日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


4/1/2006(土)

4 月 1 日は、十年以上前に百八歳でなくなったぼくの曾祖母の誕生日なので、彼女の話を書くことになっている。 これは、一年ごとに続いていく壮大な連載物である(4/1/2002, 4/1/2003, 4/1/2005)。

曾祖母は、4歳だか5歳だか忘れたが、非常に幼い頃から小学校に通っていた。 といっても、別に飛び級とか英才教育の制度があったわけではない。 彼女が育った東北の田舎では、大人は農作業などで忙しいから、小さな子供たちの世話は、少し大きな子供たちの仕事だったらしい。 ところが、曾祖母の面倒をみている少し大きな子供たちが小学校に行ってしまう。で、幼い曾祖母もいっしょについていった。 そうやって小さい子が教室にくっついて行き何となく時間をつぶすことも認められていたようだ。 ただし、曾祖母の場合は、勝手に授業を受けて、小学校の子供たちと同じように勉強ができるようになってしまって、そのまま、なしくずし的に、早期教育を受けていたということらしい。

晩年の曾祖母は、ずっと以前に曾祖父に先立たれ、高田馬場でいくつかのアパートを経営し、一人で暮らしていた。 算盤(そろばん)をはじいて、アパートの収益や貯金や利子を計算し、筆をつかってさらさらと帳簿を付けていた。 税金の計算もすべて自分でおこない、申告書も自分一人で完璧につくっていた。

それなりに立派な家に住んでいたので、時々、銀行のセールスマンが貯金をさせられないかと訪ねてきた。 そういうとき、曾祖母は家の奥からのそのそと出てくると、

「ご覧の通り、ババアなもんで、お金は畳貯金(たたみちょきん)でございます。」
と答えていた。 もちろん、これは真っ赤な嘘で、彼女のことだから利息のことなども徹底的に計算して、資産運用していたはず。 でも、百近い婆さんに、東北弁でこう言われたら誰でも退散するしかなかっただろう。 彼女は、婆さんだと思われて馬鹿にされたくない、などという精神とは無縁で、婆さんならば婆さんであることを戦略として最大限に利用する、という考えの人だったのだ。
学会のあと、少しだけ松山で観光して(もちろん、これは出張旅費とは別)東京に戻った。

あちらではネットから切り離されていたので、たまっていた膨大なメールを読むことに。 それにしても、学習院長の田島先生が亡くなっていたのには驚いた。


4/2/2006(日)

「ニセ科学」シンポジウムの企画にあたって、そのために本業(研究だけでなく、教育、教科書の執筆など)の時間を割くことは、できるかぎり避ける方針でやってきた。 シンポジウムが終わった今、報告などをきちんとすませたら、できるかぎりさっさと本業のみに専心する体制に戻りたいと思っている。 もちろん、「ニセ科学」の問題は重要だし、それと関連する教育の問題にはこれからより真剣にかかわっていく必要があると考えている。 それはそれとして、(少なくとも今は)やっぱ研究と教育を必死でやっているからこそ田崎という物理屋が意味をもっているわけで(と、本人は思っているわけで)、研究しなきゃ、講義の準備しなきゃ。 いや、これは不正直な言い方だな。 そういう理屈抜きで、考えかけのことの先をやりたいし、講義の構想を練りたいし、新学期に向けた準備をちゃんとしてスムーズに、よい講義をしたい。 理屈じゃなくて、本能的な話だね。

とは思う物の、シンポジウム関連のメールが多い。

出席してくれた人の感想メールだけでなく、資料などの問い合わせ、出席できなかった人からの応援や質問のメール、などなど。 「××菌を使ったクリーニングが流行だが、本当に効くのでしょうか?」というクリーニング屋さんからの質問メールまである。 そういうのに、片っ端からものすごいスピードで返事を書く。


学会のあいだは、ずっと外食だったし、夜は(一人で過ごした)最初の晩以外はひたすらビールを飲んでいた。

そういう不健康ライフに見切りをつけるべく、ともかくプールへ。

さすがに、疲れも残っているので、本調子ではないが、淡々と泳ぐ。 泳ぎながらも、ついつい、シンポジウムの要約の原稿を考えたり、答えていないメールへの返事を検討したりしてしまう。

