2024年年金財政検証の評価
鈴木 亘
要旨
公的年金財政の“健康診断”と言われる5年に1度の財政検証が2024年7月,厚生労働省から公表された。注目されるのは,控えめな経済前提値を用いた「過去30年投影ケース」というシナリオにおいても,年金は今後100年間,維持可能(100年安心)という結果になったことである。前回(2019年)の財政検証からたった5年間で,年金財政がかくも大きく改善した理由は,積立金の運用や就業率などが大幅に上振れたことであるが,それで説明できる寄与度は,実は6割ほどにすぎない。残りの約4割は,恣意的に高く設定された1.7%ものスプレッド(積立金運用利回りと賃金上昇率の差)と,流入外国人が大幅に増えることを前提とした人口予測,そして,おそらくは外国人の保険料水準や保険料納付率について非現実的な想定を置いていることによるものである。また,現在の合計特殊出生率(1.20)は,既に今回の財政検証の想定を下回って過去最低を更新し続けており,財政検証が長期的に想定する1.36という水準に戻るかどうかは疑問である。さらに,2057年という遠い将来まで,マクロ経済スライドが計画通りに実施できるという想定も,非現実的と言わざるを得ない。これらの下振れ要素を考慮すると,過去30年投影ケースが100年安心であるという結論は見直さざるを得ず,年金財政を維持可能にするために必要な改革をきちんと行うべきである。今回オプション試算として示された諸改革の実施に加え,マクロ経済スライドの強化策(名目下限措置撤廃やスライド調整率の拡大)や年金支給開始年齢の引き上げなどの給付カット策を直ちに検討すべきである。
年金改正,財政検証,100年安心プラン,年金純債務
厚生労働省は2024年7月3日に,公的年金の財政検証結果を厚生労働省・社会保障審議会・年金部会に示し,その公表を行った。財政検証とは5年に1度行われる年金財政のいわゆる“健康診断”であり,今後100年間の年金財政の予測を行い,公的年金の維持可能性をチェックするものである。また,併せて,いくつかの改革の選択肢とその財政シミュレーション(オプション試算)を示し,通常,翌年に行われる年金改正のための議論に付すことが,近年の慣例となっている。
今回の財政検証結果では,想定する実質経済成長率の高い順に,@高成長実現ケース,A成長型経済移行・相続ケース,B過去30年投影ケース,C1人当たりゼロ成長ケースという4つのシナリオが示された(図表1)。これは,前回(2019年)の6シナリオ,前々回(2014年)の8シナリオに比べて少なく,その分,わかりやすくなったと言えよう。しかしながら,2009【196頁】 年の財政検証以前のように,どれが年金財政の現状を評価する上での「標準シナリオ」であるかが明らかにされておらず,厚生労働省の責任が依然として曖昧なままである。財政検証を年金財政の“健康診断”と言うのであれば,健康診断の結果がいくつもあるというのは不思議な話である。もっとも,財政検証資料を見る限り,詳細な結果が示されているのは,A成長型経済移行・相続ケースとB過去30年投影ケースの2つだけであるから,厚生労働省の意図としてはこの2つを軸に議論してほしい言うことであろう。このうち,成長型経済移行・相続ケースは,あまりに現状とかけ離れた楽観的な経済前提であるから(図表1の下段),年金部会の議論は過去30年投影ケースを標準シナリオにして進むものと推測される。過去30年投影ケースは,図表2にみるように,2009年以降の“標準シナリオ” 1)の経済前提値と比べてもかなり控えめであり,近年の粉飾決算的な経済前提値(鈴木(2020))から脱し,2004年改正時の想定にようやく戻ってきた感がある。そして,そのかなり控えめな過去30年投影ケースであっても,最終的な所得代替率が50.4%(2057年)と50%を超えており,「年金100年安心」の太鼓判が押されたことは,国民の間にかなりの安心感をもって受け止められたと思われる。現在のところ,以前の財政検証時のように,マスコミや野党からの目立った批判も行われていないようである。また,このように年金財政が盤石であるとの結論ゆえか,年金改正の選択肢であるオプション試算についても,通常の年よりも小粒な改革項目が並んでいる。しかも,その中では目玉の一つと目されていた「基礎年金の拠出期間延長・給付増額」(基礎年金の保険料納付期間を40年(60歳まで)から45年(65歳まで)に延長し,その分,年金給付額を増額するというもの)については,早くも7月3日当日の年金部会で,年金局長が次期年金改正からこの案を見送るという異例の方針を示した。このため,ますます小粒な改革だらけとの印象がぬぐえない2)。
しかしながら,年金財政は本当にそこまで改善しているのだろうか。過去30年投影ケースであっても100年安心という結論は,どこまで盤石なものなのだろうか。また,今後の年金財政の維持可能性を確保するために,今回オプション試算として示されている程度の改革で本当に事足りるのだろうか。本稿は,厚生労働省が示したWEB上3)の財政検証資料(厚生労働省(2024))を元に,2024年の財政検証結果の評価を行うことにする。以下,本稿の構成は下記の通りである。第2節では,過去30年投影ケースと,その比較対象である前回(2019年)財政検証のケースXとの比較から,年金財政改善の要因を定量的に把握する。第3節は,次期年金改正の選択肢であるオプション試算の評価を行い,これらの改革で本当に充分であるかどうかを検証する。第4節は結語であり,年金財政の健全性を高めるために,マクロ経済スライドの強化策や年金の支給開始年齢引き上げを検討すべきであるとの提言を行う。補論は,今回の財政検証の年金バランスシートから年金純債務を計算し,その現状を報告する。
