学習院大学 法学部 | 法学科|政治学科

誘う教授対談Dialogue with Professors

大学で「法と政治」を学ぶということ
大学で「法と政治」を学ぶということ

大学で「法と政治」を
学ぶということ

「ドブス対ジャクソン判決」から読み解く
知られざるアメリカの実像

日夜、報道されるニュースの多くは、その「背景」を知ることなしには正しく理解することができません。
第一線で活躍する二人の教授の対談から見えてきたのは、
テレビや新聞では伝えられない「法と政治」の意外な関係でした。(2022年11月23日 対談)

庄司 香

多様な情報の
読み分けなくして
本当のアメリカは
見えてこない

政治学科教授
庄司 香Shoji Kaori
専攻
アメリカ政治
研究テーマ
アメリカの政党、選挙、市民運動
担当科目
アメリカ政治Ⅰ・Ⅱ、アメリカ政治演習など
村山健太郎

物事の本質に
迫るためには
そこにいたるまでの
歴史も重要

法学科教授
村山健太郎Murayama Kentaro
専攻
憲法学
研究テーマ
違憲審査の基準、経済的自由権、選挙権と選挙制度
担当科目
憲法Ⅰ・Ⅱ、比較憲法、憲法演習など

村山健太郎(以下、村山) 私が法学科で担当している「比較憲法」は、諸外国の憲法と比較して、日本の憲法を理解していく授業です。私の主要な参照国はアメリカですが、日本の憲法学はアメリカの強い影響を受けているので、日本の憲法を深く理解するために、合衆国憲法を学ぶことには大きな意義があります。

庄司香(以下、庄司) 私は政治学科でアメリカ政治を担当しています。授業では主に現代政治を扱っていますが、じつは建国期からの流れを知らないと理解できないことが少なくありません。憲法の制定過程や、政治制度が設計された背景などを知ることで、今のアメリカ政治の「なぜ」を理解できるのです。

 憲法の背景にある「なぜ」を探るのも、比較憲法学の目的です。正統で有効な政府を構成するためには、どうすればいいのか。民主主義と立憲主義は、どうすれば両立するのか。こういった基本的な問題について考察する際には、幅広い視野が必要になります。

 ハリウッド映画やドラマなどを通じて「よく知っている」と思いがちなアメリカですが、日本のメディアを通じて知ることのできるアメリカ像はほんの一部にすぎず、不正確なところもあります。アメリカ政治を理解するためには、英語力を磨き、多様なソースで情報を正確に読み分けていかなくてはなりません。

 今回の対談では、アメリカにおける政治と法の関係について、ドブス対ジャクソン判決(以下、ドブス判決)を軸に議論していきたいと思います。

合衆国憲法の歴史と特徴

 ドブス判決とは、2022年6月24日に、合衆国連邦最高裁判所(以下、最高裁)が、中絶を選択する憲法上の権利を認めた半世紀前の判決を覆した判決です。これを受けて国内外で大きな衝撃が走りましたが、従来の憲法判断が覆されることになった背景について、「なぜ」と思った人も多いことでしょう。

 ドブス判決が覆したのは、1973年のロー判決です。ドブス判決では、9人の最高裁判事のうち5人が、中絶規制の是非を決めるのは国民と議会であるとして、ロー判決等に違反しうるかたちで中絶を規制したミシシッピ州法を合憲とする法廷意見を述べ、1人が、州法を合憲とする法廷意見の結論に同意しました。残りの3人の判事は、重大な誤りを犯した最高裁、そして憲法上の基本的人権を失ったアメリカの女性に哀悼の意を捧げるとして、共同で反対意見を述べました。

 アメリカの最高裁の判事は、「保守派」と「リベラル派」に明確にわかれています。ミシシッピ州法を合憲と判断した6人が保守派、これに反対した3人がリベラル派です。最高裁の判事は、大統領が指名し、上院議会の承認を経て任命されます。任命後は終身制がとられており、一度就任すると、自らの意思で辞めたり弾劾されたりしない限り、亡くなるまで職務を続けることができます。

