集団的共同消費サービスにおける内部相互補助の役割
──ベイズ確率とナッシュ交渉解による分析
南部 鶴彦
国民の日常生活や企業の生産活動はインフラストラクチュア(インフラと略す)あるいは社会的共通資本と呼ばれる共通基盤に依存していることは言うまでもない。しかし同時に消費者や企業がインフラを有効に活用するためには,需給のマッチングがスムーズになされるようなインフラ投資と更新とがなされていなければならない。例えば電球は必需品の一つだが,送配電線やコンセントがなければ経済的価値を持たない。PCは電力の供給と通信ネットワークが存在しなければ,保有する価値はない。
我々が電気製品や通信装置を購入するのは,いつでもどこでも利用可能な電力ネットワークや通信ネットワークがあり,それが信頼できるレベルに維持されていると確信しているからである。一方電力キャリアや通信キャリアがネットワークを維持し続けるのは国民が電力や通信の設備を保持し安定的に使い続けると確信しているからである。このような相互信認(与信)を与え合う関係は共軛(役)関係(conjugate relation)と呼ばれる。すなわち2つのactivityがあって一方のactivityが他方のactivityと相互に不可欠な関係にある状況を指す。インフラはどのような社会体制であるかを問わずコミュニティの維持に不可欠であり,市場経済システムでは電力や通信,水道,運輸,そして医療などが社会共通資本として存在してきた1)。しかしそれは時代的な変遷を見ると経済的に「公共サービス」や「公益事業」の概念が当然のものとしてレゾン・デートルを主張できた時代のことであった。1980年代以降の規制緩和(deregulation)や市場原理主義などで力を増した一連の思潮では「公共」や「公益」とは,市場を通じて供給される財・サービスとの対立概念となり,ときには過去の遺物つまり”anomaly”と見なされることもある。それと軌を一にして経済学の一部からは内部相互補助(cross subsidy)とは経済システムから排除されるべき制度あるいは概念とされているのを見受けることもある。この論考は「共軛」という概念の役割が正当に理解されれば,社会共通資本における内部相互補助という制度的な工夫は社会的共通資本の存続と不可分なものであることを解き明かそうとするものである2)。本稿は集団的共同消費サービスの性格がもっとも顕著に出る電力産業を中心に分【230頁】 析がなされている。電力産業では「電力システム改革」が今世紀初めから進められ,現在は新しい枠組みの下に制度の運用段階に入っている。「改革」ではかつての電力供給の特徴であった垂直統合をアンバンドルして発電と送電が分離された。この結果発電市場での競争の推進とともに,分断された発電部門と送電部門の円滑な連携により,瞬断のない電力の供給の均衡を実現しようとしている。この手段として入札制度に依拠した卸市場・需給調整市場・容量市場などが創設された。一方電力会社は地域独占のステータスを失うとともに,「供給義務」という足枷を免れることとなった。つまりかつての電力産業における赤字解消の手段であった内部相互補助の仕組みは制度的に撤廃された。この論文では,集団的共同消費型の産業では内部相互補助がどのような機能を果たすかを明示することにより,「アンバンドリング」のもたらす制度的合理性を判断する材料を提供しようとするものである。
1930〜40年代は理論経済学の分野で平均費用逓減(declining average cost)という現象と限界費用による価格づけ(marginal cost pricing)というテーマについて活発な論争が行われた時代であった。Hotelling(1938)は公益事業における料金設定は限界費用に依拠すべきであり,不可避的に発生する赤字は課税という外部補助によって解決すべきだとしたが,これに対する賛否両論が戦われた3)。Coase(1946)は課税(その方法は様々だが)による赤字補填は資源配分上も所得配分上もさらに歪みをもたらすとして,公益事業内部での料金設定の工夫(multi-part pricingあるいはtwo part pricing)により,赤字を解消させるべきだと主張した。コースのアイディアは固定費の大半を占める共通費について,公益事業サービスの利用者相互で費用の分担をし,赤字を内部的に処理することができるという主張であった。これに対してVickrey(1948)は,共通費の配分をコスト・ベースで行おうとしても,利用者間での費用負担は恣意的なものでしかないという点を指摘した。
