ペット殺処分の経済分析−試論的考察
鈴木 亘
本稿は,近年,社会問題として関心が高まっているペット殺処分とその対策を経済学の観点から考察した。まず,ペット殺処分の問題を,保護ペットの譲渡市場の枠組みの中に位置づけ,様々な対策を比較考量するための簡単な市場経済モデルを提示した。その上で,行政のペット引取りにかかる限界費用がペット所有者に考慮されず,行政の引取り料金が無料,もしくは非常に低額となっていることが,社会的に過大な数のペット殺処分が生み出されている原因であると論じた。政府は費用をかけた対策を行い,現在よりも譲渡される保護ペット数を増やしてゆくべきであり,その社会的限界費用が行政引取りにかかる限界費用に等しくなる点で,最適な譲渡数が達成される。
具体的な対策としては,@供給側(動物愛護団体やボランティアなど)への補助金,A需要側(里親など)への補助金,B行政によるペット引取り拒否の徹底化,C行政によるペット引取りの有料化(限界費用を引取り料金として設定する)という4つの政策手段が考えられるが,効率性や国民の合意形成のしやすさなどの観点から勧められるのは,Cの有料化である。ただ,その場合にはペット遺棄(捨て犬,捨て猫)の増加という問題が生じることが予想されるので,そのための対策として,@ペットへのマイクロチップ埋め込みの全数義務化,Aペット販売へのデポジット制度の導入,Bペットが飼えなくなることに対する保険制度導入(行政への引取り料金支払いに対する保険)を提案した。
ペット殺処分,保護ペット,リサイクル,ピグー税,デポジット
近年,少なくなってきているとは言え,未だに保健所や動物愛護センターなど1)の行政に引き取られるペット(犬および猫2))は数多い。直近の2020年度の引取り数は72,433頭(犬27,635頭,猫44,798頭(匹))であり,そのうち,23,764頭(犬4,059頭,猫19,705頭)が殺処分されている(図表1)。
【204頁】ペット殺処分はとはその名の通り,保健所や動物愛護センターなどの行政が引取った動物を,行政の手により致死させることを言う。引取った動物の収容期間は,狂犬病予防法に,最低2日間施設に収容し,公示することが規定されているが,上限の定めはない。このため,収容日数は自治体によって異なるが,予算や人員等の制約により,概ね1週間程度で殺処分を行うところが一般的である。成犬を例に説明すると,引き取られた犬は,同じ日に引き取られた他の犬とともに狭い収容室(犬房)に入れられ,1日ごとに隣の収容室に移される。収容室は一般的に7部屋あり,1日ずつ奥の部屋に移される様は,まるで死へのカウントダウンである。そして,1週間の間,誰も引き取り手が来なかった場合には,犬たちは最後に処分機に追いやられ,二酸化炭素ガスを流して窒息死させられる3)。処分する犬の数が少ない場合には,薬物注射による安楽死を行う場合もある。
ペットたちのおかれるこのような悲惨な状況については,近年,マスコミでも広く取り上げられるようになり,ペット殺処分は,徐々に深刻な社会問題と受け止められるようになってきた。このため,ペット殺処分ゼロを政策目標に掲げる自治体も増えており,実際にゼロを達成した自治体も存在している。また,ペット殺処分問題などをきっかけとした動物愛護意識の高まりにより,動物愛護法(動物の愛護及び管理に関する法律)も,近年,矢継ぎ早に3回の改正を行っている(2005年,2012年,2019年)。しかしながら,未だ日本全体として,殺処分ゼロにはほど遠い状況にある。
本稿は,このペット殺処分を経済問題と捉え,その原因と対策を経済学の視点から考察する。経済問題としてペット殺処分を分析した先行研究は,筆者の知る限り存在しないようである。確かに,経済学よりは,福祉学(動物福祉)や法律学,社会学,倫理学などの観点から,この問題を考える方が自然かもしれない。しかも,経済学で分析できることは,問題の一側面に過ぎない。しかし,様々な社会問題の原因を分析し,処方箋を導く上で,経済学は強力なツールを備えており,ペット殺処分の問題にも経済学からのアプローチを試みることは一考に値すると思われる。
以下,2節では,ペット殺処分を巡る近年の状況について概観する。3節では,ペット殺処分問題を経済学の視点から分析するために,ごく簡単な市場経済モデルを導入する。4節では,その市場経済モデルを使って,ペット殺処分問題を解決するための諸対策について考察する。第5節は全体のまとめである。
