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公開: 2011年8月4日 / 最終更新日: 2012年4月1日
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放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説

内部被ばくのリスク評価について

本文(「内部被ばくもシーベルト(でも、ややこしい)」)にも書いたように、内部被ばくによるリスクも、シーベルト(Sv)を単位にする実効線量に換算して、外部被ばくと同じように扱うやり方が ICRP などが認める「公式の考え」の一部になっている。 不幸にして内部被ばくが日常の話題になってしまった今日の日本では、このようなリスクの評価がどういう考え方で、どういう手続きを踏んで行なわれているかは、新たな「常識」として知っておくべきことになったと思う。 内部被ばくについては様々な議論があるわけだが、「公式の考え」を擁護するにせよ批判するにせよ、リスク評価の基本は知っておいたほうがいい。

ここでは、ICRP の内部被ばくのリスク評価の基本的な考え方について、ぼくがいくつかの文献を読んで理解した範囲のことをまとめておく。 また、文書の最後に、このようなリスク評価をどこまで信頼すべきかについて、ぼくの(素人なりの)感想も書いておいた。

なお、この解説を完全に理解するためには解説「実効線量とは何か」に目を通しておく必要がある。

このページの目次

内部被ばくについての基本的な仮定

実効線量への換算法

リスク評価はどれくらい信頼できるのか?

付録 1:CERRIE について

付録 2:実効線量係数の例

内部被ばくについての基本的な仮定

放射性物質を体内に取り込み、それによって体の内部から放射線を浴びることを内部被ばくという。 放射性物質の主な取り込み方としては、空気中の放射性物質を呼吸といっしょに吸い込む場合と、食品や水に含まれた放射性物質を飲み食いする場合とがある。

原発事故とは関係なく、たとえば、天然のラドンを呼吸といっしょに吸い込むことで内部被ばくする。 あるいは、多くの食品には放射性のカリウムが含まれているので、ぼくたちは自然に内部被ばくしている。

内部被ばくの場合は、どれくらいの量の放射性物質を、どうやって(呼吸か飲食か)取り込むかが問題になる。 放射性物質の量は(モルやグラムで量ってもいいのだが)通常はベクレル(Bq)を単位にして量ることになっている(ベクレルの定義については、ミニ解説「ベクレル・グレイ・シーベルト」を参照)

ただし、内部被ばくのリスク評価の際には、「放射性物質○○を△△ベクレル経口で摂取したらガンによる死亡リスクが××パーセント上乗せ」というような言い方はしない(してもいいのだが)。 本文の「内部被ばくもシーベルト(でも、ややこしい)」という項目で述べたように、内部被ばくもシーベルトに「換算」する方法が使われている。 もう少し正確に言うと、まず、各々の組織での様々な核種からの内部被ばくの影響を、等価線量という(シーベルトで測る)量で表現する。 次に、体全体の組織での内部被ばくの影響をうまく「足し合わせて」、(シーベルトで測る)実効線量という一つの量で表わす。 最終的には、「内部被ばくの実効線量」と「外部被ばくの実効線量」を足した「合計の実効線量」を、その人が放射線から受けたダメージの総量の目安にするのである。 そうすれば、「1 Sv 被ばくすると生涯ガン死亡リスクが 5 % 上乗せされる」という「公式の考え」(本文の「後からじわじわと影響がでる場合」と付属のメモ「被ばくによってガンで死亡するリスクについて 」を見よ。なお、より正確にいうと、「生涯ガン死亡リスク」は「損害で調整されたがんリスクの名目確率」なのだが、ここではその相違にはこだわらない)にもとづいてガンで死亡するリスクを見積もることができる。

以下では、このような実効線量への換算について解説する。


内部被ばくの影響を実効線量に換算するという方法には、大きく二つの意味がある。

一つ目は実用的な観点。

これについて、「外部被ばくも内部被ばくもいっしょくたなのは大ざっぱだ」という批判もあるようだが、それは的外れだと思う。 リスクが正しく評価されるているのなら、統一的に定量化するのは悪いことではない。体は一つなのだから。

