日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2010/4/1(木)

さて、4 月 1 日である。

4 月 1 日の日記には嘘を書いてもいいらしい。

というわけで、ええと、き、今日は 4 月 1 日である。

3 月 31 日の日記を書いたり、懸案の SST 論文の再計算をしているうちに、風邪気味になったかなあと思っていたら、ついに二、三年ぶりに本格的な風邪引きになってしまい、家にこもって論文草稿を書いていて、今はもう入学式のある 8 日だったりはしないのだ。まだぴちぴちの 1 日なのであるっ!


さてさて、4 月1日は、十数年前に百八歳で亡くなったぼくの曾祖母の誕生日なので、彼女にまつわるエピソードを書くのが定番になっている。 これまでに、2002, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008 と六回書いていて、2009 は祖父が亡くなったので番外編だった。

で、今年も書くぞと思うわけだが、これだけ書いてくると、なかなか残っているちょうどいい話がない。 あ、あれを書こうと思いついても、年のために昔の日記を読み返してみると、きっちり書いてある。 覚えていても、さすがにこういうところには書けないような話もけっこうある。ううむ弱ったぞ。


こんなのはどうだろ?

ぼくが小学校のころから、ぼくの家には(当時、流行していた)富士フイルムの 8 ミリの撮影機と映写機があって、ぼくはけっこういろいろなものを撮影していた。 カメラを動かしつつ手ぶれせずに上手に撮る技術も身につけていた(つもりだった)。

それで、東京に来たとき、高田馬場の曾祖母の家で彼女の動画を撮影したことがある。

あの頃は彼女も元気だったのだろう。 昔の日本の家にときどきある、傾斜の急な細い階段をあがった二階のベランダじゃないな、物干し場で彼女を撮影した動画があった。 しかし、動画のなかの曾祖母は、物干し場の手すりと高田馬場の街を背景に、きちんとポーズをとって動かずにじっとカメラを見ていた。 そこらで、撮影中のぼくが「おばあちゃん、動いてよ」と頼んだのだろう。 曾祖母はそのままぺこりと頭を下げてお辞儀をし、また、もとのように動かずにカメラをみていた。

って、これじゃあ、ただのほのぼのしたおばあちゃんの話だなあ。 曾祖母の常軌を逸したもの凄さとは無縁のエピソードだ。


じゃ、これは?

曾祖母の近所に住んでいた幼稚園生だか小学校低学年の子供が、めっぽう「はさみ将棋」が強いというのが近所でもっぱらの話題になったそうだ。 大人に勝ってしまうこともあると。

この子と 100 歳を越えるおばあちゃんを対戦させたら面白かろうと思いついた人がいた。 そこで、近所の誰かが、曾祖母のところに子供と「はさみ将棋」をさしてくれと頼みに来たそうだ。

曾祖母は引き受けて、その子供やら近所の人やらが曾祖母の家にやってきて対戦がおこなわれたという。

「で、どっちが勝ったの?」と聞くと(ぼくは、いつものように、高田馬場の曾祖母の家で彼女と対面して話をしていた)、曾祖母はきっぱりと「そりゃあ、負かしてやったよ。天狗になっちゃいけないからな。大人にはかなわないということを教えとかなけりゃ」答えた。

うううむ。これでも普通すぎだなあ。

今はもう思いつかないので、もっとすごいエピソードを思い出すのを来年の 4 月 1 日までの宿題としておきます。


2010/4/8(木)

入学式。 快晴である。早くから咲いていた桜も散らずに立派に咲き誇っていて、実に入学式日和。

1 日の日記にあるように(←あれ?)、週末あたりから実に 2007 年以来の久々の風邪引き。 熱は出ないが喉が痛いのである。 今週は 3 日間ずっと家にこもってひたすら論文を書いていた。 「風邪は 3 日で治る」と信じていたのだが、未だに喉が痛くて咳がでる。こまったものだ。

