学習院大学 法学部 | 法学科|政治学科

巣立つ卒業生インタビューInterviews with Graduates

♥ 渡辺さんのある1日

6:00
起床
7:00
担当する会社幹部宅を朝回り取材(出勤時を狙ってアポなし取材。公には聞き出せない話を聞くチャンス)
8:30
一度帰宅し、取材メモ作成。担当企業へ電話取材。
11:00
取材先企業の幹部とランチ
13:30
取材先で担当企業役員の取材
16:00
翌朝発行分の原稿執筆、デスクに送信
18:00
デスク確認後、原稿の仕上げ
19:00
担当企業の広報マンと会食
23:00
帰宅して翌日の原稿準備
00:00
就寝

政治と金融の関わり方について、その面白さを教えてくれた「特別演習」。

新聞社に絞った就職活動

 中学生の頃から社会の動きに関心があり、新聞の国際面や政治面には必ず目を通すような子どもでした。学習院大学に入学してからは、新聞記者の仕事を経験したいという思いがあり、朝日新聞社でインターンシップを3年間経験。コピー取りや資料集めといった雑務が主な仕事でしたが、記者会見に同席させてもらう機会もあり、新聞社で働きたいという気持ちが固まっていきました。
 就職活動で応募したのは新聞社のみ。家族や友人からは「無謀じゃないか」と心配されたものの、卒業後1年の“就職浪人”を経て現在の会社に入社し、念願の新聞記者としてのキャリアをスタートさせました。
 現在は金融グループでメガバンクと保険会社、証券会社を担当。日本銀行記者クラブに所属しています。オフィスは日本橋の日本銀行にほど近く、周辺には保険会社や銀行の本社も多いので、普段の取材はオフィスからだいたい1キロ圏内で済んでしまいます。新聞記者というと、あちこちを飛び回っているイメージがありますから、意外に思われるかもしれませんね(笑)。

記事の影響力を感じた新人時代

ゼミで身につけた役に立つ学び

 今でこそ政治経済に直接関わる仕事をしていますが、入社後に担当したのは、100円ショップや生活協同組合といったニッチな業界でした。ただこの時、幸運にも大きなスクープをつかむことになります。2008年1月、日本生協連が販売していた中国製冷凍餃子にメタミドホスという毒物が混入し、全国で中毒事故が相次ぎました。基準値の100倍を超える毒物が検出され、人為的な混入の疑いが強まったことをいち早く報じたのが私の記事でした。一般紙やテレビがこぞって後追いしたことで、入社1年目にもかかわらず社内で表彰されたんです。新人だったので、よくわからないままに取材で聞いた話を記事にしたようなものでしたが、記者として自分が書いたものが社会にインパクトを与えることを知った初めての経験でした

現在につながる大学での学び

仕事にも活きる「やり切る力」

 大学時代、政治と金融の関わりの面白さを教えてくれたのが、2年生の時に受講した「特別演習」です。当時講義を担当されていた村松岐夫教授(現在は退職)ご自身が編集に関わった書籍『平成バブルの研究』(東洋経済新報社)を教材にし、バブル経済の発生と崩壊の過程を、経済や金融面に留まらず政策や行政面から多角的に読み解いていく内容でした。金融機関の経営が傾いていく過程は現在に通じるものがあり、今の仕事の内容にも驚くほどつながっているんです。「歴史は繰り返す」とはよく言いますが、バブルの芽はどこにでもあるのだと考えさせられます。
 野中尚人教授に、ゼミ生ではないにも関わらずかわいがっていただいたのもいい思い出です。政治学科は規模が小さいこともあり、より多くの教授に目をかけてもらうチャンスがあると思います。私の場合はあるとき書いたレポートが野中教授の目に留まり、それがきっかけで朝日新聞社でのインターンシップにつながりました。
 学生時代を振り返り後悔しているのは、本や映画で知識を増やしたり、バックパックを担いで世界の様々な場所を訪れたりするようなことで、学業以外の見聞を広めておけばよかったということですね。社会人になりたての頃は、取材先でずっと年上の方達に接して圧倒されることもしばしばで、そんな時、もっと幅広い経験があればと悔やんだものです。
 マスコミ業界志望の学生さんの中にはミャンマーの難民問題を取材したいなど問題意識が高い方が多いと感じます。しかし実際に新聞社に入ると私が100円ショップ業界の担当になったように、ほとんど関心がなかったジャンルに配属されることも多い。問題意識を磨くのはもちろん大切ですが、それと同時に、日ごろから身近な話題に触れ、引き出しを増やしておくことが、マスコミでの仕事を楽しむコツだと思います。