 中絶の権利をめぐる保守派とリベラル派の対立の背景を理解するために、まずは合衆国憲法成立からの歴史的経緯を辿ってみましょう。1776年に独立宣言を発した13の邦の代表が、1787年にフィラデルフィアに集まり、憲法制定について話し合いました。ですが、そのときつくられた憲法に基本的人権の網羅的なリストは存在していませんでした。1791年に、憲法の修正条項として権利章典が追加されましたが、当初、権利章典は、重要な役割を果たすことができません。権利章典は、連邦に対してのみ適用され、州には適用されなかったからです。19世紀後半まで、連邦政府は、アメリカ人の日常生活にかかわるようなことはなにもしません。人々の日常生活を規制するのは州でした。今日の合衆国憲法のかたちは、南北戦争後の憲法修正によって作られました。南北戦争後の憲法修正のひとつは、州に対しても合衆国憲法の権利章典を適用できるようにするものでした。

 アメリカは建国以来200年以上、わずかな修正だけで、同じ憲法を使い続けている世界的にも珍しい国ですね。

 大きな局面は1930年代、ニューディール政策をすすめるルーズベルト大統領の登場です。彼にとって大きな障害となったのが最高裁でした。最高裁は、憲法上の経済的自由の侵害を根拠に、様々な社会経済立法を違憲としたからです。ルーズベルトが、引退や死去により空席となった最高裁判事のイスに、自らの政策を支持するリベラル派判事を座らせることで、この障害は排除されました。

 ここで確認しておきたいのが「リベラル」という言葉です。今日アメリカで使われているリベラルは、ニューディール政策に対して「社会主義だ」と批判を受けたルーズベルトが、「いや違う、これは社会主義ではなく、リベラルだ」と反論したのが起源と言われています。このリベラルという言葉はアメリカでは特有の意味合いを持っています。ヨーロッパで保守主義と対置される自由主義とは似て非なる概念で、60年代の公民権運動を通じて、やがて社会・文化的な側面を含んだ概念へと発展していきます。

 ルーズベルトによる判事任命を通じてリベラル化した最高裁も、経済的自由にかえて、社会・文化的な側面にかかわる個人的自由を積極的に保護していきます。その結果のひとつが、女性の中絶の権利をプライバシー権の一環として保護した1973年のロー判決です。

アメリカでは裁判官も政治的アクター 中立的とは思われていない

アメリカでは裁判官も政治的アクター
中立的とは思われていない

最高裁に持ち込まれる党派対立

 ロー判決が覆された背景を理解するには、アメリカにおけるキリスト教の影響力を考慮しなければいけません。毎週教会に通う人の比率はヨーロッパと比べても非常に高く、「中絶を絶対に禁止すべきだ」とする宗教保守派の勢力もかなり強いのです。さらに民主党と共和党の二大政党制であることも忘れてはならない要素です。中絶禁止・規制強化を主張する側が共和党、女性の中絶の権利を擁護する側が民主党で、この党派対立が裁判所に持ち込まれているわけですが、トランプ前大統領が在任中に保守派の3人を判事に指名して保守派の優勢が強まって以降、最高裁が従来の憲法判断を覆すことは予想されていました。

 ドブス判決の法廷意見を執筆した保守派の判事たちは、裁判官自身の信奉する原理や価値に基づいて憲法判断をすべきでないと強調してきました。裁判官は、憲法制定者の定立した原理や価値に基づいて、憲法解釈をすべきというのです。この立場は原意主義と呼ばれます。

 もちろん判事が個人的な信念で裁判をしていると言うわけにはいきませんから、中立的な憲法解釈をしているという建前を強調します。

 法廷意見は、19世紀に多くの州で中絶を禁止する法律が存在していたことから、中絶の権利が「国家の歴史と伝統に深く根ざしたものではない」として、その憲法上の権利性を否定しました。「国家の歴史と伝統」を探究する営みは、憲法制定者の意図を探究する原意主義的な営みとも異なるものです。膨大な過去の事実の中から重要な事実を取捨選択して「国家の歴史と伝統」を描出する作業は、価値中立的な営みとはなりえません。

