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2025年年金改正の課題:2つの国民年金救済案をめぐって

 

鈴木 亘

 

 

要旨

本稿は,2025年の次期年金改正に向け,現在,社会保障審議会・年金部会で検討が見込まれている2つの国民年金救済案について,その整理と評価を行った。2つの改革案は総じてみて,サラリーマンたちの犠牲の下に,自営業者などの国民年金加入者を救済するものである。こうした救済策を行わなければならなくなった背景には,2004年改正で定められたマクロ経済スライドが現在,機能不全に陥っていることがある。2つの改革案は,今後,基礎年金(国民年金)の大幅な年金水準カットが予定される中では,最低限行わなければならない弥縫策ではあるが,そもそものマクロ経済スライドの機能不全に全く対処していないため,危うい改革案と言わざるを得ない。今後,日本経済が厚生労働省の経済前提よりも悪化し,これからもマクロ経済スライドが予定通りに実施できない状況が続けば,これらの弥縫策では全く対処できなくなるだろう。次期年金改正では,年金財政の健全さを高めるため,もっと抜本的な改革案を考える必要がある。その抜本改革のいくつかの選択肢についても議論を行った。

 

キーワード

年金改正,財政検証,100年安心プラン,国民年金

 

 

1.はじめに

 

厚生労働省の社会保障審議会・年金部会が,2025年に予定される次期年金改正に向け,2022年10月25日に議論を開始した。年金改正は,5年に1度,財政検証と呼ばれる公的年金の将来財政見通しが公表された後に行われるのが通例であり,次期財政検証は2024年に行われる。近年,この財政検証で,年金改正の選択肢となる改革案とその効果の試算結果が示される事が常となっており,そのため,どのような改革案を提示・試算すべきか,前もって年金部会で議論が行われるのである。

もともと現在の年金制度は,「100年安心プラン」と呼ばれた2004年の年金改正以降,毎年0.9%程度の年金給付カットを2023年まで19年間実施し(マクロ経済スライド),年金財政を将来的に維持可能なものに立て直す予定であった。しかしながら,現在までに,そのマクロ経済スライドは遅々として進まず,年金受給者は当初の予定よりも大幅に過大な年金額を受け取っている。今後は,給付カットの遅れに加えて,この過剰給付分をカバーするため,一段と大き80頁】 な年金カットを行わなければならない。2020年末に行われた厚生労働省の試算(厚生労働省(2020))によれば,当初,まさに今年(2023年)で終了するはずであったマクロ経済スライドは,もはや2046年まで続けなければならないということである。

このため,所得代替率1)で測ったサラリーマン世帯(厚生年金のモデル世帯)の年金給付水準は,2019年対比で2割弱(17.3%ポイント)のカット,自営業者など国民年金世帯のカット幅は,実に3割弱(27.2%ポイント)にもなる。現在,国民年金の満額は約6万5千円(月額)であるから,仮にその金額から3割弱カットされるとすると,月額4万7千円程度になる計算である。実際には,未納期間があるなどして,国民年金を満額受給できる人は少ない。国民年金のみの平均受給月額は現在,約5万3千円ほどであるから,3割弱カットで3万8千円程度である。これでは,年金だけで「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることはほぼ不可能である。加えて,コロナ禍の中で,日本の少子化が一段と進んでおり,2022年の出生者数は過去最低を更新し,初めて80万人を割るものと見込まれる。これは,厚生労働省の将来人口推計における出生数の減少見込みを8年程度早めたことになる。次期財政検証では,マクロ経済スライドの適用期間を2046年よりも長くせざるを得ず,さらに大きな年金給付カットが要求されることになるだろう。

このため,2025年の年金改正に向けて,年金部会では,基礎年金(国民年金)の目減りに歯止めをかける改革案が検討されるとみられる。具体的には,@厚生年金や国費からの財政支援により,基礎年金水準を下支えする案,A基礎年金の保険料納付期間を現在の40年(20歳から59歳)から45年(20歳から64歳)に延長し,その分,年金給付を増やす案の2つが厚生労働省によって検討されていることが,新聞各紙によって報じられている2)。本稿は,この2つの予想される改革案が我々の年金水準に及ぼす影響を整理した上で,この改革案の評価や,本来あるべき年金改革はどのようなものであるのか,議論を進めることにしたい。

以下,本稿の構成は下記の通りである。第2節では,2つの改革案が今後の年金水準に与える影響についてまとめる。第3節は,そもそもこの2つの改革案を行わなければならなくなった背景として,マクロ経済スライドがなぜ機能していないのかを,2004年改正に遡って解説する。4節は,マクロ経済スライドの機能不全を,年金純債務の膨張と言う側面から捉え,世代間不公平についても詳しく論じる。第5節は,本来あるべき抜本改革について,その選択肢を議論する。なお,本稿の3節,4節は鈴木(2020)の第6章,第7章を元に,最近の年金改革の動向を踏まえて,大幅に改訂したものである。

