日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2015/6/14(日)

さて、6 月も半ばである。いろいろやばい。


というのはともかくとして、6 月の大きなイベントは、なんといっても、
相転移と臨界現象の数理(田崎 晴明+原 隆、共立出版『現代数学の潮流』)
の出版であろう。 いわゆる「イジング本。」だ。 ここ数年くらいずっと「ここ数年くらいずっと準備している」と言い続けてきた本なのである。 実際のところどれくらいのあいだ準備していたのかよくわかっていない。

たとえば、震災よりも前の 2011/1/8 の日記には、

「イジング本。」というのは、もう、古くからの「雑感」読者でさえ何回か聞いた気はするが忘れているだろうと推測されるほどの積年の課題。
と書かれている。それくらい古い。

この「日々の雑感的なもの」に最初に登場したのがいつなのかはわからないが、検索してみると2003/4/6 の日記でも言及されているのをみつけた。

ええと、





す、数年前だね(この直前の2003/4/4 の日記では、なんと、ぼくが新入生の間違えられてサークルに勧誘されたことが書いてある! どんだけ昔やねん)

ま、それだけの(執筆の)歴史のある本が、ようやく出版されたのである。めでたいことだ。ていうか肩の荷がおりた。共立出版の A さんをはじめ、多くの人に多大な迷惑をおかけしましたが、ここまで待っていただき本当にありがとうございました。また、本の内容の改善に協力してくださった多くの人たちにも心から感謝します。


これだけ長い時間をかけたからというだけではなく、この本にはいろいろと思い入れがある。

なんといっても、学部時代から今日にいたるまで親友であり、大学院時代にはずっと共同研究をしていた原と共著の本が書けたのはうれしいことだ。おまけに、本のテーマであるイジング模型の相転移と臨界現象は、まさに、原とぼくが大学院時代に猛烈な勢いでいっしょに学び、なんとか研究に参入しようとした(論文は書いたけれど、ぼくらは、けっきょく、イジングそのもので意味のある仕事はできなかった。ただし、その後、原は(深く関連した)自己回避ランダムウォークやパーコレーションについて本質的に重要な仕事をし、ぼくも量子スピン系では悪くない仕事をした)分野なのである。

また、この本は本当の意味での共著だということも言っておきたい。 多くの場合、共著とはいっても複数の著者で分担を決めて、個々の部分をだれか一人が書き、最後に少しだけ調整するというようなやり方が多いと思う(まあ、なので、一貫性がないことが多い)。 ぼくらの場合は、そもそも構成や内容は二人で徹底的に相談して決めて、さらに、たとえどちらかがある章を書いたとしても、そのあと、二人で何度も何度も手を入れて本をつくっている。 既にどちらが先に書いたのかわからなくなっているような部分もあるくらいだ(ただし、数学がすごく難しい部分で、原にしか書けないところはある)。

この本は 400 ページを超える分厚い本だが、おそろしいことに、基本的にはイジング模型だけをひたすら取り扱っている。 このモデルの相転移と臨界現象について、どれだけ厳密な理解が進んだか、原則としてすべての定理を証明しながらじっくりと解説した。 たとえば、

三次元イジング模型は唯一の転移点で相転移をおこしその近傍では諸量の発散やベキ減衰などの臨界現象がみられる
という事実の完全な証明を学ぶことができるのだ。 ものすごくマニアックな本だと言っていいが、同時に、相転移と臨界現象についての人類のもっとも進んだ理解を述べた本だと言ってもいいだろう。

厳密統計力学の教科書というのは内外にある程度はあるわけだが、こういう風にテーマをしぼって(がんばって読めば)理解できるように筋を通して書いた本というのは、ほとんどない。もちろん、イジング模型についてのこんな本は世界的にも例はない。 とうぜん英訳を出さなくてはならないわけだが(そして、原は既に国外の友人たちに本が出たことを告げて、自らに英訳のプレッシャーをかけている)、それが出るまでは、こんな本が読めるのは日本語を解する(そして、大学レベルの微積を身につけた)人たちだけなのであ〜る!


そういえば、さっき発見した 2003/4/6 の日記には、この本にいての
しかし、はっきり言っておきますが、この本は完成の暁には、物理学科での統計力学の講義の標準の参照文献となり、また、数理物理学のという分野へのもっとも良質な入門書の一冊となるでありましょう。
という(ビールを飲んで酔っぱらった上での)見通しが語られている。

う〜む、どうだろうね。

13 年前の俺よ。

君は(ていうか、俺なんだけど、以下、君と呼ぼう)やはり若いだけあっていささか自信に満ちすぎていて見通しが甘いんじゃないかな? 確かにこれは今までになかった本だし、努力すればかなりのことが学べる優れた本だとは思うけど、しょせんは数理物理の教科書。あくまで、マイナーな数理物理ファンのための本だと思うよ。「標準の参照文献」というのは、やっぱり甘いと思う。教える人たちだって数理物理にそれほど注意を払いはしないだろうから。

というより、むしろ日本の統計力学での標準の参考書になるのは、君が、もっと後に構想して書き始めることになる『統計力学』の教科書のほうなんだよ。これは出版されるや若い世代を中心にたちまち受け入れられ、上の世代がどう思おうと、日本での標準になるんだよ。さらに、より進んだ内容を加えて大学院生レベルも射程にいれた英語版がそのうち出版されて、これは統計力学の国際標準になるはずなんだ。 というわけで、君は 13 年たってもあいかわらず自信に満ちすぎているってことも伝えておこう。


[Screenshot from Amazon] [Screenshot from Amazon] と、まあ、そんな本なのだけれど、5 月の後半に出版されることが発表されると、うれしいことに、なかなかの反響があった。 アマゾンでは「物性・物理化学」というカテゴリーの 1 位になり、その後も(たぶん、いまも)ずっと 1 位の座を保っている。ま、マイナーなカテゴリーなんだろうし、しょせんは新刊なのだから、真空への気体の膨張みたいなもんで、最初だけはすごい勢いになるのは当然だと思う。

というわけで、右の画像は「ベストセラー 1 位」といううれしい文句の記念写真。

ただ、ちょっとすごいぞと思ったのは、いわゆる「瞬間最大風速」なんだろうけれど、5 月 21 日にアマゾンでは予約注文が集中したらしく、なんと、アマゾンの書籍全体で 700 位代まで順位が上がっていたのだ! 右に証拠写真を載せたけど、これ、すごいでしょ? 書籍全体のランキングっていったら、アイドルの自伝とか、健康ライフのためのなんかとか、サラリーマンの成功の秘訣のああいうのとか、そういう本と競い合ってるわけで、定義・定理・証明のガチ数理物理学の教科書がここまで健闘するというのはちょっとびっくりの事件だと思うのだ。

と、まあ、出だしが好調なのはありがたいことだけれど、でも、ぼくの『統計力学』みたいな普通の物理の教科書だと勘違いして買う人がもしいたらやっぱり悲しいよね。だから、「ガチの数理物理の本だよ」というようなことは Twitter なんかでも一生懸命に宣伝(ていうか、アンチ宣伝)している。 ま、そもそも『現代数学の潮流』というシリーズの一冊なんだから、普通の物理の本だっていう誤解はないと思うんだけどね。

要するに、読みたい人のもとに届いて、適度に売れてくれれば、ぼくらとしては十分にうれしいのだ。

とはいえ、これだけの分厚い本を「学部生にも手にしてほしい」との配慮から、3,800 円の定価におさえてくれた共立出版にはたいへん感謝している。 それに報いたいという気持ちはある。 だから、普通の教科書みたいに何度も定期的に増刷というのは望むべくもないだろうから、せめて、一回は増刷できるくらいは売れてほしいと願っています --- と、年齢相応にほどほどの「自信の満ち方」でおわらせてみましょう。


2015/6/15(月)

あれま。昨夜の日記に

せめて、一回は増刷できるくらいは売れてほしいと願っています
と書いたら、今朝のメールで早々に重版が決まったという連絡があった。 なんとまあ、この web 日記は書くと願いがかなう日記だったのか!

