刊行物
研究年報は学習院大学文学会会員(主に学習院大学文学部の専任教員・非常勤講師)、また人文科学論集は学習院大学大学院人文科学研究科の学生が、その研究結果を発表するための冊子です。それぞれ年に一度発行されます。ここでは、今まで投稿された論文のうち、ウェブサイト上への投稿が許可された論文を掲載しています。
研究年報
研究年報は、学習院大学文学会会員(主に学習院大学文学部の専任教員・非常勤講師)がその研究結果を発表するための冊子です。年に一度発行されます。ここでは、今まで投稿された論文のうち、ウェブサイト上への投稿が許可された論文を掲載しています
研究年報 61輯~70輯
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研究年報 70輯
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合巻『腹鼓狸忠信』論
──作品解釈と黄表紙『親敵討腹鞁』の影響について── -
ICT を利用した高・大・院・社会人連携
古典文学ワークショップの試み
─日本文学アクティブラーニング研究会主催 第 7 回オンラインワークショップ「当世徒然草─パロディを作る」実践報告─ -
Machine Translation in Language Education:
A Systematic Review of Open Access Articles -
『オハイオ即興曲』─声の舞台─
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研究年報 69輯
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アンドレ・ランジュヴァン『アメリカ ヘラジカ』に関する一考察
──初期三部作との比較を通して── -
公共サインを提示するサイン・インディケーター (SI)
──日本、イギリス、フランス、オーストリアの公共サインの比較から──
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研究年報 68輯
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研究年報 67輯
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宋代における金石学の成立と変貌
──正統性の危機と歴史言説の再編成── -
赤死病の仮面劇
──エドガー・アラン・ポーとダンスと「新世界」── -
The Great Gatsby から伝わるもの
──人は過去から逃れることはできない──
(You can’t escape the past.) -
“Death by misadventure”
──Passing とDaisy Miller の歪んだ視点── -
ジャン= リュック・ラガルス
『ペストの年のおぼろげなる記憶』
──借り物からの創造──
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研究年報 66輯
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弘前藩における「御救山」再考―天保飢饉を中心に―
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<経済人>としての志賀直哉
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「新世界」とバレエ
―ファニー・エルスラーと19世紀アメリカのダンス― -
Tender Is the Night『夜はやさし』の研究
―原稿や雑誌初出、初版に始まる様々な版、及び岡本訳と森訳の比較研究 -
19世紀文学観光―オースティンとエッジワースを中心に―
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『私は家の中で雨が来るのを待っていた』―ラガルス作品における「待つこと」―
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他者志向的達成動機と自己志向的達成動機の関係性に対するパーソン志向的アプローチ
―階層的クラスター分析と潜在カテゴリー分析による検討―
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研究年報 65輯
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ベン・ジョンソンの「新世界」と急進派ピューリタニズム
――宮廷仮面劇と宗教的熱狂――
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研究年報 64輯
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戦前政党内閣確立期における政策の協調と対立
――北海道第二期拓殖計画の策定過程を中心として―― -
「感傷/家庭小説のAmericanization――Louisa May Alcott とAnglophilia」
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ジョージ・バランシンと「アメリカのバレエ」――《ジュエルズ》初演50周年記念公演をめぐって――
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生活科における「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた一考察
一「遊び」概念に着目して一 -
蒸気機関車イメージの変容、あるいはショックの馴致について
一一ディズニー映画『リラクタント・ドラゴン』(1941年)を手掛りに一一
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研究年報 63輯
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夏目漱石の経済的<真実>
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ソクラテスとムーシケー
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信仰復興における熱狂とジェンダー――シンクレア・ルイス『エルマー・ガントリー』とアメリカン・フットボール
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小山作之助編『国教唱歌集』の研究――その後の唱歌への道筋をつけた人物・唱歌集という視点からの考察
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研究年報 62輯
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禁止(として)の舞台
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This Side of Paradise 読解及び執筆前後の伝記的事実再考
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戦時下における教育史学の帰趨―海後宗臣の教育史研究を中心に―
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戦後の小学校音楽科における歌唱教材の変遷に関する研究―共通教材に至る教科書掲載歌唱教材を中心として―
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チベット・ビルマ系民族のY染色体DNAハプログループDの南北差
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近年のドイツにおける教科書開発の動向―小学校算数教科書の比較から
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研究年報 61輯
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指示代名詞の中国語陝西方言における2分法(現場指示用法)
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アンドレ・ランジュヴァン『闇から逃れて』に関する一考察
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生活指導・「しつけ」のための子どもの歌―1950~1960年代の保育雑誌記事によるその成立過程の考察―
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〈子どもの権利〉と〈教育における能力主義批判〉の教育学理論的分析──〈人間形成と学校文化〉としての現代教育学に向けて──
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学級集団の人間関係を題材とした教職志望学生に対する初年次教育の展望―「いじめ問題」を中心に―
研究年報 51輯~60輯
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研究年報 60輯
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近代日本における校友会運動部の展開─学校文化研究へのアプローチ─
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La population d’une cite-jardin de labanlieue parisienne : Suresnes, 1926─1946
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La dimension pratique des ecrits sur l’art d’Andre Breton
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La prosaisation du vers dans les sonnets de Philippe Jaccottet
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フォーカシングになじみがない初心セラピスト同士のセラピスト・フォーカシング──セラピスト・フォーカシング・レシピを用いて
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研究年報 59輯
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Mythe d'analogie ou mythe de rupture? -La pratique du ≪mythe≫ par Andre Breton de 1942 a 1944
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学校と地域の連携方策について ―オーストラリアを例に―
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研究年報 58輯
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青蓮院門跡と紫衣 ―家職としての紫衣着用免許権について―
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アンドレ・ブルトン『黒いユーモア選集』におけるイラストの役割―「神話」との関わりを中心に
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小学校道徳におけるボランティア学習の位置づけ
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研究年報 57輯
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聖護院門跡と「門下」― 一五世紀を中心に ―
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中国戦国時期青銅器銘文の史料化に関する一試論 ―三晋紀年銅器銘文の字形分析を中心に―
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<私小説>言説に関する覚書 ―〈文学史〉・マルクス主義・小林秀雄―
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大槻文彦とチェンバレンの系譜
~助動詞連結の普遍性と個別性を論じ、受動使役をめぐる記述の歴史に及ぶ~ -
ジャック・ベッケル『偽れる装い』
オートクチュールのメタファーとしての恋 -
フランス語圏漫画における叙述と描写
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C.G.ユングの心の理論について ―精神分析理論からの出発―
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研究年報 56輯
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フィンランドの日本美術展に関わる報告と北斎・広重イメージの流布についての考察 ~"Hokusai & Hiroshige, On a Journey to Edo"展を中心に~
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江戸時代の和歌と西行 ―和歌・道心・絵画―
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それは「純粋小説論」から始まった ――「純文学」大衆化運動の軌跡
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沈黙と孤独 ――シェリー『モンブラン』を読む
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英仏のラテン語辞書に見る onomatopoeia
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キケローにおける中間義務と理性の関係について
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中世ジェノヴァ人居留地の遺言が語るもの
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ヘンリー・ジェイムズとアメリカ感傷/家庭小説
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ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの言語論における「古典古代」の意味
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文字と絵のあいだ ―フラクトゥーア・アンティカ論争における文字の視覚性をめぐるディスクール
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流行という媒体(メディア) 第一次大戦前の劇場と『失われた時を求めて』
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L'Islam selon Vigny:I'alterite au regard d'un romantique
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デボルド=ヴァルモールにおけるクレオール ─「サラ」の読解を通じて
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達成動機づけにおける「個人」と「社会」の調整と統合 ―アスリートのボランティア事例に基づいて―
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発達における記号化の役割
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これからのアーキビスト養成の課題についての一考察:アメリカの現状をふまえて
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Musee か Centre か:国立舞台衣装装置センター(CNCS)の意義
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「市民教育としての算数・数学教育の機能 ―新教育課程における可能性を探って―
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明治後期における中等学校修身教授法に関する論議 ―現代における道徳教育の方法論を考えるための手がかりとして―
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研究年報 55輯
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加叙の成立 ~摂関期における政務としての叙位の変遷~
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誤写を想定すべきか、写本を尊重すべきか ―〈早〉字の場合―
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注釈書の江戸時代
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嘉村礒多の昭和七年 ―「七月二十二日の夜」の意味―
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ポープを読むために-『不幸な婦人を悼むエレジー』論考
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ソクラテスにおける「無知の自覚」と「知の表明」
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ハイデッガーにおける別の始元の根本気分
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ローマ帝政初期における過去の記憶の形成と「記憶の断罪」について
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指示代名詞の現場指示の領域 ―高橋調査法による二○○八年若者のコソアド―
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『グレート・ギャツビー』作品成立過程の考察
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ヒンドゥー恐怖 「モロウビー・ジュークスの不思議な旅」について
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デジャ・ヴとしての「語り」 ―ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』を読む―
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ブーローニュの森のモード プルーストにおける「流行」の問題
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Le pantheisme moderne a l'age romantique(1) : la querelle entre l'Universite et l'Eglise catholique des annees 1830 et 1840
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ランボーにおけるデボルド=ヴァルモール ―「新しい韻文詩」から『地獄の季節』まで―
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達成行動における他者志向的動機の概念の再検討
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20世紀末以降の小学校社会科の変遷に関する日中比較
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研究年報 54輯
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金地院大方丈障壁画と狩野探幽様式の誕生
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室町幕府の成立
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伊場遺跡出土木簡にみる七世紀の文書木簡利用
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『萬葉集』の「国見ればしも、山見れば」という表現
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〈私小説作家〉の終焉 ―葛西善蔵の場合―
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キーツとシェイクスピア
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ソクラテスの語る国法の弁 ―『クリトン』51BII~8について―
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ピア・ラーニングにおける母語話者参加者の学び ―言語学習についての確信を中心として―
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ハーディの「亡霊」とはなにか? ―小説から詩へ―
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Maria Edgeworth's narrative strategy in four successive Irish novels:Is her view of the Anglo-Irish landlord idealised or reconciled?
