日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


3/2/2005(水)

居室の留守番電話に録音がはいっていた。

教務課の女性の声だ。

もしもし、田崎先生。

教務の○○です。もしもし。

田崎先生? いらっしゃいませんか??

  ・・・・

本当に、いらっしゃいませんか??? (笑い声)

本部事務の方にも、私の習性(いつでも留守番電話に答えさせ、仕事に集中しているとき面倒な相手から電話が来ると取らない)がかなり知られてきたようである。

あ、でも、このときは本当にいなかったんですよ。 本当です。 (とわざわざ書くと嘘っぽくなるが、本当です。)


別にもう三月だからといって気にすることない --- と思ったけど、よく考えると、長いと思った春休みもちょうどあと一ヶ月ということだから、やっぱ気になる。おろ、おろ。

SST の接触については、この前書いた摂動論はけっきょく精神的に消化されてどっかに行ってしまったんだけど、ともかく、ぼくの中に整合したピクチャーができたので、心配するのをやめた。 これで、いける。 その延長でさらに積年の課題である mu-wall の実装を --- と意気込んだのではあるが、こちらについては、いろいろあって、自分的にも待て次号というところだ。


3/3/2005(木)

朝から用があって外出。

早々に用を終えて、11時半には目白駅に戻った。 戻ったのだが、用の性質上、ネクタイ姿。 この姿のままだと、大学に行っても、ラーメン屋に入っても、皆にいったいどうしたのかと問われ、「いや、今日は実は・・・」「ああ、そうですか、それは・・・」「いや、まったく、早いもので・・・」といった罪のない会話をいちいちすることになるし、ま、それはそんなイヤじゃないけど、なんといっても、こんな格好では肩が凝って仕事にならない。

というわけで、目白通りを歩いていったん家に帰ることに。 ワイシャツにネクタイ、紺のブレザー、灰色のスラックス、薄茶のピーコートに、黒い皮の書類ケースを下げて(←これを書くのに、いちいち妻に教えてもらわないとわからなかった)、という異様なスタイルである。 あ、いや、別に常識的には異様じゃないんだけど、普段のぼくとは全然ちがうということだ。

そうやって目白通りを歩いていていて、とある新築マンションの前を通りかかると、マンションの前に立っていた不動産屋さんらしき若い男が「どうぞ」と言ってマンションの案内をぼくに渡そうとする。 何を隠そう、普段のぼくは町を歩いていてもほとんどチラシやティッシュの類はもらわない(もらえない)人で、先日も駅の近くの新築マンションの宣伝をしている人がいたんだけど、ぼくにはチラシを渡そうとはしなかったのだ。

ううむ。やっぱり紺ブレを着ていると違うのかあ、しかし、人を見かけで判断するとは何事か、とか思いつつ、家に戻る。 普段のジーパン、ポロシャツ、(つい、毎日同じのを着て妻に怒られてしまう)セーターの姿になり、一服してから、紫のダウンをはおり、スヌーピーの柄のナップザックをしょって、また同じ道を大学へ。 あっという間に姿を変えて、なんか探偵ものもみたいだ。

で、先ほどの新築マンションの前にさしかかる。 どうだ、不動産屋のお若いの。 リュックはいい加減だし、ジーパンの膝は白くなってるし(と思ってよくみたら穴があいている(ジーパンに穴あけるのって流行なんだよね??))、チラシは渡すまい --- と、思っていると、さっきと同じように、「どうぞ」と案内を差し出して来るではないか。 おいおい、それじゃ、話として面白くないじゃないか。 ていうか、誰でもいいからともかく通りかかったら渡そうとしてるのか?  いや、それとも、外見にとらわれず中身を見抜くことのできる人で・・??  いや、でも本当に見抜けたら、ぼくが不動産を買わないことはわかるはずだし・・・ ぶつぶつ。 どうもネタとして完結しませんが、実話なのでお許しを。


そうそう。忘れてた。

駅に行ったついでに(と書いたが、駅の前は毎日、行きと帰りに通過しているのだが)Suica にチャージをしたんだけど、入金(というより、充金ってのは、どうよ?)が終わると、

領収書の有無を選んで下さい。
というアナウンスが流れる。 これって、チョー気になるんですけど。

言うまでもないだろうけど、「有無(うむ)」っていうのは、文字通り、「あるかないか・存否」を表している言葉だ。 まだ領収書は発行されていないんだから、有無はと言われれば「まだ、無い」に決まっているではないか!  もちろん、券売機さんが聞きたいのは「領収書がいるか、いらないか」ということなのだが、だったら、ちゃんとそう聞きなさい。

「いや、『領収書の要・不要を選んで下さい』では、わかりにくいので」というだろうが、確かに、そう。 そもそも、もってまわって漢語っぽく言おうとするのが間違いなのだ。

この場合なら、

領収書は必要ですか?
とアナウンスし、答えるボタンは、
はい

領収書を発行します

PRINT RECEIPT

領収的証書印字

および
いいえ

なにも発行しません

NO RECEIPTS

不要領収的証書

という風にするのが正解に近いと思う(日本語以外の表現は不正確です)

この方が、誤用がないだけでなく、はるかにわかりやすいと思うのだが。


書いているうちにだんだん頭に来てしまったのだが、そもそも「領収書の有無を選んで下さい」なんていう作文が出て来てそのまま JR の自動販売機で幅広く使われてしまうというのは、いったい、どうなっているんだろ?  あれだけ大々的にお客商売をしているのに、表現の正確さ、わかりやすさ、などなどを検討するというプロセスはないのだろうか??  ぼくの知るかぎり、「何かが必要かどうか」を尋ねるときに「有無」を用いる用例なんて日本語にはないと思うのだが(←これが間違いなのかな??)、よく考えると、そんなのんびりしたことは言ってられない。 JR の機械で Suica に充金するたびに皆がこの用例に接してしまう(待てよ、定期とか指定券を買っても同じかな?)のだから、あっという間に、この例こそがスタンダードになって行きかねない。

いつも言っているように、ぼくは新しい言葉の用法は歓迎する方だが、これなんかは、単に不必要に難しい言い方をしようとして間違ってしまっただけだし、言い方として堅苦しくて汚いし、救いがたいと思うんだけどなあ。

こういうのって、どうすればいいんだろう? 駅員さんに言ってもダメだろうしねえ。

(ついでですが、プラットホームで「後に下がってお待ち下さい」とアナウンスするとき「後」を「あと」と読むけど、ぼくはこれは「うしろ」の読み間違いだと思っている。 これって少数派意見ですか?)