が、しばらく泳いで、筋肉が暖まり、体を動かす本能的な喜びを感じ始める頃になると、自然と、シンポジウムのことではなく、driven lattice gas の遷移ルールを完全に決定するための設定の検討とか、zero-range process を出発点にした摂動など、次に向かうべき方向について具体的なことを考えている。 これぞ本能の勝利。

久々に泳いで、非常に気持ちがよかったが、プールを出ると大雨で、せっかく乾いたのに、足なんかまたずぶぬれになった。


4/4/2006(火)

調べてみると、今学期の駒場の講義「現代物理学」の第一回は 10 日の月曜日だとわかった。 がーん。この日は、こちらの新入生のための履修ガイダンスがあり、物理学科教務委員のぼくが一人でしゃべりまくって新入生に あきれられる 刺激を与える恒例の日なのである。

履修者の取り合いのある(?)選択科目で第一回が休講というのはなかなか痛いところだが、残念ながら、こっちの新入生へのガイダンスは超重要なので、しかたがない。 駒場にいらっしゃる方で、去年「現代物理」をとって面白いと思った人は、まわりに宣伝してあげてくださいな。 面白いと思わなかった人は、ええと、あれだ、ま、「現代物理」には触れず、普通に青春を謳歌してください。


4/6/2006(木)

(以下は、○○さんと△△さんに取材した事実にもとづいて田崎が書いたものです。○○さんも△△さんも実在の学習院大学物理学科教員ですが、田崎ではないです。)

物理学科の○○さんが大学に来てみると、大学内は新入生と新歓の学生たちでごった返している。 なるほど、今日は入学式だな。 少し自信がなかったが、これはどう見ても入学式だ。背広を持ってきてよかった。 それにしても式の開始まで時間がない、急がねば。 そう思いながら○○さんが急いで歩いていると、あちらから、同じ物理学科の△△さんが来るではないか。

○○「△△さん、急がないともうすぐ入学式ですね。」

△△「え? 入学式は明後日だと思っていました。」

○○「何を言ってるんですか。今日ですよ、今日。もうすぐですよ。」

 ちなみに、○○さんは、きわめて優秀な物理学者であり、そして、つねに自信に満ちている。

△△「そうでしたか。いやあ、○○さんに出会ってよかった。」

 ちなみに、△△さんも、きわめて優秀な物理学者だが、腰の低い謙虚な方なのである。

△△「これから家に戻って、背広を急いでとってきますね。では。」

押しの強い人が強く信じて主張し続ければ「真実」になってしまうという、まるで「ニセ科学」の誕生のような話ですな(しかし、入学式が明後日という事実は変わらないのである)。
新学期に向けて、なんか、いろいろあって、ぜんぜん仕事が進まない。

いくつかの方面を待たせてしまって、ご迷惑をおかけしている。ごめんなさい。がんばります(といっても、海外の人には届かないね)。


4/7/2006(金)

Wiegel 氏による免疫系の B-cell についてのセミナー

Wiegel 氏は、江沢先生とのご縁があって学習院に来ているので、実は、ホストであるぼくも、彼の仕事はほとんど知らない。 今日のセミナーでは、ブラウン運動モデルによる解析よりも、B-cell の働きや、hyper mutation による適応など、背景となる話を、われわれ統計物理学者にとって、もっともわかりやすい形で聞けたことが有益であった。

しかし、あれだ。 生物関係の講演というと、やたらかっこいいカラーの図版とか CG のアニメーションなんかを見せるのがごく当たり前の世の中なんだけど、Wiegel 氏の話は、すべて手書きの単色の OHP で、図といっても、丸と矢印くらいしか描いてないのがちょっとだけ。 免疫系の働きなんかについては、全部アドリブで口で説明する。 逆に、新鮮でさえあった。

Wiegel 氏によると、オランダでは、よいセミナーというのはきっちり四十五分間で終わらなくてはならないらしい。 ぼくらは何時間でもダラダラやるのだとしつこく説明しても、しきりに腕時計を見ながら、きっちりと一時間以内で終わらせていた。 考えると、途中でぼくが話を止めまくっていっぱい質問していたので、彼が話した時間は、ちょうど四十五分くらいだったかも。