2.1 足元5年間の積立金増の効果
改めて,今回(2024年)の財政検証についての最大の驚きは,過去30年投影ケースと言われる控えめな経済前提値を用いたシナリオでも,年金財政が100年安心―つまり,最終的な所得代替率が50%を上回り,100年後の積立金が1年分を保つことができるという結果になったことである。前回(2019年)の財政検証からたった5年間で,何がそれほど大きく変わったのだろうか。以下,過去30年投影ケースを,暫定的に今回の「標準シナリオ」と見做し,分析を進めてゆく。
まず,過去30年投影ケースと経済前提値が近い,前回(2019年)の財政検証のケースと比較することにしよう。図表3は,2019年と2024年の財政検証の全シナリオを,経済前提値が近いもの同士を選んで縦方向に配置し,比較しやすくしたものである。これをみると,今回の財政検証の成長型経済移行・継続のケースと過去30年投影ケースという隣通しのシナリオの間には実は大きな開きがあり,前回の財政検証のケースUからケースWに対応するシナリオが今回の財政検証ではごっそり抜けていることがわかる。実は,2024年財政検証の成長型経済移行・継続のケースは,2019年財政検証では一番良いシナリオであったケースTに相当する。一方,過去30年投影ケースは2019年財政検証では下から2番目に悪かったケースXに相当している。新聞社などのマスコミの中には,過去30年投影ケースを今回の“標準シナリオ”と想定し,前回,標準シナリオとして扱われたケースVと比較した記事を掲載するところが多かったが,それは適切な扱いではない。比較するのであれば,今回の過去30年投影ケースと前回のケースXを比較しなければならない。ところで,前回のケースXは,実は100年安心という結果ではなく,2043年で所得代替率が50%を割り,現在の年金スキームが終了するというシナリオであった。また,仮に所得代替率が50%を割り込んでもマクロ経済スライドを続ける場合には,所得代替率を44.5%まで引き下げなければならない状況であった。この前回のケースXが,今回,100年安心となった過去30年投影ケースにまで改善するとすれば,この5年の間に,年金財政を取り巻く環境が,驚くべき変化を遂げたことになる。
その第一の原因は,言うまでもなく,近年の円安や株高による積立金増加である。現在,公的年金の多くはGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が運用しているが,その公的年金運用の基本ポートフォリオ(運用資産の配分)は,第2次安倍政権下で行われた運用改革によって危険試算の割合が大幅に高められている。2023年度末現在で,外国株式24.86%,外国債券23.86%,国内株式24.33%,国内債券26.95%である。この間,国内外の株式相場の上昇(日経平均株価は2万3657円(2019年末)から3万3464円(2023年末),NYダウ平均株価は2万8645ドル(2019年末)から3万7689ドル(2023年末))や,為替相場の円安進行(為替相場1ドル109.47円(2019年末)から140.27円(2023年末))により,年金の積立金残高は大きく増加した4)。2023年度末の積立金残高は291兆円と,2019年財政検証時の2023年度末の見込み額(218【198頁】 兆円,ケースX)を,約73兆円も超過している。1年間の公的年金の支出額は約55兆円であるから,これがいかに大きな金額であるかがわかるだろう。もちろん,これらは実現益ではなく,あくまで含み益に過ぎず,今後,円高や株安が進めば変わり得るものであるが,この5年間の運用状況は,まさに年金財政にとって「神風が吹いた」と言って良い状況であった。この足元の積立金増がどの程度,年金財政の改善に貢献したのか概算してみよう。
図表4は,前回の財政検証のケースXの厚生年金積立金の予測を,今回の過去30年投影ケースと比較したものである。ケースXは,図表3のものとは若干異なり,2043年に所得代替率50%になった後も,50%の水準を維持するように積立金が計算されている。この場合,国民年金は2066年に積立金が枯渇して完全な賦課方式になることから,厚生年金の積立金予測も2066年で終了となっている(したがって,図中の2070年の数値は2066年の値である)。両方の棒グラフの差が,前回の財政検証から今回の財政検証への年金財政の改善幅を表しており,2060年時点でこの差は284.4兆円である。
このうち,2024年時点の足元の積立金増(今回の財政検証の2024年時点の積立金と,前回の財政検証の2024年時点の積立金の差)は,どの程度を説明することになるのであろうか。その寄与度を計算する一つの簡便な方法として,2019年財政検証のケースXをベースに,2024年時点の積立金を今回の財政検証と同じにして,その後の積立金を予測する手法が考えられる。すなわち,ケースXにおける2024年時点の厚生年金の積立金見込み額は本来207.4兆円であるが,これを過去30年投影ケースと同じ290.7兆円とし,その後の積立金をケースXの経済前提を使って予測する5)。その場合の積立金の推移を見たものが,折れ線グラフの「2019年ケースX+積立金増(スプレッド1.2%)」であるが,やはり,足元の積立金増の効果はかなり大きいことがわかる6)。2060年時点の積立金差額の284.4兆円のうち,169.9兆円を足元の積立金増が説明しており,その寄与度は59.7%である。つまり,この5年間に生じた2024年時点の積立金増が,2060年時点の積立金差額の約6割を説明している。しかしながら,逆に言えば,残りの約4割の差は,この足元の積立金増からは説明できない財政改善と言うことになる。4割は決して小さな数字ではない。
