ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後

パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy)

アメリカはツインタワーの惨劇への血塗られた報復を断行した。 大勢のアフガン人が、合衆国の爆撃から凍てつく荒野へと逃れ、餓死に直面している。 B-52 は、タリバンを散り散りに粉砕し、ムラー・オマルの徹底抗戦の雄叫びを降伏を告げるみじめな鳴き声に変えてしまった。 オサマ・ビンラディンは逃亡中だ。 (この文章が読者の目に触れる頃には、彼は死んでいるかもしれない。) だが、ホワイトハウスにシャンパンをあける音が響いていても、アメリカはまだおびえている ─ それだけの理由はあるのだ。

9 月 11 日の後、われわれは皆これまでと異なったより危険な世界に暮らすようになった。 今、それは何故かと問う時である。 われわれは、臨床病理学者のように、人の行ないの病 ─ テロリストに、乗客を満載した旅客機を摩天楼へと飛び込ませるようしむける病 ─ を科学的に吟味する必要がある。 また、なぜ数多くの人々が他の人たちが死んだことを喜ぶのかも理解すべきである。 こういった理解なしでは、残るのは、中世の悪魔払い(エクソシズム)療法だけだ。 つまり、強者が弱者から、文字通り、悪魔を叩き出すのだ。 実際、国際法にも、そして、近しい同盟国さえもが高まらせている不安にも頓着することなく、かの「大いなる悪魔払い師(エクソシスト)」は、治療を要する他のムスリム諸国の攻撃リストを用意している[1]。 イラク、ソマリア、そして、リビア。 われらは意のままに殺す ─ それがメッセージなのだ。

これではうまくいかない。 テロリズムには軍事的解決などない。 すぐに ─ ことによると、極めてすぐなのではと私は畏れる ─ より強烈でいっそう劇的な証明がなされるだろう。 現代にあって、すさまじい破壊をもたらすための技術的な可能性に限りはない。 怒りは、十分に強烈であれば、小さな無国籍の集団、あるいは個々人さえをもきわめて危険なものにするのだ。

今日のイスラム世界に怒りは蔓延している。 私のささやかな個人的体験について書かせていただこう。 9 月 12 日に、私はイスラマバードにある私の大学の物理学科でセミナーを行なう予定になっていた。 これは、物理学科の学生のための、物理の外の話題についての毎週のセミナーの一部だった。 一連の事件に傷ついていたものの、既に六十人の人たちが到着していたので、私はセミナーを中止するわけにはいかなかった。 そこで私は、 「今日のセミナーでは新しい主題をとりあげよう。 昨日のテロ攻撃について。」 と提案した。 反応は否定的だった。 一部の学生は何も考えず攻撃を喜んでいた。 一人の学生は、「これをテロリズムと呼んではいけない」と言った。 別の学生は、「あなたは、死んだのがアメリカ人だからというので、くよくよしているのか?」と聞いた。 合衆国の政策とは何の関係もない一般市民を残忍に殺戮するのが残虐行為であると学生たちに納得させるのに、二時間にわたる絶え間ない熱い議論が必要だった。 世界中の何百万ものムスリムの学生たちが、私の学生たちと同じように感じたものの、おそらく何ら反論を聞かなかったのだろうと思う。

もしこの世界が、未来の歴史家が「テロの世紀」と呼ぶべき時代を免れようというのなら、われわれは、アメリカの帝国主義的横暴というスキュラと、イスラムの宗教的狂信というカリュブディスに挟まれた危うい航路の海図を作らなくてはならないだろう[2]。 これらの海域で、われわれは、遠くの星に導かれつつ、慎重で、理にかなっていて、民主的で、ヒューマニスティックで、非宗教的な未来にむかって航海していかなくてはならない[3]。 さもなくば、難破するのは確実である。

