学習院大学 東洋文化研究所The Research Institute for Oriental Cultures

研究プロジェクト

一般研究プロジェクト

A20-3 近代の建国理念をめぐる日中間の相互影響(2020-2021年度)

 

構成員
代表研究員 中田喜万
研究員 小野泰教
客員研究員 楊際開 田頭慎一郎
(1)研究の目的・意義

 近代化といえば西洋化と同義に語られることがある。しかしながら東アジアの近代において,例えば幕末の日本はまず清朝から輸入される漢籍を通して「文明」を学び,その中で西洋諸国の地理・歴史・法制などの情報も受けとった面がある。また日清戦争の敗北の衝撃は,中国から多くの留学生が日本にわたって日本の近代化を学ぶ誘因となった。両国の間の双方向的な思想の授受ないし影響関係は,当然ながら東アジアの近代を考えるための最も重要な面の一つであり,事実これまで豊かな研究成果が生みだされてきた。当研究プロジェクトも,この動向をふまえて,さらなる進展を図るものである。
 われわれは特に「建国」をめぐる政治思想に注目する。伝統的な秩序観と決別し,近代国民国家モデルを実現させようというナショナリズムの運動は,B.アンダーソンの議論によれば,ほぼすべてが他国のそれのコピーであるという。そのこと自体は東アジアでも看取されるところで,まさに日本の「維新」に倣おうとした中国や朝鮮の知識人がいたことは知られている。しかしながら,もっと重要なことは,単純なコピーをしようとしても実際はそうならずに,むしろ,日中間の思想の往来を通して,近代にとって余分な要素をコピーに加えたり,または大事な要素をコピーし損なったりして,結果として多様な思想的文脈をうみだしたことであった。その思索の跡をたどる旅は,各国に潜在した,近代化の別の可能性を検証することであると同時に,東アジアの国際関係の再構築の手がかりを得る試みにもなるだろう。

(2)研究内容・方法

第一には政治体制論の比較研究である。西洋近代の新たな政体――「共和」(ないし「合衆」)と翻訳することにした――のことを考慮しつつ,しかし日本は立憲君主政を選んだ。加藤弘之の初期の『隣草』が清朝の末期症状を他山の石としたように,また福沢諭吉の一連の議論のように,洋学者らにとってアジアは克服されるべきものであったが,他面において,その日本が創造した新たな君主像は,西洋をモデルとする前に,明清朝の皇帝をモデルとしたことにも注目したい。禁裏御所から御門をかつぎだし,公文書の上で「天皇」とも「皇帝」とも表記し,明清朝の一世一元の制を採り入れたのが,明治新政府であった。そしてこの日本の動向を中国の側はどう見たか,また中国自身は西洋近代とどう向き合ったか,探っていきたい。清末の開明派官僚の思想を,郭嵩燾から梁啓超まで3世代ほどの期間たどり,辛亥革命後までの見通しを得たい。
 第二に国家観の前提としての世界地理認識の変容の研究である。つとに源了圓らの指摘によって,魏源『海国図志』の影響の大きさが知られるが,その当時の世界地理書の系譜に関する包括的調査が今なお必要である。書誌学的部分からの基礎的研究をめざすとともに,それらが果たして伝統的な水土論をどれだけ駆逐できたか/できなかったか,という視点も忘れることができない。例えば,幕末の学習院に勤めた座田維貞の著『国基』は,水土論にもとづき易姓革命を否定する。これが乃木希典によって再評価されるという事例もある。他方で,蕃書調所の開設以降,日本では洋書を,漢籍を通さず大量に和訳することになる。その洋学者らの仕事は,果たしてそれまでの漢籍による言説とどう内容が異なるのか,検討する。
 なお,当面の研究は研究者の構成により日本と中国だけを対象とするが,可能であれば近代朝鮮の思想史研究者もまじえて交流できるようにしたい。