 自分たちにとって都合のいい歴史的事実だけを抽出しているのではないかと感じる人もいるでしょうね。

 ある憲法学者は、法廷意見の解釈手法が、原意主義よりも、ドイツの歴史法学に近いと分析しています。この分析は、ドブス判決が非アメリカ的であると批判する趣旨のものです。歴史法学によれば、ドイツ法はドイツ民族の歴史とともに発展してきたものであるとされ、ドイツ的民族精神を体現した法体系と合致した法解釈が重視されます。法廷意見からも、アメリカの古き良き精神――女性が妻として家庭に入り子どもを産み育て夫を支えるという家族観――を体現する中絶禁止の法体系を全米に広げたいという、歴史法学的野心が読みとれます。

 法廷意見とは異なる歴史理解も可能かもしれません。最近ベストセラーになった、ハリエット・ジェイコブズの『ある奴隷少女に起こった出来事』(新潮文庫)などを読むと、南北戦争後の憲法修正の背景に、奴隷化された女性が望まない出産を強制されないようにする意図があったと理解できます。奴隷解放は、黒人を、強制労働だけでなく、レイプや望まない出産からも解放するものでした。

 女性が望まない出産を強制されない権利は、南北戦争後の「国家の歴史と伝統」からも導けるかもしれません。

 最高裁の判決は、中立的な外観を装っていますが、実際には、判事の恣意的な歴史観・価値観を反映していると、多くの国民は感じています。アメリカでは裁判官も政治的アクターであり、政治的に中立だと思っている人が少ないことも、日本人には理解しにくいことですね。

 そもそもアメリカの最高裁判事の任命に際しては、多くの裁判を上手に処理できるといった法的能力だけが重視されるわけでありません。とくに20世紀末ごろから、共和党の大統領が最高裁の判事を指名する際には、共和党の価値や政策を忠実に実現する裁判官かどうかという点に重きが置かれてきました。

 中絶を受ける権利を認めたロー判決が出たあと、1982年に、保守派の法曹団体である「フェデラリスト協会」が設立されました。設立の目的は5名以上の保守系判事を最高裁に据えることにあり、中絶の権利の破棄をひとつのミッションとして、最高裁判事の候補者育成に力をいれてきました。今の最高裁判事の構成は、共和党とフェデラリスト協会が40年近く取り組んできた結果です。

 最高裁判事の任命手続において法的性格が強い国と政治的性格が強い国がありますが、合衆国は後者であると理解できます。判事の憲法判断も政治的意味を持っていると考えられています。

 2022年11月に行われた中間選挙では共和党が圧勝するという大方の予想に反して、民主党が善戦しました。そこには中絶問題が大きく影響したと考えられています。とくに25歳以下の「ジェネレーションZ」と呼ばれる世代が、権利の剥奪は受け入れられないと投票に行ったのです。同性婚の権利もいずれ奪われかねない、そんな危機意識もかなりあったのだと思います。

「国家の歴史と伝統」の抽出作業は
中立的な営みとはならない

「国家の歴史と伝統」の抽出作業は 中立的な営みとはならない

州裁判所における政治的傾向

 いずれにしろ今回のドブス判決を受け、中絶に関する規制は実質的に各州に委ねられることになりました。それぞれの州は、「ミニ憲法」ともいえる州憲法を持っていますが、州憲法の解釈として中絶の権利が認められるかは、州の最上級審の裁判所が判断します。

 中絶について「全面禁止」か「厳しく規制」される州は、全米50州のうち半数を超える見通しで、今後、保守州とリベラル州のような住み分けが多くの政策において進むかもしれません。

