日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


8/5/2001(日)

おお。 気がつけば 8 月。

夏休みの宿題と認定した仕事もほとんど手つかずのまま、新たにやりたい課題ばかりが増えていく。


と、久々の更新でこれだけでは読者のみなさまに申し訳ないのだが、でも、優先すべき仕事がいっぱいなので、やっぱりこれだけなのだ。 ごめん。
8/9/2001(木)

夏休みになって、講義もなく(会議はあったけど)、学生さんもたずねてこないので、時間が止まったみたい。 机の上の時計も、ずっと5時20分前を指したままのようではないか。

と、思ったら、本当に電池が切れて止まっているのであった。 象徴的。


せっかく休みになったというのに、宿題のなかで片づいたのは、佐々さんといっしょにやっていた SST 論文の草稿の仕上げくらいか。

ちなみに、これは、ぼくにとっては今までにないタイプの不思議な論文だけど、好きです。 遠くない内に公開できるとと思います。

数理物理 2001 の予稿というのもやらねばならない。 昨日までは、はっきり言って、進展ゼロだったのだけれど、ふと、思いついて、ここしばらく、エントロピーや第二法則に関連して、まとめて公開しておいた未出版ノート、論文にしようと思って書いたけれど結局出版しなかったノート、などなどのファイルを探してきて、えいやっとくっつけると、30ページを越す英文の予稿ができることに気付いた。 (見よ、佐々さん、これでいっきに逆転だ!(←ページ数だけ)) あとは、これにうまく肉付けして、間を埋めて、記号を統一して・・・、という作業で、きっと予稿らしきものになるはず。

さて、どれだけ時間がかかるか。

締切がいつか、が問題だけど、それは敢えて知らない方が幸せかも。 そう思って、さっき主催者のお一人に会ったのだけれど、敢えて聞かなかったずるい私である。


12日の朝からしばらく東京を離れるので、ここの更新はもうしないかもしれません。

旅先にネットワーク環境を持っていけるか、どうかは微妙。 iBook に適切なファイルを移したので、理論的には、これで大丈夫なはず。 しかし、実際にやってみると、どうもダメ。

実験の結果こそが、重要なのだから、どうしようもない。

付記: その後、家に帰ってやってみたら、なんとかなりそうである。 雑感のページの更新も iBook からできそう。 というか、これから、この部分を ftp しようと思っているので、これをあなたがちゃんと読めているということは、うまくいったということになります。


8/10/2001(金)

午前中は、お仕事。 内容(の一部)については、この先を見よ。

午後は所用があったため、夜になって再び大学へ。

メールをチェックしようと思ったが、不思議とつながらない。 試しに見ると、 web もだめ。

ぼくの部屋のネットワークへの接続は、なんか妙に旧式な同軸ケーブルを使っているので、なんかくだらない理由でぼくのところだけ使えなくなったのではないか、という恐怖。 幸い、高麗さんがいるので、「ネットワーク死んでますか?」と聞いてみると、

明日、明後日と停電ですよ。 だから、計算機センターの人も全部電源を落として帰っちゃったんでしょう。
との貴重な情報。

ああ、聞いてよかった。 しかし、なぜそんな重要な情報が伝わって来ないのだ、けしからん、と思いたくもなるが、高麗さんによればちゃんと回覧も回ってきたらしいし、

このへんにも、貼ってあったはずですよ
と言われてみると、たしかに、ぼくの部屋のすぐ前の廊下の掲示板にもお知らせがちゃんと貼ってあった。 ううむ。なかなかやるな。 文句をいう余地はないようです。 (おまけに去年の雑感 (8/12/2000) を見ると、ちょうど同じ頃にやはり停電していて、ぼくは知らずに大学に来ていたりする。)

というわけで、これを公開するのは、旅先でネットワークにつながってからということになります。


(以下の文のように茶色で書いてある部分は、仕事の詳細に関わることだから、ふつうの人は読まなくていい、という読者に優しい新方式をとっさに思いついたので、実践しよう。 続くかどうかわからないけど。)

非平衡定常状態を多体の確率過程モデルで実現し、SST と比較しつつ、非平衡定常統計力学を模索する試みをつづける。 いわゆる exclusion process の exclusion を弱くしたモデルなど、何らかの意味での展開が可能なモデルを用いて、虚心坦懐に定常状態測度を評価して、そこから何かを学ぼうという健全なプラン。 (ただし、モデルの選択には要注意。7/23 参照。)

結構くだらない方向でさまよったあと、現状の認識は以下のとおり。


8/11/2001(土)

どうせ大学に行っても停電だから、家で旅行の準備など。

旅行の前だから車を洗ってやろうと珍しい気を起こしたら、思いが天に通じたか、突然の雷雨。 これで洗わなくてもいいか。


昨日 (8/10) のつづき; わかった気になったり、混乱したり、撤回したり。 ようやく、夜中に寝床に入ったあとで、よい方向で収束。

stochastic Ising を磁場一定の状況で考えるということは、粒子系でいえば、体積一定・化学ポテンシャル一定の状況を考察することに相当する。 熱力学では珍しい状況だが、統計力学では標準の grand canonical ensemble そのものである。 分配関数の対数からでてくる熱力学関数は、実は、圧力そのもの。

さて、ここに非平衡性をいれる。 熱伝導を mimic するものとして、粒子数も、エネルギーも保存したまま、エネルギーを一方向に流すような一粒子の最隣接へのホッピングを足してやろう。

粒子の濃度が低い側からの展開をすれば、定常分布の形も表現できて、非平衡ハミルトニアンの形もみえそうだし、熱力学関数も出せるに違いない。 分配関数の対数からでてくる熱力学関数を圧力とみれば、FIO も議論できそう。

ただし、ここで、

という二つの難問に遭遇。

しかし、当面は、これら難問は将来の課題としつつ、展開計算からなにが見えるかを具体的に調べるのが得策だろう、というのがこの日の結論。


8/12/2001(日)

移動日。

たかが二百キロメートルたらずのドライブなのだから、仮に時速百キロなら二時間。 実際、時期がよければ、この粗い理論で出した数字もかなり現実に近いのだけれど、今日ばかりは、実験結果は理論とは桁違い。 ま、帰省ラッシュのピークだと大騒ぎしている日にわざわざ東京を脱出しようというのだから文句のいえる筋合いではないのであるが。

渋滞を脱して中央高速を走りながら、昨日の粒子モデルにおいて圧力をまっとうに定義する方法について模索。 何度かできたつもりになったのだが、なかなかどうして難しい。 いずれにせよ安全運転を心がけなくてはね。

しかし、ぼくなんか人間として運動神経や反射神経はかなり劣る方なのに、時速 120 キロとかで走るものをちゃんと制御できるのだから、自動車の技術はすごいぞ、とか感心したりしている。

で、圧力について、メモ。

「体積を変化させる際に操作者のする仕事」というもっとも基本の理念に戻って、格子上の粒子系の圧力を定義するとてもナイスな方法がある。 おおざっぱにいうと、自由境界の系を作っておいて、一番はしっこの部分に余分なポテンシャルエネルギーを加え、その大きさをゆっくりとゼロから無限まで増加させる。 その際、はしっこに粒子がのっていれば、その分だけ操作者は仕事をしていることになるので、それを加算していく、というもの。 これは、この間の京都の研究会で M ちゃんが数値計算に使っていた方法のちょっとした改良版なのだけれど、数値計算だけでなく、ぼくのやろうとしている展開計算や厳密な評価などとも相性がよい(だろうと勝手に思っている)。 ただし、これを周期境界の系に使うのは非常にむずかしい。 ところが、今考えている熱流のあるモデルは周期境界で扱うのがもっとも自然。 無理に自由境界版を扱うという手もあるが・・ ううむ。


8/13/2001(月)

ようやく昨日の非平衡定常分布の姿が見えてきた(つもり)。 詳細釣り合いの破れというキーワードの意味も、具体的に手を動かしてみると、なるほど。 考えたら、確率過程と本気でつきあうのは初めてかも。 圧力の定義については、自由境界を用いる範囲でかなり好感触。 今見ている範囲で FIO がゼロになってしまうのではないかとおそれる理由があるというのが唯一の懸念。

というわけで、全部茶色だった。


8/14/2001(火)

しばし山のなかの小川で遊ぶ。

はしゃく子供たちをよそに川の流れをじっとみつめて定常状態の取り扱いに思いを馳せるかというと、さに非ず。 小岩を動かし、砂を掘り、川をせき止め、流れを変えて遊ぶ。 子供の頃から好きでしょうがない遊びで、けっきょく、大人になってもやめられない。 川に来れば必ずやっている。

これは、きっとぼくだけのことではなかろう。 実際、何年か前に原とぼくの家族でいっしょに川に行ったときにも、原とぼくは、子供そっちのけで、川の流れの改造に精を出した。 というわけで、ぼくの統計によれば、理論物理学者の 100 パーセントは、大人になっても「川の流れを変える遊び」が大好きなのである。

ぼくらが到着したときにはほとんど流れのなかった場所に、今では、けっこうちゃんとした流れができている。 自分たちの作った流れを眺めるのは愉しい。

物理についても、同じセリフがいえるとうれしいな、というわけで(と、やや強引につなぐけれど)、小川の中程の岩に腰掛けて、確率過程モデルについての整理。

昨日くらいから、混乱してきたので、モデルを簡略化し、内部自由度のある気体粒子モデルを考察中。 相互作用は、ハードコアのみ。 隣接した粒子の間での、エネルギーの受け渡しを促すような非平衡外場をかけている。 濃度についての展開の二次までで、非平衡性の効果は見える。 周期境界ならうまく行っている(気がする)のだが、自由境界の扱いは、ちょっとめんどうかも。 少なくとも、紙に書かないとできそうにないので、小川ではできない。 FIO について何かを言うには、自由境界をちゃんと扱わなくては。

このままの路線で、まともな結果が出るかどうかは、五分五分だろう。


8/15/2001(水)

計算する。

寝て考える。

おきて考える。

計算して、計算間違いに気づき喜ぶ。

買い物をしながら、その先を考えて興奮する。

計算をチェックし、さらに計算間違いに気づき落ち込む。

寝て考える。

寝て瞑想する。

計算する。

ビールを飲みながら考える。


周期境界の系(あるいは単に境界条件を無視した系)については、exp(\beta\mu) の二次までの非平衡測度を書くことができる。 しかし、FIO につながるものは見えてこない。 自由境界のあつかいは困難。
8/16/2001(木)

あ、そうか。 粒子の交換は対称にして、熱浴で決める温度に勾配をつけて、自然にエネルギーを輸送させるというのもできるか。 しかし、かなり当たり前か。 というか、ここ何日間かでやったことは全部自明に見えてきた。 ここらで頭を冷やして出直すか。 東京に戻る前に終えなくてはいけない他の仕事もあるし。


茶文字ばかりなので、少し話題を変えて。 (以下、かなり以前にほとんど書き終えていたもの。)

ぼくは、いわゆる「言葉にうるさいやつ」である。

普段テレビとか見ていても、つい

「申しておりました」って、その芸能人はおまえの身内かよ?
(朝の番組のレポーターの丁寧語は超超でたらめ。)
とかつっこんでしまう。

あと、この先の話とは関係ないが、

なんで「野党の反発が必死」なんだ。 ま、必死になってくれないと困るけどさ。
(別に「標準語アクセント」が「正しい」とかいう話じゃない。 アナウンサーは東京地方の方言をしゃべっているようであり、東京方言では、「必死」(ほぼ平板)と「必至」(高→低)はイントネーションだけで区別できると思うから。 (ぼくと同じ使い分けをしているアナウンサーの方が少数派になってきた気がするので、自信がなくなってきた。 まちがってますか?(付記:まちがってるみたい 8/27 を参照)))
とか
おいおい、「献金は司書が持っていた」って、図書館にお金を預けてんのかよ?
(落語家が「しばちのし」はいいけど、NHK の七時のニュースのアナウンサーなら、ちゃんと言え。)
といったつっこみもしているいやなやつなのである。
こういう風に話をもってくると、ぼくが、
「正しい日本語」というのがきちんと決まっている。 それに従わない言葉は乱れておる。
と思っている「正しい日本語信者」だと思うかも知れないが、そりはじぇんじぇんちがう。

言語の根っこにどの程度具体的な普遍文法があるかとか、そういう話は別にして、時間と状況に応じて、言葉が流動的に変化していくのは当たり前だと思っている。 まったく同じ状況で発される言葉はない。話言葉は聞くそばから失われていく刹那的なものだし、会話というのはとても動きに富んだ言葉のキャッチボール。 「正しい日本語」を守ろうとかいうのは、バカな話だと思う。

それでも、あえて、ぼくが「言葉にうるさく」するかといえば、

日本語には、いくつかの完成された言葉遣いの「モード」があり、それらを使い分けることで表現が豊かになり、かつ伝達される情報の密度と正確さが増す
という事実があるからだ。

「敬語」「友達言葉」「営業しゃべり」「マゴギャル語」等々、いずれかのモードを選択することによって、フォーマットのレベルで、自分はどういう基本姿勢でその会話にのぞんでいるかを明示できる。 そして、特に「敬語」や「丁寧語」のモードを選択した場合(それらだけではないが)には、適切な動詞を選ぶだけで動作の主体が誰かを示したり、動作の主体と話し手との関係を伝えたり、という高度なテクニックが使えるのだ。 さらには、

といった超ハイテクさえも可能なのであり、それは、種々の会話において極めて大きな威力を発揮する。

しかし、これらは、人々が各々のモードの中での(さしあたっての)ルールを共有していてこそ成立する話である。 (そもそも、それぞれのモードでのルールが瓦解してしまっていたら、せっかく超ハイテクを使っても、まったく認識されない。)

ルールを共有といっても、いろいろな場合がある。

若者が日常に用いる言葉のモードなどの場合は、気楽だし、身内だけの表現も可能だし、やっぱ若いし、と種々の要素のために、ルールはめまぐるしく変化していく。 それは、かまわない。

他方、「敬語」といったものには、世代を越えて、ある程度は時代を越えて、共通のデリケートな表現を可能にするために、なるべく変化の少ないしっかりとした構造が与えられている。 おまけに、息が長いから、分析も進んでいて、「こういう場合にはこういう語を使ってこういう考えを暗に伝えましょう」といったノウハウは小学校の教科書にも書いてある。

「敬語」や「丁寧語」を使いたくないなら、それはそれでいいのである。 しかし、もし敬語風に話そうと思うなら、「正しい」ルールには従わなくてはいけないのだと思う。 そういう話し方をすることによって、自分はそのモードに入って、その場での(差し当たっての)ルールを尊重しますよ、と暗黙に宣言することになるのだから。

であるからして、やっぱり、テレビ番組のレポーターは徹底的に勉強し直さなくてはならないと思う。 尊敬表現と謙譲表現の区別もなく、誰が主語だろうと、ただ丁寧そうに見える言葉を使っているのでは、敬語モードのもつ空気は失われるし、なによりも情報伝達の密度と正確さが損なわれるのである。


さて、さて。

このように、「守るべきところは守る」という堅い態度をつらぬいているぼくですが、他方、もっと流動的な部分(保守的なモードの外)で、新しい言葉や既存の言葉の新しい用法が生まれてくるのを見るのは大好きです。

幸いにも、教員をやっていると、若い学生さんが周りにたくさんいるし、親父をやっていると、親子ほど年の離れた子供たちと日々つきあえるし、新しい言葉に出会うチャンスはとても多い。 それら新しい言葉たちの意味を知り、用例を見て、ニュアンスを汲み取っていく、というのは、なかなかどうして楽しいことである。 新しい言葉に接して、吟味することなく、ただ「乱れている」とか「年寄りにはわからない」と騒ぐのは、おもしろいことではない。 若い世代に自然に受け入れられる新しい言葉や、古い言葉の新しい用法というのは、往々にして、鋭いポイントをついているものだ。

で、新しく知った言葉に、ほどほどの違和感しか覚えなくなってくると、それらを、自分の会話の中なんかで使ってみたりもする。 これは、「モード破り」の快感以上に、スリルがあって心地よい体験なのだ。

実際、ゼミなんかで、なにげに、

ううん、確かにここの英文を直訳すればそういうことになるけど、××君的には、この導出をどう思うの?
とか言ってみるのですが、この「××君的には」とかは確かによい。 ぼくらの用語法では「××君としては」くらいしか言えないのだが、それだと、どうも詰問調になって、よろしくない。 「××的」という漢語を使った方が、やわらかく響くから面白い。

上でこっそり使った「なにげに」も好きになってきた。 これは「何気なく」の省略系から派生したものだろう。 本来は、「何の気もない」という否定形だったのを、「ない」をとってしまったのだから、意味的には破綻しているはずなのだが、不思議にしっくりくる。 「ない」という否定を露わに含まない方が、語感が柔らかく、軽やかだということもあるのかもしれない。

とはいえ、ある程度納得できて耳に馴染んでも、なかなか、自分からは発話できない新語というのも少なくないのである。


そんなある日(って、なんだ?)のこと。 ××君が、「統計力学3」の答案を受け取りにやってきた。

前半は、よろしい。 完璧と言ってよく、これだけで、50点は確保。

後半を、見ると。

1. 不正解である。

2. 単に不正解というよりも、書いてあることが意味をなさない。

3. よく見ると、問題に出てこないパラメター D などが答案には出てきている。なんだこれは?

4. これは、去年出題した似た問題への解答ではないか。問題を読まず、丸暗記していた(似た雰囲気の)過去問の答をただただ書いたなあ!

と、ここまでなら、よくある話(でもないか)なのだが、さらに、

5. 去年の問題への答だと思っても、やっぱり、ぼろぼろにまちがっている!!!

うううむ。

ここまで来ると、単に「ちがう」という言葉では、表現しきれないものがある。

そうだ!あれだ。

おまえ、これ、ちげーよ。
息子とかが使っているのを聞いていつかは使ってみたかった、単に「ちがう」のを越えた、気の抜ける「ちがいさ加減」を、鋭く、かつ軽やかに表現するこの新語(だよね?)をはじめて使うのに、これほど適切な場が他にあったろうか??
いやあ、おはずかしいっす
と照れながらも、ぴたりと計算通り(と思われる)の50可の答案をもって部屋を出ていく××君の姿も、心なしか、さわやかであった。

学習院大学物理学科学生への重要な注意: 「統計力学3」で50可を計算してねらうというのは、猛烈に危険なことなので、決して試みてはいけません。 上に紹介した××君の場合は、たまたまうまくいきましたが、ぎりぎろをねらって48点などに倒れた人は数知れません。


8/17/2001(金)

昨日 (8/16) 適当に書いたことについて、さっそく K さんから、

おまえの「ちげー」の用法はちげーよ
という主旨のご指摘。 正しい用法は、
A:「昨日、一緒に歩いていたの、彼女?」
B:「ちげーよ、妹だよ。」
のように、「悪くもない間違い、あるいは、ちょっとしたからかいを否定するときに使う」とのご意見でした。

「ちげえねえ」という言い方は古くからあるから「ちげー」は新語ではない、とも書かれていますが、しかし、江戸弁の「ちげえねえ」と息子とかが使う「ちげー」はかなりちげーと思うけどなあ。(って、この「ちげー」もちげーかなあ?) もちろん、「ちげー」がぼくの知らないところでずっと使われていたという可能性はあると思うけど。


