成されるとし,それに関わる認知活動は,曖昧で,人によってまた時によって異なるものであることを重視,政策効果を考える場合にも,さまざまな期待がどのように分布しているかという点も重要であると指摘した。[Katona(1980)]
 オーストリア学派においても,時間の経過するプロセスの中で,「将来がどうなるかの客観的情報のない不確実な下での主観的な期待形成」を考えているので,経済主体の心理的要因が関わるモデルとなっている。O’Driscoll & Rizzo(1985)においては,期待形成に関して,「主観主義のアプローチが予想の多様性を重視…各人は,多くの他者の心の状態と選択を予測しなければならないだろうし,しかも彼らの決定は,自分自身の状況と選択に影響を及ぼすだろう」と,異質の経済主体の間での相互に影響を及ぼし合う関係に心理的要因を入れて論じている。

 

(3)脳科学から見た「不確実性」下の期待形成

経済主体が「不確実性」の下で期待形成を行う時,脳の働きはどのように経済行動と関連するのだろうか。
 人間の経済行動を合理性の軸だけで説明することに対する疑問は古くから指摘され続けてきた。例えば,消費者の経済行動が,衝動,本能,習慣,流行など非合理的な要因によって影響される複雑で不安定なもので,単純に「快楽を計算づくだけで追及する」といった理論が想定する行動ではないことは明白である。そこで現実の経済行動に迫るためには,生物学的な,認知学的な分析が必要となる。脳の中では,いくつものシステムが機能を分担しつつ,同時に,互いに作用し合って経済行動を起こしている。こうした過程で,理性と情動は独立に経済行動に大きく関わる。そのいずれがより支配的になるかは状況に応じて変わってくる。脳科学の発達によって,どのような状況の場合には人々は合理的行動をとるか,とらないかといったケース分けが明確になりつつある。[Camerer, et al.(2004),(2005)]そこで,以下では,「不確実性」が高い場合の脳の働きについて触れておこう。
 「不確実性」が高いと,人間の生物学的適応過程で不安や恐れが生じ,脳の活動では,眼窩前頭皮質に伝達がいき,前島や扁桃体という感情の制御に重要な役割を果たす部位の動きが活発化,理性では動きにくく情動で動きやすい状況が生まれる。[Camerer, et al.(2005)]
 株価や不動産価格の場合を例にとって考えてみると,「不確実性」が大きい場合には,経済活動の予想と実績との差異が大きくなり,資産価格の変動も大きくなる。この予想と異なる実績に直面する時,例えば,予想以上の大きな成果を上げた場合には,脳の内部では,重要な神経伝達物質で環境からの刺激による運動反応の開始を促進するドーパミンニューロンの活動の発火頻度が高まって前向きな楽観的な気分になり,積極的な行動に出がちになる。ドーパミンは,注意,気分,学習,動機づけ,報酬の評価,ものごとの遂行などの機能に関わる役割をはたしていると考えられている。そして,このドーパミンの受容体の存在と,金銭的報酬を受けた時の報酬システムの動きの活発さや外向的な活動の大きさは相関していることが見出されている。逆に,悲観的な気分になるケースでは,セロトニンやノルエピネフィリンという神経伝達物質の活動が関わってくる。[Peterson(2007)] 223 頁】
 こうして,近年顕著な発展を見ている脳科学の知見は,ケインズ・ミンスキーモデルやオーストリア学派に代表される「不確実性」下の人間行動の分析の方が,すべてを理性的判断だけに依拠するとするモデルよりも,的確であることを支持している。すなわち,人々の行動に至るまでの認識の体系には,理性的に判断し行動を選択するというケースと,直感や感情が行動の選択に大きく影響するケースとの二つのケースがあり,「不確実性」下では,後者のケースの方がより一般的と判断されるのである。

 

5.エコノミック・プロセスとしての市場

 