実は、実効線量への換算にはもっと本質的な意味がある。

つまり、単に便利だからやっているのではなく、何らかの方法で外部被ばくに換算しなければリスク評価そのものができないということなのだ。 しかし、このようなリスク評価は、
外部被ばくであっても、内部被ばくであっても、(実効線量を適切に見積もりさえすれば)健康に与える影響は基本的に同じだ
という基本的な仮定に基づいていることに注意しよう。

ぼくは、この基本的な仮定はそれなりにもっともらしいと思っている。 本文の「放射線がガンを増やす仕組み」で簡単に述べたように、放射線の体への主要な影響は細胞内の DNA の損傷(二本鎖切断)によって生じると考えられる。 損傷の頻度は(もっとも大ざっぱな近似では)放射線が細胞に与える物理的エネルギーで決まってくるだろうから、上のように「外部被ばくも内部被ばくも本質的に同じ」と考えるのは、自然だ(この点については、下の「リスク評価はどれくらい信頼できるのか?」でも議論する)。

ただ、たとえもっともらしくても、「基本的な仮定」はあくまで仮定であり、経験的なデータをもとに確かめられた事実ではないということは覚えておこう(いくつかのケースである程度のデータがあるようだが、まだ不完全だという。言うまでもないが、本当に十分な疫学的データがあれば、広島・長崎と比較しないでもリスク評価ができることになる)。


ところで、内部被ばくの危険性を強調する際に、プルトニウムのような放射性物質の微粒子を体内に取り込んだ状況を想定し、
放射線の強度は発生源からの距離の逆 2 乗に比例して弱まっていくという法則がある。 これを逆に使えば、発生源に近づいていくと、距離の 2 乗の逆数で放射線が強まることになる。 1 センチ離れたときの強さを基準にすれば、1 ミリまで近づけば百倍、0.1 ミリまで近づけば一万倍である。 体内の組織にくっついてしまえば距離はほぼゼロになる。仮に 1 ミクロンとすれば放射線の強さは 1 億倍だ!!
という話をする人がいる。 このロジックなら、距離を短くしていけば「放射線の強さ」は限りなく大きくなるので、それこそ、一粒で即死してしまうことになる。 もちろん、この議論はまちがっている。

まちがいの理由は簡単。「強さが逆 2 乗」という法則を、丁寧に述べると、

放射線源の塊がある。真空中では、その塊の広がり(もし球状の線源なら球の直径)に比べてずっと大きな距離だけ線源から離れると、放射線の強さ(流束でもいいし、吸収線量率でもいい)は距離の 2 乗に反比例して小さくなる
ということになるのだ(空気中では、空気による吸収があるので、遠距離でもこの法則は成立しない)。 つまり、「逆2乗の法則」は距離がある程度離れたところだけで成り立つ法則なのである(通常、このような法則を述べるときには「理想化した点状の線源」を考えている。一般向けの説明の際にそういう重要な仮定の意味に触れないのは、物理学者の悪い癖だ。反省します)。

そもそも、放射性物質を含んだ粒子が出すエネルギーは限られている。 粒子からの距離が近くなればなるほど影響がどんどん大きくなっていくという議論は、エネルギーの観点からすれば、おかしいことは明らかなのである(注意:「それだから基本的な仮定は正しいのだ」と言っているわけではない。ただ、「強さが逆 2 乗」を使って内部被ばくの危険性を主張する議論には問題があると言っているだけ)。

なお、ここにさらっと書いたことを,別の解説「『放射線の強さ』は距離の二乗に反比例する?」にもう少し詳しく書いたので、興味のある方はどうぞ。

実効線量への換算法

ある人が放射性物質(正確には放射性核種) X (← X という名前の物質というわけじゃなくて、どんな物質でもいいので仮に X と書いた)を x ベクレル、なんらかの形で体内に取り込んだとしよう。 これによって生じる内部被ばくが、(長い)将来にわたってどれだけの影響を体に与えるかを、実効線量 \(H_\mathrm{eff}\) (単位はシーベルト)で表わす。

簡単のため、人間の組織が 3 種類しかないとすると、実効線量を算出するための流れは次の図のようになる。
[atom]
以下では、この流れを順を追って説明する。

1) 体内での放射性物質の動きの解析(動態モデル)

まず、体内に取り込まれた放射性物質 X が、体の中でどのように動いていくのか、どの組織にどれくらいのあいだ滞在し、どの組織に取り込まれて蓄積するのかといったことを理論的なモデル(動態モデルと呼ばれる)を作って解析する。