図表2は,ペットの殺処分数の推移をみたものである。2004年度に394,799頭(犬155,870頭,猫238,929等)あった殺処分数は,このところ一本調子で減少を続けており,2020年度は,既に延べたように23,764頭(犬4,059頭,猫19,705頭)となっている。この背景には,@日本全体のペット飼育頭数が減少していること,A行政の引取り数が減少していること,B行政が引き取ったペットを返還・譲渡する割合が増加していることの3つの要因が働いていると考えられる。
まず,図表3は,日本全体のペット飼育頭数の推移をみたものであるが,緩やかな減少が確 【205頁】 認できる。この背景には,飼い主の高齢化や人口減少,世帯の少子化といった要因があるものと考えられるが,いずれにせよ緩やかな変化であり,殺処分数の急速な減少に大きく影響しているとは考えられない。ちなみに,図表4にみるように,2020年度と2021年度の新規飼育頭数はそれぞれ87.6万頭,88.6万頭と増加しており,コロナ禍の巣ごもり需要として,ペットを新たに飼う人々が増加していることがうかがえる。
次に図表5は,行政によるペットの引取り数の推移をみたものである。やはり,近年,かなり急角度の減少を続けており,殺処分減少にはこの引取り数減少が大きく寄与していると考えられる。実は,2012年の動物愛護法改正(2013年施行)によって,行政は,終生飼養に反する理由による引取り(動物取扱業者からの引取り,繰り返しての引取り,老齢や病気を理由とした引取り等)を拒否できるようになった。さらに,2019年の改正(2020年施行)により,2012年改正における一種の抜け穴4) となっていた所有者不明の場合の引取りについても,相当の事由がない限り,認めなくても良いことになった5) 。しかしながら,図表5をみると,特に,2012年前後,2019年前後に大きな動きがあるわけでは無く,毎年,継続的に引取り数が減少してきたことがわかる。法改正の前にも,全国各地の動物愛護センターでは,安易な行政へのペット持ち込みに対して,飼い主を説得するなどの努力が行われていたり,様々な動物愛護団体,ボランティアなどが,啓蒙活動やペット保護の活動を行ってきた。そのような努力が,持続的に成果を上げてきた結果だと思われる。
また,一度,行政に引き取られたペットについても,全国各地の動物愛護センターで,安易に殺処分を行うのではなく,その前に返還や譲渡を促す様々な努力が行われてきた6) 。図表6は処分数に対する返還・譲渡と殺処分の割合の推移をみたものであるが,この期間に大きな変化が起きていることがわかる。2004年度の殺処分率は実に93.1%と,行政に引き取られたペットのほとんどが殺処分される運命にあったが,動物愛護センター自身が譲渡会を開いたり,地域の動物愛護団体やボランティアが一旦保護した上で,里親探しが行われるなどして,譲渡されるペットが増加してきた。このため,2020年度現在の殺処分率は実に32.4%まで減少している7) 。実際,図表9をみると,最近のペットの入手先としては,里親探しのマッチングサイトからの譲渡,(行政や動物愛護団体などの)シェルターからの譲渡という項目が目立つようになってきた。
ただ,こうした動きは,全国の全ての地域で行われているという訳ではない。図表10,図表11は都道府県・指定都市・中核市別に,処分数に占める殺処分の割合をみたものであるが,地域間で大きな格差があることがわかる。図表12,図表13は,ペットの引取り数のうち,「飼い主から」の割合をみたものであるが,やはり,地域間で大きな格差がある。2012年の動物愛護法改正によって,飼い主からの引取りは既に相当の事由がない限りは拒否できることになっているが,実際の執行状況には大きなバラツキが存在しているのである。
3.1 需要曲線と供給曲線
さて,ここからは簡単な経済学を用いて,ペット殺処分問題を分析してゆこう。図表14は,保護ペット(保護犬や保護猫)の譲渡市場を表したものである8)。まず,保護ペットの供給から考えよう。保護ペットとして譲渡される犬や猫は,もともと何らかの理由で元の飼い主が飼うことができなくなって,@動物愛護団体やボランティアなどに引き取られたり,A保健所や動物愛護センターなどの行政に持ち込まれたり,B遺棄(捨て犬・捨て猫)された後に,上記の団体や個人,行政などに引き取られたものである。ペットショップやブリーダーの売れ残りの犬や猫も,全てが保護される訳ではないが,潜在的な保護ペットと呼ぶことができるだろう。これらの飼うことができなくなった(あるいは飼われることのなかった)ペットの総称を指す言葉として「不要犬」や「不要猫」という言葉があるが,不適切な呼称なので,以下では「保護対象ペット」と呼ぶことにしよう。