というのはともかく、こんなマニアックな本を多くの人が買ってくださってありがたいかぎりです。 価格もぎりぎりまで低くした 3,800 円に設定してくれたのもよかったのでしょう。 みなさんに感謝しています。

しかし、これだけの勢いで売れるというのは、出版されたら買おうと思ってくれていた人たちがすばやく買ってくださっているということだろうと思う。 なので、ある程度のところでバランスが取れて、そこから先はこういう本としてノーマルな売れ行き(つまり、ちょっっとずつしか売れない)になるのでしょう。 まあ、それがいいのだと思います。


ところで、原からさっき届いたメールで、重版のことを話題にしたあと、
Michael Aizenman and Hugo Duminil-Copin
The truncated correlations of the Ising model in any dimension decay exponentially fast at all but the critical temperature
という新しいプレプリントのことを教えてもらった。 なんと、臨界点ただ一点を除けば、イジング模型の連結二点相関関数が指数減衰することを示している! イジング本の読者はご存知のように、低温相のとくに転移点の近くでこの事実を証明するのは激烈な難問のはずだったのだ。 これは本のどこか(あるいは、サポートページ)で言及すべき結果だ。 うううむ。イジング模型についての結果も、まだまだ進むんだなあ。

ちなみに、著者の一人の Aizeman は、ぼくらがこの分野に入るきっかけを作った神のような人なんけど、もう一人の Duminil-Copin というのは、まだ若いけれどすごく優秀な人みたいだ。 と思って、 Duminil-Copin の web ページを見たら、あ、こいつ知ってる。 このあいだの Rutgers meeting で self-avoiding walk の話をしていたやつだ。最後に少しだけ話もしたんだった。 ふうむ。やっぱり、Rutgers に行くと、会うべき人に会えるっていうことなんだなあ --- とあらためて感心。また行こう。


2015/6/16(火)

いましがたお風呂に入っていて(←って本当にさっき。まだ風呂上がりで上半身は裸だよ)洗面器の中にタオルを入れようとしたらたまたま空気がたまって風船みたいな感じになったんだけど、それを見たとたん、小さい頃、よく親父といっしょにお風呂に入っていたのを思い出した。 親父はお風呂の中で色々な遊びを見せてくれた。なかでも、風呂用のタオルに上手に空気をためて風船みたいにして湯船の底のほうにまで持って行ってぎゅっとしぼると細かい泡がどばああっっと発生してぼくの体とかに触れながら水面に向かって昇って行く --- という奴がぼくは特に好きだったんだ。 もちろんいろいろ実験っぽいこともやってくれた。 透明なビニールホース(←大学から持ってきたのかな?)を使ってサイホンの実験もよくやった。 これは「パパ式水道」と呼ばれていた。 ぼくはもちろんそういうのは猛烈に興味津々だし、なんせ現役の実験物理学者といっしょにやっているのだから、実験すべき点は確実に全て実験したわけで、あの時期にはサイホンについて知るべきことは(持ち上がる高さが高くなりすぎると働かなくなることを除けば)すべて完全に理解していた。 書いているといろいろ思い出すぞ。石けん箱と石けんを塗ったタオルを使った「泡吹きカニ」とかも好きだった。 親父は音楽が好きで歌もうまかったから、お風呂の中でぼくらに音階やハーモニーの練習なんかもさせた。残念ながら、この分野については、三歳年下の弟が圧倒的な才能を示すことになったのだが。

その親父が存在しない世界に暮らすようになって今日で三ヶ月。

未だ慣れない。


2015/6/17(水)

今日も量子力学の講義をしていたわけだが、物理の学部生に量子力学を教えていると(楽しいこともめっちゃ多いが)悩むことも多い。とくに数学とのバランスをどうとるかが悩ましく、いろいろと考えながら講義している。 まあ、今日までに、それなりに上手なバランスがとれてきたとは思っているのだけど。


そうやって真面目に考えるだに、量子力学の教科書は、近年の数学的な発展についてあまりに無頓着だということを強く感じる。 遠い昔、はるか彼方の銀河系で、量子力学の物理に引っ張られるようにして(ディラクら天才たちが)ものすごい勢いで量子力学のすさまじい体系を見出した頃には、数学の厳密さなどそっちのけで、ともかく計算ができる枠組みを作ることが最優先された。 それはまったくかまわないと思う。 そして、多くの教科書がその路線で書かれた。驚くほどに抽象的な理論体系なんだけれど、でも数学的な厳密さは徹底的に気にしない --- という、なかなか面白い流儀が確立していった。 これも、まあ、時代を考えればまったく当然のことだと思う。というか、それしかやりようがなかっただろうね。

しかし、それから百年近くが経っていて、もうディラックの時代じゃない。

その間、物理学者が量子力学の応用の幅を広げ理解を深めているあいだ、数学者たちも量子力学の数学を徹底的に深く追求して行った。 そして、特に自己共役作用素とスペクトル分解についての美しく有用な(ただし、あいかわらずかなり難しい)体系ができあがったのだ。 これは、「量子力学において確定した値をとりうる量とはなんだろうか?」という物理的な問への確固たる解答だと言ってもいい。 物理学者が、有限次元の線形代数とのアナロジーでなんとか作り上げた体系に、きわめてしっかりとした論理的な基盤が与えられたのだ。

ところが、悲しいことに、こうやってせっかく完成した数学の成果が物理のサイドにはほとんど浸透してきていない。 もちろん、量子力学の数学はかなり難しいし(←ぼくも圧倒的に不完全な知識しかない)、数学の定式化を学んだから物理の問題がすらすらと解けるようになるわけでもない。 そうはいっても、人類の文化として考えたとき、量子力学の基礎概念がどこまでしっかりと理解されているかくらいは、やはり多くの人が共有しなくてはいけないと思うのだ。 そこまで大げさにならなくても、「習うより慣れろ」的にいい加減に物事を進める方向に流れないためにも、基礎をしっかりと学ぶのは重要なはずだ。 それは、量子力学の学部での入門的な教育についても(あるいは、入門的な教育についてこそ)言えることではないかと考えている。


話が抽象的になっているので具体例を挙げる。

物理の量子力学の教科書では、量子力学にでてくる演算子についての一般論を有限次元の行列とのアナロジーだけで理解しようとするのが普通だ。 そして、「エルミート行列は対角化できる」という線形代数の定理を援用して、

演算子がエルミート性をもてば固有状態が正規直交完全系をなす
という「定理」を宣言し、あとはそれを応用していく。

しかし、これは実に危うい「定理」で、色々と落とし穴がある。 別に多自由度系のややこしいポテンシャルの話ではなく、どんな入門の講義にも出てきそうな簡単な例で、既にポッカリと穴があいてしまうのだ。

一次元の有限区間 \([0,L]\) にある一粒子系の量子力学を考える。 そして、「波動関数が区間の両端でゼロになる」という境界条件のもとで運動量演算子 \(\hat{p}=-i\hbar d/dx\) を考えてみよう。 波動関数は二乗可積分なくてはいけないので、波動関数 \(\varphi(x)\) として、 \[ \int_0^L dx\,|\varphi(x)|^2<\infty,\quad \int_0^L dx\,|\varphi'(x)|^2<\infty \] および \(\varphi(0)=\varphi(L)=0\) を満たすものを考える(本当は、さらに絶対連続性を仮定する)。上の二つ目の不等式で、\(\hat{p}\varphi(x)\) も二乗可積分であることが保証される。

さて、このような波動関数の空間で、運動量演算子 \(\hat{p}\) はエルミート性を満たす。 つまり、\(\varphi(x), \psi(x)\) を上の条件を満たす任意の波動関数とするとき、 \[ \langle\varphi,\hat{p}\psi\rangle=\int_0^Ldx\,(\varphi(x))^*(-i\hbar\psi'(x))=-i\hbar \varphi(x)\psi(x)\Bigl|_0^L+\int_0^Ldx\,(-i\hbar\varphi'(x))^*(\psi(x))=\langle\hat{p}\varphi,\psi\rangle \] がいえる。途中の計算はただの部分積分。省略せず剰余項も書いたけれど、これは波動関数の境界条件からちゃんとゼロになる。

こうしてエルミート性がいえたから、では、運動量演算子の固有状態を集めてきたら、正規直交完全系になるのか? 上の「定理」からはそういう話になりそうだが、もちろん、そんなことはない。 初歩の量子力学を学んだ人はわかると思うが、今の境界条件のもとでは、運動量演算子 \(\hat{p}=-i\hbar d/dx\) の固有状態は存在しない。 数学用語で言えば、この演算子のスペクトルは空集合だ。物理的に言えば、この場合の運動量演算子は「確定した値」を持ち得ない。

でも、まあ、それは「物理的」にはもともとわかっていたことだ。 区間の両端で波動関数がゼロという境界条件は、この両端に無限に高いポテンシャルの壁が立ちはだかっていることを意味する。 古典的に考えれば、粒子は壁で完全に反射されて、区間の中を右へ左へと行ったり来たりするのだから、運動量の「確定した値」など持ちようもない。 ここに「定理」を適用しようなどと思ってはいけないのだ。

しかし、ちょっと待て。

「物理的」にはこんな状況で運動量の確定値を考えちゃ駄目だって言うのはその通りだろうけど、じゃあ、さっきの「定理」はどうなったんだ? この状況では「定理」の主張は正しくない。なぜこのときには正しくないのか?  物理的にヤバいときには自動的に使えなくなって、ヤバくないときだけは使っていいのかもしれないけれど、それはあまりにご都合主義なんじゃないのか?  この場合にはエルミート性があるのに定理が使えないってことは、ほかにもエルミート性があっても使えない状況があるかもしれない。 ていうか、今の場合は露骨に「物理的にやばい」とわかったけれど、もっと複雑な問題になったら、果たして考えている演算子が「やばい」か「やばくないか」など簡単にはわからないではないか。

そういった疑問が出るのが普通ではないだろうか?

ただ、量子力学を学ぶ学生からそういう疑問が出る事は多くないようだ。 というのも、教科書の著者は「両端がゼロの境界条件での運動量はヤバい」ということを知っているので、例題をつくるときなんかには、そこを巧みに避けている(あるいは、気がつかないように持ち出す)からだと思う。

でも、そんな風に「臭いものに蓋」をして見ないふりをするみたいなやり方は健全じゃないと思うのだ。 より一般に、「なんとなく、ふつうはこうだから、こうしよう」みたいな科学の進め方はよくない。 いや、もちろん、量子力学の黎明期で物事がはっきりわからなかった時期なら仕方がない。でも、今は、すべてクリアーなのだから、クリアーな説明をする、あるいは、せめてクリアーな説明があるっていう事実をはっきりと伝えるべきだと信じる。


鍵になるのは自己共役性だ。

物理の文献ではエルミート性と自己共役性を区別しないけれど(今日の数学では)両者は別の概念だ。 エルミート性は、上で見たように「演算子を内積のなかで、右から左へそのまま移動できる」ことだが、自己共役性の定義はもう少しややこしい。 そして、素晴らしいことに、自己共役演算子については(この表現はかなり不正確だけど)