2.2 恣意的なスプレッドの想定
実は,経済前提値を個別に見ていてもよくわからないが,年金財政にとって最も重要な想定値は,積立金の運用利回りから賃金上昇率を差し引いた「スプレッド」と呼ばれる数字である7)。このスプレッドの想定値が大きければ大きいほど,年金財政は好転する。なぜならば,このスプレッドは年金財政の収支差を決定づけるからである。積立金の運用利回りはもちろん,その値が高ければ高いほど,運用収入が増加することから,年金財政が好転する。ただ,【199頁】 積立金の運用利回りが高い時には,実質経済成長率も高いため,一般に賃金上昇率も高まるだろう。賃金上昇率が高い場合には,賃金上昇率にリンクして決まる年金給付額(財政支出)も増加することになる。したがって,実質経済成長率が高いからと言って,年金財政は必ずしも好転するわけではない。しかしながら,積立金の運用利回りを高く想定する一方,賃金上昇率を相対的に低く想定して置けば,運用収入が大きい一方,年金給付額はそれほど増えないから,年金収支が改善し,年金財政は好転することになる。スプレッドは目立たないが,とても重要な想定値なのである。
ここで改めて図表1の下段の網掛けがついた部分をみると,実質経済成長率8)や物価上昇率,賃金上昇率,運用利回りは一番上の高成長実現ケースから一番下の1人当たりゼロ成長ケースまで,上から下へと順に並んでいるが,このスプレッドの値は一番上が1.4%,真ん中の2つが1.7%,一番下が1.3%と,上から下へと並んでいない。標準シナリオとして扱われる可能性が高い真ん中の2つのシナリオ(成長型経済移行・継続ケースと過去30年投影ケース)だけが,不思議と高い値となっている。実は,その高いスプレッドの効果はてきめんであり,一番上の高成長実現ケースの所得代替率(56.9%)よりも,二番目の成長型経済移行・継続ケースの所得代替率(57.6%)の方が高く,逆転現象が起きるという歪な結果となっている。つまり,スプレッドから見る限り,過去30年投影ケースは決して「控えめ」な経済想定ではなく,一番上の高成長実現ケースよりも,年金財政にとって「絶好調」の想定なのである。
ちなみに,このように標準シナリオ候補のスプレッドが一番高くなるように歪な想定を行うという手口は,過去の財政検証でも使われている。図表5の上段は2019年,下段は2014年の財政検証の経済前提であるが,網掛けがついているスプレッドの値をみると,実際に標準シナリオとして扱われた2019年のケースV,2014年のケースEが1.7%のスプレッドと,不自然にも全シナリオの中で一番高くなっている。実質経済成長率や物価上昇率,賃金上昇率,運用利回りは,シナリオごとに上から下へと順に並んでいるにもかかわらず,スプレッドだけが,ほぼ真ん中に位置する標準シナリオ候補が一番高くなるように設定されていると言うのは,極めて恣意的な想定と言わざるを得ない。今回,せっかく全体として2004年改正時に近い誠実な経済前提値に戻したにもかかわらず,賃金上昇率を不自然に下げるなどして,1.7%もの高いスプレッドを使い続けていることは,やや残念と言わざるを得ない。ちなみに,2004年改正時のスプレッドは1.1%であった(図表2)。
いずれにせよ,2019年のケースXのスプレッドは1.2%なのであるから,今回の過去30年投影ケースが,それよりも0.5%も高い1.7%のスプレッドを使っていることの財政改善効果は大きい。図表5の点線の折れ線グラフは,スプレッドを1.2%から1.7%に変えて予測した積立金の推移であるが9),スプレッド1.2%の実線グラフに比べて上方にシフトし,今回の過去30年投影ケースの積立金予測に近づいている。2060年時点の積立金差額(284.4兆円)に対するこの【200頁】 スプレッドの寄与度は,15.7%である。足元の積立金増で説明できなかった約4割の差のうち,1.5割程度をスプレッドの想定差が説明することになる。前回の財政検証からたった5年で,しかも同程度の実質経済成長率10)のシナリオにおいて,今後100年近くにわたるスプレッドの想定が0.5%も上振れるというのは全く理解しがたいことである。年金財政を良く見せるための粉飾的なスプレッドの想定と評せざるを得ない。
2.3 生産年齢人口や就業率などの想定
しかしながら,このスプレッドの想定差を考慮しても,まだなお2060年の積立金差額のうち,約1/4(24.6%)が説明できていない。この年金財政の改善分はどのような要因によるものなのであろうか。ここからは,足元の積立金やスプレッド差のように定量的な試算はできないが,消去法的に考えると,人口予測や就業率の想定が主な原因と推測される。すなわち,生産年齢人口の予測と就業率の想定が前回の財政検証を大幅に上回るものになっていることが寄与していると考えられる。