保護対象ペットを保護ペットとして譲渡可能な状態にするには,実は様々な費用がかかる。第1に,様々なワクチンの接種費用や,保護された時点で栄養状態が悪かったり,心身が傷ついていたり,病気になっていたりする場合には,その回復・治療にも費用がかかる。第2に,保護開始から譲渡時点までのペットの食費がかかる。第3に,野良犬・野良猫であったり,長い間,世話を放棄されていたペットは人慣れをしていなかったり,しつけが行われていない場合もあるから,新しい飼い主(里親)と一緒に暮らすためには様々な訓練が必要となる。当然,ペットの世話や訓練に投じられる時間にも費用(機会費用)が発生する。第4に,里親を見つけるための広告・宣伝や,譲渡会を催すために費用がかかる。保護対象ペットを保護ペットとして里親に譲渡する(譲渡市場に供給する)には,どうしても一定の限界費用がかかるのである。
このため,図表14の供給曲線S-Sはその限界費用をpとしてA点まで水平な直線で描かれている。もっとも,一定の期間をとれば,保護対象ペットの数量には限界がある。この限界供給量をQとすると,保護ペットの供給数はこのQ以上には増やすことができないから,供給曲線はA点で垂直に屈折し,逆L字型の曲線となる。
一般的に,動物愛護団体やボランティアは,第一種動物取扱業9) の登録をしていないので, 【207頁】 譲渡の際に利益を出すことは認められていない。ただ,医療費として立替えた分については,現在でも営利性はないとみなされ,里親側に譲渡費用として負担を求めることが一般的である。また,それ以外にかかる諸費用についても,実費分程度の費用については,譲渡費用あるいは寄付金等の形で里親に費用負担を求めることが少なくない10) 。
次に,保護ペットの需要曲線D-Dが右斜めに描かれている。保護ペットに対する需要は,価格が高ければ少なく,価格が低ければ多いという需要の法則に従うと考えられる。制度上は,保護ペットは譲渡されるので価格はついていないはずであるが,既に述べたように,現実には譲渡費用や寄付金という形で,需要側(里親)に実費程度の費用負担が求められることがあるので,それを価格と考えることにする11) 。
さて,今,図中で需要曲線D-Dと供給曲線S-Sの交点Eが需給の均衡であり,qの頭数が保護ペットとして取引(譲渡)されることになる。一方,残りのQ−qの頭数は譲渡されず,市中に残ってしまう。仮にこれら全てが行政に引き取られる場合には,譲渡ができなかったペットであるから,殺処分される運命にあるだろう。殺処分を避けるためには,qまでの譲渡ではなく,Qまでの全ての保護対象ペットが譲渡される必要がある(全数譲渡)。その場合の取引価格は需要曲線D-DとQからの垂直線が交差するB点で決まる−p’であり,つまり,マイナスの価格となる。保護ペットの供給側が需要側に逆に「譲渡金」を支払って引き取ってもらうという逆有償の状態である。
もちろん,この価格がプラスになるかマイナスになるかは,需要の大きさによって変わる。例えば,2節で見たように,近年の動物愛護意識の高まりにより,保護ペットへの需要が拡大し,D1-D1のように需要曲線が右にシフトしたとしよう。需要曲線D1-D1とQからの垂直線との交点がQ点よりも上に来れば,プラスの価格となる。そして,需要曲線D2-D2のように,もし交点が供給曲線上のA点よりも上にあれば,市場価格はpを上回り,全数譲渡が市場取引によって可能となる。しかし,現実にはそのような状況は発生していない。後述のように,むしろペットを飼えなくなった所有者から,費用を徴収してペットを引き取る団体や業者が存在している事を考えると,少なくとも一部のペットには逆有償の価格がついていると言える。つまり,元の需要曲線D-Dのような位置に,現実の需要曲線も存在している可能性が高い。
3.2 全数譲渡を実現する政策手段
ところで,仮に政策目標を「殺処分をゼロにするために,全数譲渡を達成する」とした場合,どのような政策手段が可能であろうか。大きく分けて,@動物愛護団体やボランティアなどの供給側に補助金を出す,A里親となる需要側に補助金を出す,B行政が保護対象ペットの引取りを一切拒否するという3つの政策手段が考えられる。
【208頁】まず,供給側に補助金を出す場合を考えてみよう(図表15)。具体的には,保護ペット1頭当たり,p+p’の金額を動物愛護団体やボランティアに補助金として支払うことにする。この場合,元の供給曲線p-A-Fは,-p’-B-F’(図表中の逆L字型の点線)のように下方にシフトして,B点の市場均衡で全数譲渡が達成されることになる。
次に,需要側に補助金を出す場合を考える。やはり,1頭当たりの補助金額はp+p’である。保護ペットの購入以外の使途に使われないように,この金額をバウチャーのような形で,用途を定めて補助することになるだろう。この場合,需要曲線D-Dは,その分,D’-D’のように上方にシフトし,A点の市場均衡で全数譲渡が達成される。政府が補助金を出す場合には,供給側にせよ,需要側にせよ,その原資には一般的には税収が充てられるだろう。つまり,国民全体がこれらの政策にかかる費用を負担することになる。
一方,政府がそのような補助金政策を行わずに,保健所や動物愛護センターなどに,保護対象ペットの引取りを一切,拒否させた場合にはどうなるだろうか。既に2節で詳しく述べたように,現在,行政によるペットの引取り拒否は,その気になればかなりの部分まで実行可能な制度となっているが,まだまだ徹底化にはほど遠い状況である。ただ,これまでの部分的な引取り拒否の実施でも,@元の飼い主やブリーダー,ペットショップがやむを得ず飼い続けたり,A動物愛護団体やボランティアが保護をしたり,B飼い主やブリーダー,ペットショップが費用負担をした上で,終生飼養や里親捜しを行うと称する業者に引き取られたりするケースが,相当に増えている。仮に,行政が一切の引取りを拒否した場合にも,基本的な出口はこの3つになるだろう。
実はこれらは全て,保護対象ペットの所有者側が費用負担を行って,「譲渡」を行った状態と考えることができる。例えば,元の飼い主やブリーダー,ペットショップがやむを得ず保護対象ペットを飼い続けるということは,保護ペットとして自分自身に譲渡したと解釈可能である。つまり,不効用や損失を被るという形で,所有者がその費用を負担している。動物愛護団体やボランティアが,保護対象ペットを保護する場合にも,実費+α程度の費用負担を求められることがあるし,もちろん,業者がペットを引き取る場合には直接的に費用負担が生じる。
このように,全数譲渡を政策的に実現させる場合の厚生分析を行うと,その社会的余剰は,図表15の三角形CpEの面積から三角形EBAの面積を差し引いたものとなる(左の灰色の三角形から,右側の灰色の三角形を引いた面積)12) 。純粋にこの図の中で社会的余剰を最大化したい 【209頁】 のであれば,政府が何も政策を実施せず,E点の市場均衡で譲渡数qのままにしておくのが良いことになるが,それは間違いである。なぜならば,この図表15には,行政によるペット引取りの費用が全く考慮されていないからである。これを考慮した場合に結論がどのように変わるのか,次に考えてみよう。
3.3 社会的に最適な譲渡数
既に述べたように,図表15のq以上の数の譲渡を政策的に実施する場合には,社会的余剰はその分だけ小さくなる。その意味で,供給曲線のE-Aの部分から需要曲線のE-Bの部分を垂直方向に差し引いた長さは,政策によって,譲渡数を市場均衡以上に増やす場合に発生する社会的限界費用と考えることができる。今,この社会的限界費用を縦軸に上向きにとって,図を書き直したものが,図表16の社会的限界費用曲線H-Hである13)。
ここで,行政のペット引取りに伴う限界費用をmcとし,行政サービスの供給曲線をI-Iで表すことにする。政策にかかる社会的な総費用を最小化するためには,H-HとI-Iの曲線が交差するE*点で決まるq*まで保護対象ペットを譲渡し,残りQ−q*を行政が引き取るのが最適となる。なぜ,この点が最適数になるのだろうか。例えば,q*を下回る譲渡数の場合には,譲渡を行う方が行政の引取りよりも限界費用が低くなるので,譲渡数をもっと増やす方が望ましい。逆に,譲渡数がq*を上回る場合には譲渡にかかる社会的限界費用が行政引取りの限界費用よりも高くなるので,譲渡数をもっと減らすべきである。政策を全く行わない場合の譲渡数qと最適な譲渡数q*を比較すると,q*がqを上回っており,市場均衡以上に譲渡数を増やすことが社会的に望ましいことことがわかる。
もちろん,行政引取りの限界費用をどのように計算するかによっては,q*の頭数はさらに多くなる可能性がある。例えば,現在のように最終的にペットを殺処分するのであれば,1頭当たりの限界費用はせいぜい1千数百円から6千円程度である(環境省(2004))。一般的に動物愛護センターの収容日数は1週間程度であるから,その間の餌代などを考慮したとしても,限界費用(mc)は1万円にも満たない金額であろう。
