日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2016/1/1(金)

喪中につき新年の挨拶は控えさせていただきます(昨年の 3 月に父が永眠しました)。

昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。


2016/1/27(水)

「みすず」の読書アンケートに答えて一年のあいだに読んだ本の紹介文を書くのが冬休みの恒例になって久しい。

しかし、この日記でもちょくちょく書いているように、去年は公私ともに(というか、特に「私」のほうで)大変なことがあり、また、(ある意味でそれに伴って)自分の生き方を見直したりもして、本当に慌ただしい年だった。 じっくりと読書を楽しむなんていう余裕は皆無。 ダレルの『アレクサンドリア四重奏』だって(2013/9/1)ずっと読みかけのままだ(←ただし、こうやって「ずっと本の世界にいる」的な感覚は好き。ジュスティーヌたんたちのいる世界にうっすらと浸り続けている快感)

というわけで、今年はついに「書けません」とお断りしようかとほぼ断念しかけたのだが、最後の土壇場で「反則技」を思いついてしまった。これなら書ける。ていうか、めっちゃ多くの人とかぶる気がするけど、でも、ぼくと同じ切り口で書く人は絶対にいないはず。

で、書いたのが、これです(ちょっとだけフライングで公開)

「みすず」読書アンケート
2015 年に読んだ本(新、旧を問わない)から五冊以内について感想を述べよ。

(1) 岸政彦『断片的なものの社会学』(朝日出版社)
(2) おかざき真里『阿・吽 1〜3巻』(小学館)

ぼくにとって90年代初頭のインターネットは「掲示板の時代」だった。個性の強い主催者がそれぞれのスタイルの掲示板を運営し常連の論客が適度に開いた環境で多彩な議論を交わした。ぼく自身も東北大数学科の黒木玄さんの掲示板に出入りし多くを学び多くを語った。今も親交のある評論家・翻訳家(が副業)の山形浩生さんや文筆家・翻訳家のニキリンコさんと出会ったのもこの掲示板だ。

その頃よく見ていた掲示板の一つに面白い奴がいた。社会学の大学院生。短い(多くの場合くだらない)投稿が強い印象を与える。興味をもって彼の個人ページの文章を読んだ。内容はほとんど覚えていないが圧倒的な筆力から受けた驚きは忘れない。こんなすごい文章を書く奴がいるんだ。でも、これを読むのは一部の掲示板の常連だけだろう。天才的な文才の無駄使い・・

(1)は社会学者の岸政彦が聞き取りの現場で出会った断片的な物語を綴った書、「面白い奴」の近著だ。空き時間を紡ぐようにして一気に読んだ。「すぐ目の前に来たときに気付いたのだが、その老人は全裸だった。手に小さな風呂桶を持っていた。」うん。確かに彼の文章だ。小説のなかの本筋とは関係ないが書き込まれていて心に残る挿話だけを読むような快感。「解釈はしない」と宣言しながらも時には普遍化に流れる岸さんを見るのも一興だ。そしてなにより本書が話題の書となり彼の文章が広く読まれていることが素直にうれしい。

(2)は人気漫画家おかざき真里の連載中の作品。最澄と空海の物語である。未完の作品について語るのはフライングだろうが、漫画でこそ可能な表現で重厚な物語が綴られていく様は圧巻。絵も漫画というレベルを超えて美しく力強い。漫画から離れた大人にも自信を持って薦められる作品だ。

2016 年の今、ぼくにとって多くの人とネットで交流する場はツイッターに移っている。ツイッターでのぼくのアイコンは、なんと縁あって真里さんが描いてくれたぼくの似顔絵だ。巨大で流動的な人々の結びつきの中に140 字以内の短い投稿が次々と放流されていく環境には未だ馴染みきれないが、この混沌からどんな文化や出会いが生まれるか楽しみでもある。

800 字程度という縛りのなかで、個人の体験をベースにしたインターネットの変遷論に埋め込んで二つの本(『阿・吽』のほうは三冊だけど)を紹介するという無茶な試みでした。

ちょっと面白いなあと思ったのは、ここに個人名が上がっている人たちは皆さんは今 Twitter のアカウントを持っているということ。せっかくなのでリストしておくと、

そして、まあ、 という感じ。

[Hal by Mari Okazaki]


さてと、Twitter をご覧になってるみなさんにはお馴染みですが、おかざき真里さんの手になるぼくの似顔絵アイコンというのはこれ。 シャツの PFM は Perfume と思うのが標準学説だけど、イタリアのプログレッシブロックバンドの PFM(これが何の略だったか、いつも忘れる。調べずに書くけど、『プレナリア・フラナリア・マルコーニ』かな? たぶん違う)と解釈することも許されるのである。