図表7の厚生労働省資料をみると,確かに足元の公的年金被保険者数は,前回の財政検証時(2019年)の想定を上回っており,年金財政改善に貢献していることがわかる。詳しく見ると,2023年の厚生年金被保険者数は4683万人と,前回想定の4425万人を大きく上回っている。これは,女性就業率が高まっていること,パートなどに対する厚生年金の適用拡大が行われたこと,そして,60歳以上の高齢者の就業率が高まっていることが主な要因である。女性就業率上昇と厚生年金適用拡大の影響は,2023年の第3号被保険者数が701万人と,前回想定の762万人を大きく下回っていることからも確認できる。第3号被保険者は保険料を全く支払わずに基礎年金を受給する人々であるから,その数が減少することは年金財政にとって明らかな収支改善要因である。また,厚生年金被保険者数が増えることは,保険料を納める人々が増えるということであるから,これも通常は年金財政を改善させる。特に,60歳以降も就業する人々が増えていることは,年金財政にとって大きな収支改善要因となる。なぜならば,現行制度では,60歳以上の厚生年金加入者は,基礎年金分の保険料をその対価(年金給付)なく支払っているからである11)。もっとも,これら足元の被保険者数の上振れによって生じた年金財政の好転分は,足元の積立金残高の上振れの中に含まれているので,24.6%分の2060年の積立金差額を直接的には説明していない。この高い就業者数の想定が前回(2019年)の想定を上回り続ける部分のみが,24.6%の差を説明することになる。
そこで,就業者数の想定を前回と今回で比較したものが,図表8である。就業者数は,2024年時点で6769万人と前回想定5925万人を約800万人上回っているが,この差は2030年には約1100万人,2040年には約1200万人と,なぜか増加し続けている。それは,就業率(15歳以上) の想定が,2040年時点で比較して,前回の57.0%から今回62.9%に引き上げられていることも【201頁】 あるが,それ以上に,元となる生産年齢人口自体が,前回よりも今回の方が多く,しかもその差が増え続けるという予測値になっていることが大きい(図表9)。冷静に考えてみると,前回の財政検証の合計特殊出生率の長期的想定(1.44)よりも,今回の財政検証の長期想定(1.36)の方が低いので,生産年齢人口は前回よりも今回の方が減少しているはずであるが,結果は逆である。どうしてなのであろうか。
それは,財政検証の想定の問題というよりは,むしろ,国立社会保障・人口問題研究所が行っている人口予測の問題なのであるが,前回の財政検証で用いられた人口予測(日本の将来推計人口(平成29年推計))よりも,今回の人口予測(日本の将来推計人口(令和5年推計))の方が,外国人の流入人口がかなり多く見積もられているからである。図表10にみるように,2015年から2019年というアベノミクスによる外国人入国超過数がピークであった時点のデータを用いて推計を行い(しかも,コロナショックがあった2020年は推計から除いている),外国人入国超過数を前回の年間6.9万人から今回は大幅に増やして年間16万人と想定している。そのために,日本人の人口がいくら減っても,流入する外国人がカバーしてありあまるので,生産年齢人口が前回よりも大きく増加するという人口予測になっているのである。これは果たして現実的なのだろうか。もちろん,将来のことは誰にもわからないのであるが,少なくとも今回の生産年齢人口増,就業者増による年金財政の改善は,「外国人頼り」という面がかなり強い。流入外国人の数は変動が大きく,将来予測は非常に難しいから,年金財政はそれだけリスクを抱えていると言わざるを得ない。外国人頼りの人口予測による寄与度は,安心してみていてよい寄与度ではないのである。
また,仮に今回の外国人流入増の想定が現実的であったとしても,その外国人が日本人と全く同様に年金財政に貢献するかどうかは別問題である。現在,公開されているWEBの財政検証資料の中では何も書かれていないが,おそらく外国人に関する想定として,日本人と同水準の収入を得て,日本人と同水準の加入率・保険料納付率を達成し,日本人と同水準の保険料額を支払うということが想定されていると推測される12)。しかし,各種の調査・統計から明らかなように,外国人の平均賃金は日本人の平均賃金を大きく下回るため,保険料水準も低いはずである。そもそも,いずれ母国に帰るつもりである外国人も多いので,未加入,あるいは未納者も現状は多い。厚生労働省は今後,外国人の社会保険加入を義務付けるとしているが,どこまで実効性があるのかは不明である。外国人の状況について非現実的な想定が行われているとすれば,「外国人頼り」どころか,「空想上の外国人頼り」と言わざるを得ない。
さらに言えば,現状,合計特殊出生率は1.20(2023年)まで下がっており(図表11),既に今回の財政検証が用いている人口予測(出生中位)の予測値を下回り続けている。そのことを考えると,今回の財政検証で使われている合計特殊出生率の長期的想定の1.36という数字も到底,現実的とは言えなくなっている。
3.1 合計特殊出生率の低下と外国人流入低下の効果