しかし,動物愛護法の観点からは,例え行政であったとしてもペットを殺処分せず,終生飼養することが望ましいことは言うまでも無い。仮に,譲渡できないペットを行政が殺処分せず,終生飼養すべきと考えれば14),限界費用はもっと高い金額となる。はたして限界費用はいくらぐらいになるのだろうか。一般社団法人ペットフード協会の「令和3年全国犬猫飼育実態調査」によれば,餌代や医療費などの生涯必要経費は犬が2,448,784円,猫が1,535,678円であり,1年当たりに直すと,それぞれ167,152円,98,064円である15)。仮に行政に引き取られたペットの平均余命を平均寿命の半分と考え,譲渡できずに殺処分されている確率を考慮すると,保護対象 【210頁】 ペットを引き受けた時点で,その終生飼養にかかる限界費用(mc’)は,平均的には犬が22万4千円程度,猫が約25万6千円程度となる16)。この場合,図表16の行政による引取りの供給曲線はI’-I’のように上にシフトするから,新しい最適数はq’となり,さらに譲渡すべき頭数が増えることになる。また,この場合には行政は殺処分を行わないので,全体として殺処分ゼロが達成される。
4.1 最適譲渡数を達成するための政策手段
問題は,どのような政策手段でこの最適譲渡数を達成させるかである。まずは,既に挙げた,@供給側への補助金,A需要側への補助金,B行政による引取り拒否の徹底化という3つの政策手段がある。このうち,@とAの補助金の問題点は,国民の理解が得られにくいことである。すなわち,補助金の財源は一般的に税収となるが,国民の大半はペットと無縁な人々であるし17) ,中には犬嫌い,猫嫌いという人々もいる。こうした人々に対しても等しく負担が強いられる補助金制度について,国の単位で合意形成を行うことは非常に困難と思われる。
また,国ではなく,動物愛護意識の高い自治体の中で,例え住民間の合意形成ができたところがあったとしても,自治体単独で補助金制度を作る場合には,スピルオーバーの問題が生じる。端的に言えば,補助金制度がある自治体に,補助金制度がない自治体の保護対象ペットが持ち込まれてしまい,当該自治体にその分の過大な財政負担が生じる。補助金制度のある自治体の周辺にある自治体は,当該自治体の補助金制度のおかげで,労せずしてペット引取りや殺処分数を減少でき,ただ乗りができる。このスピルオーバーの問題を防ぐには,都道府県程度の広域行政の中で補助金制度を作るか,全国一斉の制度にする必要があるが,広域になればなるほど,合意形成が難しくなるのは既に述べた通りである。
一方,Bの引取り拒否の徹底化は,国や自治体の予算を確保する必要がなく,ペットに無縁の人々には負担がないので,補助金よりははるかに合意形成がしやすい。また,スピルオーバー効果が生じる補助金とは異なり,個々の自治体単位で導入可能である。むしろ,引取り拒否を行っている自治体の周辺の自治体に,保護対象ペットがその分多く持ち込まれるという逆スピルオーバー効果がある。そうなれば周辺自治体も黙っておらず,自身も引取り拒否を行って対抗することになろうから,全国的に引取り拒否の徹底化が進むという意味でむしろ都合が良い。
問題があるとすれば,やむを得ない理由でペットを飼えなくなった所有者が,どのように対処してよいのか非常に不透明であり,不必要に多くの負担が生じたり,ペットの遺棄や放棄が生じる可能性があることである。確かに,2012年の改正動物愛護法には,ペットの所有者(飼 【211頁】 い主やペットショップ,ブリーダーなど)への終生飼養の責務が明記されている18)。また,動物愛護団体や動物愛好活動家にとっては,飼い主がペットを途中で手放すということは,憎むべき無責任な行為であろう。
しかしながら,完全な人間はいない。ペットを購入した後にアレルギーなどが分かって飼えなくなる場合,飼い主の病気や加齢に伴う体力の衰えを理由に飼えなくなる場合,やむを得ない引っ越しや施設入居などで飼えなくなる場合など,事前には予見できなかった様々な事態が起きる可能性がある。残念ながら,様々な理由で手に負えなくなったり,ペットへの愛情を保てなくなる飼い主がいることも,人間である以上は皆無では無い。その場合,運良く善良な動物愛護団体やボランティアに保護を依頼できれば良いが,いつでも,あるいは,どこでもそのような人々がいるとは限らない。利益が出せないという制約の中で,慈善事業に近い活動ができる経済的余裕があり,動物愛護意識が高い人々は,やはり絶対数として少ないのである。全ての自治体で,動物愛護団体やボランティアを見つけられるとは限らない。