3/4/2005(金)

今日は雪だと聞いていたので、大学に行かないでいいように、昨日のうちに教務の用事をすませ、また、複数の仕事を持ち帰っておいた。

まずは、朝とびこんできたレフェリーを恐るべきスピードでやっつけ(しかし、正確な判定だ)、次は、締め切りが近いものからということで、(締め切りを過ぎている)Elsevier の数理物理学事典の原稿に取りかかる。 のだが、なにか異様なまでに筆が進まない。

こういうときは無理をしても仕方がないので、今日は、思いっきりさぼることにする。

ずっと前から、アインシュタインの伝記

A. Pais
'Subtle is the Lord...' The Science and the Life of Albert Einstsein
を少しずつ読んでいる。 これまでで、彼が一般相対論をつくる長く苦しい道を進みながら色々と試行錯誤をくり返し、数学者のレビ・チビタ(この絵の左上 この人)との手紙のやりとりが始まるあたりまで進んでいたのだが、新学期の駒場での講義(12/7/2004 参照)の精神的準備も兼ねて光量子仮説のところを読むべきだと前々から思っていたので、相対論の続きはあとで読むことにして、今日は本の最終部である量子論関連のところを読むことにした。

いやあ、もう、おもしろいとかいうレベルじゃない。 あまりのすごさに、涙が出そうになる。 けっきょく、コタツに入ってひたすら読み続けて、さいごのアインシュタインが亡くなるところまで一気に読み切ってしまった。


ぼくは、(特に若い頃は)昔の人の発見的な議論を勉強するのがイヤだった。 そういう解説の類は、たいていは、原論文の内容を適当にかみ砕いて書き写してあり、最後に「さすが、○○の議論は直感的でわかりやすい」とか書いてあるのだけれど、ぼくには、何が仮定で何が結論かよくわからないし、言葉の説明が多すぎて、ちっとも直感的には思えないことが多かった。 で、友達なんかに聞くと「あれは、わかりやすい、おもしろい」とか言うし、ぼくは自分の直感力がまずいのかなあと秘かに思っていたのだ。 しっかし、今になって考えてみれば、歴史を塗り替えたような発見的な議論たちが本当に「わかりやすい」はずなどあり得ないではないか。 なにせ、まだ本当の理論の姿が見えきらない段階で、手元にある種々雑多な材料の中から、頼りうるものを(おそらくは非論理的な何らかの方法で)見つけ出し、それらを手がかりに(ほとんど神秘的としか言えないプロセスを経て)絶妙の議論で正しい道を見つけ出すというような話なのだよ。 そんな議論の本当のすごさや面白さは、初学者には、なかなかわからんでしょう。

逆に言えば、こういう発見的な議論の本当のすごさを若い人に伝えるには、オリジナルな論法を再現するよりも、その後の科学の発展で明らかになった風景をスケッチしたあと、その時代にはどれほど少ししか風景が見えていなかったか、そんなときに(たとえばアインシュタインだけど)その人が何を手がかりにどういう筋を通って「正解」に行き着いたかを描き出す方がずっといいと思うなあ(日々の雑感恒例の余分な一言をいえば、オリジナルな論法をそのまま再現している解説っていうのは、要するに、手抜きというか知的怠慢だと思う)。 Pais の伝記はある程度それをやっているんだけど、読者の側に相当の予備知識を仮定しているので、やっぱり初学者が面白がるのは厳しいかも知れない。


で、アインシュタインに話を戻すと、彼が 1905 年に光量子仮説(大ざっぱに言えば、光は粒々からできているということ)に到達するプロセスというのは、本当にすさまじい。 1900 年にプランク分布(および、その根拠とされた(かなり混迷した)振動子の量子化っぽい議論)は提出されているが、アインシュタインは、プランク分布は使わない。 プランク分布が指数的に減衰する部分に相当するウィーンの輻射公式という実験的経験則を出発点にし、それと整合する熱力学、粒子の統計力学(もちろん、ボルツマン統計を使う)を模索すると、あれよあれよと「光のエネルギーがとびとびだ」というすさまじく革命的な結論がでてしまうのだ。 プランクよりも限られた実験事実だけを使い、プランクよりも先を行く光の量子化に一気にとんでしまうのだ(実際、プランクは(というか、多くの人が)当分は光量子を信じなかったらしい)。 またしても、正解を知っていてもそう易々とは見いだせないほとの圧倒的に能率的なショートカットで、もっとも少ない経験事実と理論的仮定から、もっとも偉大な結論に跳んでいくアインシュタインの魔法である。

こうやって熱力学や統計力学を使うだけでは光子のエネルギーしか議論できないはずなのだが、なんと、何年か後に、アインシュタインは電磁場の運動量ゆらぎを計算し、そこから光子が必然的に運動量を持つことまで見いだしてしまっている。 これは、今まで全く知らなかったことなので、ただただ感服するしかない。 真実の一側面しか伝えていないはずの輻射平衡についての(マクロな)経験事実と、統計力学の組み合わせだけで、ミクロな世界の本質にここまで踏み込むことができるとは。

