143頁】

 

現代の「日本的経営」論(9)

 

手塚 公登・小山 明宏

 

 

T 『新時代の「日本的経営」』をめぐって

 

1.この報告書が出された時代背景

これまでの一連の論考において日本的経営に関する研究を紹介・検討してきたが,今回は学者による研究ではなく,実業界側からの日本的経営に対する認識や将来展望を示した1995年に発表された報告書を取り上げて検討してみたい。

1980年代初頭の日本経済の絶頂期を過ぎた後,プラザ合意から始まる円高の流れは日本企業を苦境に追い込むことになった。85年9月のプラザ合意直前,為替相場は1ドル=240円程度であったものが,その後円高が進み,翌年には1ドル=190円台に突入し,輸出産業に属する企業は業績が大幅に悪化した。さらに株式市場は1980年代後半にバブル景気の絶頂期に達し,その後一気に株価は下落し,バブルは崩壊した。こうした経済環境の激変の中で,アメリカとの間で日米構造協議が行われ,日本的な取引慣行の問題点が指摘されるとともに,日本的経営の抱える矛盾が露呈した。当時,日本国内では大企業による様々な不祥事が相次ぎ,日本企業や経営者の醜悪ともいえる行動が新聞や雑誌に見かけない日はなかった。

こうした状況の中で,日本的経営の柱である雇用慣行としての終身雇用制と年功序列制に疑問符が付くことになった。日本企業が世界を席巻していた時には,人を大事にし,職場仲間の信頼に基づいた集団的な働き方や長期的な視点からの企業経営は称賛されたが,日本企業の業績悪化の現実の前に,それは従業員の能力や成果を軽視するぬるま湯的な経営として批判された。日本的経営の優れた点は,手塚・小山(2023b)においてウィリアム・オオウチの『セオリーZ』を取り上げた際に論じたが,90年代にはむしろそのデメリットが強く意識されることになったのである。

このような時代背景の下で,日本企業はどのように行動すべきか,各方面で議論が活発に展開された。その一つに日本経営者団体連盟(以下,日経連)が発表した『新時代の「日本的経営」』があり,大きな注目を浴びた。その内容は以下で詳しく検討するが,問題意識としては日本的な経営システムが行き詰まりを見せており,何らかの改革が必要である。しかし日本的経営を全面的に否定するというものではなく,その根本理念は維持しつつ,環境に合わせて変えるべきところは変えるというものであったが,そこには従来の日本的雇用慣行に対しては厳しい批判が含まれていた。

 

2.提言の内容

2.1 章構成

日本企業および日本経済の将来に危機感を抱いていた日経連は,1995年に『新時代の「日本144頁】 的経営」─挑戦すべき方向とその具体策─』(以下,報告書)を発表した。

章構成は以下の通りで,総論,各論,事例編の3部構成をとっている。

 第1部 総論─日本的経営システムの今後のあり方

  第1章 環境変化にともなう経営理念の確立と経営のあり方

  第2章 雇用・就業形態の多様化と今後の雇用システムの方向

  第3章 賃金決定システムの見直しと職能・業績にもとづく人事・賃金管理の方向

  第4章 動態的組織編成のあり方

  第5章 個性重視の能力開発

  第6章 福利厚生の今後の基本的方向

  第7章 これからの労使関係と企業の対応

 

 第2部 各論─雇用・処遇制度の主要な課題と具体的対応策─

  第1章 効果的な雇用ポートフォリオの導入

  第2章 企業活性化のための人事諸施策の検討

  第3章 職能・業績重視の賃金制度の導入と実施上の留意点

  第4章 裁量労働制の活用と適用範囲の拡充を

  第5章 中途採用者の活用と民間有料職業紹介事業の積極的推進

  第6章 情報化時代の機動的組織管理

  第7章 経営戦略に沿った能力開発

  第8章 企業福祉の重点施策

  第9章 多様なチャンネルをもつ労使関係

  第10章 グローバル企業の雇用,人事・賃金等処遇制度検討上の留意点

 

 第3部 事例編─14社の先進的事例─

 

この章構成からみて,一見して報告書は日本的経営の雇用問題の側面を中心に取り扱っていることがわかる。日本的経営の最も中核をなす雇用制度や慣行,賃金制度を再検討することを目下の課題と捉えているのである。組織編成の在り方や経営戦略についても触れているが,あくまでそれは雇用システムの在り方の関連で議論されている。報告書では,雇用に関わるさまざまな論点,労使関係や福利厚生など幅広く論じられているが,本稿では報告書が発表されたのち,大きな反響を呼んだ第1部の1章,2章,3章で取りあげられている雇用システムと賃金制度を主に検討の俎上に載せることにしたい。

日経連が雇用や賃金を巡る問題について報告書を取りまとめるのはこれが初めてではなく,古くは1969年に『能力主義管理─その理論と実践─』を刊行し,2001年にその復刻版を出している。そこで強調されていることは,能力を「企業目的達成のために貢献する職務遂行能力であり,業績として顕現されなければならない」(18,19頁)ものとし,業績主義ないし成果主義の要素を取り入れることであった。