そうなると,やむを得ず,高額の引取り費用や寄付金を求める業者や団体などに頼らざるを得ないかもしれない。引取り先に困った飼い主の中には,ペットの世話をせずに放置するようになったり,遺棄行為に及ぶ人々もいるだろう。また,ペットショップやブリーダーの中にも,売れ残りのペットを劣悪な環境下において寿命を縮めたり,「引取り屋」と呼ばれる劣悪な環境で飼育する業者に費用を払って引き取らせたり,あるいは大量遺棄を行うケースがあることが報告されている19)。もちろん,ペットの遺棄や世話の放棄(ネグレクト),劣悪な環境下での飼育などは動物愛護法に反する犯罪行為である。その罰則も強化されてはいるが,アニマルポリスのような法律の実効性を担保する制度が追いついていない事情もあり,なかなか根本的な解決は難しい状況である(杉本(2021))。このような中で,行政による引取り拒否の徹底化を行えば,善良な動物愛護団体やボランティアを急に増やすことはできないから,さらなる混乱や不幸なペットたちを生み出すことになりかねない。
このように,3つの政策手段(@供給側への補助金,A需要側への補助金,B行政による引取り拒否の徹底化)にはそれぞれ問題があるが,実は,これらの問題をかなり改善できるもう一つの別の政策手段がある。それは,行政のペット引取りを有料化することである。
4.2 行政によるペット引取りの有料化
具体的には,行政の引取りにかかる限界費用に等しい引取り料金を徴収する。実は,現在でも,動物愛護センターの中には引き取りの手数料を徴収しているところがある。例えば,埼玉県では,生後91日以上の場合に犬猫の区別なく一頭4,000円,生後91日未満の場合は10頭まで 【212頁】 ごとに4,000円の手数料を徴収している。岐阜県でもやはり犬猫の区別なく,生後91日以上1頭につき2,100円,生後90日以下1頭につき420円を徴収している。
しかし,この程度の金額では,殺処分の費用や譲渡に関連する諸費用の一部をねん出するのが精一杯であり,図表16で言えばmc程度か,それにも満たない金額であろう。譲渡できなかったペットを行政でも終生飼養すべきという考えに立つのであれば,図表16のmc’に当たる金額,つまり,先に計算したように,1頭当たりの料金として犬が22万4千円程度,猫が25万6千円程度を徴収するのが適切である。ただ,この金額はあくまで平均的な料金に過ぎないことに注意が必要である。実際には,「(平均寿命−引取りをした時の推定年齢)×1年当たりの必要経費」で計算した料金をまず徴収し,引き取ったペットの譲渡が決まった際には,「譲渡費用と譲渡が決まるまでの期間にかかった必要経費」を差し引いて,所有者に返金するという仕組みにするのが合理的である20)。
このように行政による引取り料金が明確化すれば,所有者たちはこの価格を支払えば必ず引き取ってもらえるという透明な仕組みとなり,少なくとも,引取り先に困っての遺棄やネグレクトをするケースは減少するだろう。また,行政の引取り料金が市場の参照価格(アンカー)となるので,法外な料金を要求するような悪徳な引取り業者の排除にも役立つ。
もちろん,保護対象ペットを所有している飼い主やペットショップ,ブリーダーなどの所有者は,この行政の料金よりも低い費用で引取りを行い,譲渡先を探してくれる動物愛護団体やボランティアなどを一生懸命探すことになるので,図表16のE’点までは,社会的限界費用曲線H-Hに沿って譲渡市場が積極的に活用されることになる。できれば,動物愛護団体やボランティアに関して,利益が全く出せない仕組みについて,多少の規制緩和を行うと良いだろう。行政の引取り料金以下であれば,社会的な限界費用を節約することができるから,動物愛護団体やボランティアが多少高めの費用を徴収しても問題はない。具体的には,譲渡や終生飼養を行う動物愛護団体やボランティアについて,第二種動物取扱業に必ず登録することを義務化し,第二種動物取扱業の非営利性について一定程度の規制緩和を行い,人件費や施設の賃料などの運営費分なども引取り費用として上乗せできるようにする。ただ,そのような規制緩和を許すかわりに,動物の飼育状態について適切な質基準を満たし,行政による定期的な監査を受け入れ,会計報告も行うことを義務化する。そして,第一種,第二種動物取扱業の登録をしない業者には,一切の引取り行為を許さないようにする。これならば,引取り屋などの悪質な業者を排除することが可能となる。
さて,行政が引取りを有料化することのメリットは他にもある。料金を支払うのは,ペットを飼うことができなくなった所有者であるから,終生飼養の義務を怠ったペナルティーとして料金徴収は受け入れられやすい。補助金とは異なり,税金が使われることがないので,政策に対する国民の合意形成が行いやすいものと考えられる。また,行政が限界費用と等しい料金を徴収すれば,自動的に最適な譲渡数が達成されることも,他の政策手段よりも優れた点である。補助金や行政による引取り拒否の徹底化では,最適点が自動的に達成されるメカニズムは存在せず,どの程度の補助金や引取り拒否を行えば良いのかを別途,何らかの手法で判断する必要がある。