以上の議論では平均費用低減の条件の下では,限界費用が平均費用以下にならざるを得ないので,限界費用料金原則をとるなら赤字は不可避であるという論点を中心としている。この赤字を外部(課税あるいは政府介入による)補助によるかそれとも利用者全体として相互に補助する(cross subsidization)という内部補助によるかというトレード・オフが論争の中心にあった。しかしそれ以降の議論の焦点は,反トラスト法から公益事業をどう見るかという視点に移り,同じ内部補助という用語が,公益事業サービスのサービス品目間で,あるサービスの赤字を他のサービスの黒字で補填するという価格差別(price discrimination)の問題へと移行していった。つまり当初の”declining average cost”というテーマよりも,価格差別のもつ資源配分上のロスかそれとも「公共性」の高いサービスに積極的に補助をしてサービスの普及をはかるかという問題が主流となっていった。その一例がかつての電話産業(wirelessは存在せずwirelineしかなかった時代)で,電話の積極的な普及のためには,市内電話料金を低廉にして市外電話料金からその赤字を補填するというのが望ましいか否かという論争であった。限界費【231頁】 用価格づけについての論究はかつてのようには活発ではなくなったが依然としてFishmann&Hogendorn(2015)に見られるように現在も継続的になされている。しかし本質的な平均費用と限界費用の乖離から生ずる赤字問題については議論されることは少なくなっている。
本稿は本来の視点に立ち戻って価格差別問題としての内部相互補助ではなく,平均費用逓減と限界費用の基本的な関係について焦点を当てる。「公益事業」という伝統的な用語法にとらわれず,集団的共同消費という観点に立つと,ここで供給される財の特性からいかにして赤字の補填を行うかという問題は極めて本質的だと思われるからである。又は内部相互補助でヴィクリーが問題とした共通の配分問題については,共通費配分の一つの方法としてベイズ確率を応用してナッシュ交渉解における交渉の不一致点を定式化し,ナッシュ交渉解が事業内部のメンバーによる協調を可能にする十分条件となることを論じる。
本論文の構成は以下の通りである。
まず集団的共同消費の特質が正規分布で表現できることを示し,標準正規分布を用いて異なるタイプのサービスであって可換的に分析可能であることを示す。共同消費サービスは確率的に変動するという性格を持ち,これを時間的にベースとピークの需要(ロード)に分けて考えることができる。このときピーク需要はベース需要を前提として成り立っている。しかしベース需要には限界費用で価格づけ(marginal cost pricing)すれば,不可避的に赤字が発生するという問題がある。この赤字部分をいかに補填するかという点で内部相互補助の果たすべき役割が問われる。そこで補助(subisidy)の方法についてナッシュ交渉解のアイディアを活用できるような不確実性下の内部相互補助のモデルを提示する。最後にこの分析の政策的含意と拡張について論じる。
3.集合的共同消費(mass collective consumption)
社会システムで消費者が「集団的」に共同消費するという特性を持つサービスの古典代表例は,電力や電話,ガス,水道,道路,運輸などであろう。一方ではインターネットの普及によってネット上で集団で共同消費される商品も次々と登場している。古典的なサービスもインターネットを介して一部のサービスは「バーチャル」に共同消費することが可能なものもある。しかしこの論考で対象とするのは,サービスの供給が巨大な物理的設備を必要とするもので,建設された設備がサンク・コストになるものに限られる。さらにこのような種類のサービスでも,消費者の側で自ら適合的な機器や設備を装備することが利用するのに必須の条件となるものに注目する。