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公開: 2011年8月26日 / 最終更新日: 2011年9月4日
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放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説

甲状腺等価線量と実効線量について」の旧バージョンについてのメモ

これは、解説ではなく、私がまちがったことを書いてしまったことの記録です。普通の方がご覧になっても得るところはないと思います。

誤りの要点

前バージョンでは、
E. Cardis et al, Cancer consequences of the Chernobyl accident: 20 years on
J. Radiol. Prot. 26, 127 (2006)
雑誌の web ページ から pdf ファイルを入手可能)
にあるデータをもとに EAR(過剰絶対リスク)を評価し、それを使って、今回の事故での患者数の上乗せの試算をおこなった。

その際、まず、被ばくのない状況での発症率を知るため、論文 p132

By 1995, the incidence of childhood thyroid cancer had increased to four per 100 000 per year compared to 0.03-0.05 cases per 100 000 per year prior to the accident.
を参照し、「10 万人あたり、年間 0.05 人」をベースラインの発症率とみなした。

そして、論文の Table 5 にある ERR(過剰相対リスク)をこれにかけることで、発症者の数を見積もれるだろうと考え、「甲状腺等価線量 1 Sv の被ばくをすると、発症率が 1 年あたり、10 万人に 0.5 人になる」とした。


しかし、この解釈は、同論文の他のデータと矛盾することを牧野淳一郎さんにご指摘いただいた(以下の例は、牧野さんの書いたものそのままではない)。

たとえば、Table 5 をみると、ベラルーシとウクライナの 1620 000 人のうち、1990-2001 のあいだの発症者が 1089 人。 つまり、「1 年あたり 10 万人に 6 名」である。上の結果とあわせると、これは 10 Sv 以上の被ばくに相当してしまう。しかし、さすがにそこまで被ばくはしていない(Table 3によると、ベラルーシ全体では、子供の被ばく量の平均は 0.15 Sv)。

あるいは、上に引用した患者数の増加をみても、 0.03-0.05 が 4 になったのだから、100 倍である。 ERR/Sv =10 としても、これは 10 Sv 程度の被ばくになるから、やはりおかしい。


間違いの原因は(これも牧野氏に教えていただいたのだが)、「10 万人あたり、年間 0.05 人」をベースラインとして、Table 5 の ERR と比較したことだ。 「10 万人あたり、年間 0.05 人」は(この地域での)幼い頃の発症率だが、これは年齢とともにあがっていき、そのうち「10 万人あたり、年間で数名」になる。 いっぽう、Table 5 にある ERR は「子供の頃に被ばくした人が、生涯で甲状腺ガンになるリスク」に関するものなのである。

このように解釈すると、いろいろな数字のつじつまがあう。


これに関連して、本文で引用した Jacob et al. のほか、外部被ばくによる甲状腺ガンの発症について詳しく調べた
E. Ron et al., Thyroid cancer after exposure to external radiation: a pooled analysis of seven studies
Radiat. Res. 141, 259 (1995)
も参照した。 これは、随所で引用されている論文で、信頼性は高いと考えられる。

この論文によると、1 Gy あたりの ERR は 7.7 であり、EAR は 1 Gy あたり、年間 1 万人に 4.4 人(これは Jacob et al. よりも高い)。 ここから逆算するとベースラインの発症率は、年間 10 万人あたり 6 人というところ。 これは明らかに子供の数字ではないから、ERR が「生涯での甲状腺ガン発症のリスク」に対応したものであることが裏付けられる。


以下は、以前の誤りのあるバージョンの記録である。

チェルノブイリ事故での甲状腺ガン発症率の増加(ここでの評価は誤っています!)

上に書いたように、チェルノブイリ原子力発電所の事故の後には大規模なヨウ素 131 の内部被ばくがあった。 このため、小児の甲状腺ガンという、きわめて珍しい病気の発症率が大きくあがった。

以下では、論文

E. Cardis et al, Cancer consequences of the Chernobyl accident: 20 years on
J. Radiol. Prot. 26, 127 (2006)
雑誌の web ページ から pdf ファイルを入手可能)
に従って、この際の甲状腺ガンの発生率をみておこう。

上記論文の Table 5(134 ページ)の右端の欄に、複数の疫学調査から得られた、ヨウ素 131 の内部被ばくによる甲状腺ガンのリスク係数がまとめられている。 ここにある数字は甲状腺等価線量が 1 Gy(1 Sv と等しい)のときの甲状腺ガン発症の過剰相対リスク (ERR = Excess Relative Risk) である。 ERR の評価は研究によってばらついているが、だいたい 5 から 7 といった値で、一つ 18.9 というのがある。 ここでは、仮に(少し大きめに見て)ERR を 9 としよう。 ERR が 9 ということは、被ばくのために、もともとの発症率が 10 倍されることを意味する(この場合、10 が相対リスクで、そこからもともとあった 1 を引いたのが過剰相対リスク)

同じ論文の 132 ページには、被ばくがなかったときには甲状腺ガンの発症率は「1 年あたり、10 万人に 0.03 から 0.05 人」とある。これも多めにとって、「10 万人に 0.05 人」としよう。 甲状腺等価線量 1 Sv の被ばくをすると、これが「1 年あたり、10 万人に 0.5 人」に増えることになる。 比率で言えば、\(5\times 10^{-7}\) つまり 0.00005 % だった年間の発症率が、10 倍の \(5\times 10^{-6}\) つまり 0.0005 % に増えるということだ。 発症率の上乗せ(過剰絶対リスク)の言葉にすれば、

甲状腺等価線量 1 Sv のヨウ素 131 の被ばくで、甲状腺ガンの年間の発症率は、0.00045 % 上乗せされる
ということになる。

今回の事故での発症率増加の試算(この試算は誤っています!)

今回の原子力発電所の事故で、どの程度のヨウ素 131 の内部被ばくがあったのか正確なところはわからない。 5 月の調査により子供に甲状腺等価線量で通算 35 mSv の内部被ばくがあると評価されたという報道があった。 この数値をどこまで信じていいのか分からないのだが(難しい測定なので、実際にはもっと低いかも知れない)、これと上の論文の結果をもとに甲状腺ガン発症のリスクを評価しておこう。

言うまでもなく、35 mSv というのは、チェルノブイリの事故後の内部被ばくに比べたら桁違いに小さな量である。 上にまとめたルール(および、「過剰リスクは被ばくした線量に比例する」といういつもの仮定)を使えば、この内部被ばくによる年間の甲状腺ガンの発症率の上乗せは、\(0.00045\%\times35/1000\simeq 0.000016\%\) ということになる。 つまり、1000 万人がこれだけの内部被ばくをしたとして、平均で、年間で 1 人か 2 人の患者の増加があるという数字である(もちろん、今の状況では統計的に意味はない)。

よって、以上の考察が信頼できるなら、今回の事故におけるヨウ素 131 の内部被ばくで小児の甲状腺ガンが増加する心配はまったくないと結論される。 これはきわめてうれしい報せだ。


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