固有状態(および「固有状態もどき」)をすべて集めたものは正規直交完全系をなす
という(本当の)定理が知られているのだ。 これは、ずばり
(数学者の定義での)自己共役演算子は確定した値をとりうる物理量に対応する
ということを表していると言ってもいい。

そして、上の「運動量演算子の謎」への答は明確で、

区間の両側で波動関数がゼロになる世界での運動量演算子は、エルミートだが、自己共役ではない
ということに尽きている。これは、自己共役性の定義を学んで、ちょっと考えれば、わかることなのだ。 つまり、数学での自己共役演算子の定義は、「区間の両側で波動関数がゼロになる世界での運動量演算子はヤバい」という物理的な事情をしっかりととらえることができると言ってもいいだろう。 実際、「この設定での \(\hat{p}\) がエルミートだけれど自己共役じゃない」ことを証明すると、\(\hat{p}\) が波動関数をもっと外に広げてほしがっていることさえもちゃんと見て取れるのだ。
ぼくが知る限り、この明快な事実がはっきりと解説してある物理の教科書は、江沢先生がむかし岩波の講座に書いた『量子力学 III』だけだ(というか、ぼくの知識も江沢先生の解説からきている)。(下の付記 3 を参照)

もちろん、すべての入門教科書に書かれるべき内容ではないかもしれない。でも、ちょっと背伸びした教科書には載っているべきこと、あるいは、せめて量子力学を教える人ならばみんな知っているべきことなんじゃないかとぼくは思うのだ。

というわけで、執筆予定のぼくの量子力学の教科書では(学びたい人は)そういうことも学べるようにしたいものだと考え、日々、いろいろと悩んでいるのであった。

(ああ、Twitter の 140 字じゃ足りないぞと思って書き始めたら、140 字よりもかなり長くなった・・・)


付記:上の日記を書いてから、東北大の堀田さんからコメントをもらい、少しだけ書き直した。 特に、「(数学者の定義での)自己共役演算子は観測可能な物理量に対応する」という言明を「(数学者の定義での)自己共役演算子は確定した値をとりうる物理量に対応する」に変更した。 「観測可能」ということを真面目に考えると、実際に測定をおこなうということを想定してしまうけれど、今はそういう話をしているのではないから。 こういうところは、量子力学の「業界用語」に慣れているためについうっかりやってしまう不正確表現なので、流されないよう注意しつつきちんと概念をおさえていこうと思う。

付記 2:「演算子の定義域と値域が一致していないからおかしくなるのではないか」という質問があったが、自己共役演算子であるために定義域と値域が一致している必要はない。 たとえば、位置演算子 \(\hat{x}\) の定義域は \( x\,\varphi(x)\) が二乗可積分になるような \(\varphi(x)\) の全体にとることができる(そして、 \(\hat{x}\) は自己共役になる)。 この場合、もちろん、定義域と値域は一致しない。 (ただし、「両端でゼロになる波動関数を微分すると両端でゼロにならない」ことが上の話の鍵になっているのも事実。)

付記 3: すみません、以下の内容は正しくないみたい。新装版の「量子力学 II」に該当の内容が入っているようです。 上で紹介した江沢先生の書かれたものというのは、1972 年版の岩波講座・現代物理学の基礎の第 5 巻の『量子力学 III』のこと。江沢先生の担当は 16, 17, 19 章で全体の半分くらい。 不可解なことにこの本は新装版として出ていないようだが、アマゾンを見ると(少なくとも今の段階では)中古品がかなり安くでまわっている(今は中古が 9 品あって、最低価格は 643 円)。 なくならないうちに買っておく価値はあると思う。 もちろん、最近の新井+江沢などしっかりした本はあるけれど、『量子力学 III』の 16 章では物理への応用を主軸にして自己共役演算子の数学を素晴らしく簡潔に解説している。江沢節のきわみ。 ついでに、19 章の無限自由度系の解説も江沢先生ならではで、すばらしいのですよ。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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