動態モデルを作る際には、核種だけでなく、それがどのような化合物の形で取り込まれたかも考慮にいれる。 体の中を多くの部分に分割してモデル化し、取り込み方(呼吸といっしょか食べ物といっしょか)に応じて、物質が体内をどのように循環し、どのように排出されるかの情報も取り入れる。 男女差や、大人か子供か(子供もさらにいくつかの年齢ごとに区別する)といったことも考慮したモデルが用いられている。 モデルは、人間での実測データをもとにして作られている部分もあれば、動物実験や類似の化学物質についての結果にもとづいている部分もある(セシウムの動態モデルの概略は、解説「食品中のセシウムによる内部被ばくについて考えるために」の「付録:計算の詳細」で紹介した)。

ただし、モデルがどれくらい信頼できるかは、放射性物質の種類によって大きく異なると言われている。

2) 各々の組織の被ばく量の評価 --- 等価線量

次に、x ベクレルの放射性核種 X を取り込んだことで、(肝臓、腎臓、甲状腺といった)各々の組織がどれくらい被ばくするかを調べる。

放射性物質 X がどの程度の割合でどのような放射線を出すかは、物理の領分の話なので、きわめて正確にわかっている(体内に入って周囲の化学的環境が変わったくらいでは、不安定原子核の崩壊の様子はほとんど全く変化しない。これは、「原子核反応に関わるエネルギーが化学反応のエネルギーよりも桁違いに大きいこと」の現れである)。 1) のモデルを使えば、各々の組織にどのようなタイミングで放射性物質 X がやってきて、どれくらいのあいだそこにとどまるかがわかる。これに基づいて、その組織がこれから先に物質 X から受ける放射線の種類と量が計算できる(通常は 70 歳になるまでの被ばく量を求める)。 こうして、各々の組織について、各々の放射線(アルファ線、ベータ線、ガンマ線など)の吸収線量が得られる。 吸収線量は組織の単位質量あたりの吸収エネルギーを表わす量で、単位はグレイ(Gy = J/kg) である(ミニ解説「ベクレル・グレイ・シーベルト」を参照)。

ここまで来れば、解説「実効線量とは何か」の「等価線量」で説明した考え方で各々の組織の等価線量を求めることができる。 つまり、放射線の種類に応じた「危なさ」を考慮して吸収線量を足しあげるのだ。 実際、アルファ線は飛距離が短いために外部被ばくにはほとんど影響しないが、内部被ばくの場合には細胞に(吸収線量から予想されるよりも)大きなダメージを与えることが知られている。 そのため、アルファ線の放射線加重係数は 20 と定めてある。

ある組織において、放射性物質 X から出る放射線の種類(アルファ線、ベータ線、ガンマ線など)すべてについて吸収線量を(放射線加重係数で重みをつけて)たしあわせたものが、その組織の等価線量である。 等価線量は、取り込んだ物質 X の出す放射線によって、各々の組織が(これから先)受ける可能性のあるダメージの総量の目安になる。

等価線量は、実効線量を求めるための評価の途中に顔を出すものなので、通常は、放射線防護の場面にでてくることはない。 ただし、いくつかの例外がある(ICRP publ. 103 には「ある状況では、[実効線量より]組織吸収線量又は等価線量の方がより適切な量である(日本語版 p25)」とある)。 われわれにとって重要なのは、甲状腺へのヨウ素 131 の被ばくのリスクを議論する際に甲状腺等価線量を用いることである。 これについては、ミニ解説「甲状腺等価線量と実効線量について」で別個に取り上げよう(この解説を通読した後に読んでいただくといい)。

3) 全身被ばくとの比較 --- 実効線量

x ベクレルの放射性物質 X を取り込んだことで生じる全ての組織への被ばくの影響を上手に「足し合わせて」、体全体へのダメージの目安となる実効線量 \(H_\mathrm{eff}\) を求める

この部分については、解説「実効線量とは何か」の「実効線量」に示した通りの手続きを踏めばよい。 つまり、各々の組織の等価線量を、組織加重係数で重みをつけて、平均するのである。

こうして得られた実効線量 \(H_\mathrm{eff}\) は、

 (放射性物質 X を x ベクレル体内に取り込んで内部被ばくをしたことによる健康への害) = (吸収線量 \(H_\mathrm{eff}\) の「一様ガンマ線被ばく」による健康への害)

という「等式」が成り立つように作られた量であると言ってもいい。 このように、内部被ばくによる複雑な健康への影響を、たった一つの実効線量で表わすことにより、内部被ばくと外部被ばくを統一的に議論しようというのが ICRP の基本的な考え方である。

なお、このような内部被ばくの実効線量の評価では、取り入れた放射性物質が将来にわたって引き起こす被ばく量を合計した効果を考えている。 そのことを強調するために、内部被ばくの実効線量を預託実効線量 (committed effective dose) と呼ぶこともある。 ぼくの解説では単に実効線量と書く。

4) 実効線量係数

ICRP では、上で説明したような計算を、様々な核種について(摂取の仕方に応じて)実行している。 そして、その結果を実効線量係数として発表している。

実効線量係数は Sv/Bq を単位にする数値で、その放射性物質を 1 Bq 摂取した際の(預託)実効線量を表わしている。 実効線量係数の具体例については、下の付録 2を見よ。 本文の「内部被ばくもシーベルト(でも、ややこしい)」では簡単な実効線量の計算の実例をみた。

どのような放射性物質をどれくらい取り込んだかをどうやって調べるかは、それだけでも長い解説が書けるような、むずかしいテーマだ(そして、ぼくは詳しくない)。 ごく簡単に言うと、口にした食品や飲料の中の放射性物質を測定して推測する方法、体内の放射性物質から出るガンマ線をホール・ボディー・カウンターという装置で測定して体内の放射性物質の種類と量を知る方法などがある。

5) 被ばくの総量とリスク評価

以上の手続きで、放射性物質 X を x ベクレル取り込んだ際の実効線量が得られた。 (不幸にして)複数の放射性物質を取り込んだ場合には、それらの実効線量をすべて合計する。 その合計に、外部被ばくによる実効線量を足したものが、その人のトータルの実効線量になる。 トータルの実効線量を用いて、被ばくによる健康への影響を考えることができる。 特に、「公式の考え方」(1 Sv の被ばくで生涯ガン死亡リスクが 5 パーセント上乗せ)に従えば、被ばくによってガンで死亡するリスクの上乗せがの目安が得られる

前提になっているいくつかの仮定(特に、「健康への害」が線量に比例すること)を認めれば、この方法によって健康への影響が正確に計算できる。

リスク評価はどれくらい信頼できるのか?

このような「内部被ばくの実効線量への換算」あるいは「内部被ばくをシーベルトで表わすやり方」にもとづくリスクの評価はどれくらい信用できるのだろうか?

もちろん、(数理物理学者である)ぼく自身にはそういうことを判断するだけの知識や能力はない。 これについても様々な文献に目を通したが、最終的には CERRIE の最終報告書(ページの最後を見よ)が信頼できそうだと判断した。 ここでの記述の一部はこの報告書(に書いてあるとぼくが理解したこと)によっている。

まず、結論から書いておこう。

「基本的な仮定」の妥当性

「内部被ばくの影響も、基本的には外部被ばくと同じであり、(適切に評価した)線量で見積もることができる」というのが、ここで説明したリスク評価の方法の基礎になる仮定である。

既に上で書いたように、ガンの原因になる細胞内の DNA の損傷(二本鎖切断)の頻度は、放射線が細胞に与える物理的エネルギーで決まるというのが、もっとも大ざっぱな評価である。 これが正しければ「基本的な仮定」は正しいと言える。

「基本的な仮定」の妥当性に関連して、被ばくの一様性の問題が議論されることがある。 外部被ばくでは放射線を体全体に一様に浴びるのに対し、内部被ばくでは組織のどこかに付着した放射性物質を含む微粒子から、非一様な(ときには、局所的に集中した)放射線を浴びる可能性がある。 もし非一様な(あるいは、局所的に集中した)被ばくが特に大きな損傷を起こすメカニズムがあれば、「基本的な仮定」ではリスクを過小評価することになるというわけだ。

たとえば、プルトニウムなどが微粒子として体内に入ることを考える。 その場合にも、「発ガンリスクの増加は、放射線の電離作用が DNA におこした損傷の量のみに依存する」と大ざっぱに考えるかぎりは、被ばくが局所的であるか一様であるかに大きな相違はないように思える。 アルファ線や中性子線が細胞に大きなダメージを与える影響は(数値が適切かどうかという議論もあるわけだが)放射線加重係数を通して取り入れられている。 また、局所的な被ばくが特段に大きなダメージを生むというシナリオもいくつか提唱されているが、どちらかというと無理のある仮説とみなす研究者が多いようだ(なお、ぼくらにとって切実なセシウムは、食品といっしょに体内に入ったあと溶けてイオン状になって吸収される。放射性セシウムの塊がそのまま体内に入って被ばくを引き起こすということはないと思っていい)。

こういった状況を総合すると、さしあたっては、

「基本的な仮定」は、ほどほどの不確かさを含んだ「仮定」であることを認めた上で、使い続けていいだろう
というのが一つのまっとうな判断に思える。

放射性物質の体内でのふるまいについてのモデルの不確かさ

内部被ばくのリスクは、「放射性物質が体内でどのように動き、排出され、蓄積されるか」に大きく依存する。 そのため、放射性物質の体内での挙動についての動態モデルの信頼性が大きな鍵になる。

専門家の見解を読んでみると、動態モデルの信頼性は放射性物質の種類に応じて大きく異なるようだ。 たとえばヨウ素については、実際の測定データがかなり豊富で、信頼性の高い知見が得られており、当然ながら、モデルはその経験事実を再現するように精密に調整されている。こういう場合は、モデルはかなり信頼できそうだ。 幸いなことにセシウムについてのモデルもかなり信頼できるとされている。

一方、ほとんど実測データがなく、動態モデルが「理論主導」で作られている物質も少なくないようだ。 そういう場合は、動物実験や、似たような化学物質の体内で挙動についてのデータをもとにモデルの信頼性を上げる工夫をしている。 しかし、いくら精密なモデル化や計算をしても、実測データで裏付けなければ、それで本当に体内での物質のふるまいが忠実に再現できるという保証はない。 このような物質については、モデルの信頼性は低いと思われる。

ICRP は、内部被ばくをシーベルトに換算する表(「内部被ばくもシーベルト(でも、ややこしい)」を見よ)を公表しているが、その数値にどの程度の不確かさがあるかには触れていない。 もちろん、防護のための基準というのは「判断のためのお約束」という側面があるから、不確かさという考えとはなじまないことはわかっている。 ただ、すべての核種についてずらりと詳しい数値だけを並べているのを見ると、少し違和感を覚えてしまうのだ(物理学者の趣味かもしれないが)。


これは、素人の個人的な感想だが、内部被ばくのリスク評価の不確かさは、「基本的な仮定」の妥当性よりも、むしろ、個々の放射性物質の体内の挙動についての評価から来るのではないかという気がする。 「人工の核種と天然の核種ではふるまいが全く異なる」という説の真偽はぼくには判断できないが、体内での挙動がよくわかっている核種と未だよくわからない核種があるのは事実だ。 挙動が知られていない核種が、実際には特定の臓器に蓄積されたり、あるいは特定のタンパクに結合したりすることで、発ガンリスクを(現在の公式の予想よりずっと大きく)引き上げるという可能性はあると思う。

個人差の問題

ICRP の換算表を作る際には、男女差や年齢による体の様子の差が考慮されている。しかし、当然ながら、人間一人一人の相違までは考慮されていない。

放射性物質の体内での挙動は、人によってかなり違っている可能性がある。 とくに、病気や障碍のある人の場合、ICRP のモデル化に使われている「標準的な人」の場合とは大きく異なるふるまいが見られるかもしれない。 そうは言っても、個人別に換算基準を作るわけにはいかないので、これは悩ましい問題だ。

さらに言えば、細胞内での DNA 損傷を修復する能力にも個人差があると言われる。 これは、外部被ばく、内部被ばくのどちらについてもあてはまる。

実際のデータ

このようなリスク評価の信頼性を知る最良の(そして、おそらく唯一の)方法は、実際に内部被ばくしてしまった事例を詳しく調べて、どの程度の健康被害があったかを統計的に解析することである。 しかし、上でも述べたように、現段階では実際のデータは少なく、決定的な結論を下すのには不十分だとされている。

ただし、このあたりになってくると(多くの読者がご存知のように)実に様々な議論がある。 広島・長崎でも、直接は原爆に遭遇せず、あとから被災地に入った人たちが内部被ばくのために重篤な健康被害を受けたという報告があるし、深刻な害がなくても、いわゆる「原爆ぶらぶら病」のように慢性的な害があるという主張もされている。 さらに、チェルノブイリ原子力発電所事故による健康被害については、みつかったのは小児甲状腺ガンの増加だけだという研究者から、ヨーロッパの広範囲で多くの人がガンになったとする研究者までいて、ぼくのような素人には何を信頼していいのかはわからない。 広島・長崎にせよ、チェルノブイリにせよ、事故後の社会がきわめて不安定だったため、健康被害を正確に把握するのが難しくなっているという側面もあるようだ。

というわけで、再び「わからない」という(お決まりの)結論に落ち着くことになる。

ただし、「わからない」というのは、裏を返せば「誰の目にも明らかな被害がたくさん出たわけではない」ということでもある。 チェルノブイリでの事故では、事故処理に動員されて大量被ばくしてしまった不幸な犠牲者を除けば、「人々がばったばったと倒れて亡くなっていく」というようなことはおきていない(とぼくは理解している)。 「スウェーデンでガンが増えたかも」という有名なトンデル論文も、「目に見えてガンになる人が増えて大変だ〜っ!」と言っているわけではなく、ガンになる人は元々たくさんいるわけで、その人数を詳しく分析して、いろいろな仮定にもとづいて統計処理すると、原発事故の影響が見えるんじゃなかろうか --- と言っているだけなのだ(そして、その結論にはかなりの議論がある)。 一方で、チェルノブイリ事故のあと子供の甲状腺ガンが増えたとき、当初は少なからぬ専門家が事故との関連を認めなかったにもかかわらず後になって因果関係がはっきりしたという教訓も重要だ。 今の段階では万人が認めていなくても、実際には被害があったということが明らかにされる可能性はいつでもあると覚悟しておくべきだろう(←ううむ。けっきょく「何が言いたいんだ」的な凡庸な文章になってしまった・・・)。


というわけで、当面は、
いろいろと分からないことは多いが、さしあたって、今のリスク評価を(ほどほどに)信頼していいだろう。 ただし、様々な実際のデータをきちんと調べ、また、必要に応じて新しいモデルを開拓し、リスク評価の方法を改善する努力は続けるべきだ。
という態度をとるのが一つの正解ではないかとぼくは思っている。

実際のデータを紹介したり分析したりすることは、ぼくにはまったくできないことだ。 興味のある方は、下に紹介している CERRIE の最終報告書が参考になるだろう。

また、国内では、食品安全委員会の放射性物質の食品健康影響評価に関するワーキンググループがごく最近にまとめた 200 ページを越す評価書(案)があり、ここにいくつかの放射性物質の体内での挙動についての膨大な文献が議論されている(付記:この報告書の「要約」の部分には、「100 mSv 以下の被ばくなら健康への影響は見られない」と思わせかねない記述がある(ちゃんと読めば「100 mSv 未満の健康影響はわからない」と書いてあるのだが)。ぼくが「100 mSv 未満は安全」という見解を支持しているというわけではないことはお断りしておく)。

付録 1:CERRIE について

上で触れたように、この文書(特に最後の部分)を書くにあたって CERRIE の最終報告書を参考にした。

CERRIE とは、Committee Examining Radiation Risks of Internal Emitters の略。 直訳すれば「体内で放射する物質のリスクを検討する委員会」、普通に訳せば「内部被ばくリスク検討委員会」である(CERRIE のホームページはこちら)。

内部被ばくがどれくらい危険なのか、ICRP などがまとめている「公式の考え」はどれくらい信頼していいのかを真面目に検討するため、イギリス政府が CERRIE を組織した。 といっても、別に「御用学者」だけを集めて当局に都合のいい結果を答申するというような委員会ではなく、(予算は政府からもらっても)政府から独立して活動し本気で内部被ばくについての様々な説やデータを検討する委員会だったようだ。 メンバーも多彩で、原子力関係の人から、ECRR 関係の「反原発」色の強い人も混ざっている(結局、反原発の二人のメンバーは最終報告書には賛成しないのだけれど)

CERRIE は 2001 年から 2004 年まで活動し、2004 年に最終報告書をまとめた。 公開されていて誰でもダウンロードできる。

CERRIE 最終報告書(2 MB の pdf)

この最終報告書では、内部被ばくについての様々な論点やデータが、かなり公平に取り上げられ、詳しくかつ明解に分析されている(ように、素人のぼくには見える)。 決して ICRP などの見解をそのまま容認するのではなく、公式の見解のもっている問題点や改善すべき点などについてもしっかりと議論している。 内部被ばくの問題には諸説があるわけだが、基本的な議論の進め方を見て、この委員会の総括はかなり信頼できるのではないかとぼくは判断した(これはもちろん一種の「素人判断」であることは注意しておきたい)

英語を読むのが苦痛でない方には、CERRIE 最終報告書の 2 章の前半部分(6 ページから 10 ページ)にざっと目を通されることをおすすめする。

付録 2:実効線量係数の例

ICRP publ. 72 から、いくつかの核種の実効線量係数を引用する。

【実効線量係数の例(吸入摂取)単位は Sv/Bq 】
核種 半減期 3 ヶ月 1 歳 5 歳 10 歳 15 歳 成人
ストロンチウム 89 50.5 日 1.5 × 10-8 7.3 × 10-9 3.2 × 10-9 2.3 × 10-9 1.7 × 10-9 1.0 × 10-9
ストロンチウム 90 29.1 年 1.3 × 10-7 5.2 × 10-8 3.1 × 10-8 4.1 × 10-8 5.3 × 10-8 2.4 × 10-9
ヨウ素 131 8.04 日 7.2 × 10-8 7.2 × 10-8 3.7 × 10-8 1.9 × 10-8 1.1 × 10-8 7.4 × 10-9
セシウム 134 2.06 年 1.1 × 10-8 7.3 × 10-9 5.2 × 10-9 5.3 × 10-9 6.3 × 10-9 6.6 × 10-9
セシウム 137 30.0 年 8.8 × 10-9 5.4 × 10-9 3.6 × 10-9 3.7 × 10-9 4.4 × 10-9 4.6 × 10-9
プルトニウム 239 2.41 万年 2.1 × 10-4 2.0 × 10-4 1.5 × 10-4 1.2 × 10-4 1.1 × 10-4 1.2 × 10-4
プルトニウム 240 6.54 千年 2.1 × 10-4 2.0 × 10-4 1.5 × 10-4 1.2 × 10-4 1.1 × 10-4 1.2 × 10-4

【実効線量係数の例(経口摂取)単位は Sv/Bq 】
核種 半減期 3 ヶ月 1 歳 5 歳 10 歳 15 歳 成人
ストロンチウム 89 50.5 日 3.6 × 10-8 1.8 × 10-8 8.9 × 10-9 5.8 × 10-9 4.0 × 10-9 2.6 × 10-9
ストロンチウム 90 29.1 年 2.3 × 10-7 7.3 × 10-8 4.7 × 10-8 6.0 × 10-8 8.0 × 10-8 2.8 × 10-9
ヨウ素 131 8.04 日 1.8 × 10-7 1.8 × 10-7 1.0 × 10-7 5.2 × 10-8 3.4 × 10-8 2.2 × 10-8
セシウム 134 2.06 年 2.6 × 10-8 1.6 × 10-8 1.3 × 10-8 1.4 × 10-8 1.9 × 10-8 1.9 × 10-8
セシウム 137 30.0 年 2.1 × 10-8 1.2 × 10-8 9.6 × 10-9 1.0 × 10-8 1.3 × 10-8 1.3 × 10-8
プルトニウム 239 2.41 万年 4.2 × 10-6 4.2 × 10-7 3.3 × 10-7 2.7 × 10-7 2.4 × 10-7 2.5 × 10-7
プルトニウム 240 6.54 千年 4.2 × 10-6 4.2 × 10-7 3.3 × 10-7 2.7 × 10-7 2.4 × 10-7 2.5 × 10-7

これ以外の核種に関する(成人の)データについては、「緊急被ばく医療ポケットブック(web ページ)」などを参照。


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