日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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2/1/2001(木)

驚異の採点マシンと化す。

辛いのですが、さっさとすませてこそ、時学期の講義の構想をじっくり練ったり、やりたい研究に時間を割いたりできるというもの。

返却マシンと化すのは、集計マシンと化した後ですので、ちょっと待って。


と、そこへ、某出版社からお電話。
田崎:   えっと、締め切りはいつでしたっけ?
編集の方:(憮然として)もう過ぎています。
ううむ。 たしかに、依頼書を発掘してみると、締め切りはかなり前であった。 それなら、適当な時期に、e-mail をくださるとか、たとえ電話が留守番電話でもメッセージを残していただくとかしていただければ少しでもご迷惑をおかけする度合いが少なかったであろうものを・・ きちんと一度ご連絡いただいたのを失念していたのは私の不徳のいたすところ。 よって、これより原稿書きマシンになります。
2/3/2001(土)

締切タイムリミット(←しつこい)を過ぎた原稿の仕上げ。

やっぱ、企画が性に合わないなあ・・・ などと言っても引き受けたのだから文句は言えない。 分量は思っていたよりもずっとずっと少なかった(400字詰め10枚って、誰が原稿用紙に書くんだろ?(あ、確かに執筆者には、老大先生もいらっしゃるか))ので、後はいかに縮めるか。

あ、今日は拙文、もとい、節分ではないか。 家に帰って豆をまこう。


さて、すでに早川さん(日記 1/31)や佐々さん(日々の研究 1/31)が話題にしているので出遅れた感がある(「感がある」のではなく、本当に出遅れているのだが)けれど、前(10/5/2000)にお会いしてお話を聞いたときのことを書いた川崎恭治先生が、Boltzmann Medal を受賞されることになったそうだ。 すばらしいことである。 心からお祝いを申し上げます。

さて、Boltzmann Medal というのは、読んで字の如く、Boltzmann を記念して作られた統計物理学の賞で、前回までに12人の人が受賞している。 (受賞者一覧; うれしいことに、この中の何人かには、じかに接することができた。 Lieb は、ぼくの Princeton 時代のボスです。(ぼくの生涯での唯一の仕事上の直接のボス。)) どの受賞者も、単に重要な業績を残したというレベルを越え、統計物理学の歴史を築いてきた素晴らしい人たちである。 賞の人選というのは、いろいろとデリケートなものだが、このメンバーについては、おおむね不満はない。 (誰それがまだなのに、誰それがもらってるのか、といった細かいことはあるけど。) ここに川崎先生のお名前が加わるのは、きわめてもっともなことだと思う。

普段は謙虚さのかけらも見せないぼくですが、自分がやってきたことと、これら Boltzmann medal の受賞者らの業績とを比べると、まったく足下にも及ばないと感じることは素直に書いておこう。 (そんなこと聞くまでもない、比べるだけ不遜じゃとお思いでしょうが。) ぼくにも、自分で気に入っている仕事は二つほどあって、どちらも、ちょっとした新しい場所への道を開いたと(自分では)思っている。 でも、やっぱり、全然およばないのであった。 二つしかないから、とかいうのではなく、みんなを新しい世界に連れていってくれるような(←単に流行をつくることを言っているのではない!)仕事たちとは、やっぱり、残念ながら、質がちがうのだ。

いや、もちろん、そうやって謙虚になっているばかりでなく、あきらめずにがんばるつもりです。 (賞を目指したりはしないけど。) 理論家としての限界タイムリミットは、まだまだ先のはず。


2/4/2001(日)

きのう(2/3)、自分の仕事と Boltzmann medal 受賞者たちの仕事を不遜にも比較し、足下にも及ばないという自明な感想を述べた。

言い訳っぽく聞こえることを恐れずにあえて言ってしまうと、実は、これはぼく一人にかぎったことではないかもしれない。 統計物理学全体の動きを見ても、過去の堂々たる成果に比べると、どうもここ二十年くらいの進展は、ぱっとしないなあという気がしてしまうのだ。 (やっぱり、言い方がまずいなあ。 「ぱっとしない」とは言っても、ぼくの仕事なんかやはり足下にも及ばない素晴らしい仕事がいっぱいあります。 当然ながら。) もちろん、過去の成果というのは、時代の流れのなかで、選りすぐられた優れたものだけが残っているということはあるし、近い時代の仕事の真価は見抜きにくいということもあると思う。 しかし、そういう事情を差し引いても(正確には、差し引いたつもりになっても)、最近の統計物理学は、細かく趣味的に、悪く言えばオタク的になっている、という印象がぬぐえないのだ。

特に、ぼくの(そして、これの読者のほとんどが)暮らしている日本の状況をみると、きわめて残念ながら(かつ、言いにくいことだけれど)、統計物理学は猛烈に細分化していて、その多くの部分は相当に些末・趣味的になりつつある(というか、既になっている)と思う。

統計物理学というのが、理想的には、どういう分野たるべきか、ということについては「熱力学 --- 現代的な視点から」のなかの以下の節分、もとい、拙文を見ていただきたい。