傷つけられたイノセンス

「なぜ彼らはわれわれを嫌うのだろう?」とジョージ・ブッシュは問う。 この反語的な問いは、ほとんどのアメリカ人が彼らのまわりの世界について悲しいまでに無知であることを露呈している。 さらに、無垢なるもの(イノセンス)が傷つけられたというアメリカの申し立ては、アメリカの歴史のもっとも粗雑な分析にさえも耐え得ない。 ほぼ四十年にわたって、この「ナイーヴさと自己肯定」は、ノーム・チョムスキーによって断固として攻撃されてきた。 すでに 1967 年に、彼は、「われわれの」目標は純粋であり「われわれの」行動は良きものであるとする考えは「アメリカの精神史の中で何ら新しいものではない。さらに言うならば、帝国主義者の弁明の普遍的な歴史の中でも。」と指摘している。

ムスリムの指導者たちも、アメリカの申し立てを裏返しにして繰り返し、西洋に関して同じ質問を問うた。 彼らは 9 月 11 日について、自分の共同体の外の人ももっともだと思うようなことをほとんど語っていない。 彼らは、保健衛生と「ハラール」や「ハラーム」のきまりについてとめどなく話しているが、自爆テロリストがイスラム法を破ったのかどうかさえ明言できないのだ[4]。 ヴァージニアに本部を置く(そしてサウジアラビアから資金の大部分を得ている)イスラム法学評議会のタハ・ジャビル・アラルワニ博士によれば「そういった質問については多大な研究が必要であり、それはわれわれの予算に計上されていない」そうである。

反発をおそれて、合衆国、カナダ、ヨーロッパのムスリム共同体の指導者のほとんどは、ツインタワーでの残虐行為について予想通りの反応をした。 これは、本質的にふたつの部分からなる。 第一に、イスラム教は平和の宗教であるということ。 第二に、9 月 11 日にイスラムは狂信者にハイジャックされたということ。 彼らは、どちらの論点についても、誤っている。

まず第一に、イスラム教は ─ キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、あるいは他のすべての宗教と同様 ─ 平和についての宗教ではない。 それは、戦争についての宗教でもない。 どんな宗教も、その宗教の優越性とその宗教を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念を扱うのである。 中世には、十字軍と聖戦(ジハード)はどちらも血に染まっていた。 今日、キリスト教原理主義者たちは合衆国で中絶病院を襲い医師たちを殺す。 ムスリムの原理主義者たちは互いに宗派戦争をしかけあっている。 ユダヤ人の入植者たちは、片手に旧約聖書を、もう一方の手にウージー軽機関銃を持って、オリーブの果樹園を焼き払い、パレスチナ人たちを先祖伝来の地から追い出している。 インドのヒンドゥー教徒たちは古代からのモスクを破壊し教会を焼き払っている。 スリランカの仏教徒たちはタミル分離主義者たちを虐殺している。

第二の論点は、さらに的を外している。 仮に、イスラムが、何らかの比喩的な意味で、ハイジャックされたのだとして、それがおこったのは 2001 年 9 月 11 日ではない。 それは、十三世紀頃におこったのだ。 ざっとまわりを見回せば、イスラムは未だ当時のトラウマから立ち直る必要があることがわかる。

陰鬱な現在

今日、ムスリムはどこに立っているのか? 私はイスラム教について問うているのではないことを注意したい。 イスラム教は抽象概念だ。 ムラナ・アブドゥス・サッタル・エディとムラー・オマルは、どちらもイスラム教の信徒だが、前者はノーベル平和賞を嘱望されており、もう一人は、中世の臭いのする、無学な、精神異常の悪鬼である。 エドワード・サイードは、他の人々と同様に、イスラム教は異なった人々にとってきわめて異なった意味を持つことを強調している。 イスラム教を信じ実践する人々が多様なのと同じくらい、イスラム教も多様なのである。 「真のイスラム教」などない。 よって、その信仰を認める人々について語ることだけに意味があるのだ。

今日、ムスリム人口は十億で、四十八のムスリム諸国に広がっている。 これらの国のいずれも、未だ安定した民主的な政治機構を発展させてはいない。 実のところ、すべてのムスリムの国は、自己利益を求める腐敗したエリートに支配されている。 彼らは、自らの個人的な利権を冷淡に追い求め、国民の富を搾取している。 どのムスリムの国も、自立した教育システムや、国際的なレベルの大学を備えてはいない。