セミナーのあと、コーヒーを飲みながらだべっていて、彼の今回の「日本ツアー」のもう一つの持ちネタの方についてもセミナーをしてしもらうことになった。
Wiegel 氏の非公式セミナー「Wolfgang Pauli and Carl Jung」(4 月 17 日)
パウリとユングのあいだに交流があったことは有名だ。 ぼくも共著とされる本を学生時代に買って読んだ(ユングの書いた物も読んだ。そういう時代だったんだよね(年齢がばれる))。 どういうセミナーになるかはわからないけれど、なかなか面白いかも。

江沢先生の提案により、心理学科と哲学科にも、セミナーの案内をもっていこうということになった。


ところで、セミナーのあとに理論グループのお茶部屋に連れて行ったところ、Wiegel 氏が、「この部屋は何だ? おまえのオフィスか?」と聞かれる。 いや、いくらぼくでも、あんな部屋をオフィスにはできない。

お茶部屋かつ書庫であり議論と教育の場であることを説明すると、Wiegel 氏は「この部屋には、必要なものがすべてあって、すばらしい!」と力説しはじめた。 大きな黒板があるので、いつでも議論ができるし、書庫があるので、数学公式集のような必携品からアインシュタインの全集といった特殊なものまで、必要に応じて即座に参照できる。そして、議論しながら、コーヒーを飲んでお菓子を食べることもできるのだ。

ぼくも、これは理論物理の研究・教育に理想の環境だと思う、そして、これは江沢先生たち先輩がつくってくれた環境なのだということを説明した。

Wiegel 氏の絶賛は止まらず、ついに、コーヒーを飲んでいたテーブルまでも理想的だとほめ始めた。 テーブルクロスをめくって机のつくりを検分する。 大きなしっかりした木のテーブルは、きっと昔の物理実験用の机に違いない。 これなら、皆でテーブルを囲んで、お茶を飲みながら議論することもできて、素晴らしいではないかと大絶賛。

さすがに、このテーブルの由来までは、江沢先生もご存知ないようだった。 それこそロゲルギスト O こと大川章哉先生(故人)あたりに伺う必要がありそう。


4/8/2006(土)

入学式。

毎年のことなのだけれど、やっぱり、新しく入ってきた学生さんたちの顔を見て、彼らと話していると、こちらも、ぐおおおおおと、元気とやる気が出てくる。 「みんな、オラに元気をわけてくれ」っていう奴だよな。 やっぱ、これが教育機関のいいところだと思います。

大学というのはとても自由でとても楽しいところだけど、けっきょく、それぞれが選んだ専門である、数学、化学、物理(と、それぞれの学科の新入生の顔を見わたす)を一生懸命やるのが一番楽しいと気づいて下さい、お手伝いしますよ --- というような話を、理学部の教員紹介のときに、する。

あと、来週から始まる「数学 II」(去年までの「物理数学1」)は、もう気合い入りまくりで、昨日も初回に配ろうと思って講義ノートを印刷していたら全部で千五百枚以上になって部屋に持っていくのが重くて苦労した、これを講義前に配りたいのだけど、いつどうやって配るか悩んでいます、と一気にまくしたてたけど、これはすべて真実。 57ページ分を数十人に配るわけだから、(一枚の紙に2ページ印刷するけど)すごい量になってしまうのだ。 全部でなくてもいいから月曜の履修説明会で配ることを真剣に検討中。

物理の新入生を見渡すと、オープンキャンパスでお馴染みの顔も。 おお、ちゃんて入ってきてくれたのだね。楽しくがんばろう。


上にも案内を出したけれど、
統計物理学フォーラム
というのを始めます。

要するに不定期のセミナーなのですが、世話人(すなわち常連ということになると思う)が色々なところに分散しているのが特徴。 東京なんて狭いのに、同じ人が同じセミナーを色々なところで何回もやったりすることが多いし、聴く方もあまり少ないと議論が盛り上がらないこともあるし、というようなことを考えて、ともかく、東京地区で統計物理関係のセミナーを非定期的に開こうということを考えました。 ある程度たくさん人が集まることで、議論が盛り上がったり、新たな問題提起や出会いがあれば楽しいし、また、若い人たちにどんどん来ていただいて、いっしょに盛り上がってもらえれば、本当にうれしいと考えています。