電磁場の量子化と輻射平衡のあたりは、ぼくの統計力学の講義でも一つの山なのだ。 このあたりを、どう教えるのがもっとも能率的でわかりやすく、かつ感動的かということを(既存の教科書は無視して)何年も試行錯誤しているのだが、そういうことをやった上で、アインシュタインの貢献について学ぶと、より感動が増すというものである。

というわけで、ぼくとしては、今後の統計力学の講義や、(目前に迫った)駒場でのアインシュタイン講義で、この感動の一端を皆さんに伝え、アインシュタインの議論の真のすごさを知ってもらうという、厳しくも心躍る課題にこれから取り組むことになるのであーる。


3/5/2005(土)

化学科の飯島先生の最終講義および御退任感謝激励の会。

飯島先生には、熱力学の本を書くときに色々と教えていただいた。 とくに、エントロピーと比熱の関係や Gibbs-Duhem 関係式について、深い助言をいただいた。 ぼくが、本を準備しているとき、むずかし過ぎる部分を削って書き直すべきだろうかと先生に尋ねたことがあるのだが、そのときに、

田崎さんの本は、ありがたいお経のようなものなのだから、そういう風に書き直す必要はない
という、明確なお答えをいただいたのをよく覚えている。 著書を「お経」と言っていただいたことについては、悩むべきだという意見もあるかもしれないが、ぼくは(アホのように楽観的なので)素直に喜ぶことにしようと思った。
最終講義では、はじめて彼のやってきた液体からの散乱実験の解析の話を聞いた。 最近、(物理の)渡辺さんの話などを聞いて、少しずつ液体の話も耳学問がついてきてはいたが、基本的には、始めての話で大変おもしろかった。 本当におもしろかったので、図々しくも「そうやって散乱のデーターを解析して出てきた構造はどれくらい信じていいのだ」という失礼な質問をしたが、「信じてよいのだ」ということを色々な理由を挙げて熱く語って答えてくださった(飯島先生は謙虚な方なので、講義は淡々としていて、そういう話がでてこなかったのだ)ので、大変によかった。

統計力学の人が液体に積極的にむかっていった時期があったと聞いているが、その時代の遺産を、ぼくは全く受け継いでいない。 実際、今日のように見事な実験結果と解析の結果を見せられると、大ざっぱな物理としては「近距離は何らかの秩序、ある程度の距離以上から構造は乱れ、バルクは等方的な熱力学と一致」という素朴な描像以上のことはなかなかいえないだろうなあと思ってしまう。


「感謝激励の会」では、懐かしい人を含めて、何人かと立ち話。

飯島先生が、われわれを「感謝・激励」してくださったので、アホのように素直なぼくは、がんばろうと思った。


ああ、そうそう。で、今日もネクタイ姿で、駅の近くを通ったら(前は何もくれなかった)新築マンションの宣伝の人がチラシを渡そうとしたぞ。 こいつら、外見だけで(以下略)
3/9/2005(水)

今日は、お仕事。

学習院の高校の生徒さんたちに物理学科の説明をし、それから希望者を連れて研究室を二つ見学してもらうお世話をする。

研究内容の説明も大事だけれど、それ以上に、物理学科の学生さんたちがどういう空間でどういう風に時間を過ごしているかを見てもらうのが主要なねらいなのだ。 高校二年生の子たちにしてみれば、研究室のメンバーになって、自分の装置と自分の研究テーマと自分の居場所のある生活をしているというのは、なかなか想像しづらいことだと思う。 その雰囲気をみてもらって、いかに楽しそうに充実して暮らしているかを感じてほしかったのだ。

こういう試みは、「楽しそうに充実して暮らしている」学生さんたちに手伝ってもらわなくては難しいし、そもそも、そういう学生さんたちがいなくては全く不可能。 幸いにも、そういう学生さんたちは、いっぱいいるのだ。 今回は、二つの研究室の皆さんに協力してもらって、とてもとてもうまく進んだ。 別に打ち合わせも何にもなかったのだけれど、卒業研究が楽しくて楽しくて仕方がないこと、がんばり続ければ卒業研究でも世界初の仕事ができることを、心から楽しそうに語ってくれた。 高校生たちはすごく感銘を受けていたと思うし、実は、横で聞いていたぼくも感動してしまったぞ。

最後は研究室でお茶を出してもらって、ぼくが引き上げた後もずっと先輩を囲んで高校生たちのおしゃべりが続いていたらしい。


夜、家で仕事をしていると新着メールが。 なんと、この四月から物理学科に入学する方から「よろしくお願いします」のメールが届いたのだった。

さすがに、入学前の生徒さんからのメールは、はじめて(二年前の H 君の例(4/8/2003)はかなり近かったけどね)。 「今日も、付属高校の二年生の子たち向けの説明会で、うちは学生さんと教員の距離が近いから、一年生だって気楽に研究室にだべりに来られるんだよ、と話していたところです。是非とも気楽に遊びに来て下さい。」という返事をすぐに書いて送った。

こういう張り切った学生さんが入学してくれるのは、うれしいかぎりだ。

メールの最後の署名は、

物理学科 1 年 ○○○○
と微妙にフライングしていてるんだけど、そういう勢いがうれしいよね。
3/12/2005(土)

そろそろ、色々と焦りはじめるべきか。


というわけで、学会の発表(一日目)の準備をするはずが、思わぬ方向に考えが深入りする。

キチガイじみているとも思うし、仮定だらけでガタガタの話なんだけど、万が一 --- いや、まあ、百が一くらいにしとこう --- だとしても次のステップにつながる可能性があると感じるなら考え続けなくては。 ううむ。久々に、自分が出題した問題で完璧にわけがわからず、延々と悩む。