理性も、また、妨げられている。 私自身の経験からいくつかの例を挙げよう。 科学雑誌のページをめくっていて、ムスリムの名前に出会うことはほとんどない。 もし出会ったとして、たいていは、その人物は西洋に住んでいる。 いくつかの例外はある。 アブダス・サラムは、弱い相互作用と電磁相互作用の統一に関して、スティーヴン・ワインバーグ、シェルドン・グラショウと共に 1979 年にノーベル物理学賞を受けた。 私は、サラムとかなり親しく知りあうようになっていた。 ある本の序文をいっしょに書いたこともある。 彼は、驚くべき人間で、彼の祖国と宗教をどうしようもないほど愛していた。 それなのに、1974 年にパキスタン議会が定めた法令により、サラムは、祖国からは拒絶され、イスラム教からは破門されて、深い不幸のなかで死んだ。 今日、サラムが属していたアフマディー分派は異端とみなされ、過酷な迫害を受けている。 (私の隣人は、アフマディー教徒だったが、首と心臓を撃たれ、私が病院へと運転する私の車の中で息絶えた。 彼の唯一の過失は、間違った分派に生まれたことだったのだ。)

現代のムスリム世界では、真の科学的業績はきわめて少ないが、疑似科学には事欠かない。 私の学部の先の学部長は、天国の速度を計算した。 天国は、光速より秒速 1 センチメートルだけ遅い速度で、地球から遠ざかっているという。 彼の独創的な方法は、コーランが啓示されたその夜の礼拝は、通常の夜千日分の礼拝に相当するというコーランの一節に依拠している。 彼は、これは千倍の時間の延びに相当するとし、アインシュタインの特殊相対性理論の中の式に代入するのである。

より知れ渡っている例。 タリバンに核兵器の機密を漏らした疑いで最近逮捕されたパキスタンの二人の核工学者のうちの一人は、かつて、精霊(ジン)の力を活用することでパキスタンのエネルギー問題を解決しようと提案している。 コーランによれば、神は、人を土からつくり、天使と精霊を火からつくった。 そこで、この地位の高い工学者は、精霊を捕獲してそのエネルギーを抽出しようと提案したのだ。 (興味を持たれた読者は、スルタン・バシルディン・マフムードと私が 1988 年にやりとりした、かなりとげとげしい公開書簡を読まれたい。 公開書簡は、1991 年の拙著「イスラム教と科学 ─ 宗教的正説と合理性のための闘い (Islam and Science - Religious Orthodoxy And The Battle For Rationality)」に採録されている。)

失われた輝かしい過去

今日の悲しい状況は、昨日のイスラムとは見事なまでに対照的である。 九世紀から十三世紀の間 ─ イスラムの黄金期 ─ に、堅実な科学、哲学、医学を実践していたのはムスリムだけであった。 五世紀の間とぎれることなく、ムスリムだけが、学ぶことへの情熱の光を保っていた。 ムスリムは、古代の知恵を保存しただけでなく、意味のある革新や拡張をももたらした。 この伝統が失われてしまったことが、ムスリムの民にとって悲劇だったことは、今や明らかである。

イスラムの黄金期に科学が開花したのは、ムータジラ派として知られる知識人集団によって維持されていた強力な合理主義的な伝統がイスラムにあったからだ。 この伝統は、すべてはあらかじめ定められていて人間にはアラーにすべてをゆだねる以外の道はないと説く宿命論者に強く反対し、人間の自由意志を強調した。 ムータジラ派が政治権力をもっている間、知識は育ったのだ。

しかし十二世紀になって、聖職者イマーム・アル・ガザーリーが先導したムスリム正統派が再び勃興した。 アル・ガザーリーは、合理性よりも天啓を、自由意志よりも宿命論を擁護した。 彼は、原因を結果と関連づける可能性に異議を唱え、人はこれから先に何がおこるかを知ることも予測することもできないと教えた。 それができるのは神のみであると。 彼は数学 ─ 信仰を弱めさせた精神の麻薬 ─ を反イスラムであると断罪した。

正統派の悪しき束縛のなか、イスラム世界は窒息した。 もはや、活動的な首長アル・マムーンと偉大なるハルン・アル・ラシッドの治世の頃のように、ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒の学者たちが、宮廷に集って共同作業をすることもなくなった。 これは、ムスリム世界における、寛容さ、知性、そして、科学の終焉だった。 ムスリムの最後の偉大な思想家アブド・アル・ラーマン・イブン・ハルドゥーンが生きたのは、十四世紀であった。