色々な人が集まれることを考えると、ついつい土曜日になってしまいそうです。 統計物理学フォーラムなら面白いから土曜日をつぶすのは全く惜しくないと思えるような会になるといいですね、というか、やるからには、そういう会にしよう。

今回は、まあ物は試しということで、金子さんのセミナーを第0回と認定して始めることにしました。 第1回でなく0から始まるのは、 Eva だって零号機からではないかというアニメ通の高野さんの強い主張によるもの まだまだ流動的なので、この第0回に顔を出していろいろと意見を言えば、これから先の(第1回以降の)あり方もどんどん変わっていくぞという意味だろうとぼくは解釈しています。

あ、あと、この世話人一同っていうのは、適当に顔を合わせたり、だべったりしたメンバーが気楽に集まっただけのものです。 ま、この人たちは、常連みたいなもので、半分くらいは顔を出しているはず、くらいに受け取って下さい。 言わずもがなですが、この顔ぶれが東京地区の統計物理学を代表するつもりなのか、とか、そういうのはやめてね。


4/10/2006(月)

履修説明会。 朝一番で会場に行ってみると、配るべき資料が届いていない。朝から走る私。

今年は、とくに時間割のトラブルなどもなく、無事にすんだようだ。

説明会のあと、他学科の新入生が「二年生の科目を一年のあいだからとってもいいのか?」と質問している。 やる気があるなあと思って聞いていると、「二、三年でできるだけ楽をしたいから、今のうちに・・・」と動機を語っているので、とっさに、

「それは、(歳を取ってから)死なないように(若いうちに)体を鍛えておこうというようなものだ」
と横からツッコミをいれる。

真面目な話、二、三年生で楽をする最良の方法は、一年生のときに学ぶべきことをばっちりと学んで基礎をしっかりつけておくことだ。 いかにも先生が言いそうなことだけど、あまりに真実なので。


卒業研究で理研に配属されている W 君と久しぶりに会う。

「理研はどうだい?」と聞くと、「まだ、なかなか慣れなくて・・」とのお答え。 うん、そうだろう。 理研は大人の世界だから、大学とはちがう空気だからね --- と思ったが、そうではないらしい。

彼の所属している理研のグループは大阪の人ばかりなので、「大阪の文化に慣れない」のだそうだ。

「『ここは、つっこまんとあかんやろ』とか言われるんです。」
とのこと。

しゃあないなあ、今度からは、理研に行く子には、ぼくが大阪弁の特訓をせなあかんか。


4/12/2006(水)

講義開始。

通いなれた教室で、よく知っている顔が並ぶ三年生のクラスに、何年も教えている統計力学を教えるのだが、妙に久々という感じがして、緊張してしまう。 講義が始まっても、こうやって教壇で話すのは本当に久しぶりだという妙な実感がある。

実際、春休みは長い。でも、それだって例年のことのはずだ。

ひょっとして時間の経つのがゆっくりになっているのかな? 歳を取ると時間は速くなるというのが定説だから、ぼくは若返っているということになるぞ。


4/13/2006(木)

大宮ソニックシティホールにて「東京事変」。

2月の武道館では、軽やかに完成度の高いボーカルを聴かせてくれた林檎が、今日は、一転して、チャレンジングで多彩な声を聴かせてくれた。 攻めのボーカル。 「入水願い」はかつてのツアーを越える熱唱・名演だったし、キーボードの和音で始まる新アレンジの「スーパースター」には四十過ぎの理論物理学者までもが涙したと伝えられる。 さらに、ベースの亀田とドラムスの刄田のリズムセクションのテンションの高さも圧巻。 「入水願い」や「本能」の後半でくりだされる異常なまでに複雑で激しいリズムには(詳しいことはよくわからんのだが)ただただ翻弄され飲み込まれ陶酔させられた。

世の中には、ツアーのあいだ、飛行機や電車を乗り継ぎホテルに泊まって全国各地で開かれるコンサートに何度も何度も出かける人がいるということを、最近になって知った。 そんな余裕のある人がいるということだけでも驚きだし、たとえ余裕があっても、そこまでやる必要があるのかと思っていた。 しかし、今回、わずか二ヶ月しかあけずに「東京事変」のライブに出かけたことで、そういう人々の気持ちが、わずかながら、わかった気がする。