 

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2.2つの年金改革案の効果

 

2.1 厚生年金からの援助策

実は,2022年10月に行われた初回の年金部会では,事前に下馬評に挙がっていた2つの年金改革案が,事務局(厚生労働省)から明示的に示されることはなかった。さらに,年金部会の各委員からも,2つの改革案に関する発言はなかった。これはおそらく,政権の支持率が低下する中なので,年金部会の運営に安全運転が求められていたということであろう。しかし,この2つの改革案の具体的内容については,実は,2020年末に行った厚生労働省の試算(厚生労働省(2020))の中に含まれており,おそらくは,この試算をベースに今後の年金部会の議論が進むものと推測されている。そこで,この厚生労働省試算を元に,2つの改革によって我々の年金はどう変わるのか整理してみたものが,図表1である。

まず,上段(1)が,厚生年金や国費(税)で基礎年金の下支えを行う改革案である。具体的には,厚生年金を減額して基礎年金の増額に振り替える財政措置を行い,マクロ経済スライドの期間を短縮する(2033年に終了)という案である。図表中の具体的な数字は,厚生労働省試算を元にした給付水準(所得代替率)や負担の変化である。

まずはサラリーマン本人(第2号被保険者)の場合を見てみよう。厚生労働省試算では,サラリーマン本人分とその配偶者である専業主婦の分を合算したベースで給付水準が示されている。しかし,そのようないわゆる「モデル世帯」はもはや極めてレアケースであり,サラリーマン世帯の年金水準をみるための標準モデルとしては不適切である。そこで,ここではよりシンプルにサラリーマン本人の1人分で示している。中所得層と書かれているのがサラリーマンの平均的な姿である。

サラリーマン本人の年金は,基礎年金と厚生年金の所得比例部分から構成されるが,厚生年金が減額される代わりに基礎年金が増加されるので,所得代替率は37.75%から39.05%に変化し,年金水準は3.4%ポイントの微増となる3)。一方,負担は現在の18.3%の保険料率のまま変わらないが,基礎年金額が増えると,その財源の半分を占める国費も増加する。国費とは税金のことであるから,増加分の捻出のためにいずれ何かの税率を引き上げざるを得ない。おそらくは所得税や消費税となろうが,その分を考慮すれば,平均的なサラリーマンの損得は,ほぼトントンと言ったところであろう。

もっとも,サラリーマンでも低所得層の場合には,年金額に占める基礎年金の割合が大きいから,その増加効果の方が大きくなるだろう。また,低所得層では,国費増加分に対応する税率が引き上げられたとしても,その税負担は小さいであろうから,やや得と言える。逆に,サラリーマンの高所得層は,年金額に占める基礎年金の割合が小さく,税負担も大きいと考えられるので,やや損となるだろう。

 

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一方,基礎年金(国民年金)だけを受給している自営業者やその家族従事者など(第1号被保険者),サラリーマン世帯の専業主婦・専業主夫(第3号被保険者)は,基礎年金満額受給の場合の所得代替率が13.25%から16.45%に増加するので,給付水準は24.2%ポイントも増加する4)。これらの人々は,国費増加分の税負担増も小さいはずなので,この改革によって大きく得をすると言える。ただ,注意しなければならないのは,いくら得とは言っても,その比較の出発点は,あくまで3割弱削減される基礎年金であることである。現在の給付水準に比べれば,改革後でも依然として低い年金水準にとどまる。

 

2.2 加入期間の延長策

次に,(2)の基礎年金の加入期間を延長する改革案を見てみよう(図表1の下段)。もっとも,これは果たして改革と呼べるような代物なのかどうかわからない。単に,基礎年金が足りなくなるので,保険料を長く払ってもらって,その足しにしてもらおうというだけのことである。それだけのことであれば,基礎年金の制度変更ではなくても,国民年金基金に入ってもらったり,民間の個人年金に加入してもらうことと本質的には変わらない。ただ,基礎年金の財源の半分は国費(税金)なので,税負担が上がるという側面を見なければ,保険料対比の年83頁】 金給付額は得なものに見えよう。実は,現在でも国民年金には,任意加入制度というものがあり,60歳以降も保険料を支払って,年金額の足しにすることができる。もっとも,その利用は,60歳までに老齢基礎年金の受給資格を満たしていない人や,40年の納付済期間がないため老齢基礎年金を満額受給できない人に限られる。この任意加入制度を満額受給者に広げ,任意ではなく強制制度にする制度改正とも解釈できる。

ただ,その効果に関して,厚生労働省試算の提示の仕方はややあざとい。厚生労働省試算では,サラリーマンについて,60歳で完全引退し,その後,仕事を全くしていない人が想定されている。そして,この改革が行われたことにより,急に労働意欲に目覚めて60歳以降65歳まで正社員として働き始めるとされる。その場合,当然のことながら,基礎年金と厚生年金がダブルで増えるから,所得代替率は39.05%から43.9%へと変化し,年金水準は12.4%ポイントもの増額となる5)

もちろん,保険料も5年分多く支払うが,既に述べたように,基礎年金財源の半分は国費であるから,保険料よりも給付額の増加分の方が大きい。国費はいずれ税金増に反映されるはずだが,少なくとも改革当初の高齢者が負担するのはその一部であろう。したがって,この人々の損得はやや得と言える6)。もっとも,厚生労働省試算の想定のように60歳で完全引退するサラリーマンは,実は現在,それほど多くはない。大半の人々は60歳以降も何らかの形で働き続けている。図表2をみると,2021年度平均の60歳から64歳の人口のうち,74%が労働力人口であり,72%が実際に就業者である。そのうち,休業者や自営業者を除く,62%がサラリーマン(雇用者)となっている。このような実態をみると,西沢(2021)7)が強調するように,厚生労働省が試算で想定している人々はかなりのレアケースと言えるだろう。

そこで,60歳以降も既に働いている標準的サラリーマンについて見てみよう。60歳以降の厚生年金の保険料率は18.3%と,59歳以下の人々と変わらない。この保険料率には基礎年金分の保険料が含まれていると考えられるので,60歳以降も働くサラリーマンは,既に現在,基礎年金分の加入期間延長を行っているようなものなのである。したがって,改革が行われても,実質的に何も変わらない。むしろ,改革によって基礎年金の国庫負担増を賄うための税率引き上げが行われれば,やや損となるぐらいである。

 

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一方,基礎年金(国民年金)だけを受給している自営業者などは,やや得と言える。基礎年金の延長分は,給付と負担の両者を12.5%ずつ増加させるが,既に述べた理屈で,給付が負担を上回る。将来的に税金増となっても,サラリーマンほどには増えないだろう。もっとも,この改革で一番得をするのは,サラリーマン世帯の専業主婦(主夫も)である。保険料負担はそもそもないので,負担増はなく,給付だけが12.5%増える。

以上,2つの改革案を総括すると,サラリーマンの犠牲の下に,自営業者などの国民年金加入者,基礎年金のみの専業主婦が大きく得をする改革であると言えよう。もっとも,現状を放置しておけば,基礎年金の給付水準は3割弱も減少し,専業主婦はともかく,国民年金加入者の中からは低年金によって,生活保護受給者が大量に出る可能性が高い。生活保護は全額公費であるから,結局,税金増となってより大きな負担がサラリーマンたちにのしかかることになる。その意味で,これら2つの改革案は,仮に年金制度の抜本改革を行わないのであれば,最低限やらなければならない「弥縫策」であることは確かである。

 

 

3.2つの改革案で十分か

 

3.1 2004年改正という問題の原点

ただ,2つの改革案はまさに弥縫策であり,それ以上のものではない。これで十分な改革になるのかと言えば,それは大いに疑問である。それは,これらの弥縫策をそもそも考えざるを得なくなった根本原因に,全く対処できていないからである。根本原因とは何か。それは,マクロ経済スライドという給付カット策が機能不全に陥っており,これまでほとんど実施できな85頁】 かったことである。そして,この機能不全に根本的な手を打たない限り,今後もマクロ経済スライドを予定通りに実施することは難しい。今回程度の弥縫策ではすぐに対処不能となり,今後,何度も同種の弥縫策を繰り返さざるを得なくなることが容易に想像できる。そして,弥縫策を繰り返しているうちに,積立金そのものの枯渇が先に来るという最悪の事態も考え得る。ただ,このあたりの事情を理解するためには,マクロ経済スライドを定めた2004年の年金改正に遡って,現在の年金制度の諸課題を解説する必要がある。

さて,「年金100年安心プラン」として知られる2004年改正は,2000年代初頭の小泉政権下で行われた年金制度の大改正であり,現在に至る基本的スキームが形作られた。その根幹となる改革項目は,今ではすっかり忘れられている感があるが,年金給付水準の大幅カットである。すなわち,高齢者の年金水準を,2004年から19年程度かけて約2割カットする。それにより,勤労者たちの保険料負担が過大になりすぎることを防ぎ,当時少なくなっていた積立金を再び積み増して,概ね100年先まで今の年金制度が維持できる財政立て直しが断行されたのである。具体的に,この2004年改正では,(1)保険料水準固定方式の導入(将来にわたって保険料を引き上げ続けることを停止し,2017年の水準で固定),(2)マクロ経済スライドの導入(19年間で,2割程度の年金水準カット),(3)基礎年金国庫負担割合の1/2への引き上げ,(4)無限均衡方式から有限均衡方式への変更(再び積み上げた積立金を早期に取り崩し,概ね100年後に1年分の積立金を残す)という改革項目が実施された。

