目次 // この事故って / 放射線とか放射能 / シーベルトとベクレル / 放射線と体 / これからの生活 / 原子力発電所

公開: 2011年6月18日 / 最終更新日: 2011年6月18日

放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説

これからどう生活すればいいんだろう?

このページの目次

簡単な答えはないと思う

「気にしない」のもありだと思う

でも、「常識的に考えて・・」はよくないと思う

やっぱり、今は「ふつうの時」ではない

簡単な答えはないと思う

大地震と津波で多くの人たちの命が奪われ、もっと多くの人たちが甚大な被害を受けた。 追い打ちのように原子力発電所の事故がやってきて、多くの人が住み慣れた土地を離れることになり、さらに多くの人が放射性物質の汚染に不安を感じている。 それぞれの人の状況はまさに人それぞれだ。「こうすればいい」といった簡単な方針などないだろう。

ぼくは放射線のプロでもないし、まして医者でもない。 でも、一応は科学者なので、いくつかの文献や人の意見を読んで、この解説というか「まとめ」を書いた。

しかし、いくらまとめても、そこからは「こうすればいい」という答はでてこない。 けっきょく、科学とか医学とかは、そういうものなのだと思う。 もちろん、極端な危険があると思われるときは「危ない」と言えるだろう。でも、多くの場合は「危ないかもしれないし、何ともないかもしれないし、よくわからない」としか言えない。 そういうとき、どうするかを決めるのは、けっきょくは、一人一人なのだ。

みんなが「自分で考えて決める」ために必要な材料をなるべくわかりやすくまとめるのも、ぼくたち科学者の仕事の一つなのだと思っている。 ぼくの作ったこの「まとめ」はまだまだ本格的ではないけれど、そういう方向の小さな一歩になればと願っている。

「気にしない」のもありだと思う

当たり前のことだけど、「多少のことは気にしないで、ふつうに楽しく一生懸命に生きる」という考えもまったく悪くないと思う。

多くの人たちが震災と津波で命を落とした。 世界を見渡せば、みんなが飢えていて小さい子供がどんどん亡くなっていくような国もある。 でも、ぼくらは幸いにも生き残っていて、(かなり不調とはいえ)豊かで平和な日本で暮らしている。 誰だっていつかは死ぬわけだし、長生きすればガンにかかるのはむしろ普通のことだ。 それならば、「ガンになる確率」がわずかに増えた(かもしれない)ことなど気にせずに前向きに生きていけばいいじゃないかというのは、一つのいい考えだと思う。

ただし、一つ注意することがある。

自分自身が「気にしない」という生き方を選ぶのはいいけれど、それを他人にも押しつけてしまうのはよくない。 「気にして」生きていきたいという人の「気にする権利」は奪えないからだ。 前にも書いたけれど、政府や地方自治体が「気にするな」と一方的に言うのはまったく間違ったことだ。

でも、「常識的に考えて・・」はよくないと思う

放射線の害についての悲観的な考えに対して、「常識的に考えて、そんなひどいことはないだろう」とか「いくらなんでも、そんな無茶な話はないでしょ」みたいな説得(または反論)をするということが時々あるようだ。 しかし、これは的を外していると思う。

「常識」でなんらかの判断ができるのは、これまで何度も同じようなことをくり返してきたときだ。 そういうときには、経験にもとづいて何かが言えるかもしれない。 でも、ぼくらは人類が今まで経験したことのない悲惨な事故に直面しているのだ。 決して常識では考えられない。

「そんな無茶な」というのも同じ。テレビドラマのシナリオなら無茶すぎることはおきないだろう。でも、これは現実だ。 人間が「無茶だ」と思うようなことだって、おきるときにはおきるのだ。

別に、「非常識で、無茶なこと」がどんどんおきるぞと騒いでいるわけではない。 そんなことはおきないほうがうれしい(でも、ものすごく多くの人が津波の犠牲になるという「非常識で、無茶なこと」は既に起きてしまった・・・)。 ここで言いたかったのは、「常識的に考えて、そんなひどいことはないだろう」と言っても、ぜんぜん「気にする人」への説得にはならないということだ。

やっぱり、今は「ふつうの時」ではない

最後に、今は「ふつうの時」じゃないということ。

ぼくらが経験しているのは世界の歴史に残る悲惨な事故だ。 日本にとっては戦争以来の最大の難関だとぼくは考えている。

だからといって変にパニックになったり大騒ぎしたりする必要はない。でも、逆に、すべてについて冷静で沈着に普段通りにやろうとしなくてもいいんだと思う。

みんなが色々なことで悩んでいる。 たとえば、東京なんかで「夏の小学校のプールをどうするか?」が話題になっているようだ。 ぼくには正確なところはよくわからないが、ちゃんと掃除や水質検査をすれば問題ないような気もする。 でも、不安要素があるんだったら、慎重になってプールは中止っていう学校があっても仕方ないんじゃないかと思う。 来年の夏くらいまでには、いろいろなデータも集まって、どれくらい安全かということがはっきりしているだろう。 それまでは大事をとるというのも一つの選択肢だ。 もちろん、子供たちは一年も待てない。 多くの子供たちにとっては夏にプールがないなんてこの世の終わりくらいの悲劇なのかもね。 大した危険はなさそうなのにかわいそうだという意見もあるだろう。でも、心配する人が多いなら仕方がない。 「2011 年の夏」というのは、やっぱり「ふつうではない」特別の夏なのだ。

何年か後、いろいろなことが収束した後になってふり返ってみると、けっきょくぼくらは心配しすぎていたということがわかるのかも知れない。というより、そうなってほしいと心から強く願っている。 それでも、「2011 年の夏」は特別な夏であり続けるだろう。 子供たちは、住んでいる場所によっては避難せざるをえなくなり、節電だと言ってクーラーもあまり使えず、プールも中止になり、そして、大人たちが(子供たちを守るために)色々なことを一生懸命に議論していた暑い夏のことをずっと思いだしつづけるにちがいない。

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