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表現技法としてのメディアミックス ―キャラクター表象の様式性と重層性について―
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デカルトのロギカ(logica)とスピノザのエチカ(ethica)
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癒しのメロディー? ―ナチス収容所における音楽―
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1913年のタンゴ プルーストにおける「流行」の問題
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創造される詩(ポエジー) ルネ・シャール(Rene Char)における詩(ポエジー)の概念をめぐって
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ニコラ・ブーヴィエの映像世界
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フォーカシングにおける危機的状況での臨床動作法の意義
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幼児における因果的推論と語り
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研究年報 53輯
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若きデューイのライプニッツ研究(II)
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続紀宣命と『萬葉集』に見える助詞「し」
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葛西善蔵「弱者」試論 ―〈私小説〉と虚構性―
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中級・上級の日本語文法教育
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牧歌と無垢 ―ブレイクの初期の詩―
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マティーニの味、ホーソーンとメルヴィル ―アメリカ・ルネッサンスの文人たちの交流(二)
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到来する自由―詩の悪について ―ジョルジュ・バタイユとシモーヌ・ペトルマンの対話から―
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『エウテュプロン』と『ソクラテスの弁明』の連続性について
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サルツブルク史と史料管理行政 ―権力と地域の視点から―
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記憶の再構築 ―“Now I Lay Me”を読む―
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Maria Edgeworth's Short Stories Set in Ireland
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スピノザ『エチカ』における「心身の問題」と「認識」
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schwimmen における完了助動詞選択の変化 ―インターネット上の例文分析―
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Arsene Lupin:la rencontre avec le double
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L'esthetique baroque dans Clitandre ―en comparaison de L'Illusion comique―
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《Le continu en acte d'un corps dans le langage》 ―autour de la theorie du rythme d'Henri Meschonnic―
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フランソワ・トリュフォー作『野生の少年』をめぐって ―身体表象の可能性―
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試行カウンセリングのケースに適用したセラピスト・フォーカシング
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防犯報道の内容分析
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研究年報 52輯
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近世の駕輿丁について
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「こひまさる」の意味と用法 ―「恋(が)まさる」か複合動詞か―
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正宗白鳥と〈私小説〉言説の生成 ―〈出来事〉としての「人生の幸福」―
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神代記の異伝注記 ―第四段・第五段の編修―
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愛と欺瞞 ―『微笑』と『灰色の修道士』を読む―
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十八世紀後半、改革の時代が生んだ英国的ヒロイン ―エリザベス・インチボールド、『単純な物語』の場合―
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A.ポンス『スペイン紀行』、自国の発信として ~プレ「スペイン趣味」考(3)~*
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エレンコスとソクラテス
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アジアと日本列島における言語・文化境界線“気候線”(摂氏0度線) ―言語地理学と文化地理学から―
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‘An X of wavering flesh':Thomas Kinsella's ‘Downstream’
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Die Apokalypse als historische Denkfigur
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言語学の問題としての「機能」
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小説と戯曲のはざまで ―サミュエル・ベケット『クラップの最後のテープ』―
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アルセーヌ・リュパン ―針と空洞との結びつき―
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《Etrange monstre》A propos des influences de la comedia espagnole sur L'Illusion comique de P. Corneille
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集団施行による臨床動作法とフォーカシング実習の効果(その3)
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19世紀初頭における二つのperfectibiliteについての研究序論 ―教育における「文明化」と「文化化」―
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研究年報 51輯
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若きデューイのライプニッツ研究(I)
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大伴古麻呂と藤原仲麻呂
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近世地下官人の組織と「地下官人之棟梁」
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上代語の「時」と「時じ」
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徳田秋声『誘惑』・『闇の花』論 ―通俗小説はいかに作られるのか?―
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浮世絵にみる年中行事と信仰
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薔薇と虫 ―ブレイク「病める薔薇」考
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『疫病の年の記録』
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「線分の比喩」について
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ハイデガーと認識論の問題
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エマニュエル・レヴィナスの宗教現象学
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Das Spiel als kulturwissenschaftliche Grundfigur
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Die Wirkung der>gotischen Vermischung<in Schillers Kabale und Liebe
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探偵ネストール・ビュルマの見る夢
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セリーヌにおける一八三〇年 ―『ポールとヴィルジニー』・列車・文体
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集団場面における臨床動作法とフォーカシング実習の効果(その2)
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心理学的状況の分類に関する探索的研究
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日本における心理臨床研究・業務・教育の倫理に関する考察 ―アメリカ心理学会倫理綱領と行為規定改定のプロセスからの学び
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学習回避志向性に関する研究の動向について
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研究年報 41輯~50輯
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研究年報 50輯
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「左翼くずれ」の肖像 ―高見順と転向―
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イギリスからみたサハリン島問題 ―一八六七年~七一年―
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『萬葉集』の「痩す痩すも生けばあらむを」 ―「あり」の意味と用法―
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菊池寛『真珠夫人』論 ―〈面白さ〉と〈本当らしさ〉―
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歌川国貞と狂歌 ―摺物を中心に―
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イギリス・ロマン派の二つの世代 ―フランス革命とピータールー虐殺―
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オルゴールの音色 ―ホーソーンとソローの交流
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J.S.ミルとフランス・スピリチュアリスム ―19世紀フランス哲学の一断面
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虚偽論注解 ―C.L.ハンブリンの「標準的取り扱い」をめぐって―
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人間の知恵としての初期仏教とピュロニズム
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紀行文という美術批評 ~プレ「スペイン趣味」考(2)~
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現代日本語における「様態節」をめぐって ―その体系性と連続性―
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『ランブラー』における隠喩としての医学
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Conflicted Women in the Novels of Fanny Burney
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Cultural Studies als FundierungsmOglichkeit von German Studies
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ベケット作品におけるジャンルの境界
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ネストール・ビュルマの方法:仮想への探求
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フォーカシングと内観療法の統合的使用(内観フォーカシング)の試み その2
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心理学のデカラージュ ―心理学の歴史と現状について―
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授業雰囲気が目標志向性と授業態度および試験成績に及ぼす影響について
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研究年報 49輯
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イギリスの対露情報収集活動 ―一八六五~六年のサハリン島視察―
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「なのりそ」の表記と歌意
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長田幹彦「自殺者の手記」試論 ―「思想」が「大看板」となるとき―
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歌舞伎十八番シリーズ刊行の背景について ―歌舞伎界・浮世絵界の動向に注目して―
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デフォーの『グレイトブリテン全島周遊記』について
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肖像画家 ジョージ・ロムニー
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プロティノスのΕΠΙΣΤΡΟΦΗ
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カントにおける「生きる権利」の立法化をめぐる問題
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パロミーノとグランド・ツアー ~プレ「スペイン趣味」考(1)~
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現代日本語における動詞変化構文「スルようにする」の意味・用法 ―変化と様態の関係をめぐって―
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フイッツジェラルドとヘミングウェイ
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Peri Didaxeonにおける前置詞格について
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神なき森 ―H・D・ソローのコスモス―
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Rede-Figur und Gender-Figuration ―Am Beispiel des Sprachraums in der deutschen Salonkultur
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Am deutschen Wesen sollten auch die japanischen Frauen genesen
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Sur-nomination-Autour des noms propres dans l'?uvre de Samuel Beckett
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メグレあるいは無意識の知
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所属感と集団効力感が方略と課題への興味に及ぼす影響について
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la Commune de Paris 1871における近代公教育三原則の成立に関する研究(2)
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韓国・第7次教育課程の「裁量活動」と日本の「総合的な学習の時間」
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研究年報 48輯
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初期近代政治思想史における自由概念
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宗祇の古典研究 ―二条・冷泉両派からの学の継承と展開―
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上代語の「ゆくへ」 ―用法と語義―
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島田清次郎『地上』の読者論
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想像力の枯渇か? ―コウルリッジ『失意の賦』を読む―
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ベケット後期戯曲作品における「肉体化」の問題
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ベラスケス作品の通称 ―鑑賞史の視点から―
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1874年オーバーエスタライヒ奉公人令と州議会における審議
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ユーモア文学の日本語訳に関する一考察
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フィッツジェラルド文学における民族・人種差別
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Brutの前置詞句にみられる限定詞
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自己認識への道程 ―ウィリアム・ディーン・ハウエルズの国際小説―
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「燃える」とは何か? ―ホーソーンの隠喩―
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デフォーのフェミニズムとは?
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文学による過去克服のポリティクス ホロコーストと「魔術的リアリズム」 ―ヘルマン・カザックの小説「流れの背後の街」を例に―
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ニュージャーマンシネマ、そして/または、ドイツ娯楽映画
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ソシュール研究のために(2) ―セシュエ著『理論言語学の素案と方法』についてのソシュールの書評の下書―
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高校中途退学に関する3年間の縦断的研究
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妄想経験と孤独感・自己不一致・自尊心との関係について
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La commune de Paris 1871における近代公教育三原則の成立に関する研究(1)
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研究年報 47輯
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一七世紀仏教者における「世法」と「仏法」 ―浅意了意の場合―
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吉野作造の民本主義における普通選挙論の真意義について
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抄物雑考
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宇野浩二「子を貸し屋」試論 ―ジェンダー・イデオロギーと経済―
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イェイツとアイルランド
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サミュエル・ベケット「わたしじゃない」 ―独白のダイナミズム―
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アリストテレスにおける四元素の相互変化と質料的存続体
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カントにおける「意志の自律」と道徳性との関係 ―フロイトによる解釈を手がかりとして―
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ティベリウス政権の成立とその性格
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現代ギリシャ語の接頭辞Ksana-の意味について
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翻訳理論と日本語研究
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The Lambeth Homiliesの前置詞句にみられる限定詞について
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シャーロット・エヴァンズとキティ・エリスン ―ヘンリー・ジェイムズの初期の国際テーマの展開とウィリアム・ディーン・ハウエルズ―
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Aの文字は見えたのか ―試みとしての隠喩論―
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英国作家ジョージ・ボロウとウェールズ語(1)
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古高ドイツ語における「取り出し構文」 ―翻訳技法上の役割―
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ソシュール研究のために(1)
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否定主文に従属するparce que節
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妄想性認知と肯定的錯覚 ―社会的認知の自閉的側面について―
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英国の学校における市民教育の特徴 ―ボランティア学習の観点から―
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研究年報 46輯
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魂の身体への配置 ―プラトンとプロティノスにおける魂の物体性―
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「目色部眞時」攷
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幕末期、蝦夷地への寺院建立と在地社会 ―西蝦夷地フルヒラ禅源寺建立と浜中集団をめぐって―
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「片?の底にそ吾は恋なりにける」という表現
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近松秋江と「人生批評」 ―「疑惑」評価を軸として―
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挿絵から「読む」『南総里見八犬伝』
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孤独な女ロビンソン―モル・フランダーズ
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自然の画家 ジョン・コンスタブル
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ニールス・ボーアと対応原理の方法論的特質をめぐって
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スコット・フィッツジェラルドのプリンストン時代再考
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The Peterborough Interpolationsにおける名詞の対与格融合
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Dr.Johnson and Women
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Die “Poesie des Geschafts”
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異質なドイツ語 ―トルコ人女性作家 Ozdamar について
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サミュエル・ベケット「残り火」 ―英語版と仏語版の比較から―
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孤独感の構造、集合的同一性、人格的同一性および本当の自己の所在 ―個体内過程、人間関係、集団の組織化過程に関する複合過程理論―
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社会的欲求の2次元 ―その関係の変容について―
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新教育課程におけるボランティア学習の課題
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研究年報 45輯
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飛花落葉
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鈴木正三における「役・分」論
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近世アイヌの出稼サイクルとその成立過程 ―西蝦夷地「北海岸」地域を事例として―
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『萬葉集』一番歌の表現
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「心境小説」の発生 ―正宗白鳥復権の背景を読む―
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アメリカ女流作家論「メアリ・マッカーシー―その方法と世界」
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「喜び」という名 ―イギリス・ロマン主義のキーワード
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ルヴェルディの詩をめぐって
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エピクロスにおける神について
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学習院大学日本語日本文学科所蔵合巻目録稿
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The Peterborough Chronicle(1070-1154)における対与格融合
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ホーソーン、ジェイムズ、そしてハウエルズ -ジェイムズの『ホーソーン伝』をめぐって
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受容理論が生まれるまで
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異邦人による物語 ―ラフィク・シャミ試論
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Die Rauber als Diskurs Begrundung eines neuen Vernunftsbegriffs
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ダヴィデとフランソワ ―クレマン・マロによる『三十詩篇』の献辞について
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心理療法場面において生起する〈ハプニング〉の意義に関して
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佐々木昴研究(1) ―リアリズム教育論に寄せて―
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研究年報 44輯
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科学論あるいは知識学としての論理学 ―ディルタイにおける理解論の展開と諸相―
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バークリ『視覚論』は連合説か?