この顕現された能力を重視する考え方は『新時代の「日本的経営」』でも受け継がれており,本報告書だけでなく日本的経営に対して疑問を呈する側からの議論の一つの通奏低音であった。

 

145頁】

2.2 内容の検討

第1部は全部で7章からなるが,議論の重点は前半の3章にあるとみてよいだろう。第1章では,経営理念について述べている。経営環境が大きく変わる中で,日本的経営の運営面で変えなければいけない点はいくつかあるとしながらも,基本理念である「人間中心(尊重)の経営」「長期的視野に立った経営」は普遍的性格をもつものとし,今後ともその深化を図りつつ維持していく必要がある,と述べている。すなわち,具体的な制度の設計や運用面で困難に遭遇しているが,日本企業のこれまで保持してきた基本理念は継承すべきであるとしている。これは安易に英米流の市場原理主義,株主至上主義へは舵を切るべきではないと宣言しているとも言えよう。

 

2.2.1 経営理念

しかしながら,だからといって,従来の日本的経営を特徴づけているとみなされてきた終身雇用慣行や年功賃金制,企業別労働組合は,頑なに墨守するものではないとする。ここで提唱する「人間中心(尊重)の経営」は「人間関係が経営の基本であるという哲学を表すもので,わが国企業が雇用の維持に最大限の努力を払い,安定的な労使関係をもたらしている理念である」日本経営者団体連盟(1995)(23頁1))。また「長期的視野に立った経営」は,「長期的視野に立った事業計画,設備投資,人材育成など長期志向の経営姿勢は長期継続雇用の上に成り立つものであり,わが国企業の長所」(23頁)である,と説明している。

こうした考え方は欧米流の組織と個人の関係の在り方とは違い,欧米企業が人間を組織・ポストに当てはめるのに対し,日本企業は組織を人間に当てはめるのではなく,構成員個々人の能力を最大限に引き出すために,組織を動かすという特徴を有するのである。

欧米企業と異なった特質をもつ日本企業の経営は,経営環境の変化(高齢化の進展,市場開放,規制緩和等)に直面し,80年代後半以降深刻な機能不全に陥った。そこで基本理念を維持しながらも新たな展開を図る必要に迫られたのである。これまではとかく個人が集団に埋没しがちであったが,多様な個性を尊重し,創造力を発揮できる組織に変えていくことが必要であり,人事管理面では従業員のニーズに即して多様な選択肢を用意すべきであるとしている。そのためには,「能力・成果重視の処遇を徹底することが必須で」(27頁)あり,仮に企業で能力発揮が満たされない場合には,「企業を超えた横断的な労働市場を育成し,人材の流動化を図ることが考えられる」(27頁)としている。

 

2.2.2 雇用ポートフォリオ

日本企業の基本理念の特質を以上のように位置付けたうえで,新しい環境の中で雇用システムはどのようにあるべきか,第2章で検討している。この報告書で最も注目され,影響を与えたのは,本章で提唱された雇用ポートフォリオである。

長期継続雇用は,わが国に定着していて,人材の育成・活用や雇用の安定によるモラールアップの維持などに貢献してきている。今後とも基本的には大切にすべき慣行としながら,高齢化が進む中でポスト不足や人件費の増加をもたらし企業活力がなくなる,同質性の強い組織風土が従業員の自立性や自主性,独創性を奪っている,企業偏重型生活スタイルが社会や家庭バランスを崩している,国際的に理解されない,といった批判があるので,そうした点を踏まえた新しい雇用システムが必要であるとして,図表1に示された雇用形態を提示した。

 

146頁】

 

日本的経営は長期雇用を基本とした人間尊重の経営であるとはいえ,実際にはすべての労働者を長期に雇ってきたわけではない。終身雇用や年功序列も大企業の,男子従業員に限ってのことであり,日本企業の全体から見れば,極端に言えば一部であったともいえる。その骨格をなす正規男子従業員についても,1980年代後半に至って,中高年層を雇い続けることは難しくなった。

改めて言うまでもなく日本的な長期雇用慣行の下でも,景気変動に応じた雇用の調整は避けられない。その際に,正規従業員についてはできるだけ解雇をせずに,残業時間の減少や配置転換,子会社への出向などの手段を尽くした後に希望退職を募るなどの対応を取ってきた。ただし,正規従業員以外の臨時工やアルバイト,パートといった短期従業員も当然存在していたのであり,いわば景気変動のクッションとして機能していたのが現実である。その意味では日本的雇用慣行の下でも,すでに2つの従業員グループに分かれていたと言えよう。雇用調整は,世界中のどのような雇用制度の下でも景気循環や技術革新に伴って,需要が少なくなったり,従来の仕事が不要になったすれば必要となる。またグローバルな競争の激化や高齢化社会の進展は,一層困難な雇用問題を惹起した。特に終身雇用や年功序列制は個々人の業績や成果と強くはリンクさせない処遇であったため,日本企業はより深刻な課題に向き合うことになった。直言すると,正規従業員が重荷となっていたのである。