「不確実性」下の期待形成を経済分析に入れれば,市場は,以下のようなものごとが進行する経済的プロセスの「場」として位置づけられることとなる。すなわち,市場に参加する経済主体は,異質な人々となり,異質な経済主体が,的確に予測出来ない将来を,自己責任で想像して,期待を形成し,今日行動する。そこでは,行動の目的も,手段も経済主体によって異なる。期待形成も自分が今日考える将来のことがらは自分が明日考える将来のことがらと違ってくる(intra-personal)ほか,異質の経済主体がそれぞれ考える将来の見方はそれぞれ異なっていて,同じものに収れんすることはない(inter-personal)。更に異質の主体間は相互に影響を与え合う関係となり,また,ある主体と社会全体との間ででも,相互に影響を与え合う。この時,市場は,時間の経過の中で,常に状況を変化させる動態的な動きを見せ,様々な出来事が予測出来ない形で発生する。逆にいえば,競争によって予想出来ないことが起きることに自由な市場の意義があるのである。
 こうして,市場では,安定的ではなく,不安定な動きが常時見られることとなる。このメカニズムは,人々のパセプションを左右するデータ,情報,体験が,刻々と変化するので,人々の行動も常に変化することとなり,かつその変化は「不確実」なものとなり,事前に客観的に予想することは出来ないものとしてとらえられる(Ignorance)。人々の「期待形成」は,各自の「過去」の情報に基づいて形成される(Subjective)。将来を予想することは出来るが的確に予測することは出来ない。「過去」に基づいて合理的に行動しようとはするが,「合理的に将来を予想」することはもともと出来ないのである。
 政策当局も先行きを正しく予測することは出来ないので,政策によって経済を常時安定的に運営することは不可能である。実際,「不確実性」が高まってくると,政策当局の経済予測も民間と同様大きく外れがちになってくることは,近年の実績によくうかがわれる(後述)
 このことは,経済取引の情報は,誰かが特別の能力を身につけ,将来の動きを的確に予想出来るといったものではなく,市場プロセスの中にだけ判断材料がある,すなわち,市場がもたらす情報以上のよりよいものを持つ人はいないことを意味する。まさに,オーストリア学派のハイエクが考えていた市場経済の姿であり,ハイエクが,計画経済,大きな政府といった政府による経済への介入を極力避けるべしとする主張する根拠となっている考え方である。
 なお,市場に参加する経済主体が異質であることに関し,異質であっても,異端の行動は他の違った行動によって打ち消され,結局合理的行動に収れんするという見方がある。しかし,この考え方は,以下の諸点の考察を欠いている。第一は,将来は「不確実」なため,個々の主体は自分の期待形成に自信は持てず,他の人の行動に従う群集行動(Herd Behavior)を採りがちで,この場合には,わずかな情報が大きな社会トレンドをもたらすことが生じ得る。最初に 224 頁】 何かある動きが出て,次第に,多くの人々に伝播し,各自の行動に影響を与えるといったSocial Coordination である。第二は,ひとたび社会トレンドが形成されて,例えば先行きを楽観視する傾向が有力になると,個々の経済主体もその波に乗って同一行動を採りがちになる。第三に,報酬体系や人事評価上の制度要因から,経済主体の多くは,先行きの極端な動きを想定せず「標準ケース」を想定して無難に過ごそうとするので,市場で,極端な動きをする経済主体が出てきた場合に,これに対抗して逆の極端な行動を採ることは少ない。[Cowen(2009)]

 

6.今次世界的金融危機と経済モデル

 

本節では,経済分析のパラダイムを巡るこれまでの検討と現在進行中の世界的金融危機との関わりを分析して行こう。

 