前節で見たように,前回(2019年)の財政検証からの5年間で,積立金運用利回りや就業率などが大幅に上振れたことにより,足元の積立金残高が増加し,年金財政は大きく改善した。しかし,それで説明できる積立金の改善幅は,今回の過去30年投影ケースと,その比較対象である前回のケースXの差額(2060年の厚生年金積立金ベース)の6割ほどである。残りの約4割は,恣意的に高く設定された1.7%のスプレッドと,外国人頼りの人口予測,そして,おそらくは日本人と同様の保険料水準,納付率を外国人にも適用しているという非現実的な想定によるものであり,100年安心という結論の信ぴょう性は低い。また,合計特殊出生率も,既に財政検証の想定を下回って過去最低を更新し続けている。これらの下振れ要素を考慮すると,少なくとも,過去30年投影ケースの100年安心という結論は見直さざるを得ないだろう。
問題は,現在のシナリオからどの程度,年金財政の悪化が見込まれるかである。図表12は,合計特殊出生率の予測値が,国立社会保障・人口問題研究所の低位推計で推移した場合(出生低位)と,外国人入国超過数が前回並みの年間6.9万人(今回は16万人)であった場合の厚生労働省自身によるシミュレーション結果(過去30年投影のケース)をみたものである。まず,出生低位の場合をみると,2055年に50%の所得代替率を割ることになるから,ここで一旦,現在の年金スキームは終わりとなる。仮にそれ以降も所得代替率50%を維持しようとした場合には,2095年に国民年金の積立金が枯渇して完全な賦課方式になることから,ここで積立金予測は終了となる。もし,2055年以降に所得代替率が50%を割ってもマクロ経済スライドを適用し続ける場合には,2065年に46.8%(当初の50.4%との差は3.8%)となるところで終了となる。一方,外国人入国超過数が年間6.9万人の場合をみると,やはり2055年に50%の所得代替率を割ることになり,年金スキームは終了である。それ以降も所得代替率50%を維持すると,2098年に国民年金の積立金が枯渇して完全な賦課方式になり,積立金予測は終了となる。もし,2055年以降に所得代替率50%を割ってもマクロ経済スライドを続ける場合には,2062年に47.7%(当初の50.4%との差は2.7%)まで調整しなければならない。所得代替率の下振れ幅は,もちろん簡単に合計できるものではないが,一つの目安として足し合わせれば,6.5%分ぐらいの下振れ幅となる。また,高成長実現ケースと成長型経済移行・継続のケースの差から考えると,スプレッドを前回同様に1.2%と想定すると,さらに1%程度の所得代替率の下振れになると見込まれる。やや乱暴であるが,単純に全てを合計してしまうと,所得代替率ベースで7%台半ばぐらいのオーダーの下振れがあってもおかしくはない。過去30年投影ケースの最終的な所得代替率は50.4%と,50%をかろうじて上回る程度の水準であったから,この規模の所得代替率の下振れがあれば,100年安心はひとたまりもない。
これに対して,厚生労働省はどのような改革を今回考えているのであろうか。そして,それを実施すれば,どの程度,年金財政を改善する効果があるのだろうか。厚生労働省による所得代替率への効果の試算を元に,具体的に見てゆこう。今回,オプション試算として厚生労働省から提示されているものは,@被用者保険の更なる適用拡大,A基礎年金の拠出期間延長・給付増額,Bマクロ経済スライドの調整期間の一致,C在職老齢年金制度の撤廃,D標準報酬月額の上限見直しの5つである。ただし,既に述べたように,基礎年金の拠出期間延長・給付増【203頁】 額については,厚生労働省は次期改正では行わないと宣言しているので,本稿でも触れない。
3.2 被用者保険の更なる適用拡大
パート労働者などに対する厚生年金の適用拡大は,近年の年金改正で,段階的にではあるが随分と進んできた。既に2024年10月からは,厚生年金保険の被保険者数が101人以上の事業所に課されている短時間労働者の社会保険加入の義務を,被保険者数51人以上の事業所にまで拡大することが決まっている。オプション試算では,さらにそれを拡大し,@:被用者保険の適用対象となる企業規模要件の廃止と5人以上個人事業所に係る非適用業種の解消を行う場合(対象者約90万人),A:@に加え,短時間労働者の賃金要件の撤廃又は最低賃金の引上げにより同等の効果が得られる場合(約200万人),B:Aに加え,5人未満の個人事業所も適用事業所とする場合(約270万人),C:所定労働時間が週10時間以上の全ての被用者を適用する場合(約860万人)という4ケースが試算されている。それぞれの所得代替率上昇効果は,@0.9%,A1.4%,B2.7%,C5.9%である。ただ,この10月に101人以上の事業所への適用拡大を行ったところであるから,現実問題して来年に法案化が可能なのは,せいぜい@か,相当にうまくやってAまであろう。所得代替率の引き上げへ効果は1%前後といったところであろう。
3.3 マクロ経済スライドの調整期間の一致
現在,マクロ経済スライドの調整期間は国民年金と厚生年金で一致していない。これは,現行のマクロスライドが,@まずは国民年金の長期的な財政が均衡するように,基礎年金の調整期間を決定し,Aその後に,厚生年金の財政が均衡するように報酬比例部分の調整期間を決定するという2段階方式をとっているからである。例えば,過去30年投影ケースの場合,厚生年金のマクロ経済スライドが2026年で終了するのに対して,国民年金のマクロ経済スライド終了は何と2057年までずれ込んでしまう。このため,国民年金の所得代替率は現在の36.2%から25.5%と,約3割も減少することになってしまい,老後の年金の体をなさない。これでは,そのマクロ経済スライド期間のあまりの長さと相まって,とても現実的な年金制度とは言えないだろう。もともと2004年改正では国民年金と厚生年金のマクロ経済スライド調整期間は一致していたが,その後,予定していたマクロ経済スライドをなかなか発動できずに先送りされてきたために,調整期間の不一致が生じ,財政検証のたびにそれがエスカレートしてきた。これは,マクロ経済スライドが予定通り発動できなかったために生じた問題であり,いわば制度設計上の“バグ”と言うべき問題である。
