日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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4/1/2001(日)

昨日の雪は幻かと思うような快晴。

学会に一日半フルに参加し、初日は飲み会にも参加したためか、今ひとつ体調がよろしくない。 ここ数日は、早めに寝床に入ってもなかなか寝付かれないまま SST の変分原理と格闘するのだが、明らかに話が循環してきて不健全である。 (今朝方の夢のなかでの対話;

誰か:・・・と、このような装置と設定を考えれば、SST 変分原理は成立する。
ぼく:いや、その場合にも、かくかくしかじかの理由でその変分原理には問題がある。
誰か:この場合、もし変分原理がないとすると、タイムマシンができてしまって過去にさかのぼることができる。
せめて「永久機関ができる」くらいにしてほしかった・・・) いくつか手を動かせるおもちゃをいじるのだが、「先生」になってくれるような素敵なおもちゃがみつからない。

さて、明日から三日間だけ春休みを取って家族で旅行をしてきます。 仕事関係の人にあったりはしませんが、もちろん、どこにいても物理はやめない(やめられない)ので課題について考えてくることになるでしょう。 場所が変わって発想が変わって、何か新しいことを思いつくといいな。

4月5日には、大学に来ますが、新学期ですから教務の雑用が待ちかまえていそうで、ちょっと怖い。 今年度は、ぼくはなんと学部教務委員で、月に二回ジーパン非着用で会議にでなければならないのです。 あー。やだやだ。

あと、新学期早々、Jean Bricmont の来日とか(Jarzynski には会えるかな?)いろいろあって楽しくもあわただしそう。

というわけで、行って参ります。


4/2/2001(月)

旅行に備えて早めに寝床に入るが、やはり、ずり系の SST について悩む。 昨日は悲観的結果を与えるものにしか見えなかった toy model を見直すうちに、正しいアプローチが見えてきたような気がする。 旅行中はメールも書けないので、起き出してきて、佐々さんと大野さんにメール。

再び寝床に入るものの、頭はまったく休まらず、ずり応力を示強変数とし、定常ならば到るところ応力が等しいことを力学的事実として熱力学に課すというアプローチを検討。 現象論として問題はないし、対応するミクロな(安易な)モデルもその方向で構築できそう。 うむ。これが正解でしょう。 と、楽観的な気分になったので、またメールをしようと起き出す。

日付は変わって2日の深夜1時半か。 ちょっとルール違反かもしれないけれど、2日の日記も更新だ。

では、みなさん、お休みなさい。 今度こそ行って参ります。 (だいぶ気が楽になったぞ。)


4/5/2001(木)

戻ってきて出勤。 メールの読み書き。 教務委員としてのややこしいお仕事。 物理学科 web page 管理者としてのお仕事。 などなどなどなど。 新四年生たちとのゼミの打ち合わせが数少ない楽しいお仕事のひとつ。

家族旅行は実は京都に行っていました。 桜が満開の醍醐寺、夜の清水寺、等々すばらしい京都を堪能してきましたが、ここは、そういうのを書く場ではないですね。 京大には行きませんでしたが、そばをバスで通過しました。 (三日の二時過ぎに、京大キャンパスにいて、とつじょ 悪寒を感じられた方 すばらしいアイディアがひらめいた方はいらっしゃいませんか?) 農学部前、北白川と慣れ親しんだバス停を通過しながら、懐かしさを味わってぼおっと座席に座っていると「次、降りるわよ」と妻に言われてびっくり。

え、銀閣ってこんなに京大に近かったのか???
まったく知りませんでした。

京大に行くときは研究会に出たりするばかりで観光はしないし。 前に Tom Kennedy という友人を連れて京都を一日観光したときは、南禅寺から歩いて銀閣に行き、そこからタクシーで駅に向かったので、京大のそばという認識はゼロであった。

ずり系の SST の扱いについては、ずり応力を示強変数とした扱いに問題がないことをほぼ確信。 一般に、熱力学は、示量変数を用いた記述が「強く」、それらを示強変数に置き換えるほどに理論としては「弱く」なる。 そういう意味では、ここで示量変数を使わないのは、やや不満なのだが、今の問題では、力学からの力のつり合いを取り入れることで理論としてはいっさい弱くならないのだ。 対応する示量変数を用いた記述は、存在したとしても使いものにならず、下手をすると何かきわめて不自然なものになるのではないか(それが、非平衡系のひとつの本質かもしれない)というのがぼくの予想なのだが、今のところ、大野さん、佐々さんと意見の一致はみていない。 それにしても、あれですね、せっかく京都に行ったのだから、

田崎は、竜安寺の縁側に結跏趺坐し庭の砂の模様を虚心坦懐に眺めるうちに、熱力学から無理に力を引き出すのではなく、己を無にして自然に力に身を任すべきだとの悟りを開き、ずり系の SST を如何に扱うべきかを知った
とかいう伝説をつくれば面白かったのだが、なにせ、2日の深夜に興奮して起き出して、うまくいきそうだという「雑感」を書いてしまったから時既に遅し。

あ、もうひとつ。 (←今日のは本当に雑感だな。) 諸般の事情により、Chris Jarzinsky (←会ったことなし。メールのやりとりは、あり)には会えずじまい。 電話で話して「よお Chris か」「よお Hal か」「セミナー盛り上がったらしいね。特に足立さんのおかげで。」「そおそお。もう十年ぶりくらいで会ったんだ。」みたいな他愛もない話をするに終わった。 しかし、国際電話をかけるなんてことはほとんどないし、メールではなく、肉声で話せたので親しみがわいてよかった。


4/6/2001(金)

公私ともに雑用の一日。

明後日の入学式の後には、ホームルームの一年生を部屋に呼ぶことになるのだから、もう少し片づけなくては。 せめて学会の準備に出した OHP 用のペンをしまわないと・・・
とは言っても、もう一日も終わる頃で、ぼくは自宅にいるので片づけは明日。

SST の詳細をわずかに詰めた以外は、具体的な仕事はせず。 そのかわり、ある人の論文の草稿を読んだことをきっかけに、少し

遠い目
をする時間をとった。 平衡への接近、カノニカル分布の基礎づけ、種々のレベルの第二法則、エントロピーの色々な定義の関係、などなど、遠くから少し冷静に眺めることができるようになってきたのは、自分としては進歩である。

そして、SST。 「危機」は乗り越えたつもり。 もちろん、以前は信頼できると思っていたものも、どんどん捨てなくてはならない。 (たとえば、2/22 などに書いた「平衡の亜流で扱える定常状態」についても、一般には力学との整合性がないという点で(そのままの形では)すでに却下している。 数学的には誤りではなく、特殊な場合には、力学とも整合するのだと思うが。 ちなみに、佐々さんと Chris が、また別の理由から、ダメだと判断した(日々の研究 4/5)のも、基本的には同じもの。) しかし、これは苦にならない。 というより、かえってうれしい。 そもそも、何でもやればそのままオッケーっぽいというのではまったく面白くないのであって、理論的整合性に導かれて以前は正しいと信じたこともどんどん捨てなくてはならないという方がルールの厳しい必然性の高い道を歩んでいるという実感があってよいのである。

さて、そうやって、いくつかの誤解を捨てた上で、前から大野さんや佐々さんが言っていたようなことを整理すれば、出発点となるこじんまりとした領域が見えてきていると信じる。

などにおいて、たとえば相共存に関連していくつかの量の間の(Clausius の関係に類する)定量的な関係を示すことができる。 (粉体にも例題はある??) これらは、やる気になれば、実験的に検証・反証可能であろう。 (等温というのがやっかいだけれど。)

さて、問題は、そこから先。

というところで、そろそろスペースも尽きますので・・・という言い訳は web では通用しないが、そろそろ時間とエネルギーも尽きますので・・・


4/8/2001(日)

入学式。

例によって式典にはでないけれど、その後の教員紹介、写真撮影、ホームルームの顔合わせに、出席。 またしても、ネクタイをしめて営業スタイルです。

桜の花は入学式まで持つまいと思ったのだが、今年の桜は驚くほど長持ちで、まだきれいに咲いている。 天気もいいし、入学式日和である。 いいお天気が新入生たちの入学を祝福しているとかいうのはアホな考えだけど(もうしそうだったら、入学式に雨が降った学年は祝福されねえのかよ、という話になってしまう)、こちとらアホな人間なので、ついついそういう風に思ってしまうものだなあ。 ホームルームの学生さんたちは、なかなか元気で、よろしい。

二、三年前までは、この入学式のあとの教員紹介での台詞がほぼ決まっていて、マイクをもって立ち上がり、名前を言ったあと、

大学に入ったからと言って、すぐにサークルに入る必要はありません!

大学生になったからと言って、すぐに彼氏・彼女をつくらなくてはいけないというわけでもありません!