ご覧のように、思索に耽る端正な顔立ちの数理物理学者が描かれており、知り合いからは「美化し過ぎである」、「本人はもっとヘラヘラしている」などの反応をもらっていますが、一部の人からは「真里さんは田崎さんの本質を見抜いてこの賢く色気のある似顔絵で的確に表現している」と絶賛してもらっているので他の意見を忘れることにしています。というより、本物がこの似顔絵に似るように努力しようと思っている今日この頃。

そういう努力をしつつ、『阿・吽』を手に取ると、まるで自分もこの重厚な世界の登場人物たちの仲間になれそうな感じがして、なんともうれしい。 空海が抽象概念(=漢字の文字列)と戯れる描写とか大好きで、ぼくもあんな風に数理的な抽象概念と戯れたいなあとか思うのであった。

などという「反則技」の紹介はともかく、数多くの優れた漫画が生み出されている今日でも突出した作品の一つだと思うので、ぜひ、みなさん手に取ってみてください(ここで 1 巻の最初が読める! 最澄の話の冒頭。空海が出てくるとさらにすごいよ)。


そして、岸さん。

『断片的なものの社会学』は 2015 年から 2016 年にかけての話題の書で、『みすず』の「読書アンケート」でもめっちゃ多くの人が取り上げるんじゃないかと思う。 そんな中で「ぼくは、この人、すごく昔から知ってて注目してたんだよ〜」という露骨な「反則技」に出たのであった。 でも、紹介の仕方はどうあれ、実際「ものを読む喜び」を与えてくれる本なので、四の五の言わず皆さんも読むといいと思う。

実は、上の記事を最初に書いたときには岸さんの本からのプチ引用はなく、ただ「文章がうまい」みたいなことだけが書いてあったのだが、原稿を読んでくれた担当編集者が「岸さんの文章の特徴を表すような短い引用があるとずっとよくなる」というアドバイスをしてくれたのだ。 たしかに「ただ、文章がすごい」と言うだけじゃアホみたいだけど、でも、文章のよさっていうのはコンテクスト依存だしこんな短い書評の中で引用なんて無理だよ〜って最初は思ったけれど、がんばって本を読み直したら、上に引用したフレーズがみつかった。うん。これは岸さんっぽいよね。やっぱ「全裸」というキーワードも入ってるし。さすがプロの編集者というのはお上手だと感心もした。

岸さんの昔の web ページからなんか引用できると楽しいなとも思ったけど、たぶん、あのページはもうない(少なくともぼくには発見できない)。 色々と読んで「こいつ、すごいなあ」と感嘆したのは覚えているんだけど、さすがに具体的な文章のことはもうぜんぜん覚えてないや。ただ、漠然と思い出せるのは、たぶん「インターネット秘宝館」みたいな名前のコーナーのこと。 岸さんがネットで拾って来た変な写真を載せて、そこに一言のコメントを添えてるっていうだけなんだけど、これが、また他人に真似のできないセンスなんだよね。 記憶の中にある、一言のコメントっていうのは、

あなたが彼を見るとき、彼もまたあなたを見るのである --- と結んでみました。
とか
全ての男(俺以外)の夢をかなえた。
とか
君らがんばり過ぎやろ。
とかだった(気がする)。 どういう写真だったかというのは、かなり覚えているのだけど、ここには書けません。

さてと、「みすず」への寄稿にある、大学院生時代の岸さんの文章を読んだぼくが思わず「天才的な文才の無駄使い・・」とつぶやいたという記述は、そのとおり、事実だ。

もちろん、(これも「みすず」に書いたように)自分がすごいなと思った人の文章は多くの人に読まれたほうがうれしいに決まってる(これは、多分、言葉でコミュニケーションする存在である人間にとってごく自然な感覚だと思う)。 ただ、この「無駄遣い」という言い方には、自分でもずっと何かひっかかるものを感じていた。そもそもメジャーな出版社から出していれば「有用な使い方」で、ごく一部の人しか見なかったら「無駄」っていうのもなんか違うなあと。

そんな違和感の所在を 140 字以内で完璧に表現し「無駄遣い」なんていう言い方をしてしまったぼくを反省させたのが、これ。

「才能の無駄遣い」、使うと減るもんだと思ってるあたりおれの才能観とだいぶ違うな

— イスカリオテの湯葉 (@yubais) May 19, 2015
ちょうど一年前(もう、そんなになるんだなあ・・)2015/1/9 の日記で紹介した『横浜駅 SF』の作者である「イスカリオテの湯葉さん」のツイートだ。論評すると野暮になるので論評抜きで引用した。

湯葉さんのことは(たぶん)現実世界では知らないし、掲示板の時代にも接点はなかった。 ツイッターの混沌の中で出会った人たちの一人、唯一無比の才能をもったきわめて興味深い人物なのだ。ま、ネットも捨てたもんじゃないよね。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp