本園の歴史
初代園長の言葉


学習院は明治十年の創立以来八十五年を経て、東京でも最も古い歴史と伝統を有する学校の一つである。戦後幼稚園を廃して居たが、この度皇孫の御教育をお引き受けして、多年の皇室の御恩にも報じようとの願がきつかけとなり、幼稚園を復活することにした。
人間の生活は歴史と伝統とを必ず形作るものであるが、その伝統は生きて、新しい時代に流通するものでなければならない。我々はこの至難の道を選んで幼時から何よりも正直を尊重して、お互同志が思ひやりと尊敬とを持つて相共によい社会を形作るような人間を世に送りたいと念ずる。
幼稚園から大学に至る一貫の教育は我々の理想であるが、怠惰にして素質のない者に高等の教育を受けさそうとは思わない。我々は、学習院を愛し確乎たる存在理由を有するよき学園の実現を志す我々を助けてくれる父母並びに天下の同志と共に、この幼稚園を育てて行きたいと切望する。
昭和三十七年十一月
初代園長(院長兼任)
安倍 能成
沿革
1847年に京都御所のとなりに設立された「学習所」が
学習院としてのはじまりでした。
学習院の淵源「学習所」が京都御所のとなりに設立。
主に公家を対象とした教育機関であった。
「学習院」の勅額を下賜される。
10月17日、神田錦町に華族のための学校として、学習院ができる。
麹町区永田町の華族女学校に幼稚園を設置。開園時32名入園。
華族女学校は学習院と合併。
学習院女学部となり、幼稚園も学習院女学部幼稚園となる。
学習院女子部火災。
幼稚園は仮園舎として四谷尾張町の初等学科正堂に移転。
幼稚園は学習院女子部と共に赤坂区青山に新築移転。
学習院女子部は女子学習院と改称。それに伴い女子学習院幼稚園となる。
戦局悪化のため幼稚園の保育中止。
戦災のため焼失。
官立を離れ財団法人学習院となり、幼稚園は廃止。
目白に幼稚園再開園。学習院幼稚園となる。
幼稚園園舎(旧園舎)解体。新宿区下落合の仮園舎にて保育開始。
新園舎落成。
幼稚園再開園50周年を迎える。