たしかに、(自分が愛するミュージシャンの)ライブには中毒性がある。 (今さら、田崎ごときに言われんでも、こっちはもっとよくわかっとるわいという方も多いとは思いますが)体と精神がライブに慣れてきたとき、ライブで味わうのは、単に音楽を聴く喜びとはまた別の次元の、純粋な快感だ。 音がいい、低音やドラムが腹に響く、臨場感がある、リアルタイムで進むといった要素を数え上げるだけでは理解しきれない、より本能的で肉体的で原初的な快感がある(気がする)。 そういう快感を味わってしまうと、ライブの後に CD を聴いたりビデオを見たりしても、ライブでの快感を体が思い出す。 そして、またライブに行きたいぞという動物的な衝動を感じてしまうのだ。 うおおお。ライブ行きたい。 プール中毒の人がプールに行きたくなるのといっしょだ。 うおおお。プール行きたい。

しかし、林檎たちといっしょに全国をまわって、たくさんのライブを聴いた奴とか、ツアーが終わったらどうなるのか、想像するだけで、ちょっと怖くなる。 DVD が出るまではひたすら廃人のように完全に脱力して暮らし、DVD が出てからはツアーを反芻しながら聞き倒すも生でなくては味わえない快感を求めて悶絶しつつ、次のツアーを待つのだろうか?


4/14/2006(金)

一年生へのはじめての講義。

幸い、一昨日に講義をしたので、前で話す勘も戻ってきたし(三年生のみなさん、すみません)、ま、それなりの滑り出しだったのではないか? 物理を学ぶためになぜ数学が必要かというような話をしたわけだが、けっきょく、「物理とは何か?」「科学とは何か?」みたいな、大きい話になり、ついには「水からの伝言」にまで話が及んでしまった。 塾の先生(しかも物理学科出身!!!!)が「水伝」を信じていて、教わった(が、もちろん、教わった方は信じなかった)という証言が出てきたのには正直に驚いた。


4/17/2006(月)

「現代物理学」初回。

やたら人が多く、かつ一年生が多かったので、ついトークに走る。 物理とは何かといったことを話しまくっていたら、けっきょく九十分が過ぎてしまった。

後で話していたら、これからも数式を使わない講義になるのかと心配した人がいたようだ。 それは失敗。 もちろん、本番になれば、ばんばん数式や証明がでてきます。


[Pauli and Jung]
Wiegel 氏の非公式セミナー「Wolfgang Pauli and Carl Jung」
おもしろかったが、前回と同様、OHP が少ない。 もっとパウリのみた夢の内容とか、二人の往復書簡とか、資料を見せてくれればよかったなあ。

どうせ手書きの OHP しかないだろうと予想していたので、セミナーの寸前に(アカデミックな非営利的使用なので著作権の問題もないだろうということで)右のような OHP をちょちょっと作りセミナーの前に写しておいたら、Wiegel 氏も喜んで使ってくれたのでよかった。

今日の話のポイントは、パウリがユングの思想や夢の分析に傾倒していたことそのものより、自然科学におけるわれわれの発想や概念形成が、「無意識」にアーキタイプ(原型)として用意されている概念の類型にどこまで縛られているか、ということだと思う。 たとえば、原子の存在の直接的な証拠がまったくなかったといってもいいギリシャ時代にも、「ものを構成する最小の粒子である原子」という発想が存在したということは、「原子」というアイディアが人間にとってかなり自然なものだという証拠だと考えられる。 (昨日の話をぼくなりに理解したところでは)ユングの解釈では、これは人間集団のもつアーキタイプの一つとして「原子的なもの」があることの反映だということになる(そのことと、原子論が正しいか否かはまったく無関係であることに注意)。 この論点をつきつめていった際に問うべき問いは、

この世界に、未だ人類は発見していない完璧に正しく普遍的な物理法則があるのだが、それを定式化するための概念は、われわれのアーキタイプに蓄えられた「原・概念」とまったくもって対応していないとしよう。 人類は、いつの日か、この物理法則を発見し定式化することができるか?
ということになろう。 セミナー後のお茶の席でこれを聞いたところ、Wiegel 氏の答えは "No" だったし、多分、ぼくも同じことを信じているような気がする。 もちろん、これは(少なくとも、人類や人類が将来つくるであろう知性と付き合っているだけでは)決して答えの得られない問いなわけだが。