一般的に,年金改革の手段としては,(1)現役層が負担する保険料の引き上げと,(2)高齢者の年金カットの2つがあるが,2004年改正までは,概ね,前者の保険料引き上げが選ばれてきた。投票率が高く,高齢化によって人口が増えている高齢の有権者の怒りを買うことは,政治家にとって大きな脅威と言える。一方,少子化によって人数が減り,投票率も低い現役層,特に若者は遠い将来の年金に関しては関心が薄い。保険料引き上げという形で,現役層に負担が押しつけられる改革が繰り返されることは,政治的には合理的と言える。ここで保険料引き上げという改革は,単に年金改革が行われた時点の保険料を引き上げることではなく,将来にわたる保険料の引き上げスケジュールの坂を,さらに急にすることを意味する。現役層の中でも人口の多い中高年は,残りの保険料を払う期間が短く,保険料引き上げの被害があまり及ばないので,政治的に改革が行いやすい。一方で,現役層のうち,若者は,将来にわたって高い保険料に直面するから,特に負担が重くなる。理不尽なのは,まだ投票権を持っていない子どもたちや,まだ生まれてもいない将来の日本人たちに,もっとも過酷な負担を強いることである。その意味で,2004年改正までの年金改革は,若者や将来世代への負担押しつけとほぼ同義語であったと言えよう。

しかしながら,この保険料引き上げ一辺倒の改革は,2004年改正を前にとうとう限界に達したと考えられた。当時の社会保障審議会・年金部会が,これまで通りの方針で2004年改正を行うと,保険料をどれぐらいまで引き上げなければならないかを計算したところ,厚生年金の保険料率は2038年に25.9%となり,2004年の13.58%のほぼ2倍になるという結果が出た。国民年金の保険料も,2031年度に29,500円と2004年の13,300円から2倍以上の引き上げとなる。健康保険料や介護保険料,各種の税率も将来的に引き上げられてゆくことから,これでは国民所得の半分以上が税や社会保険料として徴収されることになり,国民の勤労意欲低下が心配されたのである。そこで,2004年改正では保険料引き上げに上限を設けて将来にわたって固定し,それ以上,引き上げを行わないことにした(厚生年金は2017年から18.3%で固定,国民年金は86頁】 16,900円(2004年価格)で固定)。

しかしながら,本来はもっと引き上げなければならない保険料のスケジュールを,上限を設けて実質的に引き下げたのだから,年金財政の収支は大幅に悪化して,年金財政が将来的に破綻してしまう可能性がある。そこで,それを防ぐ措置としてまず考えられたのが,基礎年金への税金投入額を増やすという手段である(国庫負担割合の1/3から1/2への引き上げ)。次に,現在ある積立金を早めに取り崩して,財源化するという措置が取られた(有限均衡方式)。しかしながら,それでも全く財源が足りないため,約2割もの年金給付カットという大なたが振るわれることになったのである。それこそが,「マクロ経済スライド」と呼ばれる制度である。

だが,高齢者がこれほど大きな年金カットをそのまま受け入れるはずがないし,高齢の有権者を怒らせることは政治的にリスクが大きい。そこで,高齢者たちをなるべく刺激しないような制度上の工夫が行われた。まず,年金カットに非常に長い時間をかけ,少しずつ行うこととされた。時間をかければ,1年あたりのカット幅を少なくすることができる。当初の計画では,2004年から2023年までの19年間をかけ,1年ごとにだいたい0.9%ずつカットしてくことになった。

ここで重要なことは,2004年時点で既に高齢者だった人は2割もカットされないということである。例えば寿命があと19年であれば,はじめの年の年金カットはわずか0.9%で,だんだんとカット幅が大きくなって,亡くなる直前にやっと2割カットとなる。つまり,平均的には半分の1割カットで済む。カット幅が最大となるのは,実は2023年以降の高齢者,つまり2004年時点で45歳以下の人々である。この人たちは年金受給開始から亡くなるまでずっと2割カットである。要するに,この年金カットの主な対象者は,またしても現役層や子ども,将来世代であり,保険料引き上げほどではないが,やはり彼らへの負担先送りという側面があることに変わりはなかった。

さらに,後々大問題となったのは,年金の名目金額をマイナスにしないという制度設計にしてしまったことである。すなわち,物価上昇率がマイナスとなるデフレの年には,年金カットを行わない(物価上昇率の小さいディスインフレの年にはカット幅を小さくする)という条件を,マクロ経済スライドに付けてしまった。これは,高齢者たちの貨幣錯覚を利用し,年金カットを気づかれにくくするための措置であったと考えられる。