統計物理学とは、一言でいえば、大自由度の物理系において、ミクロな理論を出発点にしてマクロな現象や法則を論理的に導出する営みである。 統計物理学の研究とは、特定の方法論や対象には拘束されず、科学の世界を幅広く見渡し、ミクロな世界とマクロな世界の(普遍的な)構造の間の精妙にして驚きに満ちた関係を、卓抜な理論的なアイディアによって探っていくことであると著者は考える。 それは理論的には極めて困難であり、しかしそれに見合う以上に興味深く意義深い研究分野である。 (強調は、引用者による(って、引用者は作者だけど))
残念ながら、日本の統計物理学の研究者の多くは、まさに「特定の方法論」あるいは「特定の対象」、場合によってはそれら両方に拘束され、それ以外の物理にあまり目を向けなくなってしまったように(ぼくには)見える。 広い物理学全体のなかで見ればせまーいせまーい統計物理学のなかでさえ、お互いのやっていることがさっぱりわからないという寂しい状況が訪れつつあると恐れる。

統計物理学を心から愛し、かつ、重要だと思っているぼくにとっては、とても悲しいことだ。


統計物理学の活気が失われてきたのと同時進行的に、統計物理学と物性物理学の乖離が進んだように見えることも無性に気になる。 ここで、統計物理と物性物理のどちらが先に背を向けたかなどということを論じても意味がない。 でも、ほぼ明白な事実として、統計物理と物性物理のすき間はどんどん広がっている。

統計物理の側では、きわめて豊かな研究分野であるはずの固体電子論に明白に背を向け、スピン系やかなり特殊な「非線形」問題に趣味的にのめり込む傾向が目に付く。 スピン系の一部は既に完全な閉塞状況に入っていると思うし、「非線形」の一部からは「複雑系」のような問題の多い分野さえ生まれている。

一方、物性物理の側にも、露骨に統計物理的なものから離れていく傾向がある。 明らかに、基礎物理学として意味のある奥の深い研究が下火になり、中途半端に応用を目指した職人的な研究ばかりが行なわれるようになってきている。 ぼくは、応用研究が悪いというつもりはない。 本格的な応用から、物理的アイディアを重視する基礎研究までが、地つづきで一連に連なり、(物への「愛」を軸に!)生きた相互作用をする状況こそが理想的な物性物理のあり方だと信じている。 だからこそ、もっとも物理学的な部分が弱体化して、少なからぬ人々が「新物質」といった流行のキーワードを安易に口にする(ように、ぼくなんかには見えてしまう)状況はきわめてアンバランスで危険だと思っている。


というわけで、休日の夜に書く web 日記の割には話が大きくなってしまったが、状況はきわめて深刻なのだった。 統計物理学の不振には、統計物理全体の沈滞だけでなく、基礎的な物性物理学の空洞化という大きな流れまでが関わっている。 どこかメジャーな大学に統計物理学の優れた研究室が生まれればそれで解決する、といった生やさしいものではないのである。

こう書いてくると、ひたすら絶望的になるしかないような気になってしまうけれど、それは単に安易な逃げ道だろう。 きっと、ぼくはひねくれ者なので、こんな現状分析は悲観的に過ぎるにちがいない。 そして、何と言っても声高に主張しなくてはならないのは、この統計物理の不振は決して本質的なものではないとぼくが信じていることだ。 統計物理学が、物理学において独自の位置をしめるきわめて重要な研究分野(というより研究の姿勢)であるという事実は、世紀が変わろうと、微塵もゆらぎはしないはずだ。 現状の不振は、単に一時的な、そして、半ば社会学的な現象なのだ、と言い切ってしまおう。

物理学者が、世界のなかから美しい普遍的なものを見いだす感動を追い求めつづける限りは、休日の夜に書く web 日記の割には話が悲壮になりすぎだけど、統計物理学が本来あるべきすばらしい姿に戻る日がかならずやってくると信じている。


ふう。

何かにとりつかれたみたいに一気に書いてしまった。 ぼくが考えていることを正直に書いたのですが、話が話だけに、軽率に書いてあって誤解を招くところもあるかもしれません。 お気づきのことがあればご指摘ください。 (実は、読み直して、何カ所か修正した。)

いずれにせよ、大騒ぎして世を憂うだけでは、どうにもならないですね。 けっきょくは、あきらめずに、自分にできることとできないことの境界くらいのことをがんばってやっていくしかないのでしょう。

というわけで、今夜は寝ます。


2/6/2001(火)

宿題片づけモードに入ったので、簡略に。

メールに返事を差し上げていない方、もうしわけありません。

先月やっていた砂山の静力学の解の分類を、忘れないうちに手書きの汚いノートにまとめる。 公開する意味もないと思うけれど、隠しておくこともないので、ここで公開。 ただし、イントロも何もないので、この問題にすでに興味を持っている人以外には価値なし。(興味を持っている人にも価値があるかどうかは知らない。)


2/7/2001(水)

いろいろとよく働いている。 来週は入試だ。


また別の出版社から催促。 たしかに締切が過ぎていた記憶が。

発掘すると、締切は 2000 年 5 月。 これは、過ぎてる・・・

同じものに関して、もうひとつも発掘。 こっちは、2000 年 3 月。 ちょっと、過ぎてるっぽい・・・ (辞典なので皆さん遅いのですよ。)

書きます。


2/8/2001(木)

本の人気投票らしいですが、拙著が健闘しております。 (昨日は1位で、今は2位。) 投票してくださったみなさん、ありがとうございます。

とはいえ、ちょっと本に偏りがありすぎるし、1位がチャート式というのも複雑な気分。 (どんな本か知らない。いい本なのかもしれない。) ぼくの本には入れないでいいですから、もうちょっと、普通のランキングらしくなるように投票してほしいものだ。 ちなみに、ぼくは Dirac に清き一票を投じてきました。 (教育的な本だとは思わないが、個人的に好き。)