具体例を挙げれば,電気は電気商品や機器を用意しなければ役に立たないのに対し,鉄道や劇場あるいは病院などは利用者がそこへ行くという以外に何か機器を用意する必要はない(ものによってはそのエリアに居住するというコミットの仕方はある)。言い換えれば消費者がサービスを消費するのに,コミットする程度に決定的な差があるということである。「公益事業」─public utilities─が供給してきたサービスには,消費者が強いコミットを求められるタイプとほとんどそれが必要のないものが含まれる。前者は電力,通信,ガスなどに代表され,後者は多くの運輸サービスが当てはまる。強いコミットを要請されるものは同時に日常生活で間断なく利用されるという性格を持っている。すなわち我々の日常生活は,電力や通信のネットワークなしには成り立たない。以下で集団的共同消費としてこれらを念頭に置いて分析を進めるが,その他のタイプとの関連は後に触れることにしたい。
【232頁】さて電力や通信などのネットワークは膨大な数の利用者を持っている。従って利用者がどれだけ電力設備や機器あるいは通信機器を保有しているか,さらにその保有量に応じて何時間それを利用するか(1日,1月,1年などで)は確率的な現象となる。そしてこのような大集団は大数の法則(中心極限定理)によって利用の態様を正規分布で記述することができる。
一例として電力産業について見ると,利用者の数は膨大だから,利用者の保有するkW数は大数の法則によって正規分布するであろう。今,2種類の需要者について,正規分布するkW数を描いたのが次の図 − 1である(これはあくまでイメージ図であって現実のものではない)。
図 − 1で左側の分布は一般の家庭の利用者 − − 家計と呼ぶことにする − − の保有している電気機器の分布をkWで表したものである。右側の分布は産業用に保有されている設備の分布で企業の保有分布とする。(μ1,σ1)は家計の保有する設備の平均値と標準偏差,(μ2,σ2)は企業のそれである。
電力会社はこのような需要側のkW分布に対して,過不足なくkWを供給する(かつては供給義務であったが,現在は電力システム改革によって変更された。この点については結論の部分で論ずる)。したがって電力会社は供給システムを両者の合計を満たすように設計しなければならない。つまり電力会社の直面するkW数は次の正規分布で示される。
次の図 − 3は,任意の電力会社のあるエリアの1年間の電力使用契約(kW)の頻度分布を具体的に描いたものである。横軸では,年間最小の契約量から年間最大の契約量までを一定幅のkW で区切り,縦軸にはその区間における契約量が全体の何%に当たるかを示した頻度(度【233頁】 数)が示されている。さらに一定の区間の幅を微少に取るときには,頻度分布を連続型の確率密度関数f(x)で示すことができる。但しûはその期待値である。
巨大な電力ネットワークに加入している利用者がいつ・どれだけ電力を必要とするかはランダムに発生する確率事象である。つまり横軸の電力契約量Xは確率変数で,Xの微少変化dxを確率密度と呼ぶ。今確率密度関数をfXとする。Xがdxだけ微少変化するときには累積分布関数FXが定義できる。図−3の確率密度関数はある個別のケースを描いたものだが,これを規準化の手続きによって規準正規分布に変換できる。
図−4はとある標準化された正規分布について平均値μiと標準偏差σiを例示的に描いたものである。つまり個別の正規分布は規準化の手続きを行えばすべての(μi, σi)は平均値0,標準偏差1の標準分布に書き換えられる。すなわち,確率変数xの平均μ,標準偏差σについてZという変数を導入する。
するとZも確率変数で
そしてZは次のような確率密度関数を与える。
この標準分布を使えば,変数Zの値によって下図のように斜線部分で全体の何%にあたるかを示すことができる。期待値0の左右の面積は対称で50%ずつになっている。例えばZ=0.5のとき斜線部分は全体の約70%を示している。