(1)世界的金融危機の進展プロセス

@ 世界的金融危機の発生とキンドルバーガーモデル
 バブル経済の発生と崩壊や金融危機発生のメカニズムについて歴史的に研究し業績を上げたC. P. キンドルバーガーは,これまで検討したミンスキーモデルに依拠しつつ,次のような一般的メカニズムを考えた。[Kindleberger(1978)]
 第一ステージ:マクロ経済システムに対して「異変」が生じ,経済主体は利潤機会の変更に直面する。
 第二ステージ:経済活動でブームが起き,拡大がいつまでも続くと錯覚される中で金融取引が拡大する。資金の最終的借り手・貸し手共に,借り手のリスク・貸し手のリスクを小さく見る中で,積極的貸出等が実行される。
 第三ステージ:資産の過剰取引と投機が発生し,資産価格は高騰,人々は,陶酔状態に浸り,次第にバブル状態に移る。
 第四ステージ:金利の上昇・引き締め政策の実施につれてバブルは破れ,資産価格は急落,過剰取引に関わった経済主体は打撃を受け,金融危機が発生する。
 このパターンの具体的事例を,今回の世界的金融危機に当てはめてみると,まず,イ.「異変」の発生としては,グローバリゼーションと証券化に代表される「場」の変化が挙げられる。欧米では,銀行も,伝統的な「自己資本に合う形で,期間5年程度の商業貸出や,期間25−30年のモーゲージ貸出を行う」業務から,「貸出を行う(originate)ものの直ちにその貸出を他に移す(distribute)べく,他の貸出も含め証券化をはかる」といった業務にビジネスモデルを転換するなど,金融機関が投資銀行業務に群がって巨額の利益をあげることとなったのが典型的事例である。ロ.金融取引の拡大としては,外国から米国への巨額の資金移動や,米国国内における2005年から2008年にかけてのマネー・サプライ(M2)の増大,そして,米国におけるサブプライムローンの盛行等が指摘できる。特に,外国から米国へ年間100兆円から200兆円の資金が流入し,米国から外国へも100兆円前後の資金が流出,金融が実物に対して異常に膨張する結果がもたらされた点が重要である。こうして,グローバリゼーションに伴う金融の世界的膨張を舞台に,新しい金融商品や新しい金融取引が生まれたが,その中心となった米国では,2005年から2008年前半にかけて,消費者は貯蓄率ゼロの過剰消費を続け,米国全体の対外赤字は年率70兆円から80兆円という巨額(経常収支の赤字)に上った。ミンスキーの区分に従えば, 225 頁】 まさに,米国を主役とし世界的スケールでの「ポンツィ金融」が展開されていたのである。ハ.資産の過剰取引と資産価格の高騰の事例は,米・欧における住宅取引の活発化や住宅価格や株価の上昇に代表される。個人消費や住宅投資の活発化にけん引されて,景気は順調に拡大を続け,住宅価格や株価は上昇したものの一般物価は落ち着いたままで推移していたため,The Great Moderation と呼ばれるほどの楽観論が世界経済全般に拡まっていた。ニ.金利の上昇と過剰マネーの回収としては,2005年から2007年にかけての短期金利の引き上げ,2008年以降の国際的な資金の流れの停滞と,マネー・サプライの伸び悩みが挙げられ,そして,資産価格の急落と経済主体への打撃は,2007年以降,住宅価格や株価の暴落,そして,金融危機の発生となって世界経済を覆ってきた。
 A 金融危機発生の内生性
 今回のサブプライムローンバブルの発生・崩壊と世界的金融危機の勃発は,世界の資本主義経済で過去何度も見られたバブル経済・金融危機の再現であり,ほとんど上述のキンドルバーガーモデルのフレームに沿って展開した。また,かって米国の有力政策当局者や経済学者は,2000年前後の数年間の日本に対して,「日本の政策運営は誤っている」と講説を垂れていたが,今では,「自分たちの政策運営も日本と同様に,あるいは,日本以上に誤っている」と指摘せざるを得ない状況にある。(The New York Times 紙2010年7月12日A19面,Krugman P. “The Feckless Fed” の記事)
 こう見てくると,市場経済は,会計制度を整えても,情報公開を徹底しても,競争を強化しても,また,監督を強化しても,バブル経済や金融危機の発生を繰り返すので,「金融不安定性」を内在させているものとしてとらえた方が現実的であるといえよう。そして,こうしたとらえ方の妥当性について考える場合には,今回のグローバリゼーションや証券化等に見られるような,「場」の変化が生じると,既往の知識や理解によっては,経済の動きを的確にとらえられなくなり,人々の確信や信念は揺らいでくる。こうした状況下で,人々はどのように,認知活動を展開していくかが検討課題の核心となるのである。因みに,こうした展開の中で米国の政策形成の指揮を採っていたグリーンスパンは,次のように振り返っている。
 「2007年時点のバブルはなぜ100年に一回かというほどのユーフォリアにまで膨らんだのだろうか?その答えは次の点にあると信じている。すなわち,ドット・コム・バブルが破裂しても,世界のGDP にはほとんど影響せず,米国内においても第2次大戦後で最も軽微な景気後退しかもたらさなかった。その前の1990−91年の景気後退も2番目に軽微であったし,1987年の株式市場のクラッシュもGDP に目に見える形の影響はなかった。こうした体験が,連銀及び多くの練達の投資家をして,先行きの後退も第2次大戦後の典型的景気後退以上の悪い後退にはならないと信じこませることとなった」[Greenspan(2010)]
 まさに安定が人々のパセプションに影響し将来を楽観視させ不安定をもたらすという内生的メカニズムに他ならない。