今回,マクロ経済スライドの調整期間を一致させた場合のオプション試算が提示されているが,過去30年投影のケースで,所得代替率は56.2%(終了年は2036年)と当初の50.4%(2057年)よりも,所得代替率が5.8%も上昇している。これほどの上昇を遂げるのはやや意外であるが,その原因は,国民年金と厚生年金の積立金を一緒に扱うために,毎年のマクロ経済スライドの調整率が大きくなり,調整期間を2036年までと大幅に短縮できるからである。つまり,これは事実上のマクロ経済スライドの強化策なのである。ちなみに,厚生年金の所得比例部分の所得代替率は24.9%から22.9%と下がってしまうが,基礎年金の所得代替率は25.5%から33.2%と大きく上昇するとされる。
【204頁】3.4 在職老齢年金制度の撤廃と標準報酬月額の上限引き上げ
在職老齢年金制度とは,60歳以降に在職(厚生年金保険に加入)しながら受け取る老齢厚生年金のことであり,賃金と年金額の合計額が50万円を超える場合,50万円を超えた金額の半分が年金額より支給停止されることとなっている。在職老齢年金制度については,これまでも段階的に改革が行われてきたところであるが,働く高齢者の妨げになっているという批判があることから,廃止が検討されている。オプション試算では,一部または全廃の場合が試算されているが,所得代替率はこの改革でむしろ下がり,全廃の場合は0.5%のマイナスとなる。この理由は明らかで,在職老齢年金の廃止に伴って年金給付額が増加し,年金財政が悪化するからである。このため,厚生年金のマクロ経済スライドを追加で実施せざるを得ず,過去30年投影ケースの場合,終了年が2026年から2029年まで伸びることになる。
3.5 標準報酬月額の上限引き上げ
現在,厚生年金の標準報酬月額の上限は65万円であるが,オプション試算では,これを75万円,83万円,98万円と引き上げた場合の効果が試算されている。厚生年金制度(1階の基礎年金を含む)には所得再分配効果があり,高所得層は保険料を支払うほどには年金給付が増えない。このため,この改革で年金財政は収支が改善する。それぞれ,所得代替率を0.2%,0.4%,0.5%上昇させる効果があると試算されている。
以上のオプション試算の所得代替率への効果を,やや強引であるが,単純に全て足し上げる13)と7.2%程度である。前節の3.1に見た過去30年投影ケースを現実的にした場合の下振れ幅(7%台半ば)と比較して,だいたい同程度か,少し足りない程度のインパクトがある。年金財政の100年安心を堅実なものとするためには,少なくともオプション試算に挙げた改革の実施が必要条件となるだろう。
ただ,実はさらなる年金財政の下振れリスクを指摘せざるを得ない。それは,果たしてマクロ経済スライドが今後,計画通りに進められるかどうかということである。図表13は,2004年改正でマクロ経済スライドが導入されて以降の所得代替率の推移(図中の「現実」)と,2004年改正当初の年金給付カットの計画(図中の「計画」)を比較してみたものである。2004年時点の所得代替率は59.3%であったが,マクロ経済スライドを使って2023年までに約5割(50.2%)に削減するのが当初の計画であった。ところが,現実にはどうなったかと言えば,むしろ年金水準は上昇してしまっており,2024年の所得代替率は61.2%と2004年時点よりもずっと高い水準である。単純化して言えば,所得代替率の現実と計画の差が,毎年の年金の過剰給付となっている。例えば,2024年については,現実の61.2%から計画の50.2%を差し引いた11%ほどが,現在の高齢者への過剰給付となっており,その分,年金財政に予定外の支出を強いているのである。この原因はもちろん,インフレ下でしかマクロ経済スライドが発動でき【205頁】 ない「名目下限措置」があるためであり,マクロ経済スライドはこの20年の間に,2015,2019,2020,2023,2024年の5回しか発動できなかった。既に述べたように,マクロ経済スライドは国民年金と厚生年金の2段階方式をとっていることもあり,マクロスライドの調整率も小さかった。問題はこの先であり,図表13のAの矢印のように,新しい計画通りにマクロ経済スライドを実施できるか否かである。このままでは,2057年という途方もない将来まで,マクロ経済スライドを毎年続けなければならない。現在はたまたま,インフレ下にあり,マクロ経済スライドが発動できる状況にあるが,30年以上先までずっとインフレが続く保証はない。むしろ,これまではできなかったという実績がある。そして,これまでできなかったことが急にできるようになると考える方が不自然であろう。その場合には,@の矢印のように,さらにマクロ経済スライドを将来に先送りし続けなければならなくなる。もはや積立金が100年後まで維持できなくなる可能性が高いし,仮に維持できたとしても,補論で詳しく述べているように,過剰給付の放置によって年金純債務(将来世代への負担先送り)が増加し,世代間不公平が拡大する。
