【講演テーマ】 「現代日本の〈国家意識〉とアジア」を再考する
遠藤薫氏は、政治思想や大衆文化を縦横に論じながら、「日本の〈国家意識〉とアジア」という主題に一貫して取り組んできた。その成果は、学習院大学東洋文化研究所の支援を受け、3 冊の論集『日本近代における〈国家意識〉形成の諸問題とアジア――政治思想と大衆文化』(2019 年)、『戦中・戦後日本の〈国家意識〉とアジア――常民の視座から』(2021 年)、『現代日本の〈国家意識〉とアジア――二つの東京オリンピックから考える』(2024 年)として勁草書房から刊行されている(通称・「〈国家意識〉シリーズ」)。
私たちが、「くに」や「国家」、「日本」や「国民」なるものを想像するとき、その想像力の根拠はどこにあったのだろうか。「日本における政治への参画意識の低さ」や「政治的有効性感覚の低さ」がしばしば指摘されてきた一方で、死すら厭わないほどに「国家」への強い執着が生み出されることもあった。こうした想像力のあり方は、単に法、政府、制度ばかりに還元できるものではなく、もっと日常に根ざしていて、より不定形で曖昧模糊とした何かに依拠しているようにも思われる。遠藤氏は、「〈国家意識〉シリーズ」を通じて、柳田國男の「常民」や福澤諭吉の「客分」の概念、あるいは「義理(公共性)と人情(個人)の止揚」という問題を批判的に検討しながら、「合わない洋服」(遠藤周作)としての「国家」を問い続けてきた。
今回の研究会では、遠藤氏に本シリーズを総括してもらいながら、〈国家意識〉という語にどのような狙いを込めていたのか、この主題はいったい何を問い、明らかにしようとしてきたのかについてご講演いただいた。そのなかで国家、死、常民、メディアという 4 層の構造をめぐる歴史的展開が指摘され、これらの展開を権力と身体の問題として理論的に位置づけながら現代的課題への見通しが示されていった。
遠藤氏の講演を踏まえて、本シリーズの第 3 作『現代日本の〈国家意識〉とアジア――二つの東京オリンピックから考える』に寄稿した執筆者に討論者として参加してもらい、各自が「〈国家意識〉とアジア」という主題をどのように受け止めたのかについて、それぞれの論考や研究関心に基づきながらコメントした。時間の都合上、フロアからの質疑を受け付けることができなかったが、活発な討論がなされ、FT コースの学生も含めた約 10 名の参加があった。