ところで佐々さんと会って SST について議論しました。

といっても、佐々さんは旅行中だし、ぼくも東京にいないし、会えるわけはない。 メールも通じない。

実は、佐々さんが昨夜の夢にでてきて、「××をやってもうまくいかない」といったことを話し合ったのです。 夢の内容の技術的な部分は覚えていないけれど、もしかしたら、ぼくに伝えるべき重要な何かを佐々さんが思いついたのかもしれない。 来週になれば明らかになるでしょう。

ところで、話し終わったあと、佐々さんが用事があってでかけると言っていたのは別に構わないが、なんで、剣道の防具を身につけて出て行ったんだろう? これも、来週になったら確かめよう。


8/20/2001(月)

半日かけて東京へ帰還。

終わらせてくるはずの宿題も終わっていないし、新学期に向けてためている教務の宿題(ひとおつ、ふたああつ、みっつうううう)も待っている。 他にもいろいろ待っている。 (と書いたときには、二つくらいのことを思っていたけど、時と共に、もう三つか四つ思い出してきた。)


8/21/2001(火)

先日(8/14

理論物理学者の 100 パーセントは川の流れを変えて遊ぶのが好き
という統計調査の結果を発表したが、今日、H さん(夫)に教えていただいた、より新しい調査(T 研夏合宿にて実施)によると
実験物理学者の 100 パーセントは焚き火が好き
なのだそうだ。

ぼくも焚き火や火燃しは好きだけれど、全部自分の責任でやるのは大変すぎるので、どちらかというと人がやっているのをぼおっと見ていて、時々口を出して配置をかえたり、たまに空気を送ってぼおおと燃やしたりするのが性にあっているかも。 そういう意味でも、理論向きだったのか。(?)


家族を迎えに行き、車のなかで待ちながら、この間まで考えていた確率モデルについて瞑想。 ひょっとすると、exp(\beta\mu) についての展開を二次で止めたのはやはりまずいか。 これで、結局非平衡パラメターの一次までしか見ていないことになる。 三次までの展開をみれば、FIO につながる結果が見えるかも。 しかし、具体的な計算はすぐ車の中ではできないなあ。 オフィスに戻ったら、予稿も仕上げなきゃ。 (戻ってこれを書いてたりする。) 有限の計算くらい、瞬時でできる能力があると、理論物理をやるのは楽になるだろうなあ。
taifu] 台風が近づいている。

深刻な被害が出ないことを祈りつつも、ひとつ天気予報につっこんでおきたい。

台風の「予報円」というのが、天気予報にでてくるじゃないですか。 (←ちなみに「・・・じゃないですか」っていう言い方きらいです。) それは、たいてい左の図みたいになっていて、現在の台風の位置の点からはじまって、未来にいくほど台風の位置は不確定でどこにいくかわかりませんよっ、ていうメッセージを伝えている。

[taifu] これって、一見するともっともらしいけど、何か変じゃないだろうか? 現在の位置から二本の直線が出ているということは、現在の台風の速度が不確定で、ほんの一瞬の後にも台風がどこにいるかはわからない、ということだと思う。 それはよい。 でも、この作図法で先まで描いてしまうということは、

と仮定していることになってしまう。 これは、違うでしょう。 速度もどんどん変化していくだろうし、その変化の仕方にはさらなる不確定の要因がある。

図だけをみても、何か変だなと思えるはず。 たとえば、台風が予報されている範囲のぎりぎり下をとおって、しばらく進んだとする。 その後の進み方を考えれば、そのぎりぎり下のところから出発して、どっちへ行くかわからなくなるから、どうしたって、左の絵の予報の範囲からはずれてしまうではないか。 (まさか、今まで下に来すぎたから、それから先はまっすぐ行くか上に戻るかしかない、などという話はない。)

というわけで、真面目に考えれば、あるべき進路予想の姿は、右の図みたいな感じになると思う。 (もちろん、大規模な気圧配置や、風の影響を考えて、これを変形するのだけど。 包絡線(←こんなのもでない ATOK 11)が直線でなく広がっているところがポイントだよ。) 今の位置はわかっていて、今の速度はおおまかにわかっているから、少し先のことはほぼわかる。 しかし、先へいけばいくほど様々な未知の要因が加わってくるから、台風の動きはどんどんわからなくなっていく。 で、ある程度先になると、もう何処へ行く可能性だってあり、なくらい不確定です、と。

この方法は予報の真実に近いし、これを標準にすれば「予報円に入らなかった人が安心してしまって準備を怠る」といった弊害も防ぐことができると思う。 それに、こういう予想の仕方の方が、一般に未来予測というのがどういう性質のものか、について正しい常識を与えるとも思うのだが、いかがなものでしょう?

(話が真面目なので、軽率なオチはつつしみました。)


8/22/2001(水)

台風に備えて家にこもって作業し、ついに数理物理 2001 の予稿を脱稿。 しかし、家にはレーザープリンターがないので、大学に来て印刷。 (台風は接近しているはずなのに、なぜか風も雨もほとんどない。) 主催者のところに、自ら運んで配達。(お隣ですので。)


話は変わるが、ぼくは、学生時代から、岩波の数学辞典を愛用している。

何らかの概念の定義を確認したり、主要な定理の内容を(証明は取りあえずきにせず)知るためには、なかなか有用である。 (もちろん、詳しい話になると、辞典では事足りないけれど。) また、論文を書くようになってからは、なにせ初等数学教育を日本語で受けてしまっているため、初等的な数学用語を日本語でしか知らないということが多く、英語の用語を調べるのにもおおいに役立っている。

で、なんで、急に数学辞典の話かというと、旅行から戻ってみて、ふと数学辞典を手に取ってみると、

気持ち悪くなっていた
からである。

kimoi suugaku jiten] 百聞は一見にしかず。 見てください。あわれ。これがぼくの数学辞典第三版の姿です。 (裏表紙の上の部分を撮影。)

左の写真みたいに、なにやら白い模様が何カ所かにうにょうにょできていて、非常に気味が悪い。

いや、この写真では、実際の「キモさ」の20分の1も伝わらない。 実際は、もっと落ち着いた灰色に、妙にからっとした白の模様が浮かび上がっていて、背表紙とか、反対側とかにも部分的にうねええと広がっているのだ。 みているだに、鳥肌が立つ。 (比喩ではなく、本当に、立つ。) その立った鳥肌のところから、うねえええと同じような模様がぼくにも浮かび上がってきそうな気がして、体がむずむずする。 みなさんも、ぜひ、写真をよく見て、このむずむず感を共有してください。

とはいえ、真面目な話、これは何でしょう?

やはりカビの一種ですか?