しかしながら,企業として長期にわたって技能を蓄積し,貢献してくれる従業員の存在は欠かせない。企業特殊的能力こそが他社との競争に打ち勝つ基盤をなすものであり,いかにしてそうした人材にモチベーションを与えるかは大事な人事管理の要諦である。内部労働市場論においてもその経済合理性は論証されている。だが,そうした従業員の数がどれほど必要であるかは,時代環境によって大きく変わる。日本企業は高度成長期に大量の正規従業員を採用したため,余剰人員を抱えることになったのが90年代を通じての問題であった。

こうした状況下で,どのような雇用システムが望ましいかを概念化したのが図表1である。この図の新しい点は2つある。一つはその名称である。雇用という領域にポートフォリオとい147頁】 う言葉を当てたことである,八代他(2015)によれば,この報告書が出る前に既に使われていたようであるが,人口に膾炙するするようになったのはこの報告書の影響が大きい。ポートフォリオはもともと金融分野で使用されていた言葉で,株式や債券などの運用によって最大の収益を上げるために,リスクとリターンの異なる金融商品の組み合わせをどのようにするか,を表す概念である。不確実な経済環境の下で,株式や債券の最適な組み合わせの選択が課題であった。これは経営戦略の領域でも使われるようになり,成長を続けるために企業はどのような製品・事業分野に乗り出すのが望ましいのかを論じる際にも,製品ポートフォリオという用語が使われた。金融商品や製品の組み合わせの場合には,状況によって自由に取捨選択をしてポートフォリオを組むのは,当然のことである。

しかし,労働分野において従業員にある種,強い選別を意味する言葉を持ち込んだことには抵抗感があり,それが衝撃を与えた面があったように思われる。実際には,それまでも正規社員と非正規社員を組み合わせた雇用慣行が確立しており,その意味では確かにポートフォリオが組まれていたのであるが,その事実が言語表現として明示化されたことが驚きをもって迎えられたように思われる。

次に,雇用グループが3分類され,高度専門能力活用グループが明示されたことが注目された。図表1の,長期蓄積能力活用型グループは,日本的経営の核をなす従来の長期継続雇用を前提とするものであり,企業側も従業員側も長期に働くことを希望している。能力開発はOJTを中心に行われる。雇用柔軟型グループは,職務に応じて定型的業務から専門的業務までさまざまで,短期契約を前提とする。これは従来から存在した,周辺従業員であり,いわゆる非正規従業員に相当する。高度専門能力活用グループは,企業の抱える問題に専門的熟練・能力をもって応えるが,必ずしも長期雇用を前提としない人材である。このグループが新しい提案なのであるが,その具体例としてカーデザイナーなどが挙げられているが,どのような職種・職務なのか必ずしもイメージがはっきりしないと批判された。

図表2にグループ別の雇用形態や対象,賃金,賞与などが整理されている。各企業の戦略に基づいて,グループの割合をどうすべきか,その処遇をどうするかが検討されることになる。一つの範例が図表2に示されている。このグループ分けは,固定的なものではなく,グループ相互間の移動があることを前掲の図表1の各グループを表す箱の重なりと点線部分が示している。その意味で,流動的な労働市場を想定しているのである。

 

 

148頁】

2.2.3 人事制度と賃金管理

次に,これからの人事制度についてどうあるべきか。本報告書は「個人個人が能力を最大限に発揮できるような多様な処遇制度を用意するとともに,能力,業績を反映させたチャレンジ型の人事制度を構築していかなければならない」(35頁)と述べ,職務,能力に基づく職務資格制度をおいた,複線型人事システムの導入を推奨している。そして一定資格以上の従業員には目標管理制度を導入すべきであるとしている。

それととともに,厳しい経済環境を踏まえ,経営計画にもとづく総額人件費管理の徹底化が必要であるとしている。従来の定期昇給,ベースアップ方式による賃金決定システムを再検討すべきとし,年功序列型賃金体系の見直しを強く求めた。

そして賃金管理の3つの視点を打ち出している。(38頁)

一つは,企業の支払能力を反映した賃金水準であること

二つは,従業員の納得性が得られる支払い方法でなければならないこと

三つは,国内外の企業で通用する尺度で考えなければならないこと

これをもとに,基本的に職能・職務・業績(成果)をベースにして職務内容や階層に応じた複線型の賃金管理を導入すべきである,と主張している。

ここには,日本的な賃金体系である年功給に対する強い批判が込められているように思われる。日本的雇用慣行や処遇体系を擁護する側からは,年功序列制度も年の功によって一律に賃金が上昇するわけではなく,年と功による昇給,昇進システムであり,時間をかけて従業員の能力を見極めていくシステムであり,一定の経済合理性をもつものであるとの議論が展開されてきた。しかし,グローバルな競争が激しさを増し,高齢化が進む中では,長期にわたる評価のデメリットや中高年のポスト不足という課題もあり,年功に重きを置いた人事システムは限界にきているというのが本報告書の結論であった。

 

2.2.4 第2部の各論について

第2部の各論においては,雇用・処遇制度の主要課題と具体的対応策という表題の下に,各社がそれぞれの業種や規模の違いを意識して,どのような雇用ポートフォリオ(自社型雇用ポートフォリオ)を編成し,人事諸政策を確立すべきか,また重視すべき留意点などを議論している。

例えば,自社に合った雇用ポートフォリオをつくる場合には,各グループごとに次の視点を踏まえて検討する必要があるとしている(65,66頁)。

@ 長期蓄積能力活用型グループ

 ・どのような職掌,職群,職務を入れるか

 ・職務編成と能力構成を効果的に組み合わせるためには,どの程度の能力保有者が何人必要か

 ・管理職・専門職の数,割合をどのくらいに考えるか

A 高度専門能力活用型従業員グループ

 ・いかなる部門に投入するか

 ・どのような仕事をさせるか

 ・どの程度の人を何人必要とするか

B 雇用柔軟型グループ

149頁】

 ・どの部門でどのような仕事をさせるか

 ・どのような従業員がそれぞれ何人必要か

このような視点から検討を加えると,大規模製造企業では,企業の要の部分を占めている企画判断,技術,技能等の長期蓄積能力活用型従業員の中の管理職や事務スタッフは仕事の合理化,効率化を通じてスリム化し,雇用柔軟型従業員や長期蓄積能力活用型従業員の専門職,高度専門能力活用従業員が徐々に増加するだろうと予想している。

こうした展望を中堅製造業や非製造業についても行っているが,総じて長期蓄積能力活用型従業員はもともと少なかった企業を含め,減少し,業種によって異なるが,雇用柔軟型従業員ないし高度専門能力活用型従業員が増加する動きがみられるだろうと想定している。

そして職能・業績重視の賃金制度の導入を謳い,総額人件費管理の再検討を強く促している。企業全体の総額人件費は雇用量,労働時間,人件費水準が関係してくるので,それぞれを適正に管理することが必要であるとしている。雇用量については,最適な雇用ポートフォリオの作成で対応し,労働時間については変形労働時間制,フレックスタイム制など職務に応じた多様な時間管理で対応すべきであるとし,さらに裁量労働対象業務の拡大も検討している。人件費の水準については,定期昇給の見直しと昇給カーブの再検討,退職金制度は貢献反映型,年間賃金に占める賞与比率を高くすることなどを推奨している。

以上から,賃金水準は固定的なものとしないで,できるだけ業績に応じて配分することを求めており,年功的な要素を排除することが必要であり,労働者に対しては経営状況について説明し,理解を求めておくことが大事であるとしていいる。

最後に第3部の事例編では,トヨタ自動車や日本アイ・ビー・エムなど14社の先進的事例が取り上げられ,各社の人事・処遇制度や評価制度が紹介されている。事例には,大規模企業だけでなく,中堅企業も,非製造業も含まれている。

 

3.報告書刊行後の各界の反響

本報告書が刊行されてからの反響について,八代他(2015)で朝日新聞や毎日新聞の記事が取り上げられているが,日本経済新聞(1995年5月23日付朝刊)の社説が代表的なものとして扱われている。その社説では,日経連報告に欠けているものは人間的側面であるとし,「人間尊重の経営」「長期的視野に立った経営」を堅持すべきであるとしているにもかかわらず,バブルの時代にやみくもに採用に走り,その後一転して「余剰人員」の名のもとに従業員減らしに血眼となったことへの反省がほとんどみられないと,厳しく批判している。年功序列に代えて,業績を重視する賃上げ方式など,個々の指摘には納得のいくものも多いが,あまりにも総人件費抑制の意図が強く出過ぎているという。こうした見方は各マスコミに共通していた。

労働者の利害を代表する連合の見解をみると(連合総研レポート(2014)),日経連の報告書の基調は,総人件費の抑制と能力・実績による個人別管理の強化というミクロ対策であり,現下の課題である円高や産業空洞化を解決していくには,ミクロ対策にとどまらず,雇用や労働条件の社会的あり方が重要であり,日経連は社会的改善の姿を明らかにすべきであるとしている。また雇用ポートフォリオに関しては長期継続安定雇用を原則に,派遣,パート労働者の雇用条件を改善し,外部労働市場の質を高めることが必要であり,労働者の自己責任で「専門能力」「雇用柔軟型」が再生産されるとの見方は安易であると批判している。そしてベースアップ凍結論に対しては,企業の社会的責任の放棄であり,絶対に認められないとしている。総じ150頁】 ていえば,日経連側は従業員個人の責任や企業別の労使交渉を重視するのに対し,連合側はナショナルレベルでの交渉や賃金決定において公平さや納得性を重視し,個人の自己責任に落とし込むことに警戒感を露わにしている。

次に研究者の反応についてみてみよう。批判経営学的観点からは,日本的経営の効率性を特徴づける多能工化や柔軟な配置転換を可能とするフレキシブルな制度そのものが労働者に加重な負担を強いるとの批判がつとに1970年代からあった。平木(2022)によると,日経連の雇用ポートフォリオ論を企業環境の変化に合わせ人事労務管理も変革すべきであるとする新しい提案と捉えて,その考え方を積極的に肯定する研究者と人事労務管理の厳格化が労使間の信頼を毀損し,作業効率の効率性などの日本企業の優位性を切り崩すと批判する研究者がいて評価が分かれていたという。ただし,双方ともこの報告者の内容が新しいとの認識であるという点では共通している。一方において,報告書に特段新しい内容を認めないとする論者もいた。以前から日本企業は非正規従業員を活用してきているというのがその根拠である。さらに,正規雇用については,新しさはないが,「高度型」の提案に新しさを認める研究者もいた。このように,報告書の内容に対する評価は多岐に渡っていたのである2)

その中で,熊沢(1997)は,従業員の3グループ化の提案は,衝撃的であり,とうてい自然の流れなどではないとし,3グループ化の具体化のプロセス,雇用柔軟型グループの処遇の詳細,特にその中で高い比率を占めると思われる女性労働者のあり方などはほとんど語られていないと批判する。従って,「この報告書の狙いはリストラを正当化し,終身雇用の適用者を徹底的に限定する」(熊沢(1997)170頁)ことにあるように見えるという。熊沢の議論に典型的に表れているように,報告書にはリストラや総人件費抑制の狙いが露骨に出ており,日本企業の経済環境が激変しているとはいえ,「人間尊重の経営」「長期的視野に立った経営」を唱えながらも働き方や処遇という観点からは,従業員に自己責任や犠牲を強いる面が強いというのが一般的な論調であったと,筆者らに思われる。

そのことは,図表3の就業構造基本調査のデータが示す通り,正規従業員の割合が90年代後半から減少し,1997年の57.5%から2017年には52.1%へと減っていることから垣間見える。この間に派遣従業員やパート・アルバイトといった非正規従業員の比率が25%を上回るまでになっている。アルバイト・パートが900万人近く増え,派遣社員は100万人以上増加している。その原因のすべてをこの報告書に帰すことはできないが,最適な雇用ポートフォリオを各企業が構想する後押しをしたといえるかもしれない3)。こうした事態の進展は執筆者の予想を超えた動きであったことが八代他(2015)のオーラルヒストリ―に記載されている。

 

151頁】

 

4.小括

経営者団体として日本的経営に対するメリット,デメリットを斟酌しながら,どのような方向に進んでいくべきか,1990年代半ばの日本企業が苦境にある中で,本報告書が指針を示したことは意義のあることであった。ただし,その方向はやや欧米型の企業運営や雇用慣行,賃金制度を是とする方に傾いていたように思われる。当時,終身雇用や年功序列型を柱とする日本的雇用慣行が行き詰まりの気配があったことは確かである。実態的には最近の日本生産性本部の調査などをみても4),全体として役割・職務給の割合が高まっているのは間違いない。しかし,能力主義や業績主義,特に顕在化した能力に焦点を当てて処遇を決めるやり方が,果たして日本企業に適合するものなのか,現時点でも慎重に検討する必要があると思われる。

報告書が提示した雇用ポートフォリオ的な観点は,すべての従業員を正規の長期社員として処遇することは,激動する経済環境の下では現実的には不可能であるから,企業の合理的な判断として肯定されるべきであろうが,そこにおいてもなおグループ間,グループ内における公正な取り扱い,納得のいく処遇,など人間尊重の精神は貫くべきであろう。

また,高橋(2004)は成果主義が,理念はともかく実際に運用し,従業員の納得を得ることがいかに難しいものであるか,説得的に論じている。日本的な経営の強みであるチームワークを大事にしようとすれば,成果主義を強調しすぎることのデメリットに留意する必要があると,筆者らは考える。近年は職務や専門能力を重視するジョブ型雇用の良さが喧伝されているが,手塚・小山(2023a)で検討したように,日本企業の経営スタイルの下では現実にはかな152頁】 り難しい。柔軟な配置転換や企業内でのオン・ザ・ジョブトレイニングによる技能習得などはメンバーシップ型雇用でこそ可能だからである。日本でもかつて職務給が検討され,経営者側もそれを推奨した時期があったにもかかわらず,挫折した歴史がある。ジョブ型雇用は本来必ずしも能力主義ではなく,一定の仕事をこなすことができれば,それ以上は求められないという意味で,査定もないのが普通であり,決して能力・業績主義ではないのである。

短期的な報酬で報いるのではなく,成果給と年功生活給の両要素の最適なミックスを達成できるような賃金制度を構想し,賃金だけでなく,仕事内容で報いるような制度を構築するのが,生活共同体としての日本企業には望まれるのではないか,と筆者らは考える。日本的経営の良質な部分は経済環境が変わっても通用する。この報告書が指摘しているように日本的な雇用システムにはいろいろな欠点はあり,社員の処遇の多様化は必要であろう。その意味では,雇用ポーフォリオの高度専門職活用型の提唱は新規性があったが,現実には機能していない5)。それをどう組み込んでいくか今後の課題として残されている。いずれにしろ,そうした改革が,やみくもな人件費の節約や非正規従業員の犠牲の上に立ったものであってはならないであろう。

かつては日本でも多様なイノベーションが生起し,世界をリードしていた。現在,アメリカの巨大テック企業の後塵を拝しているからと言って全面的に悲観するべきではない。従業員・管理者・経営陣が一丸となって,みんなで力を合わせるという気風は残しつつ,本報告書が強調した基本理念,「人間尊重の経営」「長期的視野に立った経営」を踏まえて,経済環境の変化に適応し,成長を目指すことを考えるべきであろう。

 

 

U 日本的経営論の余白

 

数々の今までの日本的経営についての検討は,筆者らがたびたび言及している通り,そのかなりが肯定的な議論であるように見える。そして前回の(8)で採り上げた,肯定的とは言えないものも存在している。どれが「正しいか」という議論については,絶対的な「正答」は存在しないかと筆者らは考えている。

ただし,もう一つ筆者らが考えているのは,肯定なのか否定なのか判断しきれない議論もあるか,ということである。それは日本的経営の改良・発展を目指すという,同じ目的を持った議論ではあると思うのだが,特に肯定しているのではなく,とは言っても否定的,批判しているかというとそうも言いきれず,いわば日本的経営論の「空き地」,あるいは「余白」に位置している,と筆者らには感じられる議論である。そのうちの一つが「法人資本主義論」と呼ばれる議論である。

「法人資本主義」というコトバは,筆者らは奥村宏教授による主張で初めて注目するようになったという記憶がある。それは次のようなものである6)

日本の産業構造・財閥・企業グループ研究において,大企業の株式所有構造に焦点をあて,企業系列化の形成に伴う,企業間における株式の相互持合を分析し,法人による株式所有に日本型株式会社の特色を,法人資本主義と名づけた。その中で,法人資本主義は, 株式所有の空153頁】 洞化をもたらしつつ,業績にかかわりのない株高構造を支える,系列内外を問わず業務提携を支える持合が,企業経営に対する監視機能を喪失し無責任体制を構造化,ひいては,会社不祥事の続発に歯止めをかけることのできない経営構造を生み出し,死ぬまで会社にしがみつく「会社本位人間」が成立する前提とすらなっている,と分析した。

奥村教授は筆者の一人は証券経済学会でお会いしたことがあり,また,日本証券経済研究所の研究員をしておられた時,当時彼の同僚だった丸純子先生にお会いしたおりにお会いしたと思う。学会の大会では奥村教授は常に既存企業に対して批判的な姿勢を明らかにしておられて,ここでいういわゆる「批判経営学」に属する主張だったと言えるのではないかと思っている。

そこでの主張を整理すると次のようになる。

1.株式所有の空洞化をもたらしつつ,業績にかかわりのない株高構造を支える,

2.系列内外を問わず業務提携を支える持合が,企業経営に対する監視機能を喪失し無責任体制を構造化,ひいては,

3.会社不祥事の続発に歯止めをかけることのできない経営構造を生み出し,

4.死ぬまで会社にしがみつく「会社本位人間」が成立する前提とすらなっている

ということである。

ここでは筆者らは,いわゆる「既存」の主張にそのまま合わせるのではなく,「おや ,ちょっと待てよ」という考えを常に持って検討していくこととする。

 

まず1.及び2.で,「株式所有の空洞化」あるいは「資本の空洞化」とは何であろうか。これについては,次の通りである。

 

海外の投資家を中心に批判が強まった

持ち合い株の解消が進んだ第4の理由として海外の投資家を中心として持ち合い株に対する批判が強まったことがあげられる。持ち合い株はそもそも以下のような問題点や矛盾を抱えていた。海外の投資家を中心に批判が強まった

 

・資本の空洞化をまねく

資本は本来,成長事業への投資にあてられるべきものである。企業は,業績を高めて利益がでたら,その利益を株主に分配する。しかし持ち合い株においては,成長事業とは直接関係がない系列企業や取引先の株式を取得するために資本が使われる。また株式の配当も系列企業同士で分配する。これは資本の有効活用をしていないという意味で「資本の空洞化」と呼ばれている。

という叙述がある7)

ここでいう「資本の空洞化」というコトバが重要である。この用語はもう長い間,特に問題意識もなく使用されてきているようだが,「空洞化」とはどういう意味だろうか。いわゆる株式の持ち合いが「資本の空洞化」につながるという主張。まず,持ち合われた株式は売られないことが大前提になるが,そうすると,アメリカの経済学で言う市場での完全競争状態が成立154頁】 しないことになり,たとえば業績が振るわなくなって一株当たり利益が減少するなどして評価が下がった企業でも,「フェアな」競争・評価・資源配分が起こらず,持ち合われている分の株式は売られないということで売り圧力が,持ち合う場合と持ち合わない場合とで比較して相対的に低いということになるとされる。ただ,それがなぜ「空洞化」という呼び名になるのだろう。筆者らには俄かにはわからない,というのが本音である。完全競争市場なら淘汰される企業が淘汰されない,という意味であろうか。

この問いに対する対応方法にはどのようなものがあるのか。「法人資本主義」というものがアメリカ流の「自由競争」や「社会的な『富』の極大化」を妨げるものになっているのかどうか。すでに世間一般で「主流」になっている議論は,本当に「正論」なのか。このような問題意識で,ここでは考え直しを試みてみたいと思っている。