相変わらず学科主任として壇上に座る。 新入生の入学を祝福する気持は誰にも負けないつもりだが、式典は嫌い。 卒業式の日の雑感(3/20)に「学長や院長の話はポイントが不明確で長すぎる」と書いたが、あの程度で愚痴ったことを反省しよう。 今日はお二人とも、さらに長く、いっそうポイントが不明確であった。 的確なスピーチをすることを教えるのもプレゼンテーション教育の一環なのだから、ここで規範を示すべきだと思うのだがなあ。


風邪で喉が痛いかなとの不安もあったが、教員紹介、写真撮影、ホームルームでのオリエンテーションでは、元気に大きな声をだしていた私である。 物理学科の新入生たちは、なかなかに素直でリアクションも良い。 既にクラスで仲良くなり始めている印象も受けたし、うれしいかぎり。 やっぱり、若い学生さんたちに接することでエネルギーをもらって、こっちも風邪など吹き飛ばして、元気になるのかもしれない。

と思ったが、終わってみると、やっぱり相当に疲れていた。エネルギー奪われてるかも。咳が出るわい。


2010/4/9(金)

さあて、ようやく風邪から完全復活!

のつもりだったが、相変わらず咳がひどいので、再び医者に行く。 「風邪なんか三日で治るはずだったのに・・」と呟くと、きっぱりと

「風邪は、三日で治らない」
と断言する先生。 そうですね。そういう蔓延している「ニセ医学」的迷信はきっぱりと否定しなくては。
というわけで、家にこもってひたすら仕事をする。

懸案だったレフェリーレポートを二つ書き上げる。一つはダメで、一つはオッケー。 さらに、もう一つのレフェリーの依頼については適任者を紹介。 ふう。これでちょっと肩の荷がおりた。

風邪の初期の三日間で書き上げた論文草稿に関して、中川さん、小松さんと、様々な議論。 こういう具体的な作業になると、Google Wave (こちらを参照)は激烈に便利(時々のろくなるけど)。もはやメールでの議論には戻れない気がする。 ここで Google に「もうやめました」と言われたら本当に困ってしまう。Google のみなさま、どうか、継続してください。研究費からお金を払えるようにしていただければ、有料でも使います。

ともかく、ずっと机に向かっているしかないので、(雑用メールも書いたけど)先月に書いた統計力学の基礎に関わるノート(arXiv はこちら、詳しくは 3/31 の日記を参照)に関連して、二件のメールを書く。一人はアメリカで、一人はドイツか。 と、面白いタイミングで、同じノートを読んでくれた人からメールと論文草稿が送られてきて、少々やりとり。 みんな結構プレプリントサーバーをチェックしてるんだなあと感心。 こっちはフランス。

こうやって家にこもってごそごそと Mac をいじっているだけで、遠くの人たちとの議論や交流が進むのは、やっぱりうれしい。 やっぱ、これ以前の時代のやり方にはもう戻れないよね。


2010/4/16(金)

既に何ヶ月か前のことになってしまったのだが、突然ぼく宛に一通のメールが届いた(←ま、メールというのはかならず突然やってくるものだけど)


差出人の苗字は K。

それをみただけで「あ、K だな」と、高校三年生のときのクラスメートの K のことを思い出した。 ぼくは、(いつも内緒で書いているように)大学時代のクラスメートでさえ忘れかけているほど記憶力がない(というか、「記憶しようという気力がない」のかもなあ・・(←あ、思いつきでパッと書いたけど、案外いいこと言ったかも!))ので、高校時代のクラスメート で、しかも男 に即座にピントがあったというのは、 自分でも相当に意外なことだった。 少し前に高校の同窓会に行ったりして(2008/7/6)少しだけそっち方向に頭が向いていたというのが助けになっていたとは思うけど。