これについて、某所にて、「田崎氏はシンパに投票させているのか」との疑惑の表明があるのを発見。 (ついレスポンスを書き込んでしまった。はじめての×ちゃ×ねる) そんなキャラだと思われているのか・・


2/9/2001(金)

この前の雪(1/27)のときに誰かが作った雪だるまのなれのはてが、まだ融けきらずに残っている。 まったく、世の中、熱平衡などとはほど遠いではないか。

と思いつつ、よく考えると、雪だるまのなれのはてに心があれば、「おまえのように常に化学反応をして環境の温度よりもずっと高温を保ち続けているような奴に言われたくないわ」と思うであろう。 われら生物はまさに「歩く非平衡系」であった。 (平衡系は歩かないって。)


きのう本の人気投票を紹介したら、その直後に、ぼくの本が1位に返り咲いてしまった。 結果的に、シンパ(??)の投票を誘導させることになり、ぼくはそういうキャラだったということになってしまったか。

しかし、さっき見たら、色々な有名な本が入っていて、それらしくなってきているので、うれしい。

朝永「スピンはめぐる」は、やっぱり、いい本ですね。 ぼくは学生時代に、ろくに量子力学を知らないときに読みかけて、昔の人がいろいろ混乱しながら量子論に迫っていく過程を見せられているうちに、こっちも混乱してしまったので、読むのをやめてしまった。 その後、ちゃんとスピンとお友達になってから読み返してみたら、余裕で読めてとても楽しかった。 そういう読み方の方が気楽かもしれない。

タイトルの付け方も好きで、ぼくは「スピンはゆらぐ」と「スピンはそろう」という題の解説を書いているのだ。 (実は、ぼくの友人の W が、大学院生時代に「スピンはころぶ」という一部で有名になった解説を書いていて、ぼくはそれをパクったというところはある。)


2/10/2001(土)

先日、今年の物性若手夏の学校(ホームページ)の準備を担当されている学生さんからメールがあり、「夏の学校の歴史」というコーナーで、むかし夏の学校に参加した人々の話を聞くという企画をするので、質問に答えてほしいとのこと。 「わしも、歴史を語るとしになっちまったのか。 まだまだ若いつもりだったのじゃがのお。」と思いつつも、若い人からのこういうお誘いは大切にしたいので、×××××や×××××や×××××よりも優先して、回答をつくったのだ。

以下、担当の方の了承をいただいているので、すべての質問と、それへの私の回答を一挙に公開。

われながら、長いけど、これでも、最後は短くおさえたのである。


・参加されたのは第何回(何年)ですか?

×回(× 年)
「M1 は全員行くものだ」と研究室の人に言われて、ともかく参加。 着いてみると、天気は悪いし、同じ大学の人はわざと別室にするとかいう押しつけがましい管理主義的な方針で、気分が悪かったのを覚えている。

でも、たしかに、知り合いもできたし、講義やゼミもそれなりに面白かった。

× 回(× 年)
準備局メンバーとして参加。

× 回(199x 年)
サブゼミで量子スピン系の講義をさせていただくことになり、参加。

このときの講義を聴いてくださった方のなかから、その方面の研究を本格的に手がけるようになった人も複数いるので、それなりの意味があったように思う。後日、講義ノートをまとめて物性研究に出版して、これも、割と読んでもらっているみたい。

ただし、このときの準備校は(も)かなり管理主義的で、食事をするにもあらかじめもらったチケットにはさみをいれてもらわなくてはいけないし(二度食いする奴いるか??もし、どうしても腹が減るんだったら食わせてやればいいじゃん)、さらに悪いことには、サブゼミや講義についても、入り口に係りの人がいて、またしてもカードか何かをチェックしてから入る仕組みになっていた。最初に出ると決めた講義やサブゼミに出続けなくてはいけない、ということらしい。夏の学校なんだから、出入り自由で、聞きたいものを聞きたいときに聞けばいいのだ。せっかくの若手夏の学校でまでそんな風に管理するなよ。それに、担当のゼミの入り口で「見張り」をさせらている準備校の学生さんがすごくかわいそう。準備をやっている人たちも、よっぽどのことがないかぎりは、普通の参加者と同じように、聞きたいものを聞いたり人としゃべったりして過ごすべきなんだ。物理っていうのは究極的に限りなく自由な学問なんだから、それを学ぼうっていうのに、こんな管理主義的じゃやだよ --- という風に、かなり頭に来たのであった。(なんか文句ばっかり。でも、今でもこれは愚行だと思っている。)


・校長をされていたとおうかがいしていますが、夏の学校の運営にたずさわるようになったきっかけは何ですか?

進んでやったわけではないです。

ぼく自身は、一回でれば十分だと思っていて、もう行く気はなかった。 ところが、一年上の人が、×年の夏の学校に出席して、勝手に東大が準備校をやることを引き受けてきて、しかも、その直後にどこかの助手になって「田崎君頼むよ」かなんか言い残して、いなくなってしまったのだ。 二十年近くたってもひどい話だと思う。

今さら断るわけにはいかないし、当時の大学院の物性関係のメンバーを眺めて、これは、やはり院生の集中している統計物理・物性理論関係の研究室のメンバーでやるのがもっとも能率的だと判断。 (e-mail なんて、ごく一部の高エネルギー実験家だけが使っていた時代。遠方との連絡は、電話か郵便だった。今とは事情がまったくちがいます。) しかたなく、ぼくらが準備をする決断をしたのでした。そういう意味で、ちっとも「美談」ではないのです。


・夏の学校の運営をやって楽しかったこと、大変だったことは何ですか?

大変だったことは、多いはずですが、忘れました。

「楽しかったこと」には色々なレベルがあります。(伝説と化した「シュレディンガー音頭」がはじめて大勢の人の前で披露されたとき司会のマイクを握っていたこととか。) あえて、かっこいいことを言えば、夏の学校の運営に、ぼくたちなりの考えやカラーを持ち込むことができたことでしょうか。

たとえば、ぼくらが担当するより前の夏の学校には、いわゆる「政治的な」話し合いをする場もあって、何か「決議」みたいなのをあげたりしていたようです。(よく知らない。)しかし、これは完全に形骸化しきっていて存在意義がなかった(と、ぼくたちは、思った)。それで、ぼくらは、あっさりと総会を廃止し、そのかわり、全参加者が集まる飲み会的なものだけを開いたのでした。(そこで、シュレディンガー音頭が披露された。)

若手が、研究・教育の体制について議論する場をなくしたのはけしからん、というご意見がありうるのはよく分かっています。しかし、夏の学校の参加者のほとんどはマスターの1年生でした。右も左も分からず、研究しながら人生の一時期を生きるというのがどういう意味なのかを知ろうとしている人たちです。 その人たちを集めて、いきなり、「日本の研究体制にはかくかくしかじかの問題があり」とやっても、意味のある話し合いができる可能性はきわめて低いとぼくらは判断したのです。それは正しかったと今でも思っています。(それにしても、教育制度の思いつきでの改悪、先の見通しに立脚しないポスドク制度など、困ったものが次々と湧いて出てくるのをみると、幅広い研究者の層がもっと「政治的な」声をあげるべきなのかもしれない、という気もします。もちろん、夏の学校とは別に。)

それで、「政治色」を一切なくして、そのかわり、「夏の学校というのは(真面目な意味で)出会いの場」なのだ、というポリシーを前面に出しました。

そして、なるべく管理しない。 なるべく縛らない。 で、ぼくら準備校のメンバーも、特別に犠牲になって奉仕する立場なんかじゃなく、できるかぎり、夏の学校を楽しむ。

ぼくらが作った 84 年の夏の学校のテキストの最初にある次の文章は、そのへんのことを、偉そうに書いたものです。 (ぼくが書いて、他の仲間の意見を入れて、書き直した。)

[text] さて、夏の学校とは、云うまでもなく、物性を研究している若手の方大勢にひとつの場所に集まっていただく催しです。我々準備局スタッフは単に集まる場所を用意する世話役に過ぎません。勿論、講義・サブゼミ・ポスターセッションという夏の学校の三つの主要メニューについては、面白いものになるように我々としても精一杯の準備を進めてきました。しかし、本質的には、夏の学校に何を求め、何を得るか、何を求めず、何を得ないかは全て参加される皆さんにまかされています。

実際、もし物性物理が今でも学問として生きているならば --- そこで研究・教育の体制化・権威主義化、価値観・方法の画一化・固定化が進行しきっていないならば --- それを反映して、「若手研究者たち」というものは極めて種々雑多、無秩序な集団でなければならないはずです。それら活気ある無秩序の人々に共通の目的を課し、同じひとつの意義を押しつける事は不自然であり、冒涜的でさえあります。それ故、夏の学校は、理念的には放任主義に徹してこそ意義深いものになり得ると我々は考えるのです。

物性の研究室の中には、研究に於いても先生と学生のつながりを重んじるギルド的色彩の強い所もあるという意見を耳にする事もあります。たとえば、そのような縦の秩序のついよい日常をおくっている人が、横の世界の無秩序、ひいては物理のもつ活気ある無秩序を、五日の間に少しでも実感できたならば、それは夏の学校の極めて意味のある過ごし方のひとつであると云えるでしょう。

ぼくが、今でも言ったり書いたりしているようなことが書いてあり(今、添削すると、ちょっと漢字を多用しすぎだ)個人的にはおもしろい。 (付記:「日々の雑感」への収録にあたり、この年のテキストの表紙映像を公開。 筆ペンで適当に超へたっぴな文字を書き、恥も外聞もなく、大量に印刷するテキストの表紙に使ったバカは誰か? (止めるどころか、そそのかした周囲の友達にも責任はある。))
・特に印象に残っている講義などはおありですか?

ま、自分の講義ですね。 こっちも、やるからには、というのですごいエネルギーだったし、聞く方もきわめて熱心だった。

M1 のときの久保先生の講義で、「宇宙という一つしかない対象に統計力学を適用することができるか?」と質問したのだけれど、明快に答えてもらえなかったのもなんとなく覚えている。 (今のぼくは、一応の答をもっているつもりなのだが。)


・その他に特に記憶に残った出来事や思い出などはございますか?

あります。でも書かないのだ。


・学生時代に夏の学校に参加した、運営にたずさわったことがご自分の研究人生にどう影響を与えたとお思いになりますか?