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允恭朝に関する考察
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梁啓超における「自由」と「国家」 ―加藤弘之との比較において―
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『萬葉集』の「鵜にしも有れや家念はざらむ」
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有島武郎 ―〈市場社会〉の中の作家
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「眼に見えた風」の〈私〉 ―〈見えるもの〉と〈見えないもの〉―
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金井三笑と鶴屋南北の間
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トルーマン・カポーティ研究の結び
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喪失と脱却 ―ワーズワスの『ピール城』―
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『初期習作集』(Juvenilia)の意味
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パリンプセストの世界 ―サルマン・ラシュディ『ムーア人最後のため息』の一考察―
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ルソーの読み方、読まれ方
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廃墟の映像 ―ブランショの〈死〉について―
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日本語の標準語形成の過程について
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The Peterborough Chronicleにおける前置詞格について
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キャサリン・アン・ポーターとヘンリー・ジェイムズ
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「死者と話したい、という望みから始まった」 ―ニューヒストリズムの有効性と非有効性―
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ハンス・ザックスとグリム兄弟 ―KHM147「焼かれて若返った小男」を例に―
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存在と無のあいだ
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加齢にともなう記憶機能の変化
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「生活指導」概念の成立に関する一考察
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タイ北部アカ族文化の1991-1997間の変 ―センチャルン・マイ村の場合―
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研究年報 43輯
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室町時代の土佐派をめぐる言説 ―ジェンダーの視点からの分析―
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帝紀・旧辞成立史考
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冉魏政権と漢人たち ―五胡十六国時代前期の民族関係に関する一考察―
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上代語の構文と助詞「と」の用法 ―「群山ありと」と「畝傍ををしと」―
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大正九年、出版ビジネスは〈文学〉を自律させた ―「読売新聞」コラム「読書界と出版界」から―
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『あるクリスマス』と『おじいちゃんの思い出』の考察
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挑発するキプリング
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アフォリズムの効用 ―ブレイク『無垢の予兆』を読む―
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『大理石の女』
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『おしゃべり』 ―告白と主体―
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オルペウス教 ―プラトンの宗教思想解明の手掛りとしての―(2)
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プロティノスにおけるヌースと一者との関係 ―前ヌースは一者を見ないか―
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Ayenbite of Inwytにおける前置詞格について
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ヒーニーの『サンザシの実』の寓意詩 ―脱構築される国民詩人―
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アルノー・シュミットの「Abend mit Goldrand」におけるポリフォニーとカーニヴァル
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マルグリット・ド・ナヴァール『ラ・コッシュ』 ―愛の法廷―
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対人関係において能動的な役割を取得することに基づく自己生成的な認知的不協和について
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動物の記憶とコリン作動性神経 ―ラットにおけるAF64Aおよびピレンゼピンの脳室内投与の効果―
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「現代学校」創造の教育実践に関する一考察 ―「近代教育」との連続性とは何か―
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研究年報 42輯
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常識と理性
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「ウルビノ稿本」の信憑性について
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中国における「」について
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『萬葉集』一番歌の〈我許背歯告目〉
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大正八年 ―イデオロギー批評の試み ―芥川龍之介を視座として―
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『カメレオンのための音楽』考
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ジェイン・オースティンの手紙
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ブレイクと近代日本 ―柳宗悦と大江健三郎の場合―
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ドイツ近代文学の成立とナショナリズムの誕生
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『大理石の女』
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『愛人』 ―最後の変奏曲―
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の詩詞 ―文人の“”―
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オルペウス教 ―プラトンの宗教思想解明の手掛りとしての―(1)
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Ayenbite of Inwytにおける三人称代名詞の対与格融合について
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“The Real Thing”再考
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Englishness v Barbarians ―ヒーニー&ハリソン&ダンの〔UZ〕―
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文化特有のコンテクストと文学テクスト解釈
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「Art」という間に…
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「対人場面」における「自己感情」(後半)
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聴覚言語処理過程に関する認知―神経心理学的分析 ―ことばの聞き取りに困難を呈した一事例を通して―
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教育実践におけるパソコン利用のテキスト化の一試み
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研究年報 41輯
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古代史雑考二題 ―「授刀」と「掃守」―
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清末浙江の羅教系結社 ―霊山正派と覚性正宗派―
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『萬葉集』の「風をだに恋ふるはともし」の構文
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大正六年 ―文壇のパラダイム・チェンジ
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横光利一『紋章』 ―「近代日本」と「ポスト近代」の「並立」―
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未完小説『かなえられた願い』をめぐって
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『桶物語』におけるスウィフトの実験
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夭折の画家 リチャード・ボニントン
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誇り高き市民ルソー
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『大理石の女』
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緑色の眼 ―『インディア・ソング』から『死の病い』へ―
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近代教育と習俗との狭間(一) ―教育実践の改革のために―
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プロティノス哲学における美の役割
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プラトンにおける不正と魂
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エピクロス派における表徴推論について
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初期中英語における三人称代名詞の対与格融合の発達段階について
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キプリングのインドへの道:「ブラッシュウッド・ボーイ」論
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言語化しえないものとロートペーターの言語生成 カフカの文学論解読として読む『学会への報告』
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反歴史主義の出発点 ―ハインリヒ・ハイネの歴史主義批判―
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ブルーノ・フランクの『政治的小説』
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「対人場面」における「自己感情」
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難読症における読みの障害
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研究年報 31輯~40輯
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研究年報 40輯
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時間の有り方
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ハイデガーにおけるカントの原則論の解釈
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中世後期の東国守護をめぐる二、三の問題
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宮中仏事に関する覚書 ―中世前期を中心に―
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少子部??をめぐる伝説
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成島柳北のジャーナリズム観 ―漢学と近代メディアの間で―
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明治三十年代の青年とその表現の位相 ―『中学世界』を視座として―
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分断される物語 ―『トリストラム・シャンディ』論―
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「思想」とは ―ブレイク『蠅』を読む
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『大理石の女』
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ボーヴォワール『戦中日記』について
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シャーマニズムの墓標 ―清朝の堂子祭
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ルクレティウス『ものの自然本性について』におけるmoenia mundiについて
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初期中英語における対与格融合の発達の多様性
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Jean Staffordの短編小説の技巧
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シェイマス・ヒーニーの寡黙について
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ハイデッガーの「存在と時間」における科学的理論的認識の根拠についての批判的覚え書
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三月前期における文学の機能転換 ―ベルネ、ハイネ、プルッツを中心に―
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II. C'est~qui(que)…の構文
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継続副詞的語句の双対性についての一比較研究
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難読症例におけるひらがな文字の音読障害
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研究年報 39輯
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小田野直武筆「松に椿図」から佐竹曙山へ ―江戸時代「花鳥」画再考―
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維摩経における菩薩行について
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記述と規約 ―ヴィトゲンシュタインの後期思想におけるコミュニティをめぐって―
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「ヴィヨン遺言詩」アルスナール写本について
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中世僧綱制の基礎的研究 ―「永宣旨僧綱」を中心に―
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国生み神話の一解釈
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文明開化と成島柳北 ―〈忠厚の美学〉再考―
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翻刻『遊女物語絵巻』(下)
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国木田独歩「運命論者」の世界 ―事実と運命の間―
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フィールディングの小説
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ブレイクとゴードン騒乱 ―若きブレイクの政治意識
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明治後期中学校における「生徒管理」の組織と運用
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新アッシリア時代の帝王狩猟における祭儀的側面
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初期中英語における三人称代名詞の対与格融合について
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The True Tragedy of Richard the Third(1594)とシェイクスピア
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ハウエルズとホーソン
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ヒーニーとマホン:二つの「北」 ―同時代アイルランド詩の問題点―
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「セルフ・メイド・マン」の行方 ―モンロー・スターとフィッツジェラルド―
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異文化ゲルマニスティク ―その問題と解釈―
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ペーター・フーヘル研究 詩集》Die Sternenreuse《を読む(4)
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崇高な対象 ―シラーにおける表象不可能なもの
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I. 主題と説述 theme et propos
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『アンドロメダ』における音楽の役割 ―台本作家ピエール・コルネイユ
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大学生による授業評価に関する研究 ―筆者の授業を事例として―
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相互依存関係の予期と自尊感情レベルが自己開示・秘匿意向に及ぼす効果 ―対人関係の親密化過程における自己開示機能について―
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研究年報 38輯
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フッサール現象学における「批判」の意味について
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良遍の唯識観の特異性 ―『真心要決』を中心として―
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『芸術作品の起源』における「美学」の克服
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日本古代国家における民族と言語
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上代語における「-の/が-終止形」の構文
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ある三角関係の力学 ―「動揺」と「別れたる妻に送る手紙」をめぐって 正宗白鳥ノート 4
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翻刻『遊女物語絵巻』(上)
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国木田独歩と北海道 ―自然の表象をめぐって―
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『クラリッサ・ハーロウ』
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ブレイクと妖精詩 ―ブレイク『のっぽのジョン・ブラウンとちびのメアリ・ベル』 『ウィリアム・ボンド』を読む―
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『大理石の女』
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文学とオノマトペ
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斉周華とその時代 『大義覚迷録』探微之一
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エピクロス『ヘロドトスへの手紙』におけるアトムの運動について
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BrutにおけるHine/HimとHeo/Hire
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言葉、言葉、言葉としての地名 ―Seamus Heaneyの“Broagh”―
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The Crying of Lot 49における探究の意義
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『誰が為に鐘は鳴る』 ―ヘミングウェイの「変節」とパブリック・ライターの問題
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フォークナーの『サートリス』における父親
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ペーター・フーヘル研究 詩集》Die Sternenreuse《を読む(3)
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先行詞否定と関係文の読み
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ライフ・タイラーの原理(The Tyler Rationale)批判
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研究年報 37輯
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ドゥッチオ作「フランシスコ会士の聖母」の復元に関する一考察
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ライプニッツによる物体的実体の一性について
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ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』における「語り得ず示されるもの」
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清末四川の宗教運動 ―扶鸞・宣講型宗教結社の誕生
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石川三四郎の「土民思想」
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『萬葉集』四八番歌の〈東野炎立所見而〉
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逸脱者たちへのまなざし ―正宗白鳥ノート 3―
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『遊女物語絵巻』試論 ―復原とその全体像―
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「ヴィジョン」と「性」 ―ブレイクの『黄金の網』『水晶の部屋』を読む
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明治後期中学校における「生徒管理」の諸相
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プロティノスにおける「ロゴス」
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BrutのC2-Textにおける対与格融合について
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“DREAM-CHILDREN;A REVERIE”における従姉妹ブリジット
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シェイマス・ヒーニーのシビラント ―スウィニーとはだれか―
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『ピーターバラ年代記』(一〇七〇 - 一一二一)の語順について(2)
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ジャンルの誘惑 ―ナボコフと十八世紀英文学―
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ポープの『人間論』 ―オプティミズムとその周辺―
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William WordsworthのThe Borderersにおける対話と自意識の問題について
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ハムレットの孫はシェイクスピアの祖父 ―Ulysses における“paternity”の研究―
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ジャン・ジオノ『木を植えた男』について
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マリヴォー『愛と偶然の戯れ』と〈独白〉 ―あるいは〈独白〉の成熟と〈準=独白〉の介在―
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『ラ・エスメラルダ』 脚色家としてのヴィクトル・ユゴー
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人間関係の社会心理史研究序説
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対人関係の親密化に伴う自己開示と類似・異質性認知の変化
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研究年報 36輯