 

(2)Ignorance: 予想出来たことと出来なかったこと

バブル経済の中でどのように経済主体が異例の行動をしたかはバブル崩壊後に振り返ってみることは容易なことである。しかし,バブルの渦中において判断することは容易ではない。今回の世界金融危機のケースでは,わかっていたこととわからなかったことにどのような違いがあったのであろうか? 226 頁】
 まず,わかっていたことは,現状の異例の経済状況がいつまでもは続かないということであった。住宅価格に代表される資産価格の高騰やそれを支えているアメリカの対外債務増大の傾向は,異常なことであり,いつまでも続くものではないことを十分認識していたという意味で,主要な金融機関関係者は事態のおかしさに気づいていたものと判断される4)。実際,メディアにおいても,バブル現象を指摘し,警告を発する有力新聞の記事は,2004年頃からしばしばみられていたのである。(例えば,Wall Street Journal 紙では,2004年4月19日C1面のBrowning E. S. “Is This the End of Easy Money?” とか,2004年10月5 日C1面の Hagerty James “These Morgages, Downside Comes Later” の記事)
 しかし,誰も予想出来なかったことは,資産価格の上昇が止んで下落に転じるタイミングである。すなわち,問題は,現在の不均衡な状態がいつまでも続かないと十分判断出来ても,いつ崩壊するかが客観確率では判断できないことである。こうしたセッティングの下では,金融機関で働く人達は,警戒はするけれども業務は流れに乗って続けざるを得ないという状況に置かれがちとなる。金融機関の経営自体が短期的収益拡大を目標とし,役職員の報酬がその目標に沿ったものとなっていることがその有力な背景といえよう。近年,この傾向を一層強める要因として,資金の出し手(主として家計)から資金の取り手へ流れる資金が機関投資家を経由する割合を高めていることがあげられる。この結果,例えば,株式の購入主体は家計ではなく,家計から資金を預かって運用を委託された機関投資家が主役となり,そこで働くファンドマネージャーが売買の主体となってきた(「マネージャー型資本主義」)。ファンドマネージャーの報酬体系は,資金の短期的運用成果に大きく依存するので,「マネージャー型資本主義」の下では資金がハイリスク・ハイリターン型金融資産に向かう傾向が強いといえよう。米国の名だたる金融機関が,「住宅価格の値上がりがいつまでも続く」というあり得ない前提の下でしか成り立たない金融資産を設計し,これを証券化して,格付け機関ですら中身がよく理解できない複雑な正体不明な金融資産に変え,これを全世界の投資家に販売するという異常な金融取引を現実に展開したのも,こうした状況を背景にしていたのである。