 そこで次に目を向けたいのが、州議会における民主的な政治過程が信頼に足るものかどうか、という点です。というのも、選挙において特定の政党に有利な選挙区割りを作成する、いわゆる「党派的ゲリマンダ」について、2019年、最高裁は「裁判所が立ち入るべき問題ではない」としました。昨今、投票行動分析が高度化・精密化したなか、自分の党が選挙で有利になるような選挙区の線引きがやりたい放題になったわけです。

 中流階級の白人が住んでいる地域で黒人に不動産を買わせないといった差別が過去には広く行われたため、アメリカでは今も人種やエスニシティ、所得階層ごとの住み分けが顕著です。そして、社会集団ごとに投票傾向も異なりますから、選挙区の線引きによって勝敗をかなりの部分操作できてしまうのです。

 とくに最近の政治状況下では、白人の減少という、人口動態の潮流に不安を抱いている共和党の方が、ゲリマンダに積極的だと言われています。

 司法については、州裁判所の裁判官の9割以上がなんらかの形で投票にさらされていることもアメリカの特色のひとつです。裁判官も選挙対策を考えざるを得ません。司法選挙の費用高額化も大きな問題です。莫大なお金がつぎ込まれるテレビCMでは、すさまじいネガティブキャンペーンがくりひろげられています。有権者の信頼を損なうような中傷合戦の果てに当選した裁判官に対して、有権者は複雑な思いでしょう。

これからの時代に欠かせない「学び」にぜひ触れてください(庄司)

ひとつの事象から違った景色が見えてくるのが大学での「学び」(村山)

大学で学ぶことの意義とは

 ここまでドブス判決を題材として、アメリカの法と政治の仕組みをひも解いてきました。新聞やテレビの報道からだけでは伝わってこない部分が、多少は垣間見えてきたでしょうか。法学と政治学の双方からアプローチすることで、ひとつの事象からも、じつにさまざまな景色が見えてくる。これから学習院大学法学部を目指す皆さんに、そうしたことが少しでも伝わればうれしいですね。

 アメリカ政治に限らず、社会を正しく理解するためには、通りいっぺんの理屈で考えるだけではじゅうぶんではありません。学習院大学の政治学科の特徴のひとつは、社会学のカリキュラムが充実していることです。社会学系の講義を通じた幅広いアプローチで政治を見ることができるだけでなく、計量政治学や計量社会学といった統計的な手法を学ぶことで、政治のみならず社会全体を多面的に理解できるようになります。
 また、アメリカのリベラルが特有なものだと話しましたが、「西洋政治思想史」で、ヨーロッパにおける思想史の発展過程への理解を深めることで、アメリカにおけるリベラルの特異性を、より深く理解することができるでしょう。特定の地域の事象を学ぶためには、ほかのさまざまな地域のことを学ぶことも有効です。

 同じことは法学科でも言えます。法学科には、「比較憲法」の外にも、日本と諸外国の法律を比較して検討する比較法の科目が、少人数の演習も含めて、たくさんあります。たとえば、2023年度新設の「英米法Ⅰ」は、比較法の入門講義ですが、そこでは、今日の対談で登場したドイツの歴史法学についても言及されます。また、「特殊講義(西洋法制史)」や「特殊講義(日本法制史)」では、歴史的な観点から法を記述する方法が学べます。さらに、法学科での学習の中心となる「民法」「刑法」「民事訴訟法」「刑事訴訟法」といった日本の法律の解釈や理論を学ぶ授業の中でも、現代法の背景にある法の歴史について、丁寧に説明されます。日本以外のさまざま国の現状、そして各国が歩んできた歴史に対する広い視野をもち、憲法や法律の解釈を学ぶことができるわけです。最後に、法学科に入学した場合でも、政治学科の授業を選択科目として受講できますから、興味さえあれば、法と政治の関係についてどんどん知見を広げることもできます。

 今、世の中で起こっていることを理解するには、歴史的な背景や政治制度、法制度などの知見が不可欠です。これから広い世界へと羽ばたいていく皆さんには、ぜひ学習院大学法学部でこうした「学び」に触れてもらいたいと思います。