電力サービスを例にとると,共軛関係が具体的にイメージできる。電力需要は時間帯によって大きく変動する。一般的には需要を時間的にベース・ミドル・ピークとに分けて考えるのが普通である。つまりベースとはほとんどの利用者が常時電気のスイッチを「オン」にしている状態で,ピークは特に電力を大量に必要とする事業者が特定の時間帯に発生させる需要である。そこでこの需要のパターンを図−6を用いて図示することができる。例えばベースは全需要者の50%が利用するときだとしたらそれは図−6のボカシの部分の面積で示せるし,ピークとは70%が利用するときだとしたら図の斜線部分がこれを示している。
電力供給側はこのように変動する需要に対して遅滞なく供給する必要がある。もしこのレス【235頁】 ポンスが大きくずれると,周波数に乱れが生じてときには電力システムがダウンし「停電」するという可能性があるからである。すなわち電力需要と供給とには,次図のようなマッチングのシステムが絶対的に不可欠なのである(これは物理的な要請であって独裁者でも変えることはできない)。
図−7ではt1という時点の需要が斜線部で示されるとすれば,電力会社はΔtという位相のずれは生じるが速やか(つまり周波数が大きく変動しない)にこの需要にマッチした電流を送らなければならない。
以上の事例から共軛関係という意味は明らかであろう。電力に限らず,電気通信でもガス事業でもこのような相互依存が存在する。この関係は図の右側のシステムが左側のシステムと写像あるいは単射の関係にあるとも言い換えられ,数学的な分析が展開できる4)。
共軛関係は言い換えれば,サービス利用者が供給側のシステム・ネットワークに”lock-in”されている状態あるいは反トラスト法的に言えば利用者が供給者に”capture”されている状態とも言える。したがって利用者が他に代替的な供給者や手段を見出しうるときには,共軛関係は弱くなる。
そのような意味で電力は最も強い例であろうが,比較可能な産業を挙げると次のようになる。
都市ガス・水道は利用者がサービスを利用できる場所が限定されていて加入者から基本料金が徴収できるという点で電力に近いと言える。
一方電話産業は,かつては電力産業と非常に近似した状態にあった。しかしワイヤレス技術(移動体通信)の登場によってワイヤラインに固定された電話は主役の座を譲った。また言うまでもなくインターネット技術によって電話はITC産業の一部になり,競争的産業の性格が強まっている。
他方,鉄道・航空・高速道路などは代替的手段が存在するので利用者の自由度は高い。しかしネットワーク型サービス供給という点からはピークとオフ・ピークの存在があり,ここでは料金制度の工夫が可能である5)。
集団的共同消費とは確率的に変動する需要に対して遅滞なく供給をマッチングさせることである。このときピーク時の需要はベースの需要を常に充足させることを前提として成り立っている。ここでは分析を単純にするためにミドルとピークの需要を合計したものをピーク需要と呼ぶことにする。
供給事業者はこの2つの需要を両立させるような資本設備を設計せねばならない。コストという観点からは最大の需要を満たせるような目標操業度を定めてそこでコストの最小化を計画しなければならない。図−4で示した標準分布について見れば,Zで積分すると最大の面積は1となるが,現実の需要の発生が1となることつまり電力利用者すべてが同時にスイッチをオンにするということはありえない。必ず「オフ」の状態にしている利用者がいるはずだからである。そこで供給事業者は確率的に需要規模を推定し,コストが最小となるような設計を行うだろう。すなわち,資本設備規模が与えられる時,コストが最小となる生産水準を目標操業度と定める。これは短期の平均費用(AC)と限界費用(MC)が一致する点に他ならない。
次の図−8においてコストが最小となるのは,ACとMCとが一致するX*という水準である。そしてこれが与えられた設備で達成すべき目標操業度となる。
図−8で発電量がXOのように小さいとき,ACはACO,MCはMCOである。もし供給側が平均費用ACOで価格をつければ単価は高く需要側の電力を利用しようとするインセンティブは著しく損なわれるだろう。逆に設備費を無視したMCOで料金をつければ,需要は喚起される。しかしそのときには,ACOがMCOを上回り,ACO−MCOだけの赤字が発生する。つまり供給者はジレンマに直面する。競争的な市場ではこのジレンマの存在が事業化を困難にするのである。一方公共サービスとして電力を供給するという立場からすると,財である電力はできる限り低廉で広く普及させることが目標となる。すなわち不可避的に発生する赤字を政策的に解消するというアプローチが必要である。