K は京大の医学部を志望していた(で、実際に行った)ので、まあ、K とぼくとはクラスを代表する「理系の秀才」だったと言っていいだろう。 また、当時のうちの高校ではプログレッシブロックを聴くなんていうのは割と少数派だったけど、K もぼくも(ちょっと嗜好はずれていたと思うけど)プログレ好きだった。 というわけで、ぼくらは意気投合し「医学と物理学と目指す道は違うけれど、ジェネシスやイエスを BGM に受験勉強し、刺激し合ってともにがんばろうね!」と毎日図書館でいっしょに勉強したかというと、もちろん、男子高校生というのはそういうものじゃない。 別に敵対するわけじゃないけど、微妙な排他原理がはたらく具合で、互いに意識はしつつも深入りせずに相手のことを見ていたんじゃないか(←ツンデレかよっ!)と思う(他人事みたいですんまへん。なんせ記憶が朦朧としているので・・)。 実際、K は当時を回想してぼくのことを「高校時代からいつも超然とした感じ」だったと書いているけれど、ぼくの(曖昧な)記憶のなかの当時の K のイメージも、やっぱり、まわりにとらわれず(ちょっと偉そうに)飄々と、また、超然としている高校生なのである。

K は、ごく最近、仕事で東京にやってきたついでに、やはりクラスメートだった K (←おまえら、同じイニシャルでややこしい)と出会って酒を飲み、その際、ぼくの近況を聞いたそうだ。 この二人目に出てきたほうの K は、先日の同窓会でぼくに出会っていて、ぼくが「田崎で Google 検索すると俺が二番目に出るから見ろ」と言っていたのを、一人目にでてきたほうの K に伝えてくれたのだった。 それで、一人目に出てきたほうの K が(←で〜、いちいちめんどうじゃ。どっちか苗字変えろ)京都の自宅に戻ってから「田崎」で検索し、三番目に出てきたぼくのページをみてくれたというわけである(ちなみに、Google は個々人の検索履歴を記録して、その人の嗜好を調べている。K の場合は、実はワインが趣味なので、ワインの田崎さんがぼくよりも上に来たのだと考えられる。ちなみに、ぼく自身は検索履歴を記録しないように設定している)。

注:「二人目にでてきた K」はこれ以降はこの日記には登場しないので、以下で K といえば「一人目に出てきた K」を意味する。た だ し、「二人目にでてきた K」についても、実はちょち面白い話があるのじゃ。それはまた自戒じゃねえ自壊じゃねえ次回のお楽しみとしよう(なんで、「じかい」の変換の優先順位がこんなになってるんじゃろ?)


K は、この「日々の雑感的なもの」などを読んでくれて、いくつか共鳴するところ(主として、Perfume とか、Perfume とか、Perfume とか、Perfume とか、SF とか、Perfume とか)があったようで、ぼくにメールをくれた。 卒業以来の再会(つっても会ってないけど)だから、32 年ぶりくらいか? くらくら。 K は京大の医学部を出て、研究生活にも携わったあと、今は眼科医として大きな病院の眼科部長をしており、また大学での臨床教授というものも務めているそうだ。 それは想像できる順当な出世ぶりなのだが、実は、K は若い頃から医学のかたわら作家としても活動しているという。 別唐晶司というのが彼のペンネーム。 短編「螺旋の肖像」で新潮新人賞をとっていて、主著「メタリック」は三島由紀夫文学賞候補にもなっている。 調べてみると、SF 批評家の大森望さんは、書評で「メタリック」に☆四つをつけ「今年の日本 SF の収穫に挙げておきたい」と評価していた。 公式ページ
別唐晶司作品庫
には新作のハイパーリンク小説「あしたをはる」も公開されている(縦書き文庫版「あしたをはる」が読みやすいかも)。