多分、佐々さん(←風邪でダウンしてるらしい)にもわからないくらい(ということは世界中誰にもわからない)とらえどころないのだが、後の記録のため書いておこう。 たとえば DLG でポテンシャル変化をつけると、ポテンシャルの値のちがう二つの部分の間の長距離相関がなくなる。 これによって、自由エネルギーを、各々の系に固有の部分と、長距離相関に依存する特殊な部分に分離できる可能性がでる。

やっぱ、わからない。 寝られない。


3/19/2005(土)

本当に「焦りはじめた」みたいで、一週間ぶりか。


しばらく前に、佐々さんが「日々の研究」を「はてな」に移した。 奇しくも、ぼくも、その少し前くらいから、「はてな」で日記の登録をして、秘かに使い勝手などを試していたので、なんか見透かされたみたいな感じ(?)で、ちょっと驚いてしまった。

で、少し試してみた結果、(今やっているみたいに)じかに html を打ち込んでテキストファイルを編集するのに比べると、圧倒的に編集が楽。 さらに、(無料ユーザーの場合、画像は一日一枚という制限はあるけど)画像の取り込みや、書誌データの表示などは、涙がでるほど簡単だ。 こういうメリットと、デザインがお仕着せ(←がんばれば変えられるのだろうけど)、キーワードの自動リンクがうるさい(←初等的な方法で、みかけだけは退治するやり方をみつけたけど)、過去ログが時間順の表示にならない、などなどの気に入らない点とを、はかりにかけることになる。 けっきょく、何がどうしようと結論に変わりはなかった気もするけど、ぼくは手作りっぽく自分ですべてをコントロールする今のやり方が好きなので、「はてな」には移行しないことを決めたのだった。

ただし、本のデータの表示の便利さを考えて、ごくまれに書く書評をまとめておくのに、「はてな」を使おうかなと(けっこう、皆が考えてやっているようなことを)思いついて、ぼちぼちと作業していた。

で、今日、「早川さん、おまえもか」という感じで、追い打ちをかけるかのように、早川さんも日記を「はてな」に移行したと知ってしまった。

もはやこれまで。 ぼくもそろそろカミングアウトする時なのだろう。 「はてな」日記の設定をかえて、書評日記を公開した。

Hal Tasaki's -<log p>
わかる人にしかわからないベタなネーミングをお許し下さい。

中身は、まだ四つしかない上に、一つは昔の雑感(2/24/2004)そのまま、一つ(ランダウの)はまだ書きかけ、他の二つも、雑誌に書いたもの、掲示板に書いたもの(に手をいれた)、という「使い回し感」たっぷりの読書感想文日記である。 今後、着々と書き足して成長していくかどうかは、まったくわからない。

ま、ともかく、(もし)新しい書評を書き足したら、ここで宣伝するつもりですので、よろしく。

付記:これは、おまえの嫌いなブログじゃねえのか、というツッコミが入った。 いや、これは、あくまで -<log p> なのだ。 コメントもトラックバックもないような、こんなのがブログだとか言ったら、全国のナウいヤングのブロガーの皆さんに叱られるでしょう。


研究室の歓送迎会。 (急に司会をまかされた○○君が「四年生を送迎する」と言っていたが、それは、ちがう。)

いろいろあったが、井田さんがおもろい人だということがわかった。 すでに一年以上のつき合いになるが、徐々におもしろさがわかってきた。 こうして研究室の新しい空気というか文化というかが、熟成されていくのだなあとか思う。

で、井田さんだが、別に、態度が豹変して騒ぎ出すとかいうのではなく、いつもの淡々とした調子のままで、おもしろいのであった。 どうおもしろかったかは、ネタばれになるので書かないけど。


3/20/2005(日)

卒業式。

着任の年から続けている慣行で、式典はすべてパスして、記念撮影から参加。


四年生の女の子たちは色とりどりの袴姿、修士二年の女の子たちは美しい着物姿でそろえていて、見るからに華やか。 一方、ヤローども 男性諸君は、濃い色のスーツで、まあ、あれだ。 いや、ちゃんとしていて皆さんご立派であった。 が、まあ、華やかというのとは違うよな。

記念撮影をしたあと、ミニ祝賀会をするために会議室に集まったのだけれど、乾杯しようという段になって部屋を見回すと、ずらりと並んだ黒と紺のスーツ軍団。 女の子たちは、まだ外で写真を撮っているらしくて、一人も来ていないのだ。

思わず乾杯は延期しようと提案しそうになったが、これは、純粋な色彩的バランス感覚から来た意見であり、男性諸君を不当に差別しようというものではないことを強調しておきたい。 ま、ぼくが提案を吟味しているあいだ、主任の高橋さんは、さっさと乾杯を決行したのだけどね。 深い人生経験を感じた。


卒業していく学生さんたちと話していると、いろいろなことが思い出されて、やっぱり懐かしい。 月並みだけど、本当だから、仕方がない。

なにやら困ったことをして教務委員である私を奔走させたような学生さんの場合は、そういうことを真っ先に思い出す。 ま、過ぎてしまえば楽しい想い出になるんだけどね(←卒業していく皆さんへ | まだ大学に残っているみなさんへ→)想い出になればいいが、シャレにもならない場合もたくさんあるから、教務委員を奔走させるような事態は極力招かないでくれよ。


昼過ぎに家に帰ると、福岡近辺で地震があったが、原さん一家は大丈夫だろうか、と家族が心配している。 ちっとも知らなかった。

すぐにメールを送ったところ、幸い、原さん一家はご無事。よかったよかった。 しかし、本棚が倒れ食器がたくさん壊れたというから、半端(はんぱ)ではない。 これまた月並みだが、気を付けてなんとかなることについては、気を付けたいものだ。


3/22/2005(火)

ううう、このネタ書いたらやばいかなあ??

