俳優 角野卓造氏へのインタビュー

母校への感謝を次の世代へ。
「ご恩返し」ではなく、「ご恩送り」の想いを込めて。

インタビュアー
角野さんにおかれましては、かねてから多大なご支援をいただき、 ありがとうございます。
角野
若いころは厳しかったけど、ある程度、気持ちにも経済的にも少し余裕ができた年齢となり、ああ、そうだ、自分もぼちぼちそういうことを考えないといけないなあ、今の私にできることは進んでやっていこうと、そんな想いに至ったんでしょうね。
インタビュアー
学習院サポーターズ倶楽部という制度が発足した際にも、早速、ご加入いただきました。
角野
はい、会員番号22番です(笑)。一定額を自動で引き落とす実に分かりやすいプランでしたから、ついその気になったかのもしれません(笑)。
インタビュアー
在学中の思い出といえば、やはり演劇ですか?
角野
私は学習院にたくさんのご恩をいただきました。高等科でも大学でも芝居に熱中し、自分たちの劇場(アトリエ)も作ることができた。正月以外の毎日、目白に来ました、演劇のために(笑)。放課後は外周を走り、血洗いの池に戻って発声練習、夜遅くまで芝居の稽古や大道具も作りました。
インタビュアー
角野さんは、なぜ、学習院を志望されたのですか?
角野
私が学習院に入学したのは、たまたまのなりゆきです(笑)。でも、今思うに、学習院でほんとに良かった。とにかく学生時代が一番楽しかった。皆で創り上げる共同作業は充実感も達成感もあるし、それを観てお客さまが喜んでくださる。それが我々のかけがえのない喜びです。演劇の、その最もベースになる部分を学習院の素晴らしい環境の中で伸び伸びと経験できたことにあらためて感謝しています。
インタビュアー
今回のインタビューに快くご協力いただきましたのも、そんな想いがあってのことですね。
角野
出演させていただいた「黙阿弥オペラ」という井上ひさしさんのお芝居に、「ご恩送り」という台詞があります。それは、ご恩のある方々に「ご恩返し」をするのではなく、そのご恩を次の若い世代に送るという意味です。私はこの言葉が大好きで、学習院への寄付も、次の世代へ受け継ぎ、渡していくための「ご恩送り」と理解しています。
インタビュアー
後輩たちには大変ありがたい先輩です。
角野
実は以前、キャンパスを飛び込みで訪ねたことがあって、学習院がどんどん変わりつつある実感を得ました。時代とともに学習院が変革していく中、教育や施設の拡充など、後輩たちに「ご恩送り」すべき内容はたくさんあるように思います。
インタビュアー
母校への熱い想いに深く感謝いたします。
角野
今の自分があるのは、学習院のおかげ。だから、お金があるから「寄付してやるよ」ではなく、「ありがとうございます」の自然で自発的な気持ちがそうさせています。ある年齢になったら、自分を育ててくれた母校を意識してもいいかと思います。老後の不安もあるかもしれないけど(笑)、母校との継続的なつながりがあると、気持ちが落ち着きますよ。
インタビュアー
学習院の卒業生は10万人以上ですが、サポーターズ倶楽部の会員はまだ700人程度。さらなる会員増強に向けて何かアイディアはありませんでしょうか?
角野
芝居だとちょっと重いから(笑)、コンサートとか、トークショーとか、会員集めの何かイベントをやったらどうでしょうかね。学習院にはバンドをやっていた連中がたくさんいます。僕も、彼らも、スケジュールさえ合えば、喜んでお手伝いしますよ。

インタビュー後記

演劇部の先輩には篠沢秀夫氏、児玉清氏、細川俊之氏、後輩には黛りんたろう氏、大森博史氏、宮田慶子氏、田中明夫氏とそそうたる顔ぶれがいらっしゃるなか、角野さんは、大学時代に、旧西2号館1階の運動部の部室や倉庫のある場所に演劇部のアトリエを創設されました。手づくり急造のアトリエでしたが、文学座附属演劇研究所や自由劇場に稽古場として貸したこともあったそうです。その後、大森博史氏の世代が本格的なアトリエに改装しましたが、老朽化などにより取り壊され、現在では富士見会館4階に本格的で大規模なアトリエとして築造され、現役世代へと引き継がれています。
角野さんがその礎を作られた新しい演劇部アトリエにて、大学演劇部の諸君が観客として見守る中、このインタビューは行われました。

  • 本記事は、平成26(2014)年1月に行われたインタビューを掲載しています。

プロフィール

角野 卓造 (かどの たくぞう)

角野 卓造 (かどの たくぞう)

昭和39(1964)年、学習院高等科入学、昭和46(1971)年、学習院大学経済学部経済学科卒業。
高等科在学中から大学まで演劇部に所属。卒業後、文学座附属演劇研究所に入所。数多くのドラマ・映画・舞台 に出演し、俳優・声優として幅広く活躍。なかでも『渡る世間は鬼ばかり』などの橋田壽賀子作品に欠かせない存在となっている。

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