【講演テーマ】 気づき・戦争と人権
ダニー・ネフセタイ氏はイスラエル生まれの60代半ばのユダヤ人男性である。彼の父方、母方ともに、ホロコーストで死亡した親戚が非常に多い。それゆえに彼はイスラエルという国家が樹立されなければ自分がいまここに存在しないかもしれないとは思うが、同時に、イスラエルの多くの人々は洗脳状態にあるが、氏自身は幸運にも、時間をかけてそれから解放されたと考えている。彼は愛国青年として若き日、イスラエルが第三次中東戦争で圧倒的に勝利し、イスラエル軍がアメリカにより装備されるようになってから、パイロットを目指し、それは誰一人当時疑うことのない、イスラエル人最高の名誉となる「かっこいい」職業であった。その職業がたくさんの人を殺しているという意識は皆無だった。彼は訓練、試験というサバイバルゲームで最終段階まで進んだものの、勝ち残れなかった。その後彼は来日して日本で日本人女性と結婚し、木工職人となる。日本で祭りの日、シリアからのアラブ人男性が屋台でケバブを売っていたのを見て、思い切って声をかけ、自分がイスラエルから来たユダヤ人であることを告げ、もしここが中東なら、我々は一生出会わなかったね、と会話をしたのをきっかけに、自分、中東、シオニズムについて、考え方を大きく変えるようになった。だがほとんどのイスラエル人にはこのような機会は訪れぬまま、信頼の置けない男であると自分が通訳の経験を通じて断ずることができる現首相ネタニヤフに国家が引きずられることを、ネフセタイ氏は悲しむ。彼が若いころのイスラエルの指導者には、イスラエルがパレスチナ人から略奪して彼らに犯罪を加えながら、それを公式に認めるわけにはいかない、という偽善者としての内心の呵責が残っていたが、今日の新しい世代にあっては、それすらなく、自分たちユダヤ人の神から与えられた自明の権利であるかのように考える傾向が始まっている。ホロコーストの犠牲者集団が、なぜ民族浄化や Genocide の加害者となり続けるのか、という問いは残る。
根幹には極く単純なこと、つまりユダヤ人が根深く持つレイシズム、があることをネフセタイ氏は否定しない。ネフセタイ氏は問題の解決方法を、日本に学ぶような、平和主義的視点に求めようとしているように見えるが、彼自身の貴重な経験はイスラエル社会の脱洗脳の方法を考えるには有用だが、平和主義をイスラエルに説くだけでは到底不十分である、今日のガザ攻撃行為に喝采するようなことを「恥」として教える諸外国、諸外国民が必要であると企画者には思われた。彼と、例えばアメリカの反シオニズムユダヤ人である Norman Finkelstein とは、反イスラエルとしては同一方向だが、その目的実現の経路について異なると思われた。