とある中学での、公民の試験のあとの生徒どうしの会話より;

「なあ、あの『青色発光ダイオードで裁判やった大学教授』ってさ、『う×く×』だよな?」
確かにその人も(元)大学教授で裁判が話題にはなったが、彼が関わったのは、光を発するものじゃなく、むしろ光を反射するものではなかったか・・・
ちょっち、びっくり。 この年になって、発表の二、三日前になって学会発表のネタを仕込むことになるとは思わなかった。

24日午後に話す「非平衡定常測度における弱カノニカル性(真面目な pdf ファイルにリンク(←いや何かネタをやっているわけじゃなく、本当に真面目なファイルです))」。 すでに発表の詳細まで詰めてあり清書するばかりだったのだけれど、残念なことに「定常分布が弱カノニカル性を厳密に満たす例」が、ASEP と弱結合 DLG の二つしかなかったのだ。 もちろん典型的な例ではあるのだけれど、どちらも、長距離相関から来る密度ゆらぎのアノーマリーがないという意味で、今ひとつ根性に欠ける。

弱ったなあとは思っていたけれど、それも仕方がないので、昼間はシンポジウムの発表の準備をしたりして過ごした。毎晩、夜寝るときには、弱カノニカル性の証明を試みていたが、けっきょく、できなかった。

昨日は、家族でぼくの実家に行ったのだけれど、その帰り、常磐線の中で iPod でバッハの無伴奏を聴いていたら、なあんだ、ある種の Focker-Planck 方程式で記述される系なら、いとも簡単に弱カノニカル性が成り立つぞと気づいた。 実は、Focker-Planck にはコンプレックスがあり、ちっとも手に馴染んでいないのだけれど、これは確実に正しいとわかった(ま、それほどに、当たり前ということだ)。 さらに、夜になってお風呂に入っていたら、ハードコアの散乱ポテンシャル、ハードコアの粒子間相互作用、一方向への駆動力のある多体 Focker-Planck 方程式で記述されるかなりまともな系についても、弱カノニカル性はほぼ自明に成り立つことがわかってしまった。 答さえ知ってしまえば導出は当たり前という、ごくごくささやかな進歩シリーズだけれど、長距離相関から来る密度ゆらぎのアノーマリーがあるような根性の入った非平衡定常状態の例が加わったことは、うれしい限り。 弱カノニカルという予想に意味があるとすれば、これは大事な一歩になる。 (しかし、何で、今まで気づかなかったんだろう。 やっぱり、格子にこだわり過ぎたかなあ。) (付記:これは、まちがいでした。大ポカをやって大喜びをしている記録を残しておくのは恥ずかしいなあ。)

なお、「弱カノニカル性って何?」という皆さんには、専門知識を仮定しない解説を 9/22/2003 の雑感の最後の二行くらいに書いたので、ご覧いただきたい(昔のオチを再利用してしまったことをお許し下さい)


佐々さんが書いてる(←おお!「はてな」になったのでリンクがしやすい)ので、ぼくも、ぼくサイドから同じことを書いてみよう。 Lee と Yang で言うことが違うみたいな「藪の中」的世界には、ならないんだけど。

まず 12 日の雑感に、「佐々さん(←風邪でダウンしてるらしい)にもわからないくらい」と断りつつ、長距離相関から来る異常な密度ゆらぎと、密度のポテンシャルへの応答の関連についてのぼくの悩みを書いたのだけれど、これは、あまりに説明がいい加減でとらえどころがないので、佐々さんが読んでもぼくが何を悩んでいるかわかるまい、という意味であった。 しかし、佐々さんは風邪であるにもかかわらず、ぼくの言いたいことはわかったらしい。 あとで明示的に質問を送ったら「日記にコメント欄があれば書き込んだのに」という冗談(←一瞬まじかと思った)とともに明確な答が速攻で返ってきた。 ぼくは佐々さんの答に納得して「なるほど、そうですか」と答えて話は一段落した気がした。

しかし、昨日になって(上に書いた)「弱カノニカル性と異常ゆらぎが共存する系」がふんだんにあることがわかってみると、やはり、話は一筋縄ではいかないと認識した。

そこで、夜になって佐々さんに、

やっぱりあの話には微妙なところがあるので、学会の後にでも、議論して下さい
と、じじいっぽいのんびりしたメールを出したら、佐々さんからは、
なんで微妙なんだ、教えろ
という若々しいメールが。 まったくお若い方には勝てんのお、とか思ったわけではないが、
かくかくしかじか、こういうわけじゃ
と要点を説明するメールを送って、後は学会のあとで詳しく説明して議論じゃわいと思っていると、たちまちのうちに、
問題は完璧に理解した。 確かに単純な二つの論点の結果の折り合いが悪い。 しかし、こんなことはぱぱぱーとわからないとおかしいので、明日、大学につくまでには、なんとか。 (原文のままではない。強調は引用者による。)
との返事が戻ってきた。 ゆっくり考えようと思っていたのだが、さすがに、こう言われるとこっちも徐々に意地がでてきて「じゃ、ぼくも大学に着くまでを目指そう(どうせ午後からゆっくり行くし)」と返事をして、眠いので、寝た。

寝たんではあるが、寝れない。

知らない間に意地が増殖したのか?  ともかく、ここで一定の答を出しておかないことには寝れないんだとわかった。 「ら抜き表現」で、わかった。

平衡の臨界点での異常ゆらぎとのアナロジーに縛られ過ぎていた偏見をいったん捨て去り、異常ゆらぎからノーマルなゆらぎへのクロスオーバーの様子を検討して、もっとも確からしいシナリオに到達した。 そうか、臨界現象とは本質的に違うんだ。きっと。 さらに、そのシナリオを裏書きするようなストーリーをひとつ相当強引にでっちあげると、がばとベッドから起きあがって二階にあがり、パソコンをスリープから起こして、佐々さんにばばばばっとメールを打った。 (で、メールを打って疲れたんだけど、何を思ったか web を見てしまって、ナカムラさんのこれにコメントを書いたりしていた。 めっちゃ眠かったのに。)