それでは,デフレで年金カットができなければどうなるのか。年金カットは翌年以降に先送りされ,20年間のカットの期間もそのまま後ずれすることになる。このことを,厚生労働省はマクロ経済スライドの「自動調整機能」と称している。デフレで計画が狂ったとしても,待っていればいずれカットできるのだから問題ないというのが厚生労働省の立場なのだが,実はこれは大問題である。

年金カットの期間が後ずれすればするほど,現在の高齢者は年金カットから免れ,その先送りした負担は若者や将来世代に押しつけられることになる。さらに,デフレが長く続き,この年金カット期間の先送りが延々と繰り返されれば,財政悪化がどんどん進んで,年金財政が行き詰まる。カットできる状況を待っているうちに,積立金が先に枯渇してしまう事態すらもあり得るのである。その意味で,実は,マクロ経済スライドは自動調整ではなく,「自動先送り装置」と呼ぶべきものであると鈴木(2020)は主張している。

2004年改正後の日本経済の歩みがどうなったのかは,改めて説明するまでもないであろう。その後も長くデフレ経済が続き,ようやくにデフレを脱却するのは,2012年末から始まるアベノミクスを待たなければならなかった。しかしながら,2014年4月に消費税を5%から8%に87頁】 引き上げたことを機に,再び経済および物価は低迷し,そこからやっと脱するタイミングで,コロナ禍に見舞われた。したがって,2004年度から現在までの間で,マクロ経済スライドを発動させ,年金カットを実現できた年はわずか3年間(2015,2019,2020年度)にすぎない。発動できたカット幅も,2015年こそ0.9%であったが,2019年度は0.5%,2020年度はわずか0.1%である。2023年度はコロナ禍やロシアのウクライナ侵攻を受けた世界的なインフレにより,4度目のマクロ経済スライドが発動される予定であるが,この状況が長期的に続くとは思われない。

ここで不思議に思うことは,既に1999年から,物価上昇率はずっとマイナスであったことである。2004年も完全にデフレ下にあったにもかかわらず,デフレ下ではマクロ経済スライドを発動しないルールを作ったのはなぜなのだろうか。その後,まさか10年以上もデフレが続くとは想像できなかったにせよ,厚生労働省は,しばらくデフレが続くことを容易に予想できたはずである。

 

3.2 常態化した過剰給付

いずれにせよ,この“自動先送り制度”のせいで年金に何が起きているのかと言えば,2004年改正の根幹である年金カットが全く進まず,高齢者への過剰給付が長年放置され,財政状況が刻一刻と悪化しているという現実である。図表3は,高齢者が受け取る年金水準(所得代替率)を,2004年改正の計画と,実際の推移を比較したものである。

2004年時点の年金水準は,現役層の所得対比で約6割(59.3%)の水準であったが,マクロ経済スライドを使って2023年までに約5割(50.2%)に削減するのが,2004年改正の計画であった。ところが,現実にはどうなったかと言えば,むしろ年金水準は上昇してしまっており,2019年は61.7%と2004年時点よりも高い水準である。つまり,この61.7%から2019年の計画である51.6%を差し引いた10%ほどが現在の高齢者への過剰給付となっており,その分,年金財政に予定外の支出を強いているのである。

 

 

88頁】

もともと保険料スケジュールを下げる代わりに,年金カットするという計画なのだから,カットができなければ年金財政は悪化の一途をたどる。当然,5年に1度の財政検証で悪い結果が出ることは確実である。そうなると,マスコミや野党からの猛批判が出ることは必至であるし,100年安心と大見得を切った手前,その看板を早々に下ろすことは政府としてもダメージが大きい。そこで,時の政府,厚生労働省が選択してしまったのは,財政検証を都合よい経済前提で操作するという手段であり,鈴木(2010)は,これを年金財政の“粉飾決算”と呼んでいる。

図表4は,2004年改正で使われた経済前提と,その後の財政検証で使われたものを比較したものである。厚生労働省は5年に1度の財政検証で,積立金の運用利回りや物価,賃金上昇率など長期的な値を想定し,それらを使って積立金が100年後まで枯渇せず,年金制度が維持できるかどうかをチェックしている。2004年の経済前提をみると,運用利回り3.2%,賃金上昇率2.1%,物価上昇率1.0%であるから,この時点でも,既に希望的観測の入った甘いシナリオであると言えるだろう。この時,既にデフレが5年間続いていたことや,これらが100年先まで使われる長期的想定値であることを考えれば,本来はもっと控えめな想定値にすべきだったと思われる。

しかし,厚生労働省の希望的観測をよそに,その後もデフレは続き,少子化も進んだ。そして,2008年秋からはリーマンショックが日本経済を襲い,その後,数年間,日本経済は低迷することになる。当然,足下までの状況を反映するだけでも,年金財政は相当の悪化をしている状況であった。ところが,厚生労働省は2009年2月に行った2009年財政検証において,経済想定値をさらに楽観的なシナリオに変更し,100年安心が保たれているという結論を出したのである。すなわち,積立金の運用利回りの想定を0.9%引き上げ,4.1%とした。たかが年利0.9%の引き上げと思うかもしれないが,100年近い将来まで使われる経済前提である。100年近い間,複利計算で増えてゆくため,人々の想像を超える積立金の増加が起きる計算となり,デフレやリーマンショックの影響を挽回して,年金財政に太鼓判を押してしまったのである。

 

 

その後,リーマンショックの影響と民主党政権下のデフレ経済,そして,2011年3月には東日本大震災も起きた。年金財政はさらに悪化の一途をたどったのだが,2014年の財政検証では運用利回りの想定値をさらに4.2%に引き上げ,100年安心が保たれているという結論を再び保持した。そして,2019年の財政検証では,アベノミクスで経済や株価が持ち直したことを受けて,運用利回り想定を4.0%とやや下げることができたが,それでも,もともとの3.2%から見89頁】 れば,依然として甘すぎる経済前提である。

ちなみに,2014年,2019年の財政検証では,厚生労働省はそれぞれ複数のシナリオを提示しているため,図表4には,社会保障審議会・年金部会など,政府内の議論で主に使われた経済前提のシナリオ(2014年はケースE,2019年はケースV)の経済前提を示している。どちらも結論は,100年安心が継続しているというものである。

ただ,注目すべきは,ここまで“粉飾決算”を続けても,マクロ経済スライド(基礎年金のマクロ経済スライド)の終了年が大幅に伸びていることである。2019年の財政検証では,何と2047年まで終了年が先送りされている(既に述べたように,2020年の厚生労働省試算では2046年に改められた)。これでは2004年の年金受給者たちは,ほとんど年金カットを受けずに生涯を終えることになる。その代わりに大きくカットされるのは,将来の高齢者−つまり,現在の現役層である。これでは,従来の保険料引き上げ策と何ら変わらず,2004年改正で年金カットに踏み切った意味がほぼ無くなってしまっている。

 

3.3 年金財政の実態

あまり知られてはいないが,実は,2014年と2019年の財政検証で厚生労働省が示した複数シナリオの中には,100年安心を否定している厳しい結果のものもある。2014年の財政検証では8つのシナリオのうち3つ,2019年の財政検証では6つのうち3つが,今後20〜30年の間に100年安心と銘打たれた現在の年金スキームが終了するという結論になっている。すなわち,100年間積立金を維持するために,年金カットを,所得代替率50%を下回る水準まで実施せざるを得なくなるので,現行制度は一旦,終了ということになる。具体的に,2019年財政検証を示した図表5をみると,6つシナリオのうち,ケースTからVは「100年安心」という結論だが,ケースWからYは今後20年程度で制度が終了する結論になっている。ちなみに,100年安心シナリオの積立金の運用利回りをみると,ケースTは5.0%,ケースUは4.5%,ケースVは4.0%と,明らかに甘すぎるシナリオである。

 

 

現実的なのはむしろ,網掛けをしたケースWからYであると言えよう。ケースWの経済想定は2004年改正当時の経済想定に酷似しているから,100年安心プランの現状評価として,まず見るべきシナリオである。ただ,その後の日本経済の潜在成長率低下を考慮すれば,むしろケースXの方が基本シナリオとしてふさわしいと言える。

90頁】

ただ,ケースWもケースXも,今となっては致命的な問題がある。それは,どちらもマクロ経済スライドによる年金カットが,今後もほぼ着実に進められるということを前提としたシナリオであることである。ここで,もう一度,図表3を見てみよう。マクロ経済スライドが進むというのは,この先,Aの点線の矢印のように年金がカットされてゆくということを意味している。これは果たして現実的と言えるであろうか。既に説明したように,2004年から2019年まで,一度も所得代替率を下げられた試しがないのである。これまでできなかったことが,なぜ今後,急にできるようになると想定できるのか。もちろん,現在はたまたま,世界的なインフレを受けてマクロ経済スライドが発動できる状況となっているが,日本経済の潜在成長率を考えると,長期的には@の矢印のように給付カットが進まないシナリオを想定する方が現実的ではないだろうか。

そうなると,実はケースYのワーストシナリオも十分に可能性がある想定である。ケースYの場合,例え,所得代替率50%を超えて年金カットを続けても,もはや100年先まで積立金を維持できなくなる。2052年に積立金が枯渇し,その後は,完全賦課方式に移行せざるを得ない。完全賦課方式とは,現役層から徴収できる保険料の範囲内に高齢者の年金給付を絞るということであり,その時の所得代替率は35〜37%になると試算されている。つまり,現在の年金額の半分強まで給付カットする大ナタを振るうことになる。先送りのツケを一気に支払わされるのは2052年の高齢者たち,つまり,今の若者や将来世代たちである。

 

 

4.増え続ける年金純債務

 

実は,マクロ経済スライドによる年金カットが進まず,その結果として膨大な負担が若者や将来世代に押しつけられていることは,財政検証の別の資料からもはっきりと確認できる。毎回の財政検証の関連資料には,厚生労働省によって計算された公的年金のバランスシートが掲載されている(厚生労働省(2019b))。年金会計のバランスシートは,企業のバランスシート(貸借対照表)と同様,左側に資産,右側に負債が分類された表で,必ず左右の金額が一致するように作られている(図表6)。

 

 

91頁】

年金にとって資産とは,国民から徴収する保険料と税金(国庫負担),そして積立金(運用収入を含む)である。一方,負債とは,これから国民に支払う年金の総額であり,これまで支払った保険料に対応する年金給付(過去債務)と,これから支払う保険料に対応した年金給付(将来債務)の2つに分けることができる。まとめると,次式の通りである。

 

 保険料+国庫負担+積立金=過去債務+将来債務・・・(1)

 

この式を移項して整理すると次のようになる。

 

 過去債務−積立金=保険料+国庫負担−将来債務・・・(2)

 

ここで,左辺の「過去債務−積立金」は「年金純債務」と呼ばれる。年金純債務とはつまり,「現在の年金債権者(年金受給の資格がある主に高齢者)に,これから彼らが死ぬまでの間,国が支払う予定の年金総額」から,「その支払い原資として過去に彼らから徴収してきた保険料の総額」を差し引いた値であり,要するに現在の年金債権者の「もらい得」(保険料支払い額よりも年金の受取額の方が多い分)の金額である。その金額は現在,1110兆円(1670兆円−210兆円)にも上っている。

一方,右辺の「保険料+国庫負担−将来債務」は「将来純負担」と呼ばれる。これは,「現在の現役層および将来世代がこれから支払う保険料と税金(国庫負担)」から,「彼らが将来に受け取る予定の年金総額」を差し引いた値であり,要するに現在の現役層および将来世代の「支払い損」の金額となる。左辺と右辺は等しいから,これも1110兆円(1670兆円+520兆円−1080兆円)である。つまり,この年金バランスシートが言わんとしていることは,現在の高齢者の「もらい得」は,必ず現役層および将来世代の「支払い損」になるということである。現在の高齢者のツケである1110兆円を,現役層と将来世代がこれから必ず負わされることになる。

さらにゆゆしき問題は,この年金純債務額は財政検証のたびに膨張しているという事実である。図表7は,各年の財政検証資料から年金純債務を計算し,その推移を示したものである8)。2014年以降は共済年金分が加わっているため単純に比較できないが,その分を差し引いても,財政検証の度に金額が膨張していることがわかる。なぜ,膨張を続けているのか。その理由はもちろん,マクロ経済スライドによる年金カットが予定通り進まず,年金の過剰給付が続いているからである。そして,財政検証のたびにスライド期間が長引かせて,改革を先送りしているからとも言える。今後もこのような先送りを続けていては,1110兆円を超えてさらに年金純債務が膨らみ,現在の現役層および将来世代に,ますます大きな負担を迫ることになるだろう。実は,年金カットの先送りが,年金純債務の膨張を生み出しているという意味で,これは不良債権問題と同じ構造といえる。先送りすればするほど傷が深まり,将来の改革が大きな痛みを伴うものになる。

 

92頁】

 

5.結語

 

本稿はまず,2025年の次期年金改正に向け,現在,社会保障審議会・年金部会での検討が見込まれる2つの国民年金救済案の整理と評価を行った。2つの改革案は,サラリーマンたちの犠牲の下に,自営業者などの国民年金加入者を救済するものである。こうした救済を行わなければならなくなった背景には,2004年改正で定められたマクロ経済スライドが機能不全に陥っていることがある。もちろん,今後,基礎年金の大幅な年金カットが予定される中では,これら2つの改革案は,最低限行わなければならない弥縫策ではあるが,マクロ経済スライド自体の改革が行われなければ,根本的な対処にはならない。今後,日本経済が厚生労働省の甘い経済前提よりも悪化し,これまで同様,マクロ経済スライドが予定通りに実施できない状況が続けば,これらの弥縫策では全く対処できなくなるだろう。そして,これまでの経過を見る限り,その可能性は極めて高いものと思われる。その意味で,これら2つの改革案は実に危うい“砂上の楼閣”の改革案と言わざるを得ない。次期年金改正では,年金財政の健全性を高めるため,もっと抜本的な改革を考える必要がある。

次期改正でどのような改革を行わなければならないのか。まずは,これまでの“粉飾決算”と呼ぶべき甘い経済前提を排し,コロナ後の日本経済の現状に即した現実的な経済想定の下で,堅実な財政検証を行うことである。多くの国民は,コロナ禍を経た後でも,依然として100年安心プランなるものが維持されているとは,よもや考えていないだろう。これまでの甘い経済前提を大幅に見直せる大きなチャンスである。

その上で,マクロ経済スライドをデフレ下でも停止せず,フル稼働させる改革を行うべきである。また,近年はマクロ経済スライドの幅が定義上小さくなっているし,これまで年金カットが遅れた分を取り返すためにも,年ごとのカット幅をより大きくする必要がある。カット幅を大きくすれば,マクロ経済スライドを早期に終えることができる。国民年金を救済する弥縫策を実施する必要性も小さくなる。

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実は,2016年の年金改正で,キャリーオーバー制度というマクロ経済スライドの微修正が行われた。これは,デフレでマクロ経済スライドが停止された場合,翌年にその分を繰り越して,2年分の年金カットをまとめて実施するというものである。しかし,名目の年金額が前年を下回らないようにするという制約があるために,インフレ率が相当に高くならないとキャリーオーバーが実施できない。例えば,年金カットが1%だとすると,翌年にキャリーオーバーして2年分の2%をカットしようとすれば,少なくともインフレ率は2%となる必要がある。前年がデフレなのに,1年で急に2%のインフレになることはまずあり得ないから,これは事実上,あまり効果が期待できる制度ではない。また,現在のように不景気とコストプッシュ型のインフレが同時進行する中では,キャリーオーバー実施を骨抜きにしようとする政治的圧力が加わる可能性が高い。国会が,1999年から2001年にかけて行われたようなマイナス改定を止める特例措置を決めるようなことになれば,まさに元も子もない。マクロ経済スライドは,デフレ下でも少しずつ,淡々と着実に実施できる制度にする必要がある。

マクロ経済スライドの改革に加えて,財政的には支給開始年齢の引き上げも行う必要があるだろう。現在は3年に1歳のペースで,60歳から65歳に支給開始年齢を引き上げている最中であり,2025年(女性は2030年)に完了する。そこから,あまり期間が離れないうちに同じペースで引き上げ,アメリカやドイツ,フランス並みの67歳,あるいはイギリス並みの68歳にすることを次期改正で検討すべきである。日本はこれらの国々よりも遙かに平均寿命が長いし,今後も平均寿命が延び続けることが予想されている。将来的には,70歳に支給開始年齢を引き上げることも十分に考え得るだろう。駒村(2022)によれば,支給開始年齢を70歳まで引き上げれば,2046年のマクロ経済スライド終了時の年金水準(所得代替率)を,2019年と同じ水準に保つことができる。もちろん,70歳までの支給開始年齢引き上げは,現状に比べるとあまりにドラスティックな改革に見えるが,例えば,デンマークのように寿命の伸長に支給開始年齢が連動する制度にしておくことは大いに勧められる。それこそが,本当の意味での自動安定化装置と言えるだろう。

当面の課題としては,現在の高齢者たちの多くが,2004年改正で2割程度の年金カットが決まっていたことを知らない,あるいは覚えていないということが挙げられる。政府は国民に対して,改めて,大幅な給付カットがそもそも決まっており,現在の年金水準は過剰給付の状態で,若者や将来世代に大きな負担を押し付けていることを,丁寧に説明する必要がある。その周知・徹底なくしては,その後のいかなる改革も実施が難しいであろう。

 

参考文献

厚生労働省(2019a)「2019(令和元)年財政検証結果レポート―国民年金及び厚生年金に係る財政の現況及び見通し―」

厚生労働省(2019b)「2019(令和元)年財政検証関連資料」(第82回社会保障審議会年金数理部会参考資料)

厚生労働省(2020)「厚生労働省追加提出資料」(第86回社会保障審議会数理部会資料)

駒村康平(2022)「あるべき社会保障改革(中) 年金,繰り下げ受給へ誘導も」日本経済新聞・経済教室(2022年12月22日)

島澤諭(2019)『年金「最終警告」』講談社(講談社現代新書)

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鈴木亘(2010)『年金は本当にもらえるのか?』筑摩書房(ちくま新書)

鈴木亘(2020)『社会保障と財政の危機』PHP研究所(PHP新書)

中嶋邦夫(2022)「国民年金納付5年延長でも,無収入なら免除の可能性−シリーズ 年金問題のタテとヨコ ザックリつかんでスッキリ整理!?:基礎年金拠出期間5年延長案の背景・内容・影響・論点」ニッセイ基礎研レポート 2022-11-22

西沢和彦(2021)「マクロ経済スライド終了時期統一および基礎年金45 年加入案の評価と課題」日本総研 Viewpoint No.2021-001