そう考えると,現在のマクロ経済スライドの強化策を,次期年金改正の選択肢に含めるべきである。実は,オプション試算の資料の中に,なぜか「参考試算」という名前で,マクロ経済スライドの名目下限措置撤廃について試算が行われている。具体的には,過去30年投影のケース(シミュレーション用に経済変動ありの想定)で,所得代替率を1.7%上昇させることが示されている。しかし,名目下限措置撤廃の効果は,そもそも100年安心ではないような悪い経済状況下で発揮されるのであって,100年安心という結論がでている過去30年投影ケースについてシミュレーションするのはあまり意味がない。むしろ,出生低位や流入外国人が少なくなるケースなどで,名目下限措置撤廃の効果を計算し,年金部会の議論に付すべきである。また,「参考試算」とわざわざ銘打ち,他のオプション試算よりも一段落とした扱いにしている意味が分からない。むしろ,この名目下限措置撤廃こそ,次期改正の目玉として,正面に据えて議論すべき価値がある。
そのほか,マクロ経済スライドの強化策としては,単年のスライド調整率を拡大することも考えられる。これまで,スライド調整ができなかった分を少しでも取り戻すために,調整幅を大きくすれば,その分,調整期間を短くできる。調整期間が短くなれば,過剰給付による年金財政の悪化が改善できるので,最終的な所得代替率は上昇するし,世代間不公平も改善する。既に述べたように,マクロ経済スライドの調整期間の一致とは,実質的なマクロ経済スライドの調整率拡大策であり,所得代替率の改善効果は5.8%分と極めて大きい。ただ,マクロ経済スライドの調整期間一致の実現だけでは,経済状況によってはまたしてもマクロ経済スライドを先送りして,調整期間を2036年からもっと将来に長引かせてしまう恐れがある。マクロ経済スライドの調整率拡大がマクロ経済スライドの強化策であることを明示的に議論し,そもそもデフレ下・ディスインフレ下ではマクロ経済スライドが適用できないという抜け穴を防ぐために,名目下限措置撤廃は,次期改正で実現すべきである。また,マクロ経済スライドの調整期間の一致が何らかの理由で,次期改正で実現できない場合のためにも,マクロ経済スライドの調整率拡大は別途検討しておくべきである。
ただ,現実問題して,マクロ経済スライドの強化策(名目下限措置撤廃,調整率拡大,それらに伴う調整期間の短縮化)は,単年の年金カット幅が大きくなり,また,毎年連続して行われることになるので,年金受給者の大反対が避けられないものと思われる。そのため,もう一【206頁】 つの給付カット策の選択肢として,年金の支給開始年齢引き上げも,今回,検討しておく価値のあるテーマである(制度・規制改革学会(2024))。現在は3年に1歳のペースで,60歳から65歳に支給開始年齢を引き上げている最中であり,2025年(女性は2030年)に完了する。そこから,あまり期間が離れないうちに同じペースで引き上げ,アメリカやドイツ,フランス並みの67歳,あるいはイギリス並みの68歳にすることを検討すべきである。日本はこれらの国々よりも遙かに平均寿命が長いし,今後も平均寿命が延び続けることが確実視されているから,支給開始年齢引き上げという施策は,きちんと説明すれば国民の納得が得られやすいテーマであると思われる。ただ,現行制度では,年金の支給開始年齢を引き上げても,マクロ経済スライドがそれを相殺してしまうので意味がない,あるいは両者は二者択一の施策であるとされている。しかしながら,(マクロ経済スライドの調整期間の一致を含む)マクロ経済スライドの強化策の痛みを和らげる策として,支給開始年齢引き上げの同時遂行は十分に意味を持つだろう14)。また,支給開始年齢引き上げの効果をマクロ経済スライドが完全には相殺しないような制度改正を行えば,さらに年金財政の健全化と安定に寄与することができる。支給開始年齢引き上げはマクロ経済スライドのように先送りされることはない施策であることも重要である。支給開始年齢引き上げをマクロ経済スライドと代替する施策と考えるのではなく,むしろ,共存しうる補完的な施策とする発想があっても良いのではないか。
いずれにせよ,まずは2025年の年金改正に向けて,社会保障審議会・年金部会や国会において,「マクロ経済スライド」の徹底的な「総括」を行うべきである。マクロ経済スライドという仕組みができて,20年目という大きな節目でもある。今後も惰性的にマクロ経済スライドを続けてよいのかどうか,いったん立ち止まって考えなおす良い機会である。もちろん,この間,厚生労働省はマクロ経済スライドについて何もしなかったわけではない。2016年の改正では,キャリーオーバーという仕組みが創設され,名目下限のためにマクロ経済スライドが発動できなかった(フルに発動できなかった)場合には,翌年以降に一定以上のインフレ率であれば,過去の未調整分のマクロ経済スライドを繰り越して実施できる制度となった。また,賃金上昇率がマイナスであって,かつ,物価上昇率よりも賃金上昇率の方が低い場合には,年金額は物価ではなく,賃金で改定する見直しも行われており,令和3年度から適用されている。厚生労働省関係者の中には,最近はこれらの仕組みが機能しており,これで十分という見方があるようである。しかしながら,2016年以降というのはアベノミクスによって景気が良くなり,マクロ経済スライドの本体自体がやっと機能し出した,この20年間にとってはかなり特殊な時期である。また,景気回復や様々な制度改正の影響もあり,公的年金被保険者数が増加したり,先述のマクロ経済スライドの調整期間の不一致というバグが広がり,マクロ経済スライドの調整率自体もかなり小さくなった。このような特殊な環境下で,一時期,機能したように見えるからと言って,今後もマクロ経済スライドが機能し続けるとは限らない。また,図表13の所得代替率の推移をみてもわかるように,最も重要な所得代替率という指標においては,2016年改正の影響はほんのわずかである。このため,補論で議論しているように,この20年間のマクロ経済スライドの機能不全によって,年金純債務という将来世代への負担先送りは大きく広がった。今後の20年間を展望した場合,このマクロ経済スライドという仕組みのままで本当によい【207頁】 のか,どのような手直しをすべきなのか,給付カット策についてもっと抜本的な改革が必要なのか,徹底的な議論が行われるべきである。