 

(3)当局の判断ミス

この間,上記の市場経済の出来事に対し,米国連邦準備制度理事会(FRB)に代表される金融当局は,民間の金融機関や金融市場に,出来る限り自由に行動させることが経済全体に最も 227 頁】 良い結果をもたらすとの基本的考え方に立っていたので,サブプライムローンバブル発生の中核要因となった変動利付モーゲージや証券化をむしろ推奨し,住宅価格の値上がりに対しても市場に任せる姿勢しか採らず,また,今回見られているような大きな値下がりは全く予想していなかった(後述)のである。
 この間,政策当局はどのように経済状況を判断していたのだろうか。今回のバブル経済の発生と崩壊過程における米国中央銀行の判断ミスをグリーンスパンの言動によって見ると,例えば次の3点があげられる。

 @  2000年当時,グラムリッヒ理事の,サブプライムローンの貸出状況についての警告に際し,銀行関連子会社の帳簿検査提案を拒否。
 A  2004年2月,変動金利モーゲージを賞賛。2004年10月,住宅バブルの生起の確率は極めて低いと判断。
 B  2005年5月,住宅価格の上昇に対し,泡(froth)の発生は認めつつも,なお,地域限定的と判断。
 (以上の例示はNew York Times 紙 2007年12月18日号に拠る)
 その後,グリーンスパンは当時の政策当局の判断を振り返って,自らも次のような判断ミスがあったことを述懐している。[Greenspan(2010)]
 @  2005年に「リスクプレミアムが低い状況が長く続くとろくなことは起きないと歴史は示している」と言ってはいたが,当時の連銀内では,実のところ,1987年の株価暴落後やドットコムバブルのあと経済に大したことは起きなかったので,今回の住宅価格の下落も緩やかなもので債務問題も起きないと甘く見ていた」。(P.242)
 A  したがって,いわゆる“The Tail Risk” の大きさを極めて限られたものとしてミスジャッジしていた。(P.212)
 B  当局者もその他の経済主体も先行きの経済の予測を正しく行うことは出来なかった。また,資産価格が先行きのリスクを十分反映するとのモデル上の仮定は現実には生じなかった。(P.P.233, 244, 248)
 C  コンピューターが大量に情報処理するデータは過去20−30年のデータで,その下で作られるモデルは危機の発生を予測できるものではなかった。モデルとして金融専門家に普及していたリスク管理のパラダイムは致命的欠陥を持つものであった。(P.212)
 また,グリーンスパンは,経営者の倫理的行動を前提に展開を考えていたが,現実はこの前提は満たされていなかった点についても判断ミスとして取り上げている。(Financial Times 紙2010年7月31日/8月1日 Life & Arts セクションのインタビュー記事)
 今回のサブプライムローンバブルの崩壊後,グリーンスパンも,また,現在の英国中央銀行総裁のキングも,共に,「人間が経済を動かしていること,人間の本質は変わらないことを考えれば,バブルの発生を政策で防ぐことは出来ず,今後もバブルは繰り返される」(グリーンスパンはWall Street Journal 紙 2007年12月12日号,キングはWall Street Journal 紙 2008年4月30日号の記事)と述べている。この判断は正しいと思われるが,両氏が2007年8月の世界的金融危機発生以前から,こうした考えの上で米英の中央銀行総裁として政策の舵取りを行っていたかは疑わしい。むしろ,米国や英国の政策当局が,こうした資本主義経済の内在させる危うさを軽視し,経済の安定や均衡を達成する能力が,市場の中にか,あるいは,自分達にあるかのごとく振舞っていたことこそ,現状のような大きな規模での金融危機を招いた主因なので 228 頁】 はないかと考えられるからである5)
 なお,こうした診断ミスは,世界の金融システムの安定的な運営に責任を持つ国際通貨基金(IMF)においても,より明確な形で見られた。すなわち,今回の世界的金融危機を引き起こす大きな要因となった「証券化とその結果生み出された複雑な金融商品の世界の投資家への販売」について,以下のような高い評価を与えていたのである。
 「銀行が貸出債権を自行の中で持ち続けるよりも,証券化によって貸出債権の持つ信用リスクを,分散した投資家グループに移し自行から切り離すことは,銀行部門のリスクを小さくし,金融システム全体のショック吸収能力を増すこととなる。こうした構造変化は,信用リスクのありかを示す効率的でタイムリーで透明性の高い価格を生みだし,金融市場をより弾力的で頑健なものにした」[International Monetary Fund (2006) Global Financial Stability Report 4月号,第1章を要約]。
 こうした基本的な診断ミスは,依拠している経済モデルが現実の生身の人間行動を的確に分析出来ないことから発しているため,世界的金融危機勃発前後の2007年4月時点においても,なお,金融市場のリスク水準は低いところから高まってきていることは認めつつも,「リスクはより広く分散しているので, 金融市場の頑健さは高まっている」と判断していた[International Monetary Fund(2007)Global Financial Stability Report 4月号135ページ]