帝国主義のもとでのイスラム

そうするうちにも、外の世界は動きつづけていた。 ルネッサンスによって、西欧社会では科学的な探求が爆発的に盛んになった。 これは、古典のアラビア語訳と、その他ムスリムがつちかってきた業績とに多くを負っているのだが、それはどうでもよいことだった。 重商主義的な資本主義と技術の進歩に突き動かされ、西欧諸国は、インドネシアからモロッコに至るムスリム世界を瞬く間に植民地化した。 つねに残忍で、時には大量殺戮を伴って、この動きは世界の様相を変えてしまった。 ほどなく、少なくともムスリムのエリートの一部は、近代科学の分析的な手段と近代文明の社会的・政治的価値を有しないことの代償がいかに高くつくかを、はっきりと悟った。 これらこそが、植民者たちの支配力の真の源泉だったのだ。

正統派からの幅広い抵抗があったにもかかわらず、十九世紀には、ムスリムの中に近代的な論理の信奉者が現れた。 エジプトのムハンマド・アブドゥとラシッド・リダ、インドのサイード・アフマド・カーン、(広範に影響を与えた)ジャマルディン・アフガニなどの近代化主義者たちは、イスラムを時代に適合させること、コーランを近代科学と両立するように解釈すること、コーランを重んじてハーディス(預言者ムハンマドの言行)を捨てることを望んだ。 また別の人々は、国民国家という近代的概念にとびついた。 二十世紀のムスリムの建国運動指導者の中に、たった一人の宗教的原理主義者もいなかったことに注意しておくのは重要だ。 トルコのケマル・アタトゥルク、アルジェリアのアフメド・ベン・ベラ、インドネシアのスカルノ、パキスタンのムハマッド・アリ・ジンナー、エジプトのガマル・アブデル・ナセル、そして、イランのムハンマド・モサデクは、みな、彼らの社会を非宗教的な価値に基づいて組織することを模索したのだ。

しかし、ムスリムとアラブにおけるナショナリズムは、第三世界全般に及ぶより大きな反植民地主義のナショナリズムの流れの中にあって、自国の資源を自国の利益のために管理し使いたいという欲求を取り入れていったのである。 西欧の貪欲さとの衝突は避けようもなかった。 英国の、そして後には合衆国の帝国主義的利害は、独立したナショナリズムを恐れた。 協力する意志があれば、誰であろうと、たとえサウジアラビアの超保守的イスラム政権であろうと、好ましいとされた。 やがて冷戦の圧力が高まるにつれて、ナショナリズムは英米にとって容認できないものとなってきた。 1953 年には、イランのモサデク政権が CIA による政変で転覆され、レザー・シャー・パーレビ(パフラヴィー)に取って代わられた。 英国は、ナセルに標的を定めた。 百万人もが死んだ血塗られた政変の後、インドネシアのスカルノは、スハルトに取って代わられた。

外圧にさらされ、また、内には腐敗と無能力をかかえ、非宗教的な政府は、国家の権益を守り社会正義をつくりだすことができないことが明らかとなった。 このような政府は、民主主義を挫折に追いやり始めた。 これらの失敗の後に残された真空を、イスラムの宗教運動が成長して埋めていくことになる。 王政が倒れた後、イランではアヤトラ・ホメイニのもとで血塗られた革命がおきた。 ムハンマド・ジア・ウル・ハック将軍が、忌まわしい十一年間にわたってパキスタンを支配し、国家と社会を共にイスラム化すべく奮闘した。 スーダンでは、ジャファル・アル・ニメイリのもとでイスラム国家が誕生し、手や四肢の切断は当たり前のことになった。 何十年か前には、パレスチナ解放機構(PLO)が、もっとも力のあるパレスチナ人の組織であり、多分に非宗教的であった。 1982年のベイルートでの敗北以来、PLOはイスラム原理主義運動のハマスに大きく指導力を奪われることとなる[5]