ここで発生する赤字と消費者余剰の関係を図−9によって分析する。需要関数は留保価格をとして直線で近似する。企業は赤字を発生させないために平均費用ACで料金を徴収するとすれば価格はPAである。このとき発生する消費者余剰の大きさは図の斜線部分のFである。一方料金を限界費用MCによって決めるとすれば料金はPM,生産量はXMとなり消費者余剰は3角形
βPMである(この面積を後にGとする)。
MCと需要曲線の交点XMはACが低下し続けているのでXAよりも大きい。そして赤字額HはαβPMδである。図−10で3角形αβφはDead Weight Loss(社会的純損失)である。この大きさについて見ると,価格弾力性は非常に小さいからXAからXMへの増加分αφは,XAまでの生産量と比べると無視できるオーダーでしかない。つまり3角形の面積は無視できる。台形PAγαδの面積はPAδがPA PMに比べて微少であるのでこれを赤字額Hに加えても変化は無視できる。この結果,限界費用価格PMが成り立てばそのときの消費者余剰の増分は台形PAγβPMとなる。つまり赤字額Hは限界費用価格PMのもたらす消費者余剰の増分と見做すことができる。
結論として平均費用価格PAによる消費者余剰Fと,限界費用価格PMによる消費者余剰の増分Hとの和が価格PMによるトータルな消費者余剰Gで
G = F + H
となる。
【238頁】
ここで内部相互補助というとき「内部」とは何かを図−10のモデルで考える。図−10で平均費用価格がもたらす消費者余剰は3角形γPAである。このときの留保価格
はACによって次のように表される。
αは留保価格がACをどれだけ上回っているかを示すもので留保率と呼ぼう。
すると3角形の面積Fは
となる。CAは生産量がXAのときの総費用である。一方赤字額は余剰額PAγβPMと見做すことができるのでその大きさHは
Fは価格がPAのとき保障される余剰だから,これにより赤字額Hが小さければ,Hを支払ってGを得るというインセンティヴが働く。
平均費用を微分すると次のことが導ける。
これを変形すると
平均費用の生産量に関する弾力性をθと呼ぶ。θ>0とするとここではACは減少しているので
これを用いて(4)を書き直すと
θは同時に次のようにも書くことができる。
つまりθは総費用に対する赤字額の比率であり「赤字率」と呼ぶこともできる。
(4)の余剰は(8)の赤字を上回らなければならないので(4)と(8)との間には次の関係が成り立たなければならない。
従って
共同消費のメンバーが赤字分を共同して負担する意欲があるためには,留保価格Pが平均費用を上回るゆとり「α」が十分大きくなければならない。
(10)の右辺でXMは常にXAよりも大だから
すなわちθについて
θは先述導入した赤字率である。赤字率はFのゆとり率を示すαの2分の1以下でなければならない。これが,集団のメンバーが内部相互補助をする意欲を持つための必要条件である。
このモデルではFという余剰は共同消費のメンバーである家計と企業が負担する。ではこの両者がどのように負担するのが合理的かについては,次節で検討する。
【240頁】国民経済として考えれば限界費用MCで生産することには2つの正当化すべき理由がある。第一に総余剰は価格をPMとすればFよりもHだけ大きくなり,効率性が最大となる。第二には電力や通信のような財はすべての生産物の素材をなすものだからその価格は生産物の価格に次々に転嫁(pass through)される。電力,通信などのコストが限界費用に基づいていればそれだけ国民経済的に効率的なコストが実現できる。
次節は外部補助に伴う政治経済的困難を避け,共同的消費を行う利用者が協調して自発的に赤字の補填を行い,最大の余剰Gを達成する一つのプロセスをベイズ確率の工夫とナッシュ交渉解とによって明示しようとするものである。