そういう影響は、ないでしょう。 (ぼくが、物事をそういう風に考える人ではないというだけのことかもしれないけれど。)


・研究を志す若手の後輩たちにひとことおねがいします。

ぼく自身、まだ試行錯誤をつづけながら、研究しているわけで、偉そうなことはいえませんが;

実際に、研究を本格的にやり始めると、ひとつのことを深く深く、徹底的に研究することになります。 必然的に視野が狭くなるし、オタク的もなる。 これはまったくもって避けがたいことで、ぼくたちは、そうやって力を集中することで、新しい知見を得たり、今まで解けなかった課題を解いたりするわけです。

しかし、ただの職人ではなく、科学者として研究に参加するつもりなら(←別に一生プロでやることを想定しているのではない。(プロのなかにも単なる職人は少なくない。)大学院の間だけでも、精神的には「プロの科学者」として科学に参加することはできる)、その狭く深いところに入りっぱなしになってはいけないと思う。 ときどき地上に顔を出して、自分が関わっていることが、物理のもっと広い風景のなかでどこに位置しているのか、自分の目標が達成されたとき、物理の世界の景色はどう変わりうるのか、どう変えたいのか、といったことにも思いを馳せてください。 これは、短期的に見れば時間のムダかもしれないですが、長い目で見れば、かならずや研究にプラスになるでしょう。 万が一、研究にプラスにならなくても、科学者としての人生(の一時期)にはプラスになるはずです。

科学の研究の道というのは、とてもきびしいものです。ぼくには、どこかの宇宙飛行士みたいに、「夢はかならずかないます!」なんて明らかな嘘をつくことはできません。どんなに強く夢を持っていても、それがまったくかなわないことは、あります。確実にいえるのは、「夢を持たなくなったら、それで終わり」という厳しい事実でしょう。物理学に素朴に憧れたときの「わくわく感」を忘れずに、厳しく、一生懸命に、そして、楽しく研究に打ち込んでください。やたら月並みな結びになってしまいましたが、ぼくも、自分にそう言い聞かせながら、がんばろうと思います。


2/12/2001(月)

文学部入試。

営業スタイル(背広着用、ジーパン不着用)で試験監督。

体力をつかう以上に、気を使うので、たいへん疲れる仕事である。 とはいえ、大学の教員となった以上、これは大切なおつとめ。 受験生のみなさんがリラックスして入試に集中できるよう、まじめに、明るく監督をおこなう私であった。

受験生のみなさん、お疲れさまでした。 みなさんのご協力のおかげで、とどこおりなく、本日の入試をおこなうことができました。 ありがとうございます。(←どう考えても、読んでないよな。)

明日は理学部入試。 ぼくらは採点をします。


2/13/2001(火)

ずり速度のある流体系を念頭に、定常状態熱力学 (SST) について悩む。

Hatano-Sasa などの確率微分方程式によるアプローチと、前に考えていた平衡系の第二法則の導出の話を、統一的にみることができるような気がしてならない。

冷たい風に吹かれて歩きながら考えていると、妙に見通しがよくなって、ほとんど見えた気になるのだけれど、立ち止まり、椅子に座って考え始めると、どうも停滞する。 歩いていると、単に考えが雑になるだけなのか、それとも、頭のなかの余分な考えが沈澱する前に風に吹かれてどこかにいってしまうから、考えがスリムに透明になるのかな?

佐々さんの新しいノートも届いたし、ここいらで、まとめて理解しきっておくべきなのだが、これから入試の採点だ。 はやく研究に復帰するためにも、超能率的な「採点マシン」と

というところまで書いていると、ドアにノックがあり、採点会場へ。 ふう。気疲ればかりして、あまり能率的になれなかった。 今夜は帰って寝るまで仕事をして、明日の採点をがんばります。


2/14/2001(水)

ううむ。 昨晩は、ビールを飲みつつ、一般の Markov 過程についての(SST 的に見て)意味ありげな、しかし無意味かも知れない式をいっぱい書いて、夜更かししてしまった。 もう少しやらないと、落ち着きが悪く、安心できない。

とはいえ、そこはプロですから、きっちりと頭を切り替えて、これから厳正なる採点をおこないます。


2/16/2001(金)

西早稲田×××ラーメン家元××氏との会話

家元:どうですか?そろそろ一段落つきましたか? (←長い間、ぼくはただの年齢不詳・正体不詳・住所不詳の常連客だったのだが、先日、ひょんなことで妻と三人で食事をして話し込むことになり、そのとき正体をあかしたのであった。)

田崎:ぼちぼちですね。 そろそろ授業や入試やらが終わると、客商売は終わりなんで、そうすると、自分のために、自分の食べたいラーメンを作るって感じですね。

さあ、作ろう! (××××辞典の原稿は?月刊××××の原稿は??原と共著の本は???熱力学の本の英語版は????出版社だけは決まっている統計力学の本は?????)


ところで、最近の「雑感」をみると、歩きながら考えるとか、ビールを飲みながら計算するといった記述が目に付きますが、もちろん、ふつうに、机に向かって紙にシャーペンで書きつつ計算したり、考えたりするということもします。 今日の午後はずっとそのモードであった。 (読み飛ばそう:Hatano-Sasa や佐々さんのノートでやっているようなことを、一般の Markov chain でやり直すという練習問題。 創造性ゼロ(しくしく)。 本当は、SST に登場する過剰仕事の物理的な意味を明確にし、さらに、ずり系などに使える変分原理の基礎を明確にするのが目標だったのだが。 少なくとも、何がむずかしいかは、少しわかった。 (付記:変分原理の基礎付けについては、ひんぱんに考えが変わる。 さっき歩いていて一つ気付いたことがあり、今は楽観的になっている。))