今朝のメールをみると、佐々さんも寝る前にぼくと同じシナリオに達していた。 だだし、そのシナリオをかためるための戦略はまったく違っていた。 実は、ぼくが昨晩ベッドでつくった戦略はかなり胡散臭く、メールを書いて再び寝に行ったあとからも問題に気づいて悩んでいた。 佐々さんが言うように流体極限から攻める方が正しいのかもしれない。

これがすっきりとわかれば、長距離相関、密度の異常ゆらぎ、SST の(林・佐々の)ポテンシャル変化法の関連が(少なくとも 1/r^d の長距離相関を持つ系については)完全に明らかになる。 ささやかなステップだが、できると、うれしい。

さて、ま、学会がおわったらゆっくりと・・・


3/23/2005(水)

夢の中で、整数の n 進展開についての定理について議論していた。

では例をやってみようということになって、そこにいた人が「二十進法で 25 となる数は十進法ではいくつ?」と聞いた。 ぼくは、なんだか知らないけどやたらこみ入った計算をしばらくして、「50 だ」と答をだす。 それから、「あ、なんだ、二十進法だから、十進法に直したらちょうど倍になるのは当たり前じゃないか。もっといい例を作らなきゃ。」と言って、皆で笑うというオチ。

いくら夢の中とはいえ、自分が許せない。


しばらく前の雑感(12/17/2004)で、「物理学者ランダウ」について、
冒頭の佐々木氏の解説には、かなり言いたいことがある。また書きます
と宣言して、例によって、そのままになっていた。

ところが、その後、佐々木氏が何だか知らないけど渦中の人になったらしく、「厳しく批判してやってくれ」といった匿名のメールまで来てしまった。 やれやれ。 ぼくは、彼がおこしたとされる問題については何も知らないし、たとえ何かがあったのだとしても本の解説が気にいらない話とはまったく無関係なんだがなあ。

というわけで、なんとなく「言いたいこと」が言いにくくなっていたのですが、本当は無関係な以上、気にする意味はないのであった。 そろそろ公開しましょう。 Hal Tasaki's -<log p>の中の「物理学者ランダウ」を更新しました。 ろくに推敲していないので、これから断りなくちょこちょこと修正すると思いますが。


今朝、冒頭に書いた二十進数の話について。

言うまでもないと思うけど、二十進法で 25 と書ける数は、十進法では 45。 「二倍すればいい」なんていう「一般論」も大嘘。 さすがに、その程度のことは、目覚めかけたところで瞬時に気づいて、げげっとなってしまった。 だから、「いくら夢の中とはいえ、自分が許せない」と結んだわけだ(←解説くどいと思う人もいるでしょうが、「50 は間違いです」というメールをいただいたので)

しかし、この夢って、けっこう楽しい。

まず、この計算のダメさからして、この夢をみている時点で、ぼくの計算をする能力のほとんどはまったく機能していないと思ってよい。 しかし、計算力が完璧にゼロというわけでもないから面白い。 なにか頭脳の代替の部分を利用しているのだろうか、ものすごく不器用に、一生懸命に(不正確だが、まったく違うというわけではない)計算をしている。 ところが、(間違った)計算が終えるや、すぐに(間違った)一般規則を「発見」して納得している。 なんであろうと具体例を見たあと、ただちにショートカットの規則はないかを捜し、一般則を推論し、それを証明しようとする --- という理論屋の精神性の方は眠らないということであろう。

などと、かっこつけたことを書いているぼくのところに、事務室から、「○○費使途報告書」に訂正印を押してほしいとの連絡が。

俺は書き損じたつもりはないのに、何に押せというのだろう、と思いつつ事務室に行くと、

9,035 + 3,005 = 12,035 12,040
という風に、ぼくの計算を事務の人が修正してくれた使途報告書がポストに入っていた。

ぼくの計算をする能力のほとんどは・・・・


3/24/2005(木)

明日は朝からシンポジウムだから遅刻できない。 その予行も兼ねて、ちゃんと朝一番から学会に行こうと決意し、早め(といっても一時過ぎ)に床に入るが、普段は二時過ぎに寝て十時過ぎに起きる生活だし、それ以上に明らかに興奮していて、ちっとも寝付けない。 座長もやるしと思うと緊張するのか? 初々しい私である。

夜中にも何度も目を覚まして、激・寝不足のまま6時半に起きて、いざ野田へ・・  けっきょく、アホみたいに早く、8時半には理科大キャンパスについた。 気合い入りすぎ。


座長をするセッションは 10 時 45 分まで始まらないし、となりの部屋でやっていたストリングのセッションに参加。 やはり年会なのだから、こういう分野もみておきたい。 半分くらいはまったく理解できないが、逆に、半分くらいは基本的なノリくらいはわかる。 こっちのセッションでは、大学院生くらいの方たちが元気で大きい顔をしているのはよいことである。 統計関連の院生のみなさん、がんばってください。

ストリングのセッションで、ネット上で以前から知り合いだったお二人と初対面を果たす。 素粒子関連の集まりに顔を出さなくなって久しいので、彼らをはじめ若手の顔はまったくわからないが、年長の人たちの何人かは(お互いに)知っている。 「田崎さん、太りましたね」と言われてしまった。


午前は座長。 ま、おかしくないように進行したが、講演番号を示す番号札をめくるのとかはきっちり忘れていた。 セッションの山は、原田さんの発表。

午後は新設の非平衡定常系のセッションで、「弱カノニカル性」についての一般講演。 伊藤さんに弱カノニカル性の考えが非常に好評だった(付記:が、この講演の一部にまちがいがあった・・・)。


3/25/2005(金)