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ハイデガーにおける有限性と存在論的認識
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「又兵衛風」風俗画について ―「うきよ又兵衛」の意味をめぐって
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石川三四郎に於ける社会主義とキリスト教
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舒明長歌の成立と展開
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ヒステリーの時代 ―『或る女』序説―
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ブレイクと「自由恋愛」 ―ブレイク『メアリ」を読む―
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対立という構図 ―イェイツにおける〈女性〉
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辮髪考
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レオナルド・ダ・ヴィンチの「三博士礼拝」図 ―その制作年代に関して
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『労働生活』を読むために
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北村透谷とキリスト教伝道者
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シェイマス・ヒーニーの“Song” ―‘in between’について―
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Brutにおける対与格融合
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「ピーターバラ年代記(一〇七〇 - 一一二一)」の語順
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小説の中の子供
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『不死鳥と雉鳩』 ―Mortal Phoenixの意味するもの
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コンラッドの『闇の奥』における非現実化
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As You Like Itに関する一考察 ―Jaquesは何故踊らなかったのか―
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ペーター・フーヘル研究 詩集》Die Sternenreuse《を読む(2)
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《アルルカン・プロローグ》ルサージュおよびドルヌヴァルの手になる未刊作品
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マリヴォー『恋の不意打ち』と〈独白〉 ―あるいはHYPER-MONOLOGUEの世界
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明治後期における中学校卒業生の進路 ―「学歴主義」の隘路―
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E.P.Hughes in Japan(1901-1902)
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研究年報 35輯
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イリヤ・エロス・ヴィザージュ ―エマニュエル・レヴィナスの〈他者〉をめぐって―
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フッサールの範疇的直観について
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『ポリフィルス狂恋夢』におけるヒエログリフについて ―エンブレムの成立過程―
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寛永期風俗画から浮世絵へ ―ハーバード大学サクラー美術館蔵「遊楽図画帖」をめぐって―
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「乙巳の変」の再構成 ―「大化改新」の新研究序説―
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世尊寺本『字鏡』にみえる『和名類聚抄』の逸文
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白鳥の軌跡 ―「空想ニ煩悶」する青年から「自然主義」作家へ 正宗白鳥ノート 2
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原伊勢物語考 ―古今集以前の〈伊勢物語〉の性格と成立に関する試論―
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自己更生への旅 ―ブレイク『ミルトン』第二巻
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誤植について ―ビュトールと名 II
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『列王紀』から『アタリー』へ ―ひとつのポーズをめぐって―
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「平均」解
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メタ・ポエムとしてのgeo-poetry ―シェイマス・ヒーニーの“Gifts of Rain”の性と聖と政
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語り手の魔法 ―キャサリン・アン・ポーターの“Magic”―
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中世的な人間としてのC・S・ルイス
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心の風景 ―ホルスト・ビーネックのオーバーシュレージエン連作―
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グレートヒェンの恋と信仰 ―「ファウスト」第一部3528-3533行をめぐって―
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ソシュール『一般言語学講義』はどのようにして書かれたか
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ソシュールの「ギリシャ・ラテン比較文法講義(一九〇九 - 一九一〇)」
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「援助行動」における「自己」の機能 ―促進的機能と抑制的機能―
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ピアジェのINRC群とファジィ論理
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タイラー、R・Wの文献目録について
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近代日本の青年と「成功」・学歴 ―雑誌『成功』の「記者と読者」欄の世界―
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研究年報 34輯
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院政期における行事絵制作をめぐって ―最勝光院御所障子絵の再検討―
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スピノザの「実体-様態」について
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ポストモダンの哲学・序説 ―エマニュエル・レヴィナスの〈他者〉にふれて
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フランス国立ギメ東洋美術館所蔵の日本近世史料
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「石にひしがれた雑草」をめぐって
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ミルトン、ブレイク、そしてロス ―ブレイク『ミルトン』第一巻
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ボードレールとシャンフルーリ ―パントマイムと笑いをめぐって―
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公民料の変質 ―昭和一二年における公民料教授要目改訂の内容と性格―
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Theagenesの支持者層
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上代日本語のオ列甲乙に関して
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Vices and Virtuesにおける対与格融合
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英国ロマン派詩人・深層心理・宗教心
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『ダーバヴィル家のテス』の「子供」
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Emily Dickinsonの詩に見られる色彩 ―「赤」を中心に―
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『ヘンリー五世』の構成における主な要因について
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古英詩におけるG?stとS?wolの統語法と意味
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ペーター・フーヘル研究 詩集》Die Sternenreuse《を読む(1)
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カフカの「村医者」について(7)
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ソシュール『一般言語学』(第三回)
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『戦勝牌』ノート(2) ―エレディアとギリシアのエピグラム
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人間の発達と初期の環境条件 ―ある発達遅滞の事例について―
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現象記述概念としての「Deindividuation」を繞って
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研究年報 33輯
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ドイツ観念論の伏流 ―思想史のヘルダーリン(1)
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「源氏物語絵巻」における場面選択について
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「上宮王家」論 ―日本の国家形成と王族―
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「空想ニ煩悶」する青年 ―「独立心」・「何処へ」を軸として 正宗白鳥ノート 1―
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ブレイクの『ミルトン』における「詩人の歌」
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鳶と啓示 ―ビュトールと名 I
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『ジャン・クリストフ』における芸術創造・その四
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『マルドロールの歌』における《変身(メタモルフォーズ)》の諸相について ―あるいは鏡の暴力―
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戦時下家庭教育政策の展開
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王船山の乾坤並建捷立論 ―序卦は聖人の書に非ず―
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「国」と「家」のあいだ
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『論理学研究』における意識の志向性について
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The Trinity Homiliesにおける対与格融合
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陰画のロマン主義 ―ハーディの風景詩
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自己否定としての模倣 ―バーナード・マラマッドの『アシスタント』における―
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古英詩におけるG?stの統語法と意味
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ICAREのVOLについて
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対人知覚の相互対応比較:文学作品における夫婦関係の一分析
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コミュニケーション行為への動機的態度測定の試み ―仮想の状況による予備的検討―
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研究年報 32輯
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三岸好太郎に於けるシュルレアリスムへの転換 ―新資料散文詩「童話風な懐疑」をめぐって―
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ジョルジョーネの《三人の哲学者》 ―主題解釈に関する一考察―
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ヤスパースにおける思惟の限界としての信仰の概念の一考察
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「スウェーデン女王蔵書一九二三番写本」の筆者について (Sur l'auteur du manuscrit “Biblioteca Apostolica Vaticana.Regin.Lat.1923”)
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大正期における日本陸軍の総動員構想と軍需工業動員法
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上方歌舞伎における和事
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『ジャン・クリストフ』における芸術創造・その三
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『失われた時』の情景 II ―「鬘と鐘楼」―
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日本公民教育と歴史と構造(その一)
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名前の掟 ―『ジュリアス・シーザー』における
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「刃もて強き古の剣」
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Lambeth HomiliesとAlfric's Homiliesにおける与格について
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ブレイク試論 ―失われた楽園の回復―
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カフカの「村医者」について (6)
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Windischgratz文書(1310-1404)のドイツ語 ―形態論―
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『トリスタン』 ―ソシュール ノート草稿
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アナトール・フランスにおける価値交換
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児童の学習動機と学業達成場面での原因帰属様式
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研究年報 31輯
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ロックの「本質」について
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古代遺跡と古典主義 ―セバスティアーノ・セルリオ『建築第三書』について―
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松本竣介研究序説 ―初期の事歴と作品―
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宋代の地客 ―雇傭人身分に関連して―
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大正期における日本陸軍の総動員構想と軍需工業動員法
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黙阿弥私論
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『ジャン・クリストフ』における芸術創造・その二
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ジャフナ・タミル社会における育児
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ヘンリー・スミス伝記資料の検討
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The Bostonians ―ジェイムズ的世界の構築
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英語間接目的語の発達の問題点 III ―The Katherine Groupにおける迂言的前置詞句と他動詞化―
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シャーロット・ブロンテ ―リアリティとイマジネーション
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歎きにいたむいと古き眼もて ―クリスタ・ボルフの「カサンドラ」講筵の美学―
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文成分 ―意味格―格枠
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カフカの「村医者」について(5)
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言語と表現(エクリチュール)における他者のはたらき ロートレアモンとセガレン
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ソシュール『ホイットニー論』草稿(2)
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フォワール劇の未刊作品 ―Lesage:“Le Neveu Suppose”―
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「援助行動」の生起を抑制する条件 ―他者共在条件と自覚状態の条件とを中心として―
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範疇文法の基礎
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研究年報 21輯~30輯
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研究年報 30輯
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三輪流神道における「草木国土悉皆我躰」
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カントに於ける悪と救済について
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「Chilonの改革」
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清末における王船山
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歴史事象の呼称について ―「承久の乱」「承久の変」を中心に―
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続日本紀諸本の系統
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『ジャン・クリストフ』における芸術創造
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デュ・ブーシェの詩について
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「ハムレット」に於ける〈魚屋〉の意味
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英語間接目的語の発達の問題点 II ―The Katherine Groupにおける構造型―
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テッド・ヒューズ鑑賞ノート(I) 動物詩について
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インサイド・アウトサイド ―『真夏の夜の夢』における〈無知〉と〈知〉
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Valenz理論と意味構造
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トーマス・ベルンハルトの作品における中心テーマとしての病い ―長編小説「霜」の考察を中心に―
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カフカの「村医者」について(4)
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低地ドイツ語の言語状況と言語範例
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ソシュール『ホィットニー論」草稿
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パリの大市と縁日芝居
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ジャン・ジオノ『丘』考
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シクロヘキシミド含有剤がネズミの摂食行動におよぼす効果
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態度の「極性化」現象と認知的均衡理論について
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研究年報 29輯
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パースの「着想論」について
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「草木国土悉皆成仏」について
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カントにおける物自体の問題
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近世中期における商業経営の変質
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記紀神話の成立過程 ―天孫降臨神話を中心に―
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『失われた時』の情景 I ―囚われの女とヴェネツィア―
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“A Dream” ―William Dean Howellsにおける一つの転機
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英国自然小説における叙景
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『終わりよければすべてよし』におけるふたつの喜劇的役柄について
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「Chomskyの考え」から「Chomsky的考え」へ
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東ヒマラヤのモンパ族の文化語彙に見られるチベット語からの借用 ―モンパ族の基層文化への接近の試み―
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研究年報 28輯
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『範疇論』における第一の実体の個体性について
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人間精神の所在について
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ホイヘンス稿本とレオナルドの手稿との照合 ―レオナルドの手稿研究の一資料として―
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セザンヌとベルナール
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海人族と神武東征物語
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ルネサンス問題のいま
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新羅の寺院成典と皇龍寺の歴史
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萬葉集巻十七以降の成立について
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ブレイク予言書の韻律
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CHARLOTTE BRONTE'S NOVELS SUSPIRIA DE PROFUNDIS
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ワーズワス詩中の「死」
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芸術の学問化過程における機能転換 ―ヴァルター・ベンヤミンにおける現代芸術の考察―
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ジャン・ジオノ『わが悦びよ、永遠に』考
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「人の集まり」についての一考察
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名詞句の、動詞認定時間におよぼす影響
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基礎的語彙から見た
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研究年報 27輯
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「ソクラテスの死」 ―「魂不死」をめぐるプラトンとプロチノス―
-
ヘーゲル『精神の現象学』における〈教養(形成)〉について
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ハイデガーとトラークル井上 まや機械論的自然観の形成過程 ―宇宙像の転換とデカルト―
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長諫の構造
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「国使」をめぐる二・三の問題
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近松の世話浄瑠璃 ―その非劇性の考察―
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大国主神話の一断面 ―農耕神話の側面から―
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一日本語児の動詞形の発達について
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〈Sylvie〉論
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Explication de textes d'un poeme de Baudelaire:Le Gout du NeantSonia GiuglarisJean de La Bruyereの《ブルジョワ》批判
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TRADUCTION ET/OU CITATION
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ゲルマン民族のキリスト教受容(続)
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Textlinguistische Analyse von deutschen Junktionen
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A Phonological Analysis of ‘Incomplete’Rhymes in Chaucer
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Shakespeare's Philosophy of Time in Richard II
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英語間接目的語の発達についての問題点 I
-
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研究年報 26輯
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主権者意識と「公明選挙」運動・試稿
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「心学五倫書」の成立事情 ―その思想的特質を手がかりとして―
-
宋代の官田と形勢戸
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来迎院本日本霊異記訓釈索引
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近松青年期の述作
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久高島と首里王府
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他者存在の社会心理学的再考
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ゲルマン民族のキリスト教受容 ―西ゲルマンを中心として―
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No44, The Mysterious Stranger ―Mark Twainの世界
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William Dean Howellsとアメリカの風景 ―Venetian Life から Suburban Sketches へ
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“The Old Familiar Faces”
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研究年報 25輯
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「見る」について ―メルロ=ポンティに於ける存在論への転回=展開―
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「在国司職」成立に関する覚書
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林宗二・宗和の手になる抄物のことば ―自筆本の場合―
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T・S・エリオットと『荒地詩物』
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図解 社会空間モデル試論
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Etude de quelques metaphores proustiennes
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1912年のアポリネール ―「窓」注釈の試み(II)― (その1 1月~6月)
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『砂男』 ―その多層的世界―
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ジェイン・オースティン文学における控え目なヒロインたち Reticent Heroines in Jane Austen's Works
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OTHELLO'S TWO-VALUED ORIENTATION
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古英語に於ける前置詞の方言上の問題点 ―Interlinear Gloss に現れる on と in を中心として―
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研究年報 24輯
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第二次メッセニア戦争期スパルタの土地問題
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源氏物語における「けり」の用法 二
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眼と天秤 ―末期ルネサンス管見―
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シモーヌ・ヴェーユについての一考察(補) ―哲学がめざすもの―
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計量的ファジィ意味輪 ―語の曖昧性の表現について―
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グオルク・トラークルの詩的言語に関するノート
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“es wundert mich. wie ich so leben kann” zum TodesbewuBtsein des Dichers Elias Canetti ―in memoriam Klaus Pinkus―
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D.H.Lawrenceの悪魔 ―作品におけるデーモンの味、及び作家のデーモンについて―
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William Dean Howellsに於ける複合視点 ―A Foregone Conclusion の場合―
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研究年報 23輯
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C・Sパース哲学の性格について ―初期思想概観―
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デカルトに於ける個体性
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王夫之の「章霊賦」
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神話研究における『栗鹿大明神・大神元記』の史料価値 ―「神」概念の形成と出雲神話を中心に―
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「源氏物語における『けり』の用法一」
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オスカー・ワイルドの戯曲
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シモーヌ・ヴェーユについての考察(III) ―アンラシヌマン―
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アポリネール「窓」注釈の試み(I)
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『フランツ・カフカと芸術家たち』 ―「断食芸人」論(下)―
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バスク語・コーカサス語と一般言語学
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Weapons and Armour in The Fabric of BEOWULF
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Beowulfに於ける前置詞の問題点 ―前置詞組織の推移を中心として―
-
KING JOHN序説
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研究年報 22輯
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「初期ニーチェにおけるソクラテス像」
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カントにおける根源悪と倫理神学の意義
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続・中務省に関する一考察 ―律令官制の研究(二)―
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国語史の史料(1)
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シモーヌ・ヴェーユについての一考察(II) ―デラシヌマン―
-
時の状況補語に先立つ前置詞 de ―特に否定文において―
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『断食芸人』論 ―作品解釈の試み―(上)
-
“Heinrich von Ofterdingen” ―die Gemeinschaft des Endlichen und Unendlichen―
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コンラッド文学のテーマと技法
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Tennyson詩における“愛”について
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N・ホーソン論 ―芸術家としての透察力―
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研究年報 21輯
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戦国武将の思想と上杉定正状
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儒教的世界像の崩壊と太宰春台
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新羅の郡県制、特にその完成期の二三の問題 ―〔附録〕慶州戸長先生案―
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日本霊異記訓釈索引(学習院大学上代文学研究会)
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シモーヌ・ヴェーユについての一考察(1) ―不幸と実在―
-
フランス語詩句のリズムについての歴史的考察(4) ―中世期の十音節詩句と古典的アレクサンドランを中心に―
-
Die dichterische Welt Holderlins Eine hermeneutistische Auslegung der Elegie “Stutgard”
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「ドイツ語に於ける程度を表わす副詞と動詞との結合の可能性について」
-
AlfricのFirst Series of Catholic Homiliesに於ける前置詞の問題点
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Some Aspects of Word Order in Old English
-
Adrian Henri's Antie-Teleological Catalogues
-
Dr.Faustus の神学的背景
-
「形式主義における数学的理性の構造とその批判」
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研究年報 11輯~20輯
-
研究年報 20輯
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世阿弥の伝書における「道」 ―道についての一試論―
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初期メルロ=ポンティ研究
-
ニッポン・きのう、きょう
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第一次メッセニア戦争後のスパルタと戦争
-
大政奉還運動の展開過程
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本能寺門前版の版式 ―毛詩抄をめぐって―
-
漱石とシェイクスピアの《雲》 ―主に『三四郎』と『ハムレット』について
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ハーバート・リードとセザンヌおよびピカソ
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アポリネールの美術批評 ―『キュビスム画家たち』を中心に―
-
ランボーの『酔いどれ船』の照応構造分析の試み(1)
-
フランス語詩句のリズムについての歴史的考察(3) ―中世紀の10音節詩句と古典的アレクサンドランを中心に―
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Williram における〈借用語〉と〈意訳語〉について(その2)
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A Semantic Study of Synoyms in Middle English ―“Knight” and its synoyms in Morte Arthure and Sir Gawain and the Green Knight―
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シェイクスピアのブランク・ヴァースにおける自然休止とその含意について
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Katherine Anne Porter ―永遠への航海
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研究年報 19輯
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末法と末世の歴史意識
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哲学の方法について ―デカルト・ベルクソン・フッサールを中心に―
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J・デューイ教育思想の一考察 ―「個人」と「社会」を中心として―
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習慣の問題をめぐるパスカルとモンテーニュ
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忠王李秀成の評価論争 補遺 ―余明侠の李秀成批判について―
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日本古代における族民の性質とその起源
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古言雑考(三) ―東西南北と左右―
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漢魏楽府の伝承についての一考察 ―承前―
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現代詩人とペルソナ ―T・S・エリオットとディラン・トマス―
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Jean de Le Bruyereの出自と生涯に関するノート ―Minutier central所蔵の手稿資料を中心に―
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Williram における〈借用語〉と〈意訳語〉について(その一)
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Some Notes On (Cardinal+Noun) Combination ―From Old English to Early Middle English―
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研究年報 18輯
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ノヴァーリスの自然観における習慣の意味
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マックス ウェーバーにおける中国研究
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中務省に関する一考察 ―律令官制の研究(一)―
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古言雑考(二)
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漢魏楽府の伝承についての一考察 ―承前―
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ハーバート・リードの造形芸術に関する著書について
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アポロ神の崇拝 ―ペイター試論―
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On Some Features of Preverbs of Old English ―With Special Reference to Beowulf. the Parker Chronicle(734-891). Elene and Judith―
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A.E.Housman の詩的技巧―とくに A Shropshire Lad. XXXV.の分析 (A.E. Housman's Poetical Technique-An Analysis particularly of A Shropshire Lad. xxxv)
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「ダーバヴィル家のテス」の構想と「テス論」
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Untersuchungen zu “als ob”
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ゲオルク・トラークルの作品に現われた抒情的空間構造に関するノート
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フランス語詩句のリズムについての歴史的考察(2) ―中世期の10音節詩句と古典的アレクサンドランを中心に―
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研究年報 17輯
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C・S・パースにおけるプラグマティズムの諸相
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漢魏楽府の傳承についての一考察
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『勝國和尚再吟』攷 ―原文篇(三)―
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ハーバート・リードの『詩とアナキズム』について
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アポリネールの詩的冒険 ―「月曜日 クリティーヌ街」その他―
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フランス語詩句のリズムについての歴史的考察(1) ―中世期の10音節詩句と古典的アレクサンドランを中心に―
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詩人の夜 ―ゲオルク・トラークルの作品研究(1)―
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「ミドルマーチ」における個人と社会の関係について
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エマソンの内面生活にみられる対立思想 ―「自己信頼」と「自己不信」―
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The Spoils of Poynton ―Fleda Vetch の再生
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The Changelingの世界 ―〈変化〉について―
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SHELLEY'S PROMETHEUS UNBOUND AND DEFENCE OF POETRY
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研究年報 16輯
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パスカルにおける自然と習慣について
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「根本悪」に関する一考察 ―歎異抄を中心として―
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御家人制成立に関する一試論
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古言雑考(一)
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奈良平安時代和文脈系文学の基本語彙表
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玉鬘系十六帖の挿入経緯について
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『勝國和尚再吟』攷 ―原文篇(二)―
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ハーバート・リードの「詩と経験」について
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ボードレールの矛盾
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トーマス・マン、初期短編
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シェイクスピア劇主要人物役柄研究 ―第三部 リオンティーズ―
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「チャタレー夫人の恋人」から「死んだ男」へ
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研究年報 15輯
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「チャタレー夫人の恋人」から「死んだ男」へ
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「プラグマティズムの守則」をめぐって
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初期マルクスにおける労働及び疎外の概念
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贋貨づくり
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手伝普請一覧表
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漢魏楽府の表現詩形考
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『勝国和尚雨吟』攷 ―原文篇(一)―
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『スペインとイタリヤの物語』(一)
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太陽とその変貌 J・M・G・ル・クレジオの世界
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歌劇台本作者・ホーフマンスタールに関する試論(2)
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Williramの《雅歌注解》における形式借用語について
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前域の機能について
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十九世紀米国に於けるエドガー・ポオ研究
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近代英国説教文学の発生 ―ラティマーからダンへ―
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研究年報 14輯
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チャールス・S・パースの哲学 ―実在論を中心として―
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ヘーゲルにおける「矛盾概念」の構造
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ヴォーリンガーに於る抽象の問題 ―現代の造形芸術の観点から―
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手伝普請について
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助詞「より」の通時的考察
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石川淳「佳人」から「白描」まで
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As You Like It 序説
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ハーバート・リードの「芸術と人間の進化」について
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ヘンリー・ジェイムズとビッグ・ビジネスの時代
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ポール・クローデルの『東方の認識』中の一散文詩
『アマテラスの解釈』の源泉の研究と註釈の試み -
Heliandにおけるコプラの問題
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歌劇台本作者ホーフマンスタールに関する試論(1)
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What was the Original Language of the Ancrene Riwle?