こうして、話は、一年生の講義で話したようなことに戻ってくる。 けっきょくのところ、本当に驚くべきは、われわれ人類のような存在が多少なりとも世界を理解できるという事実なのだろう。 集団的なアーキタイプなるものが存在し、それが自然科学の概念形成に本質的な役割を果たしているのだとすれば、なぜ自然淘汰の中で、われわれがそのようなアーキタイプ群を獲得し得たのかということが、心躍る疑問になる。

しかし、こういう話になると、英語が極端にヘタになる。 普通のセミナーのつもりで話し始めてスラスラと話すのだが、肝心のところで語彙が極端に貧困になり(というより、適切なテクニカルタームとその活用形が口に浮かんでこなくて)口ごもってしまい、自分で驚いてしまう。


セミナーには、遠路はるばる(というわけでもないのだが)あのナカムラさんが出席してくださった。

あと、村上陽一郎氏が来られたので、たいへん驚いた。


「パウリとユング」のセミナーをしてもらうことになって以来、むかし買ったはずの二人の共著(とされる本)「自然現象と心の構造」を見ようと思って、本棚を探していた。 いくら見てもみつからないので、昨日のセミナーのあと、意を決して、あたりの段ボール箱を片っ端からあけて探してみた。 なにやら「大乗仏典」とか魔法の本とか変な本がいっぱいでてきたし、ユングの本も自伝も含めて何冊かみつかったが、肝心の共著はみつからない。 レムの「完全なる真空」がでてきたのには驚いた。 ぼくは、この本はもっていないつもりだったから、多分、妻が買ったものだろう。 そういえば、しばらく前から、むかし買ったはずの何冊かのボルヘスの本を探しているのだが、こちらは、どうがんばっても出てこないのだ。 果たしてぼくは本当にボルヘスを持っていたのだろうか、そもそも、ボルヘスという至高の作家が存在したということ自体がぼくの夢だったのではないか?

などと思いながら、部屋に段ボールが散乱したまま、あきらめて、ふと本棚をみると、江沢先生が訳したファインマンの本の横に、ちゃんとありましたよ。 すでに古びた「自然現象と心の構造」が・・・

さっきも江沢訳ファインマンはちゃんと見た記憶があるし、そのときは「自然現象・・」なんて全くなかったのに。嗚呼、現実世界のなんと不定で不確かなことよ。 悔い改めるがよい、頑迷なる物質主義者どもよ!





うう。こういう話になるとどんどん書いてしまう。やっぱ、好きなのか。


4/19/2006(水)

書店に並んだばかりの「月刊アスキー」 2006 年5月号 p.112 に、

「ニセ科学」に警鐘を鳴らす物理学者・田崎晴明教授インタビュー
教育現場にニセ科学を持ち込むな
という記事が掲載されている。

例によって、シンポジウムを企画・提案したということで、ぼくのところに取材にいらっしゃって、ま、こういう記事になったわけである。 「ニセ科学」について議論するシンポジウムを提案した以上、外に名前が出て、(あくまで、ある程度までだけど)批判されたりするのは仕方がないだろうと最初から思っている。 しかし、こうやって、「警鐘を鳴らす物理学者」とか格好良く書かれてしまうと、なんか恥ずかしいし、ちょっとずるいような気がする。

もちろん、インタビューの中身を読めば、菊地さんや天羽さんが「ニセ科学」と向き合う活動をずっとしてこられているので、それを物理学者に紹介したいと思ってシンポジウムを提案した、ということがちゃんと書いてある。 でも、この見出しだけみると、ぼくが先頭に立ってバシバシやっている「怖い物理のセンセイ」みたいに見えてしまうよなあ。