人間にうつることは、まあ、ないと思いますが、放っておくと他の本にうつったりするのでしょうか? それとも、そろそろ新しい版に買い換えろ、という岩波のお告げ?


8/23/2001(木)

後期が始まる前に片づけるべき教務の雑用のうち、もっとも頭の痛かったひとつが、ほぼ片づく。 妙に精神的に楽になる。

SST 論文に、ほぼ最終の仕上げをして、佐々さんにみせる。 その後、最終調整をして、Los Alamos に送る。 公開になったらリンクします。

確率過程モデルについて: 昨晩、ビールをのみながら lambda = exp(\beta\mu) (そうそう。この量は絶対活動度とかいうんだ。今、久保演習書で確認)についての三次の項の大ざっぱな評価。 計算機を使いたくないから、いろいろの極限を考え、なんとか暗算で評価ができないか試みる。 (←これって、物が見えるようになるから大事ですよ。) 二次とちがって、nontrivial な答が出るという証拠あり。 なんとか時間(と体力)をとって手を動かして計算したい。


さて、昨日(8/22)の「きしょい数学辞典」問題については、
アシタカの腕についたタタリガミの印に似ている (千葉県 F 市 Y さん)
あるいは、
いや、むしろ、消しても消しても奈落の背中に浮かび上がる文様であろう (進行中の漫画を読んでいることを誇示しようとする東京都豊島区 H. T. さん(理論物理))
など、数多くの貴重なご意見をいただいたが、M さんからのメールによると、
数学辞典の白い模様ですが、これは紙魚(衣魚)か何かの虫が食べていったあとではないかと思います。紙魚は押入の奥やタンスの中などにいる銀色の虫で古文書に穴が空いていたり、去年のセーターに穴があいたりするのは奴らのせいです。こいつは脂肪や蛋白性の汚れが好きな様子に見えて、使い込んで手垢が付いていたりすると喜んで食べて行きます。 (田崎による付記:穴をあけるのは、シミではないようですね。 下の「参考ページ」を参照。)
とのことで、これはアシタカよりももっともらしく響きます。 その後、別の からも、これはシミであろうと、参考ページ(←ぼくはクッキーを食べながらクリックしました。みなさんも、是非、具のたくさん入ったおにぎりとか小魚の佃煮とかを食べながらクリックしてみましょう。二倍楽しめます。)とともに教えていただき、ほぼ、その説に定着しそうである。

どうも、いろいろと教えていただき、ありがとうございました。

正体がわからない間は、あれこれ想像してしまって、気持ち悪くて仕方がなかったのですが、いったん正体がわかってしまうと、かえってあれこれ想像してしまって、かえって気持ちが悪くてしょうがなくなるものです。 うげええええ。 こうゆううやつが、ぼくの部屋のどこかに潜んでいて、数学辞典の表紙だけでは食いたらず、次の獲物をさがしてうにょうにょと歩き回っているに違いない。 実は数学辞典は、ぼくがつかっている机の下のスペースに置いてあったのだ。 そこから這い出して、この小さい絨毯を食っているのかも。 げ。 もしやこのスリッパを食っているところかもよ。 スリッパをつたって、ぼくの足にはい上がり、ズボンの中にまぎれこんで・・・・ いや、机の上にはい上がって、積んである書類とか、クッキーの箱とかをむさぼっているかも。 ひょっとすると、さっきぼくが食べたクッキーに紛れ込んでいて、ぼくは知らずに・・・

しかし、先ほどのページにも駆除の方法とかは書いていないし、ただあきらめるしかないのですかねえ?


これを書いていたら、お医者さんをされている T さんからメールがあり、新たに「ゴキブリ説」を教えていただいた。 この大学の部屋にはゴキブリはいない(ゴキブリが生活するには食料等がない過酷な環境であると思われる)ようなので、これは違うと思われます。 それにしても、この「雑感」のネタに、これほど反応があるのは実に珍しいことで、やはり数学辞典は皆に愛されているのですねえ、などと結んでみる。
8/24/2001(金)

でー。\lambda の三次の項は面倒でやる気がでない。 というわけで、モデルを変更。 内部自由度が三状態のモデルにすれば、\lambda の二次で非平衡パラメターの二次の効果が見えそうである。しかし確率過程は超初心者のくせに何も見ずに勝手にやっているので、とんでもなく初歩のところでこけていたらどうしよう。


数学辞典問題というかシミ(紙魚)問題について:

昨日(8/23)の最後で、「駆除の方法とかは書いていない」とぼやいたところ、さっそく対策についてのページを教えていただきました。 このページこのページ(しかし、なんで動画なんだろうか?)です。 ありがとうございます。

防虫剤を使うのみならず、清潔にして、乾燥させるのがいいのですね。 あと「レンジでチン」すればよい、という話も聞きました。

ところで、一昨日(8/22)の写真だけでは、シミの食いあとの不気味さはなかなか伝わらないと思っていた矢先、高麗さんがお茶部屋にいたので、是非いっしょに気味悪がってほしいと考え、親切にも現物をもっていって見せてあげました。 (あまり不気味がらなかった。) そのとき、高麗さんが書庫の本でも似たようなのを見たことがあるというので、調べてみると、(ぼくのよりも軽くですが)やはりシミに食われているのがあった。 なんと、数学辞典第二版である。 しかも、まわりに置いてある理化学事典も、英語の辞書も無傷。 われわれの見た限り、数多くの本のなかで、数学辞典第二版の一冊だけがシミに食われているようなのだ。 実は、ぼくの部屋でも、数学辞典と隣接して置いてあった研究社の英和大辞典も、Oxford も、すべて無事。 数学辞典のみが妖しくも不気味に食われていたのであーる!

数学辞典がそんなにうまいのか?シミ

(以下は、SST 論文についてですから、面白くないです。)

さて、SST 論文は Los Alamos preprint server に登録されました。 興味のある方は、リンクをたどって、ファイルをダウンロードしてください。 (TeX が使えなくても、other formats のところに行けば、pdf (アクロバットで見るやつ)もダウンロードできます。) コメントや御意見があれば、是非、ご一報くだされば幸いです。 (実は、既にハンガリーの人から関連論文を教えるメールが届いている。 速い!)

内容的には、五月のはじめ(5/5)にほぼ固まり、六月の研究会(6/6)で話したこととほぼ同じ。 論文を書き始めたのは七月のはじめだから、ほぼ二ヶ月かかっている。 レター用の短い論文なので、二ヶ月間ずっと書いていたわけではない。 盆栽の手入れをするみたいに、佐々さんと二人でこまめに手を加えて少しずつ改良していった。 結果として、論理的にはほぼ隙のない完成度の高い論文になったと思う。

何度か書いてきたことだけれど、論文の基本姿勢を簡潔に述べれば、

ということになる。

そういう方針で、熱伝導系(および「ずり系」)という具体的な問題に臨んだ結果(ここでも実況中継した試行錯誤の末に)、驚くべきことに、理論的にまともな熱力学は本質的にはただひとつしかあり得ないという結論が得られた。 その「唯一の理論」をこの論文で解説しているわけだ。

もちろん、理論が一通りしかあり得ないからと言って、それが真に自然を記述する理論になっているという保証はまったくない。 われわれの理論が正しいか否かは、実験との比較で判断するしかない。 われわれの論文では、理論の正当性を定量的に験証(あるいは反証)できるような実験設定を提案している。

ただし、実験を待たずに、かなりの確信をもって言えることはひとつある。

もし、われわれの理論が実験で反証されることになれば、すなわち、定常状態を記述する簡単で普遍的な熱力学などはこの世に存在しないことになり、そして、おそらくは、定常状態を記述する普遍的な統計力学も存在しない。
さて、白とでるか、黒とでるか。

けっこう、ぎりぎりの賭けです。 (相手にされないと白黒は決着しないだろうけど。 (ちなみに早川日記(8/23)を見ると、早川さんは匙を投げたっぽいことが書いてあるのお。))


SST 論文は、ぼくにとって、きわめて異例の論文になった。

「ほぼ隙のない論理を展開し、しかし、最終的な真偽の判定は実験に問う」というのは、理論物理の王道のように言われるが、それを実践した論文というのは意外と少ない。 (実は、理論物理の性格というのは、一般にそういうものではないから。) ぼくにとっても、もちろん、そんな論文ははじめてである。

いろいろな意味で、レフェリーの査読で苦戦しそうな論文だし、(世界的なレベルで)研究者に認知される日が来るのかも大いに不安だ。 しかし、そんなことよりも、はるかに気にかかり、日々懐疑と希望を交互に味わっているのは、

果たしてこの理論が自然を記述するのか
という点なのだ。 こういう感覚を持つのも、実は、(ほぼ)はじめての事だ。
「大野さんの提唱した定常状態熱力学の思想を、具体的な問題に適用し、実験と比較可能な結果をだす」というプランは、かなり以前に佐々さんが明確に打ち出していたものだ。 佐々さんの初期のノートを解読し、それを改良するのは、非平衡物理についてまったくの素人だったぼく(←今でもほとんど素人(ぼくは、素人として仕事をするのが好きなんだな、とつくづく思う))にとっては、ちょうどよい入門になった。 今回の論文は、この佐々ノートの直接の延長にあるものといってよい。 が、その意味は当初は予想もしなかったほど深まったと信じる。 (ぼく自身の動機づけとしては、1月の終わり(1/24)に論文の山の下から発掘した Oono-Paniconi を読んで、「断熱概念に依存しない SST の構成」を着想しているけれど、これも、今回の論文につながる流れの一つである。)

自分でも、非平衡物理の研究に本気で参入するのかどうか半信半疑の時期もあったけれど、ともかくこの段階(=出発点)まで来られて、個人的には、けっこううれしかったりする。 佐々さんと大野さんのおかげだけれど。


今回の論文は、ある意味で形式論だから、真に力強い理論物理は登場しない。 ぼくが今まで慣れてきたのとは違う「頭の使い方」を必要とする仕事だった。 そういうことをやるというのも、もちろん、素敵な体験だったけれど、やはり野生の数理物理学者を自称するぼくとしては、「腕のふるいがい」がなかったという「食い足りなさ」は残っているのだ。 ま、その感覚を動機づけにして、マクロレベルの SST と、よりミクロな物理を結ぶ力強い理論が模索できればよいわけだ。 がんばろう。

実は、(23 日から 24 日にかけての深夜に)ミクロモデルの計算に行き詰まってこれを書き始めたら、なんか長くなってしまった。 そろそろ計算に戻らなければ。 あと「フルーツバスケット」を読まないと家族から取り残されるしなあ。


8/26/2001(日)

taifu] ええと、台風のこと(8/21)ですが、誤解の余地がないと思っていたところに誤解があるかもしれないらしいので、ちょっと。

あれを書いていた日の進路予想の線は、単なる直線二本じゃなくて、なんとなく右図のような雰囲気で、日本列島の途中でぐいっと曲がっていました。 (円は面倒なので省略。 なんか、雰囲気がちがうなあ。作図法が違うかな。ま許してください。) 別に、それを知らなかったんではない。

このうように途中で曲がった進路の図は、大域的な風の向きなどを考えて、予想できる速度変化を取り込んだものでしょう。 そういう情報を取り込むのは、大いに結構。 ぼくがおかしいと言ったのは、そういった修正をやる以前に、位置の不確定が、単に一定の角度で広がっていく線で表されている、という点です。 実際、こんな風にコキっと曲がって、しかも、そのまま同じ角度(?)で広がっていく、というのは、よけい間抜けな感じがしませんか?

ついでに、ぼくが提案したぐにょおおっと広がっていく図の方ですが、あれにしても、いつでもああいう風であれ、と言っている訳じゃないですよ。 大きな風が吹いていれば、ああいう形が系統的に曲がっていくだろうし、場合によっては(両側から押されることで)いったん広がった位置の不確定がまた縮むなんてことだってあってよろしい。 要するに、なんでも直線でフィットして「科学的」と思わないで、どの程度、予報が大変かを反省し、それを反映する図を描こうよっていう健全な提案なのであーる。 そういうことは21日の雑感にも書いてあるつもりなんだけどな。

実は、天気予報に関しては、

意味の薄く誤解の多い「確率」を廃止して、あらたに「不確定指数」なるものを導入するのがよいであらふ
という有識者の提案(←わはは)を以前からもっているのだけれど、今は暇がないので、またにしよう。 (しかし、気象関係の読者はいないよな。)

この台風の話に関連しては、中学時代の友人 S からもメールが来た。 (本当に種々雑多な生徒のいる地方の市立中学で、S は、ぼくが初めて出会った「自信とセンスを身につけたマイペース人間」だったなあ。)

長年放送関係の仕事をしていて、台風報道にも関わったことがある S によると、

あの画面を見て、多くの人が「台風がだんだん大きくなる」と誤解していた
らしい。

がーん。道は険しい。


8/27/2001(月)

少し前(8/16)の「ことばにうるさいいやな奴」の雑感に関して、またしても、

おまえの書いてることは、ちげーよ
との趣旨のお手紙をいただいてしまった。

鈴木クニエさんが、アクセント辞典で調べてくださった(鈴木さんの日記)ところ、 これもアクセント辞典好きの紙魚に食われて気持ち悪くなっていた イントネーション的には、

必至 = 必死 (尻上がりに読む)
であるらしい。

ぼくも、「必死」は、やや尻上がりに発音するので、「必死」は正しく、「必至」は(アクセント辞典の基準では)誤って発音していたという結論が必死じゃのうて必至である。 ぼくが「必至」に割り当てていた尻下がりのイントネーションは、実は、「筆紙」用のものだそうだ。 これは筆紙さんに対しては、とんだ失礼をいたしました、とはいえ、

ひっし 【筆紙】
筆と紙(←そのまんまかえ!)。「―に尽くし難い」(文章では十分に表せない)
(岩波国語辞典、つっこみは引用者による。)
という言葉は、使ったことないのお。 (「筆舌に尽くし難い」とは、ちがうのかな? 舌には尽くせるが、筆や紙ではダメなときに使う?
最近の若者が『彼氏』『暑くない?』などと発音するときに使う平板尻上がりイントネーションは、舌には容易に尽くせるものの、筆紙には尽くし難し。
とか?)

しかし、冗談で使ってみた「ちげーよ」はともかくとして、偉そうに書いた「必至」のイントネーションへの愚痴がまちがっていたとは、かっこわるい、 かっこわるい。 どおしよう、おろおろ・・・・・

どうしようもないので、ま、いいか。

しかし、ぼくは何故「必至」は、尻下がりの発音だと信じていたのだろう? 多くの言葉に尻下がりのイントネーションを使う傾向のある静岡出身の祖母の影響を、おばあちゃん子であった幼少のぼくが受けた、というのは一見もっともらしい説ではあるが、おばあちゃんが孫にむかって「はるちゃん、その格好のまま水遊びしたらシャツがずぶぬれになりお着替えは必至ですよ」などというとも思えないしなあ。

というわけで、以下のようなシナリオはどう?

「ひっし」と読む熟語が三つあり、イントネーションとしては、
やや尻上がり 必死、必至
尻下がり   筆紙
のように棲み分けて、平和に暮らしていた。 ところが --- ここで、筆紙さんには度重なる失礼をお許しいただきたいのだが --- 時の経つ内に、「言葉の乱れ」が進行し、仮に「筆紙」が死語になってしまったとしよう。 すると、「ひっし」の棲み分けは、
やや尻上がり 必死、必至
尻下がり
のようになってしまい、せっかくの尻下がりの座席が空白になってしまったではないか。 ところが、異なる言葉のイントネーションの間には、元来、反発しあう力が働いている。 抑揚間圧力、略して抑圧である。(←信じないでね。) すなわち、日本語として奇異でない範囲で、なるべく異なったイントネーションをとろうとする傾向が存在するのであーる。 (←信じないでください。) 異なったイントネーションを割り振った方が、情報の伝達効率がよくなることを思えば、ダーウィニズム的観点からすれば、このような反発力の存在は必然といえよう。 (←信じないでください。) そのため、筆紙が死滅した後の上のような棲み分けは、一種の不安定平衡点になり、何らかの摂動(←「言葉の乱れ」ってやつだ)により、二つが棲み分けた
やや尻上がり 必死
尻下がり   必至
という安定平衡点へと、容易に落ち込んでしまうのである。 いわゆる、音韻域の自発拡大、略して、音大である。(←もちろん、信じないで。) ここで、日常で多用される「必死」のイントネーションは変化せず、より使用頻度の少ない「必至」がイントネーションを変化させたのも移行期の不都合を最小にするための必然といえる。
と書いてみたものの、「ぜってーちげーよ。日本のなかにもほとんどイントネーションを利用しない地方があるではないか」といった反論は筆紙、いや、筆死、いや、必死、いや、必至であろう。
8/28/2001(火)

ふう。

「培風館物理学事典3訂版」のための原稿をようやく脱稿。 実に、正規の締切から遅れること、一年と五ヶ月。 関係者に多大なご迷惑をおかけしたことをお詫びします。(関係者は、こんなものお読みでないとは思いますが。)

なにも大量に引き受けたというわけではない。 書き換えの小項目ふたつ(←ま、誰も書く人がいなくて回ってきたという感じ)と、新規の中項目ひとつだけを、つい軽い気持ちで引き受けてしまったのである。 (培風館からは、「熱力学」を出したご縁もあるしね。) 時間がかかったのは、単に怠慢だっただけである。

とはいえ、本来は、様々な概念が複雑精妙に絡み合う物理学という学問で、一つのキーワードを切り出してそれだけを論理的に説明するなど、ほとんど無茶な話で、大いに頭を抱え、自ずと仕事も後回しになったのである、などと言い訳にならない言い訳を書いておこう。 やはり物理学事典みたいなものの執筆を引き受けるなら、たとえば、熱力学・統計力学全般を、気心のしれた仲間何人かのチームで担当し、どのような項目を設定し、どのように関連づけ、何を書くか、について徹底的に討論しあって進めていく、というような方針にしない限りは満足はいかないであろうな。 しかし、これは無理だから、ま、引き受けないのがベストということになる --- と将来の自分への戒めとして書き留めておこう。 (こうやって、脱稿が遅いことを宣伝すると、自動的に依頼も来なくなるという効果もあるかもしれない。)

以下、それぞれの項目について、感想というかメモ。


相関関数(そうかんかんすう)

って、こんな漠然とした項目で何を書けちゅーんじゃえ。

事典というからには、用語の意味がわからない人が調べる、というのがもっとも優先されるべき用途であろう。 しかし、本を読んでいて、

ええと、相関関数ってなんだっけか?
という疑問を抱いて物理学事典をひもとく学生さんに一言で答えるのは並大抵のことではないぞ。

そもそも、物理において、専門書を読んでいてわからない言葉があったとき、それを事典で調べて、わかって、先を読み進められる、などということはまずあり得ない。 言葉面の説明だけじゃ無力だから。 展開されている議論のなかで、その用語がどういう意味をもち、どのような論理的な役割を担っているのかを把握しなくてはどうしようもない。

まして、相関関数とかは、時と場合に応じていろいろな定義で使われるから、なおさら、どうしようもない。

仕方がないので、冒頭に

相関関数は、物理学(および関連科学)の様々な局面に登場するきわめて広い概念である。 問題設定に応じて定義も微妙に異なるので、注意が必要である。
という言わずもがなの注意を書いておく。 でも、これで(こっそり)救われる読者も、(悲しいけれど)意外に多いかもしれない。
ギブスのパラドックス(ぎぶすのぱらどっくす)

ここにも時々書いた(たとえば、7/10)ように、時間とエネルギーを使い、ひたすら改訂をくり返し、消耗した。

はっきりいえば、

こんな短くちゃ、だめだー
おまけに、事典の他の部分での統計力学の基礎や熱力学についての記述は、どうせ詰めの甘いものに決まっているから、ここを一生懸命書いても伝わる物は限りなく薄い。

今でも、読み直すと、苦しい。


ハルデンギャップ(はるでんぎゃっぷ)

新項目。

しかし、なんで、こんな細かいトピックが中項目なんだろう? たしかに、猛烈に面白い話ではあったけれど、 390 字詰め八枚以内ということは、「ギブスのパラドックス」の四倍?? それはないでしょう。

あと、自分が少しなりとも手がけたことが事典にのるなんて、百年早いわ、という気持ちもどうしても働いてしまう。

というわけで、

で、いいではないか。 物理は実験科学である。

理論(と「理論」)については、最後の段落ひとつで十分であろう。

一次元量子スピン系は計算機による数値計算にも適した問題である。 計算機の性能の進歩と、種々の計算技術の整備に伴い、Haldane gap に関連する一次元反強磁性スピン系の理論的研究の大多数が数値計算という時代が訪れた。 計算機を用いない理論的アプローチとしては、Haldane 自身も用いた場の理論的手法が盛んで、大きな成功を収めた。 また、整数スピン系の乱れた基底状態をスピン一重項の集まりとして表現する VBS (valence bond solid) 描像も得られた。
もちろん、理論としては、最後の行に書いた(Affleck-Kennedy-Lieb-Tasaki による)VBS 描像が大事(でも、AKLT 論文の価値は他にあるとぼくは思うけど)だし、その後の、den Nijs-Rommelse による隠れた秩序の同定(12/7/2000 の「ぐおおおっとなる話」参照)と、Kennedy-Tasaki による隠れた対称性の破れの描像(および、それに基づく数理的考察)がより本質的だとぼくは信じている。 けど、ま、それは一人の少数派の理論家の趣味に過ぎないわけで、個人の責任で出す解説ならともかく、事典ともなれば、そんな趣味は表に出せない。

前半の「理論的研究の大多数が数値計算という時代」については、ぼくがそれはきわめて情けない状況であると感じているという事実は隠したことはない。 ぼくは、頭を使わない数値計算を理論物理とは認めていない。 (ぼく個人の文章なら、最低でも、

「理論」的研究の大多数が数値計算
と、かっこを付して、自分の思いをこめるだろう。) しかし、量子スピン系の「理論」がそういう分野になってしまったことは、紛れもない事実なのだから、それを客観的に伝えるのは事典の義務だと思う。

ぼく自身、そういう流れを嫌悪しながらも、けっきょく、それを阻止するために全力を尽くしたりはせず、単に(少なくとも社会的には)量子スピン系の分野を去ってしまったのだから、大きいことはいえないさ、という気持ちも、ひょっとしたら、ちょびっとだけあるかもな。

あ、なんか、いつもと全然ちがう調子になってしまって、ごめんなさい。


気がついたら、お昼も食べずに、事典のことだけで、こんなに長く書いてしまっていた。 人はこれを「ガス抜き」と呼ぶのか?
8/29/2001(水)

簡単(なはずの)確率過程のモデル: 定常分布の条件は固有値方程式で書けるのだから、ここは、量子力学と同じように Rayleigh-Schroedinger perturabation で定式化すれば、楽なはずだ、と昨夜気がつく。 やってみると、たしかに、はるかに能率的。 線型代数は偉大だ。 とはいえ、様子が見えてくると、闇雲に高次の計算をしても何も得られないという気がしてきて、悩む。

SST に整合する統計モデル: エネルギー流、あるいは、shear force 一定、エネルギー一定の条件を課して、doubly stochastic な遷移確率を入れる。 定常分布は、ある種の等重率の原理から求まり、SST 的な形をしている(気がする)。 これは「やらせ」か? また、圧力、化学ポテンシャルの操作的な意味は? (圧力は、いいのかも。化学ポテンシャルが難問。)

茶色ばかりで、ごめんなさい。


8/30/2001(木)

東京を離れていた間(たとえば、8/15 あたり)にやっていた計算を、systematic にやり直す。 摂動展開の見方に誤りがあったな、やはり。 ミスがないよう、面倒なところは、MATHEMATICA にまかせて。 ほんの、とっかかりの初等計算に過ぎないはずなのだが、なかなか手に馴染んで来ない、というか、ぱっと見渡せないので、ともかく集中。 他のことに回す時間なし。

またしても中身がなくて申し訳ないので、めずらしく、黙ってリンク。 一読、二読、三読・・・・の価値あり。 (きもい写真とかへのリンクではないので、お食事中の方も安心してクリックしてください。 ときに、虫食いの数学辞典の様子をより鮮明に見たい物好きな方は、スキャン画像がありますので、こちらへ。(←スキャンする暇があったら計算しろ) 言葉遊びと安直シュミレーションをこじつけるフクザツケーの言辞に比べたとき(比べるのも失礼だが)、ここにある言葉の如何に重く深いことか。 (注:リンク先の方が、別にフクザツケーに批判的なことを言ったり書いたりしている、という意味じゃないので注意。そういうことを言ってるのは、ぼく。)


8/31/2001(金)

ああ、八月もおわりか。

昨日の計算は思ったより早く終了(させた)。 モデルが単純すぎて、熱力学について学べるような面白いことをやってくれないことを認識。 しかし、確率過程を扱う技術的感覚がついてきたし、昨日・今日の佐々さんからのメールについて考えるうち、どういうモデルを見れば当たり前でない結果がでるか見えてきた気がする。 というところで、これから会議。 そんなものである。


シミ(紙魚、衣魚(←この漢字がよけい想像力を刺激して気持ち悪い))に喰われた数学辞典ネタ(昨日公開した図版)でずっと引っ張るのはいかにもなのでさっさとやめようと思ったのだが、日大の山中さんからメールがあり、
今日、数学辞典で調べものをしようと、物理図書室の岩波数学辞典を手にとったところ、ここの辞典にもシミが這いつくばった跡がしっかりと残っていました。 それも岩波数学辞典だけです。ここの岩波数学辞典は第三版でした。
とのことであり、やはり、シミにとって数学辞典はおいしい8/24)らしい。 よって、数学辞典の成分を分析することでシミを集める「シミホイホイ」を開発しようというのが山中案だが、ぼくとしては、いったい数学辞典のみを主食にしているような生物が、どうやって繁殖し生命を維持しているのかに強い疑問を感じてしまうのであった。

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言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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