2.についても,株主は本来経営者をモニタリングするのが筋だ,という考えが基になっている。まさにアメリカの株主論に基づく「正論」ではあろうが,そういう面だけに注視して他には目をつぶる,目を向けないのは,合理的な姿勢になるであろうか。これとは別に,我が国の株主は歴史的に株主総会でアクティブに議論を引き起こす土壌はもともと活発ではなく,一部にはそういう状況がいわゆる「総会屋」の発生・発達の要因だったとする説もある。3,4については,この21世紀においては,もはやアカデミックな議論・土俵には載らない,載せられないトピックであろう。これらは,現代においては,見方によってはほとんど言いがかりに類する叙述とも捉えられかねないものとも言えよう。

一方,株式の相互持ち合いについては,最初から批判的な考えからスタートするのではない,いわば「経済学的」な立場から目を向ける向きもある。

持ち合いには,企業間関係の強化によるシナジーの実現や,企業価値を破壊する不適切な株主の排除など,投資家にとって望ましい側面もあるが,これが自社だけの利益目的なのか,それ以外なのかは,投資家には明確な識別ができないことも多いようである。その議論によれば,開示方法の参考として,業務・資本提携に際して各社が発表したニュースリリースがまず挙げられる。例えばシャープとパイオニアは提携に際して,提携の目的と内容を詳細に説明した上で「業務提携をより密接にかつ確実に進めていくため」資本提携を行うとしている。全般的な方針としても,経営ビジョンや中期経営計画における目標を提示,その達成のため必要ならば業務・資本提携を実施する,と説明することは可能だろう。資本関係が業務提携にプラスとなるかは異論も多いが,企業としての考え方を明らかにしておくことは,投資家との対話において意味があろう。

このシナリオはまた経営修正権の行使にも適用できる。A社とB社が相互に株式を持ち合っているとしよう。A社は他の会社とも株式の相互持ち合いをしている。このような状況において,B社はA社の株主総会で,A社の経営を修正するために議決権を行使することができるだろう。しかし,株主総会ではA社と持ち合い関係にある企業が互いに協力して議決権を行使し,B社の経営修正権の行使の効力を弱め,A社の経営を支持する。一方,B社の株主総会では,これらのグループ企業が結託してB社に対する経営修正権を行使する。その結果,B社だけがペナルティを受けることになることはあり得る。

「空洞化」の議論に欠落しているのはまさにこの点ではないかと考えている。すなわちこのように,株式持ち合いが行われている場合には,持ち合い企業間に協調的な行動がとられるようになり,企業間関係が強化される。つまり,わが国では事業取引に株式持ち合いという形で155頁】 株式取引が浸透してきたのである。言い換えれば,「事業取引への株式取引の浸透」によって,長期的・協調的な事業取引関係が築かれてきたということになる。ここに,株式持ち合いが継続してきた合理性の1つがあると考えられる8)

また,株式の相互持ち合いを「提携」という観点から見て,「資本提携」を考え,それに伴う「業務提携」との関連で考察することもできる9)

提携のメリットは次のように要約される。

 

メリット

資本提携

相手企業の開発・販売等に関する経営資源やネットワーク,ノウハウの提供が期待できる。

独自で事業展開するよりも早期の事業立ち上げが期待できる。

組織面,財務面での整備ができる。

 

業務提携

上場企業の販売力などを活用することが期待できる。

経営資源の補完が期待できる。

契約内容の遂行に留意すれば良く,お互いの経営に対しては独立性が保てる。

提携解消が資本提携と比較して容易である。

対等な関係が基本である。

 

一方,デメリットは次のように要約される,

デメリット

資本提携

開発や利益等の成果が見られないと,株主の立場から経営に対して口を出される可能性がある。

出資比率によっては経営戦略立案に対し,出資者の意向を無視できず,機動的な経営がしにくくなる可能性がある。

出資比率によって,内部統制,IFRS対応等の負担が増加する。

出資比率によって,役員の受け入れが必要となる。

ノウハウ等の機密情報の開示が必要となる。

 

業務提携

温度差がある場合,企業間で意見の対立や主導権争いが起こることがある。

責任の所在が不明確になる場合がある。

提携解消のタイミングが不一致になる場合がある。

 

そもそも,提携の特徴は次のように要約される。

156頁】

資本提携

一方的な資本受け入れや資本相互持ち合いなどのケースがある。

経営支配権を有しない程度(持ち株比率10%程度が目安)に提携先企業の株式を保有することを通じて,事業上の協力関係を築くケースや一定の経営権の取得を目指して資本を投下するケースがある。

資本提携は業務提携よりも企業間の結びつきが強くなる。信頼関係というよりは,経営権が発動できることに意義がある。

 

業務提携

企業聞の信頼関係を基に,共同研究開発や販売活動など,お互いの利益になる協力関係を契約する。

お互いの経営資源の不足を補完する,強みにさらに磨きをかける,コスト削減を図る等,シナジーの発揮を目的とする。企業聞の信頼関係を基に,共同研究開発や販売活動など,お互いの利益になる協力関係を契約する。

お互いの経営資源の不足を補完する,強みにさらに磨きをかける,コスト削減を図る等,シナジーの発揮を目的とする。

このメリットとデメリットの関係をどのように捉えるのか,ということになる。当然,これらのメリット・デメリットの「数値化」は難しく,その大きさを測ることは実質的にはできないであろう。その「正味効果」はいかなるものになるか。このような正負双方のある意思決定の良し悪しについては,結局は経営者の判断ということになる。会社のcapabilityを適切に見積もり,それを生かす意思決定ということだからである。

また,このような展開でまず思いついたのは「市場の失敗(Marktversagen, market failure)」の概念である。

「市場の失敗」は経済学の概念で,市場メカニズムが働いていても,経済的な効率的配分(パレート効率性Pareto efficiency,パレート最適)が達成されない状況をいう。この概念は近年様々な「不平等」の発生の根源,今まで気づかれなかった,実は市場成果の「不備」を解説できるとして注目されてきている概念であり,公害や地球温暖化などの環境破壊,商品品質の低下などの市場の失敗が起きるとしている。失業,貧困,自殺,社会的格差などは従来,配分の公平性の問題で,市場の失敗ではないとされてきた。しかし1998年にノーベル経済学賞を受賞したセンらによって,所得分配や社会的コストに関する理論が発展し,現在では,貧困や格差などの社会問題についても市場の失敗が原因であるとの主張が一般的になっている10)

この新しい「市場の失敗」の概念は,話としては,通常の経済学の理論で主張されている,あるいは前提とされている市場メカニズムというものの「全能性」は,実は完全ではなくて,あちこちに「バグ」があるのではないか,それは適切なカバー行為によっておさめられるものではないか,という議論に進みうる,と考えられる。

前述の通り,株式の相互持ち合いがなく,発行済み株式すべてが市場に出ている状態が本当に最適なのか,それによって実現されていないものはないか,たとえば資本提携としての株式相互持ち合いに伴う情報の有効利用の可能性は,発行済み株式すべてが市場に出ている状態に157頁】 よって実現していないのでは,という事態は,目を向ける価値があると考えられないであろうか。もちろん,前述の説明での「業務提携」が常に起こっているとする理由は,かならずしもないというのは,その通りであろう。

このように,株式の相互持ち合いにより,持ち合った企業同士の相互の所有情報の洗練化,有効利用,事業投資のために必要な情報の強化・質の向上が促進される可能性は,それがない場合,単独で投資行動を行った場合に実現しないWelfareをもたらしてくれる可能性があると考えているのである。それは市場の「失敗」ではないかもしれないが,単純な「完全競争推進ベネフィット論」では実現できないベネフィットが実現されてはいないだろうか。

このように「法人資本主義論」というのは,今となって見れば,バブル経済とその破裂に同居していた,一種不思議な議論だったのではないかというのが,まずは現代においての「締め」となるように思われるのである。

 

参考文献

梅崎修・八代充史(2018),「「新時代の日本的経営」の何が新しかったのか?―人事方針(HR Policy)変化の分析」(経済産業研究所ディスカッション・ペーパー19-J -009)

熊沢誠(1997),『能力主義と企業社会』岩波書店

高橋伸夫(2004),『虚妄の成果主義─日本型年功制復活のススメ─』日経BP社

手塚公登・小山明宏(2023a),「現代の「日本的経営」論(7)」(学習院大学『経済論集』59,4,387-402)

手塚公登・小山明宏(2023b),「現代の「日本的経営」論(8)」(学習院大学『経済論集』60,1,35-56)

成川秀明(2014),「新時代の「日本的経営」に対する連合の対応」(連合総研レポート(2014),7・8月合併号,9-12)

日経連能力主義管理研究会(1969),『能力主義管理─その理論と実践』日経連出版部

日本経営者団体連盟(1995),『新時代の「日本的経営」─挑戦すべき方向とその具体策─』

日本生産性本部(2019),「第16回日本的経営雇用・人事の変容に関する調査結果」

濱口桂一郎(2021),『ジョブ型雇用社会とは何かー正社員体制の矛盾と転機』岩波書店

平木真朗(2019),「1990年代の雇用問題の課題─日経連『新時代の「日本的経営」』再考─」

 (西南学院大学商学論集,65,4,237−268)

平木真朗(2022),「企業における「雇用ポートフォリオ」の展開─日本経営者団体連盟『新時代の「日本的経営」』「事例編」の検討─」(西南学院大学商学論集,69,1・2,33−58)

八代充史・牛島利明・南雲智映・梅崎修・島西智輝編(2015),『『新時代の「日本的経営」』のオーラルヒストリー─雇用多様化論の起源─』慶応義塾大学出版会

連合総研レポート(2014),「特集・『新時代の「日本的経営」』から20年」,(7・8月合併号,295)

THE OWNER 編集部(2022),持ち合い株とは? 持ち合い株の解消が進むのはなぜなのか?

 

https://the-owner.jp/archives/907(2022/09/06 THE OWNER編集部)

http://chiba-jp.work/?eid=395(2018/08/30)

https://j-net21.smrj.go.jp/qa/development/Q1034.htmlによる(J-Net21)

2022/09/06  https:// the-owner.jp/archives/907