学習院大学 東洋文化研究所The Research Institute for Oriental Cultures

研究プロジェクト

一般研究プロジェクト

A20-4 中国古代帝国における地方豪族勢力に関する出土資料データの整理(2020年度)

 

構成員
代表研究員 鶴間和幸
研究員 島田誠
客員研究員 村松弘一 菅野恵美 長谷川順二 惠多谷雅弘
(1)研究の目的・意義

中国古代帝国の形成については,1960年代から日本の中国古代史研究において重要な課題として様々に議論されてきた。とくに地方勢力である漢代の豪族の存在は,古代帝国の皇帝権力を生み出し,またそれを支える重要な勢力と見るか,はたまた否定的な存在と見るか見解が分かれるところである。中国史上最初の帝国である秦帝国はたしかに地方豪族勢力を基盤とした権力ではない。統一時には旧六国の有力豪族勢力を都咸陽に強制的に移民させている。秦帝国が短期的に崩壊するなかで,地方から立ち上がったのは,陳勝・呉広らの農民反乱勢力であり,それに連係して秦帝国を崩壊に導いたのは項羽と劉邦の反乱集団であった。項羽と劉邦は地方豪族とはいえないが,地方の様々な階層を取り込んだ集団であることは間違いない。項羽と叔父の項梁は亡命地の呉の地方の民衆の信頼を得て反乱集団の起点とした。劉邦は秦帝国の末端の村の下級官吏でありながら,沛地方の郡県の下級官吏や様々な職業者,農村から都市にはじき出された無頼の少年たちを取り込んだ。両集団は在地に止まることなく,各地域の反乱勢力と結びついて巨大な二つのエネルギーの形成し,最後の決戦では劉邦集団の勝利に終わった。そこで生まれた漢帝国は,400年にも及び,西のローマ帝国にも匹敵する安定した政治権力を継続させた。本研究では,前後漢400年間の全国の郡県におけるあらゆる人物を,文献史料,石刻資料,漢墓など発掘資料を整理して『漢代姓氏分布表』を完成させることにある。この資料が完成すれば,中国古代帝国を支え地方勢力の実態が明らかになり,中国古代史研究の発展に大きな寄与をすることになる。ひいては中国を現代にいたるまで単純に巨大な専制権力の継続とする見方に反省を迫ることになるであろう。

(2)研究内容・方法

『漢代姓氏分布表』の基礎的な作業は1970年代までは終えており,その成果は学界には未発表である。その成果を抜粋した「漢代豪族分布表」は代表研究員が1978年に発表した「漢代豪族の地域的性格」(『史学雑誌』87編12号)に掲載している。この成果は日本の中国史研究者は勿論,中国の研究者にも大きく評価され,現在に至るまで引用件数は計り知れない。その基本資料の『漢代姓氏分布表』は,多くの研究者から閲覧が希望されている。私家版のために,一部の研究者の閲覧に止まっている。そこでその後40年近い考古資料を整理し,完全な形で刊行を目指したい。刊行の方は出版社の援助を得る予定である。世代を超えた日中の若手研究者に成果を引き継がれることを期待している。作業の内容は,考古系の雑誌から漢代の墓葬の報告論文をチェックし,やはり私家版である『漢代郡県地図』に記入し,墓葬の被葬者である人物の姓名が判明する場合は,郡県地図で墓葬の位置を確認して『漢代姓氏分布表』に記入する。旧データはパソコン上のエクセルに移したうえに,新たなデータを打ち込むことになる。『漢代郡県地図』も画像データとして作成しながら,あらたな墓葬資料を加えていくことになる。すでに復旦大学が編纂した『中国歴史地図集』戦国秦漢巻は,考古資料を活用していないので,『漢代郡県地図』は『中国歴史地図集』を修正するものとなり,こちらも学界に貢献するものとなろう。中国で刊行されている各省別の『文物地図集』は出土地を地図に落としており,大変参考になる。客員研究員の長谷川順二(博士・史学)は交通情報の分析の専門,また惠多谷雅弘は衛星画像分析の専門,郡県地図の作成に当たって衛星画像の活用(県城遺跡の確定など)を考えている。研究員の島田誠はローマ史の専門,同時期の中国古代帝国との比較の立場からの助言を期待している。村松弘一,菅野恵美は秦漢史専門の立場から,本作業への指導を期待している。