集団的共同消費サービスについて電力需要者同士が協力して限界費用価格を実現できるか否かゲームとして考えてみよう。電力を例にとれば需要者は大別すれば企業と家計とに二分できる。前者は電力を自社の製品を生産する為のインプットとして利用する。つまり電力はその他の素材と同じく中間財と見做される。一方家計は電力を生活を維持するための最終消費財として購入する。つまり両者は顧客として顕著な違いがある。そこで赤字分を負担するとしたら企業と家計は協調して互いに負担を納得的にシェアできるか否かを,ゲーム論的に分析する。このとき利用できる協調ゲームの一つとしてナッシュ交渉ゲームを採用する。もしナッシュ交渉解が成立するなら,プレイヤーである企業と家計は協調するメリットを持つことが証明できる。つまり協調して赤字額を分担するインセンティブを持つので,内部相互補助が成り立つ十分条件が得られる。
ナッシュの協力ゲームとして知られる2人交渉ゲームでは,交渉の結果得られる唯一の均衡解を公理的に求めることができる。ナッシュ解を得るのに必要な公理系を簡単にまとめると次のようになる6)。
@交渉解のパレート最適性
赤字を家計と企業が負担するというとき,どちらの負担も一方の負担が増えれば,他方の負担が必ず減るという条件を満たさなければならない。つまり両者にとってもはや改善が不可能な負担のあり方が求められる。
A交渉における当事者の対称性
交渉によって2当事者の得る効用は互いに等しい。つまり一方が他方を脅迫できるような力を持つことはない。
B交渉解の正一次変換からの独立性
交渉問題をパラメータによって一次変換し,別の交渉問題にトランスフォームしたとしても,解は変わらない。つまり2当事者の効用の尺度は変換によって影響されない。
【241頁】C交渉解の無関係な選択肢からの独立性
交渉解として得られるものは,今取り上げられている交渉問題を含むより大きな交渉問題を考えたとしても,その大きな交渉問題によって影響を受けない。つまり政府の介入などより大きなスケールで交渉がなされるとしても,ナッシュ解は独立にその中で成立している。
交渉ゲームを分析するにはまず「実現可能集合」と「交渉の不一致点」を定義せねばならない。プレイヤーは企業と家計であり,企業の交渉することの効用をuA,家計のそれをuBとしよう。交渉によって協調に成功するとき実現可能集合Uは
歴史的に公益事業の知恵として電力供給者が採用してきたのは,膨大な数の利用者がいるときは,赤字部分Hを基本料として個々の利用者に請求して1人当たりの追加支出が増加しても需要曲線の形状は変化しないようにできるだろうという想定である。今ユーザ数をNiとし,1ユーザ当たりの負担額をeiとすると
この公益事業型の負担タイプを前提とすれば需要関数の形状は不変と仮定する。
uAとuBが協力して実現しようとしているのは消費者余剰βPM = Gである。
すると次の制約が必要である。
一方交渉が決裂し協調が不成立となるとき価格はPAになるので,需要者側に帰属する利得はでFある。両者の取り分がdA,dBとすれば,
ナッシュ交渉解は以上のような条件の下で次のナッシュ積N
を最大化することによって求めることができる。
dAとdBとを当事者間でどのように配分すれば合理的かを次に考える。消費者余剰Gは需要者が保有する機器を「オン」の状態にして送電線網と接続したときにのみ発生する利得である。送電線は全利用者の共通設備だからオンの状態で送電線を需要者が共同で利用するのが必須の条件である。したがって共通費である送電線のコストを企業と家計でどのように配分すれば納得的かという問題を解かなければならない。一方限界費用で発電して消費者余剰を最大にするという条件は,送電線の稼働率を最大にするということを意味する。つまり送電線がもっとも混雑しているときの企業と家計の合理的配分比率を決めれば,交渉を始めるに当たって当初企【242頁】 業と家計の留保分dAとdBの比率を決めるルールが求められると考えてよい。
膨大な数の電力利用者がある時点に保有する電気機器のスイッチを「オン」にするという行動は,電力会社から見れば完全にランダムな事象である。したがって「オン」というランダムなシグナルに対して給電指令を下すには,確率的な事象を予測するという方法を採用せざるを得ない。このようなケースではベイズ確率を利用するのが有効である。そこで次のような単純なモデルによって,企業あるいは家計がある時点──ここでは送電線が最も混雑する時点を取る──で,スイッチをオンにして電力ネットワークと接続する確率を求める。
まず需要家は企業と家計の2種類なので,両者の電気機器保有量をkW数で測り,その比率を考える。例示的にこの比率を70%対30%として説明しよう。次に送電線混雑時に両者が機器を「オン」にするそれぞれの確率が過去データ解析によって下表のようにα,βで与えられているとする。
このような確率を与えられると,送電線が混雑しているとき,企業と家計のそれぞれが全体の共通設備において機器をオンにしているベイズ確率を計算することができる。送電線が混雑しているという時点で例示的データが上表で与えられれば,そのとき企業と家計とがオンにしている確率kはベイズ確率を用いて
と計算できる。
例えば一例としてα = 0.9,β= 0.5としてみよう。ピーク時に企業の機器は90%が稼働し,家計では50%が稼働しているとする。上式にあてはめるとそれぞれのベイズ確率は0.81と0.19となる。この例ではkW数から見て相対的により多くの機器を保有する企業が90%オンにしているのに対して,家計は機器の保有比率が小さくオンとする確率も50%であると仮定している。送電線の混雑をもたらす原因はベイズ確率で計算した「オン」の比率で判定するという立場からは企業は約81%の利得を得ていてその分負担をするべきと見ることができる。つまりこのモデルから,各需要者が共通費の何パーセントを負担すべきかという問題にベイズ確率によって答えることができる。
【243頁】企業と家計の間で協調行動を試みても協調が不一致に終わったときの各当事者の持分がdA,dBである。これだけの額を出資するとして,企業と家計は協調して合計総効用Gを最大化するというゲームに臨む。
そこでナッシュ交渉解を求めるという問題は
で表される。
このときの制約条件は
ただしkは前節で導入したベイズ確率であり,これによってFを配分している。
このuAとuBの持ち分に応じて,ナッシュ解を次のナッシュ積の最大化によって求める。
この問題を解くと
となる。
したがって企業と家計が協調して消費者余剰Gを最大化するというゲームをプレイすれば,どちらのプレイヤーにとっても最初の持ち分kFあるいは(1−k)FよりH/2だけ利得は増える。価格がPAでFという利得をシェアするよりもH/2だけ大きい利得が対称的に実現する。勿論この合計額Hは,公益事業では基本料などの定額支払いとして請求されている。しかしこのHを支払うことでFより大きいGという余剰が実現でき,ベース需要では平均費用より格段に安い限界費用でサービスを利用することができるようになる。
このナッシュ交渉解は思考実験だから,企業と家計がこのように行動するという保証はない。つまり協調すれば利得が増えるということの十分条件に過ぎない。
しかしながら現実の公益事業の料金政策を見ると,限界費用料金と基本料(固定チャージ)の徴収という2部料金によってナッシュ交渉解の考え方と同等のことが歴史的に実施されてきた。つまり現場の知恵が資源配分の効率化を補助する役割を果たしてきたのである7)
以上の分析から得られる主要内容は次のようにまとめられる。
1)確率的共同消費均衡
集団的な共同消費の特質は,大量のサービス利用がランダムに発生することから生ずる需要の二重構造である。それをベース需要とピーク需要(電力であればベース・ロードとピーク・ロード)に分けるとき,ピーク需要は同じ設備を共同利用しているのでベース需要を前提としてのみ成立する。
このとき設備は大規模で大きな固定費が必要なことから,生産・消費規模が小さければ限界費用は平均費用よりはるかに小さい。両者の乖離が大きいとき,限界費用で料金をつけて効率的な資源配分を実現しようとすると,大きな赤字が発生する。この赤字を共同消費メンバーが1人当たり支払い可能な範囲で負担して補填することができれば下図のようなベースとピークの2時点で確率的に均衡を達成できる。
ベース需要D1 D1(ここでは需要曲線を垂直としてある)とピーク需要D2 D2と限界費用の交点X1とX2で需給は均衡するが,D1 D1ではαβPMδだけの赤字が生じる。D2 D2は所与の設備規模における目標操業度を達成し,料金は限界費用および平均費用に等しい。
利用者間の協調が成立すれば赤字分を補填することができる。ナッシュ交渉解では交渉不一致点のモデル化が,交渉解の持つ妥当性を左右する。本稿では平均費用価格の与える消費者余剰をベイズ確率によって配分するというアイデアを提示した。共通費である送電線のピーク時における企業と家計の利用率の配分をベイズ確率によって決定すれば,ヴィクリー以来の共通費配分の恣意性を排除できる。利用者間の協調によって内部相互補助が可能となる十分条件を与えることができた。
2)この分析では確率的な共同消費に焦点を当て,供給側は確率的需要の変動にマッチするということを前提としている。これは電力について言えば,電力システム改革以前の電力会社に供給義務が課せられていた状況のシミュレーションと言ってもよい。電力自由化以【245頁】 後は供給義務が撤廃されたので,上述のような需給均衡は種々の市場の創設と入札制度によって解決が試みられている。内部相互補助は投下された資本の固定費の回収を保障するものだから,これに代替するには創設された市場の機能が安定的投資を可能にするように働く必要がある。しかし現在までのところ,容量市場では入札価格を安定させることが難しく長期的な電源投資が確保できるかが不透明であり,又予備電源制度が提案されてはいるが機能しないまま再検討するというような状況が続いている。確率的な性格を持つ共同消費サービスについて,目標とすべきは限界費用による資源配分をいかに達成するかである。制度として効率的な市場を設計する試みでは,現状のシステム改革に何が欠けているかを議論しなければならない。
3)確率的に変動する需要にマッチングする供給−いわゆる「同時同量」と呼ばれる−にはどのように努力しても時間差が生じる。これが図−7で示したΔtという位相のずれである。位相のずれは電力に限らず集団的共同消費ではどのサービスについても存在する。本稿でこれについて立ち入らなかったのは,これを本格的に分析するには,複素数や外積という概念を導入しなければならないからである8)。これらを利用できると,実は「共軛」という概はより強力なツールとなる。そして外見上異なるように見える運輸サービスでも,集団的共同消費の一角の地位を占めることができる。
4)内部相互補助における赤字補填という工夫は,公益事業の歴史においては「レート・メイキング」という主題の下に100年近く前から論じられてきたものである。19世紀末から公益事業サービスを国民に普及させるためには,1回あたりの使用料金(限界消費料金)をできる限り安くすることが市場の開発に必須であった。そこで集団消費に加入(サブスクライブ)する権利金あるいは保証金として,基本料などの一括一時払い料金が導入され,現在に足るまで存続している。自由化によって地域独占形態は解消されたとしても,1回当たりの利用料金を低くする工夫としてこれは有効である。実際最近のトレンドとして流行している「サブスク」という支払い方法は,対象が公共的なサービスとは異なるとは言え,高価な商品を購入せず1回限り楽しむという目的で人気がある。つまり,経済分析上は留保価格率と赤字率という形(前出(11)式あるいは(13)式)で論じたが,この条件が成立する場は意外に多く,現実に存在している。
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岡田章(2021)『ゲーム理論 第3版』 第8章 2人交渉問題
北久一(1974)『公益事業論』(東洋経済新報社)
南部鶴彦(1983)『日本の公企業』(岡野行秀・植草益編東京大学出版会)第3章価格pp.66-78
───(1994)『宇沢・茂木前掲書』第2章「公益事業の概念と社会的共通資本」pp.47-69
───(2010)「社会的共通資本としての持続可能な医療システム」保健医療科学vol.59,No.1,pp.2-9
───(2022)「経済学の視点から見た電磁気学の電場メカニズム」学習院大学経済学論集 第59巻3号
───(2025刊行予定)「集合的共同消費サービスとしての「公益事業」──電力産業の需給メカニズム」(仮題)