1979 年にソヴィエト連邦がアフガニスタンに侵攻したとき、合衆国の良心の欠如と権力の追求が、ムスリム世界のこの潮流と、必然的に結びつくことになった。 主要な同盟者であったパキスタンのジア・ウル・ハックとともに、CIA は、エジプト、サウジアラビア、スーダン、そしてアルジェリアにおいて、イスラムの聖戦士を募る宣伝をおこない、公然と新兵を雇い入れたのである。 超大国たる同盟者であり指導者でもあるアメリカによる支援がムジャヘディンに注ぎ込まれるにつれ、イスラム過激派は苛烈さを増した。 そして、ロナルド・レーガンはホワイトハウスの芝生で彼らを歓待し「悪の帝国に挑む勇敢な自由の戦士たち」を誉めそやしたのである[6]

ソヴィエト連邦が崩壊した後、合衆国は荒廃したアフガニスタンを後に残して立ち去った。 彼らの使命は達成されたのだ。 そしてタリバンが出現した。 オサマ・ビンラディンと彼のアルカイダはアフガニスタンを拠点に定めた。 聖なる戦士たちの他のグループも、アフガンの例にならって、それぞれの国で武器を手にしていった。

少なくとも 9 月 11 日までは、合衆国の政策決定者たちは何ら後悔していなかった。 何年か前、カーター政権のアメリカ国家安全保障問題担当補佐官ズビグニュー・ブレジンスキーは、パリの週刊ル・ヌーヴェル・オブゼルヴァチュールから「イスラム原理主義が世界の脅威となった今日」から振り返ったとき、合衆国の政策はまちがっていたのではないかと質問された。 ブレジンスキーはこうやり返した[7]

世界の歴史にとってもっとも重要なのは何でしょう? タリバンでしょうか、それとも、ソヴィエト連邦の崩壊でしょうか? 一部の興奮したムスリムでしょうか、それとも、中欧の解放と冷戦の終結でしょうか?
しかし、ブレジンスキーのいう「興奮したムスリム」は世界を変えることを望んでいた。 そして、この点については、彼らは成功することになっていたのだ。 これをもって、2001 年 9 月 11 日に先立つ七百年の歴史のしめくくりとしよう。

未来に向けて

思慮深い人たちはこの物語全体から何を読みとるべきだろうか? 読み方はいくつかある、そしてそれは誰を主役に置くかで変わってくると私は考える。

ムスリムにとっては、自己憐憫の中でのたうつのをやめる時である。 ムスリムは、全能で邪悪な西欧がくわだてた陰謀の非力な被害者などではない。 イスラムの偉大さの衰退は、重商的な帝国主義の時代よりはるか以前に生じていたというのが事実である。 その原因は本質的には内側からくるものだったのだ。 それ故、ムスリムは内省し、なにが間違っていたのかと問わねばならない。

ムスリムは、千四百年前のアラビアの小さく均質な部族社会に比べれば、彼らの社会がはるかに巨大でずっと多様であることを認識しなくてはならない。 それ故、「イスラム法」に則って支配されるイスラム教国においてのみイスラム教が生き残り繁栄しうるという考えはもはや捨て去るべきなのである。 ムスリムは、信仰の自由と人間の尊厳を重んじ、権力は国民にあるという原則に基づいた、非宗教的で民主的な国家を必要としている。 これは、イスラム教国においては主権は国民にではなく、アラーの副摂政 (Khilafat-al-Arz) あるいはイスラム法学者 (Vilayat-e-Faqih) にあるとする正統派イスラム教学者の主張と対峙し、それを否定することを意味している。

ムスリムは決してビンラディンの同類に期待してはならない。 こういった人たちは本物の解答は何らもっていないし、本物の建設的な代替案を示すこともできない。 彼らのテロ行為を賛美するのは忌まわしい誤りである。 パキスタンにおいて、シーア派、キリスト教徒、そして、アフマディー教徒が彼らの祈りの場で絶え間なく虐殺されていること、そして、他のムスリム諸国でも少数派が同じように虐殺されていることは、全てのテロリズムが奪われし者の反撃ではないことを証明している。

合衆国も、また、苦い真実を直視せねばならない。 ジョージ・ブッシュとトニー・ブレアのメッセージにはろくに効き目がなかったのに対し、 オサマ・ビンラディンのメッセージは ─ 彼が生きるにせよ死ぬにせよ ─ ムスリム世界に強い共感を呼び起こした、というのはひとつの事実である。 多くのムスリムは、ビンラディンの宗教的な過激さには嫌悪を感じるが、彼の政治的主張 ─ パレスチナ人の追放をやめろ、合衆国の利権に役立つからというだけの理由で世界中の腐敗した独裁政権を手助けするのはやめろ ─ はわかりやすいと感じるのだ。

アメリカ人は、また、合衆国の帝国としての力は、すでにその頂点を過ぎていることをも認めなくてはならないだろう。 五十年代と六十年代は、永久に過ぎ去ってしまったのだ。 合衆国の勝利至上主義と国際法の軽視は、ムスリムの間だけでなく、いたるところに敵をつくりだしている。 それ故、アメリカ人も、横暴さをおさえ、この世界の他の人々ともっと同じようにならなくてはいけない。 しばらくの期間、合衆国は超大国であり続けるだろうが、その「超」の度合いがどんどん弱まっていくことは避けがたい。 これには、確たる経済的、軍事的な根拠がある。 たとえば中国経済は年率 7 パーセントで成長しているが、アメリカ経済は不景気を迎えている。 インドもまた急激に成長している。 軍事面を見れば、空軍力や宇宙での優位性は、もはや安全保障を確保するには不十分である。 今日、いったいいくつの国で、合衆国市民は通りを安全に歩くことができるのだろう?

われわれの全体としての生存は、宗教は解決にならない、そして、ナショナリズムも解決にならない、と悟ることにかかっている。 これらは、どちらも不和を生むものであり、容易には消せない誤った優越感と傲慢なプライドをわれわれに植えつけるのだ。 われわれの選ぶ道はひとつしかない。 論理と理性の原則の上に立った、非宗教的なヒューマニズムの道である。 ただこの道だけが、生きる権利、自由になる権利、そして、幸福を追求する権利を、この地球上のすべての人々に与えるという希望をもたせてくれるのだ。


これは、Hoodbhoy 教授がその知人に回覧した MUSLIMS AND THE WEST AFTER 11 SEPTEMBER の全訳である。 翻訳は田崎晴明による。 (英語版 12/8/2001、邦訳暫定版 12/9/2001、邦訳最終更新日 2/23/2002) 翻訳について、いろいろとご教示くださった山形浩生氏、有益なコメントをくださった及川ゆき子、大信田丈志、佐藤大、首藤もと子、田崎眞理子、原隆、廣田和馬、吉井明、katokt の各氏に感謝する。 リンク、引用、印刷、複製、ファイルのコピー等は自由に行なってよいが、ネット上での引用等の際にはインデックスページ(日本語、ないしは、英語)へリンクをはっていただけるとありがたい。
訳注 1:この翻訳では、Islam を「イスラム」あるいは「イスラム教」と訳し、「イスラム教徒」を意味する Muslim を「ムスリム」と訳した。

訳注 2:スキュラとカリュブディスは、ともにギリシャ神話に登場する海の怪物。 対をなす海の危険とされる。

訳注 3:「非宗教的な」と訳した secular は、religious (宗教的な)と対をなす言葉。 「世俗的な」と訳すことも多い。

訳注 4:ハラール、ハラームは、それぞれ、イスラム法において、禁止されない行為、禁止される行為。

訳注 5:1982年のイスラエル軍によるレバノン侵攻とベイルート占領を指す。

訳注 6:ムジャヘディン(原義は「イスラムの聖なる戦士」)は、アフガニスタン、イランにおけるムスリムのゲリラ。 「悪の帝国」とは無論ソ連を指す。 当時、米国に招待されたムジャヘディンのメンバー数名は、英雄としてもてはやされアメリカのマスコミにも大きく取りあげられたそうである。

訳注 7:このインタビューの翻訳が、http://www.ne.jp/asahi/home/enviro/news/peace/blum-J および「非戦」(幻冬舎, 2001)p.220 にある。


パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy) は、パキスタン、イスラマバードのカイデ・アザム大学の原子核および高エネルギー物理学の教授である。
E-mail: hoodbhoy@isb.pol.com.pk

田崎晴明、学習院大学理学部、hal.tasaki@gakushuin.ac.jp


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