今まで作家にリアルで会ったことがないとは言わないが、K のように昔から知っている(まあ、正確に言えば、昔しか知らなかったわけだが)人が作家になっているというのは、もちろん初めて。 これは、なかなか、普通ではあり得ない楽しい状況ではないか。 さっそく新作を読んで気に入ったので、すぐにアマゾン経由で「メタリック」を注文し中古品を手に入れた(これでは作者には一銭も入らないわけだが、相手は眼科の大先生なので、そういうことを気にする必要はないじゃろう)。 一読して、テーマといい筆致といい、これはぼくの趣味にあう作家だと思った。 あるいは、たとえ K が書いたのでなかったとしても、これは心に残る作品だと感じた。 後はそのままの勢いで、「新潮」に掲載されていた作品もバックナンバーを図書館で借りて目を通し、別唐晶司の公表された小説はすべて読破。あっという間に、別唐晶司の忠実なる読者になっていた。 作品の断片的な感想などを作家その人にメールで書き送ってレスポンスをもらうことができるのも実に初めての体験で、愉快きわまりない。

ここで別唐作品の解題をするつもりは毛頭ないが、ほんの少しだけ。 作家・別唐晶司を際だたせる一つの重要な要因は、なんといっても、彼が医学を修め、基礎研究も体験した上で、現役の眼科医(しかも、察するに世界的に見ても一流の手術の腕をもった眼科医のようだ)として人生を生きていることだと思う。 自らの頭脳と目と腕を商売道具に、患者の肉体、特に目を客観的対象とみて超絶技巧の治療をおこない、さらに、「先生」として生身の人間である患者と接するということを日々体験しているのだろう。 そういう舞台設定からこの世界を眺め考え生きている人の作品からは、世界をみる新しい視点を知ることができると期待できるし実際にそうだと思っている。 さらに、「あしたをはる」や彼のブログを読めばわかるように、別唐晶司は、某匿名巨大掲示板やニコニコ動画をはじめとした日本のネット文化、ヴォーカロイド文化(←ぼくは、これは全くダメなのだなあ。またそのうち書くかもしれないけど。)、シューティングや格闘ゲームの文化、あるいはアニメ文化などにも深く傾倒している。 そのあたりのバランス、あるいは、アンバランス感が今後の作品にどう反映してくるかも実に楽しみだ(まあ、本業が忙しくてなかなか執筆はできないようだけど)。 せっかくなので、ファンとして、別唐晶司作品の紹介のページを「はてな日記」のほうのアカウントに作っておいたのでご覧いただければ幸い。


しかし、こうやって、K というか別唐晶司の作品に喜んで接していて、ぼくはふと一つの重要なことに気づく。
ぼくは、K が作家になって純文学作品を書いていることに嫉妬していない!
「そんなの当たり前だろ。おまえは数理物理学者であって、作家でも文学青年でもないんだし。」と思うだろう。 それはその通り。 ぼくは文芸部に入っていたこともないし、小説をこっそり書いて投稿したこととかもない。

それはそうなんだけど、やっぱり、子供の頃から人生のかなりの部分を本の世界で過ごし、特に高校から大学くらいのいわゆる青春の多感な時期にはある種のブンガクに相当に埋没して生きてきたと自覚しているぼくにとっては、作家というのは特別な意味のある立場だ。 若い頃は、自分が自分にしか書けない小説を書くことを夢想したことは何度もある。 本当に面白い小説を読んだ後に無性に興奮して、自分もいつかは何かを書くべきだとわけの分からないことを考えて眠れぬ夜を過ごしたことも少なくない。 もちろん、何も書かないし、小説を書くトレーニングもしないわけなので、ほんとうに青臭い愚かな夢想なのだけど(←書いていて恥ずかしい・・・)

そんな「書かざる作家」的アホな若者であった時期のぼくが、K が小説を書いていると知ったら、九分通り

「なんで K なんかが小説を書いているのだ! そんなの絶対に大したことないに違いない。俺こそが本当にブンガクと小説のなんたるかを知っているのに。ぎぎぎぎ。くやしい」
という馬鹿丸出しのリアクションをしたに違いない(もちろん、密かに、人に悟られぬように)。 そして、作品を積極的に手にとることもしなかったろう。

いや、そこまで馬鹿じゃないでしょとおっしゃってくださる方にはお礼をいいたい。 でも、本人のことだからよく分かる。 K = 別唐晶司が新人賞をとったりしていた二十年ほど前だって、(もう、かなり大人にはなってたけど)そのことを知っていたら、これに近い愚かな反応を示していたんじゃないかな?  いや、十年前だって、あやしいものだ。