と大宣言して、ドラマや漫画に出て来るみたいなパターンにはまるような大学生を目指すことはないと説いていました。 そして、 「どうせなら、自分らしいユニークな人間になることを目指して欲しい。 そして、ここには、青春を物理にかけ、今は、おじさんを物理にかけている物理大好きの人たちがみんなといっしょに物理を楽しもうと思って並んでいるのだから、是非とも利用してほしいのだ」とかつづけるわけです。

だが、しかし、後からわかったことですが、サークルの連中はぼくよりも上手で(というか手が早く)入学式よりも前に徹底した勧誘活動をやってしまって、ぼくの演説の時点では、多くの学生さんがすでに所属サークルを決めていたのでした。 それだと、「サークル入るな」みたいなことをいうのはイヤミで、ただただ嫌な奴と思われる(ま、実際に嫌な奴なのだろうけど)だけだと悟り、これはやめにしてしまった。

ところが、今年のぼくのホームルームの新入生たちと話してみると、なんと、6人のうち、二人しかサークルや部活に入っていなくて、残りの4人は入るつもりもないという。 これはびっくり。 聞かずしてぼくの教えにしたがってくれるとは。

いや、別にサークルや部活に入ってもいいのですよ。 ただ、人付き合いやエネルギーの行き場がそちらに偏ってしまうと、深い意味での面白さに欠ける学生生活になってしまうのではないかな、というのがぼくの思いです。 物理なら物理のクラスで仲良くなって、いっしょに遊んだり、勉強したり、ぼくらの悪口言ったりしてくれるのがいいなあと。

ともかく、 みなさん、がんばってください。 (あ、もちろん、サークル入った人たちも人一倍がんばってよ。) (←新入生は読んでないね。さすがに。)


4/9/2001(月)

朝から新入生のための履修ガイダンス。

こちらは普段のジーパンでオッケーで「営業スタイル」に着替えなくてもいいのだけれど(←誰が決めたんだろ?ぼくがかな。)、気を使うし、なんか妙に疲れた。 でも、午後はめいっぱい仕事だぞと思っていたら、

4時半から教務委員会
の通知。 ううう。 見なければよかった。 覚悟を決めて、昼御飯で家に帰るときに着替えを持ってくるか。
ここ何日か、SST についてのぼくの「悟り」をめぐって、佐々さんと膨大なメールのやりとり。 ようやくぼくの気分が少しわかってもらえたのだが、もちろん、佐々さんに納得してもらうのが目標じゃないし、本当は考えるべき事も気持ち悪いこともまだまだまだまだいっぱいあるのだ。 しかし、今週は講義もゼミもはじまるし、物理学科新メンバー渡辺さんの歓迎会もあるし、Jean Bricmont に会うし、今日も明日も会議だし、ええと、他になにかあったっけ? とにかく、大変だあ。

SST について具体的なことをここに書くべきだろうけど、今、すごくお腹が減っているので書く根性がないのだ。 ごめんなさい。 (←満腹になっても、結局、書く余裕はなかった。)


遅い昼食と会議の間の時間に、「悟り」に到る手前の「地獄」の様子の一部(ずり速度を固定した定常状態を記述する統計力学的測度があると仮定すると、とんでもない非局所性があることになってしまう)をまとめたノートを作成。 会議の間、暇なときに推敲。 会議後に手を加えて、佐々さんと大野さんに送る。 誰かに、 「馬鹿みたい。こうしてああしてこう見れば、なんでもないじゃないか。」 などと言ってもらえないかなどと期待してはいかんですなあ。

ふう。 疲れている。 そのせいか、個々の仕事は自分でも驚くほど速いのだが、逆に、長期の展望がみえない。 長期というよりも明日の予定もすぐにはわからない。 Jean と会うのは明後日だっけか?? なんにも予定がたっていない。 金曜の講義は?? 解析力学は、去年とは方針を大転換するのだ。 準備せねば。 未だに掃除ができず OHP のペンも片づいていない。

(↑いかん。 超ありがちな、自堕落な雰囲気だけを売り物にしたくだらない web 文章化しとるぞ。 顔を洗って出直そう!)


4/10/2001(火)

部屋の中掃除(ちゅうそうじ)とか、教授会とか。 (最短記録更新!)


4/11/2001(水)

朝、Jen Bricmont (じかに会うのは、1988 年の夏以来。年をとったわけだ。)と大野さんにお越しいただき、統計力学の基礎、くりこみ群、SST などなどについて議論。 しかし、いちいち、確率の意味、合理性の概念と進化論の関係、認知真理の理論化の可能性、熱力学と存在論などなどの方向に話がそれまくって、進まない。 それが楽しくて、わざと技術的な話からそれたりするのだったが。

知る人ぞ知る近所のおいしいおそばやさんで昼食。 Jean は、日本そばを器用にレンゲですくって完食。

食後は、Jean と二人になり、鬼子母神近辺を散策したり、喫茶店に入ったり、ぼくの部屋に戻ったりしながら、色々と議論。

時間切れになり、フランスと米国における知の歴史についてセミナーをする Jean を、会場の日仏会館のある恵比寿まで送る。 セミナーを主催する堀さんと喫茶店で待ち合わせ。 (一日に二度も喫茶店に入るなんて、何十年ぶりだ?) 堀さんを待つ間、Jean は、(ときどきぼくに話しかけながら)セミナーの準備のメモを用意する。

Jean: あ、しまった。(←会話で、日本語で書いてあるとこは英語。以下同様。)

Hal: どしたの。

Jean: これからフランス語で話すのに、ずっと英語でしゃべっているから、英語に切り替わってしまって、メモも英語で書いてしまっている。

Hal: それは、よくない。ここは気にせず、フランス語に切り替えるべきだ。

   しばし沈黙

Hal: Bonjour, Jean.

Jean: Bonjour, Hal. (笑)

   もっと長い沈黙

Hal: Je suis content. (←これしか思い出さなかった。変な意味じゃないよね・・)

Jean: ・・・・・・・・


堀さんが到着。 Jean たちの本の共訳者なのだが、ぼくも初対面である。

しかし、使用可能言語が、

フランス語 英語 日本語
Jean ×(「ありがとう」のみ)
△(??)
田崎 ×(Bonjour, Merci とかくらい)

と「三すくみ」になってしまい、共通言語なし。 これから、仏語のセミナーをするわけだから、仏語にピントを合わせるべきだということで、私は身を引き、日仏会館に向かう間、Jean と堀さんの仏語の会話を聞く。 Balzac とか politique とか science とか philosophie とかが、断片的に聞こえるだけ。 ぼくは、日本語でも、英語でも、よくしゃべる奴なのだが、さすがに横でピングーの物まねを始めるわけにもいかず、黙っていた。 フラストレートします。

Jean を会場(やはり、仏語のセミナーということでか、人出は少ない)まで送ったあたりで、お別れ。 明日の慶応でのセミナーには、緊急の会議のためにでられないのだ。 ちょっち残念。

ぼくは(咄嗟に思い出して) "Au revoir" と挨拶をし、Jean は深くおじぎをした。


4/12/2001(木)

おお。佐々さんらが企画している研究会(研究会のページ

非平衡系の新局面 -- 運動・機能・構造 --
の参加締切が明日にせまっているではないか。

なかなか面白そうだし、幅を広げるチャンスにもなりそう(←「広げる」の主語は?ぼくが?物理が?)なので、都合がつけば参加して 質問しまくってやろう 勉強させていただこうと思っているのだ。 正しい意味で盛り上がるといいな。


4/13/2001(金)

久々にリポビタン D を服用し、講義×2+4年生のゼミ。 疲労困憊ではありますが、ともかく生きています。


6月の研究会(研究会のページ)には出席できそうなので、たった今、参加申し込みをしておきました。

申し込みは、まだ間に合うはずですよ。


4/14/2001(土)

もうずいぶん前のことになるが、とある予備校(って、あとに名前でてくるのだった。 河合塾です)からメールだったか郵便だったかが届いて、読んでみると、

あなたの分野(統計力学)で、際だった活躍をしていると思われる日本の研究者をあげて下さい
といったアンケートであった。
ううううううむ。だれだろう
などと、熟考はしない。

考えるまでもなく、

それは、俺だ
とその場で思った。 (別に相対評価してるわけじゃない。 自分でそれなりに納得できることを必死でやってるから。)

日本人的な謙虚さの美徳をも身につけた(←わはは)アンビバレントな存在である私は、わざわざ自分の名をアンケートに書くこともないと考え(あるいは、単に面倒で)回答を送り返すことはしなかった。


そして、月日が流れ、河合塾の関係者から電話インタビューの申し込みがあった。 研究者へのアンケートや有識者からのコメントを元に、日本の大学での研究のアクティヴィティーを紹介する本を作りつつあり、「統計力学・熱力学」の分野の研究者の例として、ぼくを短く紹介していただけるとのことであった。 私のように時流から外れた研究を細々と続けている者のことを未だに覚えてくださっていて推薦してくださった方がいらっしゃるというのは、身に余る光栄で、恐縮するばかりでございます(←今さら謙虚ぶっても遅い)が、受験生の確保といったことも考える必要があると言われる今日この頃、お恥ずかしながら、過分のお申し出を受けさせていだこう(←だから、遅いって)と思った次第であります。

で、インタビューしてもらったり、写真を送ったり、原稿のチェックをしたり、といったプロセスを経て、つい先日、

わかる!学問の最先端 大学ランキング〈理科系編〉

別冊宝島 577、河合塾編・著 (宝島のページbk1 のページ

という 256 ページの立派な本を送っていただいた。

偏差値一辺倒の大学評価に疑問を投げかけ、研究の内容や実績、また、教育内容の充実をもとに、理科系の大学を格付けした本のようである。 河合塾が選んだ 94 の分野(宝島のページを参照)のそれぞれについて、見開き二ページを使い、分野の簡単な紹介、気になるトピックスのミニ解説、おもろい研究室の短い紹介、そして、河合塾お得意の大学学部のランキング表などの内容を盛り込んでいる。

教育や研究の実体よりも入試成績の偏差値を重視し、実際での大学でのアクティヴィティーとはほぼ無関係な大学の序列化を推進してきた
という河合塾のイメージ(というよりも、実態だろう)に抵抗し、研究の実状の紹介を試みようという企画を立てられたことは評価する。そして、相当に網羅的な調査と原稿集めを実行されて、一冊の本にまとめ上げられたエネルギーにも敬意を表する。

数研出版から出ている「大学は研究室で選べ!(数研出版のページbk1 のページ)」(最初のにはぼくが出ている。二冊目の表紙の写真は実はぼくの研究室なのだ(ぼくではなく、ぬいぐるみのクマが写っている))も、ある意味で、似た発想のシリーズだけれど、ま、肩の力を抜いてできるところから楽しくやっているという雰囲気である。 (その雰囲気そのものは悪くないが、人選にはちっと問題を感じないわけではない。(←俺はいいんだけどさ。)) それに比べて、こちらの河合塾の方は、やるからには決定版をつくるつもりで網羅的に徹底的にやるぞ、という気合いが入っているし、はっきり言って、相当の数の人を動かしているようだ。 数研出版の方が、高校生の大学選びのヒントとなる楽しい読み物を目指しているのに対し、この河合塾の本は高校生の大学選びに関する新しいタイプのデータとして使われることを意図したものだと思う。


では、「わかる!学問の最先端 大学ランキング〈理科系編〉」について、さらに詳しい感想を、と思ったけれど、分量も多くなったので、今日はこのへんで。

続きは、おそらく明日書きます。 (いつもそう言うだけで書かないじゃないか、と思うでしょうが、実は、だいぶ先まで書いてあるので、大丈夫っぽい。)

でも、一刻も早くぼくについての記事を見たいという方は、本屋に行って、p. 90 の一番下を立ち読みしてください。 (ぼくだけ文字数がやたら少ないけど・・) あと、学習院大の理論物理研のファンの人(特に川畑さんのファン)は、p. 75 の一番下のコラムをチェックするよろし。


4/15/2001(日)

昨日のつづきです。

送ってもらった「わかる!学問の最先端 大学ランキング〈理科系編〉」をパラパラ眺めてみた感想を少々。

言わずもがなですが、とにもかくにも、

「偏差値はよくない」とかいいながら、なんであくまでランキングなんだあ?
という突っ込みは入れておきたい。

どうしようもなく当たり前のことですが、研究の「充実度」を客観的な基準で評価して、順位をつけるなどということができるわけはない。 (もちろん、誰が見てもだめな研究もあるし、(ほぼ)誰が見てもすごいなと思う研究があるのも確か。 でも、たとえば、「すごいな」と思うのを二つ持ってきて、どっちが「よりすごい」かなんて決められるものじゃない。 文化っていうのは、そもそも、そういうものでしょう?)

と、これを書いていたら、横にいた妻が、少し前の朝日新聞に、各々の大学がこの本に登場する回数を集計した(索引を見れば、そういう集計は自動的にできる)ランキングを掲載し、それを見てやっぱり私学はだめだとかそういう感じのことを言っている記事が載っていたと教えてくれた。 頭に来るから、ここでひとつびしっと言っておくべきだというのが、妻の意見であった。

妻が古新聞から発掘してくれたので、問題の記事(朝日新聞 2001 年 4 月 11 日朝刊 37 面)を見ると、これはひどい。

有名私大 研究イマイチ
という題で、単に集計結果を鵜呑みにして、研究の実績も「入試の難易度とほぼ対応していた」としている。 さらに、そこから、有名私大よりも、かえって地方国立大の方が研究はすぐれているという結論に飛躍している。 なんのことはない。 何かと苦しい立場にあるとされる地方国立大にエールを送ることが進歩的だという流行を安易に追っているだけではないか。 ランク付けというのは、要するに数の多いところが有利だとか、研究の公正なランク付けなんてできない、とかいう当たり前の事実を踏まえた上で、もう少し、ましな分析をしなくては。 (地方国立大にエールを送るにせよ、もっとしっかりした情報を元に、まともな視点をもってやらなくては意味がないでしょう。) ぼくも頭に来たので、びしっと言いたくなってきた。

しかし、ここでいくらびしっと言っても、もともとわかっている人には言うまでもないだろうし、もともとわかっていない人は(そもそもこんなところは読んでいないという重要な事実を忘れるとしても)マイナーな私学に所属する人が何か言っても聞く耳は持たないのですよね。 でも、そうやってあきらめてしまっては進歩はないので、あえて言いましょう。

あんまり安易な記事を書いていると取るのをやめるぞ、朝日新聞!
まじめな話として、うちのように小規模だけれど研究・教育の質の高い私学にとっては、物量的なランキングを鵜呑みにするマスコミのやり方は頭痛の種です。 しかし、単なる自己宣伝と思われないように、批判するというのは、なかなか難しいのだ。
さて、以下、感想をいくつかの項目に分けて。
分野の選び方

本を見て最初に思ったのは、94 の分野の選択がかなりわれわれの感覚とは違うなということ。 身近なせいもあり、特にすごいなと思うのは、「物性物理」がたった一つの項目として扱われていることだな。 物理学会のプログラムを見ればわかるように、少なくとも人の数だけを考えれば、「物性物理」は物理学のなかで最大の巨大分野(分野というより分野のカテゴリー)である。 そういうでかい分類を、ほかの、かなり具体的なテーマと同列にたった二ページで処理するというのは、猛烈に大胆な気がする。

もちろん、みんながやっているから大切だなどという話にはならないのはわかっている。 (というより、ぼくは、いつもそういうことを言っている。 昨日の話に出てきた「大学は研究室で選べ」のインタビューでも、「売り上げだけ見れば、一日二十食限定のラーメン屋よりもデニーズの方が成績が上がるのは当たり前。」などと、またしてもラーメンをたとえに語っている。) それに、「プロの常識と、受験界や高校生の受け取り方にはギャップがあり・・・」というのもよくわかっている。 そういったことをふまえた上でも、他のところの分類の感覚からすれば、せめて「メゾスコピック系」、「低温物理」、・・・とかその程度の分類がよかったのではないかなと感じる。


ランキング

この順位付けは、研究者へのアンケートの他に、それぞれの分野において信頼できるとされた人物の意見に基づいておこなわれているらしい。 ただし、それぞれの分野の担当者の名前は伏せられている。 ランキングをつける以上、あとから、その人に文句が行ったら困るからだろう。

ランク付けだが、まず、上に表があって、ここに国内1位から10位までの学科がもろに番号付けされて並んでいる。 そして、その下に、いわゆる「選外」ということで、「惜しかったで賞」みたいな感じで "Next Excellence" と名打たれたところが一行ずつ、数カ所紹介されていて、あと、ちょっと目立つところということで "Unique" と認定されたところが少し紹介されている。

あまり詳しくは見ていないが、ランキングの基準はあまり明確には書いてないようだ。 実際に眺めてみても、なにが基準になっているのか、よくわからない。 基本的には、数の多いところが上に来ているようにみえる。

ランキングの常だが、それぞれの分野について、何らかの知識のある人が見れば、「なんじゃこりゃ?」と思うところが多々あると思う。 たとえば、さっき挙げた「物性物理」だけれど、東大理学部物理が10位以内にも入れず、ようやく "Next Excellence" に入っている。 ぼくも東大物理の物性が理想的な状況にあるとは思わないが、それにしても、あれだけの頭数がいて、この扱いはちょと考えてしまう。


統計力学のランキング

ぼくの専門である「統計力学・熱力学」のランキング (p. 73) については、少しだけ、まじめにコメントしておく。

まず、堂々の第一位は東大工学部物理工学科で、ここには「世界ランク6位くらい」という注もついている。 たしかに、東大の物理工学には、宮下さんと伊藤伸泰さんという二人の統計力学の専門家がいらっしゃって、どちらも優秀な方で活発に研究されている。 ぼくもお二人とは仲良しである(と自分では思っている)。 しかし、このお二人だけで、他をぶっちぎっての第一位というのは、正直なところ、ちょっと意外。 たぶん、ご本人たちも同じご意見だろうと思う。

東大物理工学には、情報理論の甘利さんという方がいらっしゃって(あれ?ちがう学科だったかな?わからなくなってきたぞ)、神経回路の数理みたいな研究でも有名だった。 ひょっとして、そちらの流れの研究を、広い意味での「統計力学」と認定して、こういうランキングになったのかもしれない。 けど、ちょっと、これも苦しい説明かも。 ぼくが何か見落としていたら、教えてください。

ほかに、東大の駒場や、中央大がランキング上位にあるのは、納得。 (要するに、この手のものは、自分がいいと思うところだけ見るのが精神衛生のためによいのである。)

東大理学部物理が5位。 順位はともかく、「伝統的な統計力学、熱力学がベース」というのは、違うでしょう。 かつて、ここに久保亮五の率いた統計力学のグループがあったからその伝統が続いているだろうという先入観に基づいて書いているみたいにみえる。 (しかし、専門家が監修しているはずだし、妙だな。) かつての久保グループに相当する一般的な統計力学の研究室はもうこの学科にはない。 可解模型の和達研究室が、広い意味での統計力学に当たるけれど、力点は、統計力学(など)から派生した物理数学の問題におかれているはずです。

他にも、感想はありますが、まあ、こんなところで。

あ、学習院物理は、ご愛敬で、UNIQUE! の覧に登場しています。 小さな所帯なのに、身に余る光栄、と申しておきましょう。


数理物理のランキング

「統計力学」の項目のことは一応事前に知っていたのですが、「数理物理」という項目もあることを、本を見てから発見。

ランキングを見ると、な、なんと

学習院大学物理学科が第5位!!??
うれしいとかいう以前に、唖然としてしまう。 うちで「数理物理」を看板に掲げているのは、江沢研と田崎研だけ。 (それに、ぼくの主要な看板は「統計物理」。) それが、並み居るマンモス大学に混じって第5位とは、ちょっと、無茶ではなかろうか?