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George Herbert:Man's Innate Trust in the Eternal
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研究年報 13輯
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ベルクソンの「直観」について
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教育の目的について
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平安仏教と鎌倉仏教 ―日本人の哲学的思考の様式をめぐって―
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ペリオイコイのエトノス
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漢魏楽府の声調・音色の関する一考察
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抄物の転写本と版本
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助詞「が」の通時的考察
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ケラーの世界観と『七つの伝説』 ―聖母マリアを中心として―
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人文主義者としてのテオドール・ド・ベーズ
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「パンセ」における「機械」について
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NOTES ON SOME IMPORTANT ROLES IN SHAKESPEARE'S PLAYS PART II
MALVOLIO -
ON THE WORD ORDER IN THE PHRASE OF THE TO-INFINITIVE DURING
THE TRANSITIONAL PERIOD FROM OF TO ME -
JOHN DONNE:STRUGGLE BEHIND THE MASK OF SARCASM ENDLESS PURSUIT OF SIN AND DEATH
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研究年報 12輯
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室町期における貴族的武将の倫理 ―伊勢貞親教訓書を中心に―
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時間と一般観念 ―ベルクソン哲学を中心に―
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李朝の野史の叢書について
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惣領制小考
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「昨日は今日の物語」の諸本
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著作家ニーチェの手法
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アンドレ・シェニェ牧歌集考
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動詞の2格目的語について ―Luther訳聖書と現代ドイツ語訳聖書に基いて―
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ペイタアのヘレニズムについて
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「老水夫行」に於ける欄外注について
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研究年報 11輯
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地霊と英雄 ―日本の神話にあらわれた星の信仰について―
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カントの歴史観と宗教哲学
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族刑をめぐる二、三の問題
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漢代初期における思想と文学
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匂宮巻における薫像
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「オセロウ」第一幕第一場 ―イァーゴウ主題の提示部として考えた―
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シェイクスピア劇主要人物役柄研究 第一部 シャイロック
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ウォルター・ペイターの研究
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ヘンリー・ジェイムズにおける英米のイメージの一面
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『ある貴婦人の肖像』と『鳩の翼』
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ブレヒトのコリオレーナス改作
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ヴォルテールとカラス事件
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『ル・ミザントロオプ』の戯曲構成について
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研究年報 1輯~10輯
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研究年報 10輯
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墨経の思想
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フロンドの乱
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音韻交替についての一解釈(上) ―バ・マ行音の〈ゆれ〉をめぐって―
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中村本夜寝覚物語の素材
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ダンテ・ゲイブリエル・ロセティ ―人生に対する危機的含意の意識と詩
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『トリスタンとイゾルデ』と『トリスタン』
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カラス事件
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研究年報 9輯
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若菜・柏木物語論序説
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ジョン・フォード序説
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『情熱の巡礼』に於けるジェイムスの対英感情について
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トーマス・マン文献目録(その三)
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ヴイクトル・ユゴーの宗教的感情の源泉
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DIE ZFITUND DIE ZEITEN (言葉の問題に関する若干の考察)
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DAS RADIKAL BOSE BEIKANT
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研究年報 8輯
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和田以悦の伝とその文事 ―中世末近世初期の地下学統の検討 其の二―
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相剋の詩人ジョン・キーツ
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『バーント・ノートン』における「時間」の問題
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ディラン・トマスの詩における「死」について
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The Influence of Parallelism on Sentence and Paragraph Unity
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フランシス・トムソン ―自己内心との闘争
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「マリウス」の成立とその構成
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Althochdeutschのeiganに関する覚書 ―時称助動詞としての用法について―
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韻文稿と『ヒュペーリオンの青春時代』
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トーマス・マン文献目録(その二)
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フランス語教育の問題点
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研究年報 7輯
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カントにおける批判と倫理学
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一華堂乗阿・切臨の伝とその学問について
―中世末近世初期の地下学統の検討 其の一― -
楽歌「羽林郎」の成立について
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ヘンリィ・ジェイムズの初期の小説に於ける「国際的テーマ」の発展について
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トーマス・マン文献目録(その一)
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Otfridに於ける完了時称について
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ヴィクトル・ユゴに於ける宇宙開闢論 ―人間の誕生を中心にして―
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The Problem of the Intrinsical in the Literary Theory of Kenneth Burke
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研究年報 6輯
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『カントに於ける無限概念の発展』
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「おろか」の意味
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伊吹童子と酒呑童子
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廃帝海昏侯事蹟考 ―漢楽府研究の一資料―
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源氏物語「輝く日の宮」巻について
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清朝の書院教育
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ハーバート・リードの長詩
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ミケランジェロの未完成彫刻
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ロビンソン・ヂェファーズ
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ディケンズとアメリカ
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詩篇「半神獣」の背景と意義 ―半神獣の詩人・ヴィクトル・ユゴー―
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The Problem of the Intrineical in the Literary Theory of Kenneth Burke
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研究年報 5輯
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李朝実録考略
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箜篌および鼓吹・横吹考
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ヂョン・ダン ―詩と散文に於けるその技巧の一面
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フランシス・トムスン
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マシュー・アーノルドとアメリカ文明
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ヴァージニア・ウルフ
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Cunnan(Can)とMagan(May)
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ロンサールと宗教戰爭〔一五六〇-六三年〕 ―「論説詩集」と中心として―
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「人間喜劇」のシステムについて
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エジプト藝術を支えるもの ―ヴォリンガーの「抽象的藝術意欲」について―
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鬼 面 ―民俗語彙「ヒトクメ」について―
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研究年報 4輯
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Ancrene Riwleの英語の語順
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ヘンリ・ヴォーンとその生死觀
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ウィリアム・ヘイル・ホワイト(マーク・ラザフォード)の文學
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ホーソーンのイギリス批評
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主として初期に於けるトーマス・マンの調和への意志について
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動詞の前綴ge-(gi-)に關するメモ ―《Heliand》に現われた―
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西域音樂による漢樂府の生動
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研究年報 3輯
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ヘーゲル哲學の論理の基礎にあるもの
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トマス・キャンピオンとその歌謠
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天才と傳統 ―エマスンのイギリス觀―
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ジョスリン・ブルック
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「Motan」の意味とその變遷
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ソーローに於ける東洋思想
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言語の慣用について ―ヴォジュラの場合―
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ヴェルフリン著「藝術作品の説明」に於ける“一九四〇年後記”について
―ヴェルフリン晩年の美術史的思考―
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研究年報 2輯
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伊勢物語の虚構について
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漱石のスタイル
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新聲變曲家李延年と樂府
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唐・宋書院の發生とその教育
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The Peterborough Chronicleにおける助動詞
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スティヴン・スペンダーに於ける文學と政治
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「アメリカ神話」としてのThe Bridgeについて
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完了時稱における時稱助動詞の選擇について
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クレマン・マロ覺書 ―第一次亡命時代の書簡詩について―
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研究年報 1輯
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文學部研究論集の序に代へて
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デカルトと身心問題
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哲學者ヒュームの主要問題
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シェリングの積極哲學
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多胡辰敬家訓考 ―戰國時代倫理思想の一文獻―
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濱松中納言物語傳本考 ―本文批判の方法の實例を示すための―
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「ピーターバラ・クロニクル」の英語の語順
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シェイクスピアの女性觀(特にComediesに於て覗はれる)とMeasure for Measureの結末が提示するいくつかの問題
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ジョン・ウェブスターにおける人間の條件
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ポウプの敍述詩に關する一考察
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Anthony Trollopeの一面 ―評傳Thackerayの作者として―
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Joyceと「名前」
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Edgar Poeの「恐怖」について ―Tales of Imaginationから―
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トオマス・マン「ファウスト博士」の形式について
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J・M・R・レンツの戯曲に於ける近代性 ―ブレヒトの「家庭_師」改作をめぐって―
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アルベール・カミュ覺書
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人文科学論集
人文科学論集は、主に学習院大学大学院人文科学研究科の学生が、その研究結果を発表するための冊子です。年に一度発行されます。ここでは、今まで投稿された論文のうち、ウェブサイト上への投稿が許可された論文を掲載しています。
人文科学論集 31号~32号
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人文科学論集 32号
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川合玉堂筆《日光裏見瀧》について ──探求から生まれる風景画──
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ショーペンハウアー哲学における二つの問題領域
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人文科学論集 31号
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太宰治「皮膚と心」論
――皮膚が「女」にもたらすもの―― -
プラトン『パイドロス』における「生きていて魂をもつ言葉」について
――アルキダマスとの相違点――
人文科学論集 21号~30号
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人文科学論集 30号
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成瀬家本「長篠合戦図屏風」における武勇の絵画化
――『甲陽軍鑑』に着目して―― -
チャンネル4によるパラリンピック・キャンペーンと障害学
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人文科学論集 29号
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障害者アスリート表象に関する歴史社会学的検討
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「残酷演劇」試論(2)──その哲学的原理
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人文科学論集 28号
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初期ショーペンハウアーにおける身体論
─「直接の客観」としての身体について─ -
ライプニッツにおける言語と社会
─日常における言語使用の観点から─ -
絵画の否定神学:イヴ・ボヌフォワとジョルジョ・モランディ
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人文科学論集 27号
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ロムバッハ『現代的意識の現象学』における前期ハイデッガー解釈について
―「構成根拠それ自身」への問いの観点から― -
久米桂一郞「ウィスラー対ラスキン及び印象主義の起源」(1904年12月)
―近代日本のラスキン受容の一例として― -
映画制作会社における記録管理と製作プロセスについての考察
―1960年代前半の岩波映画製作所を事例として―
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人文科学論集 26号
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相州警備における熊本藩の情報収集
―熊本藩士萩原隆平の活動を中心に― -
竹内栖鳳《ベニスの月》(1907年)
―近代日本のラスキン受容の一例として -
「スター化」する声優
―日本における「声優」とは何か?(3)―
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人文科学論集 25号
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前期ハイデッガーにおける「時間性」と「超越」―時間性の「内」と「外」の問題―
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御木本隆三「ラスキン先生遺品小展覧会」(1926年2月)―近代日本のラスキン受容の一例として―