その後、何かがあったというわけじゃない。 今でも小説を読むのは人生の重要な一部分だし、作家への憧れは消えていない。 でも、どこかの段階で、ぼくは、自分は(少なくとも今回は)小説を書くために生まれてきたんじゃないということ、というか、この人生では人に読ませる意義のある小説は書けないんだということを意識し納得したみたいである。 なんという偶然か、K が小説を書いていたことを知ったのは、その「納得」が(いつなのかは分からないものの)完了した後になった。だから、ぼくは全く斜に構えることなく、ひたすら無邪気に彼の小説を読みまくって感想をメールで送ったりできたのだと思う。

こう書いてくると、ぼくがしょっちゅう「自分は歳をとった自覚がない。まだ、23 歳くらいの気がする」と表明しているのはかならずしも真実ではないということになってしまう。 というより、自分でも今その事実をきちんと認識して、ちょっとびっくりしているのだ。

ぼくが(天気のよい気持ちいい日とかに、体調もよくて、いろいろなことを真剣に愉しく夢想しながら歩いていたりして、しかもまわりに鏡がないと)自分が 23 歳くらいの気分がしている --- というのは、紛れもない事実である。 ただ、この「23 歳」というのは、「23 歳のときの田崎晴明」そのものとは一致しないということなのだろう。

相変わらず、無責任だし、やりたいことがいぱっいあるし、権威が嫌いでなんとなくふざけたところがあるし、その割りには案外ひ弱でビビリなところもあるし --- 的な意味での「23 歳」だけど、それは「23 歳のリアル田崎」とは随分と違っているということだ(「歳をとって角が丸くなったのですよ」とおっしゃるかも知れないが、本人としては認めないのでご了承を)。

こういう、(言われてみれば当たり前のことを)身をもって実感できたという意味でも、旧友 K との再会、そして、作家・別唐晶司との出会いは、ぼくにとって、思った以上に素敵なイベントになったのであった。 K がぼくにメールを出してくれるきっかけを作ってくださったみなさんに以下で感謝する次第である。





あ〜ちゃん、のっち、かしゆか、ありがとう! ファンクラブ T シャツ買ったよ!!


2010/4/17(土)

朝、ベッドのなかで半ば目覚めつつ重く途切れのない雨音を聞きながら「ああ、この大量の雨で噴煙が流されて飛行機が飛ぶようになれば Raphael もちゃんと来日できるかも」などと考えていた。 実に様々な意味で寝ぼけた考えであった。 (それにしても、ゴミを捨てに外にでると、車の屋根に雪が積もっている! 気候が寝ぼけているのか??)

以前からアナウンスしているように、友人で(かつての)共同研究者の Raphael Lefevere が 18 日から日本に来るというので、20 日にセミナーをしてもらう計画になっていた。 だが、アイスランドで二百年ぶりか何かの火山噴火があり、ヨーロッパの広範囲で空港がが完全閉鎖されている。 先ほどニュースを見たが、閉鎖範囲は広がるばかりで、フランスやベルギーから飛行機が飛びだつ見込みはなさそうである。 20 日のセミナーは中止になる可能性が大いに高まってしまった。こんなこともあるのだねえ。


二、三年ぶりに引いた風邪は驚くほど長引いた。 しかも、風邪そのものが治った(と思われた)後にも喉の微妙な痛みと乾いたような咳が随分と続いた。 素人の自己診断による感想だが、風邪が去ったあとにも「喉に物理的ダメージが残った」感がある。

水曜日の初めての量子力学の講義の後は、しばらく喉が痛く辛かった。 幸い、昨日の一年生の最初の「数学 II」の講義では、喉は完全に復調していた。それがうれしかったせいもあったのか、「トークモード」全開になってしまって、予定をはるかに越えて延々と「物理とは何か?」的なテーマで話しまくってしまった。 来週からはガチで数学をやるど。