とはいうものの、よく考えてみると、数理物理など、やっている人がほとんどいない分野なのである。 「物理的に意味のある結果を数学の定理として示す」 というもっとも正統な意味での数理物理を本気でやっている人は、そもそも日本の物理学科にはほとんどいないといってよい。 また、数学科に所属して数理物理に近いことをやっている人は、確率論とか解析学とか、数学の分野を看板にしていることが多いのだ。 というわけで、単にやっている人が少ないので、うちが上位に入ったというのが真実のようです。

こういうところにも、この本の分野の分け方の偏りがもろにでていると言ってもいい。 従事する人の数で考えるなら、上で触れた「物性物理」と比べれば、「数理物理」なんて無に等しいほどのマイナーな分野にすぎない。 人数でいえば、一桁ちがうどころか、二桁ちがう、と言おうと思ったけれど、ひょっとすると三桁ちがうというあたりが正解かも。 いや、もちろん、そういう分野でも重要だと思って紙面を割いてくださった編集者の方々には、数理物理を愛する者として、心からお礼を申し上げるべきなのですが。

数理物理のページの下段の「注目!」というコラムには、うちの学科(というか、理論物理研究室)の愉しい紹介ものっています。 出版社の方が(われわれではなく)有識者の話を聞いてまとめた紹介のようですが、ものすごい誉めようですね。 川畑さんも広義の数理物理にしてしまったのはちょっと強引ですが、とてもよい研究室であるというのは事実です。 ぼくは好きです。

紹介文に

台頭著しい若手の田崎晴明といった精鋭を擁し、
とあるのはちょっとうれしかったりする。
4/16/2001(月)

週末と今日と、ずっと、水曜の講義の準備をしているのだ。

既に人の論文に書いてあることを、どうもわかりにくいし、読む気にもならないので、もっと普通の知識だけに基づいてわかりやすく書き直すことを試みている。 午前中までは、どうも結果があわず崩壊かと思っていたが、ま、なんとかなりそう。

やりかけの仕事についていろいろ考えてなくてはいけないこと、まとめなくてはいけない論文、書き直してレフェリーに返事をしなくてはならない論文、などなどがたまっているのだが、こうして(自分の研究と直接の関係がない)講義の準備に集中できるというのも、もしかたしたら、少しだけ年を取ったせいかもしれない。

とはいえ、年の功で、あらかじめ準備して万全の体制で水曜の講義に臨もうとしているか、というと、実は、そうでもないのだった。 今やっているのはずっと先に取りあげるテーマでありまして、明後日の講義の計算の詳細はこれから詰めなくてはならないのだ。 まだまだ万全とはほど遠く、また、そんなには年を取っていない私でした。


6月の研究会(研究会のページ)は、結局は、大盛況みたいですね。 よかった。よかった。

実は、登録していない「大物」も参加するという極秘情報(早川さんがもろに書いてるけど)もあり、なかなか本格的な会になりそう。 ぼくとしては、非平衡・非線型の人たちとお友達になれたらいいな、程度の軽い気持ちで参加申し込みをしたのだけれど・・

珍しく、万全の体制で、早々に宿を予約。 この前、家族旅行で泊まったところに今度も泊まろう。 宿のそばに、イノシシをまつった神社があり、腰痛に効き目があるという話。 この前、家族で行って、ぼく用に腰のお守りを買ってきたので、またお参りに行きなさい、ということになった。

「パパ、またイノシシの鼻に触っておいでよ!」
石でできたイノシシの像があり、その鼻をなでると御利益(ごりやく)があるらしい。 家族でわいわいと出かけてそういうのを触ったりしているのはきわめて普通だけれど、年齢不詳のおじさんが神社に入って行って、一人寂しくイノシシの鼻をなでているという光景はちょっとこわいかも。
4/17/2001(火)

さて、毎回好評を博しているタザキの web 紹介コーナー(?)ですが、今回は、(以前にさりげなくリンクしたこともあって)すでに愛読されている方も多いと思われる中村匡(ただす)さんの「極端大仏率!」というページを取りあげましょう。

清くた(し)い物理 2
のもじりであることが一目瞭然のちょっと奇妙なタイトルがつけられたこのページ、科学ファンなら大喜びすること請け合いのおもしろくてお洒落でそれでいて為になる科学エッセイが満載です。 (←あ〜。こういう文体ってきら〜い。 あ、それと、ぼくは年をとって隠居したら、この「雑感」をオフラインで読むつもりでいるので、原則として、これはリンクが切れても意味が通じるものにしようと思っているのだ。だから、単なるページ紹介とかはしない。(ぼくがしても、あまり意味ないし。)あくまで原則だけど。)

と、白々しいイントロはともかく、宇宙プラズマの研究者である福井県立大学の中村さんのページはおもろいですよ。 この「雑感」みたいに、ほぼ毎日書くからといって、練られていないいい加減な文章を書き散らす(←謙遜ですよ、謙遜)のではなく、一つ一つまとまった小エッセイを、ほぼ定期的に掲載するというスタイルをとっています。 今年のはじめからスタートして、今は二十近いエッセイが並んでいます。 (もっと増えてきたら、どうするんだろう? タイトルを「真性土鍋効果」とかに変えて、新ページで新シリーズというのがありそう。)

しかし、このナカムラさんの一連のエッセイを読まれて、何か気付かれることはありませんか? かなりの頻度で音楽の話題が登場すること、大江健三郎の屈折したファンであると自認していること、受けようが受けまいが一定の比率の駄洒落やギャグを混ぜずにはいられないこと、そして何と言っても、She is a diamond に見られるような、徹底した科学へのロマンチックな愛情。 これは、どうみても、タザキの文章そのものではないでしょうか?

もはや言うまでもないでしょう。 そもそも田崎晴明が中村匡が物理をやるときのペンネームなのは周知で、ペンネームを使うなら少しは書き方を変えればよさそうなもんだが、そこは、それ、いくら雑にしようと思っても、やはり身に付いたものは隠しようがないというやつで・・・

というのは、もちろん、タザキがいま作った嘘ですが、中村さんとぼくは幼なじみにして昔からの親友で、学生時代にも、それぞれ宇宙物理と数理物理を志しながら、「権威に媚びるような学者にだけはなりたくないよな」とか「中途半端な『応用』を振りかざす理学の研究は最悪だよ」とか「文章を書くときには、おおよそ、3段落に一つは駄洒落を混ぜるべきであるが、その際、何文字以上の一致のあるものを駄洒落と認定すべきかが微妙である」といった事を熱く語り合った仲なのである、というのも、やっぱりタザキが今つくったデタラメで、実のところ、中村さんとぼくが(少なくとも、お互いそれと知って)出会ったことは一度もない。 宇宙プラズマと量子統計の基礎の問題について、ひょんなことから e-mail をやりとりし、お互いの web pages を読みあっているという、とても「IT な」お付き合いでございます。 ところで、「IT な」お付き合いと言えば、

などという調子でだらだらと書いていると決して終わらないので、今日の「雑感」は、「極端大仏率」を簡潔に紹介したところで終わり。

そうそう。 「『大仏率』はいつ更新されたかわからないので、見に行くのがめんどう」という方には、こっそり、45μmあんてなを紹介してしまいましょう。 芝塚さんによるこの日記リンク集、一見、日記のタイトルがクールに並んでいるだけのように見えますが、実はファイルの最終更新日を教えてくれて無駄な読み込みを省いてくれるという優れもの。 (←この文体、きらいだって。) ぼくも、これをちょくちょく利用して「お。佐々さんが深夜に更新したな」とか「あ。早川さんが新しいのを書いたな」とか「おお。ようやく『日々の雑感』が更新だ」(←それはない)とかやっています。

最後になりましたが、一日のアクセス数が数百カウントとも数千カウントとも数カウントとも言われるこの「日々の雑感」ですが(←アクセスログを見ていないので、まったくわからないのだ)、かつての Javanainen のネタ(その1その2)に反応してくださったのは、世界広しと言えども、幼なじみの(←ちがうって)ナカムラさん(大仏率 3/2/2001)だけでした。 そのボランティア精神に心から感謝するとともに、中村さんのこの文章を読み、2000 年 11 月 15 日の「雑感」に Javanainen 駄洒落の第三弾を書いたものの悩んだ末に削除したことを、はじめてちょびっとだけ後悔したことをここに付け加えさせていただきこの拙文の結びとしたいと思います。


4/18/2001(水)

大学院の講義の初回。

うーむ。 ターゲットをどこにしぼっていいのやら、わからなくなって(←「いいわけはやめなさい。プロなんだから。」「はーい。」)、今ひとつ焦点の定まらない話をしてしまった。 反省。

今日、食い足りなかったみなさん、ごめん。 来週から、もっと密度高くやります。


黒木掲示板をチェックしている人はもうご存じのことですが、なんと、去年になって、等質量の三体問題の新しい周期解がみつかったそうです。 (注1:単に「三体問題」というときは、互いに万有引力を及ぼしあう質点系のニュートン力学の事を指す。 注2: 実は、93 年に数値計算で「発見」されていはいたけれど、今回、数学者が独立に発見し、かつ、実際に周期解であることを証明した。 Montgomery 氏のページに論文のファイルが置いてあります。)

ぼくは、先週の金曜日の講義のときに、

二体問題は講義でやるけど、三体問題は未解決。 もし万が一、解決すれば、ノーベル賞どころではない。
という話をし、講義から戻って掲示板を見たら、この話が書いてあって大いに感動したのだ。 ともかく、こんな時期になって新しい解がみつかるなんて、自分の研究に関係あろうがなかろうが、おら、わくわくしてくるぜ。

しかも、この新しい周期解、今まで知られていた三点が直線状や正三角形状に並んだまま形を変えずにぐるぐる回る解とは大違いの、とても面白い動きを見せてくれるというから驚きだ! (←きらいだといってわざと書いてた文体が癖になる。) 軌道はいわゆる「8の字」型(「∞の字」型であろう、というナイスな指摘あり)をしていて、三つの粒子は、その上を互いに衝突することなく、追いかけっこをしながら永遠に回り続ける。 全角運動量が0というのが、特徴的。 黒木掲示板で牧野さんが教えてくれた GIF アニメは一見の価値あり。 (論文をみると、変分原理(本質的には、これから、二年生の講義でやるのと同じ!)を使って解の存在を証明しているので、軌道の形についてのあからさまな式はない。)

さらに、黒木掲示板への牧野さんの書き込みによると、観測できる宇宙の範囲に、こういうのが実際に数個はあるのではないか、という評価をしている人もいるらしい。 楽しい。楽しい。


4/19/2001(木)

昨日の午後は、

そして、何よりも、 という感じで(↑わざわざ箇条書きにするほどのことでもないのだが)、
俺はもう老けたのか、こんなのではぜんぜんダメではないか、わー、どうしよう
とか思って(↑これも太字大文字にするほどのことでもないのだけど)けっこう落ち込んでしまった。

しかし、単に体調が悪く疲れていただけのことらしく、多めに睡眠をとったら、今日は頭がすっきりとして、昨日悩んでいたことは混迷していたぞ、と思えるようになった。 というわけで、今日は、少し雑用をしたり、エントロピー生成最小原理についてのメモを書いたり、論文を手直ししてレフェリーレポートに返事を書いたり、書くべきレフェリーレポートの催促を無視したり、とそれなりに働くことができた。

めでたし。めでたし。


そうそう。 学会のときに立ち話をした Ts 大学の○○君。 (←あえて名前を伏せているのでなく、本当に知らないのだ。) 見てますか?

あのとき言っていた「数理物理 2001」の案内を、ようやく用意しました。 お待たせしました。 よろしければ、どうぞご参加ください。

数理物理 2001 の案内
お申し込みは、あくまで郵送だそうです。

あ、もちろん、○○君以外の方も、よろしかったらどうぞ。 佐々さんとぼくとで、分担を決めて、ある程度まとまった講義ができそうです。


4/20/2001(金)

重労働の一日。

しかし、睡眠を多めにとり、アリナミン3錠とリポビタン D を服用して、一日をスタートさせたためか、元気元気。若いもんには負けやせんわい。 講義でも、よくしゃべって、よく書いた。 床はチョークの粉だらけ。 廊下には、ぼくが歩いた足跡がくっきりと続いていた。 風流どすなあ。

午後のゼミの休憩の間、教務の用事を兼ねて、宮沢さんがやっている演習2に乱入。 陰険な質問をして、終了時間を延ばしてしまう。 つきあい始めたばかりの学年だから、ぼくの印象が悪くなったかもな。 ごめんちゃい。もうしないから許してね。(←あやまっても遅い。)

ゼミの後は、コーヒーを飲みながら、高麗さんに、SST 関連の悩みと現状を洗いざらいしゃべる。 示量変数を固定する定式化に大いに問題があることは、高麗さんも納得。 しかし、だからといって、おいそれと示強変数に切り替えるというのも納得しきれない、というのが高麗さんの反応。 ごもっとも。気持ちはわかる。 だから、佐々さんは今でも奮闘しているのだけれど。

関連する話題として、高麗さんたちが考えている磁壁のある系の電気伝導の問題。 高麗さんの口からぽろっと

「いや、電圧を固定しようという考えはよくない。むしろ電流を固定する方が問題として自然で扱いやすい。」
ほうら、ほら! それこそ、まさに示量変数による記述を捨てて示強変数による記述に移行することなのさ。 やはり皆そちらに向かってしまうのであーる。

↑ あ、この日記まったく面白くないですね。あらかじめ断っておくんだった。ごめん。(遅いって。)


4/22/2001(日)

この時期になると、大学院の志望を考えて「素粒子理論はどうなのだろう?」という疑問を抱く(あるいは、抱いているらしく見える、あるいは、抱いていると人の言う)4年生に対して、一定のことを言うことになる。 ちょうどよい機会なので(←どんな機会だ?)、ここでも同じようなことをつぶやいておこう。 (けっこう長くなってしまった。)


まず、言っておきたいのは、
素粒子や宇宙に興味を持つのは、超ふつーのことだし、もちろん健全なことだよ
ということ。

だいたい、考えてみると、現代に生を受けて、理系っぽい方向でものを考える習性のある子供が、ごく自然に考えるのは、

という二つのテーマだと思う。 そもそも機械だって「中はどうなってるの?」と覗いてみると面白いし、地球の上に暮らしていても「あっちの山はどんなだろう?」と誰もが遠くに憧れる。 だから、素粒子や宇宙への疑問は、もう と同じくらい自然なものなのである --- というと、やや大袈裟で、「腹へった」に失礼だが、まあ、その次くらいに自然なものなのであるよ。 だから、あなたが素粒子や宇宙に興味あるとしても、それは、何か特殊な性向ををもって生まれてきたということを意味するわけじゃないし、神とか悪魔とかその類のものに魅入られてしまったことを物語るわけでもないのだ。 そのことは、まず、押さえておいてほしい。 というより、ま、そのことを認識してもらえれば、それでこの文章の目的の大半は達したことになるのだ。 (誰もが素朴に疑問を持つことだから素粒子や宇宙の研究はくだらない、とかいうアホな話にはならないので、ご安心を。 これらに価値があるか否かは、誰もが疑問に持つこととは、(ほぼ)独立の問題であって、実際に価値と意義があることは実際の歴史のなかで示されてきていると信じる。)
この事実を認識した上で、
では、あなた自身が、その普遍的な疑問の直接の延長上にある分野に青春の一時期におけるエネルギーを投入するかどうか?
という「人生の選択」の問題になる。 これは、時代と個人の双方の要素につよく縛られる選択だから、準「腹へった」的普遍的疑問だけに基づいて決めるべき性質のものではない。 少なくとも、
  1. 科学の歴史のなかで、その分野は、どう発展してきたか? はどのような発展の段階にあるか?
  2. あなた自身の予備知識と能力はその分野での研究に適しているか?
という二つの方向から考える必要がある。
二点目については、ここで何かを言うことなどできないので、一点目について、少しだけ。 言い古されたこと以上は、ほとんど言えないけど。

明らかに、素粒子論には黄金の時代があった。 次々と建設される加速器。 続々と飛び込む新粒子発見のニュース。 解釈すべき膨大なデータたち。 解くべき一級のパズルたち。 理論サイドからは、かたや、ほぼ完成された量子力学があり、もう一方に、粒子の対称性を群論で分類するというアプローチがあり、(大ざっぱにいうと)これら二つがゲージ場の量子論として一つになり、多くの相互作用を統一的に記述することが可能になっていった。

しかし、時は流れ、人類にとって未知のエネルギーはどんどん高くなり、それを研究するための加速器の建設費も指数関数的に上がっていった。 素粒子理論はというと、いわゆる「標準理論」を(形式的には)完成させ、より高いエネルギーの理論を模索している。 もうずっと前から、素粒子理論(のほとんど)が扱うエネルギー領域は、現実的な実験が行なえる・行なわれている領域からは、はるかに隔たったものになっている。