ただ、よく言われることだけど、なにか本質的に新しい着想を得たりするときは、机に向かっていないことの方が多いかもしれない。

ぼくの場合、いろいろな可能性を幅広く試したり、遠くから問題を眺めてどう攻めるかを考えたりするときは、歩くのがいいみたい。 学内の総合基礎科目(いわゆる一般教養(あるひはパンキョー))の試験監督をさせられたときは、たいてい、教室の後ろを行ったり来たり歩いています。 こうやって、頭のなかでは物理をやっているのですが、学生さんたちにはこまめに「巡回」して監督しているように感じられるはずで、ナイスな作戦です(と、本人は思っている)。

ひとつのアイディアで攻めようと心に決めて、その路線で必死で考え抜くときというのは、もてる生命エネルギーのすべてを頭脳に集中する必要があるみたいで、ぼくの場合は、家のソファーとか床に死んだように倒れて目をつぶって考えます。 端から見ると寝ているのと区別がつかないし、考えつかれて、そのまま寝てしまうこともあります。(赤ちゃんみたい。)

歩き回ると言えば、むかし学習院にいた H さんは、よく南1号館の前なんかを往復していた。 近づいていくと、「で、この集合 S は、可測である。と、それで、どうする?・・・あ、こんにちは。」みたいな具合に、歩きつつ、もろに声に出して詳細を詰めたりしていました。 声に出してと言えば、ぼくの友人の H さんは、昔から声に出して考えるのが有名で、学生時代には、人々の寝静まる深夜、下宿のとなりの部屋のやつのところに声が聞こえたそうだ。 最初は、誰か友達が来てしゃべっているのだろうと思っていたところ、よく聞いてみると「よし、この積分やってみよう」とか「う、こんなこと書いてあるぞ。導けるかな」とか言ってたらしい。 さらには、仕事をしながら謎の歌を歌う人とか、この手の例を挙げているときりがないのであった。


2/17/2001(土)

家人の誕生日を祝うということで、外食。 ラーメン屋ではなく、フランス料理である。 住宅街というか何というか、あまり閑静ではない、普通の人は来ないような所に、小さなレストランがある。 いわゆる家庭的なフランス料理で、きわめて良質。

食後に、JUDY AND MARY 解散(←悲しい)記念も兼ねて、カラオケへ。 そして、帰宅して、一服。 佐々さんのお告げ(日々の研究 2/7)によれば、ここで急に「見える」はずなのだが・・・

ううむ。 見えない。

けっきょく、夜おそくなって、風呂に入る。 湯船の中で、ぼおっと考えていると、おっ!いけそう。 SST の過剰仕事を操作的に表わす方法がわかった気がしたのだ。 近くの佐々さんより、遠くのアルキメデス! ユリイカ、ユリイカとは叫ばないものの、喜んで風呂からあがる。

が、細部をつめていくと、極限操作のなんと微妙なことよ! 現場感覚が薄いと、直感がすぐにまちがうのだ。 (不思議なもので、長年やっていると、まちがわなくなる。) ううむ。道は容易ではない。 アルキメデス先生おゆるしください、ぼくはまだ未熟でした。 (解析概論 28 節を参照。)


2/18/2001(日)

少し前に、村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話」(文春新書)を読んだ。 朝日新聞の書評にのるような「話題の本」を読むことはほとんどないのだけれど、この本については、紹介を見て素直に読みたいなと思い、自分で買って来て、期待どおり楽しく読んだのだった。

最初のあたりで、村上春樹が小説の執筆と翻訳の違いについて語っているところを、妙に愉快に読んだ。 もちろん、ぼくは、まかりまちがっても小説を書くことはないだろうし、文芸翻訳などすることはあり得ない(ついでに言っておくと、非文芸的翻訳にしても、もうやる気はありません。あれをやったのは、あくまで特殊事情)ので、これは純粋な他人事。 それでも、昨年のぼくが、研究・論文の執筆などの物理学者として慣れ親しんだ活動と、翻訳の作業とでは、いかに頭脳+肉体の使い方がちがうかを身をもって痛感する日々を送っていたので、それを思いだし、ついつい思い入れをもって読んでしまったようだ。 (ついでに、妻とぼくには、村上春樹の書くものを、文字通り片っ端から読んでいた時期があったので、今になって彼の内輪話を読むと、懐かしいし、おもしろい、という側面もあるだろう。 ぼくら夫婦がよくビールを飲むのとか、ぼくがパスタを茹でるのが好きなのとかは、ひょっとすると、村上春樹の影響かも。)


というわけで「翻訳夜話」から脱線して、ぼくが感じたことを少々。

ぼくが翻訳という作業(といっても、文芸翻訳などとはまったく別次元の、原理的には「誰にでもできる」翻訳であったことをしつこく断っておく)に触れてみて、まず強く感じ、驚いたのは、翻訳では、働いただけ仕事が進むという(当たり前の)事実。 科学の研究の場合、何日・何ヶ月・何年のあいだ根を詰めて働こうと、何も意味のある結果がでなければ成果にならないのは周知のとおり。 研究成果を論文にまとめる作業にしても、話の進め方や証明の方針が気に入らなければ、どんなに作業した後でも、ゼロからやり直すのが普通。 もちろん、翻訳でも、気に入らなくて全面的にやり直すことはあるのだけれど(というか、ぼくはあったけれど)、それでも前に訳したものは何らかの形で生きていて、ゼロに戻ったという感覚はない。 ともかく、理屈はともあれ、翻訳の場合、時間をかけて働けば、それに比例して仕事が進むという実感があるのだ。 そういう意味で、翻訳にはまる人がいる、という感覚はわかる気がする。 ぼくも、一瞬だけ、このまま翻訳が癖になるのかもという危機感をもったことがあった。 でも、結局、抜け出してみると何事もなかったかのように、完全に脱却してしまい、もはや、翻訳をやりたいなんて思わなくなった。