さて、今日はお茶大で笹本さんのセミナーがある。

数理物理・物性基礎論セミナーのお知らせ
数理物理・物性基礎に関する話題についての情報交換・議論を行なうセミナーが新たに始まりました。 ぼくもいちおう世話人に加えてもらっています。 第 1 回の 4 月 17 日は笹本さん。 ごく最近 Spohn といっしょにされた KPZ 方程式に関する重要なお仕事について、ご本人からお話を聞けるのは素晴らしいことです。 みなさん、お気軽にご参加ください。

ベッドで半ば目覚めつつ「噴火の影響で笹本さんが来られなかったらどうなるだろう?」などと思いそうになるが、実に様々な意味で寝ぼけた考えである。
2010/4/20(火)

学期が始まって自転車操業が続く。 なんせ、月曜と水曜の講義がまったく新しく、春休みのあいだの講義の準備の蓄積が基本的にゼロなので、しんどいに決まっている。自業自得だが、それでいいんじゃ。

ところで、未だに、ときどき喉に違和感を感じる。風邪そのものは大したことなかったのに、この後遺症のしつこさは異常。


さて、今日は Raphael のセミナーの予定だったのだが、アイスランドの噴火であっさりキャンセル。

アイスランドでの噴火の影響で全ての飛行機が欠航し、Raphael Lefevere 氏のフライトもキャンセルされました。 誠に申し訳ありませんが、セミナーはキャンセルさせていただきます。 本人からも大変残念であり申し訳ないとのメールが届いています(4/17)。
Raphael Lefevere さんのセミナーのお知らせ
私の友人であり共同研究者でもあるパリ第七大学の Raphael Lefevere さんが来日されるのでセミナーをしていただくことになりました。 ご興味のある方はお気軽にご参加ください。 せっかくなので建ったばかりの理学部の新棟の会議室を使います。
Raphael Lefevere, "Energy transport in local collisional dynamics out of thermal equilibrium"
2010 年 4 月 20 日(火)16 時から (学習院大学、南 7 号館 4 階・理学部会議室 )中止しました。

こんなこともあるのだねえ。

少し余裕ができたが、明日の量子力学の講義の準備と、最近少しずつ進めている大学の部屋の片付け(=大量の資源ゴミ捨て)を少々やったら夜になった。


昨日の月曜は駒場での「現代物理学」の第一回。今年のテーマは「エントロピーをめぐって」である。 まだ中身はあんまりないけど、講義の専用ページはこっち

去年は「対称性の自発的破れ」を取り上げたので「ノーベル賞効果」もあって、初回に三百人近い学生が集まってしまった。まあ、主催者側発表だけど。 で、馬鹿でかい、使いにくい教室に移ったが、それでも主催者側発表で二百名を越す出席者があった。 最後のレポートは、主催者側もへったくれもなく、ガチで 249 名分に達したのであった。あの採点は本当に大変だった。

今年の教室は137 名が定員の中教室。うううむ。これまで割り振られたなかでは一番小さな教室だなあ。 実は、あまりに人が多いと困るので、シラバスにまで、

これは通常の物理や数学の講義に飽き足らない人がとる講義なので安易な気持でとらないほうがいい。去年も「ひどいめにあった」という感想を書いた学生もいた
と書いておいたのだが、それでも、ちょっち不安。 どうなるかなあと様子をみていると、けっきょく、137 名分の座席に一つの空席もなく最密充填で座って、それでも立ち見の人が十名くらい最後までいた。申し訳ありませんでした。 ともかく、一回り大きい教室をさがしてほしいと教務委員に連絡しておきました(付記:723 号室に変更になりました)。

初回の講義は、ひたすらしゃべりまくり、最後にちょっとだけ確率論とシャノンエントロピーの定義。 これから、情報理論から熱力学まで、エントロピーを介して眺める学問世界の旅にでようという趣向。

と、かっこよく旅立ったのはいいが、実は、シャノンの定理の次にやることさえちゃんと考えていな〜い。 熱力学・統計力学で取り上げる題材が決まらず、午後、佐々さんのところでだべりながら何かいいアイディアはないかなあと聞くと、佐々さんは迷わず「一番いいのは○○の○○○でしょ」と即答!