午前中は、われわれのシンポジウム。

朝、部屋について鞄から PowerBook G4 を取り出し、準備をはじめる。

「え、田崎さんもそれ??」

「もちろん、ぼくは、いつもどおり Mac でやりますよ。」

もちろん、嘘です。 生まれて初めて Mac によるプレゼンテーションに挑戦しようという私。

「田崎さんもパワポですか?」

「『パワポ』? それは、何ですか?」

ぼくは、言うまでもなく、Apple KeyNote 2 を駆使して、パワポごときには真似のできない華麗なるプレゼンテーションを目指すのであーる。

と粋がって接続がうまくいかず失敗する、とかいうオチかと思ったが、無事に進んだ。 話も、自分のイメージにかなり近い、エネルギーのはいったものになったと思う。 (プレゼンテーションの雰囲気は、quick time movie でどうぞ。 文字までは読めないと思うけど。 内容を読みたいという方は、少しファイルが大きいですが、pdf (4.8MB) をどうぞ。)

シンポジウムは大盛況で、180人ほど入る教室がいっぱいで、後ろにもびっしりと立ち見の方が並び、さらに入り口も細密充填で出入りもできない、という状況だった。 立ってまで聞いて下さった方、せっかく来て下さったのに入れなかった方がいらっしゃったのは実に申し訳ないことだ。 多分、学会に提出されたシンポジウムの提案での参加人数の見積もりは、300人とか、ともかく180よりはずっと多い数だったと思う(確認したら、400人と提案していたようだ。400人教室でやっても寂しくはなかったと思う)。 今回は終わってしまったわけだけれど、これから先に色々なシンポジウムがあるだろうから、なんでここまで小さな教室になってしまったかの事情はちょっと気にした方がいいかもな。


午後は QCD のシンポジウムにでる。

大学時代のクラスメートの徳宿がヘラでの実験について講演。 すでに perturbative QCD は高次のダイアグラム計算の結果と実験を定量的に比較しうる段階に達していたのだった。 学生時代、徳宿にもしょっちゅう物理を教わったのだが、独自のしっかりとした明晰さはあの頃と変わらない。 なつかしく、かつ面白く聞いた。

他分野の話を聞いていると、分野独自の略語や業界用語が出てきて困ることがある。 LO と NNLO とか、最初はわからなかったけれど、なんのことはない leading order, next next leading order などの略ね。 そういう風に暗号解きをしつつ聞くのだけれど、どうしようもない略語がひとつあった。

x
っていうやつ。 「横軸は x です」「××年代から、より小さい x での実験が可能になりました。」とか言うと、この分野の人全員にわかるらしい。 推測できねえ・・・ (板倉さんに教えていただいたところでは、x とは「陽子の全運動量に対してパートンの持つ運動量の比」だそうです。 パートンとは、クォークとグルオンの総称だそうですから、このシンポジウムで話題になっていたのは、クォークの運動量についての x だと思います。 x の小さなところで現れる現象について、日本物理学会誌 2004 年 3 月号に板倉さんの解説があるそうです。)

宇川さんによる lattice QCD についてのレビューも聴く。 着々と進んでいく様子に感動を覚える。 宇川さんは、相変わらず、ぶっきらぼうに近いほどに無駄のない明晰な話しぶり。 言葉の選び方の的確さに彼の頭のよさが強くにじみでる。 大学院生時代、彼の場の量子論の講義にでていたことを懐かしく思い出す。 毎時間、必ず何度も質問をしたが、彼は瞬時に質問のポイントを把握し、もっとも短く的確な言葉で全てに答えてくれたものだ。 思えば、ぼくが講義にすべて出席し一生懸命にノートをとった講義は、学部・大学院を通じて、宇川さんの場の量子論だけだったかもしれない。


シンポジウムの途中を抜けて、吉森さん、佐々さん、原田さんと議論。 弱カノニカル性の含意について、きわめて有益な知見。

議論していると、午前のシンポジウムで、自分が如何に疲れ切っているかを悟る。


3/26/2005(土)

疲れがとれないが、午後から学会へ。

素粒子の特別講演を聴くかどうか迷ったが、生物物理のセッションに参加。

例によって、どしろうとのくせに、ほとんど全ての講演に質問やコメントをする。 前半はタンパクの折りたたみが中心。 統計力学的な中川さんのお仕事にはじまって、いろいろと。 いくつか、面白い流れになりそうなものはあると感じた。

後半では、期せずして、西坂研の T 君の堂々たる発表を聴くことになって、びっくり。 また、話には聞いていた田口さんと大野さんの遺伝子情報の埋め込みの話をはじめて聞いた。

セッション後は、大学に戻るという T 君といろいろと昔や将来のことを語りつつ、東京へ。 疲れた(のだが、その後、佐々さんからのメールを見て、大あわてで計算をはじめることになる)。


3/27/2005(日)

書きづらい話だし、読んでも面白くないでしょうが、書くべきだと思うので、書きます。

すでに、このページの一番上から「3 月 24 日の学会講演の訂正」というページにリンクをはっておきましたが、「非平衡定常測度における弱カノニカル性」の講演の一部が間違いだったことがわかりました。 最近の「雑感」を読まれた方ならお察しになるかもしれませんが、つい先日(3/22/2005)「発表の寸前にネタを仕込んだ」と大喜びしていた部分が、実はまちがっていたのでした。 まったく情けない。

この「最新の結果」は、確信をもっているつもりだったので、忙しく体調不良だった(共同発表者の)佐々さんには(誤った)導出の概要だけを伝え、ぼくの判断と責任で発表のなかに取りいれたのです。 しかし、昨夜、学会から戻って佐々さんからのメールをみると、導出がうまくいかないと書いてあり、あわてて、深夜までかけて検討したところ、本当にごくごく初歩的な項の見落としを発見。 「確実に正しい」という強い強い(誤った)先入観に引っ張られて、信じがたい不注意ミスをしていたのでした。 日頃から偉そうなことを言っているだけに、まったくお恥ずかしい。 何と言えばいいものやら、言葉がみつかりません。