もう一つ、翻訳に深入りしてから痛感したのは、物理をやるときと翻訳をやるときでは、頭と体の使い方・疲れ方が全然ちがうということ。 物理をやっているときは --- 研究にせよ、論文執筆にせよ --- 体が疲れてしまう前に、まず頭が疲れる。 もちろん、深夜まで、あるいは寝床に入ってまで、仕事をつづけることは多いけれど、それでも、一日中ぶっとおしで頭をフルに使うことはできないから、時々、適当に休憩しているのだろう。 とにかく、物理を必死でやっていて、体がくたくたに疲れた、ということは、それほどない。 それに対して、翻訳をやっているときには、頭はなかなか疲れないことがわかった。 まず体から疲れてくる。 ところが、こちらは、そういう疲れ方には慣れていない。 そこで、まだ頭か疲れ切らない間は働けると思ってしまい、時間がとれれば、文字通り、ぶっ通しで作業してしまう。 結果として、本当にふらふらになってしまうほど、目も体も疲れてしまったことが何度かあった。 これは、危ない。 もうやるまい。


さて、「翻訳夜話」に話を戻すと、この本には、オースターとカーヴァーの短編の英語の原文と、柴田、村上両氏による「競訳」が収録されていて、二人の翻訳のちがいを見て楽しめる趣向になっている。 これは、なかなかおもしろい。

ぼくは、まず英語で読んでから、二人の訳を読んでみたのだけれど、(本来の趣旨である)両氏の訳のちがいなどよりも、英語と日本語訳で、自分が感じる雰囲気があまりにもちがうので、びっくりしてしまった。 これは、別に、彼らの日本語訳が英語の原文の雰囲気を伝えていない、というような偉そうなことではない。 考えてみると、ぼくは今まで英語と日本語で同じ小説を読み比べたことなんかないし、さらには、ぼくが今まで読んだ英語のほとんどは、仕事に関連した物理やその他の科学の文献なのだ。 (あと、必要に迫られて、産婦人科と小児科関係のものもかなり読んだ。) それゆえ、ぼくが英語を読むときは、頭が自動的に「仕事モード」に入っているみたいなのである。 ところが、今度の場合、そこに書いてあるのは、偏微分方程式でも、統計力学でも、パラダイムの通約不可能性でも、あるいは、赤ん坊の予防接種の説明でもなく、部屋を掃除に来た人の話だったり、写真を撮っているたばこ屋のおっちゃんの話だったりする。 そこに妙な違和感があって、とても不思議な感覚を生むのであろう。 これは、ちょっと説明しがたい感覚で、もちろん、英文学に通じている人や、英語のネイティヴの人たちには、決して味わえないものであろう。

いや、まあ、だからどうだって言うのではなく、個人的に楽しかったということでした。 (でも、また英語で小説を読んでみよう、という気にはなった。 プルースト(もち邦訳)を読み終えたら、サリンジャー(←ぼくが全作品を(もち邦訳で)読んだ唯一の英語圏作家)を英語で読もう。)


2/21/2001(水)

SST の変分原理と、実質仕事の観測可能性について悩み苦しむ日々。 (佐々さんとのシンクロ率高し。 ごく大ざっぱな(自然言語による)メールのやりとりしかしていないし、扱っている系も違うけど、きわめて類似の悩みを悩んでいる。 佐々さんの方がはるかに経験豊富で広く遠くまで見ているのは当然だが。)

午前中に、それまでのアイディアがほぼすべて崩壊。 やれやれ。 あとには、佐々さんがずっと前にやったことの復習しか残らない。

気を取り直すべく、グールドのバッハを聞きながら、部屋の掃除。

午後は気分をかえて、量子ホール効果(など)についてのディスカッション。 ずっと妄想していることを、なんとか具体化するためのきっかけになるか?

夜。 体調悪く、くたびれきって、町を歩く。 もう今日は物理はできない。 あ、そうか。 欲張らず、ごくごく謙虚に平衡に毛が生えたところから出発すれば、ともかく SST 変分原理がみえるではないか・・・


2/22/2001(木)

外出のついでに、東池袋のラーメン屋さん(ラーメンファンには名前を言うまでもないあの有名店)に行列。 実は、この店に来るのは、これが二度目。 最初に来たのも、ほんの二週間ほど前なのだ。 目白に何年も住んでいて、この有名な店にぜんぜん来なかったことからわかるように、ぼくは、多くの店を食べ歩いて征服していくラーメンマニア(あるいはラオタ)とはまったく異なった人なのである。 単に素朴にラーメンが好きで、生活圏に気に入った店があれば、せっせと出かけていっておいしく楽しく食べてくるだけの人です。 食べ歩きする人たちには、単にラーメン好きっていうだけじゃなくて、ある種の博物趣味や征服欲があるんじゃないのかな、などと想像してしまう。

さて、前回このお店に行列したときは、SST 変分原理の安易な導出法に欠陥があることに気付いた直後で、並んでいる間ずっと、手をかえ品をかえて、議論の修復をねらっていた。 当然、応急処置はきかず、ことごとく失敗したので、猛烈に苦しかった。 今日、並びに行ったら、その苦しみや、そこで生まれて捨ててしまったアイディアたちを急に思い出した。 (不思議な現象ですが、こういうことがあるのです。 物理についての考えが、まわりの風景に張り付く、あるいは、その場所に落っこちているみたいな。 今でも、学習院の裏の旧デニーズ前の交差点に来ると、数年前のある晩、そこで信号待ちをしながら練った Hubbard model についての苦しいアイディア(けっきょく実らなかった)を思い出すのだ。)

今日は、平衡の亜流でなんとか取り扱える非平衡定常状態の扱いについて、昨夜の着想をいろいろと補強。

非平衡定常という大きな世界のなかのほんのひとすみに、「平衡と同じエネルギーを指数の肩にのせた重みを使うものの、足しあげる状態の範囲を制限する」という処方で書ける小さな世界がある、というのは、悪い考えではない。もちろん、一般には、補正があるだろうが、それが小さい場合があってもいい。どれくらいの補正があるかは、実験を見るしかない。(あるいは、非平衡統計力学が完成した段階で計算するしかない。) ここまでは、ぼくが不勉強なだけで、考え尽くされたことだろう。 少なくとも、その範囲では、SST 変分原理は正しい。 よって、モデルによらない定量的予言をすることに意味があるだろう。 熱力学的現象論は、ミクロモデルよりもタフだから、こんな狭い世界を離れても、SST は正しいはず。 それを信じて、次のステップへ・・・ (しかし、それが相当に苦しいことは、最近の模索で実感した。)

物質の流量を一定にした系でも、同様の扱いが形式的には可能であることを認識したあたりで、食べる順番。 とてもおいしかったが、お腹いっぱいで、ちょっと苦しくなった。


2/26/2001(月)

さあて、今日から三日間、卒業研究と修士論文の発表会。 缶詰ですべて聞くから、体力勝負。

これから、今日発表する卒研生お二人の OHP の最終チェック。 きのうも発表練習をして、まわりの人に見てもらったから、大丈夫であろう。


話は、変わるが、ぼくは「同じフロアのオフィスに e-mail を出すのは罪だ」とかいう言葉(たしか英語)を何年か前にみて、純粋無垢にも、それを信じ込んでいた。 でも、いくら高麗さんの部屋が近くても、やっぱりお互い忙しく仕事をしているときに短い用事を伝える際には、mail が便利だし、物理のことでも、ちょこちょこ mail をやりとりしたあと、顔をあわせて議論すると能率が上がることが多いのだ。 というわけで、近くの人に mail を出すことも時にはあり、そういうときは、上の言葉を思い出し、やや控え目に後ろめたい気持ちを感じつつやっていたのである。

しっかーし。

きわめて信頼できる筋からの情報によれば、今どきの若者は、メールで知り合った相手とデートをしている真っ最中に、当のデートの相手の携帯に「楽しいですね」とメールを入れたりするというではないかっ! それに比べれば、廊下で遠く隔てられた高麗さんのところにメールを出すなんて、罪でもなんでもないではなかったのだ、と安堵して Count Down TV のタンポポのゲストライヴの先を見る私であった。 (註:ぼくが「モー娘。」などを聞くのは、あくまで、中学生の娘が聞いているからであって、そうでなければ見ることも聞くことも原則としてないはずであります。(おそらく。))

それにしても、大学院生のころはじめて電子式メールなるものを知ったときは、高エネルギーの連中だけが PDP 11 とかでやるものだと思ってた(←本当にそうだったのかどうかは知らない)し、Princeton で、はじめて bitnet にアカウントをもらって mail を始めた頃は、純粋に大学間のやりとりに使うものだと思ってやっていた。 まったく時代の変化は早いものである。 (じじい風エンディング。)


2/27/2001(火)

二日間、朝から夕方まで、発表聞きっぱなし。

今(7時半)まで、採点および面倒な政治的な電話(やれやれ、お互いイヤですねえ)。

昨日の夜も、軽くレフェリーする論文を読んだ程度(でも、審査完了)で、あまり仕事はできなかった。

大変ではありますが、みなさんの発表はとても面白い。 聞いていて楽しいです。 明日発表する人たちも是非がんばってください。(←読んでるわけないね。) まとまらないが、とにかく帰って食事します。


2/28/2001(水)

いやー、おわった、おわった。

二日半ぶっとおしの卒業研究・修士論文発表会と、それにつづく採点会議がようやくおわった。

たいへん疲れましたが、とても楽しかった。

みなさん、総じて、気合いが入っているし(←発表の当日の朝まで実験したり装置を組んだりしてた人からは、すさまじいオーラというか、熱気というか、そういうのが漂ってきますね)、プレゼンテーションも相当にうまかった。 ぼくの唱える OHP 学の思想も、かなりちゃんと実現されている。 ここだけの内緒の話だが、物理学会の発表の平均よりは、かなり上である。 みんな自信を持とう!

(さらに内緒話:要するに、みんな逃げ腰で、まじめにプレゼンテーションのことなど考えようとしないのだな、この国の学者の多くは。 (だから学生にプレゼンテーションの指導もしない。) 純粋な学者肌だから、発表のよしあしには無頓着で、仕事だけをしているのだ、と言うなら、最初から学会で発表しなければよいのだ。 いいわけはあり得ないと思う。(←いかんな、疲れすぎで、発言が粗雑になっている。)


さて、これで、フルタイムで物理に集中できるかというと、教務委員には成績関連の諸問題の処理が・・・
いま、ぼんやりと、「二月も、もう何日かで終わりか・・」とか思っていたけれど、よおく考えると今日で終わりではないか。 ありまあ。

三月もけっこう慌ただしいんだよなあ。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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