おお! それ、いい。もらいます。ありがとうごぜえます。これで、一気に講義の見通しがついた気がした。ほっとした。 持つべき物はエントロピーネタが豊富な友である(というか、ここで佐々さんに教わってなかったら、どうなったか考えると怖い)。 見通しがつくと、さらに色々やりたいという欲もわいてくる。「ひひひ、ここまで来たらかまやしねえ。俺にも登場させろよ」という××の囁きが聞こえてくる。ふふふ。これは愉しいぞ。 また、来週に駒場に行ったときに色々と相談しよう。しかも来週はちょうど格好の人が駒場に来るのもラッキー!


さらにさかのぼって、前に日記を書いた 17 日には、以下のセミナー。

数理物理・物性基礎論セミナーのお知らせ
数理物理・物性基礎に関する話題についての情報交換・議論を行なうセミナーが新たに始まりました。 ぼくもいちおう世話人に加えてもらっています。 第 1 回の 4 月 17 日は笹本さん。 ごく最近 Spohn といっしょにされた KPZ 方程式に関する重要なお仕事について、ご本人からお話を聞けるのは素晴らしいことです。 みなさん、お気軽にご参加ください。

KPZ についての重要な進展を聞きたいと思った人が多かったのか、 ゆったりと予備知識から話すというセミナーの趣旨がよかったのか、憧れのお茶の水女子大学の入れると喜んだ人が多かったのか、 セミナーはすごい盛況。 出口さんが調べたところ(←出口調査だよね。って、彼は、大昔からそういうこと言われまくっているだろうけど)出席者は 70 名くらいだろうと(主催者側発表)。 でも、ほんとうに教室がびっしりと埋まっていたよ(ちなみに、この日記を見て来ようと思ったと何人かの方に言ってもらえたので、世話人として少しは役に立ったかなと思えた。ありがとうございます)。

笹本さんは、初等的に式の変形もすべて見せるレクチャーと新しい話の結果と意義を紹介するセミナーの二本立ての企画を立てて、丁寧に準備してきてくれていた。 われわれが細部まで質問しすぎたこともあって、けっきょく用意してきたこと全ては話せなかったのだが、それでも、聞いていてきわめてためになった。 ランダム行列の固有値分布なんて、今まで結果だけみて恐ろしげだなあとしか思わなかったけど、やれば自分でも出来そうだ(いや、その気になれば、絶対にできる)ということがわかった。これだけでも大収穫。

笹本さんとしては、このあたりの数学的な手法の感覚を聴衆に肌で知ってもらった上で、Spohn との最新のお仕事を話したかったのだろう。 もちろん、新しいお仕事は、技術的には、明らかに数段階上のすさまじいものだが、それでも、簡単な計算を知っていると、似たような表式がでてきたとき何となく親しみを感じられるものだなと実感。

KPZ 方程式の厳密解の話は、予想通り、たいへん迫力があった。 「これまでの諸結果を上手に組み合わせた」というストーリーは分かったが、どう考えても、ただ組み合わせるだけで、ああいう表式がでてくるはずもない。 そのあたりの語っていない部分に、すさまじい計算が隠されているのだろう(←「やれば自分でも出来そうな気」は全くしない)。

終わった後は、若い人、同世代の人、年配の人たちと飲み会。 出口さんをはじめ主要な世話人に実行力があるので、こういうところも実に手際がよい。 風邪でずっとお酒を飲んでいなかったので、久しぶりのビールだった。うまかった。いっぱい飲んでしまった。 楽しいメンバーで話題は尽きずあっという間に二時間が経った。


2010/4/27(火)