それで、講演の内容が全部ウソにになったのかというと、そういうことはなく、講演の主要部分だった弱カノニカル性を仮定した上での一般論は正しいです。 また、四つの例のうち、ダメになったのは Langevin 多体系の二つで、残りの二つは大丈夫。

なんだ、それならちょっと傷がついた程度じゃないか --- と言ってもらえそうだけれど、実のところ、生き残った二つの例はいかにもちゃちなので、やはり Langevin 多体系の例が没になったことで、発表の物理的な意義がかなり小さくなってしまったことは確実です。 この間違いは、どこまで本質的かといったことは、さっそく佐々さんが冷静に解析を進めてくれていますし、ぼくもがんばって考え始めていますが、なかなかに難題のようです。


発表で誤りを言ったこと、佐々さんに迷惑をかけてしまったことは、大きなショックで、ついつい落ち込みがちになります。 さらに、物理が見えたつもりになって高揚していたのが空振りだったと知ったことによる「ああ、俺ってアホだった」感も実に強烈。 というわけで、学会に三日間フル参加した疲れもあるのでしょうが、今日はかなり力なく暮らしています。

しかし、そんなことばかりも言っていられない。 敵は思っていた以上に手強いことがはっきりしたのだから、ぐずぐずはしていられない。 折しも、間違いをメールで連絡した方々から、

おまえもそういうポカをやると知ってかえって安心したくらいだ。気にするな。
とか、
慰めにはならないだろうが、学会では、かなりいい加減に不確かな話をする人が多いのだから、気にするな。それより、その先をがんばれ
といった暖かいお励ましをいただいた。 そのとおり(「学会ではみんないい加減」というのは、本当は、そのとおりじゃ困るのだけど、なんせ自分が大ポカをかました直後だから何も言えない・・)ですね。 がんばります(その方が楽しいし)。
3/28/2005(月)

さすが、いい年をしたおっさんだけのことはあって、さっさと立ち直って関連する摂動計算などをやっております。 ご心配くださったみなさん、ありがとうございます。

冷静になってミスのあった箇所を検討すると、けっきょくは以前 DLG での弱カノニカル性を証明しようとしたときに立ちはだかった問題とまったく同じものであることがみえてくる。 最初は、「連続空間にしたことで困難が消えた、あれは格子系ならではの難しさだったんだ」と愚かなことを考えていたわけですが、実は、非平衡系ならではの本質的困難だったのである。

当然、次に考える「無茶な計画」は、弱カノニカルが正確に成り立たないなら、ポテンシャル変化に対する定常測度の応答を(線型の範囲でいいから)無理矢理にでも計算してやれ、ということだ。 これができさえすれば(フツーできないけど)、今なら、密度の応答や(吉森さんに教わった)fluctuation-dissipation が、全部、無料でついてくる(第二法則は変態になるな・・・)!


学会がおわったところで、今日は午後から教授会だ。 大学の仕事に復帰だ --- と思って、事務室に時刻を問い合わせたら、なああんだ、今日は教授会じゃなかった。 得した気分だぞ。

というわけで、お天気も悪いし、在宅でお仕事をしております(研究だけじゃなくて、各種のメールの処理や教務の雑用も少しやってるよ)。


3/29/2005(火)

目白通りにて (1)

歩いていると、中年の女性が目白病院の前で携帯電話で話している横をとおりすぎた。

「でね、目白病院っていうから、目黒の方だろうと思ってさ、どうやって行くんだろうっておもっちゃってね・・・」
なんで目黒??
目白通りにて (2)

むこうの方から、男の大きい声が近づいてくる。

「でさ、悪いことしようと思ってる奴ってさ、顔がさあ・・」
おまえは警察かよっ、と秘かにつっこみかけていると、大声で話しながら自転車で歩道を走ってきたのは、目白警察のおまわりさん二人だった。
3/30/2005(水)

理論グループで卒業研究をすることになった学生さんたちが、さっそく、ゼミのテキストを決めてコピーをとったり、部屋を掃除したり、お皿を洗ったり、家からもってきたお菓子を食べたり、カップ麺を作って食べたり、と活動している。 すっかりメンバーが新しい顔に入れ替わって、雰囲気もかわる。 にぎやかで、活気に満ちた、新学期の風景である。

と、思ったが、よく考えると、まだ三月であり、彼女ら・彼らは、まだ三年生なのではないか。

いや、三年生がどんどん研究室に出てくるのは大歓迎なのですが・・・

おおい、どこ行ったんだあ?? ほんとの四年生・・・
(その後、前世代の生き残りのごとく活動する M 君を発見。)


3/31/2005(木)

しばらく(精神的にも物理的にも)離れていた大学に、久々に戻ってきて、これから最後までがんばるつもりだという意思表明をしてくれた彼に、なにやらしどろもどろになりながらも、うれしくて

え、よ、ようこそ・・・
なんて言っていたのも、もう二年以上前(2/6/2003)のことになってしまった。

あれから、まあいろいろとあったけれど、ともかく最終学年の一年間は、研究室の主要戦力としてばりばりと実験をし(卒業研究の発表のあともしてたんだってね)、立派なデータをとって堂々たる卒業研究の発表をし、大学院を含めた研究室の発表の段取りの世話をしてと大活躍で、文句なく、最高レベルの物理学科四年生として過ごしてくれた。 今日、大学生として過ごす(人よりも相当に長かった)最後の日に、あの二年ちょっと前の日と同じように、ぼくの部屋に挨拶に来てくれた。 「君ならば、会社に入ってもぜったいに活躍できるよ」と祝福・激励できるこの日を迎えられて、ほんと、大学教員として、ええと、rewarding って日本語でなんて言うのがいいんだろ、ええと、あれ、なんだよ? 冷酷無比のはずのぼくの目から・・

おめでとう。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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