というのは、実は、これを書いている本当の理由ではない。 この記事の中に、ほんの一カ所だけ、ちょっと困ったことがあるのだ。

インタビューはぼくらの主張をとても上手にまとめてくれた素敵なものだし、ライターの秋山さん(←彼女はシンポジウムの議論のときにも質問をされた)が愛媛大学まで足を運ばれて速攻で書かれたシンポジウムのレポートも簡潔ながら本質をついた見事なものだ。 さらに、この記事(見開き2ページの短い記事なんだけど)には、科学理論の位置づけについての、小さいけれどナイスな(図解を使った)解説までついている。 科学理論というのは単純に白黒(正しいか間違っているか)に二分できるものではなく、「限りなく白」と「限りなく黒」のあいだに真偽の定かでない広大なグレーゾーンがあるということを、たとえば「地球は丸い」といった「理論」を例に、わかりやすく図解で説明してくれている。 で、一つだけ困ったことというのは、この図解の中で、「ビッグバン宇宙論」が未だグレーゾーンだという書き方になっていること。

ビッグバン宇宙論や科学者が提唱する最新の理論はいまだグレーゾーン。
と書いてある。

ぼく自身は、かつてはグレーで疑う人も多かったが、多くの証拠が積み重なった結果、今や(「地球が丸い」ほど白ではないにしろ)「ほぼ真っ白」になっった理論として「ビッグバン」を挙げたのだった。 しかし、その点が伝わりきっていなかったことは、学会の直後にゲラ刷りを見たときにわかった。 その時点で訂正をお願いしたのだが、まだ完璧にぼくの趣旨が伝わらなかったようだ。

せっかく、色々な意味で優れた素敵な記事を書いていただいたのに、ここで「ほお、ビッグバンはやっぱり未だあやしいのか」という印象を読者に与えてしまうのはまったく本意ではないし、残念なことだ。

なんとかできないものか考えたいが、ともかく、この日記に書いておこうと思った次第。


それはそうと、何だかめちゃくちゃ忙しい。

原因をたどれば、一重にぼくが欲張りで色々なことをしたがるからなんではあるが。


4/22/2006(土)

統計物理学フォーラム第 0 回の金子さんのセミナーに出席するため、東工大へ。 最近の東工大は、訪れるたびに小ぎれいになっていく気がする。 女の子が増えているし 新しいきれいな建物や遊歩道ができている。

金子さんの話の概要は、去年の久保シンポジウム(10/8/2005)で聞いている。 ぼくは、初めての話をセミナーで聞いてその場で理解する緊張感が大好きなので、ちょっと残念。

ま、二回目(こんな長いバージョンは聞いたことがないので、初めてのところもあるのだが)なので、なるべく深くちゃんと理解しようと思って、考えながら、聞く。 ううん。前にはわからなった論法をちゃんと聞いてみると、気に入らないことがわかった。 セミナーの最後に、どう気に入らないか説明し、ぼくならどうするかを説明し、おわった後でホワイトボードに短い(当たり前の)式を書いた。


統計物理学フォーラムそのものは、数十人の参加者があり、よい感じだったのではないだろうか?

筑波から有光さんが来てくださったのは意外な喜び。 若い人も多く、ぼくや金子さんがお顔を知らない方もたくさんいらっしゃったのは、とてもよかった。

終わったあと、世話人+アルファで飲み食いしながら、各種の雑談。 統計物理の現状について話題になったとき、金子さんが、誰に言うともなく

「生物やればいいじゃない」
と発言。

ううううん。 ついつい、真面目な答えを探してしまうではないか。 確かに、新しい実験や測定を提唱し、ゆらぎとか分布とか相関とかを見ながら理論的ストーリーを紡いでいく作業は(たとえ、激烈に本質的で革命的な何かに出会うところまで行かなくても)愉しいだろうと思う。 ただ、(偉そうな言い方だけど)ぼくは、スタンダードな物理で非常に愉しい思いをしたという経験をそれなりに持っている。 物理的直観や描像が数理的直観や描像に結びつき、そこから、ある程度の普遍性をもった結果が数理的厳密さをもって現れてくる、というのは、やっぱり異常なまでの快感なのだなあ。 ぼくの趣味にあっている。 なんというか、この直観と数理の結びつきの必然性の強さというのは、少なくともぼくには、他の学問では味わえない圧倒的な醍醐味と感じられるのだ。 もちろん、物理をやっていて、これからもそういう快感を味わえるという保証など全くないわけだけど、それでも自分なりにとっかかりがある間は、もう少しここでがんばっていたいと思ってしまうのだなあ。 ま、ぼくもオフィスの本棚にわざわざ(でかい) THE CELL を置くことで「生物に関心あり」と意思表示したりもしているわけだけど。