今日、もっとも高エネルギー側を扱う素粒子理論家が研究しているのは、超弦理論、M-thoery, D-brane とかいった(ぼくも、ほとんど名前しか知らない)「数学」的な対象であると聞く。 そして、重力を他の相互作用と統一する見通しがみえつつある、あるいは、「なぜ現実の時空は四次元なのか?」という疑問にも一定の理論的解答を与える可能性がでてきた、といった話が耳に入る。 こういった問題について、科学として堅実なアプローチが可能であり、信頼に足る結果が得られるならば、それは文句なく素晴らしいことだと思う。

ぼくが太字・大文字にすると、なにか裏があると思うかも知れないが、そんなことはない。 「四つの相互作用の統一的記述」も、「時空間の次元が必然的に4であることの説明」も、

素晴らしく魅力的な問題
だとぼくは心から思う。

しかし、同時に、これらは、もはや、

きわめて極端で、特殊な問題
なのは明らかだということも言っておかなくてはならない。 実験からのパズルの入力は、(ほぼ)皆無であり、人類のきわめて限定された数学能力を頼りに、少しずつ進むしかない。 進んでいる方向が真に正しいか否かの判断もきわめてデリケートになる。

もちろん、こういった問題に人生をかけて地道で困難な研究を進めている科学者がいることは大いに歓迎する。 しかし、これは、もはや、優秀な人材を大量に投入して、みんなでわああああっとやるような問題ではないとぼくは思う。 どんなに優秀な人材が多く集まろうと、できることが(たとえ、あるとしても)きわめて限定されているという事実に変わりはないのだから。


というわけで、先程の「人生の選択」の問題に戻ると、
今の時代に生まれた以上、素粒子理論を専門として研究することはないんじゃないの。
というのが、ほとんどの人への答えになると思うわけだ。 「子供の頃から抱いていた素粒子への好奇心はどうしてくれる?」 というのなら、もちろん、二十世紀までの素晴らしい成果を学べばよろしい。 それは極めて楽しいことのはずだ。 (ぼくには耳学問に毛が生えたレベルの知識しかないけど。) そうすれば、確かに、実験ができる範囲のエネルギーについては、かなりもっともらしい理解が得られているらしい(←それほどでもない、という見解の人もたまにいる)ことがわかるだろうし、きれいな理論のなかでヒッグス機構だけが「浮いていて」汚いと言う人がいる(←ぼくもそう思う)のはどう意味かわかるだろうし、まだヒッグス粒子がみつかっていないことがどのくらい重要かとかについても、ある程度の見解を持つことができるだろう。 そして、素粒子実験家や加速器物理学者が工夫を重ねて、より高いエネルギーでの物理についてのニュースをもたらしてくれるのを待っていればいいのではないだろうか? (ぼくも、ヒッグス粒子があるかないかは気にかかる。 万人の予想に反して出てこなかったりすると面白い。)

(ついでに書いておくと、素粒子理論の分野でぼくが重要でかつ理論的に challenging だと思うのは、QCD (量子色力学=クォークとグルオンの場の理論)からより低エネルギーの物理を導くこと。 純理論的には、猛烈に難しいみたいだけど。 今の人類にできる最良のことは、信頼できる計算機実験をおこなうことで、その成果は、確実に重要だと思う。)


それでも、
いいや、とにかく、自分は何が何でも究極のミクロのことに関心があるので、そちらの方向を目指すしかないのだ!
という人がもしいれば、それは、申し訳ないけど、準「腹へった」的素朴な疑問を深める努力も反省もないと言いたい。 そもそも、
小さい方に行けば何かすごいものがあるだろう
というのは、根拠のない素朴な直観にすぎない。 たしかに、今までは、その直観に従うことで、素晴らしい素粒子の世界を見ることができたが、ここから先(まともな研究が可能だとしても)真に素晴らしいものが見えてくる保証などない。

さらに、現在の人類が思い描いている究極のミクロ理論 --- 単一の理論があり、それは、低エネルギーでは(何らかの対称性の自発的破れのようなものを介して)4次元時空と4種類の相互作用を生み出す --- がたとえ得られたとしても、それが真の意味で「究極」だといえるのか? そういう保証はないとぼくには思える。 早い話、二十世紀になって加速器実験をするまでは、今日の素粒子の姿など、誰にも想像できなかったのだ。 われわれの見ていないエネルギー領域に、もっともっともっとわけのわからないものが猛烈にたくさんあって、それらを統一するにはまた別の理論が必要、という可能性だってある、というより、もしかしたら、そっちの方が自然かもしれない。 (これは、科学の議論ではなく、趣味の問題だけれど。) もし、そうであれば、人類にとって「究極」に見えるものも、しょせんは、あるエネルギーでの有効理論に過ぎないということになってしまう。

もちろん、「究極の理論」を目指して努力している人たちは、ぼくが上に書いたようなことくらいは、日々自分に厳しく問いかけているはずで、その上でも、あえて、自分の人生をそういう研究にかけているのだろう。 ぼくには、そういう人たちをどうこうしようなどという気は(少なくとも、今は)全くない。 ただ、これから自分の専門分野を決めようという若い人たちには、準「腹へった」的純粋素朴な幼き日の疑問(および秀才としてのプライド)だけに引っ張られて「素粒子やるしかない」などと軽々しく思わず、どうか、よおおおおおく考えて、うううううんと悩んだ上で何を学ぶかを決めてほしいのである。 (そして、一度、決まったら、もう二度と悩まずに、やれるだけのことを超全力でやるのだ。)


こうやって、
素粒子理論はやめた方がいいよキャンペーン
をやった以上、じゃあ、どこそこの分野がいいよ、みんなおいでよ、と宣伝するかというと、そんな気もありません。 みなさん、自分が面白いと思い、自分に貢献できるだろうと直観した分野に進んで、ばりばりがんばってくれれば、それでいいと思う。 (アホみたいですが、科学は、それが一番いいのだ。) もちろん、ぼくに近い分野に真に優秀な人が来てくれれば、とてもうれしいのも事実ですけれど。 (あと、もしプロのなったら、最初に選んだ分野にこだわらないで欲しい、ということも思いますが、それはまた別の話。)

というわけで、長くなってしまったけれど、みなさん、どうかたっぷり悩んでください。 (←とはいうものの、この「雑感」の読者で、たまたま学部4年生で、たまたま理論志望で、たまたま素粒子理論に進む可能性を検討している人なんて、ごくわずかだよね。) ぼくは、分野の選択については(もう)悩んでいないので、そろそろお風呂にはいって寝ます。


4/23/2001(月)

なんかダメだな。 能率きわめて悪し。


仕方ないので雑用、と思った声が天に届いたか、さらなる教務の雑用がドアをノックする。

しっかああし、ぼくらはサービスとして最高の教育を提供することを目指し、学生さんはそれに対して高い授業料を払っているのだから、履修に関してスムーズにいかないことがあれば、こちらは最善の努力をせねばならないのであーる!! というわけで、最善の努力を、しよう。

(詳細は略すが)した。


で、雑用に復帰。 例の物理学会誌の座談会(3/5, 3/6)の原稿の手直し。

やたら「その」とか「で、その」とか言っているらしく、それがそのまま忠実に書き取ってある。 そういう不要な合いの手は、削除して、読みやすく・・ 微妙な書き換えをして、論旨を明快に・・・ 不要だと思う発言は、ばっさり削除・・・・

ううう。 長いなあ、この座談会・・・

あ、また俺がしゃべってる。

あーあ。 もっとおとなしくしてればよかったー。

なんて言うもんじゃないですね。やっぱり。

今夜はがんばってこの作業をやります。


4/24/2001(火)

日曜日の夜に書いた「素粒子に興味があって秀才だからって自動的に素粒子理論を専攻しようと思わなくてもいいと思うよ」キャンペーンには、すでに、「日々の雑感」開闢以来おそらく最多の(見た範囲で、日記3(加速器のプロの方のコメントは、こちら(←ちょっち文体変わるので注意))、掲示板1、メール1)反応をいただいていて恐れ入っているところですが、特に

最初は宇宙と言っていたのに途中から素粒子の話だけではないか。
という冷静なつっこみについては、
それは自覚してたのだけれど、学生さんたちと話す雰囲気で端から文章を書いていったら、あのへんでまとまって、かつ夜になってしまったから終わりにしてアップロードしてしまったのです、ごめんなさい
と素直に申し上げておきます。

で、補足と言ってはなんですが、身近な4年生(および大学院を目指している他の立場の方々)の

宇宙ってどうよ?
という疑問に答えるつもりで(この昼御飯前の一時を利用して)少々。 といっても、ぼくには(素粒子同様、あるいは、それよりも、さらに乏しい)耳学問のレベルの貧困な知識しかないので、ご了承を。 (間違いがあれば、ご指摘いただけるとありがたいです。)

素粒子とはちがって、宇宙については、最近、急激に新しい観測データが蓄積され、また、新たに得られつつあるようで、分野は全体として活気づいていると思う。 (日本のロケットが落っこちてしまったので、そのショックはあるでしょうが。) 背景輻射の方向依存性やゆらぎを詳細に観測して初期宇宙の様子を探るみたいな研究だけでなく、個々の天体から届く電磁波を分析して具体的にそこで何がおきているかを探る研究(活動銀河核とかガンマ線バーストとか名前は何となく浮かぶが、ぼくには、いまいちわかっていない)が活発に行なわれているようである。