 

(4)脳科学から見た行動分析

現在世界が直面している,サブプライムローンバブルの発生と崩壊,そして,その後の金融危機の進展過程は,人々の経済行動を脳科学を適用して分析すればより理解しやすくなろう。そこで,バブル発生時と崩壊時の脳の働きを取りまとめると以下のようになる。
 バブル発生時には,気分が明るく高揚する中,人々は,情報の分析や推論によらず自らの考える筋書きに都合のよい直感的判断で情報処理をし,先行きを明るく見る確信を深め,選好状態もそれに合わせて変更する。米国で個人貯蓄率がゼロにまで低下したり,株式のリスクプレミアムをほとんど債券並みにまで下がったとする見方が出現したりする過程である。また,行動の良し悪しを判断する将来の時間も目先の近視眼的な範囲にとどめて将来を現在の延長線上で考えるために,バブル崩壊後から振り返ってみればファンダメンタルズから上方に大きく乖離した価格水準で,横並びで,取引を行うこととなる。住宅価格がいつまでも上昇するという仮定の下ではじめて成り立つ住宅貸出に乗り出す金融機関やそうした債務の上に行動する個人の動きは,こうした分析の枠組みに沿って理解されよう。
 バブル崩壊時には,気分が暗く落ち込む中,人々は,情報の分析や推論に注力,価格がファンダメンタルズから乖離して上昇していたことを見て下方修正を確信し,選好状態もそれに合わせて変更する。ここでも,将来の時間は遠い先まで見通すのではなく,目先の近視眼的な範囲にとどめるため価格の下落が当面続くものと考え買い控えがちとなり,また,横並び行動も一般的となる。

 

229頁】

 

7.政策へのインプリケーション

 

経済活動や人間行動を本稿でこれまで検討してきたようにとらえると,政策当局はどのようなことに留意して政策運営にあたるべきか,また,人々は政策の効果について,どのように評価し,期待出来ることと出来ないことをどのように考えておくべきだろうか?

 

(1)「不確実性」と政策との関わり

まず,政策当局が政策を展開する時,「不確実性」が,政策目標と手段との関係にどのように影響を与えるかから検討を始めよう。
 金融政策の場合を例にとって考えてみよう。中央銀行は物価や景気といった政策目標(Y)を達成するべく政策手段(P)である短期金利や通貨量を動かそうとする。しかし,「不確実性」の下では,将来における経済主体の行動を当局者が事前に客観的に予測することが出来ない。したがって,採った政策が経済主体にどのように影響するかはわからない,つまりP のY に対するパラメータが「不確実」なために,的確に政策を動かせなくなるのである。また,「不確実性」が大きい場合には,経済のとらえ方が的確かどうか(モデルの「不確実性」),構造変化に対してデータが経済実態を的確にとらえているか(データの「不確実性」)といった問題も加わってくる。今回のサブプライムローンバブル崩壊時に,欧米の代表的な金融機関が軒並

 

230頁】

み類似の不良資産を抱え大規模な資本注入を受ける状況に陥ったが,これには,主観的確率が定量化出来ない不安定なものであるがゆえに,経済主体が「不確実性」の下では,理性よりも情動で行動しがちとなり,横並び行動を採りがちになることが密接に関連している。
 こうした三つの「不確実性」に加えて,政策当局が,政策運営にあたって,経済の先行きを予測して行動しようとする場合,「不確実性」が高い下では,そもそも,先行きを正しく予測出来ないという問題もある。因みに,経済が不安定な動きに陥った過去十年間における経済予測を,日本銀行,並びに,民間予測機関についてみると,表1のように,2001−2003年度においても,2008−2010年度においても,いずれの機関も実績値を大きく外した間違った予測となっている。こうした予測が当たらないことは,日本でだけではなく,米欧においても国際機関においても同様であった。この結果は,上記で検討した「不確実性」下の人間行動と政策を取り巻く「不確実性」の存在を理解すれば,むしろ自然な成績と判断される。
 このことは,政策当局にとって,将来何が起きるかについて自ら予測しシナリオを準備することは必要であるが,そのシナリオは客観確率のない主観確率に基づくものにすぎないので,客観的な「標準シナリオ」を想定することなく,したがって確率分布を考える場合にはThe Tail Risk を十分念頭に置いて,政策運営にあたる必要があることを示唆している。

 

(2)依拠するモデルの妥当性

政策展開にあたっては,何らかのモデルに基づいて行動を採る場合が多い。ここで,モデルが,均衡解や採るべき政策を示唆することとなるが,それは,時間の流れるプロセスの中の一瞬の「場」にふさわしい答えであって,先行きいつも同じ政策を採り続けることが妥当であることを意味するものではない。つまり,経済システムは,「不安定性」を内在させているので,「安定」を一瞬達成するものの,次の瞬間には,「不安定」になることを避けられないのである。また,モデルは,長期ではじめて有効な分析となるものが多いので,そこから得られる解を,短期の政策や,予測に使う場合には限界があることに留意すべきである。
 こうしたことを考えると,一般に,モデルを活用するに当たっては,次の諸点のチェックが必要となる。

 @  「不確実性」と密接に関わる金融活動を十分とり入れて,金融から実物への影響を分析出来るモデルとなっているか否か?
 A  理論モデルにあっては,現実を十分観察しこれを単純化する場合に,その「仮定」が現実経済と整合的なものとなっているか否か?ケインズは,理論の考察にあたっては,「仮定」が現実経済と遊離していないか否かを極めて重視していた[Skidelsky(2009)]とか,オーストリア学派ではモデルが経済の現場から受け入れられない場合にはモデル自体のおかしさをまず疑うという姿勢を採っている[Streissler(1969)]ことが指摘されるが,こうした姿勢こそが,現下のケインズ・ミンスキーやオーストリア学派の再評価と関わっているものと判断出来る。
 B  計量モデルにあっては,分析に使うデータが,あくまで「過去」の場と「過去」の経済主体によって生み出されたものであるという事実に留意して,データと「過去」の「場」・経済主体との関連を十分分析した上で活用するものでなければならない。又,過去のデータがその後改訂された場合には,現時点で利用可能となっている改訂後の時系列データをそのまま使うのではなく,「過去」の実際の場面で利用可能であったデータ(Real Time 231 頁】 Data)を使った分析結果でなければ有効なモデルとは評価出来ない。
 C  更により基本的な問題として,利用可能なデータ自体が,現実の経済の動きを正確にとらえているものか否かについても,データの作成現場にまで踏み込んだ検討がまず必要である。

 

(3)政策効果の検討と「構造分析」

政策の効果を検討するに当たっては,「不確実性」下での経済主体の期待形成メカニズムとの関連を重視する必要がある。ここでは,経済主体は同質ではなく異質となり,政策が経済主体にどのような影響を与えているかの分析にあたっては「構造分析」が欠かせない。ここで,人々の期待形成,あるいは,マインドは,異質で多様であるだけでなく,時間が経過するプロセスの中で,移ろいやすく,他の人や社会の動きによって,左右されやすく,常に変化する。したがって,この分析にあたっては,机の上の演繹的分析(Armchair Economics)だけによるのではなく,現場の「野外科学」とも言えるもの,帰納的分析をより重視することが求められる。また,同様の理由から,集計値だけによる分析ではなく,集計値を分解して異質の経済主体を浮き彫りにし,期待形成とその結果招来される経済行動が,主体間で異なり,また,同じ主体でも時によって違う点を重視した分析,政策効果の分析も異質の各経済主体毎への影響を明確に取り入れた分析,すなわち,「構造分析」が必要となる。
 特に,現下の日本経済のように,人口減少・高齢化が歴史的スケールで進み,経済・社会の構造が大きく変化する場合には,デモグラフィック要因を筆頭に構造の激変を念頭に政策効果を判断しなければならない。例えば,超低金利政策の影響ひとつとっても,集計値分析だけで「金利を下げれば消費や投資を刺激する」というのではなく,金融資産の過半を握る高齢者への影響と働く現役世代への影響を峻別し,その将来の構造変化も考慮した上で,経済全体への影響を考えるといったアプローチである。
 世界経済においても同様の指摘が出来る。政策が各国の金融市場に与える影響を分析する場合,グローバリゼーションの進展下で異質の資金の出し手(中国の外貨準備や途上国の政府系ファンド等)が大きなウエイトを占めてきた現状を考えれば,政策金利(短期金利)の引き上げが,国内長期金利に与える影響も,同質経済主体だけを考える場合と,これら異質の経済主体が資金を供給する場合とでは,異なるものとなるからである。なお,こうした分析を進めるためには,当局の作成する経済データも,こうした「構造分析」に資するデータであることが必要となってくる。

 

(4)金融危機と政策の有効性

このように「不確実性」と経済政策との関係をとらえると,政策によってバブルや金融危機を完全に回避することは不可能で,もともと,市場経済は,バブルや金融危機を内在させているととらえることが自然となってくる。このことは,一般的な経済動向に対する政策の場合だけでなく,規制によって,経済主体の行動を安定的なものにしようとする場合も同様である。その始発的原因は,経済主体の期待形成が「不確実性」の下で行われる限り,政策当局が先行きを正しく予測することは出来ないことに拠っている。
 政策当局は,政策目標の完全達成には限界があることを認識した上で,その中で,よりよいパフォーマンスを上げるためには,どのような政策があり得るかを検討すべきである。 232 頁】
 このためには,本節(2)で検討したように,依拠する経済モデルが現実の生身の人間行動に基づくものであること,また,本節(3)で検討したように,異質の経済主体を「構造分析」によってとらえ,政策が有効なものであるか否かを検討することが必要となる。経済の現状が異例の展開を見せていても,それが「バブル」か否かは,事前には判定出来ない。一般に,金融の異変と実物経済の異変とが表裏一体となることが多いことから,金融取引面の異例さを指標化して,「警告」を発することには意味があろう。この点では,ミンスキーが金融ポジションを「ヘッジ金融」,「スぺキュラティブ金融」,「ポンツィ金融」と分類し,「ポンツィ金融」のウエイトが高まってくるにつれて,経済が「バブル」化し金融危機に陥る可能性が高まると分析したアプローチは有効なものと言えよう。[Minsky(1982)]しかし,ここでも,何らかの政策によって,「ポンツィ金融」の発生自体を防ぐことは出来ない,したがって,バブル経済や金融危機の発生を完全に避けることは出来ない点に留意して,政策運営や企業経営にあたることが望まれるのである。

 

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