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彼女はシェイクスピアの妹だったのか?――近代初期スコットランドの女性作家、エスター・イングリス―
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マルグリット・デュラス研究Ⅱ:自伝小説をめぐる問い―『太平洋の防波堤』を読む―
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自伝から小説へ―アゴタ・クリストフ『悪童日記』における自伝的要素、あるいは非自伝的要素に関する考察―
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箱庭療法とフォーカシングの統合的方法(Sandplay Technique & Focusing:STF)の試み―からだによる箱庭解釈―
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人文科学論集 24号
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17世紀ネーデルランド静物画における画家の反射像―ウィレム・ファン・アールスト作《果物とワイングラスのある静物》を中心に―
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岸田劉生《童女舞姿》の制作背景に関する一考察
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近世における「一の谷・屋島合戦図屏風」の生成とその展開―耕三寺博物館所蔵「源平合戦図屏風」を中心に―
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アゴタ・クリストフの三部作―嘘をめぐる考察―
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マルグリット・デュラス研究Ⅰ『モデラート・カンタービレ』考
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韓国における地方公文書館設立の可能性とその意義―ソウル特別市の事例から―
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児童福祉施設の記録へのアクセスとアイデンティティの構築の基礎的考察―
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人文科学論集 23号
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人文科学論集 22号
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『滑稽絵姿合』考
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井上通女『帰家日記』論
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矢代幸雄「ラスキンの叫び」(1913年6月)―明治・大正期におけるジョン・ラスキンの受容史―
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フォーカシング的態度の諸側面の検討―フォーカシング的態度尺度作成の試みを通して―
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人文科学論集 21号
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浮世絵における「子ども絵」―天保期を中心に―
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村上春樹「バースデイ・ガール」における語りの機能
―邪悪な「物語」を拒む倫理的責任について― -
謙譲語文の適格性条件
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人文科学論集 11号~20号
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人文科学論集 20号
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新義真言宗田舎本寺大悲願寺とその門末に関する基礎的研究
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天才と判定者 ―芸術作品の有り方をめぐって
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ジョン・ロックの相続権論 ―労働所有権論との対比―
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人文科学論集 19号
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託磨長賀論―流派の転機、禅宗と醍醐寺へ―
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「彫刻」へのまなざし―高村光雲と近代美術制度―
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作品紹介 関地蔵院本道天井画―狩野永敬と一八世紀初頭の京狩野家について―
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La Disparition における語の歪み
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サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』におけるアーノルド・ゲーリンクス『エチカ』の痕跡 ―「三重の主体」―
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人文科学論集 18号
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世阿弥の能楽論における「見風」 ―「かかり」との関係から―
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「かけら」としての哲学 ―キェルケゴールにおける非学問的な学問としての哲学―
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ライプニッツにおける神の正義の観念 ―悪の容認の問題を手引きに―
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近代の屏風 ―明治三〇~四〇年代の竹内栖鳳を中心に―
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受動受益的「~テモラウ」文と受身文の互換性の要因について
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自然現象名詞主語の他動詞文について
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英語における二重目的語構文の受動化について
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死へと向かう男、死から逃げる男 ―Don DeLillo の Cosmopolis と White Noise―
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「言語危機」を表現する
―ホーフマンスタールの『手紙』における声の断絶とレトリックの関係について― -
アナトール・フランスの小説作品と批評作品 子どもとジュルナリスム小説
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「バルナブース」の変化 ―『A.O.バルナブース全集』の「日記」における人物像―
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アンドレ・ブルトンの一九三〇年代におけるイメージの考察について
―『通底器』におけるイメージの解読― -
日記行動が持つ青年期的意義と心理的効果についての探索的研究
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ロボットは「心」を持つか ―『PLUTO』から考えるロボットの「心」と人間の「心」―
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知能観 IAT 紙筆版作成の試み
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舞台空間と身体の編成への序説 ―バウハウスの舞台とオスカー・シュレンマー
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サイボーグ漫画のアニメ化に見る漫画作品の受容と消費
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複製芸術としてのマンガ ―視覚メディアにおけるキャラ表現の考察―
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人文科学論集 17号
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円珍の法身観について
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源氏絵の世俗化 ―伝菱川師宣画『おさな源氏』の成立背景―
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侍従武官府人事の研究
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『今鏡』における観音信仰 ―歴史の語り手は観音の化現か―
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県門女性歌人の長歌表現 ―『近葉菅根集』夏部所収納涼長歌群をめぐって―
-
『後二条師通記』における漢籍引用 ―日記叙述とテクスト生成―
-
ライプニッツにおける純粋愛の問題
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存在論的差異をめぐる「必然的な迷いの道」の一解釈
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ビアズリーの初期の画業における様式の複線的展開
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「だろう」の四用法について ―先行研究の分析から
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日本語とアラビア語の「死」に関する比喩的慣用表現と概念メタファーの意味関係
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歴史という悪夢からの目覚め デレク・ウォルコット「スクーナー船フライト号」
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見ること、見えること、見せること
―『台風』四部作とロンブローゾ=ノルダウの枠組み― -
濫喩の危機 フランツ・カフカ『ある戦いの記録』
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文化的記憶としての詩 ―パウル・ツェラーン―
-
ラルボーと「バルナブース」 ―『A.O.バルナブース全集』における作者と作品―
-
『シュルレアリスム革命』におけるイラストの使用について
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フランス現代詩人と日本 ―イヴ・ボヌフォア、フィリップ・ジャコテが見た俳句
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記憶に及ぼす刺激の感情価と覚醒度の効果
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ツアー・パフォーマンス ―「都市」の考察
-
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人文科学論集 16号
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伊藤若冲の桝目描き鳥獣図屏風考察 ―異国趣味と博物学の観点から―
-
醍醐寺と宅間派 ―『常楽記』に記された宅間入道了尊
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近世後期関東における「村役人くじ引制」
-
太宰治のエディターシップ ―『晩年』から『太宰治全集』まで―
-
ブロンズィーノの肖像画における彫刻の参照
―《オルフェウスに扮するコジモ1世》を中心に― -
「広告の体験談」にみられる構造と特徴 ―「段」の統括関係を中心に―
-
外界としての森 ―シェイクスピア喜劇をテクストに―
-
トラブルを読む
―フランツ・カフカの『歌姫ヨゼフィーネ、あるいはネズミの一族』における物質性[Materialitat]の包含と排除の位相学と修辞学 -
憂鬱な牧人像
―ベンヤミンのメランコリー論から見るゲーテ『いとしい方はむずかり屋』― -
ジャック・デュパン 断片の言葉と明滅する主体
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学歴社会意識とステューデント・アパシーとの関係についての考察
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感情価を持つ刺激への注意が虚記憶に及ぼす影響
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中学生の目標志向性とコンピテンスが学校場面における行動に及ぼす影響
-
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人文科学論集 15号
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慈遍の世界観 ―神宝論を手がかりに―
-
『正法嫡伝獅子一吼集』における〈仏記東漸論〉
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榊原家家臣団の形成過程と幕藩関係 ―館林・白河時代を中心に―
-
『源氏物語』「幻」巻論
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存在の問いの遂行としての現存在の可能性
―一九二七 - 三〇年における形式的告示の充実をめぐって― -
セプティミウス・セウェルス帝治下のキリスト教徒迫害
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現代日本語における身体名詞主語の他動詞文
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評論データにおける接続助詞トの用法
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体験者はなぜ、感謝を明示するのか?
―「段」の分析による、「広告の体験談」の特殊性の指摘― -
Manly Loveについての一考察 ―ホイットマン「私はルイジアナでオークの木を見た」―
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「読」「書」行為のFiguration ―パフォーマティヴィティにおけるFigurの生成/解体―
-
自動記述における文学的形式の使用 ―アンドレ・ブルトン『溶ける魚』について
-
忘れられた女性詩人ルイザ・シフェール ―ランボーの視点を手がかりとして
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『ナジャ』におけるイメージとテクスト
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ジャック・デュパン 女性の身体と自己の消散
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ステレオタイプ脅威が社会的相互作用に及ぼす影響
-
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人文科学論集 14号
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近世名所図屏風の吉野と厳島 ―その組み合わせと豊臣政権との関わりについて―
-
蒔絵師山本春正正徳の作品研究 ―フリーア美術館所蔵菊梅蒔絵薬籠を中心に―
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『うつほ物語』〈絵解〉小考
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ジャン・ピュセル『ジャンヌ・デヴルーの時祷書』の再検討
―「玉座のキリスト」を中心に、時祷書の挿絵が果たす機能について考える― -
晩年のカンスタブルの画風についての一考察
―《牧草地から見たソールズベリー大聖堂》再考― -
テレビニュースを用いた視聴覚教材開発 ―二つのレベル学習者への実践―
-
広告における体験談の諸相 ―「擬似性」、「胡散臭さ」を中心に―
-
日本語とチベット語の使役表現における形態的及び統語的な特徴
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詩学仕掛けの国語育成 ―ハルスデルファー『詩学の漏斗 第一部』を読む―
-
『アルベルト・ジャコメッティ―あるアプローチのためのテクスト』におけるジャック・デュパンのエクリチュールについて
-
Bande dessinaeおよび漫画における比較研究 ―両者のコマに流れる時間について―
-
中学生における学校適応に関する研究
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プライベート空間の確保と心理的ゆとり
-
身体障害者の自立について ―親子関係と介助の視点から―
-
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人文科学論集 13号
-
幕府御用としての席画について
-
原三溪の美術家援助
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鄭韓故城出土銅兵器の基礎的考察
-
降臨伝承の比較研究 ―アメワカヒコ・ニギハヤヒと古代朝鮮の降臨神―
-
ハイデッガーにおける第一の始元の根本気分 ―「驚愕」―について
-
日本語作文の読み手意識について ―中国人学習者と日本人大学生の場合―
-
日タイ対照研究 ―言語表現の傾向―
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これら・それら・あれら ―指示詞複数係の「指示」について―
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漫画に見られる「視線無視」の意味についての日韓比較
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YeatsのモダニズムとDonneの影響
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ヘンリー・ジェイムズと視覚芸術 ―The Wings of the Doveの場合―
-
アンドレ・ブルトンの「反文学的」な展望
-
『失われた時を求めて』における隠喩の概念について II
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精神障害の動物モデル:anorexia nervosaの動物モデルへの試み
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人文科学論集 12号
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日本近代美術の蒐集家
―原三溪の美術蒐集記録「美術品買入覚」に見る近代美術コレクションについて― -
神祇祭祀における女性神職の働き ―古代神宮・宮中の祭祀から―
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陜北画像石の地域的特徴
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「源雅国書状」の検討 ―保元元年の新制・荘園整理令の一史料として―
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『太平記』における人物像と情報戦略
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印欧語族の豊穣女神に共通する諸特徴について
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クレイトポンへの回答 ―『クリトン』におけるソクラテスの正義
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1930年代におけるピカソのイメージ
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日韓両言語の身体語彙の比較研究 ―口を中心として―
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現代における接頭辞「お」「ご」の変遷
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鳥取方言の談話展開の方法
―情報単位という観点から見た情報の内容・機能とその配列について― -
代名詞の関連性理論的分析
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〈自己〉語り方 マルクス・オルツの『コルプス』
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『失われた時を求めて』における隠喩の概念について I
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《Enfance》読解(1)
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学業場面における援助要精行動を規定する要因について
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社会的アイデンティティの“重要性”に関する検討
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人文科学論集 11号
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描かれた尼姿の意味 ―「阿字義絵」の絵を中心とした再考察―
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ブタから見た中国古代の歴史と環境
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『日本書紀』訓注の機能 ―神代巻を中心に―
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北京の輩と兵隊 ―「中国文学月報」における竹内好・武田泰淳―
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ヘンリー5世のノルマンディー出兵 ―その主たる動機を考える―
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子ども向けに書かれた文章の表現特性 ―情報の配列から見た文章構成の比較―
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説得力とは何か ―関連性理論の枠組における分析―
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ミステリの進化 ―カオス的世界像の超域文化論―
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翻訳のダイナミズム ―ヴァルター・ベンヤミンの『翻訳者の使命』―
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A・W・シュレーゲルにおける外国文学受容と中世ドイツ文学研究
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アンリ・メショニックの翻訳理論と実践 ―言語レベルの不十分性―
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脅威関連情報に対する注意バイアス研究の諸問題
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臨床心理学・事例研究法におけるコメントの機能
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臨床心理学研究おける抑うつの定義と研究モデルについて
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神経性無食欲症の動物モデルとしてのActivity-based anorexiaの諸問題
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人文科学論集 1号~10号
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人文科学論集 10号
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長谷川派風俗画にみる描写的特徴について ~邸内遊楽図を中心に~
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「一遍聖絵」にみる観者のまなざし ―土地・武士・女性の表象からその権力構造を読みとく―
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「高陽院行幸和歌」の基礎的研究 ―歌会資料と『栄花物語』―
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古今集における漢文学の日本的受容
―「弥生のつごもり」・「長月のつごもり」歌について― -
太陽樹としての五百津真賢木 ―アマテラスの再生と服属儀礼と―
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文芸表現と宣伝手法 ―江戸歌舞伎辻番付の場合―
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プロティノスにおける魂の非受動性について
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中世イングランド王権と聖ジョージ ―百年戦争前期を中心に―
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The Catcher in the Ryeに見られる父子関係について
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『ロミオとジュリエット』における「男らしさ」について
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『トニオ・クレーガー』におけるアウトサイダー性について
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質問紙調査における評定尺度の解釈について
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大きさ判断に関する発達的研究