【213頁】4.3 ペット殺処分の原因について
むしろ,経済学の観点からは,行政によるペット引取りが,これまで無料,もしくは非常に低額で行われていたことこそが大問題である。再び図表14に戻ると,行政による引取りの限界費用を全く考慮しない場合には,市場均衡はE点,つまり譲渡数qが均衡譲渡数となる。これは,図表16において,行政引取りの限界費用をゼロとみた場合の譲渡数に他ならない。つまり,行政による引取りの限界費用という社会的限界費用が内部化されていないために,過小な譲渡数となっているのである。過小な譲渡数は,過大な殺処分数と言い換えることができるから,これまでペットの殺処分数が多かった原因は,行政がペットの引取り料金を適切に徴収してこなかったことにあると言える。確かに近年,殺処分数は急速に減少してきたが,未だに無料や低額料金で引取りを行う自治体が存在している以上,まだまだ社会的に過大な殺処分数が発生していると言うべきである。その是正には,制度的に発生している社会的限界費用と私的限界費用の乖離を埋めるための一種の「ピグー税」として,料金徴収を行うことがもっとも自然な政策手段である。
ちなみに,保健所や動物愛護センターは既に国民の税収で運営されている公的機関であるから,これ以上の料金を徴収する事は論理的におかしく,無料でペットの引取りを行うべきという議論がある。しかし,行政による引取り料金は,譲渡や殺処分を行うための財源確保が主たる目的ではなく,制度的に発生している外部性を内部化するための政策手段であると考えるべきである。炭素税と同じように,財源確保とは別の目的で徴収される政策手段としての料金徴収なのである。
4.4 ペットの遺棄への対処
このように行政引取りの有料化にはメリットが多いが,問題が無いわけでは無い。それは,保護対象ペットの遺棄が増え,捨て犬,捨て猫が増える可能性が高いことである。ただ,これは有料化に固有の問題では無い。行政によるペット引取り拒否によっても既に深刻化している問題である。
ペット遺棄への対処としては,2019年の動物愛護法改正で,販売前の犬や猫にマイクロチップを埋め込み,飼い主の所有者情報を登録することが義務化されており,2022年6月から施行される。既に飼われているペットに対しては努力義務に止まっているが,本来であれば,全頭例外なく義務化することが望ましい。既に2019年の改正動物愛護法で,ペットの遺棄については懲役刑が追加され,「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」が課されている。マイクロチップで捨て犬,捨て猫が追跡できるようになれば,ペットの遺棄は相当に少なくなることが期待される。当然,行政に持ち込まれる所有者不明のペットも少なくなるので,行政によるペット引取りの有料化がよりよく機能するだろう。ただし,現在,マイクロチップの全数義務化に向けて議論が行われているものの,まだまだ合意形成へのハードルは高い。これから新規販売される犬や猫への義務化だけでは,マイクロチップの効果が上がるまでに,相当の年数がかかるものと思われる21)。
【214頁】マイクロチップが機能するまでの即効性の高い施策としては,ペット販売にデポジット制を導入することも一案である。つまり,行政の引取りにかかる限界費用を予め上乗せした販売価格にした上で,飼い主が飼育を無事に続ければ,毎年,1年分の必要経費を返金してゆく制度とする。平均寿命まで生きればデポジット分の上乗せ負担はゼロとなる。途中,病気などで死んでしまった場合には,死因が虐待ではないことを獣医師が確認した上で,デポジット分を返金する。そして,もし,飼い主が何らかの理由でペットを飼えなくなった場合には,デポジットから引取り料金が支払われるから,犯罪のリスクを負ってまでペットを遺棄する必要がなくなる。問題は,ペットの販売価格が今までより格段に高くなることであるが,飼い続ければいずれかかる必要経費を前払いしていると考えれば,受け入れは可能であろう。長い目で見れば,トータルの支出額は変わらない。飼い主の流動性制約の問題があるならば,自動車のディーラーのように,ペット業界がローン制度を提供するなどして,創意工夫を図るようになるだろう。
もう一つの代替的政策手段としては,ペットを途中で飼えなくなる場合に備えて,保険制度を創設し,飼い主に加入を義務化することも考えられる。もし,ペットを飼えなくなった場合には,行政の引取り料金はその保険から支払う。もちろん,全額を保険が支払うとなるとモラルハザードの問題が発生するので,一部は飼い主に自己負担してもらうことになるだろう。しかし,飼い主の負担額は保険が無い時よりも相当に減少するから,犯罪のリスクを負ってまでペットを遺棄するケースはかなり減るだろう。また,モラルハザード対策としては,労災保険で行われているようなメリット制を導入することも有効である。つまり,ペットの行政引取りを繰り返す人に対する保険料を引き上げるのである。この保険制度は,ペットの飼い主だけではなく,ペットショップやブリーダーの売れ残りペットにも適用可能である。
本稿は,近年,社会問題として関心が高まっているペット殺処分とその対策を経済学の観点から考察した。まず,ペット殺処分の問題を,保護ペットの譲渡市場の枠組みの中に位置づけ,様々な対策を比較考量するためのごく簡単な市場経済モデルを提示した。その上で,行政のペット引取りにかかる限界費用がペット所有者に考慮されず,行政の引取り料金が無料,もしくは非常に低額となっていることが,社会的に過大な数のペット殺処分が生み出されている原因であると論じた。政府は費用をかけた対策を行い,現在よりも譲渡される保護ペット数を増やしてゆくべきであり,その社会的限界費用が行政引取りにかかる限界費用に等しくなる点で,最適な譲渡数が達成される。
具体的な対策としては,@供給側(動物愛護団体やボランティアなど)への補助金,A需要側(里親など)への補助金,B行政のペット引取り拒否の徹底化,C行政によるペット引取りの有料化(限界費用を引取り料金として設定する)という4つの政策手段が考えられるが,効率性や国民の合意形成のしやすさなどの観点から勧められるのは,Cの有料化である。ただ,その場合にはペット遺棄(捨て犬,捨て猫)の増加という問題が生じることが予想されるので,そのための対策として,@マイクロチップ埋め込みの全数義務化,Aペット販売へのデポジット制度の導入,B途中でペットが飼えなくなることに対する保険制度導入(行政引取り料金支 【215頁】 払いに対する保険)を提案した。
また,保護ペットの譲渡市場がよりよく機能するためには,利益を出すことができない現在の譲渡制度について,一定程度の規制緩和を行うことが望ましい。動物愛護団体や動物愛好家の中には,市場制度に不信感を持ち,市場(マーケット)が問題の根源であると考える人々が少なくない(杉本(2016,2020,2021),太田(2013,2019))。もちろん,ペットを「物」として扱うべきでは無いという気持ちも理解できないわけではないが,市場とは単なる道具であり,それを生かすも殺すも政策次第である。むしろ,制度によって生み出されている市場の失敗をうまく是正できていないことこそが,ペット殺処分が起きる根本原因である。政策によって市場をうまく修正し,その活用を図ることによって,問題解決に導くことができる。
浅川千尋・有馬めぐむ(2018)『動物保護入門−ドイツとギリシャに学ぶ共生の未来』世界思想社
今西乃子・浜田一男(2009)『犬たちをおくる日: この命,灰になるために生まれてきたんじゃない』金の星社
植田和弘(1992)『廃棄物とリサイクルの経済学』有斐閣
太田匡彦(2013)『犬を殺すのは誰か ペット流通の闇』朝日新聞出版
太田匡彦(2019)『「奴隷」になった犬,そして猫』朝日新聞出版
片野ゆか(2012)『ゼロ! こぎゃんかわいか動物がなぜ死なねばならんと?』集英社
環境省(2004)『第5回動物の愛護管理のあり方検討会資料3(犬ねこの引取りや殺処分等)』 https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/arikata/h16_05/mat04.pdf
杉本彩(2021)『動物は「物」ではありません!:杉本彩,動物愛護法“改正”にモノ申す』法律文化社
杉本彩(2020)『動物たちの悲鳴が聞こえる −続・それでも命を買いますか?』ワニブックス
杉本彩(2016)『それでも命を買いますか?−ペットビジネスの闇を支えるのは誰だ』ワニブックス
東京弁護士会公害環境特別委員会(2020)『動物愛護法入門〔第2版〕―人と動物の共生する社会の実現へ』民事法研究会
日引聡・有村俊秀(2002)『入門 環境経済学―環境問題解決へのアプローチ』中央公論新社
細田衛士・横山彰(2007)『環境経済学』有斐閣
細田衛士(2012)『グッズとバッズの経済学(第2版)―循環型社会の基本原理』東洋経済新報社
リチャード・C. ポーター(2005)『入門 廃棄物の経済学』(石川雅紀・竹内憲司(翻訳))東洋経済新報社