しかし、こういった宇宙での物理現象の研究においては、ある程度の観測は可能だけれど

実験は絶対にできない
ことは言うまでもないだろう。 何らかの現象について、理論的説明を作っても、 「じゃ、超新星爆発の初期条件をちょっと変えてやってみましょう。 理論が正しければ、これこれこういう結果になるはず。」 とかは言えない。 (いや、言うだけならいいけど。(というか、ぼくとか、言いそう。)) そのために、宇宙から得られる観測データをもとにして、本質的に新しい物理現象が生じていることを示すのは(そもそも生じていたとして)きわめて困難になると思う。 (信頼にたる計算機実験ができる領域では話は少しちがうでしょうね。 そういうのは、たぶん、重力多体系として扱える部分に限定されていると思う。)

そういう意味で、

宇宙の研究というのは、きわめて地味で、かつ、(時には)もどかしいものであろう
とぼくは感じています。 実際に観測のプロジェクトに携わっている人たちも、多くの時間とエネルギーを、検出器の開発や性能チェックに費やしているようです。 それは、未知の世界を覗くために、本質的に重要なステップだから。

前と同じパターンですが、そりでも、

いや、私が関心をもっているのは、宇宙の究極の起源のところだけなのだ。 そんな半導体検出器とかじゃなくて、宇宙の始まりだけを研究しようと思う。
とかいう人がいたら・・・・

ま、ちゃんと勉強して出直してください、と言っておこう。 (宇宙の本当の始まりのところの研究は、素粒子理論よりもずっと苦しいとぼくは(というより、きっと、みんな)思っている。 (高エネルギーを記述する素粒子理論ができなくては、そのエネルギーに対応する初期の宇宙論はできない、というのは、普通に受け入れられている考えだと思う。))


例の座談会の載ったパリティ5月号が出るというメールが来たぞ。

ぼくの紹介のところには web page の url が載っているので、タイミングを見計らって、コメント+補足を書かねば。 (そんな暇があるのかな? 学会誌の座談会の手直しもちっとも進まない。 午後は会議だ。)


4/26/2001(木)

ふう。

物理学会誌の座談会の手直しは、予想以上に手間がかかって疲れた。 昼過ぎに終えてメールを送りだしたあと、しばし意識を失ってしまったぞ。 (その後、コーヒーを飲んで、下の自動販売機で買ってきた「パックンチョ」を食べたのだが、朦朧としていたせいか、後でその記憶が一時的にとんでしまったらしい。 また復活して仕事をして、夜部屋をでようとしたとき「パックンチョ」の箱を「発見」して、「あ、これ買ってきたのに、お茶をする暇がなくて、食べなかったんだ。 ちぇっ。明日食べよう。」 とか思ってしまし、家に帰ってからも「今日はおやつをする暇もなかった」と語っていた。 ずっと時間が経ってから、突如として、失われし記憶が甦り、コーヒーをのみつつ「パックンチョ」を食べる自分の姿を思い出したのであった。)

しかし、この作業の途中で座談会の載った「パリティ」が届くというのも、妙なシンクロ。 「パリティ」座談会をテープおこしした最初の草稿が届いたのも、学会誌座談会本番の直後だったなあ。


理論物理研究室恒例の卒業研究のテーマと担当教員の決定。 (ゼミは既にばりばりに始まってます。念のため。) ○○君、ちょっと優柔不断すぎ。 ○○君、ちょっと悩みすぎ。

でも、ま、ともかく、楽しくがんばりましょう。


4/28/2001(土)

きのう明らかに無理をしてしまったので、今日は昼すぎに布団に入って寝ていると、頭がすっきりしてきて、いろいろと野心とアイディアが。

というわけで、床をたたんで、希望に満ちて大学にやって来たのじゃがのお。 机の上の整理をするのが面倒じゃ。

届いたばかりの J. Stat. Phys. (vol. 103, No. 1/2) にちょっともの凄い感じの論文が出てる。 長い。分厚い。 ひとつの論文なのに、223 ページもある。 索引まである。 おまけに、その一つ前の論文(これも 44 ページで、普通の基準から言えば、短い論文とは言えない)は、別の人が、この 223 ページ論文の意義と概要をわかりやすく解説した "Readers' guide" なのだ。 こんなのはじめて。 持って帰って、目を通すかな。


4/29/2001(日)

ううむ。 昨日すこしだけ触れた J. Stat. Phys. の論文はやはりすごいみたいである。 (←ここは、家人を迎えに行って自動車のなかで待っている間にiBook で書いたのだ。 はじめて、自動車のなかで文章を打つのだと思って喜んでいたら、一行書いたところで、戻ってきたので、おわってしまった。) 昨日と今日は、"Reader's guide" を読んで概要を理解し、大論文の方を眺めて雰囲気をつかんで過ごした。 楽しい。

一応、ちゃんと論文名を書いておくと、最初にある「前座」の論文は、

Lawrence F. Gray
A Reader's Guide to Gac's "Positive Rates" Paper
J. Stat. Phys. 103, 1-44 (2001)
で、問題の大論文は、
Peter Gacs
Reliable Cellular Automata with Self-Organization
J. Stat. Phys. 103, 45-267 (2001)
です。

Gac (なんと発音するのだろう?a の上には右上がりのアクソンがついている)の論文は、Positive Rates Conjecture という数学的な予想の反例を構成したものなのだけれど、そのために、これだけの紙数を必要としたのだった。 (ざっと眺めてみると、このページ数から想像する以上に、猛烈に大変な仕事らしいこともわかる。 反例の構成のために、新しいコンピューター言語まで作ってしまっている!) Gray の解説を読んでみると、それだけやる価値のある仕事らしいことがわかる。 専門家向けの解説もあとで加えたいと思うけれど、まずは、Gray 論文の第三節 A Brief History of the Problem に書いてあることをざっと紹介してみよう。 世の中、「サラリーマン的」に論文数を増やそうとしている科学者ばかりでないことのいい例だと思うから。


Gary は、70 年代半ばに、 Cornell の大学院生として Frank Spitzer について研究をしていた頃に、Positive Rates Conjecture のことを知った。 「予想」と言われるだけあって、これはきわめてもっともらしい話で、みんなの関心はそれをどうやって証明するかにあったろうと思われる。 ところが、Gray らは、ロシアの論理学者 Kurdyumov が unviersal Turing machine などの論理学っぽいアイディアを使って、この予想の反例を作ったという噂を聞く。 これはすごそうだぞ、というので、ついに入手したKurdyumov の論文を読んでみると、これはまったく数学ではない。 労働者のコロニーがどうしてこうして、亡命者が隣のコロニーに侵入してああしてこうして、みたいなシナリオが書いてあるだけで、口の悪い大学院生(Davif Greffeath という今は有名な奴。ぼくもあったことあり。)は、スパイ小説じゃねえかというくらいのもの。 また、当時ロシアで Kurdyumov の説明を聞いた専門家たちも、これがまともなのかどうかはわからなかったという話。 Gray らは、ま、この話は、よくて数学的夢物語であろうと思うしかなかった。

その後、 Kurdyumov は、Gacs と Levin という人たちと組んで、Positive Rates Conjecture の反例と称するものを発表するのだが、これは、シュミレーションしかなく、未だに白黒つかず。 たぶん、反例にはなっていないと思われている。

しかし、Gacs はあきらめずに粘り続け、ついに、1980 年代半ばに新しいモデルを発表し、これが予想への反例になっていると主張した。 当時 UCLA にいた Gray は、Rcik Durret (確率論の有名どころの一人。ぼくも会ったことあり。)といっしょに一ヶ月間この論文と格闘するも理解できず。 そこで、Gacs を呼んで話を聞くのだけれど、あまりにもいろいろな細かいところが抜けているし、証明の言語が尋常ではないしで、とうとう理解できずに終わる。 しかし、Gray は、どこかに厳密な反例が潜んでいるのかもしれない、と思うようになったという。

この分野の専門家たちは、Gacs にもっと読める論文を書けとプレッシャーをかけはじめた。 そして、ついに、ほぼ十五年の後に Gacs は、今回出版された大論文の原型を書き上げたのだった。 もちろん、その間に、例を改良したり、証明を整備したり、より進んだ結果を示したり、と様々な進歩があった。

Gacs の大論文が J. Stat. Phys. に投稿されたので、編集長の Joel Lebowitz (統計力学の大御所。ぼくは大好き。Joel, Hal と呼び合う仲です。一応。)は、Gray に論文のレフェリーを依頼する。 Gray は、ほぼ一年の間、この大論文を少しずつ読み進め、ついには、これは本物だろうと確信するに至る。 ただ、まだまだわからないところはたくさんあった。 そこで Gray は編集長の Joel Lebowitz に連絡して、自分がレフェリーであることを証かす許しをもらう。 そして、Gray と Gacs は、長い二つの週末をいっしょに過ごし、長い長い論文を隅から隅まで徹底的に吟味していく。 かくして、膨大な間違いが訂正され、多くの改良が加えられ、Gray は、もはや、些末な間違いを除けば、この論文に欠点はないと確信する。 こうして、なんと 1996 年 6 月に雑誌に送られた論文は、2000 年 4 月に正式に受理されることになる。


ほお。ほお。 なかなか気の長い話ではないか。

「世紀の大論文」を書きかけ(証明は書いてある)のままで放置しているのも、少し気が楽になった私です --- などというせこいオチはいけませんな。

少し、Gacs はお休みにして、SST とかの続きをやるか。 (Positive Rates Conjecture と Gacs の仕事の解説は、また今度。(できたら。)) 粉粒体が射程に入るのは、いつだろう? まずはパイプの中の流れの縞模様が候補かな??


4/30/2001(月)

昨日のつづき。 Gacs の仕事について、ごく簡単なメモ。 (ある程度、統計力学などの知識がいるし、ギャグもないので、読まないでいいよ。)

さて、

1次元の有限距離の相互作用の(古典)スピン系では、どんなに温度が低くても、平衡状態は(秩序を持たないもの)ただひとつしかない。
ことは、よくご存じのとおり。

強磁性 Ising 模型を思い浮かべればよい。 絶対零度での状態(基底状態)は、次元によらず、ふたつ(すべてのスピン上向き、とすべてのスピン下向き)あって、秩序をもっている。 ここに熱的なゆらぎが入ったときに、秩序が壊されるかどうかが問題。 たとえばスピン上向きの状態に、スピン下向きになった領域が入り込むことを考える。 二次元ならば、スピン下向きの領域は一種の「島」になるが、その場合、「島」の周に相当する部分で相互作用エネルギーを損することになる。 「島」が大きくなるほど、支払うべきエネルギーは大きくなる。 ところが、一次元なら、スピン下向きの「島」は単なる区間であって、エネルギーを損するのは両端だけ。 つまり、下向きスピンの「島」がいくら大きくなっても、支払うエネルギーは増えないのだ。

これが、一次元では、どんなに小さなゆらぎが入っても、秩序が壊れ、平衡状態がただひとつになる機構の本質である。 よって、離散的なスピン系で、相互作用の距離が有限ならば、まったく同じ理由から、やはり任意の有限温度で平衡状態は一つしかない。


Gacs がぶち壊した Positive Rates Conjecture というのは、この話を時間発展(確率過程)について拡張したものと思ってよい。

一次元の(各々のサイトで)有限状態、相互作用距離有限のセルオートマトンを考える。 (Ising 模型が、何らかの決まったルールで時間発展するものと思えばよい。) ノイズがないとき(絶対零度に相当)、この系には、時間がたっても変化しない「基底状態」が二つ以上あるとする。

ここにノイズを足して、適当な確率で、でたらめに選んだサイトの変数をでたらめに書き換えることにする。 気持ちとしては有限温度に相当する。 このとき、確率過程の定常状態(ずっと長い時間の後に実現する状態)は、いくつあるか? (サイトの数が有限で、あと、当たり前の条件があれば、定常状態は一つしかない。 問題にしているのは、サイトの数が無限の問題。) 複数の「基底状態」に近い複数の定常状態が得られるだろうか? 気持ちとしては、この場合の定常状態は、有限温度の平衡状態に対応するから、上の考察からして、定常状態はただひとつだと思われる。 (専門的注:ハミルトニアンをもとに、詳細釣り合いを満たすように定義した確率過程なら、これは完全に正しい。)

実は、ここで、「下向きスピンの状態はノイズに乱されないことにする」とかいう「ずる」をすると、複数の定常状態をもつモデルを作ることができる。 (Gray 論文の Example 2 を見よ。) しかし、この例でも、ノイズを「まとも」なものにかえて、下向きスピンもノイズの影響を受けるようにすれば、やはり、定常状態はただ一つになる。

というわけで、上の平衡系の主張に対応する、確率モデルについての予想

Positive Rates Conjecture: 一次元の有限状態、相互作用の距離有限のセルオートマトンに、「まともな」ノイズを足した系では、定常状態はただ一つである。 ("positive rates" というのは、「まともな」ノイズということ。)
が出てくることになる。

先に述べた平衡状態についての主張は、正しいことが厳密にわかっているので、この確率過程についての予想の方もきわめてもっともらしく思える。 しかし、これについてロシアの論理学者 Kurdyumov がスパイ小説もどきの謎の論文を書いて反例があると言い出し、そして、ついに Gacs が厳密な反例を構成したこと、などは昨日書いたとおり。


以下、Gacs の反例の構成のごくごく基本的なアイディアについて。 (Gray の解説を読んだ範囲でのまとめだけど。)

Positive Rates Conjecture への反例を作るというのは、要するに、ノイズが加わっても、自分のもとの状態を忘れないような安定な時間発展ルールを作ることに相当する。 そこで、Gacs は、一種、計算機科学的なノリで、そういう例を力業で作ってしまうのである。 望ましい性質を持ったプログラムの半構成的存在証明をやると言ってもよい。

まず、ノイズが、時間的にも空間的にも孤立して生じた場合は、話は簡単である。 たとえノイズで状態を変えられてしまっても、周りをみて「修復」を行えばよい。 たとえば強磁性 Ising 模型で、すべてのスピン上向きから出発して、どれか一つが下向きになったとする。 それでも、周りを見回してみんな上向きなら、それに合わせて上向きに直すという修正をすれば大丈夫。

ところが、ノイズの割合がどんなに小さくても、どこかで、非常に広範囲にいっせいにノイズが入って状態を乱すことが、確実に、ある。 こうなると、(少なくとも1次元では)単純なデータ修復ではどうしようもない。 ずっと上に述べた ising 模型の「島」のエネルギーについての考察とほぼ同じメカニズムがここにも働いて、一次元系は、その初期状態の情報を忘れてしまう。

しかし、Gacs は、小さいスケールのノイズによるダメージを修復したのと同じようにして、どのような大きなスケールのノイズによるダメージも有限時間のうちに修復してしまうような時間発展ルール(=プログラム)を作ってしまったのだ。 その、根幹にあるアイディアは、すごい。

なんと、セルオートマトンに、

自分自身をシュミレートさせる
というのである。

もう少しきちんといおう。 セルオートマトンのサイト(=セル)を大きなグループ(コロニーと呼ばれる)に分けて、内部状態の一部だけに注目し、かつ、時間を一定間隔ごとに見てやると、このコロニーを基本のサイト(=セル)にするような(大きな)セルオートマトンが見えてくる。 しかも、これが、(適当に縮小してやると)もとのセルオートマトンと同じものになっている、というのである。 もちろん、こういうことは、セルオートマトンのルールを自己相似(フラクタル的)に作っておけば実現できるけれど、そうすると、もちろん長距離相互作用のあるオートマトンになってしまう。 Gacs は、有限距離の相互作用だけを用いて自己シュミレーションを実現するのである。

もし、これが可能なら、いろいろなスケールのノイズを修復することができる。 まず、孤立したノイズは、基本のセルオートマトンのレベルで修復する。 次に、より大きなスケールのノイズは、コロニーを単位とする大きなレベルのセルオートマトンが、修復する。 より大きなスケールのノイズは、コロニーのコロニーを単位とするもっと大きなセルオートマトンが修復し、という具合に、自己シュミレーションが生み出す自己相似性をフルにいかして、どんなスケールのノイズによるダメージでも修復してしまうというのである。

しかし、そんなものすごいことを、こうやって言葉で言われただけでは、本当にそんなことが可能かどうかはまったくわからない。 実は、ぼくも、Gray の論文を読んだだけだから、本当のところはわかっていないのだ。 実際、Gacs は、この自己シュミレーションのシナリオが実現可能で、かつ(ノイズが入っている状況下で!)きちんと機能することこを示すために、計算機科学の知識を動員し、猛烈に当たり前でないことをいろいろと考え、独自のプログラム言語まで作り、200 ページを越す大論文を書いたのである。 Gacs のセルオートマトンは、ものすごく大きな内部状態を持っていて、その発展ルールもきわめて人工的で複雑なものだ。


Gacs の仕事は、一言でいうと、とても不思議な仕事だ。

Positive Rates Conjecture そのものは、とても物理の香りのする予想だと思う。 しかし、Gacs の作った例は、どう大目に見ても、物理的とはいえない。 ともかく、反例を人工的に作ったことになる。

とはいえ、物理的に意味がありそうな予想に、何にせよ反例がみつかったのだから、この事実に物理的な意味があるとも思える。

Gacs の自己シュミレーションの実現方法や、エラー修復の方法が、計算機科学に即座に意味をもつのかどうか、ぼくにはわからない。 しかし、当面の有限サイズのコンピューターを念頭に置く限り、こういった考察が現実味をもつことは簡単にはないような気がする。 (素人判断だけど。)

とはいえ、そういった、ごちゃごちゃした理屈抜きに、数学か物理か情報科学かとかいった分類抜きに、Gacs の話はめちゃくちゃおもしろそうである。 基本のアイディアは、ほとんど「ぶっ飛んで」いるし、それを実現し厳密な証明にまでもっていくパワーには真にすごいものがあると思う。 (Gacs 論文は、眺めただけだけど。)

いかにも田崎が言いそうなことをあえて最後に言っておけば、「自己シュミレーション」なんて、まるで(かつての?)フクザツケーの人たちの好きそうな話だけれど、そういうことを言って面白がるなら、やはり、これくらい(というと荷が重すぎるけど、ある程度は)しっかりと重みと中身と意味のある仕事をやってからにしてほしいものだと思う。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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