理学部恒例の歓送迎会。 ぼくは、これまた恒例で司会のマイクをもつ。

冒頭の挨拶、乾杯、去っていく人・新しくやってきた人たちの紹介・挨拶もすべてスムーズに進み、自由に歓談する時間のたっぷりある理想的な会になった。

食事をしてビールを少し飲みながら、色々な人と話す。 まず、化学の人と分子振動の緩和の話題からはじまって(ぼくが考えているような)量子系での平衡への接近の問題について議論。 さらに、数学の人たちと多体系のシュレディンガー方程式でぼくがやってみたい夢について語る。 きわめつけは、生命科学科の岡本さんと、熱力学やエントロピーから始まって、生体膜や分子モーターや触媒の話をはさみつつ、ついには、マックスウェルの悪魔と情報の関わりについて延々と議論。 医学部出身で発生生物学の第一人者である岡本さんが、へたな物理学者なんかよりも熱力学を深く理解しており、マックスウェルの悪魔についても若い頃から関心をもっていろいろな文献を読んでいることにただただ驚く。 おまけに、まさに昨日、駒場での講義とセミナーのあとの佐々研での雑談で、マックスウェルの悪魔に関して 悪魔に魂を売った人たち このテーマに実に詳しい人たちに色々と質問して議論していたところなのだ。 この絶妙のタイミングも驚きである。やはり、悪魔のお導き・・・

こうやって、理学部の他の学科の人たちとも顔見知りで、気楽に世間話や学問の話ができるのは、実にうれしいし、きわめて素晴らしいことだと思っている。 そもそも(数学を含む広い意味での)自然科学とは、世界に立ち向かう「構え」なわけで、幅広い分野の人たちが自由に議論し知識や視点を伝え合う土壌があってこそ真に豊かに進展していくもののはず。 数学、物理、化学、生命科学がそろっていて、教員どうしはみんな顔を知っていて何でも気軽に話せるという、ここの理学部の環境には、ちょっと大げさだけど、自然科学の理想の姿があるとさえ思っているのだ(もちろん、大きい大学でも、十分に積極的な人はどんどん他の分野の人と交流できると思うけど。Princeton での Ian Affleck なんて、数理物理学のわれわれと共同研究するかたわら、ひょいひょい化学科に出かけていって議論していた)。


2010/4/30(金)

豊島区のプールのプリペイドカードを財布から取り出してみると、最後の日付が 3/22 になっている。 日記を調べてみると、昨年の 12/6 から週に一回 1000 メートルの水泳をずっと続けており、それが、この 3/22 まで続いたことになる。ほぼ四ヶ月。その間、冬のまっただ中でもまったく風邪もひかなったわけだし、なかなかの健康生活である。 それに、プールで泳いで体が活性化したほうが研究にむけたエネルギーが高まるということも前から書いているとおり。

しかし、その次の 3 月末の週末にはとうとう風邪気味になってプール行きを断念せざるを得なかった。 しかも、わが家から自転車で 5 分くらいのところにあった温水プールが、なんと 3 月いっぱいで閉鎖になってしまったのである。

4 月に入ってからは、どうも風邪気味のままだし、近所のプールはもうないしで、プールに行かないままの日々がだらだらと続いてしまった。 嗚呼、これで 4 月はもうプールは無理か? いや、最後のチャンスがこの 30 日ではないか!

というわけで、午前中はしっかりと講義をし、午後も雑用を複数しっかりとこなしたところで、まだ体力に余裕があったので、夕方から早稲田方面に自転車でむかって公園の中の温水プールへ。 水は深く冷たく、水のなかにいるだけで本能的な快感がある。 既に遅い時間のせいか、プールは若者たちで混んでいたが、幸い、自由遊泳コースの端を、黙々とゆっくり歩くおじさん(←知らない人)と、休み休みゆっくりと泳ぐおじさん(←わし)で使わせてもらえる形になり、自分のペースで泳ぐことができた。 さすがに一ヶ月ぶりだと、200 メートルあたりで異様に苦しくなるのだが、600 メートルくらいを越したあたりから急に筋肉が動き出して楽になる。 無事に気持ちよく 1000 メートルを泳いだ。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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