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抑うつ者の自己 ―他者体系~精神分析的、精神医学的見解から実証に基づいた臨床心理学研究へ
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嫉妬経験に関する研究 ―インタビューを用いて―
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人文科学論集 9号
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前期摂関政治における摂政・関白の権能 ―関白藤原基経の政治的地位を中心に―
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「夢見る部屋」・偽装された告白
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合巻出版板元集覧 ―化政期編―(未定稿)
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自壊する〈観念〉 ―坂口安吾『吹雪物語』論―
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フツヌシ神話と物部氏
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前期ハイデッガーにおける「気分」と「超越」について
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日本語とイタリア語の対照研究 ―テレビ討論において使われた言語的ストラテジー―
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エリクソンについてのノート
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アイルランド「国民」小説家としてのマライア・エッジワース
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Speech Presentation in Kipling's “‘They’”
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C.F.マイヤーの小説作品にみる宗教との戯れ ―『説教壇から撃つ』の場合―
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ルールタビーユの冒険 ―密室の謎と探偵の秘密―
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ラシーヌと古代の人間 ―エウリピデスとラシーヌの『イフィジェニー』―
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コレットとベル・エポック ―『私の修業時代』―
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対人関係における防衛性を規定する要因について
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処理目的が対人認知に及ぼす効果について
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人文科学論集 8号
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酒井抱一一門の出版物と流派観の形成について
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日本「文人画」研究ノート 江戸中期の李漁(李笠翁)イメージに関する一考察
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律令国家における官人序列 ―『続日本紀』叙位記事の検討―
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神宮傳奏の成立について
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岩倉具視の古式復興及び身分制度確立の意図
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可能表現における否定主導 ―江戸語・東京語資料にみる―
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「天石屋神話における籠りの意味」
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古代日本語動詞原形の意味・用法 ―テンス的意味の認否について―
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溝口健二研究の新たなる視点
―女のイメージの読み直しとフェミニスト批評の可能性を中心に― -
古戦場再訪 ―『ねじの回転』のフロイト的解釈について
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ポーの「壜の中の手記」:ラカン的精神分析による読解
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声のエクリチュール ―文学作品の中にみられる音声の複製について―
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E.A.ポウ ―想像力と錬金術
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キプリングの短篇小説に見られるインド像 ―‘Lispeth’および‘Beyond the Pale’を中心に―
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視覚的快楽とヴァイマール映画 ―「新しい女性」をめぐって―
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コレットとベル・エポック ―『ジジ』と『パリのクロディーヌ』―
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『エレクトル』に表された二重の危機
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課題への興味と目標志向性との関係について
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抑うつ者の自己認知と重要な他者との関係性の理論展開:脆弱性の多面的理解に向けて
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人文科学論集 7号
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平安京の鴻臚館に関する一考察
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遊行女婦考 ―日本古代史における遊女の一起源の研究―
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狭衣物語巻一の異同の整理(一) ―深川本の元和九年古活字本の比較を中心に―
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日本神話の戦士機能神たち ―スサノヲ・タケミカヅチ・タケミナカタ
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「春昼」「春昼後刻」の構造
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広津和郎初期作品に見る「誠実な」男 ―モラルの内実―
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ニールス・ボーアにおける物理理論と言語
―論理的経験主義との距離という視点から― -
「鏑木清方作品の再評価―《築地明石町》をめぐって」
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Scalping the Whites:Native Americans in Thackeray's The Virginians
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Notes on the Relevance-Theoretic Account of Interrogatives
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トロロップとカーライル ―ジャマイカの黒人問題をめぐって―
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The Tragedy of Pudd'nhead WilsonとTom Sawyer 続編シリーズ
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『心は孤独な狩人』における死からの救済と『針のない時計』におけるその発展
―カーソン・マッカラーズの作品における考察― -
Essay als ein alternativer Diskurs (2) Zu “Literat und Literatur” Robert Musils
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Geschichte des Gattungsbegriffs “Bildungsroman” und Goethes “Wilhelm Meisters Lehrjahre”
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マラメルにおけるロマン主義の痕跡 ―『闇が宿命の掟から』について(その2)
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フーコー、自己への欲望と倫理の主体
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獲得される2種類の資源の量とその喪失の脅威が嫉妬の強さに及ぼす影響
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理想 ―現実自己の差異と課題遂行場面におけるあきらめとの関係について
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生徒の統制感と教師のフィードバックが動機づけに及ぼす影響
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最初期記憶と現在の性格との関連について
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人文科学論集 6号
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宗祇の「下心」説 ―その『伊勢物語』学から
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内侍と蔵人の「奏」 ―九・十世紀の儀式を中心に
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平松家本平家物語の周辺 ―その表記により「盤」の意味するもの
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『世界綱目』の成立
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川端文学と異界 ―唐代小説とのかかわり
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ジョン・デューイの実験主義的国家論
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アリストテレスの個体論 ―「形而上学』における“個体化”について
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結果相のテイルとテアル
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ディケンズの語る死
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A Study of Cannery Row:John Steinbeck and the Old Chinaman
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オスカー・ワイルドの『サロメ』 ―ヨカナーンの系譜
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ナサニエル・ホーソーン「ロッジャー・マルヴィンの埋葬」 <正の負の調和>
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古高ドイツ語訳 IsidorにおけるInfinitivの翻訳技法(1)
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1935年の予感
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マラルメの<夢の力学> ―『闇が宿命の掟から』について(その1)
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コレットとベル・エポック ―レスビアニズムをめぐって
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弁別学習における言語強化組み合わせの効果 ―“Nothing”の解釈について
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所属感がパフォーマンスに及ぼす効果に関する実験的研究
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ストループ課題における中性語と意味勾配効果の検討
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対人関係の親密さと自他の認知とが課題性の変容に及ぼす効果
―相手と課題の成績差がある場合
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人文科学論集 5号
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近世西川地方における山方荷主町田家の江戸材木問屋経営 ―文政期の深川への出店を中心に―
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小子部スガル伝承における蚕神と雷神
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カントにおける道徳法則の具体的な適用について ―経験を不可欠の前提とする道徳的判断の構造―
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若きニュートンが錬金術に望んだこと
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「法」「術」「勢」についての理論的基礎 ―韓非の弁証法思想―
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ミニマリズム文学として“The Bath”を読む
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『シズコズ・ドーター』 ―英語で語る過去
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Stuck in A Cavity:Imperial Discourse in Heart of Darkness
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On Floating Quantifiers
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Essay als ein alternativer Diskurs[1] Zum“Essay als Form”Th.W.Adornos
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Chaque personnage principal dans M'emoires d'Hadrien,et L'?uvre au Noir de Marguerite Yourecenar
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集団間の優劣差が報酬分配行動に与える影響
―心理的集団の形成と内集団ひいきとの関連について― -
個人スポーツにおいて所属感、達成意欲、セルフ・エフィカシーがパフォーマンスに及ぼす効果について
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人文科学論集 4号
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寺田と律令法をめぐる二つの問題
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一条兼良と『伊勢物語愚見抄』
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明治末期における近代小説の表現様式 ―「生」を中心に―
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『六代御前物語』と『平家物語』六代説話
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「反省概念の多義性」の章の意義 ―カントにおける反省と定位―
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「アッセの間」装飾壁画におけるレオナルドのモチーフについて
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“Mark”:The Concept of Inscape in Gerard Manley Hopkins's Poems
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関連性と英語イントネーション
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『復讐者の悲劇』における復讐
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Fragmentation and Discontinuity:
Narrative Techniques in John Dos Passos's Manhattan Transfer -
ある芸術家の救済 ―ペーター・ハントケの『村々を巡って』―
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“Spazieren in Berlin”:Hessel,ein Berliner Flaneur
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警告昔話 ―昔話と伝説の間
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「罪の中の幸福」における神秘について
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刺激認識過程におけるストループ効果
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人文科学論集 3号
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月岡芳年の伝記に関する諸問題
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社会主義リアリズム論争 ―ナルプ解体後におけるプロレタリア文学運動―
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谷崎潤一郎『秘密』 ―無限に意味を生む「世界」へ向けて―
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『万葉集』904-906番歌の清濁表記について
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思想のトポロジー、パイドロス篇の構造とその背後に潜むもの
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ウィリアム・ワーズワースの『隠者』 ―その創造と崩壊―
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ジョン・キーツ『メランコリーのオード』 ―両義的メランコリーの受容―
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A Study on Mark Twain's “God” in Huckleberry Finn
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ドイツ伝説における水の精霊
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フランソワ・ラブレーの作品における印欧語解説 ―その一:ロマンス語―
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Debussy Adaptateur ―Les modifications du livret de Pelleas et Melisande par rapport a la piece de Maeterlinck
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Genie ―逆ウロボロスの詩学―
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行動薬理学的記憶試験の実際とその問題点
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自己認知と他者認知との相互規定性について
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職業に関する認知構造と逸脱行動に対する非難との関係
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人文科学論集 2号
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明応の政変以降の室町幕府政治体制に関する研究序説
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豊臣政権と足弱衆
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『それから』とテクスト構造 ―意識の「識末」と〈F〉とが廻る
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自発性と受動性 ―カント及びヒルベルトにおける―
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個体と出来事 ―ライプニッツの〈完足的概念〉について―
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同一情報に基づく文章表現の印象・評価の差意について
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CHURCH AGAINST DRAMA.DRAMA AGAINST CHURCH
―The Mediaeval Antitheatrical Thoughts and Mankind -
ヴァージニア・ウルフの『燈台へ』 ―言語への失望・沈黙・そして言語への新たなる試み―
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夢の中の騎士を求めて
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「私(Ich)」から「女(die Frau)」へ ―『マリーナ』映画化におけるシナリオの書法について―
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Sur la fonction des 《signes》 dans les romans de Barbey d'Aurevilly ―Une Vielle Maitresse,L'Ensorcelee,Un Pretre Marie.
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『自由な自然』 ―ディドロの真実らしさの追及について―
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記憶モニタリングと記憶発達
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魅力の異なる友人関係における相互作用の互酬性について
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人文科学論集 1号
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創刊の辞
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宗教的次元の開示 ―ディルタイの思索を通して―
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元正女帝期政権論
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浮舟の救助 ―僧都・妹尼君の視点から
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「家族会議」論 ―動態的構造としてのテクスト
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アマテラスの成長と女神たち
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Women's Struggles for Selfhood in The Awakening and Quicksand
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パックス・フレクノヴァーナの諷刺 ―ドライデン「マク・フレクノウ」を読む
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E.T.A. ホフマンにおける打ち明け話と積み重ねられた語り
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メールヒェン・子供・自然 ―グリム兄弟の教育観―
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フランス語の未来形の形成についての通時的一考察 ―他のロマンス語との比較をして―
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顔の再認記憶の発達 ―フィールド実験と実験室実験の違いはどこから来るか
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