厚生労働省(2024)「将来の公的年金の財政見通し(財政検証)」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nenkin/nenkin/zaisei-kensyo/index.html
駒村康平(2022)「あるべき社会保障改革(中) 年金,繰り下げ受給へ誘導も」日本経済新聞・経済教室(2022年12月22日)
島澤諭(2019)『年金「最終警告」』講談社(講談社現代新書)
鈴木亘(2020)『社会保障と財政の危機』PHP研究所(PHP新書)
鈴木亘(2023)『2025年年金改正の課題:2つの国民年金救済案をめぐって』學習院大學經濟論集 60(1), pp.79-94
制度・規制改革学会(2025)「2025公的年金改正への提言(改訂版)」
https://drive.google.com/file/d/1BbFCUEPi2vOtTJRsV5TlbSyXRwDJGwpc/view?pli=1
【208頁】補論 年金純債務について
財政検証では毎回,公的年金のバランスシートが掲載されることになっており,世代間不公平の指標である「年金純債務」を事後的に計算することができる。年金会計のバランスシートは,企業のバランスシート(貸借対照表)と同様,左側に資産,右側に負債が分類された表で,必ず左右の金額が一致するように作られている(図表14)。
年金にとって資産とは,国民から徴収する保険料と税金(国庫負担),そして積立金(運用収入を含む)である。一方,負債とは,これから国民に支払う年金の総額であり,これまで支払った保険料に対応する年金給付(過去債務)と,これから支払う保険料に対応した年金給付(将来債務)の2つに分けることができる。まとめると,次式の通りである。
保険料+国庫負担+積立金=過去債務+将来債務・・・(1)
この式を移項して整理すると次のようになる。
過去債務−積立金=保険料+国庫負担−将来債務・・・(2)
ここで,左辺の「過去債務−積立金」は「年金純債務」と呼ばれる。年金純債務とはつまり,「現在の年金債権者(年金受給の資格がある主に高齢者)に,これから彼らが死ぬまでの間,国が支払う予定の年金総額」から,「その支払い原資として過去に彼らから徴収してきた保険料の総額」を差し引いた値であり,要するに現在の年金債権者の「もらい得」(保険料支払い額よりも年金の受取額の方が多い分)の金額である。その金額は現在,980兆円(1280兆円−300兆円)にも上っている(過去30年投影ケースの場合)。
一方,右辺の「保険料+国庫負担−将来債務」は「将来純負担」と呼ばれる。これは,「現在の現役層および将来世代がこれから支払う保険料と税金(国庫負担)」から,「彼らが将来に受け取る予定の年金総額」を差し引いた値であり,要するに現在の現役層および将来世代の「支払い損」の金額となる。左辺と右辺は等しいから,これも980兆円(1500兆円+490兆円―1020兆円。四捨五入の関係で980兆円になっていない)である。つまり,この年金バランスシートが言わんとしていることは,現在の高齢者の「もらい得」は,必ず現役層および将来世代の「支払い損」になるということである。現在の高齢者のツケである980兆円を,現役層と将来世代がこれから必ず負わされることになる。
さらにゆゆしき問題は,この年金純債務額が,これまで財政検証のたびに膨張してきたことである。図表15は,各年の財政検証資料から年金純債務を計算し,その推移を示したものである15)。2014年以降は共済年金分が加わっているため単純に比較できないが,その分を差し引いても,前回(2019年)の財政検証までは年金純債務額が膨張していたことがわかる。なぜ,膨張を続けてきたのかと言えば,それはもちろん,マクロ経済スライドによる年金カットが予定通り進まず,年金の過剰給付が続いてきたからである。そして,財政検証のたびにスライド調整期間を長引かせて,改革を先送りしているからとも言える。今回は,前回の財政検証時の1100兆円に比べて,年金純債務額は980兆円と減少した。前回と今回の経済前提の値が異なる【209頁】 ため,必ずしも単純比較はできないが,やはり,この5年間の運用増や就業率拡大による積立金増加が大きく貢献しているものと思われる。しかしながら,依然として980兆円の年金純債務は膨大な金額である。今後も改革の先送りを続けていては,年金純債務のさらなる減少は期待できず,現在の現役層および将来世代に,大きな負担を迫ることになるだろう。その意味でも,マクロ経済スライドの強化策や支給開始年齢の引き上げといった給付カット策を実施し,図表13でみた年金の過剰給付を小さくしてゆくことが重要である。