家に戻って、さっきホワイトボードに書いた考えを使って、ぼくなりに「氏か育ちか(V_p と V_g の比較)の問題をもっとも簡単なガウス分布の場合に考えてみるが、金子さんの話とはちょい違うぞ。
4/24/2006(月)

午後から国場研で Stochastic Loewner evolution の入門セミナーがあるということを、昨日の夜おそくに佐々さんから聞いた。 前々から、そういうすごいものがあるという話だけを聞いていて、実体はまったく知らなかった。 このチャンスを逃す手はないと思い、講義の(あとの学生さんの質問に答えて、マイクを返却した)あと、学食に行って大あわてで鉄板焼き+ライス大盛りを食べ(すみの方の席に座ったら、同じテーブルにいたのが講義に出てくれていた女の子で、挨拶されてしまってちょっと恥ずかしかった)、小走りにセミナー室に向かい、開始3分前に到着。 われながら、すごい能率。 学生時代、こんながんばったことはなかったかも。

堺さんのレビューは、よく整理されており、ときどき肝心なところを質問しながら聞くことで、基本的な素材については理解できたと思う。 もちろん、ここから様々な臨界ランダムウォークが出てくるという、もっとも衝撃的なところのカラクリは(今のところ)ちっともわからないのだが。 このセミナーに出席していると、そこらへんも教えてもらえそうだ。


セミナーのあと、香取さん、笹本さんとお茶をしながら、関連する話などについて色々と教えてもらう。

佐々さん、小松さん、金子さんの顔を見て、駒場を後にするものの、実は、今日は、山手線が工事の不良で大幅に止まったのだった。 夕方には復旧はしていたが、異常な混雑ぶりで、降りるときに押されて転んでしまう人もいるし、乗っていても今まで味わったことないくらいに押し潰された。 はっきり言って、お年寄りや妊婦さんには確実に危険なレベルだ。 JR は、ちゃんと警告を発するべきでしょう。

けっきょく高田馬場で押し出されたあと、もう一度、電車に乗る気がおきず、歩いて学習院へ。

予想通り、入学課から留守番電話が入っており、腹ごしらえしてから本部棟に出向いて打ち合わせ、そして、書類作成。


まあ、よく働くこと。
4/25/2006(火)

ビッグバンの件(19 日)についてのアスキーの訂正がさっそく出ていますね。 誠実な素速い対応に感謝します。


4/26/2006(水)

よく考えてみたら、こんなん html 手打ちするよりどっかでブログとかいうのにしちまったほうが楽だなあ
ダークサイドの誘惑に負けてはならぬ! (エピソード 3 とか、適当に見ただけなので、パロディーにもなっていないが、そんなことを言っている場合ではない緊急時である。)
4/27/2006(木)

今日は講義はなく午後から会議なので、午前中は在宅で仕事。

妻は、子供たちにお弁当をつくるため五時台からおきているので、お昼前の空き時間に、居間のソファーで眠っていた。 そろそろお昼だからおこそうかと思っていたら、彼女が自然に目を覚ましたようだ。

そして、ソファーから起きるなり、

「おそろしい夢をみたわ」
と言う。 おお、かわいそうに。

どう怖かったのか聞いてみると、

「お昼に食べようと思っていた物が、みんな腐っていた」
という夢だったらしい。

なあんだ。 腐った食い物が化け物になって襲って来るとかならいざしらず、ただ腐ってるだけじゃ、怖ろしくも何ともないじゃないか。

「お昼になって、いっしょに食卓についていたら、あなたがちっとも食べようとしないの。 それで、『なんで食べないの?』って聞いたら、『だって、まずいんだもん』って答えるから、あたしが、かっとなって、すごくキレちゃうの。」
そ、それは、たいへん怖ろしい夢です。
4/29/2006(土)

猛烈に忙しいと言いつつ(いや、本当に忙しいのだが)、こちらの宴会に妻と顔を出す。

前にこちらで知り合った方を除けば、みなさん初対面の方ばかり。普段の世界とまったくちがうので楽しい。

あと、われわれネットにおける一般人としては、切り込み隊長とか、山形浩生とか、ひろゆきとかを、実在の人物として語る人たちに会えたのは、ミーハーな喜びであったことであるよ。

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言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp